Friday, June 25, 2010

デッカ盤「PIANO MASTERWORKS」50枚組CDを聴いて

音楽千夜一夜 第143夜

2008年9月にデッカから発売されたピアノによる演奏大全集をようやく聞き終わりました。例によってついつい1枚180円という廉価につられて買ってしまったのですが、これはどれをとっても聞き逃せない名盤揃いで、さきの35枚組ヴァイオリン名曲集以上の耳の悦楽を与えてくれました。

ラインアップはシフによるバッハのパルティータやピアノ協奏曲、グルダの平均律全曲、ケンプ、ギレリス、ゼルキン、アラウによるベートーヴェンのソナタや協奏曲、バックハウス、ベームによるブラームスの協奏曲、アルゲリッチのショパン、リヒテルのハイドン、カーゾン、ルプーのシューベルト、コヴァセビッチ、デービス、ハスキル、フリッチャイによるモーツアルトの協奏曲、ケンプによるシューマン等々ですが、なかでもシフとグルダは抜群の聴きごたえがありました。

半分くらいはすでに所有しているCDでしたが、最新のマスタリングがなされているので演奏だけでなく録音も素晴らしいのです。

もはやこの世にあらざるピアノの名人たちの名演奏に次々に耳を傾けていると、聴いている私も、この世にあるかあらぬか定かではない不思議な世界にたゆたいゆき、夢の中で鳴り続けている音楽にいつまでも身をゆだねているのでした。


♪はげたかファンドの雇われ社長となりて肩で風切る哀れな君たち 茫洋

Thursday, June 24, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第9回

bowyow megalomania theater vol.1

ゲッ、ゲッ、ゲエーとぜんぶの穴から出しちゃいました。

そして泣きました。

こわかったのです。

頭が痛い。もういやだ。僕は女のひとに汚されてしまった。僕は女のひとは、いやです。なにされるか分からない。乙姫なんて大きらいだ。許せない。ぶっ殺してやる。

額のところに玉のような汗をかいて「ちくしょう、ぶっ殺してやる! 許せない!」
と叫んだところで、パッチリ目が覚めました。お母さんが心配そうに僕をのぞきこんでいました。病院でした。真っ白なシーツにつつまれて僕はあくむのような夢を見ていました。そしてそれが発作でした。


     春蘭が咲いていたのはこの辺り 茫洋

Tuesday, June 22, 2010

レーモンド・カーヴァー著「ビギナーズ」を読んで

照る日曇る日 第350回

アメリカの作家レーモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」という短編集を読んだ時、それが当時の「ニューヨーカー」の辣腕編集者ゴードン・リッシュによって原文のおよそ半分がカットされ、残された部分も徹底的に切り張りされた代物であり、その奇妙なタイトルさえも、くだんの編集者によって命名されていたことを、私はこの本の翻訳者村上春樹のあとがきによってはじめて知りました。

当時アル中で小説を書くどころか、死に瀕していた無名の作家にとって、自作を改変されることは屈辱的ではありましたが、その改変が原作よりも優れた成果を収めていたり、改変されたその協調性に欠けた共著が著名出版社から世に出たり、ましてや江湖の文学ファンから歓迎されてベストセラーになるに及んでは、それこそ功罪相半ばということになって、長くお互いの「企業秘密」になったことは、門外漢の私にもわかるような気がします。

さて文学者である妻テス・ギャラガーの協力を得て限りなく当初のオリジナル原稿に忠実に復刻された「愛について語るときに我々の語ること」改め「ビギナーズ」の読後感はどうかと聞かれたら、収録作品ごとに優劣はあるにせよ、原作も良ければ改訂版も悪くないことあたかもブルックナーの交響曲のごとし、と答えるしかありません。

たとえば表題作の「ビギナーズ」は改訂版である「愛について語るときに我々の語ること」の倍の分量に復活したために、交通事故から奇蹟的に生還した老夫婦の再会のシーンで大きな感動を与えられたり、作者の思いがけないゆったりとした語り口に小さな驚きを味わったりすることができるわけですが、その反面、あちこちの冗長な描写が気になるだけでなく、カーヴァーの最大の特徴である生の真髄に冷酷無比に切り込む鋭い筆鋒が失われている不満を感じないわけにはいられません。まるで泡のないサイダーを飲まされているような味気なさといえばいいのでしょうか。

やがて腐れ縁で結ばれたこの2人は、切れろ切れないのすったもんだを繰り返したあげくようやく決別し、晴れて独立して自由の身になったこの20世紀アメリカ文学の旗手は、短すぎた生涯の最晩年を彩る「大聖堂」などの心に重く沁み込む傑作を遺して1988年に亡くなったわけですが、その文壇デビュー以来の前半生を創造したのは作家以上に作家を知る編集者との二人三脚であったことを思うと、複雑な感慨に誘われます。

おそらく私たちはこの作家の内部にキメラやミノタウロスの残骸を見出し、その作品の内部に棲息するジキルとハイド氏の対話を読まされているのではないでしょうか。


かにかくに資本の走狗と成り果てて会社会社と喚く君(俺)たち 茫洋

Monday, June 21, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第8回

bowyow megalomania theater vol.1


そう、そう、そう、そう、結構やるじゃんこの子。あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あん、ぐんぐぐぐぐぐぐーん、アッハ、アッハ、アッハ、アッハ、ア、いいいいいいいいいいーーーーーーーーーい。

 おーし、こんどはそっちをいじめてやる。どお、どお、どおだい。、どら、どら、どおだい。こんなとこに指を入れられたことある? ないでしょ。どうかな、どうかな、どんな気持ち?

んぐ、んぐ、んぐぐ、あっ、あっ、あっ、あっ、もうだめ。もうだめ、もうもうかんべんしてくださあーい。いいっ、いいっ、いいっ、いいよおう。あっ、あっ、やめて、やめて、やめ、やめ、やめ、や、や、や、やあーん。あん、あ、あ、あ、あ、あああああああああーーーーーーーーーん。

僕は頭の中に赤や青や黄色の絵具をチューブからうんこのように何重もぶちまけられたよう気分になって目がくらみ吐き気がして、とうとう上からも下からも吐き出してしまいました。


    ルリシジミ両手に花と飛びにけり 茫洋

    健ちゃんが突破したのは瑠璃シジミの瑠璃 茫洋

Saturday, June 19, 2010

子規と六月と風

バガテルop126

明治の短詩形文学の豪傑、正岡子規のうたが好きな私ですが、とりわけ


毎年よ彼岸の入りに寒いのは

六月を奇麗な風の吹くことよ

いくたびも雪の深さを尋ねけり


のように、あまり頭でひねくったところのない、平凡な、いわゆる月並みの句を好みます。

星雲の志を懐いて松山から上京した子規は、陸羯南の世話で「日本」新聞社の社員となって明治25(1892)年11月に郷里から母の八重と妹の律を下谷区上根岸に呼び寄せ、家族3人で暮らしはじめます。

明治26年3月につくられた「彼岸の入り」の歌は、母親八重の言葉をそのまま5・7・5の調べに乗せたもので、俳句を第2芸術とののしった頭の良い仏文学者にはそれこそ最低の句なのでしょうが、文芸と理屈はしょせん無縁のものと確信している頭が悪い私にとっては、愛惜すべきなかなかに味わい深い佳句なのです。

3句目の「雪の深さ」の句は、子規がついには死に至る脊椎カリエスを患って床に就くようになった明治29年の冬の句ですが、やはり母と子の楽しい会話のやりとりの中から誕生した日常生活の小さなよろこびが息づいているようです。

先日の朝日新聞の詩歌欄で、ある俳人が「六月の風」の句について触れ、これは明治28年の3月、日清戦争に従軍した子規が帰国する船中で喀血し、須磨の病院にかつぎこまれて九死に一生を得て詠んだ、いわば生への帰還の感慨の句である、と鬼の首でも取ったように書いていました。

賢い頭で実証的に右脳を納得させた結果、はじめて得心して感動されたようですが、私は、この句は時代環境や彼の個人的体験とは無関係に、野に咲く花のような自然の魅力を放っていて、その解釈と鑑賞のために、上述の背景の理会が必要になるとはさらさら思いません。

子規はただ梅雨から初夏にかけてときおり爽やかに吹き抜ける六月の風を、ただ無心に「奇麗」と感じ、その気持ちをそのまま詠んだのです。それとも、もしかするとこの句は、子規が須磨から根岸に帰った後で、母親の八重が、

「のぼさん、今日は朝からきれいな風が吹きよるねえ」

と話しかけた、その瞬間に誕生したのかも知れません。

いずれにせよ、今から115年前の昔、あの鄙びた根岸の里を吹いた風は、今日も奇麗に吹いているのでした。


ホトトギス特許許可局と鳴きにけり 茫洋

百年の昔を吹きし水無月の奇麗な風が今日吹き過ぎる 茫洋

Friday, June 18, 2010

小川国夫遺著「弱い神」を読んで

照る日曇る日 第349回


藤枝の大井川周辺の河口と原っぱと集落と海と空を舞台にし、明治、大正、昭和の大戦期を貫き、祖父母、父母、息子夫婦三代にわたって連綿と繰り広げられる紅林家の物語は、確かにその題材を作者の一族とその周辺からとられているものの、読み進むうちに祖父である家長があるときは清水の次郎長のように、ある時は旧約聖書の苦難に悩めるヨブのように、またあるときはガルシア・マルケスの小説に出てくる孤独な英雄のようにも思えてきます。

しかも驚いたことには、この膨大な大河小説は、全編にわたって静岡県の一地方の方言の会話文だけによって延々と描き続けられています。作者はかつて袖をすり合わせたすべての親族や友人、知己を自分の枕元にさながら「いたこ」のように呼び出し、この世にあらぬ親しき人々が語り出すまでひたすら待っています。

そして生者はもちろん死者たちも、作者のうながしに応えて、在りし日のかけがえのない記憶を、とつとつと語り始める。したがってこれは死者が語った言葉を傾聴する「聖書」や「古事記」のような物語なのです。

―たとえ正当防衛でも人は殺さないっていうことですね。
―そうなんだよ。                 (「危険思想」より)

―この調子だと、国は喰い荒らされてしまうと言うんですか。大井川に落ちる渡り鳥のように、残骸になってしまうと言うんですか。
―残骸……、ね。国というものがあればの話ですが……。
―国などというものはないと言うんですか。
―ありませんよ。あるのは国という言葉だけです。あるように見せかけているだけだ。利用したい者には便利な言葉ですが。         (「幾波行き」より)

そこには俗にまみれて動物のようにうごめく男と女の貧しい赤裸々な生活があり、闘争と戦争と殺人と自殺と敵対と暴力と友情と情欲と純愛と聖なる自己犠牲があります。
いつまでも果てることない物語は、いつしか実在の作家の郷里を浮遊して壮大な神話の世界にまで星雲にように広がってゆく。すると遠い雲の彼方から光り輝くまばゆい人が姿を現し、読者のなかにはそれをイエスキリストであると囁く人も間違いなくいるでしょう。

小川国夫はすぐれてモラルに生き、モラルに殉じた人でした。
敬愛する作家の最期の小説は、私の心に大きな置き土産を残してくれたようです。それは残された私の生の歩みに少なからぬ影響を及ぼすことでしょう。楽しみでもあり、また怖いような気もする死者からの最期の贈り物です。

たしかに神はいますらし されど日ごとに神は弱くなるらし 茫洋

写大ギャラリーで「高木こずえ写真展」をざっと眺めつつ

茫洋物見遊山記第33回

私がはじめて見た高木こずえの作品は、昔活躍した陰湿な歌うたいデュオ「ウインク」をもっと美人に、もっとカジュアルに、ぐんと若くした2人の少女の笑顔をツインセットにして並べたポスターでしたが、問答無用の明るく楽しい青春の表情の一瞬がさわやかに切り取られていました。

この人はきっと広告代理店か制作会社のカメラマンになって、いかにも当世風な和らぎの映像をつくっていくのかとたかをくくっていたら、とんでもない。一転して今回の宮崎県の口蹄疫騒動を先取りするような不安におびえる牛のおそれとおののきを突き付けたり、混迷のどん底にあえぐ現代人の魂に内視鏡を挿入した心霊写真を撮ってしまったり、一作ごとに視点を変え、手法を変えて試行錯誤を続けるそのありさまは、さながら文学における平野啓一郎の万華鏡戦略を写真で置き換えたようなアヴァンギャルドなアプローチのいきおいを感じさせて、まことに興味深いものがあります。

ふつうの作家や写真家は特定の文体やアングルを見出すとそれを墨守して揺るがないのですが、「第三五回木村伊兵衛賞」を受賞した彼女には、そういう予定調和の道をいさぎよしとせず、前人未到の表現の沃野ないし泥沼へ匍匐前進しようとする反逆的な精神がむんむんみなぎっているようなのです。

だから四〇点のカラーとモノクロもあんまり共通点がない。そのかわりに異様な緊張と不安、生のよろこびと死への衝動がないまぜになってせめぎ合っているカオスの奔流・逆流をまるでブブゼラの暗騒音のように感じます。さらにはスチールという静止的な要素と激しくアクティブに問題提起するアートとの汽水域における相互乗り入れを企てている不穏な気配もうかがえ、東京を捨て長野に帰る彼女のこれからにはとうぶん目が離せそうにありません。(8月1日まで東京工芸大学中野校で開催中)


♪高い木のこずえの上から下りてくる不思議で不気味なブブゼラの音よ 茫洋

♪ブブゼラの暗騒音のように不気味な不安が押し寄せる高木こずえの新境地 茫洋

Wednesday, June 16, 2010

独ドキュメント盤「クロード・ドビュツシイ集」10枚組を聞いて

音楽千夜一夜 第142夜

お馴染み独ドキュメント盤によるたった1000円のドビュツシイ・コレクションですが、その内容はモントー、マルケビッチ、アンセルメ指揮による管弦楽の名品「海」、「牧神の午後への前奏曲」やホロビッツ。コルトー、ギーゼキング、ツービンシュタイン独奏による「練習曲」、カルヴェカルテットによる「弦楽四重奏曲」、歌曲まで選曲・演奏ともなかなか充実した格好のセレクト集です。

とくに注目に値するのは、ドビュツシイのエキスパートと称されたデジレ・エミール・アンゲルブレヒト指揮によるオペラ「聖セバスチヤンの殉教」の名演奏が収録されていること。

このCDはかつて仏ディスク・モンターニュからほそぼそと出されていましたが80年代から廃盤になっていたマニア垂涎のお値打ち品で、「ぺリアスとメリザンド」でオペラ界に衝撃を与えたドビュツシイの、アラン・ポー原作による、もうひとつの傑作にこころゆくまで耳を傾けることができます。

ドイツの単純明快な音楽と比較すると、イギリス、フランスの音楽はいったいなにをいいたいのかよくわかりませんが、最近はまさしくその点が素晴らしいのだと得心がいくようになりました。つまり音楽には最終的な解決はない以上、彼らもなにをどう表現していいのかよくわからなかったのです。

明るい光に包まれたラベルの平原から、深い霧に閉ざされたドビュツシイの森に入るとアンリ・ルソーの花や樹木や蛇や女やライオンに出会う楽しみがあなたを待っていることでしょう。


♪入梅の朝、一匹の大蛇が道路を横断していった。茫洋

Tuesday, June 15, 2010

ミヒャエル・ハンペ演出・ムーテー・スカラ座で「コシファントゥッテ」を視聴する

音楽千夜一夜 第141夜


1989年4月にミラノ・スカラ座で行われたライブです。序曲の棒が普段より早いのか世界一のオーケストラも、珍しやついて行くのが精いっぱいになりますが、幕が上がると次第にいつものペースを取り戻し、2幕のフィナーレでは大きな大団円の輪を築きおおせます。安心といえば安心、つまらんといえばつまらない御大ムーティのモーツアルトです。

先日ご紹介した鬼才ピーター・セラーズの奇抜な演出と違って、ミヒャエル・ハンペの演出はオーソドックスそのもの。物語の古典的な骨組みをしっかりと踏まえたうえでところどころで美術、衣装、照明を含めて「ちょっと斬新な」効果を打ち出します。冒頭で男性陣の2人が出帆していた船の帆は白でしたが、2度目の登場は夕方で赤い夕陽と帆が目に鮮やかです。2人の女性陣のおさげが左右に垂らされているので似たような姿形でもすぐに判別できるのです。

出演はフィオルディリージがダニエラ・デッシー、ドラベラはデレス・ツイーグラー、デスピーナがアデリーナ・スカラベリ、フェランドがヨゼフ・クンドラック、グリエルモがアレサンドロ・コルベッリ、ドン・アルフォンソはクラウデイア・デスデーリという布陣でしたが、デスデーリひとりが絶不調で、他の演者の健闘の足をひっぱっておりました。

このモーツアルト最晩年のオペラは、フィガロなど先行する名作に酷似したアリアも頻出してこの天才の早すぎた晩年の創作の衰えも感じさせますが、第2幕のフィオルディリージの長大なアリア「どうか許してください私の恋人よ」など忘れ難い名曲もふんだんにちりばめられていて、我々の耳目を奪います。

♪君知るや蛍は毎晩同じ葉の同じ宿にて眠ることを 茫洋

Monday, June 14, 2010

森アーツセンターギャラリーで「ボストン美術館展」を見る

茫洋物見遊山記第32回&勝手に建築観光38回

古典派の画家とは違って、印象派の画家たちは、目前の事物を心眼でとらえても、そのまま写生することはありません。

心眼に映じた風物の心象を白い画布の上に投影しながら、とりあえずは事物をその構成要素に解体して主観的な映像に置き換えることを狙ったドガ、マネ、ルノワール、ゴーギャン。徹底的に事物をその構成要素に還元して、微細な極点として再配置する神経衰弱家のスーラやシニャック。事物を丸や三角や四角などの抽象的な図形に還元しながら観念的に再構築しようとするセザンヌ。事物を赤や緑や黄色の色彩素に還元しながら新たな事物を再構築しようと試みたモネ。そして、事物を完膚なきまでに解体しながら地上では存在しない宇宙的な事物を再創造しようと祈ったゴッホ……。

それら多種多様な画家たちのさまざまな近代絵画への取り組みの一端をこの展覧会の貧しい展示によってもうかがい知ることができました。

以下は例によって例の如く言わでもがなの悪口雑言になりますが、「1890年オーヴェール、ゴッホ晩年」を特筆大書し、「エル・グレコ、レンブラント、ミレー、ドガ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ピカソなど、ボストン美術館名画80点の競演」という惹句で大量の顧客動員を図った本展の内容は、本家ボストンの宝の山に比べたらほんの九牛の一毛に過ぎず、確かに上述の画家の作品はあちらこちらにちらほら並べられているものの、超目玉ゴッホも、セザンヌも、ピカソもたったの一点。モネの11点はさすがに見ごたえがあったものの、あとはミレーやコロー、ドガなどを散発5安打くらい打ちっぱなしただけの初夏なのに超寒いコレクションです。

肖像画、宗教画、オランダの室内画、日常画、風景画、静物画などと、いちおう8つのミニコ-ナーに区分した展示方法もきわめてぞんざいなやっつけ仕事で、たぶんここにはプロのキューレーターなど一人もいないのでしょうが、こんな分類や会場構成なら素人でもやってのけるでしょう。

かてて加えて、その存在自体が東京の都市景観を大きく破壊しているこの醜悪なビル自体が大問題です。超高層にある会場に辿りつくのも、私のような田舎者や光輝老齢者にとっては一苦労。はじめての人は容易に近づきがたいヒマラヤの高地のようなところで偉そうに虚妄の店舗を開いているのですが、こういう貴重な藝術文化財を緊急避難させるためには最悪の環境とロケーション。顧客利便と安全管理のために美術展を低層階で開催するのは世界の常識です。

あまつさえ家電量販店の呼び込みのような美術に無縁な案内人の傲岸不遜な態度、300円も取られて返ってこないあほばかロッカーなどなど、いかにもこの新興成金デベロッパーにふさわしいいんちきでやくざまがいのやりくちが随所に見受けられて非常に不愉快な雨の月曜日でした。私が愛した江戸ゆかりの六本木の故地を壊滅させた彼奴らがボストン美術館展を開催するなんて10年早いのです。


♪東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを明日建て替えるべし 茫洋

ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウTHE GREAT EMI RECORDINGSを聴く

音楽千夜一夜 第140夜

フィッシャー・ディースカウで思い出すのは、彼が吉田秀和翁と一緒のタクシーに乗り合わせたときの逸話です。そのタクシーのラジオからはちょうどクラシック音楽が流れていたので、まだ若き日の吉田翁が、「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番!」と言い当てると、隣の席に座っていたディースカウが、「ソロはバックハウス、オケはカールベーム指揮のウイーンンフィル」と引き取ったというのですが、ここに彼のやや神経質で律儀な性格と正確無比をモットーとするきめ細かな音楽作法の一端がうかがえるような気が致します。(ところで昭和時代の東京の運転手には高尚な音楽趣味の持ち主がいたものですね。)

世界に冠たるバリトンの帝王の地位を辞したあと、彼は第二の人生に入り、第二のクレンペラーたらんと指揮者を目指してチエコフィルハーモニーを振って独欧系の交響曲をいくつか録音しました。しかし歌曲では成功した上記の音楽術が、指揮では仇となったためでしょう、クレンペラーなどからも冷たい視線を浴びて結局雄図むなしく熟年の夢を捨てたのでした。

されど古今東西男性のバリトン歌手多しと言えども、フィッシャー・ディースカウの前にディースカウなくフィッシャー・ディースカウの後にディースカウなし。その紋切り型の定評をいやおうなしに認めさせられてしまうような11枚組のEMI盤コレクションです。

そもそも私がシューベルトの歌曲の素晴らしさにはじめて目覚めたのは、忘れもしないここに収められたフィッシャー・ディースカウがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌う「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の3つの代表的な歌曲集のLPレコードの演奏においてでした。

ドイツ語から翻訳された日本語の歌詞をフレーズごとに辿っていたとき、この作曲家がたくまずして企図した詩と音楽の絶妙な交歓が、フィッシャー・ディースカウの知的で、滑らかで、清潔で、かゆい所に手が届くような巧みな口跡によって奇蹟的に果たされていると感じたのです。

その懐かしいシューベルトをはじめ、シューマンの「リーダークライス」やブラームスの「マゲローネによるロマンス」(リヒテルの伴奏)、マーラー、ウオルフ、シュトラウスの有名な歌曲の録音を網羅したこのコレクションは、その1枚166円というバジェット価格ともども、この不世出のバリトン歌手の魅力をあますところなく伝えてくれるでしょう。

知に働けば角が立つことあれどやっぱりフィッシャー・ディースカウには叶わない 茫洋

Saturday, June 12, 2010

石川九揚著「近代書史」を読んで

照る日曇る日 第348回

私の郷里の実家には犬養毅や西郷隆盛、新島襄、賀川豊彦などの揮毫を扁額にしたものが長押の上に掲げてありました。

南洲の「敬天愛人」はもちろん偽作ですが、やたら安易に健筆をふるった木堂に詩魂なく、襄にプロスタントの矜持あれど、「死線を越えて」の作家に初期の社会主義思想というよりは、「奇妙な童心」をくみ取ってやや意外の感に打たれたことなどを思い出します。
それでも政治家や文人墨客の書については、文がその人を表わす以上に、書がその人となりを直示することを、幼いながらになんとなく理解していたようなのです。

その後青山の根津美術館で出会った良寛の書と八〇年代のはじめに六本木の小さなギャラリーで見た井上有一の有名な「壁新聞」シリーズは、書に疎い私にとっては大きな衝撃でした。
当時世間では相田みつおや榊莫山などの手合いがらちもない紙屑をかき散らして世間の人気を博していましたが、こんな低俗の輩に比べたら、大本教の開祖出口なをの墨痕淋漓たる「お筆先」でも拝め、と言いたくなったものです。

ところが当節では、またぞろ武田なんとかとか紫の船なぞという私にはさっぱり良さのわからない書き手がマスコミの無知に乗じるように登場して超表層の話題となり、とうとう「女子書道ブーム」なるものが列島全域に嵐のように巻き起ったようで、まっこと慶賀の至りでございます。(←「龍馬伝」の福山選手の真似)
ここらでわが国の書の歴史や特性について概略を知りたいと思っていたところに、折よくこの本が出現したというわけです。

石川九楊の名前は、「毛筆の数百本から数千本が、最終的には一本一本全部別々の方向に動くように進んでいる」とか「無意識の水が動いている」というような言い方で、彼が書をかく際の「筆触」の生命力をことのほか重要視している当代屈指の書道家であるとだけ承知していました。

本書では明治の元勲から漱石、子規、藤村、晶子、茂吉、潤一郎、一政、山頭火、希代の悪筆扇千景(による国土交通省の看板)に至るまで、多くの作家や政治家、書家の墨跡と作品を具体的に例示しながら、その背景にある彼らの人物像や思想までぴたりと言い当てる離れ業を見せるのですが、たとえば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」手帳全一冊、正岡子規の絶筆となった「辞世三句」の徹底的な解字分析には心底驚嘆させられました。
死に瀕した彼らがどのような心境でこれらの遺言を書き記したのかが、まるでその現場に居合わせたかのような臨場感と共にあざやかに分析されているからです。

また私は著者によって紹介される多種多様な書家の膨大な作品群の中にあって、政治家を卒業してプロの書き手になった副島種臣と中林悟竹の天馬空を行くような書、内藤湖南や夏目漱石などの保守的優等生によって酷評された洋画家中村不折の中国六朝書を自家薬籠中のものにした超前衛的な「龍眠帖」の前で、大きな衝撃を受けたことを驚きと喜びをもって告白しないわけにはいきません。

世間では先刻承知のことなのでしょうが、恥ずかしながら私は、これらの書の革命的な素晴らしさ、パンクなドラマトゥルギーについて、棺桶に片足を突っ込んだこの年になるまで無知だったのです!

うれしかったのは書の専門家である著者が子規の二人の高弟である「有季・定型・花鳥諷詠派」の高浜虚子の書を退けて「無季・自由律・短詩派」である河東碧悟桐の「再構成された無機なる自然」の境地を高く評価し、あわせて腐敗堕落した虚子亜流の現今の俳句界について警鐘を乱打していることで、これこそわが意を得た思いでした。

著者の思索の対象は、毛筆による古典的な書道の世界を離れて、石川啄木、島崎藤村、高村光太郎の「近代ペン書き三筆」の書体特徴の分析に及び、さらに啄木の「口」という字の書き方が一九八〇年代に猖獗を極めた「丸文字」の元祖であるとの指摘に至り、ついには九〇年代から始まった「金釘流横書き」が、日本語の漢字かな混じり文の将来をいちじるしく損なっているとその実例を挙げて説き、最後に一日も早い縦書きの復活を願って九〇〇〇〇〇字にわたって「三菱のユニ鉛筆で手書きされた」この大著の全巻をおもむろに閉じるのですが、そういうことなら、これからは私も板書を「金釘流縦書き」にせねば、としばし考えさせられた鋭い指摘ではありました。

早い話が、わが国近代の「書」の解剖を通じて文明の病根を剔抉する、記念碑的な名著の誕生と評せましょう。


♪明日よりは「金釘流横書き」にいたしませう悪評高き余の「金釘流横書き」 茫洋

Friday, June 11, 2010

梅原猛著「葬られた王朝」を読んで

照る日曇る日第347回

かつて「隠された十字架」で法隆寺は藤原不比等によって聖徳太子の怨霊を鎮魂するために再建されたと説き、「水底の歌」では柿本人麻呂は不比等によって石見の国で水死させられて怨霊となった、と説いた著者が、今度は出雲の国を訪ねて、出雲王朝の創始者である「スサノオとその子孫のオオクニヌシこそ、不比等がもっとも手厚く祀った大怨霊神なのであり、その不比等こそがヤマト王朝に敗れた出雲王朝の神々を出雲の地に封じ込めた張本人である」と高らかに宣言します。

菅原道真の怨霊を鎮めるために藤原忠平が京都の北野天満宮を建てたところ、道真の怒りは時平の子孫に向かったために忠平一族は難を逃れて摂政関白の職を独占するようになり、ついには天満宮が摂関家の守護神になってしまった話は有名ですが、怨霊鎮魂派にして藤原不比等原理主義の泰斗である著者は、今回もかなり強引にこの論法を古代出雲文明の誕生と死滅の歴史に適用して、かなりの成果?をおさめた模様です。

 およそ40年前に「神々の流竄」でヤマトで起こった物語を出雲に仮託したフィクションであると断じた著者でしたが、本書ではその誤りを全面的に認め、やはり古代出雲にはヤマト王朝にまさるとも劣らぬ偉大な文明と文化があったことを、記紀の徹底的な読み直しや最近の考古学上の遺跡・遺物発掘や郷土史研究の成果を踏まえて、威風堂々と骨太に論証しているのです。

 私は、著者のいつもながらの鋭い直観に裏打ちされた規模雄大な構想力と大胆不敵な想像力に対して、深甚なる敬意を惜しむものではありません。しかし、「縄文時代の日本(あるいは日本人)」などという明らかに非歴史科学的な用語を乱発したり、神話上の人物と実在の歴史的人物とがいともたやすく観念的に接ぎ木されてしまったり、相変わらず「古事記」の選集に従事した稗田阿礼が藤原不比等その人である、と力説している梅原翁の「論証」のやり方には、多少の粗雑さを感じないわけにはいきませんでした。

いざ行かん蛍舞う橋の袂まで 茫洋
細君と蛍見にゆく夏の夜

Thursday, June 10, 2010

写大ギャラリーで「写真家と静物との対話」展を見る

茫洋物見遊山記第31回

すでに6月の6日に終わってしまいましたが、東京工芸大学・中野キャンパスで開催されていた「写真家と静物との対話」展を足早に見物していたのでした。
 
写真と私の初めての出会いは「日光写真」でした。いつ差してくるかわからない光線をひたすら待ち続けていると、深い霧がようやく憂鬱なヴェールを開いて転写装置を載せた小さな方形のフレームの上に幽かな陽の光が落ちると、印画紙の上に影とも形ともつかない図像がぼんやりと姿を現します。露台の上でうずくまって、裏日本地方特有のうら悲しい曇天の空を見上げていた少年は、いったいなにを考えていたのでしょうか。

長じた後、その少年はようやく手に入れたデジタルカメラで10年近くおのれの風貌と頭上の空を撮り続け、それらの、微細な差異があるような、ないような画像をときおりパソコンのモニターで自動再生して呆然と眺めているようですが、そのとき彼の脳裏には、いったいいかなる想念が湧き起っているのでしょうか。


写大ギャラリーの会場に並んだW.H.フォックス、エドワード・ウエストン、イモジン・カニングハム、ジャン・クルーバーなどの主として静物を対象としたもの寂びた写真は、私のそんな遠い日の記憶を呼び覚ましてくれたようです。


腹黒き王沢蜂を一刺しし己は死にたり鳩蜂マーヤ 茫洋

ドン・ジョヴァンニの地獄落ち思い出したり小鳩刺し違え 茫洋

Wednesday, June 09, 2010

ジョン・バルビローリTHE GREAT EMI RECORDINGSを聴く

♪音楽千夜一夜 第139夜

バルビローリといえば亡くなった三浦淳史という北国の音楽評論家を思い出します。こよなく英国音楽を愛した彼は、私にバルビローリやビーチャム卿が指揮するディーリアスやエルガーの音楽、そしてデニスブレインのホルンやジャクリーヌ・デユプレのチエロ、シュテファン・コワセヴィッチのピアノの素晴らしさを教えてくれました。

相思相愛の仲であったデユプレとコワセヴィッチの間に乱暴に割って入ることによってこの不世出の閨秀チエリストの人生をめちゃくちゃにしたダニエル・バレンボイムを生涯にわたって許さなかった三浦氏は、デユプレとコワセヴィッチの唯一の共演であるベートーヴェンのチエロソナタをこよなく愛したのでした。

さて今回EMIから発売された10枚組の超廉価版CDセットには、サー・ジョンが手兵のハレ管弦楽団を指揮したディーリアスの「夏の庭」やシベリウスの「フィンランディア」、シンフォニア・オブ・ロンドンを率いたヴォーン・ウイリアムスの「グリーンスリーヴズの主題による幻想曲」、ウイーンフィルと入れたブラームスの第3交響曲などがバランスよくレイアウトされていますが、久しぶりに聞いたベルリオーズの「夏の夜」におけるジャネット・ベーカーとの声涙ともに下る名演奏に魂を奪われてしまいました。

抒情的な旋律を歌いに歌って聴く者の琴線にとことん迫る斯界の第一人者とは、かのトスカニーニではなくなんとジョン・バルビローリその人だったのです。



♪歌え、歌え、心から歌えとサー・ジョンが叫ぶ 茫洋

Tuesday, June 08, 2010

ピーター・セラーズ演出で「コシファントゥッテ」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第138夜


原作が想定する物語の時代や空間に従わず、恣意的なTPOを任意に設定し、物語の書き換えを図ろうとするオペラの新演出がいつごろから始まったのかは分かりませんが、少なくとも私がその「新しい演出」に接して驚いたのはこのレーザーディスクに収められたピーター・セラーズのモーツアルト作品からでした。


この作品は、当初ニューヨーク州立大学が主催する国際パフォーミングアートフェスティバルで上演されたものをピーター・セラーズ演出で1990年にスタジオでライブ収録されたものですが、いきなりカメラはNYからマイアミと思しき海辺に車とともに疾走し、その名もレストラン「デスピーナ」に到着したところからドラマが開始されます。

ドンアルフォンソは「デスピーナ」のオーナーで2組のバカップルはこの安レストランに出入りするお姉ちゃんとお兄さんという設定です。そういう軽佻浮薄なアメリカンという下世話な世界から立ちあがったこの安直なはずの「西洋取り変えばや物語」は、後半男性二重唱で「女はこうしたもの」が歌われるあたりから次第に深刻な様相を呈し、男と女の間を隔てている深くて速い川の運命的な葛藤が、私たち観客の心の中にもひやりと冷たく流れ込むようになるのだから、才子才に溺れがちなピーター・セラーズの演出もまんざら捨てたものではありません。

クレーグ・スミス指揮ウイーン交響楽団の劇伴も、モーツアルトの天才的な楽譜を損なわない程度には自然な流れをつくって、セラーズのやりたい放題の演出をきちんと下支えしています。


♪リークッスンが言った。おやお前丸腰じゃないか?キム・イルソンも言った。ゲイリークーパーをきどっているんだろうよ。ヤーポンよ俺たちはお前さんを武装解除しちゃうぞ。茫洋

Monday, June 07, 2010

報国寺のタケノコを見る

茫洋物見遊山記第30回&鎌倉ちょっと不思議な物語第222回

 しばらく前に細君と一緒に名物の筍を見に報国寺を訪ねました。竹寺として知られるこのお寺は建武元年1334年に天岸慧広の開山、足利家時を開基として開かれ、当時の寺領は5キロ先の衣張山に及ぶ広大なものだったと「鎌倉の寺小事典」には記されています。

 この衣張山という優雅な名前をもつ山は、仏様がゆったりと横そべったような姿をした低い山で、最近難視聴に苦しむ住民がデジタル放送受信の巨大アンテナをこの山の頂上に立てようとしたのですが、環境破壊につながるとしてその提案は当局によって退けられたそうです。

 また同書によれば、永亭の乱1439年では第4代の鎌倉公方の嫡男足利義久が10歳で自刃した悲劇の地でもあるそうですが、古くから境内の孟宗の竹林が有名で、さらに木下利玄の歌碑やお墓もあります。それは

   あるき来てもののふ果てし岩穴の ひやけきからにいにしへおもほゆ

という和歌ですが、元はもののふではなく「北条」であったのを当時の報国寺の菅原道之という住職が勝手に書き換えてしまったといからひどいものです。

 報国寺のある浄明寺の町内には「浄妙寺」という名刹もあって鎌倉時代から張り合ってきました。寺格からいえば圧倒的に後者が高いのですが、戦後は商才にたけた住職が観光客を巧みに誘致し、元広島カープの古葉監督が篤く帰依したりして竹寺報国寺の人気が沸騰しお向かいの浄妙寺さんは閑古鳥が鳴いていたのですが、東京の広告代理店に知恵をつけられた?浄妙寺が、自家製のパンを目玉にした洒落たレストランを境内に開設し観光バスが停まれる駐車場を作ったために形勢にわかに逆転中というところでしょうか。

いずれにしてもわれらがアイドル原節子老嬢が遠くに去ってしまった浄明寺界隈はもう往年の輝きがうせてしまったような気がいたします。


   ♪原節子司葉子野田高悟が徹マンしていた浄明寺遥かなり 茫洋

バーンスタイン指揮・ウイーンフィルで「運命」「田園」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第137夜

昨日に続いてやはり定評のあるコンビによる70年代のベートーヴェン演奏です。

「運命」は1977年9月にウイーン・コンツエルトハウスで、「田園」は翌78年11月にムジークフェラインザールで行われたライブを収録しており、「レオノーレ序曲第3番」がおまけについています。

私はこの輸入盤のレーザーディスクをなんと大枚4380円!をはたいて購入していますが、いまなら同じ値段で同じ演奏によるDⅤDのベートーヴェン全集が買えるでしょう。デフレと技術革新の進歩はとどまるところがないようですが、当然ながら演奏は昔日の水準のままでとどまっていて、それが名演奏家の演奏の歴史的価値とその限界を同時に伝えるアーカイブとなっています。

平凡な「運命」と比較すると「田園」の演奏はじつに丁寧にベートーヴェンのスコアを再現していて、ウイーンを舞台に活躍したこの作曲家への共感と愛情にあふれた名演奏には違いありません。
「運命」のコンマスのライナー・キュッヒルは指揮者の急激な加速についていくだけで精いっぱいですが、「田園」におけるヘッツエルは余裕綽々。バーンスタインの名代としてまるで指揮者のように身振り手振り全身を揺らしながら弓を高く掲げてウイーンのオーケストラをリードしてゆきます。

このような指揮者以上の指揮ができるコンサートナスターは、ウイーンフィルのみならず世界中で跡を絶ちました。1992年7月29日のザルツブルグ近郊ザンクト・グルゲンでのゲルハルト・ヘッツエルの滑落死は、惜しめてもあまりある大きな損失であり、光輝あるウイーンフィルの歴史はまさにこの瞬間から腐敗と堕落の道を辿ることになったのでした。


手のひらを返すがごとく生きており 茫洋

Sunday, June 06, 2010

バーンスタイン指揮・ウイーンフィルで「マーラー交響曲」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第136夜

ともかく早くレーザーディスクをDⅤDに焼いておかないと2012年のデジタル態勢に乗り遅れてしまうので、数百枚あるLDを見直しながらダビングせざるを得ない消耗な毎日です。という次第でバーンスタイン、ウイーン、マーラーの70年代の黄金コンビの演奏ですが、さすがにこういう血と汗と涙の熱演タイプは時代遅れになったのかなあというのが率直な感想です。

1番ニ長調「巨人」ではもっと第4楽章で燃えてほしいのに1974年10月のバーンスタインがいくら指揮台からジャンプしても発火せず。コンサートマターがゲルハルト・ヘッツエルではなく若く凡庸なライナー・キュッヒルであることもマイナスに作用しているのでしょうが、これでは大昔のジェームス・レバイン指揮フィラデルフィア管の清新な演奏に比べてもかなり遜色があります。

ヘッツエルがコンマスに入った1972年5月ライブの第4番ト長調は最終楽章でソプラノのエディト・マチスの清純な独唱「我らは天上の喜びを味わう」が歌われるといくぶんの昂揚を見せますが、私が1979年パリ・シャトレ座で聴いたクーベリック指揮バイエルン放響の天国的で透明な演奏には及びもつかない凡演です。

1972年4月と5月にライブ収録された第5番嬰ハ短調は、有名な第4楽章のアダージェットで深い瞑想と愛と抒情の歌を聴かせてくれるものの、強いて比較すればバーンスタインのニューヨークフィルとの旧録、あるいは1987年の同じウイーンフィルとの録音のほうがより優れた演奏ではないかと思われます。

1974年10月の交響曲第7番ホ短調ではバーンスタイン・ウイーンフィルが「夜の歌」を歌います。第5楽章のロンド・フィナーレはいかにもレニーらしさが横溢しており、今日の3曲のなかではこれが最上と思えます。


生きてしあらば良きこともあらむ薺咲く 茫洋

Friday, June 04, 2010

「ウテ・レンパーsingsクルト・ワイル」を視聴する

♪音楽千夜一夜第135回


ウテ・レンパーは1963年ドイツ・ミュンスター生まれの美貌の歌姫です。キャッツやキャバレーやシカゴなどのミュージカル歌手としてつとに有名ですが、1994年にパリのブフ・デユ・ノールでライブ収録されたこのクルト・ワイル歌唱はじつに聴きごたえ、見ごたえがあります。

「クルト・ワイルの音楽の本質は彼が一過性の抒情を徹底的に排除したことです」などと時折解説を交えながら、レンパーは「赤いローザ」や「セーヌ哀歌」「バルバラ・ソング」「アラバマ・ソング」「私は船を待っているの」などワイルの代表作品に激しく感情移入して、時折は涙を滂沱と流しながらドラマチックに歌っています。そして休憩をはさんだ後半のプログラムで、ワイルの名曲として知られる「セプテンバーソング」や「マイシップ」の熱い思いを込めた絶唱に接すると、いったいワイルのどこが反抒情主義なのという疑問がわいてもくるのです。冷血の下にひそむ熱血のたぎりを私たちはあびせかけられたのでした。

 ウテ・レンパーはドイツ語・英語・フランス語を苦もなく使い分け、ローザルクセンブルクやメッキー・メッサー、ジェニーになりきってあざやかに歌います。曲想に応じてあざやかに豹変する表情や機敏な身のこなし、とりわけその官能的な肉体の運動性は見る者を強く惹きつけてやみません。

私は三文オペラといえばロッテ・レーニアとひとつ覚えで思い込んでいたのですが、この美しいミューズの前ではどうやら古い固定観念を改めざるをえないようです。ウテ・レンパーの緩急自在な身体表現力を支えた演出のジャン・ピエール・バリジェンと練達のピアニストジェフ・コーエンの好演も見事でした。

♪昨日辞め今日忘却の総理大臣無常迅速世の常なれど 茫洋

Thursday, June 03, 2010

独メンブラン社盤「クララ・ハスキル・ポートレート」を聴いて

♪音楽千夜一夜第134回

クララ・ハスキル(1895-1960)はどこか魔法使いのおばあさんに似たやさしい風貌の持ち主でしたが、そのモーツアルトの演奏ではつとに定評があるところです。

この10枚組のCDにはそのモーツアルトの13番、19番、20番、ゲザ・アンダとの2台の協奏曲k365を柱に、ベートーベン、バッハ、シューベルト、シューマンの有名曲が収められていて、彼女の多彩なピアノ演奏を1枚たった100円というバジェットプライスで楽しむことができます。

 しかしこのセットにはグリュミオーと組んだモーツアルトのヴァイオリンソナタが欠けているのが残念です。あのフィリップス原盤の演奏には孤高の天才に終生つきまとった硬質の悲しさ、そしてハスキルにもつきまとった生の物悲しさが相乗して痛々しいまでに感じられ、そこへ若きグリュミオーの空虚な明るさが加わることによって明暗一如となった名状しがたい魅力を醸し出しているのです。

 しかしハスキルのバッハやとりわけシューマンの演奏も悪くありません。ピアノ協奏曲や「子供の情景」「アヴェッグバリエーション」を聞いていると、このルーマニアの媼の孤独な魂の奥の奥を垣間見たような気持ちになります。


藤多き里に住みたる嬉しさよ 茫洋

Tuesday, June 01, 2010

蛍の頃

バガテルop125&鎌倉ちょっと不思議な物語第221回

今年も滑川に蛍の季節が訪れました。

2010年の初見は5月28日の午後7時30分、小さな竹橋の上流で2匹が舞っておりました。ちなみに昨年は5月21日に1匹、おととしは6月4日になんと7匹の乱舞、その前年の2007年は6月2日に2匹でした

どうしてそんなことが分かるかって? それはね、私が博文館の10年連用日記をつけていてね、その日の天気と四季折々のチョウやカエルの産卵日や昆虫類の初見日についてメモしてあるからなのです。

それはともかく、今年はなんども台風並みの大水がこの狭くて小さな滑川を奔流のように襲いかかり、すべての動植物を由比ヶ浜の海岸に押し流したはずなのに、よくぞ蛍の幼虫の棲み家であるカワニナが川の底に残っていてくれたものです。

さきほどまた自転車で捜索に行ってきましたら、和泉橋の上流の葉っぱの陰で3匹の青白い光が点滅していましたから、昨年ほどではなくとも初夏の夜の風物詩としての役割を何とか果たしてくれそうです。

しかし町内会の連中が近々川掃除をするとかいうているので、彼らの棲み家を根絶やしにしまいかと心配。川をきれいにするのもいいけれどこの河川が全国的に貴重な天然ヘイケボタルの中世以来の自生地であることによくよく思いを致してほしいものです。

私の意見では人類は蛍の光を愛でる人とそうでない人とに分かれ、私は後者の人々とは席を同じくしたいとは思いません。またこの際ついでに言いたいことを言わせていただくならば、チョウと蛍が死者の精霊であることについてはかなり確かであるように思われます。

    父よ母よムクよみなみなホタルとなりて我をおとなう 茫洋

Monday, May 31, 2010

杉本寺を訪ねて

茫洋物見遊山記第29回&鎌倉ちょっと不思議な物語第220回

このお寺の歴史は鎌倉幕府の開府よりも古く天平3年(731年)にさかのぼります。まず当時関東地方を行脚していた行基がこの地に観音像を安置し、ついでその3年後に光明皇后が本堂を建立したのが杉本寺の開基のいわれとされています。

「吾妻鏡」には文治5年(1189年)に近所の家からの火災で本堂が焼失した、とありますが、その折になんと3体の観音像が自力で庭の大杉の元に避難したので、それ以来「杉本観音」と呼ぶようになったそうですが、杉本寺の周辺にはいまなお大小の杉の木が見られます。

さらにこのお寺を乗馬したまま通りかかった武士は必ず落馬するというので「下馬観音」という異名もつけられています。似たような地名に「下馬四つ角」という場所が鎌倉駅を右折して由比ヶ浜に向かう途中にありますが、昔はここで武将が下馬する定めでした。

私が小林秀雄とすれ違ったのはこの「下馬四つ角」の近くでしたが、彼が下駄ばきで海の方へ急いでいた姿がいまも忘れられません。「下馬四つ角」は大雨の後にはいつも冠水していましたが、最近はそういうこともなくなったようです。


六月や奇麗な風の吹くことよ 子規

鎌倉のプラットホームに降り立てば潮のかおりが胸元にくる 茫洋

オルセー美術館展2010「ポスト印象派」を見る

茫洋物見遊山記第28回

月曜日の午後、オルセー美術館展2010「ポスト印象派」を見物してきました。

あらゆる方向からやってくる光線を描こうとしたモネ、森羅万象をキャンバスの上で解体し再構築しようと試みたセザンヌ、未開の国の風光に新芸術の根を下ろそうと苦闘したゴーギャン、女性の放恣な肢体に限りない偏愛の目を向けたボナールなどの傑作115点が続々登場して眼福の限りを尽くしますが、本展の白眉はなんといってもゴッホとルソーでしょう。

 わが偏愛の日曜画家アンリ・ルソーの「戦争」と「蛇使いの女」を間近で眺めることができたのは望外の喜びでした。この2つの作品さえあれば、私は本展にガチャガチャ並べられているスーラやシニャックやシスレーやエミール・ベルナールやロトレックの凡作愚作どもを喜んでゴミ箱に投じるでしょう。

 ゴッホは1887年から1889年までに制作された7点が並んでいますが、「自画像」「アルルのゴッホの寝室」「星降る夜」「銅の花器のフリティラリア」などを眺めていると、その比類ない藝術の素晴らしさに圧倒され、いつまでも鑑賞していたいという誘惑に駆られます。

思うにこの人の作品は単なる「絵画」ではなく、それ以上のなにか奇蹟的なもの、例えば此岸と彼岸を行き来する精霊の踊り、あるいは宇宙的な生命の饗宴そのものではないかと思われます。

自画像や白百合や大熊座から放射される紫や黄色や橙色や緑色の色彩の氾濫は到底この世の人間の業とは思えません。夜の空から降って来る無数の星を寄り添いながら仰いでいる小さな恋人たちをご覧なさい。これはゴッホという天才を仲立ちとして私たちに伝えられた一種の天界からのメッセージではないでしょうか。

そこでは人類の誕生以前の原始的な存在が、生の混沌のただなかであらんかぎりの歓喜の歌を歌っています。そして私は、聖なる酔っぱらいのその聖歌に、いつまでもいつまでも耳を傾けていたのでした。


荒れ狂う命のたぎりをキャンバスに叩きつけおりゴッホ顕現 茫洋

Sunday, May 30, 2010

西暦2010年皐月茫洋花鳥風月人情紙風船

♪ある晴れた日に第76回 


ホー、ホー、ホー、ホー ホー、ホケキョ ショパン哉

長島一茂がギリシアの暴動について語っている五月の朝よ

飛んでいる蝶の名前を言えることほぼゆいいつの長所ですかね

年年に知らぬこと多く現れ出でてよくも考えずみなほうりなげる

カラオケでわたくしがただひとつ歌える歌赤胴鈴之助

若き日のわたしをクラシックから遠ざけた平井丈一朗のバッハ演奏

わが胸の奥の奥にも巣食いたる「空気さなぎ」よ何を孕むや

摩周湖を泳いでいたが怖くなり引き返したりと元赤軍派学生

母のごとき咳をしている咳しつつ思う

ちちははの京の土産に頂きし「ギリシア神話」はついに読まれず

氷雨降る春の夕べの桜花光を待たで白々と散る

瓶というものに惹かれる資本蓄積を思わせる故なるか

なにゆえぞ広告を商う君(われ)の顔卑しき

ええじゃないかそれがどうなろうとあれがどうなろうとええじゃないか

MGMのライオンのごと吠えることわが唯一の特技なりけり

今日もまた鏡の前でMGMのライオンのごとく三つ吠えたり

日本橋の三越前のライオンで待ち合わせし人はついに来たらず

原宿のR社ビルのエレベータードアが開いてホワイトライオン降りたり

フランス人がライオンの歯と名付けたるタンポポの花のギザギザを愛ず

チューリップアントワネットの如く落つ

首飛んで君が魂魄いずくにやおわす

イルカ殺すなクジラ殺すな日本人よ

鶯は三人囃子ではやしおり

鶯の囃し疲れて休むかな

ダンデリオンライオンの歯が笑っている

横須賀やきのうの夢の捨て所
  
菖蒲湯や息子のあとに入りけり

この棒がこの黄金虫が虚子である



俳聖のいかな名句も吾輩のひりだす駄句に叶わじと知れ 茫洋

Saturday, May 29, 2010

蒲原有明・川端康成旧居跡を訪ねて

茫洋物見遊山記第27回&鎌倉ちょっと不思議な物語第219回

鎌倉文学館の「文学散歩」に参加して、明治時代の詩人蒲原有明と昭和の文学者川端康成の旧居を見物しました。大塔宮からほど近くにあるこの旧居跡には現在も蒲原有明の遺族の方が住んでおられるそうです。

鎌倉のいいところは、表通りからちょっと入ればどこか山奥の侘び住まい風の雰囲気が楽しめることですが、鶯乱れ鳴く当地もちょっとそのような野趣を醸し出しておりました。なんでも林に誘われて東京から移った最初の住まいがこの旧有明邸であり、1946年(昭和21年)に三島由紀夫が自作を携えてはじめて鎌倉を訪問した場所もこの川端邸であったそうです。

わが国の詩壇に象徴詩という手法を薄田泣菫とともに確立したといわれるこの詩人を私は嫌いではありません。再読しようと思って書斎を探したのですが、有明の詩集と随筆集「夢は呼び交わす」はいつのまにか息子が勝手に持ち出してしまって手元にないので、文学館のテキストから「あまりりす」という詩を彼の「春鳥集」より孫引きして、全国の学友諸君に対する本日の連帯の御挨拶に代えたいと存じます。


『あまりりす』

おほどかに、
ひとりほほゑめる
わが戀の
花や、あまりりす。

あやしうも
貴に、すゐれんの
照りいづる
媚にも似もやらず、

おもひ屈し
すこしたゆたげにも
うつむける、
あはれ、あまりりす。


ちちははの京の土産に頂きし「ギリシア神話」はついに読まれず 茫洋

Friday, May 28, 2010

佐藤賢一著「王の逃亡」を読んで

照る日曇る日第346回

血わき肉躍る「小説フランス革命」も、いつのまにやら第5巻となりました。
ヴェルサイユからあほ馬鹿おばさん連中によってパリのチュイルリー宮に拉致されていたルイ16世は、なにをとち狂ったのかマリー・アントワネットの情人と噂のフェルセン伯の先導で国外逃亡を図ります。

 しかし様々な労苦と蹉跌の後、あと一歩というヴァレンヌの地で、とうとう王本人であることがばれてしまったルイ御一行さんたちは、逃亡に気付いた国民議会の追手につかまってしまうのです。

この小説のもっとも面白い箇所は、フランス王国の王様ともあろう人物がコルフ男爵夫人ことマリー・アントワネットの執事デュランに扮装して、ヴァレンヌ町の助役ソースと吉本興業的漫談を取り交わすところでしょう。

そこでは王などという肩書を取り払った、あるいは取り払われた生身の、結構機転のきく、人の良い、太ったおっさんの等身大の姿が浮かび上がり、身分や地位や権威や権力というもののあほらしさがはしなくも逆照されているのです。

国民議会の右派、左派、中間派を代表する3名の議員に強引に逃亡用の大型ベルリン馬車に乗り込まれたルイ6世の周章狼狽ぶりもあざやかに活写されていて遺漏がなく、さあこれからフランス革命はいったいどうなるのだろう、とハラハラドキドキさせてくれる著者の手腕は見事です。

瓶というものに惹かれる資本蓄積を思わせる故なるか 茫洋

Tuesday, May 25, 2010

「鎌倉宮」を拝しながら

茫洋物見遊山記第26回&鎌倉ちょっと不思議な物語第218回


「鎌倉宮」は、承久3年1209年に建立されたいまはなき東光寺の跡に明治2年に建立された新造の神社ですが、これも廃仏毀釈の変種かもしれませんね。この神社にはどういう因縁だか毎年新年に一個人という資格で「正式参拝」しているのですが、そこで聞かされる神主のくだらない講話には辟易しています。

 宗教者にとってこの種の精神講話は必須の布教手段であって、私はこれまでキリスト教と仏教とこの神道というの3つの系統の講師のレクチャーを耳にしてきたことになりますが、その順番で内容がおそまつ君になるような気がしています。

 靖国神社といい鎌倉宮といい現代史に無知で不勉強なために落ち目の神道勢にあって、私がゆいいつ期待しているのが、最近ННKを退職して神主に転向された神戸大震災時のアナウンサーとして有名な宮田氏で、いつかは彼の精神講話を聞いてみたいと思っています。

閑話休題。

さて「鎌倉廃寺事典」によれば、東光寺の前身が建久2年に頼朝が建てた薬師堂であるとする「吾妻鏡」の記述は誤りで、これは近くの永福寺の伽藍の一部であったそうですが、このために現在の大塔宮の一帯は薬師堂谷と呼ばれるようになりました。

東光寺のもっとも著名な事績は、このお寺に幽閉されていた後醍醐天皇の皇子である護良親王が、足利直義の命令で殺されたことでしょう。「太平記」には彼が淵辺某の刀の鋒を口にくわえて激しく抵抗したけれど、ついに首切られて果てたことが生々しく記述されております。

護良親王の墓はこの神社にもありますが、じっさいの生首が葬られているのは浄妙寺の首塚で、かつて作家の高橋和巳夫妻がそのすぐそばの洋館に住んでいました。

首飛んで君が魂魄いずくにや 茫洋

Monday, May 24, 2010

古井由吉著「やすらい花」を読んで

照る日曇る日第345回


一羽の胡蝶によって夢見られた酔生夢死の奇譚が、耳を傾ける人とてなく、とつとつ語り継がれております。そのさま在原業平のしどけなき恋物語を、あるときは漂泊の詩人西行法師の高雅な法話を、またあるときは耳無芳一の流麗な琵琶さばきを聴くがごとし。

いかにも面妖な食わせ者のこの老人は、古今東西いかなる風体のいかなる存在・非在のものにも軽々と身をやつして、囁くがごとく、啼くがごとく、またあるときは嗤うがごとく、風のように浮かび、水のように流れる物語のやうな独吟を臆面もなくわれわれに送ってよこすのです。

この端倪すべからざる風癲老人はまだ生きておるのか、もうとっくの昔に死んでしまっているのか、生きながらに死んでいるのか、それとも死んでいながらなお生き延びておるのか、されさえも定かならず、彼岸と此岸、男と女、仙人と童子の領域を自在に往来しながら一種の悟りごとき箴言をのたまい、弱法師の能面をつけて風雅の踊りをひとさし舞ってみせるのです。

古典文学の精華と現代文学の「これまでの蓄積」がほどよく熟成された見事な作品ではあるけれど、「いったいそれがどうしたの?」と尋ねたら、どこからも誰からも返事がなさそうな、そんな虚しさも内蔵する珠玉の短編集、であります。
それにしてもこの老人が小説の登場人物に仮託して描き出す、性と生へのあくなき執着にはほとほと感嘆せざるをえません。

ああ、このやり手爺め!


♪なにゆえぞ広告を商う君(われ)の顔卑しき 茫洋

Sunday, May 23, 2010

ポール・トルトリエの「EMI録音集」を聴いて

♪音楽千夜一夜第133回

1枚200円というスーパー・バジェット価格につられて買ってしまった20枚組のCDですが、なんという音楽のたのしみをプレゼントしてくれたことでしょう。窓際の梅から桜、桜から躑躅へと季節が過ぎるのも忘れて、書斎の英国製ハーベス・モニターから流れ出る流麗なチェロの音色に耳を傾けたことでした。

まず驚いたのはバッハの無伴奏の演奏です。カザルスもロストロポービチもヨーヨーマもフルニエもマイスキーもデユプレもトルトリエに比べると、いかにも重い楽器を重々しく弾いているという印象になってしまいます。
トルトリエは、まるでヴァイオリンのように軽やかに、鶯が歌うように楽しくチェロを鳴らすのです。

しかも彼は、抜群の技量をもちながらも、そのテクニクを表に出さず、いっさいの虚飾を排してひたすら作品の本質に迫り、作曲家の音楽に奉仕しようとするところが好ましい。彼の前ではすべてのチェリストが、鈍重で、神経質なゴーシュという趣になるのです。

ここまで書いてきてひとつ思い出したことがあります。私が生まれて初めて聴いたのは平井丈一朗という下手くそかつ音楽性皆無のチェリストの超超どんくさい演奏でした。かのカザルスの高弟という触れ込みの男のそのバッハを、私はカントの純粋理性批判を拝読する思いで傾聴したのですが、あまりにも拙劣で無味乾燥なその演奏に心身が拒否反応を起こし、それ以来長きにわたってこの楽器とこの作曲家、そしてクラシック音楽に対して決定的に悪印象を懐くようになりました。じつにじつにわが生涯最悪の不幸な音楽体験でしたが、もしあの時、平井丈一朗の代わりにポール・トルトリエを聴いていたら、と改めて思わずにはいられない雨の日曜日の午後でした。

♪若き日のわたしをクラシックから遠ざけた平井丈一朗のバッハ演奏 茫洋

Saturday, May 22, 2010

バーンスタイン指揮ウイーンフィルで「マーラーイ短調交響曲」を視聴する

♪音楽千夜一夜第132回

今年はショパンとシューマンの記念の年であることは知っていましたが、マーラーの生誕150周年でもあるということを、私は最近レコード会社から続々発売されるマーラー全集の販促宣伝キャンペーンで知らされました。

誰かの記念年だからと言ってその人の記念品を購入する義理もないわけですが、商魂逞しい企業のおかげで今は亡き音楽家の存在についての認識を新たにしたり、彼らの名演奏の記録を破格の値段で入手できたりするのは、それほど悪い気はしません。

今日の昼下がりに仕事をしながら視聴したのは、バーンスタイン指揮のウイーンフィルが1976年の10月にウイーンのムジークフェラインザールでお客さんを入れて録画したマーラーの第6番イ短調交響曲のライブ演奏でした。

第5番のシンフォニーが妻アルマへの愛の告白であったのに対して、その次に作曲されたこの曲には「悲劇的」という名前が与えられ、だからこれはマーラーとアルマとの愛と幸福の生活の崩壊の予言とその実現の実況中継の音楽ということになります。
つまりこの音楽家は、貧乏や不倫や不幸やらを悲劇的に描くことを特技とするわが国の私小説作家の手法を模倣して?、はじめて交響曲という形式で表現したわけです。

なにやらいわくありげな序奏にはじまって、妻との牧歌的な人間関係に亀裂が走り、双方の行き違いや誤解がお互いの不和や対立を深めていくと、指揮者は激しく指揮台の上でジャンプを重ね、オーケストラはマーラー夫妻と一緒に泣いたりわめいたり致します。

そして終曲の第4楽章アレグロ・エネルジコのクライマックスになると、カタストロフは最高潮に達して、楽屋の奥の方から打楽器奏者がえんやこらさと持ち出してきた巨大な木製の大槌が3度にわたってやはり木製の土台に叩きつけられ、われらが愛する主人公マーラーは、心臓麻痺?で死んでしまいます。

しかしいったいどうして我々は誰がこんな奇怪な、けたくその悪い、ほとんど病気の音楽を聞かされなければいけないのでしょうか。偉大な音楽家を襲った個人的な不幸には衷心からの同情を惜しむものではありませんが、できればこのような四丈半襖の下張の如き身辺音楽、肺病やみ風の私小説音楽、自己中的自分史音楽ではなく、自分の人生を遠くに放擲した宇宙音楽、あるいは森羅万象を対象にした普通の音楽を書いてほしかった。

異様なまでに肥大化した卑小な己の自意識を、なんの慎みも恥じらいもなく大衆の面前にさらけ出し、まるで己がイエスキリストか狂ったニーチェのように「世界苦」を主題とした壮大な音楽として公開しようとするのは、(現に今鳴り響いている音響に限りなく私自身が惹きつけられているいるとはいえ、ほんとうはらちもない愚かな行為ではないでしょうか。

マーラーのその悲愴で悲劇的な音楽を、あたかも己がマーラーその人であるかのように錯覚し、偽装して汗と涙の実演を繰り広げるバーンスタインという人にも、最近の私は昔のようには共感できずに、白々とした気持ちで眺めておりました。
赤むけのお猿さんが己の性器を弄んで泣き笑いしているような後味の悪い道化音楽を耳にしたあと、ハイドンのピアノ音楽なぞを聴いてお祓いし、そのどす黒く汚染された心をさっと洗い流した、ある「守旧派」の土曜日の午後でした。


♪ええじゃないかそれがどうなろうとあれがどうなろうとええじゃないか 茫洋

Friday, May 21, 2010

鎌倉文学館で「高浜虚子 俳句の日々」展を見る

茫洋物見遊山記第25回&鎌倉ちょっと不思議な物語第217回



百千の薔薇薫る鎌倉文学館で、俳人高浜虚子の特別展を眺めてきました。(7月4日まで開催)

虚子と言えば、ただちに

流れ行く大根の葉の早さかな

遠山に日の当たりたる枯野かな

などの秀句を思い浮かべますが、いずれも叙景のデッサンが的確で、イメージの喚起力がことのほかあざやかです。

虚子は正岡子規が唱えた写生句から出発して、「客観写生」「花鳥諷詠」という理念を唱え、俳句という芸術にはじめて理論的骨格を与えた人物ということになっています。しかしその偉大な功績を評価するとともに、彼によって拒否され、切り捨てられてしまったより多様で豊饒な俳句世界の可能性についてもあわせて一瞥を投げておく必要があると思います。

子規の膨大な句作をつらつら眺めてみると、この近代俳句の始祖が抱え込んだ複雑怪奇で融通無碍、さながら化け物のように自在な複合的表現世界は、とうてい「客観写生」などという無味乾燥なスローガンにとどまるような単純な性格の代物ではなかったと思われます。弟子の虚子は、そのほんのひとにぎりの遺産だけを譲り受けて、彼の個人営業を開始したにすぎないことがわかるのです。

そのことは、虚子と並ぶ子規のもうひとりの高弟であり、かつては子規の後継者に擬せられ、いまではほとんど忘れられた同郷の俳人、河東碧梧桐の自由奔放な新傾向俳句に接してみれば、身に沁みて理会できることでしょう。

しかしながら、碧梧桐の自由律に対して生涯にわたって徹底的な戦いを挑み、あえて「守旧派」を自称した虚子自身が、「客観写生」をモットーとする「花鳥諷詠」を詠んだかといえば、まったくそうではないところに、この人物の懐の深さをうかがい知ることができるでしょう。

去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

金亀子(コガネムシ)擲つ闇の深さかな

春風や闘志抱きて丘に立つ

などという俳句を詠む人間が、己がしつらえた「客観写生」と「花鳥諷詠」の2枚看板糞食らえ、とひそかに考えていたことだけはまず間違いないでしょう。私にいわせれば、この図太い棒、この輝く黄金虫、この柔らかな春風と真っ赤に燃える闘志こそが、虚子の本質そのものなのです。
俳諧の中興の祖は、師の子規ほどのスケールではなくとも、獅子「心」中にあまたの魑魅魍魎が暗躍する漆黒の闇を抱えこんでいたようですね。


♪この棒がこの黄金虫が虚子である 茫洋

Tuesday, May 18, 2010

黒井千次著「高く手を振る日」を読んで

照る日曇る日第344回

こういう作家がいるとは知っていましたが、その作品を読むのはおそらくこれがはじめて。タイトルが抒情的で、なんだか涙腺を刺激するので、ついつい読む気になったのですが、ラストではその通りになりましたから、まずは想定内の首尾を収めたというところでしょうか。

テーマは「高齢者思慕あるいは恋愛」と言って構わないと思います。会社を定年退職して還暦を過ぎ、古希を迎え、長い人生の「行き止まり」に逢着した男女の交情が、はじめは処女の如く、終わりは脱兎のごとく描かれ、諸般の事情で老人ホームに入ることを決意した大学時代の同窓生の女性に「高く手を振って」別れを告げるところで、この30年遅れの思慕純愛小説が終わるのです。

といいたいところですが、実際は「右手を高々と差し伸べる仕草を見せかけて途中で止めた」と書かれているのが悲しいところ。「今日はね、ご挨拶に上がりました」と言うなりソファーの上の主人公に激しく覆いかぶさってみずから接吻を求めてきたヒロインが、今生の別れに際して、「私に見えるように、大きく振ってね」と頼んでいるのに、黒井選手はどうして「題名通りに」ちゃんと手を振ってあげないんですか? これでは羊頭狗肉でしょう、と文句をつけたくなる主人公のカッコ悪さです。

全然関係ないけど、同窓会の後、タクシーで女性を送って行って、「さよなら」を言おうとしたら、いきなり接吻されたりしたりした経験は、みなさんありませんか。ああいう夜は、どうもそういうことをやってみたくなるものらしい。そしてこの小説もそーゆーノリで書かれている節もあります。

それはともかく、小説の最後の最後で電話が♪リンリンと鳴ります。
相手はもしかするといま別れたばかりのヒロインかも知れない。そうであれば「行き止まり」状態に陥った主人公に、新しい生の情炎がふたたび点火されるかもしれません。
はてさていったいどうなるのか? 読者に気をもたせつつ最後の一節が王手飛車取りの妙手のようにぴしゃりと盤上に打ちつけられるのです。

「電話の呼び出し音は家の中から止むこともなく続いている」

さすが名人の練達の手腕というところでしょうか。


♪マリー・アントワネットの首の如く落花せり一輪の真っ赤なチューリップ 茫洋

Monday, May 17, 2010

桐野夏生緒「ナニカアル」を読んで

照る日曇る日第343回

「ナニカアル」という奇妙奇天烈な題名は、この小説の主人公林芙美子の詩から採られています。林芙美子って「放浪記」の作者であるだけでなく、詩人でもあったのですね。

(前略)刈草の黄なるまた
紅の畠野の花々
疲労と成熟と
なにかある……
私はいま生きている。

詩というよりは、このような単なる断片から思わせぶりな断想を引き出した著者は、林芙美子の花の命のように短い生涯の只中の、それもあっというまに終わってしまった1942年10月から翌年5月までの出来事に、さながら隼戦闘機のように襲いかかり、彼女の実存を丸裸にしてしまうのです。

報道班員として軍隊に徴用された林芙美子は、仏印、シンガポール、ジャワ、ボルネオくんだりまで命懸けの取材旅行を強要されます。そして著者は、天真爛漫な彼女がどのようにして軍部に取りこまれて戦争協力のお先棒を担ぎ、さらには嘘か本当か、軍に睨まれていた新聞記者との情事にのめり込んで一児をなした、なぞという恐るべき秘事を、どこでどうかぎつけたのか、鮮やかにスクープしてのけるのです。

しかしこのスクープの真贋は、この小説自体が「芙美子が書き残した秘密の回想録」であるという形式をとっているために、あたかもフィクションのように巧妙にカモフラージュされているのですが、おそらく彼女はこの偽装された回想録の記述のとおりに南洋のアヴァンチュールの夜の形見として子をなし、それを夫に養子と偽って養育したのでしょう。やはり芙美子の生涯には、不可思議なナイカがあったのです。

それはともかく、ここにひとりの作家がその周辺の文学者や新聞社といまはやりの言葉でいうとコラボレーションして、いかにたやすく精神の独立と表現の自由を喪失し、国家権力の走狗となり果てていくのかが赤裸々に描写してあるので、慄然粛然たらざるを得ません。

ほれ諺にも「殷鑑遠からず」というではありませんか。この種のむごたらしい悲劇が、ふたたびこの国で再現される日は、それほど遠くないに違いありません。


♪摩周湖を泳ぎ出したが怖くなり引き返したりと元赤軍派学生 茫洋

Sunday, May 16, 2010

林望訳「謹訳源氏物語一」を読んで

照る日曇る日第342回

りんぼう博士による源氏物語の現代語訳の刊行がはじまりました。

第一巻では桐壺から若紫までを取り扱っていますが、橋本治による前代未聞の自由奔放訳をのぞけば、これまでに発表されたどの翻訳よりもフレキシブルな現代日本語を軽快に駆使して、なにやらりんぼう博士お手製の小説のような趣で語りだされています。

この本の二番目の特色は、類書と比較して和歌の解釈に格段の細やかな配慮を示していることです。頻出する歌のやり取りは懇切丁寧に噛み砕かれ、かゆいところに手が届くように本文の中で解説されているので、男女のひめやかな交情の裏の裏が手に取るように理会されるのです。

しかしなんですね、源氏という男はどうしてこれほど好色なのでしょうか。一七歳の男子はポケットの中の手がちょっとあそこに触れただけですぐにやりたくなると多くのインテリゲンチャが語っており、私自身の経験に照らしてもそれは半面の真理なのですが、この光の君は、そういう平均レベルをはるかに超え、二七歳になっても四七歳になっても超簡単勃起型の陰茎を常備していたに違いありません。

まだ年端もゆかぬ若紫をやってしまおうかと思いながら、やはりそれは早すぎると自制した嵐の夜の帰り道、その代わりにさる女のところへ忍び込もうとして門をたたかせるが誰も出てこないので、

朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも 行き過ぎがたき妹が門かな

などというシュプレヒコールを投げかけるというあたりに、この貴君子の本領が発揮されているような気が致しますが、はていかに。異常なまでの好色を追及した男が、その好色の咎で手痛い復讐受け、終生癒されぬ苦悩のうちに世を去るという因果応報の手の込んだプロットの裏側に、この偉大な文学者の、男って所詮はどうしようもない奴というねじれた心情が隠されているようです。

♪鶯は三人囃子ではやしおり 茫洋
♪鶯の囃し疲れて休むかな 茫洋

Saturday, May 15, 2010

クリント・イーストウッド監督・主演映画「トゥルークライム」を見る

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.29
 
1999年にクリント・イーストウッドが監督・主演した映画「トゥルークライム」を見ました。アンドリュー・クラヴァン原作のサスペンス小説「True Crime」を20世紀フォックスの大プロデューサー、ダリル・ザナックの息子リチャード・ザナックが製作した中級の佳作です。

あらすじを書くのが面倒くさいので、おなじみウキペデイアから引用すると、スティーブ・エベレット(イーストウッド)はかつては敏腕新聞記者として鳴らしていましたが、飲酒と女性問題で今ではすっかり閑職に追いやられています。
ある夜、若い同僚のミシェルが交通事故で急死したため、翌日、エベレットはミシェルの仕事を引き継ぐことになりました。それはその日死刑が執行されることになっている殺人犯フランク・ビーチャムの最後のインタビュー取材をすることでした。事件現場を訪れてみて、目撃者の証言に違和感を抱いたエベレットは急遽事件の洗い直しを始めますが、そのときすでに、死刑執行まで残り12時間を切っていたのです…。

予想通り我らがスーパーマンイーストウッドはたった半日で万難を排して事件の真相に迫ります。真犯人を突き止めたのみならず唯一の証人であるその母親をオンボロ中古車に乗せて加州知事邸宅に急行、すでに毒液を注入されていた無実の死刑囚の奇跡的救出に成功するというハラハラドキドキのサスペンスドラマですが、想定内の展開とはいえなかなか楽しませてくれます。

なお「本当の罪」という原題は、無実の死刑囚を救おうと刑務所に向かった東森記者が、死刑囚の妻から「あなたはどうして死刑になる日にここへ来たの。今日まで何をしていたの?」と詰問され、言葉を失うシーンから採られているようです。

クレジットの最後に流れる女性ボーカルが、都会の孤独を切々と歌いあげて泣かせます。


♪年年に知らぬこと多く現れ出でてよくも考えずみなほうりなげる 茫洋

Thursday, May 13, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第7回

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第7回

bowyow megalomania theater vol.1

ああら、坊や初めてなのね。おやおや、もうこんなにおおきくしちゃって。

ねえ、どんな気分? いい? いいんでしょ? 分かってるんだから。隠さなくたって、分かってるんだから。

ほら、ここんところ、君のちっちゃなオッパイのとこ、しゃぶってあげる。 どおお? 気持ちいいか? いいか? いいでしょ? 男でも感じるとこなんだから? よーく分かってるんだから。

でも、どうして男の子にもオッパイがついているんだろうねえ。坊や、知ってる? 

ほら坊や、ここをなめなさい。ここも、ここも、ここもよ。ほら、ほら、ぜんぶなめるのよ。

何してるの? ちゃんとやらなきゃ駄目じゃないの。よし、よし、よーーし。
上手、上手、上手だおおおー。なかなかやるじゃないの。ああ、とってもいい気持ち。

そう、そう、そうよ。ヨーシ、こんどはこっちをこうやって、こうやって、それからこうやるんだよ。


♪氷雨降る春の夕べの桜花光を待たで白々と散る 茫洋

Tuesday, May 11, 2010

村上春樹著「1Q84BOOK3」を読んで

照る日曇る日第341回


はじめに言葉がありました。そして言葉を信じる者は言霊を信じ、言霊の幸ふ精神の王国を言葉の力によって創造することを夢見るのです。

著者はこのようにして1984年に住んでいた青豆と天吾を拉致して「1Q84年」に連れ去り、本巻の最後に元の1984年ならぬもう「ひとつの1984年」、つまり新たな「1Q84年」へといったんは帰還させたのでした。

主人公の青豆と天吾だけでなく、ここで著者がつくりだしたのは、現実と非現実が複雑に入り混じるねじれた時間と空間そのものです。3次元だけではなく4次元、5次元、6次元という数多くの時間と空間が複雑に共存し、相互に微妙な影響を及ぼし合う異数の世界を、そこに生き、死に、また甦る人々(それはもはや普通の意味での人間ではありませんが)の喜びと悲しみを、2人の主人公の運命的な恋を軸として描くことこそが著者の狙いなのです。

世紀の大恋愛の周囲には、生い立ちの謎や幼年時代のいじめ、不幸な家族の思い出や秘密結社の暗闘、スパイの張り込みや恐喝、殺人、情事や性交や妊娠、古典音楽や文学者・思想家の名セリフの引用などが過不足なくちりばめられていますが、だからといってそのプロットの斬新さと仕掛けの大きさに比べて物語の本質がさほど新しいわけではなく、むしろいささか古色蒼然たるものであるといえばいえるでしょう。

「彼はその手を記憶していた。20年間一度としてその感触を忘れたことはなかった。」

それはともかく、著者が深夜の書斎で徒手空拳で創造した小説の世界のなんという素晴らしい出来栄えでしょう。
よしんばそれらがことごとく荒唐無稽な「見世物の世界」であったとしても、私たちは著者が手品師のように繰り出す、何から何までまったく真実らしいつくりものあれやこれやを、ついつい「本物」と信じ込まされてしまうのですから。
私たちの目には月はひとつしか見えませんが、きっとある人には2つの月が見えているに違いありません。真っ赤な嘘を恐るべき真実に変えてしまう本当の小説とは、まさにこのような作品をいうのでしょう。

しかしながら、この本の終わりでは、もはや東の夜空に2つの月は輝いてはいません。
愛すべき愚直な探偵牛河は無惨な死を遂げましたが、怪しい新宗教団体「さきがけ」では相変わらず青豆と天吾の間に誕生するであろう子供を彼らの後継者として追い求めていますし、どこか不気味な6人のリトル・ピープルは、新たな「空気さなぎ」の製造にせっせといそしんでいるに違いありません。

この世の悪に対して正義の鉄槌を振り下ろす深窓の婦人とその忠実なしもべ剛腕タマルも、さきがけの元教組の娘で、小説『空気さなぎ』の原作者である「ふかえり」こと深田絵里子の行方も杳として知れません。

その文章が読む者の心をやわらかくときほごし、無条件に楽しませ、退屈で手あかにまみれたこの世界になにがしかの新しい意味を付け加えることによって、閉塞困憊し切った私たちに「読むことによってもういちど生き直すような類の喜び」を与えてくれる点で、まことに貴重な価値を有するこの作家の「果てしなき物語」は、まだ始まったばかりであり、次なるBOOK4の刊行が、せつにせつに待たれるのです。


♪わが胸の奥の奥にも巣食いたる「空気さなぎ」よ何を孕むや 茫洋

Monday, May 10, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第6回

bowyow megalomania theater vol.1

10月25日

発作が起きました。

でも、そのことは後で分かったのです。お母さんが真っ青な顔をして僕の目をみつめていることに気づきました。

突然の発作だったらしいのです。でも僕はなにも覚えていません。
いや、なにか奇妙な夢を見ていました。

夢の中で、僕は大きな亀に乗って竜宮城へ行きました。うすいヴェールの下に桃色のおっぱいとおしりをぷちぷちぷりんと垣間見せながら、うつくしい乙姫様はおっしゃいました。

ああら、らっしゃいよ。坊や、とってもきれいな手をしてるのね。くちびるのかたちもすてきよ。取っても気に入ったわ。あらら、動いちゃダメよ、じっとしていなさい。なにもしないわ。なんにもしないわよ。あらあら、可愛いわねえ。
キスしてあげる。


♪長島一茂がギリシアの暴動について語っている五月の朝よ 茫洋

Sunday, May 09, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第5回

bowyow megalomania theater vol.1


10月22日

昨日お父さんが話してくれた話です。

なんでも遠い遠い遥かな海の彼方にフウイヌムという国があって、フウイヌム族という馬たちが住んでいるそうです。フウイヌム国では馬たちが主人で、人間はヤフーと呼ばれる奴隷としてフウイヌム族に仕えているんですって。

またフウイヌム族は人間と違ってけっして嘘をつかず、他の国とみだりに戦争をしたりせず、お互いに尊敬し合って生きているんですって。もちろん人間よりも頭が良くって親切で、馬なのに人情味にあふれているんですって。

僕は星の子学園では、おっかない人間に飼われている哀れな小鳥です。でももし僕がフウイヌムへ行けたら、意地悪な長島先生をヤフーにしてどんどんこき使ってやります。僕は立派なフウイヌムになれます。

10月23日 曇。

気分が悪い。


10月24日 雨

気分が悪い。



♪鎌倉やきのうの夢の捨て所  茫洋

Saturday, May 08, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第4回

bowyow megalomania theater vol.1

10月21日 晴れたり曇ったり

きのう吉本公平君が、塩川洋子を好きだ、塩川洋子を抱きたい、と絶叫した話はすぐに星の子学園のみんなに伝わりました。

みんなもうすぐ高校生なんだ。男の子は女の子が、女の子は男の子が、欲しいんだ。健常の人なんかは、タバコすったり、クスリをやったり、ホテルへ行ってセックスしたり、遣りたい放題やっているに違いない。

と僕はかんじてる。

しょうぐあい者が健常者とおなじことやって何が悪いんだ。
校長先生、何が悪いんじゃ。
田中美奈子さん、何が悪いんですか。
教えてください!

吉本君に聞いたら、あのあと校長先生や教頭先生にひどく叱られ、体育の長島先生にぶん殴られたらしい。

お前ら半人前のしょうぐあい者のくせに、一人前の大人を呼びつけて、ああせえこうせえと指図するとは何事か。いっちょまえにガールフレンドつくりたい、森ガールといちゃいちゃしたいとは何事だ。10年早い。いや100年早い。

といってサンザンお説教くらったうえ、体育館の裏側の物置に、そんなに好きなら2人で入ってろ!と言って、半日間とじこめられたそうです。

吉本君と塩川さんはお昼ごはんを抜かされて、うす暗い物置で半日間ほったらかしにされました。僕はそんなことは絶対に許されないことだと思います。脳性麻痺と筋ジスに失礼なことをするんじゃないぞ!

バカ者め。みんながいつまでも黙っていると思ったら、大間違いだぞ! おんどれ、しょうぐあい者だと思って馬鹿にしているといまにひどいめにあうぞ。


♪母のごとき咳をしている咳しつつ思う 茫洋

Friday, May 07, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第3回

bowyow megalomania theater vol.1


僕はその時、どうした拍子だか思わずムラムラっとなりました。

僕は普段からほとんど性の欲望がない人なのですが(S先生がそうおっしゃいました)、みんなはどうしていますか?

三平君はオナニーというのをするんだそうですが、僕はオナニーというものをいままでしたことがありません。それをどうやってするのかも分かりません。

田中美奈子さん、教えてください。美奈子さん、僕はオナニーしたくなった。僕にいますぐ、ここでオナニーさせてください!

あ、そうだ。それよりもお父さんに聞こう。どうやったらオナニーできるのか、家に帰ったら、さっそくお父さんに教えてもらおう!


♪菖蒲湯や息子のあとに入りけり 茫洋

Thursday, May 06, 2010

神奈川県立近代美術館鎌倉で「日本近代洋画の名品選」を見る

茫洋物見遊山記第24回&鎌倉ちょっと不思議な物語第216回

連休の最後の日、八幡様の斃れた大銀杏あちこちから緑の新芽が元気よく伸び始めているさまを見物してから、お馴染みの美術館にやって来ました。

1951年に坂倉準三設計の建築で日本に初めてできたこの公立近代美術館は、周辺の緑と水に溶け込んだ落ち着いた佇まいで、それ自体がひとつの美術品の様相を呈しおり、近所の葉山館や、東京のあちこちに続々誕生した醜悪で陋劣な犬小屋美術館どもと鮮やかなコントラストをなしています。
私はこの静謐でこていな美術館を訪れるたびに、改めて「建築の進歩」を唱える人たちの愚かさに気づくのです。

さてそぞろ内部に進み行っても恒例の収蔵品展ですから、黒田清輝の「逗子五景」、有島生馬の「赤い門のある家」、萬鉄五郎の「裸婦」、岸田劉生の「野童女」など、その大半が見覚えのある作品ばかりです。

とりわけ佐伯祐三の「門の広告」や関根正二の「女の顔」などを見ると、「おお、君たち元気にしていたか。いいね、いいね、ほんとにいい絵だね」と思わず声を掛けてやりたくなります。

本来はあっという間に消え去るはずのパリの広告が、祐三のおかげで芸術作品となって永遠の命をとどめている姿や、生きていることのあかしを、その力強いデッサンの描線にくっきりとどめている関根正二のスケッチを一瞥するだけで、私は「ああ、藝術は良いなあ。生きていて良かったなあ」と心の底から思うのです。

そうして、なんのことはない、この小さな美術館の油絵たちは、ぜんぶ、ぜんぶ私のコレクションなのでした。

追伸 本展は来る5月30まで当地で開催されています。
 

♪今日もまた鏡の前でMGMのライオンのごとく三つ吠えたり 茫洋

Wednesday, May 05, 2010

渡辺京二著「黒船前夜」を読んで

照る日曇る日第340回

ペルリ率いる黒船が襲来するしばらく前の時代のロシア、アイヌ、日本の交渉を描くこの本は、1)アイヌの人々の類まれな人間性と高貴なまでの文化的生活、2)強権南下侵略国家という通説を打ち砕くほとんど牧歌的なロシアの蝦夷地への接近、3)前記2項に対してきわめて柔軟かつ賢明に対応していた江戸幕府と松前藩の役人たちの存在、をいくつもの例証をあげながら教えてくれるという点できわめて有益です。

とりわけロシアから交易を求めてやってきたラクスマン、レザーノフ、ゴローヴニンと本邦とのかかわりについて述べた箇所は、下手な小説より興味深いものがあります。

文化三(一八〇六)年、長崎でいたずらに時間を空費させられて激高したレザーノフの指示で、彼の部下が北方各地の幕府勢力の拠点を焼き払い、多くの日本人を殺傷すると、その報復として幕府がゴローニンを拘留し、それに対抗したロシアがあの「ウラーのタイショウ!」高田屋嘉兵衛を捕まえます。

当時としても、また現在から考えても稀に見る逸材であったこの商人と交換に、捕囚ゴローヴニンが釈放され、ここに日ロ関係はめでたく一件落着となるのですが、不幸なことにこの段階で、日本はロシアに対する交易友好の可能性をみずからの手で封印してしまったのです。

歴史に「もしも」はないのですが、それでもあのとき「ほんのちょっとした偶然」が手助けしていれば、倒幕勢力による尊王攘夷運動のシュトルムウンドドラングをさかのぼることおよそ50年前、近代ナショナリズムが誕生し列強の砲艦外交が開始される以前に、徳川幕府のイニシアチブのもとで、平和裏に、日ロ修好通商条約を締結するチャンスがあった、と著者がいうのですから、これが実現していればその後の日本と世界の歩みは通史とは大きく異なっていたはずです。

それにしてもこの時代にはペルリ時代と比べてなんと優秀でユーモアを解する人々が大勢いたことでしょう。

幕閣に対して「ロシアと日本の蝦夷地の紛争を解決するには国家の一大事よりも天よりの評判が一大事」と平然と天命・天道思想をもちだす松前奉行、日本のためロシアのためよりは「天下のために」この紛争を解決しようと命を投げ出した一介の商人の「天の思想」は、その後西郷隆盛の「敬天愛人」を経て夏目漱石の「則天去私」の思想につながり、現在もなお私たちの倫理を人間存在の地下で根深く支え続けているのではないでしょうか。

♪ワーナーのライオンのごと吠えることわが唯一の特技なりけり 茫洋

Tuesday, May 04, 2010

今日は一日ショパンの日

♪音楽千夜一夜第131回

というのが5月3日のNHKハイビジョンとFM放送局のキャッチフレーズでした。

んで映像を見たり、ラジオをつけたりしながら終日ショパン三昧を楽しませていただいたのですが、仲道郁代さんがみずから「いま三」と卑下した一気呵成殴り弾きの演奏などとても面白かったです。

しかしショパンてどうして日本で人気があるのでしょうね。もしかすると、それは彼の音楽がどこか日本人が大好きな俳句に似ているからではないでしょうか?

俳句は5・7・5で世界を描写・象徴し、諦観とリリシズムに彩られた世界認識の歌を歌います。さうしてそのようにきわめて数少ない、慎重に選びとられた文字数で世界を鋭く切り取り、短時間で性急にカタルシスをもたらそうとつとめる短詩形文学は、ショパンの短小で繊細で鋭敏な音楽にも共通する孤絶した芸術的時空ではないでしょうか。

左手で響かせる5・7・5の和音に乗せて右手が詩的に奏でる旋律は、ある時は激しく、またあるときは悲しく切ないけれど、色即是空まるで線香花火のようにあっけなく終わってしまう。俳句に翻訳すれば、例えばたとえば千代女の「朝顔に釣瓶とられてもらい水」。

故国ポーランドへの別れの曲も小犬のワルツも曲想はまったくちがうけれども、例えば漱石の「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」。おんなじ音楽語法と音楽作法で書かれてしまっているところがいかにもこの人らしい虚弱さ、痛々しくも切ない魅力的な弱さではないでしょうか。

同い年生まれのシューマンが、その矛盾に満ち満ちた内面に重々しく抱え込んだ時代精神との短歌的格闘やらライン川に飛び込まざるを得なくなった音楽技法への5・7・5・7・7的懐疑、マーラーが第九交響曲の第四楽章で延々と告げるこの世への終わりなき決別の辞など薬にしたくとも出来ない相談なのですね。

かくてわたしにとってショパンとは、五月の薫風の森で舌足らずに鳴き続ける孤独な鶯の囀りに他ならないのでした。

♪ホー、ホー、ホー、ホー ホケキョ ショパン 茫洋

Monday, May 03, 2010

鎌倉国宝館で「鎌倉の至宝展」を見る

茫洋物見遊山記第23回&鎌倉ちょっと不思議な物語第215回

連休の晴天の日にこのコレクションを駆け足で見物しました。例によって国宝、重要文化財がさりげなくどっさり展示してあるのが魅力です。

今回の目玉はご近所の浄妙寺の仏殿本尊である「釈迦如来像」が鶴岡八幡宮伝来でいまは寿福寺にある「銅造薬師如来像」と並べて展示されたことでしょうか。
解説ではその両作品が運慶派の優品であるとして喋々云々していますが、私の心眼では両者のポーズ以外なんの関連もなさそうでそれほど大騒ぎするほどのことはありません。

むしろ特筆大書すべきは後鳥羽上皇から源頼朝に贈られた螺鈿蒔絵の硯箱です。その絢爛豪華ななかにも王朝の趣味と高雅を湛えた美しさは、本邦工芸品の最高峰にランクされてしかるべきでしょう。

じつは上皇から北条政子に贈られたこれと同工異曲の優品があったのですが、明治6年にウイーンで開催された万国博覧会に出品すべく欧州に向かった輸送船が不運にも沈没してしまったために、哀れ海の藻屑となってしまいました。
じつにもったいないことをしたものです。

そのほかには北条氏の求めに応じて中国の南宋から建長寺にやってきた蘭渓道隆の書や肖像画などがたくさん並べられ、波濤を越えた烈々たる宣教心の一端を披歴しています。

なお本展は、薫風吹きわたる鶴岡八幡宮の一角で来たる6月6日まで開催されています。


♪飛んでいる蝶の名前を言えることほぼゆいいつの長所ですかね 茫洋

Sunday, May 02, 2010

バレンボイム指揮ベルリンフィルの「オックスフォード・ライブ」を視聴して

♪音楽千夜一夜第130回

1日のNHKのハイビジョンテレビ放送で、今年のベルリンフィルのヨーロピアンツアーを放送していました。英国のオックスフォード大学からの生中継です。指揮はダニエル・バレンボイム、コンマスは現在仮免許運転中の樫本大進、曲目はワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第3幕への前奏曲、エルガーのチエロ協奏曲、そしてブラームスの第1シンフォニーという興味深いプログラムでした。

どこが興味深いかといえば、なんといってもエルガーです。この曲の録音ではかつてバレンボイムの妻であったジャクリーヌ・デュプレのソロでジョン・バルビローリの棒で入れた演奏が有名ですが、この日はバレンボイムの抜擢で米国のアリサ・ワイラースタインが独奏しました。

彼女が楽器を調整する暇もあらばこそ、いきなり棒を振りおろすバレンボイムは相変わらずの美女いたぶり趣味丸出しですが、もしやこのかわいらしくむっちりした肉体をもつ若手女性チエリストもデュプレの二の舞になるのではという、よからぬ疑心暗鬼が私の脳裏を走ったことでした。

それはともかくアリサ・ワイラースタインはこの重い楽器を、まるでヴァイオリンのように軽やかに扱い、早いパサージュも楽々と弾きこなしていきます。相当なテクニシャンと見受けられましたが、バレンボイムともどもエルガー特有の悲愴美がてんで表現できていなかったのは残念なことでした。

残念ついでに冒頭のワーグナーもドイツ的な重厚さに欠け、トリにおかれたブラームスも、曲頭のティンパニーの連打からノリが悪く、最終楽章のコーダでは首席ビオラ奏者の清水直子チャンはじめベルリンフィルの猛者連がもうれつなアッチェレランドをかけまくる熱演を示したのですが、すべてが単なる音響の空回り大洪水となり、ブラームスのますらおぶりのひとかけらもありゃしない。最近ラトルが同じオケと入れた録音と比べても天と地の無惨な出来映えに終わったのでした。そんなどうしようもない演奏を飯守なんとかという若手指揮者までもが褒めそやしていましたがいったいどういう耳を2つも備えているのか不可解です。


「トリスタンとイゾルデ」を指揮させたら天下無敵のバレンボイムも、こうしたコンサートでは往々にして手抜きの生ぬるい指揮をやってしまいます。この日の演奏でも手首のバネだけでくるくる遊び半分に回していた指揮棒を取り落とすという無様な姿を公衆の面前で晒していました。
今を去る40年前の昔、ポーランドから来日したワルシャワの国立オケのなんとかロストウという指揮者が、演奏中にやはり指揮棒を取り落としたので、隣にいた私の父が「あ、落とした、落とした」と鬼の首を取ったように叫んだことをはしなくも思い出しましたが、あの日のロストウはあきらかに極度の緊張のあまり棒を取り落としたのであって、バレンボイムのごとく長屋の隠居の居眠り指揮をしていたのではありません。


♪カラオケでわたくしがただひとつ歌える歌赤胴鈴之助 茫洋

Saturday, May 01, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第2回

bowyow megalomania theater vol.1

10月20日 雨

食っちゃ寝、食っちゃ寝、して、なにが悪い。豚みたいに生きて、なにが悪いんじゃ!

と、軽度の脳性麻痺の公平君が車椅子をけっとばして叫びました。

オレは18歳じゃ、オレは男じゃ。オレはヨーコを抱きたい。中田先生、オレをヨーコのところへ連れていってくれ! 

と公平君はもつれた舌をくねらせ、全身をウナギのようにでんぐりげえらせ、わななかせながら、白眼をひんむいて口から泡吹いて叫び続けました。

担当の女性の中田先生は、口をあんぐりとあけて、普段はあんなにおとなしい公平君が激しく憤るさまを呆然と見詰めていました。園長先生も駆けつけてきましたが、公平君の恐るべき気迫にかけおされて、見守るしかありませんでした。

車椅子の人ばかりでなく、大勢の仲間たちが公平君の異議申し立ての姿を見ていました。

おーし、僕だってなにかやらなくちゃ!

という気持ちが、鈍い身体の奥底から湧き起って来るような、そんな気分が僕だけじゃなく、のぶいっちゃんにも、ひとはるちゃんにも、まるで神宮寺の池に投げられた小さな石によって出来たささやかな波紋のように、ひたひた、ひたひたと伝わってくるような、そんな雨の日の午後でした。


♪フランス人がライオンの歯と名付けたるタンポポの花のギザギザを愛す 茫洋

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第1回

bowyow megalomania theater vol.1


10月19日 曇

季節外れの台風が一晩中あれくるったために、僕はいっすいもできませんでした。

星の子学園へ行っても頭はガンガンするし、身体はフラフラするし、中田先生や高木先生がなにかおっしゃってもぜんぜん耳に入りませんでした。

やっぱり僕はバカなのかも知れません。

バーカ、岳のバーカ、能なしのバーカ、脳なしのバーカ、ゆーうつの鬱。


♪イルカ殺すなクジラ殺すな日本人よ 茫洋

Thursday, April 29, 2010

西暦2010年卯月茫洋花鳥風月人情紙風船

ある晴れた日に第75回


くねくねと走るキャメラはわが腸の白きポリープを探り当てたり

うねうねと突き進んだる内視鏡わが白きポリープをズキンとちょんぎる

下腹にズンとくる衝撃と共に断ち切られたるわが白きポリープ

目の前のモニター画面の真ん中で断ち切られたり10ミリのポリープ

次々にわれらの夢が消えてゆく大きな夢も小さな夢も

どこか夢を売っているところを知りませんか 

昔のあんたはすごかったうれしがらせて泣かせて消えた

眼の前で大口開けて寝る男理由なく憎く思う電車の内かな

歯磨きの代わりに入歯接着剤で磨きたる息子の口を急いで漱ぐ

厳めしき教授の顔をよく見れば丹波の洟垂れ小僧なり

久しぶりにどんべえ食べたら吐き気を覚えたよ

朝日差す歩道の端に横たわる灰色の猫はびくともついに動かず

図書館で古今著門集借りた老人の自転車は錆びていた

恵比寿駅午後2時40分空っぽのNEXが通過する

町内の怪しき者は通報せよとパトカーが喚いている恐るべき警察国家ニッポン

はまぐりの実を捨てたなと息子を怒る

腹立ちて息子を怒鳴りつけたれば1日パソコン動かざりけり

母上のグリンピースの混ぜご飯妻が作りて食べさせてくれたり

母上の大好物のグレープジュース食わずになりて久しきことなり

春になったら由良川へ行こう
岸辺では善チャンがサクラマスを釣っているだろう

ガンクロの娘美白になりて娘と歩いてる

哀れまた美女に食われし文士かな

歌っても歌わなくてもいずれは沈黙



♪卯の月は死に物狂いで生き抜けり 茫洋

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第42回

bowyow megalomania theater vol.1


10月18日 晴

私、フリープラン、田中美奈子。満期養老保険。

きちんと、乗りなさい。いいよ、遣り直し。洋子ちゃん、どうしたの。何、暴れているの。長島先生に、顔をぶたれたの。洋子ちゃん、エーン、エーン、エーン。なんで泣いたり するの。

泣かないで。洋子ちゃんは、泣いた。かわいそうだったね。

文枝ちゃん、練習しよう。指差さないの、ね。岳君、御喋り、しない、知らない、バイバイ。

逆。そんな事、したら、汚れちゃうよ、もっと、広げなさい。ねえねえ、ねえねえ、悪いけど、ずれてくれる。

そんな事したら、嫌われちゃうよ、長島先生に、怒られちゃうよ、ぶん殴られちゃうよ、ぶっ殺されちゃうよ。


第1部うつろい 完



♪春になったら由良川へ行こう 川辺では善チャンがサクラマスを釣っているだろう 茫洋

Wednesday, April 28, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第41回

bowyow megalomania theater vol.1


10月17日 雨

一番ホーム、電車が参ります。一番ホーム、電車が参ります。次は高座渋谷に止まります。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。

お客様にお願い致します。発車間際の駆け込み乗車は危険です。無理なご乗車はなさらないようお願い致します。

二番ホーム、電車が参ります。二番ホーム、電車が参ります。次は大和に止まります。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。

お客様にお願い致します。発車間際の駆け込み乗車は危険です。無理なご乗車はなさらないようお願い致します。

二番線、ご注意ください。二番線、ご注意ください。電車が通過します。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。

一番線、ご注意ください。一番線、ご注意ください。電車が通過します。危険ですから、白線の内側迄下がってお待ちください。


はまぐりの実を捨てたなと息子を怒る 茫洋

Monday, April 26, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第40回

bowyow megalomania theater vol.1


みんなが笑うので、僕も笑いました。ギャハハと笑ってしまいました。お父さんが真面目くさった顔をするといつも笑いだしてしまうのです。

きっと脳のせいです。頭の中がそういう風になっているのに誰も分かってくれません。周りが緊張した雰囲気になってくるとかえって駄目。なんとかその雰囲気をやわらげようと思って、自分から笑い出してしまうのです。

今日もお父さんを見て、思わず笑ってしまいました。

ワハハハハハ、ワハハハハハ、ギャハハ、ギャハハ、ギャハハ ワハハハハハ
御免、御免なさい。

でもいつもと違ってお父さんは怒りませんでした。いつものように
「こらあ馬鹿あ、静かにしろ!岳黙ってろ! 笑うと自閉症になるぞ!」
と怒鳴るかと思ったけれど、今夜はなにも言いませんでした。

なにも言わないで、黙って僕の顔を見ました。悲しい目でした。



腹立ちて息子を怒鳴りつけたれば1日パソコン動かざりけり 茫洋

Saturday, April 24, 2010

川西政明著「新・日本文壇史第1巻」を読んで

照る日曇る日第339回

伊藤整の日本文壇史を引き継いで川西版の第1弾が、大正5年12月の「漱石の死」のシーンから始まりました。冒頭の「明治という時代を生きた文豪夏目漱石は、今、死の床についていた」という格調高い1行は、大正の作家たちや昭和文壇の形成、昭和モダンと転向、文士の戦争へと続く全10冊への期待をいやがうえにも高めてくれます。

著者によれば漱石の死の遠因は、彼が20歳の時に患った虫垂炎の治療法の間違いにあるそうで、わずか49歳でこの世を去った偉大な文学者の「夭折」が、今更ながら惜しまれます。この章では師匠の枕辺に集う小宮豊隆などの高弟と、芥川・久米・松岡などの若い弟子たちの周章狼狽ぶりと漱石の長女筆子をめぐる久米と松岡の争奪戦が興味深く描かれます。
漱石の妻鏡子の信頼を集め当初大きくリードしていた久米が、油断大敵伏兵の恋敵松岡の逆転を許してしまうくだりなどは文字通り巻を措くあたわざる面白さです。

もっと面白いのは第3章で紹介される芥川龍之介の不倫の恋です。最晩年の漱石によって後継者に擬せられていた芥川の「月光の女」野々口豊、「愁人」秀しげ子との姦通の現場を、著者はまるでシャーロック・ホームズのように天眼鏡片手に執拗に追跡しています。

芥川よりもっと面白いのは、佐藤春夫と谷崎潤一郎の谷崎の妻千代をめぐる愛の争奪戦です。14歳の時千代の姉初子の娘小林せいを強姦した谷崎は、彼女を自分好みの悪魔的な女ナオミに育て上げ、「痴人の愛」の泥沼に沈みます。千代を離縁してせいと結婚しようとする谷崎は、当時人気絶頂のイケメン俳優岡田時彦(岡田茉莉子の父)の童貞を奪い、谷崎の元を逃れようとします。

苦悩する谷崎にないがしろにされ、VDの憂き目に遭っていた千代を救ったのは、純情詩人佐藤春夫の純愛でした。昭和5年8月18日、幾多の変転を経てついに千代は晴れて谷崎を離縁して佐藤の妻となったのです。万歳!

谷崎よりもっともっと面白いのは、第5章の「北原白秋の姦通罪事件」ですが、残念ながら本日の字数が尽きました。どうぞ書店へ駆けつけて、この世にも奇怪な姦通事件のおどろおどろの大団円を、川西名探偵とともに追跡してください。

ただ白秋が「ソフィー」と呼んだ運命のファム・ファタール松下俊子に一目ぼれしたのは、私が長く勤務していた原宿の会社のすぐ傍であり、かつまた現在岡田茉莉子氏の自宅のすぐ傍、さらに白秋の2度目の不倫相手江口章子が、白秋と別れて流れ着いたのは、私の郷里の街にある郡是製糸の教育係であった、とはまことに不思議なこともあるものです。その章子が、熱烈なキリスト者波多野鶴吉翁が設立した製糸工場の、女工の生活改善のために戦ったとは、本書を読んではじめて知りました。

さて一言にして小説より面白いこの本の感想をつくせば、作家はいちじるしく色を好み、また色に翻弄され尽くすということでしょうか。男の肉は女の肉より薄いのです。


♪哀れまた美女に食われし文士かな 茫洋 

Thursday, April 22, 2010

演劇集団円公演「ホームカミング」を見て

茫洋物見遊山記第22回


わいらあこないだ「ホームカミング」ちゅう芝居見ましたんや。ハロルド・ピンターはんが原作、翻訳は小田島雄志、演出・脚色大島也寸の格調高い英国芝居や。出演は山口眞司、石田登星、石住昭彦、吉見一豊、吉澤宙彦、朴王路美はんたち。
ほとんど全編大阪弁でしゃべくりおったさかい、わいも関西弁風に書かせてもらいまっせ。

舞台はロンドンの下町のオンボロの1軒家。そこは長男の父親と叔父、2人の弟が男同士でみじめったらしい生活をしとる。元肉屋の父親は死んだ母親代わりのハウスキーパー、叔父はタクシーの運転手、3男はボクサー志望の日雇い労働者やが、次男はしがないリーマンやろか、実際はなにをしとるんかわからん。

みな心のどこかに傷があり、父は次男をののしり次男は父に「はよくたばれ」と抜かす。人間とゆーよりは動物園の檻の中の野獣のよう吠えたける。「清く正しく美しく」じゃのうて「暗く貧しくエゲツなく」生きておる。夢も希望もない毎日や。

そこへ突然ふらりと舞い込んだのがとっくの昔に故郷を捨てて苦学奮闘、太陽の光もまぶしいサンフランシスコ大学の哲学教授となっておったインテリゲンチャンの長男。すでに2人の子持ちやが容姿端麗色香芬々の妻を同伴してのホームカミングちゅうわけや。ちなみにこの2人だけは標準語でしゃべりよります。

掃きダメに鶴というも愚かな紅一点。腐りきった陋屋にたちまち渦巻くは野卑な男どもの性の蠢き、欲望の嵐。良識ある長男の理性の制止も聞かばこそ、朝な夕なによってたかって美女の美脚・美乳にむしゃぶりつけば、嫌だ嫌だも好きの裡、あろうことか淑徳貞潔が謳い文句やったはずの教授夫人は、全身下半身のあらくれ男どもの前に婀娜な姿をみずからさらし、美脚をひらいて太腿の奥にあるモノをばえいやっと見せつける。

あっと息をのむ野郎ども。思いもかけぬ展開にぐっと生唾を飲み込む観客たち。毒をもって毒を制するみだらな毒婦の本領発揮でございます。
ほれ、よう魚心あれば水ごころありというやんか。かくて放恣な教授夫人の肉体の疼きの奥の奥に秘められた肉欲の花は、1点突破・全面展開とあやしく放恣な悪の華をビシバシ咲かせ、ついに単細胞な下半身男どもをあざやかに牛耳ります。

「あほんだらなにしてけつかんねん!」と鶴の一声に、あらくれ男どもがギョット身を引くところが本公演のハイライト。

想定外の成り行きに泣く泣くサンフランシスコに帰るやさぐれ長男、あまりの不条理ドラマツルギーの進行についていけず心臓麻痺でどうと倒れ伏す叔父、「あなうれしや義父のわれにも接吻くりゃれ」と哀願する父親をしり目に、女王蜂クールビューティは足元にひれ伏す奴隷どもを満足げに見下ろすんやった。

やっぱ男はクールビューティにはかなわんちゅうこっちゃ。


♪眼の前で大口開けて寝る男理由なく憎く思う電車の内かな 茫洋

日経広告研究所編「基礎から学べる広告の総合講座」を読んで

照る日曇る日第338回バガテルop126

毎年この本でわが国の広告と広告業界のお勉強をさせてもらっています。2010年版の特色は、1に不況どん底時代の業界の嘆き節と絶望の苦悶。2にインターネットメデアとの阿鼻狂乱風のお付き合いというあたりでしょうか。

政権党が何をしようがしようまいが、経済学者がどのように世界を解釈しようが不況のあとにくるものは好況に決まっているので、景気は順調に回復するでしょう。すでにその兆し=「広告モエ」現象はあちこちにほの見えているようで、またしても軽佻浮薄なちょいと出ました広告野郎がのさばる世の中が、ほれ本町3丁目の角のてらこ履物屋までやって来ているのさ。


ネットは08年の「君中部」に続くすいすいすだらかツイッター旋風の出現で、またまた一種異様な猫じゃ招き猫じゃええじゃないかの狂騒状態に突入し、私のように多少とも品性のある低級遊民&古典守旧派の顰蹙を買っていますが、民主党の断末魔崩壊と同様もはや誰ひとりとどめることができない「時代の流れ」となるでせう。

これまでのブロガーの言説にかろうじて三段論法があったとするなら、ツイッターはあほばか感傷的一段論法いたちの最後っ屁あるのみ。正反合あれども弁証法は皆無也。

で、なにが変わるって? なあんも変わりやしないのさ。「携帯の進化?」とおんなじことで、機械は進歩すれども人間はげしく強行劣化・腐敗堕落して無限地獄に転落、カンダタ同様やたらめったら忙しくなるだけのこってす。

それじゃあ、また。(吉田秀和翁の声音を真似して……)

♪厳めしき教授の顔をよく見れば丹波の洟垂れ小僧なり 茫洋

Tuesday, April 20, 2010

文化学園服装博物館で「ヨーロピアン・モード展」を見る

茫洋物見遊山記第21回&ふぁっちょん幻論第59回

18世紀のマリー・アントワネットの時代から1970年代のポスト・シャネルの時代まで、200年の時系列をいっきに通覧する欧州モードのコレクション・ア・ラ・カルトです。

これを一瞥していると、それぞれの時代の社会経済政治文化の流れを、いかに当時の女性の衣服がストレートに反映していたかが、あちこちで読みとれてなかなかに興味深いものがあります。
とりわけ私が細い狐目をお皿のように丸くして、食い入るように眺めたのが1920年代のドレスとバッグでした。

不自由なコルセットから解放され、過剰な装飾についに別れを告げ、のびのびと美脚を街頭に向かって突き出したミニドレスたちのなんと簡素で美しいことよ!

大胆なフォルムと目の覚めるような色、柄、デザイン、そして選び抜かれた最高級の素材と繊細な意匠の数々。なかんずく溜息が出るような藝術的な完成度を誇るのは、あまりにも小さな、そしてあまりにも華奢な布製のバッグ。これぞアールデコの極致、人類文化史上の最高傑作といっても過言ではないでしょう。

1920年代が現代ファッションの原点であるとよくいわれますが、それどころかここにこそ近未来のトレンドの源流が凝集していると確信できた垂涎の展覧会でした。


♪ガンクロの娘美白になりて娘と歩いてる  茫洋

Sunday, April 18, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第39回

bowyow megalomania theater vol.1


10月16日 晴れたり曇ったり

ハッピー・バースデイ、お父さん。ハッピー・バースデイ、お父さん。
と歌いました。

みんなで夜ケーキを食べました。鎌倉ベーカリーのショートケーキを食べました。

お父さんはすごくうれしそうでした。
いきなり「おめでとう」なんて言われても、もう歳だからなあ、とお父さんが笑うと、でもまだまだ若いじゃない。私の方がさきに死ぬわ、とお母さんがいいました。

だいじょうぶ、俺たちが生きている間はちゃんと守ってやるからな。安心しろ、岳。
とお父さんはえらそうに言いました。

お母さんと弟の純ちゃんが、エヘヘと笑いました。


♪歯磨きの代わりに入歯接着剤で磨きたる息子の口を急いで漱ぐ 茫洋

Saturday, April 17, 2010

デッカ盤「ヴァイオリン・マスターワークス」を聴いて

♪音楽千夜一夜第129回

これはデッカが総力を挙げて取り組んだヴァイオリン演奏CD35枚組セットです。

アッカルド、アモワイヤル、ジョシュア・ベル、キョン・チョンファ、アルチュール・グリュミオー、ヘンリク・シェリング、ルジェロ・リッチ、ギドン・クレーメル、諏訪内晶子などがバッハからベートーヴェン、モーツアルト、ブラームス、チャイコフスキー、ヴィヴァルディなど古今の名曲を1枚当たり197円で弾き比べるという楽しい趣向ですが、かつて蘭フィリップス・レーベルから発売されていたCDの柔らかく温かな音色がみなデッカの硬質のサウンドに変わっているところにの一抹の寂しさを感じます。

それはさておき、演奏でまず興味深いのはギドン・クレーメルのバッハの無伴奏全曲。さながら鋭利に研ぎ澄ましたる正宗の妖刀で、バッハをバッタバッタと切り倒しながら進んでいく異貌の青眼剣士のごとし。その都度青白い燐光が見え隠れして物凄い。
ヨーヨーマやスターンのようにはどうしても弓馬鹿になり切れない世界浪人インテリゲンチャンの懶惰な悲しみが随所に放散されていて、これは若くして死んだオレグ・カガンの奇跡の名演奏には惜しくも一籌を輸するとはいえ、グリュミオーの超甘美な演奏と並ぶ好演ではないでしょうか。

次はそのグリュミオーによるCD2枚分のアンコール小曲集。この手のものではクライスラーが絶品で、宇宙の神秘と音楽の美の精華を数分の演奏に込めた珠玉の出来栄えにはかないませんが、下手なヴァイオリニストの大曲演奏よりも楽しませてくれます。

聴きごたえがあったのは、シェリングとイングリッド・ヘブラーのモーツアルトのソナタ全曲。モノラルを感じさせない2人の音色は美しさの極み。ハスキルだけがモーツアルトではありません。

圧倒的なオーラで迫るのは、やはり韓国の烈女キョン・チョンファ。サンサーンス、ヴュータン、ショーソンの代表曲を希代の色男シャルル・デュトワと奏でます。チョンファの後窯として同じすけこまし野郎に抱かれ、密かに子をなしたというわが諏訪内晶子チャンも、黒い噂にめげずにブルッフ、サラサーテ、ドボルザークで意外な?好演。
濃厚なチョンファとは対極にある清冽無比な大和撫子の恋の嘆かいを嫋々と歌い上げています。

それにつけても東洋の美女を両手に花とものにした元N響音楽監督が、羨ましくも憎たらしい。

♪昔のあんたはすごかったうれしがらせて泣かせて消えた 茫洋

Friday, April 16, 2010

ハルモニア・ムンディ盤「宗教音楽選集」を聞き流しながら

♪音楽千夜一夜第128回

独仏ハルモニア・ムンディレーベルが集めた「宗教音楽コレクション」を仕事の合間に聴きました。(最近どういう風の吹きまわしか春一番とともに突然仕事が舞い込んできてブログ書きこみどころではなくなったのです)

ルネ・ヤーコブ指揮のバッハの「クリスマス・オラトリオ」、メンデルスゾーンの「聖パウロス」をはじめウイリアム・クリスティー指揮のヘンデル「メサイア」、フィリップ・ヘレべッヘ指揮のモンテヴェルデイ各種、ケント・ナガノ指揮のバーンスタインの「ミサ曲」など中世から現代までの全70曲を29枚のCDで時系列に刻んだ記念碑的なアーカイヴです。

中ではやはりヘレべッヘ指揮シャンゼリゼ管のモーツアルトの「レクイエム」が聴かせてくれました。どうしようもなく凡庸なケント・ナガノのバーンスタインは、彼の数少ない銘盤のひとつとなるでしょう。

あとの曲や演奏は猛烈に仕事をしていたのでいまとなっては全然覚えていません。ひどいものです。しかしどれも演奏の水準は高く録音も優秀。こんなCDが1枚わずか207円で買えるとはものすごい時代になったものです。

ついでに思い出したのですが、こういう歴史的一大回顧の傑作は、ドイツグラモフォンが2000年に出した「グレゴリアン聖歌から現代音楽まで1000-2000」という壮大なタイトルのコンピレーション(廃盤)で、この12枚組を聴くだけで西洋音楽の歩みがすべてわかった気になれる見事な出来映えです。


ねくねと走るキャメラはわが腸の白きポリープを探り当てたり 茫洋
うねうねと突き進んだる内視鏡わが白きポリープをズキンとちょんぎる
下腹にズンとくる衝撃と共に断ち切られたるわが白きポリープ
目の前のモニター画面の真ん中で断ち切られたり10ミリのポリープ

Monday, April 12, 2010

ボーザール・トリオの「ハイドンのピアノトリオ全集」を聴いて

♪音楽千夜一夜第127回&バガテルop125

ピアノがメナハイム・プレスラー、ヴァイオリンがイシドール・コーエン、チエロがベルナール・グリーンハウスの3人による演奏は、むかしLPで一枚ずつ揃えて大切に聴いた覚えがあるけれど、その後ずっと長い間忘れていて、1か月前に吉田秀和翁の「名曲の楽しみ」でホーボーケン番号の35番だか6番だかを聞かされて、それがこの節はやりのギンギンのクールな音色とは遠く離れた人肌の温みを思わせる優婉な味わいの音楽だったので、こないだネットで買って仕事の合間にBGMのように聴きながら、それでも耳だけは懐かしい旧友の声に耳を奪われるようにして昨日とうとう聴き終わったのですが、ああ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、冥途の土産に聞いておいて本当に良かった。やはりベートーベンもよい、モーツアルトもよい、シューベルトもシューマンも結構毛だらけ猫灰だらけお前のかあちゃん糞だらけですけれど、ハイドンの音楽は、やっぱなんというか大人の音楽で、若書きの曲すらも相当年季が入っていて、かの小林秀雄がモーツアルトやらバルトークを、中原中也がシューベルトに入れ込んだのに対して、大岡昇平がハイドンに一家言を持った(がほとんど書かなかった)というのは、いかにも昇平らしくていいなあと雨がジャブジャブ降る春の宵にひとり静かに想うのでしたが、それにつけてもこの名盤やハスキルやグリュミオー、シェリング、ネビル・マリナーやらコリン・デービス、クラウディオ・アラウやブレンデルやシュライヤーやらメンゲルベルグの歴史的銘盤を和蘭を本拠地に続々送り出してくれたフィリップス・レーベルの死滅とロンドン・レーベルへの吸収合併はいかにM&Aばやりの昨今とはいえそぞろ身にしむ寂しさであるわいなあ、そういえば木挽町の歌舞伎座もあんなに反対運動を繰り広げたのに今月いっぱいで閉幕になるという、さすれば帝都一を誇った最高の音響も永遠に失われる、3階立ち見席にあざやかに聞き取れた清元志寿太夫の破天荒の唸り声も中村歌右衛門の艶冶な衣擦れの音ももはやわがなれ親しみし空間ともども悠久の彼方に消え去ってゆくかと思えばあな悲しあなうらめし夢も希望もあるものかいなと涙涙にかき暮れし卯月壬辰の宵なりき。


次々にわれらの夢が消えてゆく大きな夢も小さな夢も 茫洋
どこか夢を売っているところを知りませんか 

Sunday, April 11, 2010

ガ行の時代に

ある晴れた日に第74回&茫洋広告戯評第11回


ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ。

ガツン、ガッツ、ガンガンメール。

ギンギラ、ギッチョン、銀色ナツオ

グングン、グリコ、グーグル、グー。

ゲンチャン、ゲンキ、ゲンキン、ゲロゲロ。

ゴー、ゴー、ゴー、箪笥にゴン。


時代ガタガタ 国家ギタギタ、人心グラグラ ゲリラ ゴキゲン

ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ。

ガ-、ギー、グー、ゲー、ゴー。

今日も明日もガ行の時代だ。


♪歌っても歌わなくてもいずれは沈黙 茫洋

Saturday, April 10, 2010

前田和男著「男はなぜ化粧をしたがるのか」を読んで

照る日曇る日第337回


黄昏迫る平成の御代にあっては、「男のくせに化粧なんて」、と部厚い眉をついついひそめてしまう私ですが、今を去る何十年も若かりし日には自分でヘレンカーチス第2液を美容院から買ってきて会社をずる休みしてパーマをかけたことがありました。

頭は茶髪のナチュラルウエーブで、ベルボトムのパンタロン姿で颯爽と神田鎌倉河岸の汀にあった小さな会社に入っていきましたら、受付嬢が一斉にのけぞって引いていく姿がおぼろに知覚されました。その当時私は、別にオシャレしようと思ったわけではありません。なにやら前途茫洋の憂い深く、ちょいとおのれの身体外観をギタギタにしてやりたかったのに違いないのです。

「男はなぜ化粧をしたがるのか」というタイトルを持つこの本も、私と同様化粧せざるを得なくなった孤独な生の実存の根っこを鋭くえぐってくれるのかと予想していましたら、案に相違してああ堂々の「男性化粧&時代相関説」の開陳でした。
日本史にはわが国に統一国家が誕生した上古、初めて国風文化が成立した平安、武士の時代に転換した中世、戦国を経て幕藩体制が確立した江戸時代、近代国家が成立した明治大正、敗戦と戦後レジームの昭和、という6つのメルクマールがあると唱える著者は、それぞれのエポックにおいて男性の化粧がどのように変遷してきたのかを、1)メークアップ、2)整身(髭そり・脱毛など)、3)整髪の3つの視点から詳細に比較対照しました。
そしてついに化粧は時代のバロメーターであり、歴史は「戦時モード」と「平時モード」を繰り返してきたことを実証するに至るのです。
ここで著者がいう「戦時モード」とは神話時代、中世鎌倉、戦国・江戸初期、明治維新から昭和初期の「常在戦場」の時代であり、「平時モード」とは平安、室町、江戸後期、昭和~現在を指していますが、まあ平たくいえば平和であればマッチョな男らしさが忌避され、猫も杓子も全身化粧に憂き身をやつし、戦争になれば男はよりマッチョになりはてて化粧どころの騒ぎではないということでありましょう。
魏志倭人伝から古事記、万葉、源氏はもとよりルイス・フロイス、森銑三、石井研堂、ドナルド・キーン、杉浦日向子に至るまでまるで打出の小槌のごとく自由自在に博引傍証しながら上記の命題を執拗に証明し続ける著者の研鑚努力と異様なまでの執念に激しく打たれた一冊でした。

♪町内の怪しき者は通報せよとパトカーが喚いている恐るべき警察国家ニッポン 茫洋

Friday, April 09, 2010

06ザルツブルク音楽祭ダニエル・ハーディング指揮「ドンジョバンニ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第126回

モーツアルトイヤーの記念すべき演奏なのにどうしてこんな技術も経験もない若僧にこの名曲の演奏をゆだねるのかその真意がわかりません。

冒頭の序曲の最初の和音のうすっぺらで軽薄な鳴り方を耳にしただけで悪い予感が走り、それは最後のドンジョバンニの地獄落ちで最終的に確認されました。

題名役に巧者のトマス・ハンプソン、ドンナ・アンナにクリスティーネ・シェーファー、レポレロにイルデブランド・ダルカンジェロ、ドンナ・アンアにメラニー・ディーナー、ドン・オッタヴィオにピヨートル・ベチャーラなどという布陣はそれほど見劣りするものではなく、それどころか他のヴェテラン指揮者ならかなりの好演が期待できたと思うのですが、ともかくこのチンピラあんちゃんの程度がひどすぎる。短距離競走の選手のようにむやみやたらに猛烈に飛ばすのです。モーツアルトの音楽の意味や美しさをぜんぶ棚に上げて……。

こんな乱暴で浅はかな指揮者に付き合わされているウイーンフィルもいい迷惑です。演出はマルチン・クシュイという人ですが特にどうということもなし。モーツアルトが見たらきっと落ち込むだろうという世紀の凡演でした。

ところが最近FMで聞いた彼のヴェルディ「レクイエム」の出来映えの素晴らしかったこと! この人はたまたまモーツアルトが下手くそであっただけなのかもしれません。


♪久しぶりにどんべえ食べたら吐き気を覚えたよ 茫洋

Tuesday, April 06, 2010

アルトゥール・ルービンシュタインの「ラスト・コンサート」を視聴する

♪音楽千夜一夜第125回


1975年1月15日、アルトゥール・ルービンシュタインは、米国カリフルニア州パサディナのアンバサダー・カレッジでエルサレムの青少年国際文化センターの活動を支援するためにコンサートを行いました。

彼はその翌年急に視力が減退し、眼中で蚊のようなものが飛び回る「飛蚊症」という病気で引退していますから、実質的にはこの時の演奏がフェアウエルコンサートになった模様です。

盛大な拍手に迎えられて登場した当時88歳のルービンシュタインは、はじめにベートーヴェンの熱情ソナタを演奏しますが、往年の熱情的な名演奏にくらべると老成した大人の滋味豊かな演奏で、パッショナータな箇所もむしろ淡々と弾かれています。

次はシューマンの作品12の幻想小曲集ですが、これは諦観とリリシズムがないまぜになった不思議な味わい。バックハウスともケンプともリヒテルとも違う夢幻のような時空が展開されます。「もっとも非ルービンシュタイン的なルービンシュタイン世界」とでも呼べばいいのでしょうか。

次はなんとドビッシイーを3曲。驚いたことに「レントより遅く」、2曲の「前奏曲」などをこの人が弾くのですね。しかしミケランジェリのような感銘は受けませんでした。
後半はお得意のショパンがスケルッツオ、エチュード、ノクチュルヌ、ポロネーズ、ワルツと5曲演奏されますが、さしたる技巧の衰えは感じられないものの、どうという演奏ではありません。

私はシューベルト、ブラームス、シューマンに比べて西洋俳句のような、瞬間痙攣射精のようなショパンのピアノ曲を格別好むものではありませんが、ルービンシュタインの全盛時代の演奏は、コルトー、サンソン・フランソワに次いで高く評価しています。後輩のアルゲリッチやポリーニもうまいことはうまいけれど、あれは全然ショパンの音楽ではありません。

特に後者は、ショパンへの愛などまるで眼中になく、ただ不感症ハイテクロボットのように狂気に近い演奏を繰り返しているに過ぎません。あんな苦しい音楽に「ブラボー!」と絶叫する人は、心のどこかでなにかがぶつ壊れている人でしょう。まともな人なら、孤絶と絶望の人ポリーニのために一掬の涙を流すはずです。

要するにアルゲリッチやポリーニはアルゲリッチやポリーニを弾いているだけ。後続する内外のあまたのショパン弾きも、「賞を獲りたい」、「有名になりたい」、「金儲けしたい」の一念だけで、ほらほらよくご覧なさい、卑しい顔をして卑しいショパンを弾いている。これでもか、これでもか、とスタインウエイをどつきまくっているだけの話です。

一度でいいから耳を澄ましてコルトーとフランソワを聴いてみたまえ。君はもうショパンを自分で弾こうなどというだいそれた考えを捨て去るほかはないだろう。

あのアパートのあの部屋で男女3人自殺したのか 茫洋

Monday, April 05, 2010

高橋慎一郎編「史跡で読む日本の歴史6鎌倉の世界」を読んで

照る日曇る日第337回

最近の歴史学の世界では、考古学の最新情報を取り入れた複合融合学際的な取り組みが増えてきて喜ばしい限りです。古文書の解読も史跡の解釈も同時代の歴史的遺物なので、同じ研究者が統一的に取り組むべきなのですが、それを妨げていたのがお馴染みの縦割り専門馬鹿的蛸壺学界でした。そういう不可解な境界を打ち破り、共時的かつ双方向で情報交換する研究方法が徐々に進行しつつある、これはそのささやかな成果の一端とでも評すべきなのでしょう。

とりわけ冒頭の「都市鎌倉」の成立と展開の項で市内の中心部の司法・行政・立法・祭祀の拠点の様相や代表的な通商道路や河川などの交通網、頼朝や御家人たちの公私それぞれの居住空間の使い分けについて具体的に触れた箇所は、800年後のその都市の住人である私にとっておおいに興味をそそられたことでした。鎌倉中心部の鶴岡八幡宮、大倉御所、頼朝法華堂、今小路西遺跡、鎌倉大仏、北条氏常盤亭跡、和賀江島などの遺跡、遺構の意義について観光ガイドが教えてくれない専門的な知見を得ることができるのはなにものにも代えがたい喜びです。

それにしても不思議なのは鎌倉大仏です。執筆者秋山哲夫氏によれば、大仏は1943年6月16日に完成しましたが、「吾妻鏡」によればその大仏は「木造の阿弥陀仏である」と記されているそうです。ところが同じ「吾妻鏡」の1252年8月17日条には、「金銅の八丈釈迦如来像を鋳造しはじめた」とあるので、この時点で鎌倉大仏は木製から金銅製、阿弥陀仏から釈迦如来に変身したはずです。

しかし私たちの前に鎮座ましましているお姿は、かの与謝野晶子が間違えて詠んだ釈迦如来ではなく阿弥陀仏。すると後世のある時点でまたしても釈迦如来から阿弥陀仏への改鋳が行われたということなのでしょうか。大仏の謎は深まるばかりです。


♪恵比寿駅午後2時40分空っぽのNEXが通過する 茫洋

Saturday, April 03, 2010

高橋順子著「一茶の連句」を読んで

照る日曇る日第336回


生涯に約二〇〇〇〇の句を詠んだといわれる小林一茶の「連句」にはじめて光を当て、解釈と鑑賞の道筋をつけた大変な力作です。

著者によれば連句とは五七五の長句と七七の短句をつかず離れず交互につなげてゆく共同作品であり、のちに第一番目の句である発句が独立して俳句が誕生したのですが、江戸時代にはこの連句こそが芭蕉などの俳諧師にとって「表芸」であったそうです。

私も以前友人たちとこの「俳諧之連歌」に挑んで、「歌仙」(三六句形式の連句)を巻いた(詠んだ)ことがありますが、季語はもちろんのことここで月を詠む、ここで花を詠むなどの数多くの決まりごとがあり、そのわずらわしさにすたこらさっさと逃亡した苦い記憶だけが残っています。

それらを高尚な文化とは思わず、スコラ的な煩瑣な規則の弊害の残滓とみなした愚かな私でしたが、この労作をつぶさにひもといてみると、一茶が到達した近世短詩形文学の世界の豊饒さと深遠さに感嘆しないわけにはいきません。これこそは江戸文化が生み出した歌舞伎と並ぶ最高最美の果実なのでしょう。

ではちょっと著者の解読ぶりを、文化一〇年正月八日に長野県長沼の住田素鏡宅で巻かれた七吟歌仙をのぞいてみませうか。

秋風に昔歌舞伎がはやる也 茶

硯へこぼす刈かやの露 薺

嬉しさに諏訪の御灯吹けして 我

妹が名にせようね火香具山 茶

離れ屋に梓の声の細細と 薺

二五句で一茶が(江戸時代の)昔の歌舞伎を褒め称えると、薺が受ける。歌舞伎見物にうつつを抜かすいっぽうで七夕の行事に思いを込める女たちが、秋草の葉から集めた露に浸した筆で短冊に願い事を書いている。これを恋の呼び出しの句という。

二七句は恋の句。恋文をもらって喜んだのはなんと諏訪湖の上社の男神と下社の女神。彼らは全面凍結した諏訪湖を渡って恋の御渡りをするのだ。二八句もまだ恋の歌が続く。一茶は万葉集の天智天皇の古歌を念頭において、「畝傍」や「香具山」という名の遊女がいたら面白い。「耳梨」ではちょっと困るが、と思っているのではないかと著者が付け加える。凄い読み!

二九句でようやく恋離れの句が詠まれる。人里離れた家に梓弓の弦を鳴らして因縁浅からぬ想い人の霊を呼び出す巫子の口寄せの声が細々と聞こえる……。

この華麗な修辞と見事な発想の転換! 一茶ももちろんすごいが彼の門人や周辺の商人や市井の人々の洗練された趣味と教養の深さに脱帽せざるを得ません。


図書館で古今著門集借りた老人の自転車は錆びていた 茫洋

Friday, April 02, 2010

岡井隆著「注解する者」を読んで

照る日曇る日第335回

「注解する者」と自称する著者は、対象物にいつのまにか寄り添い、書物(おくのほそ道、古事記伝等)や作家・藝術家(ラフカディオ・ハーン、森鴎外、ウイトゲンシュタイン、川村二郎等)や音楽(オネーギンや薔薇の騎士等)や皇族(天皇皇后やヤマトタケルノミコト等)能・歌舞伎(熊野等)などの内部に柔らかな水を注ぎながら侵入してたちどころに溶解し、楽々と自他合一化を果たしながらその内通貫入の喜びの言葉を書き記します。

例えば著者は、芭蕉の「おくのほそ道」を俳諧の一体として読むべしと提唱した安東次男にならってこの名作の注解を開始します。そして新潟の遊女が登場する場面が「おくのほそ道」における「恋の座」であると喝破した著者は、「一家に遊女もねたり萩と月」の一句を呼び出して、ここには遊女と僧形二人の一夜のかかわりがほのかに暗示されており、「それでなくては翌朝涙と共に同行をせがむ二人をにべもなくことわるという一場面の深さはでてきない」「だから無情な仕打ちをした芭蕉は歌枕の故地を訪問しようとした土地の衆にぴしゃりと断られたのだ」とあざやかに溶解してみせてくれるのです。

詩と散文、散文と韻文、散文詩と短詩、詩論と詩想の境界を軽々と突破し、融通無碍に解体してはまた回帰するその自在な詩興は、長く言葉と遊び戯れてきた著者ならではの独創的な表現世界と申せましょう。
和歌から蚕の糸のように絶え間なく繰り出される綾なす言葉のつづれ織は、蝶のように舞い、蜂のように刺したかのモハメド・アリの軽快なフットワーク、あるいは宇治平等院の天女が自在に宙を飛翔しながら地上に降らせる華麗な花々の乱舞を思わせます。

本居宣長の「古事記伝」を注解する箇所も面白い。小碓命が大碓命を厠で殺す有名なシーンがありますが、景行天皇が熊襲を退治したとき、「その背皮を取りて、剣を尻より刺し通したまひき」とあるのを「尻から刺す時背皮をつかむのは合理的ではない。これは衣の背をつかんだのだろう。剣は下腹部に達しただけだから即死ではない」と小児科医らしく分析する本居宣長について同じ内科医師の著者がコメントしています。

さらにまた、かつてはマルクスに親炙した著者が召されて皇居に赴き、晴れがましくも当代一の宮廷歌人として天皇皇后の御前に膝を屈する複雑な心境を吐露しているくだりも苦く心に残ります。

注解者などと韜晦しながら、そこで語られる言葉は純乎とした詩であり、技巧の粋を尽くした現代詩の最高峰を往く。私も数多くの詩を読んできましたが、これほど明晰で透明で高雅な日本語の森の中を散策した経験はかつてなく、またこれからも滅多にあるまいと思わせる見事な完成度を誇る詩文集です。


朝日差す歩道の端に横たわる灰色の猫はびくとも動かず 茫洋

Thursday, April 01, 2010

鎌倉文学館で「鎌倉と詩人たち展」を見る

茫洋物見遊山記第21回&鎌倉ちょっと不思議な物語第213回

遠くに由比ヶ浜の海を高台から望む当館では4月18日まで「鎌倉と詩人たち ことばを旅する展」が開催されています。収蔵品展鎌倉文人録シリーズの第4回です。

今回は島崎藤村、蒲原有明、北原白秋、萩原朔太郎、日夏耿之介、野口米次郎、中原中也、西脇順三郎、三好達治など鎌倉ゆかりの詩人たちの詩稿や書や詩集、遺品などを紹介しています。

高見順愛用の一輪挿しと壺、尾崎喜八愛用の竹笛と小型双眼鏡なぞはどうでもよろしいが、萩原朔太郎の「乃木坂倶楽部アパートメント」の草稿や昭和13年に創元社から出版された中原中也の詩集「在りし日の歌」などはありがたさに涙がちょちょぎれる思いです。

田村隆一と女を争奪した北村太郎の2人の「荒地」派詩人の作品が肩を並べて展示されているのもなかなかおつなものです。田村隆一の詩は、例えば「平家は好きだが源氏は嫌いだ」という対比法的な手法で原稿用紙の途中まで書かれていましたが、うろおぼえですが「日本人は好きだがアメリカ人は嫌いだ?」などと書いて抹殺したあたりで完全に行き詰まってしまったようで、とうとう未完のままで放り出してありました。

うまくいくかわかりませんが、彼に代わってそのあとを続けてみましょう。

平家は好きだが源氏は嫌いだ。
桜は嫌いだが梅は好きだ。
猫は好きだが犬は嫌いだ。
酒は好きだが酔っ払いは嫌いだ。
池袋は嫌いだが谷中は好きだ。
黒沢は嫌いだが成瀬は好きだ。
ショパンは嫌いだがシューマンは好きだ。
高層ビルは嫌いだが木造平屋は好きだ。
靖国神社は嫌いだが十二所神社は好きだ。
日本国は嫌いだが日本人は好きだ。
日本人は好きだが僕は僕がいちばん好きだ。


♪母上の大好物のグレープジュース食わずになりて久しきことなり 茫洋

Wednesday, March 31, 2010

鎌倉国宝館でひな人形展を見る

茫洋物見遊山記第20回&鎌倉ちょっと不思議な物語第212回

今年も国宝館恒例のひな人形の陳列が始まりました。(4月4日まで開催)

これを眺めていると今年もようやく春になったのだなあ。またひとつ馬齢を加えたのだなあ。わが家の女の児は家内だけだなあ。家族ともどもあと何年くらい安穏に暮らせるのだろうなあ、とさまざまな想念が湧いてくるのがいと不可思議です。

ひな人形の起源は平安時代にまでさかのぼるそうです。源氏物語にも時々出てくる「形代(かたしろ)」、お祓いのために身代わりで川に流した紙人形がその原型ではないか、と私は勝手に想像しているのですが、もはや捨てようとしてもあまりにも立派で博物館くらいにしか安置できなくなった江戸時代のお雛様100点が会場狭しと並んでいる姿はけだし壮観です。

江戸時代といってもほとんどが享保時代のひな人形ですが、その顔容の能のお面を思わせる幽玄美と細密無比な工芸技術の冴え、全身の堂々たる造型感覚、そして身にまとう衣服の立派さには思わず脱帽します。彼らの息女の健康と平安を祈念する恰好の形代として、こんな見事なひな人形を、当時の分限者は所有していたのです。しかしそれは、彼らの子孫への愛情の表現であるとおなじくらい、彼らの富貴の誇示でもあったはずです。

ところで会場のひな人形の並び方は、現在のお雛様とは左右が逆になっています。学芸員の方にその理由を尋ねましたら、昔からわが国では左大臣が右大臣より偉かったように、「左」が「右」より優位の「立ち位置」だったので、この会場のお雛様のように「向かって左に女雛、右側に男雛」というスタイルで並べていたそうですが、大正天皇もしくは昭和3年の昭和天皇の成婚式の際に西欧先進国の先例にならって左右を入れ替えていらい、現在の形になったのだそうです。
やはり昔ながらの男尊女卑の陋古な慣習はまずい、と考えたのでしょうね。

♪母上のグリンピースの混ぜご飯妻が作りて食べさせてくれたり 茫洋

Tuesday, March 30, 2010

西暦2010年弥生茫洋花鳥風月人情紙風船

ある晴れた日に 第73回


梅の花花との間に萼ありて

春日遅遅日光写真待つ心

面白うてやがて悲しき水の歌

3月や歯科皮膚科整形外科に日参す

椿落ち鴨泳ぎタテハ飛び鶯が鳴く弥生廿日

辛夷咲き野鴨繕い黄蝶舞い鶯鳴くなり弥生の廿日

桜咲き瑠璃シジミ飛びおたま泳ぐ谷戸にも春は巡りきたれり

なのでなのでを連発すれどなのでの前がてんで分からん

青空から忽然と消えし大銀杏甦れわれら一人一人の胸の裡に

神を恐れおののく孤独な少年を待ち構えていた酒と薔薇の日々

東京の明るい廃墟をよろばいつわが胸に浮かぶ江戸の俤

あの小澤のあとにメスト!ウイーンオペラの歴史と伝統ここにパッタリ尽きたり
 
おたまじやくしの表層を水澄ましのごとく滑走する小澤メスト輩

百聞は一聴に如かずロバの耳に響く王様の音楽

3流のオペラハウスのカルメンを涙を流して聴いているビゼー

カラヤンの最悪の録音はショパンのピアノ曲を管弦楽に編曲した演奏。そこではお涙頂戴のやすっぽい叙情が大安売りされている

普通の女性が光り輝く美女となるげに化粧とは恐ろしき道具よ

人は死に 詩と音楽が 永遠に残る

もう二度と帰ることなきいまのいまをわが生の証とて歌にとどめむ

坂の上の風呂屋の下の道端に今年も咲きたりミモザの花が

今日も元気だ桃山パンク黒墨捲れば紅蓮の炎

私をリストラした人をリストラした人がリストラされました

人よりも物の命は長ければ物に過ぎぬと驕るなかれ人

待ち兼ねた春が蝶よ花よとやってくる

金メダルが2つあったら良かったのにねと語る焼肉屋の柔らかな心

欠陥車作りし咎を身に負いて謝り続けるトヨタ社長

古き良きアメリカの黄金時代二度と帰らず

美しきヴァイオリニストをたぶらかす希代の色事師とく本業に戻れ

あのアパートのあの部屋で男女3人自殺したのか

わが息子指差し「あんな児には近づかないのよ」と教える母親


♪くだらなきいまのみの感懐をとどめおきたくけふもまたくだらぬうたをよむのです 茫洋

Monday, March 29, 2010

「演劇集団 円」を応援しませう

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円は1975年に芥川比呂志を中心に劇団雲から独立した演劇団で、岸田今日子、南美江などが活躍、現在はテレビに出ずっぱりの橋爪功を柱に、松本留美、有川博、立石涼子、朴璐美などを擁しています。

そんなことはどうでもよいのですが、じつは私の知人がこの劇団で翻訳家として活動しているので、今年1年間は円を支援しようと心に決めました。

2010年のプログラムは4月にハロルド・ピンター原作、大橋也寸演出の「HOMECOMING」、8月は鶴屋南北原作、森新太郎演出による「四谷怪談」、10月はオーエン・マカファーティ原作、演出平出琢也による「シーンズ・フロム・ザ・ビッグピキュチャー」、12月は岸田今日子を記念して谷川俊太郎現代語訳による「むかしむかしのわっはっは」というレパートリー。正統派の新劇あり伝統派の歌舞伎風あり、アヴァンギャルドあり、日本昔話ファミリーものありと実に豊かなラインアップです。

特報です!

ただいま円の会の会員に無料登録すると、この4公演を15000円でいい席で見られます。申し込みは03-5828-0654、〒111-0035台東区西浅草1-2-3田原町センタービル5階の「円の会」まで。以上、私としたことが非常に珍しくあまりにも露骨なPRでした。

♪3月や歯科皮膚科整形外科に日参す 茫洋

Sunday, March 28, 2010

コーリン・デービス指揮コベントガーデン「螺旋の回転」を視聴する

♪音楽千夜一夜第124回

古いレーザーディスクを引っ張り出して、DVDに焼きながら珍しい演奏を聴きました。
コーリン・デービス指揮コベントガーデンのロイヤル・オペラが少人数で演奏するベンジャミン・ブリテン作曲のオペラ「螺旋の回転」に、ペートル・ウエイグルという人が屋外ロケの映像をつけたものです。

グラードボーンに良く似た緑の草原の中に古い洋館と教会が建っていて、その建物の内部や何エーカーという広大な敷地のあちこちを贅沢に使い、ヘンリー・ジェイムズ原作のこのSF的小説を一篇の映像詩に仕立て上げています。

物語のあらすじは、家庭教師として古い洋館にやって来たヒロインが、その館に住む少年少女に宿る死者の霊と対決し、勝利を収めたものの最後の最後に少年が息絶えてしまうという西洋によくある怪奇譚です。

美しい女優とハンサムな男優が演じ、彼らの口パクの歌を、実力派のヘレン・ドナート、ロバート・ティアーズ、ヘザー・ハーパーなどが歌っていますが、ラストではそれなりに盛り上がるものの、原作におけるネジがギリギリと回転して、恐怖に慄く登場人物たちを抜き差しならぬところまでギリギリ追い詰めていくような臨場感はありません。むしろ、のどかな野外劇といった趣が強く出ています。

ブリテンの作曲の腕の冴えは、第2幕の第13のバリエーション、第6シーンにおけるピアノ連打の劇伴において最大限に発揮されており、ここぞとばかりにたたみかけるコーリン・デービスの指揮も見事です。


♪春日遅遅日光写真待つ心 茫洋

Saturday, March 27, 2010

ブーレーズ指揮ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を視聴して

♪音楽千夜一夜第123回

数々の印象深い銘品をつくってくれたドビュッシーですが、やはりこれがいちばんの代表作でせう。あれほど傾倒したワーグナーから足を洗い、独立独歩で創造した新しい楽の音がここには香り高く鳴り響いています。

指揮者ブーレーズの評価は年経るごとに高まり、いまやアーノンクールと並んで斯界の一大権威と化した感がありますが、冷静に振り返ってみれば昔のクリーブランド時代やウイーンコンチエルトムジークス創成時代の方が双方ともにはるかにマシな演奏をしていたと言えそうです。どう考えても面白くもおかしくもない、それでいてもったいぶったこけおどしの、似ても焼いても食えないタヌキおやじの指揮ぶりに熱狂する人の気持ちが私のようなド素人にはいくら聞いてもてんわからないのでしゅが…。

そんな御大ではありますが、1992年3月になぜだか英国に飛んで、ウエールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団と演奏した「ペレアストメリザンド」ではそれなりに楽しめる劇伴をつとめて破綻はありませぬ。メリザンドはアリスン・ハーグレイ、ペレアスはニール・アーチャー、ゴローはドナルド・マックスウエル、老王アルケルはケニス・コックスという欧米人の歌手ばかりが出演していますが、フランス語の発音に欠ける点はなさそうです。

演出はベルリン生まれのペーター・シュタインという人ですが、第3幕第一場でアリスン・ハーグレイのブロンドの長く美しい自毛を使って非常に官能的な愛の戯れを演じさせています。城塞の窓辺のペレアスがあおむけざまに垂らした髪を庭に立つメリザンドがつかんで愛撫し接吻の嵐を降らせる情景こそこのオペラの白眉でしょう。

地上では許されない無垢の愛の交歓を目撃したペレアスの義兄ゴローは嫉妬に駆られてついに弟を殺してしまい、衝撃を受けたメリザンドもあとを追うようにして死んでしまいます。ある点まではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に似ていますが、聴いてみると全然違う音楽になっています。どちらかといえばドビュッシーの方が陰影に富む複雑で高級な音楽といえるでしょうか。

「ペレアストメリザンド」は数あるオペラのなかでヤナーチエックの「利口な女狐の物語」と並んで私がいっとう好きなオペラ(いっとう嫌いなのはプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」)なのですが、これまであまり演奏の機会に恵まれず、個人的には七〇年代の終わりにパリのシャンゼリゼ劇場で見たマゼール指揮パリ管の公演がもっとも感動的なものでした。(あの頃のマゼールは良かった!)

この「ペレアストメリザンド」の演奏は、それに次ぐものとして、長く手元に置きたいと思っています。

♪私をリストラした人をリストラした人がリストラされました 茫洋

Thursday, March 25, 2010

カラヤン指揮ウイーン国立歌劇場の「薔薇の騎士」を視聴する

♪音楽千夜一夜第122回

これは1960年8月のザルツブルク音楽祭にかけられたシュトラウスの名作オペラの歴史的公演の記録です。出演は元帥夫人にシュヴァルツコップだけでなく、ゾフィーがローテンベルガー、オクタヴィアンのユリナッチの女性陣に加えてオックス男爵にオットー・エーデルマン、ファーニナルにはなんとエーリッヒ・クンツという豪華キャスティングで、この映像はランクオーガニゼーションという映画会社が製作してビデオ時代から世界中でベストセラーになっていましたが、いまではDVDでも鑑賞できるというわけです。

カラヤンはのちに1984年の同じザルツブルク音楽祭でも同じオーケストラとこの演目を上演し、映像化しました。これも同じタイプの見事な演奏ですが元帥夫人にアンナ・トモワ・シントウ、オクタビアンにアグネス・パルツア、ソフィーにジャネット・ペリー、男爵にクルト・モル、ファーニナルにゴドフリート・ホルニクというキャステイングはクルト・モルを除いてどうみても前者に勝ち目はないでしょう。
アンナ・トモワ・シントウはカラヤンやベーム好みのソプラノですが、フィガロの結婚の伯爵夫人ならともかく元帥夫人でシュヴァルツコップと対抗しようというのはちょっと虫が良すぎます。

さて「薔薇の騎士」においてははじめと終わりがいちばん大事。なんせ公衆の面前で、成熟した貴夫人とやる気まんまんの若い騎士(しかも女性によって演じられる!)によって愛の戯れならぬずばり性交が行われるのですから、それにふさわしいコンビを登場させなければあとが続きません。ここでは冒頭のクラリネットが鋭い男根と化して元帥夫人をいっきに貫き、その直後に痙攣的に果てるときのお相手が問題です。セーナ・ユリナッチの演技も相当はがゆいものがありますが、まあまあ許せるとして、アグネス・パルツアというのでは見ている方だってしらけます。

大人の女の哀しい愛の終わりを告げる3重唱が見事なアンサンブルで歌いおさめられたあとは、若いバカップルがその恋の末路も知らずにいまだけに許される野放図な愛の賛歌を歌いあげるのですが、、さてその終幕間際には、黒人の子供の召使が元帥夫人が忘れた絹のハンカチーフを拾って退場する演出でおわらないと、このオペラはどうしても終わらないのです。


♪カラヤンの最悪の録音はショパンのレ・シルフィールド そこではお涙頂戴のやすっぽい叙情が大安売りされている 茫洋

Wednesday, March 24, 2010

ブレゲンツ音楽祭の「トロヴァトーレ」を視聴して

♪音楽千夜一夜第121回

独スイス国境のオーストリアのボーデン湖上で二〇〇六年の真夏に開催されたブレゲンツ音楽祭の実況録画です。

演出はロバート・カーセンという人ですが、湖上に巨大な船のような石油コンビナートのような構造物を設置して、演技はその広大な空間を舞台に行われます。なにかあると空高く伸びた煙突から紅蓮の炎が衝撃音と同時に舞いあがり、ビジュアル効果満点の派手な見世物です。

指揮はトーマス・ロスナーでウィーン交響楽団が出張っての演奏。なかなか快調なテンポでヴェルデイ節を奏でていました。歌手はヒロインのレオノーラにイアノ・タマール、マンリーコにカール・タナー、ルーナ伯爵がジェリコ・ルチッチ、アズティエーナにマリアンネ・コルネッティという布陣でそれぞれ歌唱力にある実力派と見受けられましたが、なにせ全員がマイクを通して歌っているために、その真価は知るべくもありません。

あくまでも真夏の夜のスペクタクル、世界中からやってきた観光客向けのはかない一場の夢と評すべき公演なのでしょう。

♪面白うてやがて悲しき水の歌 茫洋

Tuesday, March 23, 2010

スコット・フィッツジエラルド著・村上春樹訳「冬の夢」を読んで

照る日曇る日第335回

フィッツジエラルドが彼の代表作を書く前に、いわば練習問題のようにすらすら書いた短編小説が5本並んでいます。

村上春樹によれば、彼はみじかいものならだいたい1日で書き飛ばしたというのですが、その切れ味の鋭さといったら芥川も及ばない天才的なもの。とりわけ最後から2番目の「リッツくらい大きなダイアモンド」という作品なぞ、太宰治のストーリーテリングをはるかにしのぐ物語の行方知らずの恐るべき面白さです。

その大半がアメリカの通俗文芸誌向けのよくできた高級娯楽小説ですが、「罪の赦し」だけは一種異様な性格の物語。主人公の少年の「原罪」にまつわる宗教意識や苦悩について、張りつめた緊張感のもとで、重苦しい独白が積み重ねられてゆきます。

この古風なピューリタニズムこそが、後年の酒と女と薔薇の日々の放蕩と自己破壊を早くから準備したフィッツジエラルドの内面の知られざる核だったのです。



♪神を恐れおののく孤独な少年を待ち構えていた酒と薔薇の日々 茫洋

Monday, March 22, 2010

藤原歌劇団の「ジョコンダ」を視聴して

♪音楽千夜一夜第120回


昨二〇〇九年の一月三一日に東京文化会館で行われたポンキエルリのオペラ「ジョコンダ」のあら珍しや四幕版の公演をビデオで見ました。

まず特筆すべきは指揮者菊池彦展と東フィルの好演です。この指揮者がどのようなキャリアの人か私は全然知りませんが、彼は大きな手振り身振りでこの不感症のオーケストラを力ずくで眠りから叩き起こし、波乱万丈の物語が進行するにつれて、オペラに不可欠な熱いコンブリオの力動をもたらし、ついに観衆の興奮と感動をもたらします。

力の限り歌いまくる歌手と、それに対抗して負けじと昂揚していく管弦の高鳴りこそはオペラの醍醐味。最近私が聞いたウエルザーメストの青白いインテリ貧血症のコンコンチキ音楽とは180度ベクトルの異なる正則音楽を耳にして、これなら欧州より日本のオペラの方がよっぽど優れていると痛感しました。

表題役のエリザーベト・マトスとその恋人エンツオ役のチョン・イグン、ジョコンダに横恋慕する密偵バルナバ役の堀内康雄も好演。2幕の冒頭では有名な間奏曲「時の踊り」が奏でられ、そのあとは一気に海上船の火災や3幕の黄金の館へとなだれ込みますが、終幕第4幕のジョコンダの自害まで快い緊張を保ちながら音楽は疾走し続けます。

オペラや作曲家の精神にいっさい肉薄することなくおたまじやくしの表層をまるで水澄ましのようにすいすい滑走する凡庸なフランツ・ウエルザー・メストや小澤征爾とは鋭く一線を画する充実した公演記録でした。

♪おたまじやくしの表層を水澄ましのごとく滑走する小澤メスト輩 茫洋

Sunday, March 21, 2010

神奈川県立近代美術館で「松谷武判展」を見る

茫洋物見遊山記第20回&鎌倉ちょっと不思議な物語第212回

松谷武判は1937年大阪生まれのアーチスト。1954年より日本画を学び、戦後はあの伝説的な具体美術協会の前衛美術運動に参加し、1966年以降は「人の真似をするな。誰もやらないことをやれ」をモットーにパリで制作を続けているそうです。

そういう経歴の人とも知らずにのこのこ入っていきましたら、やたら暗くて黒いものばかりで面喰いました。大半の作品が、白と黒を基調に鉛筆で描き重ねて黒の線と黒の面を強調しています。とりわけビニール系接着材の黒いボンドを、キャンバスに円く堆く浮き彫り(レリーフ)したものが多いのですが、しかし女性の乳房や禅坊主の立体的な墨書を思わせるそれらのマッス(塊)はけっして無秩序な立方体ではなく、きわめて稠密に計画された美意識によって厳しく貫かれています。

会場狭しと押し寄せる黒、黒、黒のインパクト…。そのモノトーンとはおそらく人間と世界と宇宙の根源にひそんでいる暗黒物質の重力を象徴しているのではないでしょうか。会場のあちこちで渦巻き流動し続けている黒い球体から発せられる未知のエネルギーが感じられ、私たちの存在を背後から支えるとともに、私たちの未来と運命を領導している不可知な物質の力を感じさせる不思議なコレクションです。

なおこの「松谷武判展」は、来る3月28日まで神奈川県立近代美術館鎌倉で開催されています。

♪辛夷咲き野鴨繕い黄蝶舞い鶯鳴くなり弥生の廿日 茫洋

Saturday, March 20, 2010

平成の隠者、東京をさすらう 川本三郎著「きのふの東京、けふの東京」を読んで

照る日曇る日第334回


川本三郎という人は、嫌なことは、しない、書かない。ただ好きな人とだけ付き合い、好きなことだけをして、好きなことだけを記事にして生活している、と聞いたことがあります。まことにうらやましい平成の隠者、聖賢のような存在ですね。

そんな川本氏がもっとも好むのは東京の東西あちこちの気ままな町歩き。それも高層ビルやキンキラキンの商業施設が建ち並ぶ「街」ではなく、銭湯と居酒屋と古本屋がある昔ながらの庶民的な「町」を選んで歩くのです。

だから本書で主に取り上げられているのは永井荷風が好んだ隅田川を越えた深川や洲崎、三ノ輪浄閑寺、荒川の放水路などですが、川本氏の町歩きのフィールドは東京の全域にまたがっており、両国や神保町、神田、東京、新橋、阿佐谷、新宿なども忘れられてはいません。

それにつけても、荷風の幼馴染井上唖々ゆかりの森下町「山利喜」、小名木川六間掘、大久保湯灌場に杖を引いた荷風散人、その荷風の足跡をたどった野口富士男氏、さらにそれらの先達を慕う川本氏が、今は無き江戸の風景のよすがを求めてさすらう姿を見ていると、現代の読者である私(たち)もまた彼らの驥尾に付して懐古掃苔の旅に出かけたいと願わずにはおられません。

私は「断腸亭日乗」を読んで以来、かつて荷風が通い詰めた新橋の「金兵衛」という一膳飯屋の所在を尋ねていたのですが、本書でそれが汐留交差点角にある天明時代創業の佃煮屋「玉木屋」の近所にあったと初めて知らされ、久しぶりに新橋を訪ねてみたくなりました。

近年大規模な開発が行われたにもかかわらず、あの辺にはまだ江戸時代から続く老舗が残っているようです。


♪東京の明るい廃墟をよろばいつわが胸に浮かぶ江戸の俤 茫洋

Friday, March 19, 2010

アラン・J・パクラ監督「大統領の陰謀」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.28

この映画では、70年代前半の合衆国を驚倒させたウオーターゲート事件の顛末を事実に則して描いています。なんとワシントンポスト紙の2人の新米記者の執拗な取材とスクープが、ニクソン大統領を失脚させるに至るのです。原題は「俺たち全員ニクソン組」ってか。

ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン扮する新聞記者は、通称「ディープスロート」、実は当時のFBI副長官の内部情報を得ながら、ニクソン再選のために資金と情報を非合法に集め、民主党候補を倒そうとする勢力(結局それはニクソンと彼の7人の腹心に直結していたわけですが)の追及を開始します。

最初はほんの断片的な情報に基づいて突撃取材を敢行し、また別の断片をまるでパッチワークのようにつなぎ合わせて事件の核心に迫ろうとする2人の悪戦苦闘ぶりがこの映画の見どころです。例えば大統領再選委員会の名簿をポスト紙の女性記者の「肉体的協力」で手に入れ、そのメンバーの自宅をアルファベット順に、しかも2度も!訪問して不正資金提供の証言を得ようとするくだりなど彼らの猛烈な記者根性には脱帽せざるを得ません。

証言を引き出す手口も斬新で、例えば「小澤幹事長、あなたは地元の企業からの不正献金をもらったでしょう?」と尋ねて「私はお金についてはつねに秘書に適正に処理させてきました」という答えが返ってきたら、この態度を、質問に対して正面から回答しない「否定の否定」とみなして疑惑ありという主旨の記事にするのです。あるいはまた自分からは積極的に証言しようとしない人物に対して、「容疑者はMですね・」とイニシャルで聞いて証言者にうなずかせたり首を振って否定させたりして確認する手法、また「もし私の推察が事実に反していたら、いまから10数える間にこの電話を切ってください」と追い詰めて確認をとるなど、あれやこれやの取材のテクニックは非常に興味深いものでした。

アラン・J・パクラ監督は、冒頭の民主党本部へのスパイの侵入事件以外さしたるアクションもないこの映画の眼目を、監督は事件記者の取材活動そのものに絞って描写していますが(もっともそうせざるを得ないという事情もあるわけですが)、テレビがニクソン再選を伝えるなかデスクで懸命にタイプを叩く2人というシーンで全編を終わらせるラストはいささか物足らない。もう少し劇的なパフォーマンスを見せてほしかったと思わずにはいられませんでした。

主演の2人はかっこいいスターぶりでしたが、彼らを激励叱咤し、社運を賭けて真実の追求と報道の自由を死守しようとする彼らの上司役のジェーソン・ロバーズがこの年のアカデミー賞をもらったのは当然と思わせる名演技でした。


1976年 アメリカ ワイルドウッド・エンタープライズ制作【製作】ウォルター・コブレンツ               【原作】カール・バーンステイン                   ボブ・ウッドワード                 【脚本】ウィリアム・ゴールドマン              【撮影】ゴードン・ウィリス                 【音楽】デビッド・シャイア                 【原題】All the President’s Men


♪やっと待ち遠しい春が蝶よ花よとやってくる 茫洋

Thursday, March 18, 2010

木村大作監督の「剱岳」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.27

新田次郎原作の山岳小説を、ベテラン映像キャメラマンが初めて監督しました。噂ではかなり過酷なロケだったそうで、特に雪山の登攀の際の滑落や猛烈な吹雪のシーンなどはほとんど命懸けの撮影だったのではないでしょうか。
かつて彼が森谷司郎監督・高倉健主演の「八甲田山」で手掛けた過酷な大自然と人間との闘争をここでもまたぞろ描こうとしているようです。

キャメラは剱岳とその周辺の春夏秋冬を美しくとらえ、大雲海の彼方にそびえる霊峰富士の姿など感嘆に値する映像を刻み、物語の最後では相争った陸軍測量部に属する主人公たちとそのライバルであった登山家たちの友愛に満ちたうるわしいエールの交換で映画のラストを盛り上げることに成功してはいますが、細部を子細に眺めるといくつもの欠点が目につき、この二時間を優に超える大作氏の大作の鑑賞をおおいに妨げています。

そのひとつが映像のセピア色の濁りを秘めたトーンです。物語が明治四〇年前後の設定なので、こういう懐かし風にまとめたのでしょうが、どうも被写体が曖昧模糊として醜くなり、見にくいことこのうえありません。この自称「撮影者」は、かつて黒沢が激賞しただけあってどんな映画でもピンだけはドオンピシャリ合っていますが、それと同時につねに画面を陰鬱かつ大仰なものに変質させてしまいます。要するに、彼の眼は濁り、彼の感性の根っこには図太くどんくさい体育会的なものが盤居していて、これが木村大作という撮影者の長所でもあれば短所でもあります。

例えば彼のキャメラは、黒沢の「用心棒」や深作の「極道の妻」たちなどでは、物語に内在する不穏な空気を醸成することに貢献して一定程度の成功を収めているのですが、高倉健が主演する「居酒屋兆次」、「駅」、「海峡」などではいうにいわれぬエグさをもたらし、溝口や成瀬や小津を好む、より映像の質に敏感な都会人たちが、劇場に足を運ぶことを視覚暴力的に阻止しているのです。

 では彼の映画監督としての初仕事はどうだったのでしょうか?
まず演出の手腕に関して大きなクエスチョンマークがつきます。あれほど苦労したはずの剱岳初登頂があんなにあっけなく描かれるとは! 前に触れた感動的なラストがそのあとで出てくるとはいえ、難攻不落の孤峰がこんなに簡単に登れるのなら誰も苦労はしないでしょう。

そのほかのシークエンスでも説明抜きで救難隊が登場したり、突然ベースキャンプに到着していたりと手前勝手な演出が目立ちます。どのカットを刻み、どのカットを残し、どの長さにするかという基本的な技術とセンスがないから、こういうみっともない仕儀になるのです。また普通のプロの監督や編集者なら、この題材をもっと効果的に二時間以内の長さで収めるに違いありません。

不慣れな監督を助けるべき池辺晋一郎の音楽も最悪です。映像がいくら剱岳の四季を描いているからといってヴィヴァルディの「四季」などのヴァイオリン協奏曲の連発はないでしょう。そして感動的なシーンにはバッハ。あまりにも安易な劇伴のやり方には憤りさえ覚えます。これでは音楽家の仕事ではなくBGM屋さんの仕事ではないでしょうか。あなたはわが国を代表する作曲家らしく、この驚異の映像に拮抗するだけのオリジナル音楽を創造して仙台フィルに演奏させるべきでした。

 最後にこの映画にかかわった全員のクレジットが「仲間に」というタイトルのもとで延々と流されますが、つねに出演者名を登場順やアルファベット順に並べているウディ・アレンならともかく、映画製作にかかわった人物やら出資者やもろもろの協力会社などを、監督・俳優・音楽・美術等の専門性や職能をいっさい明示せずに、いわば亜細亜的な一視同仁視してしまう古い体質の郷党意識には、さすがに超保守反動主義者の私といえども反発せざるをえません。

♪坂の上の風呂屋の下の道端に今年も咲きたりミモザの花が 茫洋

Wednesday, March 17, 2010

フランツ・ウエルザー・メスト指揮チュウリヒ劇場管「ドン・ジョヴァンニ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第119回

止せばいいのに、昨日メタメタに悪口を言った同じ指揮者と団体によるモーツアルトを聴いてみました。これも序曲が軽薄そのもので、テンポだけはいっちょまえにフルトヴェングラーと同じくらいの遅さですが、コクもタメもないまるで蒸留水のような演奏。お前ワルトトイフェルでもやるのかよ。

レポレロの「カタログの歌」など、私がこれまで耳にした中でも最低に近い演奏で、やれやれどうなるのかと思っていたのですが、そこはほれさすがは器の広いモーツアルト、幕が進むにつれて次第に様になってきて、村娘ツエルリーナとドン・ジョバンニの2重唱などはそれなりに聴かせてくれました。

しかし「魔笛」のパパゲーノ役ならともかく、サイモン・キーリンサイドの表題役などは、明らかなミスキャストというべきでしょう。マリン・ハルテリウスのドンナ・エルヴィラ、エヴァ・メイのドンナ・アンナ、アントン・シャリンガーのレポレロ、ラインハルト・マイヤーのマゼットもすべて2、3流の歌うたい。いや別に3流でも4流でもいいのですが、モーツアルトならでは、オペラならではの劇的感興がかけらもない演奏です。

スヴェン・エリック・ベヒトルフという人の演出は間口が狭いこの劇場の奥行きを深くしてうまく幕で仕切って何層かの構造をつくり場面転換に創意工夫を見せていましたが、所詮はそこまで。天啓と霊感はついに最後の最後まで訪れない典型的な凡演でした。

それなのに馬鹿っ面下げて「ブラボー!ブラボー!」を連発しているチュウリヒ劇場の観客は、まるでどこかの国のそれに似ているようで覚えずぞっとしました。にもかかわらずこのフランツ・ウエルザー・メストという若い指揮者の評判は欧州では上々のようで、悪評嘖々だった小澤征爾の後任としてウイーン国立劇場の音楽監督に就任するとか。

こんな吹けば飛ぶよなお兄ちゃんなら、ティーレマンやガティやパッパーノの方が百層倍もマシだと思うのは私だけでしょうか。

♪あの小澤のあとにメスト!ウイーンオペラの歴史と伝統ここにパッタリ尽きたり 茫洋

Tuesday, March 16, 2010

フランツ・ウエルザー・メスト指揮チュウリヒ劇場管「カルメン」を視聴する

♪音楽千夜一夜第118回

2008年6月下旬から7月1日までかけてスイスのチュウリヒ歌劇場で行われた公演を収録・編集したビデオを見ました。

指揮者のメストはこのビゼーの名作オペラを♪すいすいすいったららったすらすらすいのすい、とまるで楽譜の内部を植木ツバメが通り抜けるような軽快さで演奏いたします。
山崎浩太郎氏によれば、こういう手口がいわゆるひとつのなうい(←老人語)現代的な劇伴方法で、これこそが今後の指揮の主流になるのだ、などと偉そうに抜かしております。
 しかし馬鹿たり、こんな音楽的真実から限りなく逸脱してあらぬ方向に逃走するような卑劣な演奏の、どこがオペラであり、どこがビゼーなのでしょう。お前たちはさだめしかのフルトヴェングラーのモーツアルトのダポンテオペラの劇伴など一度も耳にしたことがないのだろうよ。耳をほじってよーく聞いてみろ、愚か者よ。

また山崎氏のこのような言説は、彼が10年前に新進ひょおろんかとしてデビューしたばらいのころ、ナクソスから発売された30年代のメットのヴェルディのピコなどが指揮したCDを口をきわめて褒め称えて、かうした血沸き肉躍る狂熱的な音楽ダンスこそが、オペラ本来の醍醐味であるというお前さんの正論とてんで矛盾しておるではないか。

そういう非オペラ的な指揮者が奏でる非オペラ的な演奏にふさわしく、マチアスなんとかという人の演出も、スペインの抜けるような青空の下、わが家の愛犬ムクが兵士どもに頭を撫でられて舞台の端でシッポを振ったり!するという奇妙なものであり、カルメン役のヴェッセリーナ・ペルトゥージもフェッム・ファタールとしての妖艶さと磁力に決定的に欠け、ドンホセも、エスカミリヨも、ちょうどそれに匹敵する程度の歌うたいであり、考えてみれば、そもそもここチュウリヒ歌劇場は、かのカルロス・クラーバーが在籍した時代から、楽員の指揮と技術が落ち込んでどうしようもない3流オペラハウスであったのであり、しょせんはこの程度のカルメンしか俺たちに提供できないザマなのさ。

♪3流のオペラハウスのカルメンを涙を流して聴いているビゼー 茫洋

Monday, March 15, 2010

「ドイツグラモフォン社創立111周年記念55CDセレクション」を聴いて

♪音楽千夜一夜第117回


1898年の設立から2009年に至る111年間にこのクラッシックの名門レーベルが世に送り出した55枚のレコード&CDを集めた記念碑的なコレコションです。

アルファベット順にざっとご紹介しますと、まずはアバドの隠れたブラームスの名盤である「21のハンガリア舞曲集」から始まって、私のアバター名とも相通じるかのアマデウス弦楽四重奏団による「ベートーヴェンの作品59、131」。昔懐かしアルゲリッチの「ショパンの前奏曲集」、ミケランジェリの「ドビュッシー前奏曲集&映像」、私の嫌いなホセ・カレーラスをバーンスタインが徹底的に苛め抜いた「ウエストサイドストーリー」。

お次はブーレーズの「春祭&ペトリューシカ」の再録、御大ベーム翁の泣く子も黙る「モツレク」、アホバカドゥダメルの「マラ5」、ディスカウの「冬の旅」、フルニエのバッハの無伴奏、フリッチャイのヴェルディの「レクイエム」、フルベンの「シューマン&ハイドン」、ハーンの「バッハ協奏曲集」、ホロビッツの「モスクワ・ライヴ」、ギレリスのベートーヴェン、ヨッフムの「カルミナ・ブラーナ」、カラヤンのベト9、ケンプのベト協4,5番、クライバーのベト5,7番と続きます。

それからマルケヴィッチの幻想交響曲、マゼールのメンデルスゾーン、ミンコフスキーのラモー、ムターのブラームス、てんでつまらんランランのメンチャイ、ネトレプコ、ターフェル、ヴンダーリッヒ、クヴァストホフ、ヴィラゾンのアリア集、オイストラフのチャイコン、ポリーニのショパン、リヒターのロ短調ミサ曲、ロストロのドヴォコン、リヒテルのラフコン、ヴァルヒャのバッハ等々、これでもかこれでもかのてんこもりでたったの1枚208円でした!

んで55枚中のベストワンはというと、これが我ながら意外なことにイゴール・マルケヴィッチがコンセール・ラムルー管と入れたベルリオーズの「幻想」。定評あるミュンシュ、クリュイタンスのパリ管あるいはフランス国立放送管とのライブを2割は軽くしのぎます。あの陰険なカラヤンが生涯にわたってマルケヴィッチを日陰に追いやった理由がよくわかる恐るべき名演でした。

次点は初めて耳にしたヴィラゾンのアリア集、3位はわが偏愛の指揮者フリッチャイが振った一世一代の名演、ヴェルディの「レクイエム」でした。


♪百聞は一聴に如かずロバの耳に響く王様の音楽 茫洋

Sunday, March 14, 2010

鶴岡八幡宮の大銀杏見物

茫洋物見遊山記第19回&鎌倉ちょっと不思議な物語第211回

遅まきながら先日の強風で倒れてしまった鎌倉八幡宮の大銀杏を見物に行ってきました。じつは鎌倉には、鎌倉時代の遺物としては大仏様とこの大銀杏くらいしか残されていませんから、今回の事件は、神社のみならず市民と世界遺産登録をめざす鎌倉市としても大きな損失だったのです。

現場は私のような物見高い見物客で大混雑。くだんの大木はすでに根元から切断されてその大部分が左側の空き地に積み重ねてありました。そしてかつて義経の妾静御前が頼朝夫妻の前で踊った舞殿では、若い新郎新婦の結婚式が何事もなかったかのように執り行われていました。

私は八幡様の階段のわきにある大銀杏を見るたびに、短刀を握りしめて木陰に隠れていた実朝の甥公暁の姿を想像したものです。しかし今日はいつも見慣れた30メートルに達する巨樹が、普段はあったその場所にありません。あるべきものがない。私たちの心にぽっかり空いた空虚さながらに……。この大いなる欠如が、逆にこの大銀杏のかつては偉大だった存在というものを、晴れ上がった青空に浮き彫りにしているようでした。

報道によれば、もういちどこの樹を立ち上げるために新芽をはやす養生を行うとか。もしその作業がうまくいったとしても、樹齢1千年を超すといわれる現在の大きさまでに成長するには何世代も要するわけですし、今日この大銀杏を取り囲んでいる群衆も私自身もとっくの昔に死に絶えているはずなのですが、それでも平気で偉大な神木の遺伝子を後世に残そうと考えるその心根の不思議さ。

思うに古代から受け継いだ私たちの心の奥底には依然として巨樹には神が宿るという原始的な信仰のような意識と心性が残存していて、それが縄文杉や屋久杉の前で自然に頭を垂れるという無意識の身体行動に出るのでしょう。今回も東京農大の植物の専門家がどうと倒れたこの大銀杏の前でしばし両手を合わせて祈っている姿がテレビで映し出されましたが、最先端の科学と前近代的な信仰との思いがけない出会は自然のようでもありながら、多少の違和感を伴って私の印象に残りました。


♪青空から忽然と消えし大銀杏甦れわれら一人一人の胸の裡に 茫洋

Saturday, March 13, 2010

佐々木秀一著「ロミー」を読んで

照る日曇る日第333回


1938年にナチ占領下のウイーンに生まれ、1982年に43歳でパリ7区バルベ・ド・ジュイ通り11番地のアパルトマンで死んだ女優ロミー・シュナイダーの本格的な伝記です。

ロミーと聞いて誰もが思い出すのは、アラン・ドロンと共演したジャック・ドレー監督の「太陽が知っている」、ジョセフ・ロージー監督の「暗殺者のメロディ」、オーソン・ウエルズ監督との「審判」、クロード・ソーテ監督との「すぎ去りし日の…」「夕なぎ」、ルキノ・ヴィスコンティ監督との「ルートヴィッヒ」、ジャック・ルーフィオ監督との「サン・スーシーの女」辺りでしょうか。

特にヴィスコンティ監督の「ルートヴィッヒ」でオーストリア皇后エリザーベトに扮したロミーが、白馬に跨って乗馬服で登場するシーンは、思わず息を呑む泰西名画のような超絶的な美しさ。ワーグナーの音楽とあいまって、これぞヴィスコンティ美学の真髄、といたく感じ入ったものでした。

1961年、ヴィスコンティは当時相思相愛の仲であったロミーとアラン・ドロンを英国の戯曲家ジョン・フォード原作による舞台「あわれ彼女は娼婦」に出演させますが、この成功が、若き2人の華々しいキャリアの出発点になったようです。

もうひとつ私たちがロミーで思い出すのは、その早すぎた晩年の悲劇です。1981年7月5日の日曜日の昼下がり、ロミー最愛の息子ダヴィッドは当時の義父の両親の家に入ろうとしましたが、屋敷の正面の門は鍵がかかっていたために、囲い塀をよじ登って内庭に降りようとしたところ、薔薇の茂みに足をとられてバランスを失い、その下で待ち構えていた鉄格子の先端の槍の穂先に腹部を貫かれ、懸命の治療も虚しくその日の夕方、14歳7カ月のはかない生涯を閉じてしまいます。

この悲惨な出来事がそれでなくともエキセントリックなロミーの心身を痛々しくも直撃し、睡眠薬を乱用するようになった悲劇の女優は、それでもなお渾身の力をふり絞って遺作「サン・スーシーの女」を完成させたあと、まるで精根尽きたように、その翌年心不全で亡くなります。

小柄でフォトジェニックなロミー・シュナイダーは、わが国で一昔前に活躍した鈴木保奈美という女優にちょっと似たところがありました。2人とも、普段は道行く人が誰ひとりその存在に気付かないほど地味な女性なのに、熟練のヘアメイクの手にかかるとたちまち異様な美しさで銀幕に光り輝いたものでした。

♪普通の女性が光り輝く美女となるげに化粧とは恐ろしき道具よ 茫洋

Friday, March 12, 2010

胸を打つソプラノとピアノの調べ 吉田秀和著「永遠の故郷 真昼」を読んで

照る日曇る日第332回&♪音楽千夜一夜第116回


おそらく遺作のつもりで雑誌「すばる」で連載されている(であろう)吉田氏の最新作「永遠の故郷」の第3作です。

「夜」から始まり、「薄明」に続くこの「真昼」編は、死の亡き父君に献呈され、主としてマーラーの歌曲について述べられていますが、冒頭におかれた「愛の喜び」と題されたある女性の思い出が深く心に残ります。

これは、戦後間もなく音楽の原稿を書きはじめた吉田氏を担当していた、ある女性誌の編集者と氏の、音楽を通じた余りにも短すぎた心と心のまじわりを、淡々とつづった掌編です。

声楽家志望だった彼女は、父も兄も戦争で失い、音楽学校も断念せざるを得なかったのですが、彼女は歌うことが大好きで、吉田氏のピアノの伴奏でヨーハン・マルティーニの『愛の喜び』を「明るく澄んだきれいな声で」よく歌ったそうです。

愛の喜びは束の間のもの
愛の悲しみは一生終わらない
私は不実なシルヴィアのためすべてを捨てた
彼女は私を捨て、別の恋人を選ぶ
愛の喜びは束の間のもの
愛の悲しみは一生終わらない(吉田秀和訳)

そして吉田氏はこの18世紀のドイツ生まれのオルガニスト兼作曲家の「都雅な趣と優しい華やかな」、「革命前夜のロココ趣味の咲かせた小さな残んの花とでも呼んでみたい」代表作を、手書きの楽譜に則して小節ごとに解説を加えた後で、このささやかな2人だけの楽興の時の終わりについて触れています。

飛び込みの仕事で忙殺されていた吉田氏が、久しぶりに銀座のはずれにあった彼女の出版社を訪ねてみると、夏の終わりに風邪をひいた彼女は、それがこじれて肺炎になり、入院したけれど「先週亡くなりました」と告げられます。

人はあっけなく死ぬけれど、歌の思い出は、ずいぶん遠くの世界まで私たちを導いてくれるものです。この短いエッセイを読んでいると、若くして死んだ女性の美しいソプラノとピアノの調べが、春浅い私の書斎に聞こえてくるような気がするのが不思議です。


♪人は死に 詩と音楽が 永遠に残る 茫洋

Thursday, March 11, 2010

三枝昂之著「啄木 ふるさとの空遠みかも」を読んで

照る日曇る日第331回

明治41年4月25日、思い出多き函館の街に別れを告げてからちょうど1450日目の明治45年4月13日、天才歌人石川啄木は、折しも八重桜が満開の東京小石川区久堅町の借家の貸間で、父と妻と友人若山牧水に見守られながら、あたら26歳の命を儚く散らして果てました。

その前月に死んだ母カツも、6月に生まれた次女房江も、妻節子も、長女京子も、みな結核で死んでいます。与謝野鉄幹晶子の「明星」への接近も、「自然主義」の取り込みも、偉大な小説家への夢の挫折も、大逆事件の衝撃を受けた社会主義思想の影響も、「一握の砂」の出版と名声も、突然の発病と無念の死も、すべてがたった1450日という短い時間と空間のなかでの生成だったことをおもうと、せめてあと10年の余命あらば、とその悔しさも一入です。

それはともかく、日本短歌史上に大きな足跡を遺した石川啄木の、余りにも短すぎた生涯とその芸術活動の軌跡を丁寧に追った本書は、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買い来て/妻としたしむ」くらいしか諳んじられない私にとって格好の解説書でした。

著者によればわが国の和歌革新運動の第1期は、佐佐木信綱、正岡子規、与謝野鉄幹晶子夫妻によって明治30年代に「自我の詩」をキーワードとして担われ、続く40年代の第2期において、第1期の代表選手である与謝野晶子の「熱情」を「平熱」に冷却して、新たな「生活の詩」を生みだしたのが石川啄木だというわけです。

啄木は「歌のいろいろ」で「忙しい生活の間に心に浮かんでは消えてゆく刹那刹那の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌というものは滅びない」と語っているそうですが、著者が要約する通り、「二度と帰ってこない命の1秒の、その刹那刹那を愛惜する心を、実人生となんらの間隔がない心持で歌うこと」こそ、この天才歌人の短歌観だったのでしょう。

さらに啄木は単なる生活派短歌の草分けであるだけでなく、昭和に入って渡辺順三が主導したプロレタリア短歌運動や前川佐美雄を代表者とするモダニズム短歌の源流でもあると著者は説き、その余波は、綿矢りさ、金原ひとみの小説の描写にまでも及んでいると説くのですが、

はたらけど/はたらけど/猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る
こみ合える電車の隅に/ちぢこまる/ゆふべゆふべの我のいとしさ
「石川はふびんな奴だ。」/ときにかう自分で言いて/かなしみてみる。
空家に入り/煙草にみたることありき/あわれただ一人居たきばかりに
あたらしき心求めて/名も知らぬ/街など今日もさまよいて来ぬ

などの作品をほとほとと朗読してみると、確かにそういう形跡があるような気配もしてくるのでした。

 啄木の遺言により土岐哀果の手で出版された歌集「悲しき玩具」は、啄木の言葉「歌は私の悲しい玩具である」から採られたそうですが、自在に創造することができた和歌を「へなぶり」と見下していた啄木の心根がかえって悲しみを誘います。
ちなみに「悲しき玩具」の巻頭におかれた啄木の生涯最後の歌は、次のようでした。

眼とづれど、/心にうかぶ何もなし。/さびしくも、また、眼をあけるかな。


♪もう二度と帰ることなきいまのいまをわが生の証とて歌にとどめむ 茫洋

Wednesday, March 10, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第38回

bowyow megalomania theater vol.1

「カレーおいしいですか」

「おいしいです……。えーと、えーと、岳君桜木町のドリームランド行きたい」

「え、ドリームランドって桜木町のどこにあるの?」

「えーと、えーとね、桜木町にある」

「駅のそばですか?」

「駅のそばです」

「ドリームランドでなにするの?」

「乗り物に乗りたいお」

「どんな乗り物?」

「わかりません」

「じゃあ今度お父さんとドリームランド行こうね」

「はい。今度お父さんとドリームランド行きます」

「どうやって行く?」

「えーと新型の京浜東北線に乗る」

「どこから?」

「大船から」

「いつ行くの?」

「今度です」

「誰と行く?」

「お母さんとお父さんと行く……。もうお話終わりです」


♪なのでなのでを連発すれどなのでの前がてんで分からん 茫洋

Tuesday, March 09, 2010

ハイティンク指揮ベルリン・フィルで「マーラー第3番」を視聴する

♪音楽千夜一夜第115回


マーラーのニ短調交響曲は、全部で6つの楽章で構成されています。はじめの3つの楽章は、じゅげむじゅげむちんぷんかんぷん、一体何が言いたかったのかマーラー自身もよく分からなかったと思いますが、アルトが深々と「おお人間よ、気をつけよ!」と神秘的な第一声を発するやいなや、複雑怪奇な楽想はがぜん精気を取り戻し、続く子供たちの天使の歌や女声合唱が、彼岸へのあこがれを高らかに歌い上げるのです。

そうしてこの興奮が一段落してから、現世を生きる事の喜びと悲しみがニ長調4/4拍子で奏される終曲で切々と歌われるのですが、ここにこそ彼の本領が発揮されるのです。

最初の3章こそいささか平板な演奏にとどまったとはいうものの、ベルナルド・ハイティンクは海千山千のベルリンフィルを率いて、この屈指の難曲を見事に演奏してのけます。長らくベイヌムの薫陶を受けて老成したこのオランダ人は、かつてギュンター・ヴァントの晩年がそうであったように、ただ書かれた楽譜を忠実に辿るだけで、作曲者の夢見た世界をありのままに私たちに手渡してくれる融通無碍の境地に到達したようです。

フローレンス・クイヴァーのアルト独唱、テルツ少年合唱団、エルンストゼンフ女声合唱団のアシストを得たベルリンフィルが、1990年12月にベルリンのフィルハーミニーで演奏した映像を、いまはなきフィリップスレコードがライブ収録したものです。


わが息子指差し「あんな児には近づかないのよ」と教える母親 茫洋

Monday, March 08, 2010

ジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.26

名匠ジョン・フォードが監督したこの映画の原題は「How Green Was My Valley」です。
直訳すれば「私の谷はなんと緑色だったことよ!」という意味なのでしょうが、これを
「わが谷は緑なりき」とさらりと文語体で言い表したところが見事です。「ここに泉あり」と並ぶ名ネーミングではないでしょうか。

 しかし、かつては豊かな自然に恵まれていたという英国ウエールズ地方の美しい谷間は、ほとんど顔を出しません。その谷底に生きるモーガン一家をはじめとする労働者たち、そして彼らに生活の糧を与え、彼らの暮らしを支えるとともに時として彼らの命を奪う谷底の下の炭坑そのもの、最後に全編を彩るウエールズの民衆の合唱が、この映画の主人公なのです。

 そこで描かれるのは育ちゆく多感な少年の内面、男と女の宿命の恋と悲劇、貧しい家族同士や近隣、友人たちの間の友愛の絆とその断裂、労働者同志の連帯と対立、家族炭坑主と労働者たちとの階級的対決、正義感やプライドを持ちながらも信仰心薄く品性下劣な民衆の複雑怪奇な心根ですが、ウエールズではないもののアイルランド出身のジョン・フォード監督は、あたかもそこが自分の故郷であるかのように、この谷間に生きる人々の清濁を併せ呑むように、すべての喜怒哀楽に対していつくしみを懐きながら、美しい白黒の映像を繰り出します。

 主演は少年ヒューを演じたロディ・マクドウオール、少年の姉でヒロインを演じたモーリン・オハラ、その恋人役の牧師を演じたウオルター・ピジョンなどですが、ウキペデアによれば、当時あんなにかわいらしかったロディ・マクドウオールは、後年「猿の惑星」でコーネリアス博士を演じたというので驚きました。そして清純な美貌を誇ったモーリン・オハラは当年とって90歳でまだ存命だというのですから、これまたびっくりです。

 さらにウキペデアには、長男のイヴォールの妻であるブローウィン役のアンナ・リーが撮影当時妊娠していたのにフォードはそのことを知らずに、彼女を階段から転げ落ちるシーンを撮影したために流産させ、生涯このことを悔やんだと書かれているのですが、私が見たNHKの映像にはこのくだりは登場しませんでした。
思うに例によって2時間を超える長尺物をつくってしまったフォードのオリジナルを、20世紀フォックスの帝王と称されたこの映画のプロデューサー、ダリル・F・ザナックが自分でずたずたにカットしたに違いありません。


♪梅の花花との間に萼ありて 茫洋

Sunday, March 07, 2010

ビリー・ワイルダーの「アパートの鍵貸します」を見ながら

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.25

まず原題は確か「アパートメント」というのですが、これを「アパートの鍵貸します」とした宣伝マンは偉い。こっちのほうが事の本質をとらえています。
それから誰もがいうように、名優ジャック・レモンとシャリー・マクレーンの持ち味をフルに生かしきった名匠ビリー・ワールダーの演出の冴えは見事です。

私が勝手に思うのには、演出は指揮と同じで、思い切って速くするかうんとテンポを遅くすると効果的です。中途半端がいちばんつまらない。
例えばワイルダーやジョンフォードやトリュフォーは、トスカニーニに似て物語をキビキビ進行させ、観客に生理的な快感を与えます。小津はその正反対で、私の大好きなチエリビダッケのように些細なデテールの描写に時間をたっぷりかけるのですが、そこから普段は見えない世界が見えてくる。いわば映像と音響のミクロの決死圏ですね。

さて、この映画の冒頭は主人公が勤務する生命保険会社で、巨大なオフィス空間に大勢の社員たちが整然と並んでいます。それはアメリカ資本主義特有のテーラーシステムが猛威をふるう非人間的な管理体制を象徴しているようですが、物語はそういうカフカの「審判」的状況を踏まえながらも、この会社資本主義のアホらしさを漫画批評的に描き出すことによって笑い飛ばし、最後は等身大の愛のある生活を取り戻した恋人たちにフォーカスを当てて、ワイルダー一流の「泣き笑い人生の応援歌」をララバイしながら閉幕するのです。

酒も涙も温かい……アメリカの古く良き理想主義なるものが、まだマンハッタンのそこここに確かに存在していた時代の懐かしい置き土産といってもよい映画ではないでしょうか。


♪古き良きアメリカの黄金時代二度と帰らず 茫洋

Saturday, March 06, 2010

「網野善彦著作集別巻」を読んで

照る日曇る日第330回

マルクスは「ドイツイデオロギー」の中で、「古代が都市から出発したのに対して、中世は農村から出発した」と述べましたが、網野善彦氏の駆け足の精力的な生涯は、この有名なテーゼをあくなき文献調査と実証的研究の積み重ねを通じて、よしんば西欧の中世がそうであったとしても「我が国の中世はむしろ都市と都市的なものから出発した」と完全に逆転させるために蕩尽されたと言えるのかもしれません。

戦後間もなく日本共産党の過激な政治闘争に加担するなかで氏が1951年に書いた最初の学術論文「若狭における封建革命」と「封建制度とはなにか」(本巻に収録)では、当時のマルクス主義の公式を絶対化し、歴史の中で浮き沈みする民衆の個別具体的な存在と生活を完全に捨象する傾向が端的にあらわれていました。

こうした若書きを徹底的に自己批判し、あらゆる空虚なイデオリギーと決別して輻輳する現実のただなかに沈潜した氏は、中世荘園や荘園公領制の構造、職能民の生業と流通、列島の都市や海川山野に生きる百姓(ひゃくせい)のライフスタイルの実像を摘出する作業を通じて、列島の政治経済社会が14世紀終盤の中世前期で根本的に転換し、その構造的転換がつよく現在に及んでいることをあきらかにしながら、2004年2月に肺がんによってその試行の大成の道を余儀なく絶たれるまで、偉大な歴史学者としての本領を遺憾なく発揮し続けました。

ほとんど徒手空拳の試行錯誤を断行するなかから、氏はマルクスを疑い、石母田正、松本新八郎を疑い、「農民」を疑い、「封建制」を疑い、やがて「日本」そのものを疑い、「戦後」を疑い、「天皇」を疑うことになったのです。
学界のすべての既成の権威と秩序を疑い、世の常識のすべてを疑い尽くした人が不毛の荒野の上に構築した巨大な城塞を仰ぎ見ながら、あとに続く私たちがなすべきことは、この強固な城と構築者そのものをも徹底的に疑うことによって大胆に乗り越えていくことではないでしょうか。

♪己も世界も疑え疑えすべてを疑え 茫洋

Friday, March 05, 2010

東博で「長谷川等伯展」を見る

茫洋物見遊山記第18回

没後400年を記念して東京国立博物館で開催中の「長谷川等伯特別展」を見ました。
彼の代表作として有名な6曲1双の「松林図屏風」はこの博物館の所蔵品なのでこれまでも何回か見物してきたのですが、まずは再晩年の傑作から鑑賞しておこうと第7室に足を運びました。

これはやはり東洋西洋すべての絵画の中でも極め付きの名品です。
等伯がこの屏風に描こうとしたのは、もはや現実の松林ではなく、その松林の彼方にある彼の心象風景です。この松や霧や風が象徴するものは、法華経の教えを胸に秘め、信長、秀吉、家康という戦国時代の領袖の御機嫌をとり結びながら必死で生きた天才絵師の、権力と抗い、己の理想を求め、激しく律動する心の軌跡そのものなのです。

私たちがここで見出したものは、墨の濃淡の限りもないバリエーションの裏側に潜んでいる人間存在の強烈な光と影、地上の欲望から脱して善悪の彼岸に遊びたいと願う孤独な魂の彷徨、そして絵筆1本でこの世にあらざる究極の美を目指そうとした絵師の、もはやなにものにもとらわれない自由奔放な藝術的理想の境地、すなわち安土桃山時代が生み出した孤高のパンクの精神なのです。

能登の絵仏師として若くして頭角をあらわした長谷川信春の武器は、その写実的な造形力と華麗な色彩力でした。会場の最初に陳列されている「十二天像」はその最良の証です。
やがて京に出て等伯と名乗った田舎絵師は、法華経ゆかりの羅漢像や達磨像、中国伝来の山水画の技法を身につけ、あの有名な大徳寺山門の壁画や千利休像など幾多の佳作を製作し続けます。

次第に実力と名声を兼ね備えてきた等伯が飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野派と対抗して取り組んだのは、桃山時代を代表する豪華絢爛な金碧画でした。会場狭しと並べられている京都智積院所蔵の「楓図壁貼付」や「松に秋草図屏風」には、等伯の破綻を恐れない大胆な構図と奔放な色彩が全面展開されており、彼のシュトルムウントドランクな自立精神と鬼神も恐れないアバンギャルドな実験精神は、わが国の絵画史始まって以来の破格のものであったことがよく理解されます。

「柳橋水車図屏風」のポップや「萩芒図屏風」の象徴主義、「波濤図」のアールデコなど同時代の西洋絵画にはるか先駆ける斬新さと迫力は、守旧派の狩野派にはけっして見られないていのもので、これら作品を眺めていると、彼らがなぜあれほど執拗に等伯派を敵視したのかという理由も、おのずと得心できるというものです。

一代の英雄秀吉が死んで治国平天下を目指す家康の時代に入ると、等伯の関心は水墨画に向かいますが、「瀟湘八景図屏風」や「竹林七賢図屏風」などの気宇壮大な構図と植物や岩山のまるで動きだそうとするような生き生きした表現は、私があまり評価しない雪舟の山水画とは正反対の光彩陸離の素晴らしさです。
また「山水図襖」の怪奇幻想、「竹林猿猴図屏風」や「竹虎図屏風」における動物の愛すべきユーモラスな表情も逸することができないでしょう。

このように時代とともに微妙に変化した彼の作風でしたが、彼が多年にわたって培ってきた多種多様なジャンルにおける色・柄・デザインの技法が集大成され、6曲1双の小さな世界に炸裂したものが、冒頭で触れた「松林図屏風」の巨大な精神世界でした。

次第に混雑してきた会場を去る前に最後の一瞥をくれた私の脳裏に浮かんだのは、現世をすみやかに解脱し、宇宙における栄枯不滅の生命の透明な輝きを願う、かの桃山のパンクアーチストの見果てぬ夢でした。
 

   ♪今日も元気だ桃山パンク黒墨捲れば紅蓮の炎 茫洋

Thursday, March 04, 2010

塚原琢哉写真展「シレジア」を見て

茫洋物見遊山記第17回

シレジアというのはポーランドの地名です。かつてこの地方には、19世紀の終わりから20世紀の終わりごろまで、欧州の重化学工業を支える巨大な炭坑がありました。しかしシレジアは、現在ではわが国の三井三池と同様、生産施設も工場も住宅も誰ひとり訪れることもない見捨てられた廃墟となっています。

塚原琢哉がレンズを向けたのはその第1次産業と労働運動のかつての栄光の拠点でした。しかし黄昏の光にセピア色に照らし出された作業塔やコンベアや事務所や集会場や職員住宅には過去へのノスタルジーは感じられません。不在の労働者たちへの懐旧や悲嘆の情も皆無です。それらはいまはやりの建築遺産などでは断じてなく、時空を超えた物質それ自体なのです。かつて己をつくった人間からは遠く離れて、ただ一個の物として屹立している物たちを眺めていると、「物の生命は人間よりも長い」という不滅の真理を、ここでもまた思い出さないわけにはいかないのでした。

なお本展は今月いっぱい東京工芸大学写大ギャラリーで開かれていて、来る3月6日にはフォトグラファー自身によるギャラリートークもあるようです。


 ♪人よりも物の命は長ければ物に過ぎぬと驕るなかれ人 茫洋

Wednesday, March 03, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第37回

bowyow megalomania theater vol.1


「岳君、南武線に乗ったことある?」

「ないお。ありません」

「南武線に乗りたい?」

「乗りたいです」

「岳君、京浜東北線乗った?」

「乗りました」

「新型ですか旧型ですか」

「旧型です」

「新型は乗った?」

「乗れなかったお」

「新型に乗りたいですか?」

「乗りたいです」

「新型に乗ってどこへ行きたいですか?」

「えーと、えーと、桜木町行きたい」

「桜木町のどこですか?」

「健康福祉センター」

「そこでなにしたいの?」

「えーと、えーと、お昼ごはん食べたい」

「どんなご飯ですか?」

「カレーですよ」


♪欠陥車作りし咎を身に負いて謝り続けるトヨタ社長 茫洋

Monday, March 01, 2010

「新版クラシックCDの名盤演奏家篇」を読んで

照る日曇る日第329回&♪音楽千夜一夜第114回

音楽評論家の宇野功芳、中野雄、福島章恭の3氏によるクラシックCD批評です。私の好き嫌いや評価とは異なる部分もありますが、小沢征爾の音楽の程度がいかに低いか、アイザック・スターンを中核とするユダヤ・マフィアがチョン・キョンファなどの異端分子をいかに過酷に弾圧したか等々、あっと驚く音楽談義が満載です。

さて本邦に音楽評論家多しといえども、吉田秀和氏と宇野功芳氏ほど我が国のクラシックファンに決定的な影響を与え、今なお与え続けている人物はいないでしょう。
前者は当時無名だったグレン・グールドを世に送り出し、晩年のホロビッツの演奏を「壊れた骨董品」と評したことで、後者は偉大な指揮者朝比奈隆の令名を一躍高めたことによって、凡百のヒョーロン家どもがロバの耳の持ち主であることをあざやかに証明してみせました。朝比奈氏本人がつねづね「自分の今日あるは宇野氏のお陰です」と語っていたことがなによりの証拠です。

しかしそれだけではありません。クナパーツブッシュやシューリヒト、ムラビンスキーの指揮の素晴らしさを声を大にして唱え続け、ついにその「洛陽の音価」を高からしめたことも宇野氏ならではの大きな功績でしょう。既成の権威や固定観念に左右されず、ただ自分の耳だけを信じて演奏の良し悪しを断固として下す氏には幾百万の敵がいるのでしょうが、熱狂的な信者やファンもまた多いようです。

その宇野氏が、本書で耳寄りな話を書いています。なんでも私の大嫌いな元N響音楽監督のシャルル・デュトワはめっぽう女性にもてる色男で、(かつてはアルゲリッチと結婚していたことは私も知っていましたが)、韓国の天才的ヴァイオリニストのチョン・キョンファ、そして最近ではわが国の諏訪内晶子と付き合って子をなしたために、それがもとで夫からのDVに遭ったというのです。あくまでも噂話だと断ってはありますが、もし本当ならそれが彼女の長期にわたる低迷の理由ではないでしょうか。

ケンウッドの代表取締役を務めてから音楽プロデューサーとして世界を駆け回っている中野氏のお好みが、かつてロイヤル・コンセルトヘボウで長くコンマスを務めたヘルマン・クレバースとは我が意を得たりの思いでした。このクレバースとウイーンフィルのヘッツエルこそ、わが偏愛してやまないヴァイオリニストでしたから。
また中野氏がハーゲンやエマーソン、アルバンベルクSQなどを評価せず、歴史に残るカルテットは、ブッシュ、バリリ、ウイーン・コンツエルトハウス、アマデウスSQと断言しているのもさすがです。

最後に、宇野、中野両氏にくらべて30歳程も若い福島氏が、「CDの寿命はおよそ30年だ!」と断言しているのには驚きました。実際つい先日私が昔買ったグラモフォンのホロビッツの盤面が陥没崩壊しているのを目のあたりにして衝撃を受けたばかりだからです。3度の食事を2度にしてせっせと買い集めた数万枚の私のコレクションの運命やいかに?

♪美しきヴァイオリニストをたぶらかす希代の色事師とく本業に戻れ 茫洋

Sunday, February 28, 2010

日伊2組の「ドン・カルロ」を視聴して

♪音楽千夜一夜第113回

こなた我が国の新国立劇場、かたやイタリアのミラノ・スカラ座で行われたヴェルディの中期を代表する傑作オペラ「ドン・カルロ」公演をビデオで見ました。

前者は06年9月16日にミゲル・ゴメス・マルティネス指揮の東フィル、後者は08年12月7日にダニエレ・ガティが指揮したスカラ座管のいずれもライブの演奏ですが、結果的にはそれこそ雲泥の差がつきます。
序奏のホルンの数小節を耳にしただけで勝負あり。日本で一二を争うオペラ巧者の東フィルが、3時間半にわたっていくら懸命に弾いても、ヴェルディの荒々しい血のざわめきと孤独な魂の悲嘆の調べはこれっぽっちも伝わってきません。ドラマも悲劇もイタリアの光と影も感じられない、まるで由良川の蒸留水のような音楽には閉口しました。

熱血漢ガティが統率するスカラ座のアレグロ・コンブリオはここぞという箇所ではフォルテが凄まじく、対照的に第3幕のフィリッポ2世のアリアの劇伴には深い叙情が込められ、緩急自在な歌い方が見事であう。これでは日本勢は到底太刀打ちできません。

歌手陣はというと国王フィリッポ2世は新国立がヴィターリ・コワリョフ、スカラ座はフェルッチョ・フルラネットの対決ですが、当今老練の超ベテラン、フルラネットをしのぐバスを探すのは難しいでしょう。題名役は日本勢がペーテル・ドボルスキー、イタリア勢がスチュアート・ニールですが、後者はちと太りすぎ。エリザベッタ役は新国立の大村博美が長身の清楚な醤油顔で健闘していますが、所詮情熱的な歌唱力においてフィオレンツイア・チエドリンスの敵ではありません。イタリア勢のロドリーゴ役ダリボール・イエニスも素晴らしい存在感を示していました。

演出は双方とも流行のシンプルなスタイルですが、イタリアのステファヌ・ブロンシュウエブがオーソドクスであるのに対して、新国立のマルコ・アルトーロ・コレッリが壁面の移動による頻繁なカット割りを行っていたのが記憶に残りましたが、まずは5分5分というところか。いずれも照明を効果的に使っていました。

 かくて指揮と音楽、主役歌手の歌唱力においてスカラ座チームに大差をつけられてた新国立でしたが、とどめは合唱団の演技とアンサンブル。歌が下手くそなのは仕方がないにしても、洋服を着せられたその洋式チンドン屋のような姿が、依然として浅草オペラさながらであるのは困ったものです。これでは当分本物のヴェルディは初台では無理。やっぱりミラノへ飛ばないと駄目なのでしょうか。


♪よく咲いたねえ頑張ったねえと妻に褒めてもらっているシンビジウム 茫洋

Saturday, February 27, 2010

茫洋西暦2010年如月茫洋花鳥風月歌日誌

ある晴れた日に 第71回


90爺マーチを駆って高速逆走

犬よりも猫に好かれる男かな

横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経

横須賀やヤンキーも詣でる地蔵尊

ボロボロと歯が欠けてゆく2月かな

死んでしまえばすべて終わりだよ山本耀司
 
物言えば唇寒し民社党

がっつりと見つめ合いたり鷹と我

風穴に光入れたり縄文人

乳さらし光歩むや縄文の女

閉じた眼に何を思うや縄文の人

ミミズクの森に棲みしや縄文の民

深々と青空呑みおり縄文人

光避け思いに沈むや縄文哲学者

かにかくに生きてありしか縄文の民

一塊の土にひそみし命かな

眼口耳われらと違わぬかたちかな
あっけらかんと笑うていたり縄文の人

1万の時を隔てて笑いおる日本列島先住民

電池寿命測定器の寿命も電池が支えているんだ

冠詞がない日本語には骨思想がない

胸を張り空を仰ぎて立ちいたり乳房も陰部もさらけ出しつつ

曇天にヘリ低く飛びし朝年少の友独り逝きけり

我よりも若き人死ぬる日は身を清浄にして静かに慎む 

我よりも若き人死ぬる日よわが過ぎ越しの無様を恥ずる

就活のバカヤローが生み出している恐るべき国家的損失

げに歌舞伎こそわが国が世界に誇る最高の芸術

亡き義父の形見のラルフのスーツ着て出席したり卒業発表会

またしても買うてしもうたりグルダの平均律第2巻

ポネル死せりされどゼフィレッリ残れりわが懐かしきオペラ演出家

3位になっても4位になっても彼女の人生は続いていく

生きておればさらなる高みに登れたが足元の岩ぐらり崩れて 

おくつきにどなたがおわすかしらねどもそのうやうやしきにこうべはたるる

理想を求め孤然と歩み続けたり良沢良順凌雲昭

堕ちよ堕ちよ地獄の果てまで倫理なき小沢民主党

声はせず姿も見せぬ地底人ほんにお前ら屁以下だぜ

倫理なく自由も奪われ仕事せず哀れ沈みゆく小沢民主党

能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民

パレスチナの民族衣装を踏みにじるイスラエルの民の驕り昂ぶり

これぞ冥途の土産死に損ないアバドが死の音楽を歓喜の歌にすり替えたり

自分探しに疲れたら癒しを求めて優しい地球に元気をもらう卑しい人たち
 
真逆なので粛々仕分けなにげに弾け回収されるタメ口読み解くこれで良かったでしょうか老人語
 
冬の朝野の鳥も人も歌うべしこの世にあることの喜びと苦しみ



♪この冬もおたまを護らんわれ一人 茫洋

Friday, February 26, 2010

嫌な感じ

バガテルop123


五輪には五輪書ほどの興味もないのですが、TVKと教育テレビ以外のどこのチャンネルも朝から晩まで狂った様にパン食ったとか晩食う婆とか絶叫しているのでほとほと嫌気がさして、本を読んだり音楽を聞いたり歯医者さんに通ったりしています。

新宿で地下鉄に乗ろうとしたら、目の前の広告ボードで篤姫が出るメトロの動画CMを上映していてうるさいのなんの。以前は紙製のポスターだったから嫌なら目を瞑れば良かったが、そいつが動画になって大音量で絶叫するのをリーマンたちが口を開いて驚いたように眺めている。これを狂気の沙汰といわずになんと呼べばいいのでしょうか。

帝都から省線で鎌倉駅に帰ってくると、構内では鳥の鳴き声の「録音」を大ボリュームで放送しています。これをやめれば線路の上で遊んでいるドバトの「ホウホウ」という囁きを聞くことができるというのに……。
JR東日本は、鳥の鳴き声を模倣すれば天国的な音楽が出来上がるというメシアンの白痴的アイデアを参考にしたのでしょうが、じつに嫌な世の中になったものです。


私が嫌いな日本語も増殖中です。

真逆
弾ける
なので
良かったでしょうか
タメ口
なにげに
粛々と
読み解く
仕分け
回収される
老人語
自分探し
地球に優しく
癒し
元気をもらう


♪真逆なので粛々仕分けなにげに弾け回収されるタメ口読み解くこれで良かったでしょうか老人語 茫洋

♪自分探しに疲れたら癒しを求めて優しい地球に元気をもらう卑しい人たち 茫洋

Thursday, February 25, 2010

キーロフ劇場バレエ団のDVD「白鳥の湖」を見て

♪音楽千夜一夜第112回

キーロフ劇場は現在マリインスキー劇場のソ連時代の名前。スターリンに消された革命家にちなむネーミングらしいのですが、この劇場のバレエ団が白鳥の湖を踊ったDVDが500円で叩き売られていたので、すかさず視聴してみました。

冒頭から画面が揺らぎ原色の色彩があやしく点滅するなかを無数の白鳥がゆらゆら泳ぎ出てきていつのまにか幕が開いています。指揮はW.フェドトフ、管弦楽はサンクト・ペテルブルグ・アカデミカル・オーケストラといういかがわしいオケですが、これはたぶん現在かのゲルギエフ大先生率いるキーロフ劇場管弦楽団の前身のエキストラによる演奏なのでしょう。けれども白鳥が踊り、王子が踊り、オデット姫とデュエットしてもチャイコフスキーの音楽とはとうてい思えない無国籍音楽が鳴り響いています。

「白鳥の湖」はじつに不思議なバレエで、出し物によって長さや演出が異なり、CDで聞く音楽通りの公演などまずないので面喰うことが多いのですが、この時代も収録も不明の公演は、いちおうオウセンチックなプティパ=イワノフ版にのっとっていて主人公は幸せに昇天する演出のようです。

しかし全4幕の構成になってはいても、演奏時間は78分と短く、いたるところで物語が寸断され、なにがなんだか分からないうちに突然幕が降りてしまいます。出演者の名前も最後にロシア語でクレジットされているだけで翻訳がないので誰だか分かりませんが、いちばん迫力があったのは悪魔役の男性。フィギュアスケート男子シングルで優勝したエバン・ライサチエクそっくりの恐ろしげな面持ちと演技の大迫力が印象的でした。

♪能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民 茫洋

キーロフ劇場バレエ団のDVD「白鳥の湖」を見て

♪音楽千夜一夜第112回

キーロフ劇場は現在マリインスキー劇場のソ連時代の名前。スターリンに消された革命家にちなむネーミングらしいのですが、この劇場のバレエ団が白鳥の湖を踊ったDVDが500円で叩き売られていたので、すかさず視聴してみました。

冒頭から画面が揺らぎ原色の色彩があやしく点滅するなかを無数の白鳥がゆらゆら泳ぎ出てきていつのまにか幕が開いています。指揮はW.フェドトフ、管弦楽はサンクト・ペテルブルグ・アカデミカル・オーケストラといういかがわしいオケですが、これはたぶん現在かのゲルギエフ大先生率いるキーロフ劇場管弦楽団の前身のエキストラによる演奏なのでしょう。けれども白鳥が踊り、王子が踊り、オデット姫とデュエットしてもチャイコフスキーの音楽とはとうてい思えない無国籍音楽が鳴り響いています。

「白鳥の湖」はじつに不思議なバレエで、出し物によって長さや演出が異なり、CDで聞く音楽通りの公演などまずないので面喰うことが多いのですが、この時代も収録も不明の公演は、いちおうオウセンチックなプティパ=イワノフ版にのっとっていて主人公は幸せに昇天する演出のようです。

しかし全4幕の構成になってはいても、演奏時間は78分と短く、いたるところで物語が寸断され、なにがなんだか分からないうちに突然幕が降りてしまいます。出演者の名前も最後にロシア語でクレジットされているだけで翻訳がないので誰だか分かりませんが、いちばん迫力があったのは悪魔役の男性。フィギュアスケート男子シングルで優勝したエバン・ライサチエクそっくりの恐ろしげな面持ちと演技の大迫力が印象的でした。

♪能ある黒猫よりもむしろ能無き白猫を選ぶべし我ら能無き国民 茫洋

Wednesday, February 24, 2010

「吉村昭歴史小説集成」第七巻を読んで

照る日曇る日第328回


あの有名な「ターヘル・アナトミア」を翻訳した前野良沢を主人公とした「冬の鷹」、医師高松凌雲と松本良順の波乱に満ちたそれぞれの生涯を描いた「夜明けの雷鳴」、「暁の旅人」など、いずれも江戸時代の医学関係者を取り扱った評伝5本を集めたのが本巻です。

ドイツの医学書「ターヘル・アナトミア」のオランダ語訳をわが国で初めて翻訳し、「解体新書」として出版したのは杉田玄白とその門人大槻玄沢ということになっていますが、「冬の鷹」を読むと、それはほとんど誤りであることが分かります。オランダ語を解していたのは良沢だけで、彼が翻訳のほとんどを担当し、蘭語と蘭学に無知なあとの二人は、師匠格の良沢を物心両面にわたってバックアップしただけなのです。

しかし、もしも人当たりがよく時流を見極めるに敏な才子杉田玄白が、翻訳に際してあくまでも完璧を求め、偏屈で人間嫌いで孤高の独学者良沢をうまくプロデュースして原稿を版元に引き渡さなかったら、本邦初の医学実用書はついに世に出る事はなかったでしょう。

結局良沢は自分の名前を出さないことで「解体新書」の出版に同意しますが、そのことが2人の明暗を決定的にわかつことになります。良沢の功績を実質的に、いうなれば「独り占め」した玄白は、その後我が国の蘭学の泰斗として数多くの弟子、莫大な金銭そして輝かしい名誉に恵まれ、幸福な生涯を全うしたのに対し、性狷介な孤高のアルチザン良沢は、生涯にわたって貧困と孤独にさいなまれることになったのです。

わが国の尊王攘夷思想の元祖である高山彦九郎を愛し、最後まで庇護した良沢でしたが、彦九郎の自刃、息子達の早世に衝撃を受け、享和3年1803年、引き取られていた次女の嫁ぎ先で81歳で名声とも富とも無縁の生涯を終えます。

本書を読む私たちは、まさに蘭学の光と影、栄光と悲惨の鋭い対比を見せつけられるのですが、著者はなぜか人生の勝者玄白ではなく、ついにかなわぬ理想を追い求めながら敗れ去っていく良沢の「孤然とした生き方」につよい羨望を懐いているようです。

榎本武揚に従って五稜郭にわたり敵味方を分け隔てなく治療し、若き日に留学したパリの貧民病院の理想を後年になって実現した「夜明けの雷鳴」に登場する幕府の医師高松凌雲。同じく幕府の御用医師としての節操を貫いた「暁の旅人」の主人公松本良順――この2人に共通しているのも、前野良沢と同じ「孤然とした生き方」に他なりません。

そして人生最期の瞬間に、酸素マスクをみずからの手でひきちぎってこの世を辞した作者が実行してのけたのも、まさしくこの「孤然とした生き方」だったのです。

♪理想を求め孤然と歩み続けたり良沢良順凌雲昭 茫洋

Tuesday, February 23, 2010

映像狩りをするミクシィ、言葉狩りをする楽天

バガテルop122

このままにしておくと度忘れしてしまいそうなので、書いておきます。

つい先日のことですが、ミクシィ事務局から突然メールが舞い込んできました。「貴殿が掲載した写真がけしからんので削除した。以後注意するように」という無礼な内容です。
そのメールには当該の映像が公序良俗に反するなんたらかんたらと、このSNSが勝手に定めた「掟」がいくつか並べていましたが、削除された私の写真が、それらの禁止コードのどれに抵触したのか、いくら考えてもてんで思い浮かびません。

そもそも私はここ数年間というもの、毎日日記には3枚、フォトには4枚の写真をアップしてきましたから、およそ1万枚に達するそれらのなかのどれがイケテなかったのか、せめてヒントを与えてもらわないと当方としても今後どのように注意してよいのか皆目見当がつかないのです。

そこで私は、胸にふつふつと燃え盛る紅蓮の憤怒を押し殺して冷静を装い、もしかするとあれは去年の夏、出羽三山神社の境内で撮影したミイラの写真が「死体」と勘違いされて削除されたのではないかとまでこのくそ忙しい季節のさ中に想像をたくましくして、
「あれは実物ではなくて復刻された偽物だよ。だからおらっちも自信をもって掲載したんだよ」
と自己言及する懇切丁寧な解説文までつけて事務局に返信し、誠意ある回答を迫ったのですが、あれから2週間以上経ってもなしのつぶて。これっておおげさにいうと憲法が保障する表現の自由に対するいっぽう的な侵害ではないでしょうか。日頃お世話になっているミクシィ社への感謝と好意の念なぞ、それ以来ふっつり消えてなくなりました。

理解不能・対策不可能な理由で勝手に投稿映像を血祭りにあげているのがミクシィなら、同じく不条理な言葉狩りをしているブログが楽天です。

ここでは旧漢字や環境依存漢字の掲載に待ったをかけるだけではなくて「強姦」などのわいせつ?で社会の安寧秩序を震撼させそうな禍々しい言語?に取り締まりの網がビシビシかけられます。悪いのは強姦という行為であって、「強姦」という言葉ではないという社会人としての最低の教養すら、このブログの責任者には欠如しているのです。ユーザーが乱発する不穏な言葉を取り締まれば、明るく健康的な世の中が到来する。例えば「強姦」という言葉の使用を禁止すれば、世の中の強姦は跡を絶つ、などと信じているとすれば、彼らはそれこそとんでもなくおめでたい「楽天主義者」といわねばなりません。

まあそんな程度の低いメディアでも平気で利用するあんたが阿呆だといわれてしまえば確かにそうなのですが。

♪同じアホなら踊らにゃ損 茫洋

Monday, February 22, 2010

デニス・ラッセル・デービス指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団でハイドンの交響曲を聞く

♪音楽千夜一夜第111回

デニス・ラッセル・デービスは、なんと10年の歳月を費やしてカール・ミュンヒンガーが創立したシュトゥットガルト室内管弦楽団を指揮してハイドンの交響曲の全曲録音を果たしました。

これは昨2009年のハイドンイヤーにもっともふさわしいビッグイベントであり、全37枚のCDボックスがたったの5946円、1枚@わずか160円というお値段にもいたく感動して購入したのですが、どうにもこうにも残念無念な買いものでした。

デービスの演奏はECMレーベルに録音された近現代作品や最近のブルックナーではまずまずの成果を収めていましたが、交響曲の父の演奏を手掛けるには100年早すぎたようです。初期から中期の疾風怒涛時代の演奏があまりにも平凡でめりはりに欠け、いったいなにが面白くて演奏しているのかもわからない。まるで海底のナマコが猫じゃ猫じゃを踊っているような団子的無機的音響の連続に業を煮やして、後期のネームドシンフォニーを先に聞いてみましたが、主題の提示の明快さも、再現される主題の変奏の変化も、楽章ごとの緩急のつけかたも、テンポと音色の変化も切れ味が鈍く、すべてが格別の独創も企図もなくただただ凡庸かつ無感動に演奏されていくのです。

頭にきたので日頃愛聴しているドラティやアダム・フィッシャー指揮の全曲盤、さらにはヨッフムやセル、バーンスタイン、カラヤン、トレバー・ピノックなどとも聴き比べてみたのですが、これほどレベルの低い演奏と録音は皆無でした。強いてましな演奏を拾えば第105番とも呼ばれる協奏交響曲でしょうか。

解説によればトランペットとティンパニーだけが古楽器を使っているそうですが、その効果もまったく顕現していない。全曲をライブで録音したために聴衆の反応も分かるのですが、どの曲も拍手はまばらで(ブーイングこそ稀でしたが)、毎回きわめてうそ寒い空気が会場のメルセデス・ベンツセンターを冷え冷えと包みこむのが体感されます。

最新のデジタル録音の成果がそんなところで発揮されているとはデービス自身も予期しなかったことでしょう。ともかく「木戸銭を返してくれえ」と久しぶりに叫びたくなるような古典落語でした。仕方なく手元にあるボーザールトリオの9枚組でけたくそ悪く汚染された耳を懸命に洗い落としているところです。


♪またしても買うてしもうたりグルダの平均律第2巻 茫洋

Sunday, February 21, 2010

東国博で「国宝土偶展」を見る

茫洋物見遊山記第16回&♪ある晴れた日に第71回

これだけはなにがなんでも見ておかねば、と重い腰を振り起こして早朝の上野くんだりまででかけたら一面の雪でした。大英博物館から帰国したばかりの縄文時代の土偶たちがおよそ六〇点並んでいました。

縄文のスーパースターという惹句のもとに、ネコ顔、みみずく顔、仮面、ビーナス、ハート形などさまざまな名称を冠せられた土偶、つまり土くれでできた人形が陳列されていましたが、どれもこれも高さ30センチを越えないくらいの大きさでとても小ぶりなのです。
しかし縄文早期の前7000年から晩期の前1000年くらいに青森、秋田、岩手、長野、宮城、埼玉などで発掘された土偶たちの藝術的完成度はきわめて高く、技術的な素朴さがかえってその簡素で象徴的な造形美を鮮烈に打ち出していて、岡本太郎が感動し、ここに己の創造の原点を見出したのもむべなるかなといえましょう。

これらの土偶は、多産・豊饒・再生の象徴として宗教的な儀式などに用いられたと考えているようですが、そんな学問的考察よりも子供を抱いたり背負ったりする土偶、しゃがんでいる土偶、手を合わせて合掌している土偶、すっくと誇りかに立つ土偶たちを眺めていると、1万年の遠い遥かな時空を瞬時に無化して、彼らと私たちが、「おなじ喜怒哀楽をともにしている存在」のように感じられるのはなぜでしょうか。もしかするとこの列島先住民と私たちには同じ血が流れているのかもしれません。

しかし宮城県蔵王町で発掘されたゴーグルをつけたような遮光器土偶だけは、それとは異質な文化の匂いを感じます。私見ではこれは中国四川省広漢市の三星堆遺跡で発見された同種の巨大な土偶(数年前に世田谷美術館で公開された)の影響を受けており、もしかすると紀元前2000年頃の三星堆文明の余波が東漸して、縄文前期の前1000~400年頃に日本列島に及んだ証拠ではないでしょうか。


眼口耳われらと違わぬかたちかな 茫洋
風穴に光入れたり縄文人
あっけらかんと笑うていたり縄文の人
1万の時を隔てて笑いおる日本列島先住民
乳さらし光歩むや縄文の女
胸を張り空を仰ぎて立ちいたり乳房も陰部もさらけ出しつつ
閉じた眼に何を思うや縄文の人
ミミズクの森に棲みしや縄文の民
深々と青空呑みおり縄文人
光避け思いに沈むや縄文哲学者
かにかくに生きてありしか縄文の民
一塊の土にひそみし命かな

Saturday, February 20, 2010

大江健三郎著「水死」を読んで

照る日曇る日第327回

久しぶりにノーベル賞作家の最新作を読みましたら、これが案に相違してとても面白く読み応えがあったのでびっくりしました。

はじめは例によって下世話な私小説風なので、やれやれまたですかとあくびなどをしていたのですが、次第に作者の巧みなストーリーテリングと推理小説のように緻密に考え抜かれた重層的なプロットの罠にはまり、終盤の息が詰まるような展開と思いがけないラストに大きな衝撃を受け、ああこれが小説を読む醍醐味なのだ、という深いカタルシスを味わうことができました。

この小説は3つの位相が組み合わさって構築されています。

まずいちばん下の平面では、迫りくる老いを迎えて急速に衰える体力と突然の眩暈、加えて妻の病気や障碍を持つ息子との軋轢、人気の下落と経済的不如意など、われらが主人公を襲う暗い日常がまずはドラマの下ごしらえとして描かれています。

その上のプレートには、父の水死体が乗せられています。彼が取り組もうとする作家としての最後の仕事は、60年前に郷里松山の洪水の川にあえて短艇を乗り入れて50歳で死んだ父にまつわる「水死小説」を書くことなのですが、その願いは彼が郷里で当てにしていた資料が見つからず放棄する羽目に陥ってしまいます。
しかしそれは見かけだけのこと、それを含めてあれやこれやの一連の顛末を縷々つづったこの小説全体が「水死小説」であり、つまりはこれが小説の最上部を形成するプレートなのです。

やがて「水死小説」をあきらめた主人公の前に、若い男女の演劇集団が現れ、彼の参画を得て彼の旧作や彼の父の水死事件、彼の郷里の民衆蜂起事件をテーマにした新作を上演しようとするのですが、この若い世代の運動に随伴することが彼を過去の自分に直面させ、彼を再び政治的人間、性的人間へと急接近させ、現代の政治的・性的カタストロフィーの最先端部分にみずからを突き出す推力となるのです。

そして驚いたことに、主人公の「戦後民主主義の旗手」という仮面の下には、牢固とした国家主義者の顔容が潜み、さらにその表皮をべろりとはぐれば、森と川の精霊、聖なる土地のゲニウス・ロキ、先祖代々の霊たちに守られ、かの大いなる黄金の枝にまたがったひとりの無垢な少年の姿があったのでした。

土と血に根差した父のモラリストとしての処世を知り、その血族の一員であることをついに理会した主人公は、その来歴をつぶさに綴ることによって、彼の作家的生命を賦活させるに至ります。老残の肉体に降り注いだ深紅の血潮が、さながら三島の浪漫的な精神が降臨したように、いまにも滅び去ろうとしていた大江の実存をよみがえらせるのです。王が新たな王によって殺され、王国の不滅の伝統が維持されるように――。

藝術は人生を救う、とはまさにこのことではないでしょうか。大江のケンチャン、さすがにあなたは当代一の作家です。


♪遅れてきた老人がついに書きたり最高傑作 茫洋

Friday, February 19, 2010

正岡子規と横須賀 横須賀ところどころ第11回

茫洋物見遊山記第15回


海に沈んだ軍艦の記念碑の傍らにおかれていたのは、どういうわけか正岡子規の句碑でした。

横須賀やただ帆檣の冬木立

明治二一年の八月、21歳の正岡子規は、友人とともに浦賀に上陸し、横須賀・逗子・鎌倉に遊び、この句を詠んだとされています。それは彼が生まれてはじめて喀血し、親友夏目漱石と知り合う前年のことでした。

帆檣は「はんしょう」と呼んで帆柱の意。横須賀に来てみればたくさんの軍艦が一杯でその帆柱がまるで冬木立のようだったよ、という意味でしょうが、現地に立ったのは真夏なのにどうして季語が冬なのかすこし理解に苦しむところです。夏なのに冬木立を連想したのか、それともこれは彼が創案した写生句ではなく、頭の中でこさえた観念の句なのかと判断にまようところです。

それにしても当時21歳の青年が、「帆檣」などという漢字をさらりと使っているのには驚きます。いまでは70歳の老人ですら読み下せないのではないでしょうか。漱石の英語といい、子規の漢文といい、明治のインテリゲンチャンの学力には脱帽のほかありません。


いまは夏どころか厳寒の2月。人気のない公園を、「戦争反対」と書いた黄色いたすきを掛けた2人の日蓮宗のお坊さんが、湾内に停泊する2艘の潜水艦と4隻の駆逐艦に向かって太鼓をやけくそのように叩きながら行進していました。

♪横須賀や戦争反対南無妙法蓮華経 茫洋