Sunday, May 16, 2010

林望訳「謹訳源氏物語一」を読んで

照る日曇る日第342回

りんぼう博士による源氏物語の現代語訳の刊行がはじまりました。

第一巻では桐壺から若紫までを取り扱っていますが、橋本治による前代未聞の自由奔放訳をのぞけば、これまでに発表されたどの翻訳よりもフレキシブルな現代日本語を軽快に駆使して、なにやらりんぼう博士お手製の小説のような趣で語りだされています。

この本の二番目の特色は、類書と比較して和歌の解釈に格段の細やかな配慮を示していることです。頻出する歌のやり取りは懇切丁寧に噛み砕かれ、かゆいところに手が届くように本文の中で解説されているので、男女のひめやかな交情の裏の裏が手に取るように理会されるのです。

しかしなんですね、源氏という男はどうしてこれほど好色なのでしょうか。一七歳の男子はポケットの中の手がちょっとあそこに触れただけですぐにやりたくなると多くのインテリゲンチャが語っており、私自身の経験に照らしてもそれは半面の真理なのですが、この光の君は、そういう平均レベルをはるかに超え、二七歳になっても四七歳になっても超簡単勃起型の陰茎を常備していたに違いありません。

まだ年端もゆかぬ若紫をやってしまおうかと思いながら、やはりそれは早すぎると自制した嵐の夜の帰り道、その代わりにさる女のところへ忍び込もうとして門をたたかせるが誰も出てこないので、

朝ぼらけ霧立つ空のまよひにも 行き過ぎがたき妹が門かな

などというシュプレヒコールを投げかけるというあたりに、この貴君子の本領が発揮されているような気が致しますが、はていかに。異常なまでの好色を追及した男が、その好色の咎で手痛い復讐受け、終生癒されぬ苦悩のうちに世を去るという因果応報の手の込んだプロットの裏側に、この偉大な文学者の、男って所詮はどうしようもない奴というねじれた心情が隠されているようです。

♪鶯は三人囃子ではやしおり 茫洋
♪鶯の囃し疲れて休むかな 茫洋

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