Saturday, October 31, 2009

夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 前篇

照る日曇る日第306回


20数年前に著者は宮古島・八重山諸島をひとり歩きしてから「琉球弧」と呼ばれる列島の南の島々に強く惹かれ、ここ何年か毎年年始年末にかけて沖縄本島をはじめ喜界島、沖永良部島、与論島、渡嘉敷島、与那国島などを次々に旅して歩いたそうです。

そうして、それらの旅におけるさまざまな見聞や予期せぬ出会いやあれやこれやの物思いやらを、縒りに縒ってなにやら人懐かしい一球に織り上げたのがこの読み物ですが、読みようによっては旅行記であり、還暦を過ぎた著者の回想録であり、物語をつなぎ合わせた連作長編ともつかぬその独創的なスタイルにまずは驚かされます。

 長い経験と技術に裏打ちされた著者の筆致は型通りの作文作法を完全に逸脱して自由自在に軽快に羽ばたき、もうどのような文藻をどのように取り扱うことも可能になった作家がついに到達した精神の深い成熟、融通無碍の境地を感じ取ることができます。

著者の心身の内奥において、あるときは若き日のインド紀行の心的体験が御嶽(カリマタ)やウガンジョ(拝み所)など南島の霊的な体験と瞬間的に連結し、またあるときはヒッピーの元祖山尾三省ゆかりの人々や偽満州国旅行で知り合った友人たちと時空を超越して、ここ南海の孤島で懐かしい再会を果たすのです。

美しい海や空や樹木や景観に賛嘆を惜しまない著者の目は、それ以上に島に生きる人々や現地を訪れる多彩な訪問者たちとの交歓に向かい、他者=異界への旺盛な好奇心こそがこの作家を根底から突き動かす動因であることをうかがわせます。

 その頂点に位置するのは、本書の表題ともなっている大神島における「大神の声」における正体不明の島の女との交情で、還暦をとっくの昔に過ぎたというのに、わが主人公は、するりと布団の中に潜り込んできた謎の女と、なんと三度も交合し「心底恍惚と」するのです。まことにもって羨ましいとしか評せません。

このように本書では、この文章の書き手が、夫馬基彦という中年のくたびれた作家ではなく、まるで宇宙に向かってぎょろりと見開かれた黒くておおきな不動の瞳であるようにも思われる印象的な個所がいくつかあって、それが著者にとっても読者にとっても望外の収穫というべきなのでしょう。


♪南風吹かば思いは常に帰りゆくわれらの故里常夏の国 茫洋

Friday, October 30, 2009

西暦2009年神無月茫洋歌日誌

♪ある晴れた日に 第67回



蝉どもの鳴き声絶えし神無月朔日

釣り舟も釣舟草も沈めたり台風18号

木犀を探し歩くや浄妙寺

アケビ食べ丹波の少年となりにけり


性愛の讃歌非情の銃弾テキサス荒野にこだませり

セクシーシンボルというよりちょいといかれた芋ねえちゃんマリリンモンローノーリターン 

われらが地獄面よりぬっと立ち上がる悪鬼どもを倒すのは誰
 
天皇になるか天下のお尋ね者になるか紙一重

はしなくも大指揮者の時代終り中小演出家の時代来たれり

金の時代には金の音楽銅の時代には銅の音楽

一枚また1枚らっきょうの皮めくるめくわが人生

熱砂ならぬ北の白夜にむせび泣く世にも不思議な恋のアイーダ

政治には絶対はないと思いつつ相対的な正しさを望むものなり

池波正太郎が大好きできっぷのいい江戸っ子の早川さん、いつまでもお元気で!

カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか

古巣ヤンキースを叩きトーリ監督に仇討させようと思ったのに黒田のばかたり

やい3つのオレンジども3つの糞ころがしにでも恋すべし
 
蛇蛙蟷螂たちのなんと楽しく生きておること烏賊蛸鯛たちのなんと楽しげに泳いでいることよ 

玉もあれば瓦礫もあるよ楽しみ尽きぬ皇室名宝展

不埒な女のラチもないプラチナジュエリー

青春は醜く愚かで恥ずかしく悔しきままに遠ざかりゆく 

北国の冬の夜空に打ちあぐる鳴り響く花火はきみの秘めたる祭りか

どこまでも遠くへ行くんだ言葉という翼に乗って

めっきらもっきらどおんどん魔法の言葉がわが子を救う 

地獄の子を抱えて生きる苦しさは天国の子と生きるよろこびでもある

蝉断末魔の悲鳴上げ2009年の夏終われり

まるで衣装のように思想を軽々と着脱する

当たり前のことながら思想は人を殺すのだ

やれやれまたあの膨大な全巻の読み直しをせよというのか荷風散人

権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂

林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ

たかが芝居というなかれ神をも恐れぬこのサバト見物するな即参加せよ

半世紀遅れてやって来た若者マーティン・マクドナー怒れ怒れもっともっと怒れ!

あまりにも苦しみ過ぎた恋人たちはいまはただ二人で居るだけで幸せなのですシャガールの「誕生日」のように 

ありがとう君こそはわが生きるよろこび君とともにどこまでも歩いていこう


♪とくとくと自慢話に入れあげる日経朝刊私の履歴書 茫洋

Thursday, October 29, 2009

06年5月20日メト・ガラコンサートを視聴して

♪音楽千夜一夜第88回

私がこのSNSで読書や映画メモをつけはじめたのは、「ハリーとトント」という映画を何回見てもなにも覚えていないことに気づいたからでした。

おそらく30年間に少なくとも3回は見たこの映画は、ニューヨークの下町で2人の老人が出てくる人情映画でかなりの秀作であるあるとはぼんやり覚えているのですが、それ以上はいくら思いだそうとしてもなあんも脳裏に浮かんできません。
そこでこれからはどんな映画や本でも必ず題名と作者・監督と簡単なメモを残しておこう、そう思って始めたのがこのコラムでした。

で、今回のコンサートの録画ですが、どうもこれは以前に見たらしい。それははじまって5分ほどしてから分かりました。舞台美術の助手から叩き上げて42年、ついにあの有名なルドルフ・ピングの跡を継いでなんと16年間もメットの総支配人を務めたジョセフ・ヴォルピーの引退を記念するコンサートだったからです。

ジョセフ・ヴォルピーといえばおのれの喉を鼻にかけてメトの練習に毎回遅刻して怒り狂ったレヴァインに同調して、あの高慢で自己中なキャスリーン・バトルの首をすスパっと切った快男児としてNYのみならず世界中で名を馳せました。あの温厚な紳士をあれほど怒らせたのですからよほどの下種女だったのでしょうね。今でもこそこそ暗躍していますが完全に過去の人となり果てました。「芸は身を滅ぼす」の好例でしょうね。

閑話休題。さて当夜はまずジュリアーニ元NY市長が劇場の前でさすがメト愛好家らしい上手な挨拶をするところからこの3時間を超える公演が始まります。
登場するのはナタリー・デセイ、マイアー、フレミング、マッティラ、フォン・シュターデ、テ・カナワ、ハンポソン、ドミンゴ、ジェームズ・モリス等々豪華絢爛の歌い手たち。最近クラシック界からすっかり足を洗ったカナワがシュターデと組んで歌うコシファントゥッテのじつにチャーミングなこと。思えばこの2人は70年代のグライドボーンを中心にモーツアルトの歌劇にどっさり出演して大西洋間の話題をさらっていたのです。

しかしソプラノもバリトンもみな歳をとりました。フレーニは歌わず、モリスはワーグナーを歌いましたがもはや往年の輝きは消え失せ、ハンプソン、ドミンゴも哀愁を誘います。デセイ、マイヤーも衰えを隠せません。ひとり気を吐いたのはルネ・フレミングで彼女が最後に歌った「この歌をうたったら」は満場の涙を呼びました。

この夜の記念公演でぽっかり空いていた穴が2つ。それはメトの不動の指揮者ジェームズ・レヴァインの病欠でした。私がかつてここで耳にしたレヴァイン指揮によるトリスタンは、ニルソンのイゾルデが最高の出来栄えで、ああこの席でもういちど彼女の雄たけび?を聞きたかった思ったことでした。

もうひとつの不思議は当夜の主役ヴォルピーのスピーチがなかったこと。なにか深い訳でもあったのでしょうか。私が思うに、彼の一番の功績は、好漢レヴァインやゼフィレッリ、オットー・シェンクなどの名伯楽を得て、谷垣自民党が目指そうとして永久にできそうにない、いい意味で伝統的で、保守的な歌劇をいたずらに前衛的な演出をもくろんで動揺する他のオペラハウスを歯牙にもかけず、貫きとおしたことです。それは彼の後継者がゼフィレッリの舞台を撤去したときに期せずして起こったブーの大合唱に象徴されていると思います。メトは、メトだけは変わってはいけなかったのです。



♪カラヤンに可愛がられ調子に乗ったあほばかバトル今宵はいずこをさすらうか 茫洋

梟が鳴く森で 第1回

第1部 うつろい

9月1日 雨のち曇
 目指さない、目指します、目指す、目指せば、目指そう、目指した。

9月2日 曇時々晴れ
 江の電に乗りました。江の電は、JRの鎌倉駅のそばから出ています。
和田塚、由比ヶ浜、長谷、極楽寺、稲村ヶ崎、七里ヶ浜、鎌倉高校前、腰越、江の島、湘南海岸公園、鵠沼、柳小路、石上、そして藤沢、です。
 江の電の踏切は、カン、カン、カンと鳴ります。嬰へ長調です。
 僕は、また江の電に乗りたいです。

9月3日
 奈良へ行くのは、京都から近鉄奈良線で行きます。
 東寺、十条、上鳥羽口、竹田、伏見、丹波橋、桃山、御陵前、向島、小倉、伊勢田、大久保、久津川、寺田、富野荘、新田辺、興戸、三山木、狛田、山田川、高ノ原、新大宮、そして奈良駅です。
 JRでも奈良へ行けます。奈良にはおばさんが住んでいます。


♪アケビ食べ丹波の子供となりにけり 茫洋

Tuesday, October 27, 2009

藤森益弘著「ロードショーが待ち遠しい」を読んで

副題に「早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術」とあるので、もしやあの早川さんではないかと思って読んでみたら、やはりそうでした。

早川さんはワーナーブラザースの映画宣伝プロデューサーを30年務められ、この業界では知らない人はいないくらいの熱狂的な万年映画青年です。私が映画に夢中であった80年代の真ん中ごろによく試写会の招待をいただき、彼が大好きだったウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」やジョン・アーヴィングの「ガープの世界」などを見せていただいたものです。

今考えるとウディ・アレンの作品などを大手のワーナーブラザースがよく取り上げたと思うのですが、こうした興業上大きなリスクをともなうマイナーな作品を、早川さんが物の分かった上司の佐藤さんとの絶妙なコンビで危うく没になるところを拾い上げ、スクリーンに日の目を見せてくれたことは隠れた大きな功績だと思うのです。

当時キネマ旬報などの映画雑誌に時折映画感想文などを書いていた私は、ある日新橋の裏道にあるチャンコ料理屋に誘われ、ビルとビルの谷間にある不思議な細道を入っていくと、そこに早川さんとマガジンハウスの編集のSさんと講談社の雑誌誌の編集のHさんが待ち構えていて、4人でウディ・アレンの話になり、2時間後にはブルータスとホットドッグに原稿を頼まれることになったことをいま思い出しました。

映画パブリシテイの世界に早くから足を踏み入れ、マスコミ、雑誌新聞メディアに幅広いネットワークを持っていた早川さんは、私のような門外漢に対してもざっくばらんに胸襟を開き、その道のプロへの紹介の労を惜しまず、お酒だけを口にしておのれの映画への愛を滔々と語る人でした。

その飾らない真摯な姿勢は三島由紀夫や黒澤明、クリントイーストウッドやマシュー・モディーン、キャスリン・ターナー、ハリソン・フォード、ティム・バートン、メル・ギブソン、淀川長治、川喜多和子、淀川長治などの内外の映画関係者にもすぐに通じたようです。

黒澤に愛された早川さんは、彼とスピルバーグの仲介役をつとめ、それが縁となって製作費が捻出されてあの素晴らしい黒澤作品「夢」が誕生したことを私はこの本ではじめてしりました。


♪池波正太郎が大好きできっぷのいい江戸っ子の早川さん、いつまでもお元気で! 茫洋

Monday, October 26, 2009

バレエ「ザ・グレート・ミサ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第87回

 グレゴリオ聖歌やクルタークやペルト、それに詩の朗読などをサンドウイッチにしながら、ゲバントハウスのバレエ団が同じゲバントハウスのオケをバックにモーツアルトのミサ曲ハ短調K427という希代の名曲を踊ります。

これは05年6月の公演ですが、そのおよそ1年前に演出・振り付け・美術を担当したクーヴ・ショルツという人が急死したので、その追悼のライヴではないかと思われます。
私は不勉強でこの人の名前も仕事もまったく知らなかったのですが、じつに才気煥発の持ち主です。

彼はたとえばミサ曲のすべての音符をダンスの一挙手1投足に完璧に置き換え、ソプラノとメゾソプラノが旋律を歌うところでは、2人の踊り手がそのボーカルを正確に運動化するのです。フーガに入るとその運動は激烈なものになりますが、音型が再起動されるたびに4組のカップルが代わる代わる同じポーズで運動を開始しては舞台の左右に遁走していく振り付けは見事というも愚かなほどでした。

メンデルスゾーンゆかりのライプッチヒにあるこの管弦楽団と合唱団、バレエ団にはかなり大勢の日本人が在籍しているようです。ダンスのソロを踊った木村規予加と大石麻衣子の美しい姿態ときびきびした演技に魅せられながら、私はこういう若くて美しい人たちは、かの地でどんな生活をしているのだろうとぼんやり考えていました。これでかれこれ1ヶ月間歯が痛むのとドジャース、楽天、中日が負けてしまったので、あまり前向きな発想になれずにいるのです。


♪古巣ヤンキースを叩きトーリ監督に仇討させようと思ったのに黒田のばかたり 茫洋

雨の月曜日

バガテルop114


昨日は私の地元では参院補選と鎌倉市長選が行われ、雨が篠突く中を投票に行ってきました。

夜になってその結果が判明し、前者では民社新顔の金子氏が当選を決めましたが、後者では同じく民主党推薦の渡辺光子氏がなんと2万票の大差で無所属の前県議松尾祟氏に惨敗しました。

松尾氏は弱冠36歳、行政経験は未知数ですが、日本有数の高給取りの市役所職員の給料を1割カットしてその分を他の歳出に振り向ける!とただそれだけを絶叫して、どちらかといえば民主党支持者の多い市民の圧倒的支持を受けての当選でした。
いっぽう民主、神奈川ネットワーク運動、社民に支援を受けながらあえなく落選した渡辺氏は総花的な努力目標を並べてみせただけでそれを超えるメッセージを発することなく、またその政治的・人格的存在感を発揮できず、民主党支持者の支持すら掌握することもできずむざんに敗れ去りました。

民主党は、国政での2勝の価値をみずから引き下げるように、鎌倉市だけではなく、八戸市、ふじみ野市、川崎市長選や宮城県知事選でも敗北しています。

これはとりわけ地方自治体の選挙においては、いかに内閣支持率や政党支持率が自民を凌駕していようとも、住民の心に真摯に耳を傾けず、候補者に適材を得なければ民社党の生活第1の1枚看板など屁のツッパリにもならないことを雄弁に物語っていると思います。

それでなくともこの政党の内閣は政権奪取後40日目にして、元大蔵官僚を郵政会社の新社長に任命して官僚支配打破という立派なお題目をみずから踏みにじったり、対米基地問題でノーコントロール状態に陥ったり、トップの足元で政治資金の疑惑の炎がぶすぶすと燃え広がり続けていますが、こんな体たらくではなはだ前途多難と見受けられます。

歴史の舞台から消え去ろうとしている自民党や公明党に比べれば相対的にかなりましな政策と機能を備えた政党とそれなりに期待しているだけに、彼らのような愚かな過ちを犯さないようにたくましく成長していってもらいたいものです。


♪政治には絶対はないと思いつつ相対的な正しさを望むものなり 茫洋

Saturday, October 24, 2009

大野和士指揮ベルギー王立歌劇場で「アイーダ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第87回


04年10月15日のライヴ収録を衛星放送の録画で見ました。この公演の最大の特徴は英国の気鋭の演出家ロバート・ウイルソンの仕事ぶりです。

メットならラクダや象が行進するところですが、そんな大げさな鳴り物は影も形もなく、きれいさっぱり簡素に徹した舞台構成とおしゃれな色彩と衣装が鮮やか。歌舞伎や操り人形の所作を取り入れたような象徴的な演技が印象的です。
オペラというよりはルネ・マグリットの演出でイプセンの演劇を見せられているような不思議な気分になりました。

そんなベルギー象徴派もどきの舞台を見上げながら大野和士指揮のモネ劇場の管弦楽団は、はじめは処女のごとく、次第に熱を帯びた劇伴を繰り広げ、最後は青白い燐光を発しながら脱兔のごとく白夜の海へと遁走していきます。

歌手はマルコ・ベルティのラダメスが時々音程が怪しくなるほかはまずまずの好演で、特に王女アムネリスのイルディコ・コムローシ、表題役のノルマ・ファンティーニの2人のメゾとソプラノが演技と歌唱で丁々発止とやりあって楽興の時を盛り上げました。

 
♪熱砂ならぬ北の白夜にむせび泣く世にも不思議な恋のアイーダ 茫洋

Friday, October 23, 2009

川上未映子著「ヘヴン」を読んで

照る日曇る日第304回

私が中学生の頃も苛めはありました。なぜか大きな力を持つ実力者を中心にして権力者グループが形成され、彼らは非力な者、弱い者を次々に血祭りにあげ、暴力を伴ったその独裁的なパワーを誇示していました。彼らはどうやら地元の暴力団ともつながっていたようで、その暴圧には校長や教師も抵抗できないようでした。

幸い私はその番長とは妙な因縁で友好的?な関係をかろうじて維持していたので、直接の被害に遭うことはなかったのですが、家が貧乏でどことなく不潔でうろんな印象を与える同級生が彼らの哀れな犠牲者になっており、それはこの地方に古くから存在していた差別ともつながっていたようです。

この小説のヒロインであるコジマと斜視の主人公は、そういうエリート連中の哀れな標的となり、毎日のように殴る蹴るの手ひどい暴行を受けているのですが、そのことを誰に訴えることもなく無抵抗のまま耐えに耐え、されるがままになっています。

このように悲惨な苛めがどうして繰り返されるのかという問題について、作者は苛める者と苛められる者との間で形而上学的な議論を戦わせていますが、両者の主張はまったく噛み合わず、苛める側の論理も説得性に欠けますが、そんなことより、もしも当時私がこのような苛めを日常的に受けていたらどうだったでしょう。
きっと親兄弟にも先生にもなにも言えずに、この世の最も孤独な場所で立ちすくみ、繰り返される陰湿な暴力に命がけでひたすら耐えていたに違いありません。

そういう言語に絶する地獄であえぐ弱者同士の間にひそかに結ばれた奇跡の絆を、作者は限りない共感と優しさで一字一字を慈しむように描きます。平明で簡素な日本語が静かに紡がれるうちに、突如眼もくらむように高貴で輝かしい幻影の城が「法華経」の地湧の菩薩のように霧の中からすっくと立ち上がるさまはけだし壮観です。なんという文芸の力技、作家の力量でしょう!
そして苛める者と苛められる者との対立が頂点に達したときに、コジマがとった自己犠牲、凶暴な狼の群れに裸の子兎が自らを生贄として捧げるシーンは大きな感動を呼ぶに違いありません。

寄る辺なき子羊の生を根底から支えている絶対的な弱さが、窮鼠猫を噛む火事場の馬鹿力的な異常な強さとして立ち現れているのです。弱者はその弱さを武器として貫き通す時にはじめて健常者の無神経で無意識の強さに打ち克つことができるのだ、という作者の確信がこのクライマックスシーンに表現されているのではないでしょうか。

にもかかわらず主人公がこの世界とつながる、もっとも弱くてもっとも強い環としての「斜視」を捨てようとした瞬間に、幻の弱者同盟ははかなくも崩壊してしまいます。別れを告げてそれぞれ別の道を歩み始める若い2人は、そのまま今世紀半に訪れるべき新しいヘヴンを象徴しているようです。

♪あまりにも苦しみ過ぎた恋人たちはいまはただ二人で居るだけで幸せなのですシャガールの「誕生日」のように 茫洋

Thursday, October 22, 2009

演劇集団円公演『コネマラの骸骨』を見る

茫洋物見遊山記 第2回


ロンドン生まれの若き劇作家マーティン・マクドナーの話題作『コネマラの骸骨』を見物してきました。これはアイルランドのリーナン地方を舞台にした、はちゃめちゃに面白いどたばた活劇シリーズの第2作で、第1作の『ビューティークイーン・オブ・リーナン』と第3作の『ロンサムウエスト』はすでに同じ劇団の「円」の手で上演されています。

あらすじや批評などは別のところに書いてしまったのでここでは繰り返しませんが、マクドナーの芝居の第1の特徴は、いずれも人間の心の奥底に潜んでいる狂気や殺意や孤独を恐ろしいまでに深々とえぐり出している点にあります。

しかもそれらの表現がきわめて恣意的、発作的、痙攣的に展開されるように見える点に第2の特色があります。マクドナーは、いわば演劇の即興性とでもいうべき境地を目指しているようです。はしなくも今回の上演では、それが劇場狭しと飛び交う「骸骨の百叩き」ジャムセッションという形で露呈しました。

3番目には「聖なるもの」と「性なるもの」への独特のこだわりです。神や教会や神父という宗教的権威に対する憎悪と反発はかなり度を越しているだけに、逆にそれが彼の生と倫理に生得のものとして厳しく粘着していることをうかがわせるのです。

性的な問題の取り扱いも興味深いものがあって、たとえばこの芝居の中で「男性の性器は涜神的であるから墓地に埋葬できないために業者が切断して飢饉に苦しむアイルランドの民衆にトラックで売り捌いている」という真に迫った冗談が出てきますが、そういう罰当たりなセリフをふんだんにまき散らすのがこの遅れてやってきた怒れる若者のお上品な本領と思われます。

真夜中の教会の墓地で、ランプを照らしながら妻の死体を掘り出す主人公……。しかしその荒涼とした光景よりも人間の魂の中の風景はもっと寒々しく、もっともっとおどろおどろしく、悲しくもはかないものであることに、この芝居を見た人はきっと気づくことでしょう。


森新太郎の演出はいつの間にか安心して見ていられるレベルに到達し、芦沢みどりのいつもながらの生き生きとした翻訳によるテキストを、山乃廣美、石住昭彦、吉見一豊、戎哲史の役者陣が好演しています。
また衣装の緒方規矩子が、原作者マクドナーを思わせる悪童マーティンに、英国の通信会社ボーダーフォンのロゴ入りTシャツをさりげなく着せていたことにいたく感銘を受けました。


♪半世紀遅れてやって来た若者マーティン・マクドナー怒れ怒れもっともっと怒れ! 茫洋

Wednesday, October 21, 2009

小津安二郎監督「晩春」再見

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.16


見るたびにいろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。
私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5本という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。

冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なのでついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく京都の清水寺や龍安寺も登場してきて懐かしさを誘われます。

もっと懐かしいのは原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。
コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を春風に向かって走る原節子のなんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のアイコンである原節子と映画が完璧に三位一体化して永遠の生命に輝いています。


さらにまた冒頭で興味深いのは、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人がまず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。娘は岩波文庫を読んでいるのでかなり知的な女性だということが分かります。

それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.16


見るたびにいろいろな発見とさまざまな感慨が浮かんでくる映画です。
私はこれまで笠智衆の父親と原節子の娘が住んでいるのは北鎌倉だと思っていたのですが、そうではなく鎌倉でした。海まで14,5本という会話が出てきましたから、長谷辺りではないかと想像しました。

冒頭いきなり出てくるのが北鎌倉の駅のプラットホームと円覚寺なのでついそうだと思い込んでいたのですが、原節子は円覚寺のどこかで開催されるお茶の会に出席していただけなのでした。昭和24年1949年現在の古都と古刹の古雅な光景は鎌倉だけでなく京都の清水寺や龍安寺も登場してきて懐かしさを誘われます。

もっと懐かしいのは原節子が自転車に乗って稲村ケ崎を越えて七里ガ浜まで遠乗りする国道134号線の砂浜の今とは打って変わった静けさです。
コカコーラの広告塔がぽつんと立っている道路を春風に向かって走る原節子のなんと若々しく美しい笑顔でしょう。ここでは小津と彼のアイコンである原節子と映画が完璧に三位一体化して永遠の生命に輝いています。


さらにまた冒頭で興味深いのは、父と娘が鎌倉から横須賀線に乗って東京まで通勤するシーンです。キャメラは大船から横浜、川崎、新橋へと走る電車の全景、多摩川にかかる鉄橋をとらえ、はじめは車内で立っていた二人がまず父親が大船辺りで座り、娘は横浜辺りで座るところをとらえています。私も長い間この電車に乗って通勤していたので、こういう感じはよくわかるのです。娘は岩波文庫を読んでいるのでかなり知的な女性だということが分かります。

それから東京の大学で教授をしている笠智衆の父親と彼の教え子との会話もおもしろい。ドイツの経済学者のリストの綴りは作曲家のリストとは違うという話をしています。

物語はご存じのように片親の27歳になった娘と彼女の将来を案じどこかへ嫁がせようとする父親との葛藤です。その葛藤が急激に高まるきっかけになるのが二人が見物する観世流の能「杜若」のシーン。幻の名人の名人芸をBGMにして娘の黒い疑心暗鬼が広がります。

この映画の原作は広津和郎の「父と娘」ですが、映画では娘の結婚相手が登場せず、そのことが逆にこの映画の主題の深刻さを浮き彫りしているような気がします。そしてそのクライマックスが京都の宿での父娘相姦?ということになるのですが、小津はいくらなんでもそこまで描こうとしたのではないでしょう。
ただしその暗い傾きは陰に陽に感じられ、怪しく揺れ動く処女の激情を原節子がけなげに演じています。

ラストの嫁入りの挨拶は泣かせますが、嫁がせた父親の悲嘆をリンゴの皮むきで代置するのは笠が大泣きの演技を断ったからという事情を勘案してもやはり無理があり、その感銘を「東京物語」の終幕に譲ります。

音楽はお馴染みの斉藤高順ではなく伊藤宣二ですがその主題に無関心なまでに能天気な「晴れた音楽」の付き合わせ方が斎藤とまったく同質であり、それが小津の狙いであったことをはしなくも物語っているようです。


 ♪林檎の皮を剥きながら嫁入りした娘の身の上を案じる笠智衆よ 茫洋

Tuesday, October 20, 2009

ドナルド・キーン著「日本人の戦争」を読んで 後篇

照る日曇る日第303回


荷風と違って山田風太郎の日記の特徴は、米国に対する憎悪です。彼らの美点に無知ではなかった山田ですが、本土に対する無差別爆撃を繰り返す米軍に対して一人一殺ならぬ三殺を唱え、「全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ」と記しています。

聖戦の大義に突き動かされていた彼は、アングロサクソンに対する憎しみを懐き続け、聖戦継続の思想と意思をもろくも投げ捨てて占領体制にいそいそと身をすりよせた知識人の無節操を、戦後になってもながく許すことはありませんでした。

古い日本の灰の中から新しい日本が誕生するなどと喜々として口走るような人々を唾棄した山田は、「僕はいいたい。日本はふたたび富国強兵の国家にならねばならない。そのためにはこの大戦を骨の髄まで切開し、嫌悪と苦痛を以って、その惨憺たる敗因を追及し、噛みしめなければならぬ」と書いています。

永井荷風と山田風太郎の二人が、私などには及びがたい剛毅な知性と勇気を備えていたように映るのに対して、特高の拷問に遭ってマルクス主義からあっさりと転向し、大多数の作家と同様に文学者報国会に加盟した高見順の日記は、その時々の「時流」や「いきおい」にずるずると順応する人間の弱さをたっぷりと見せつけてくれるために、それほど引け目を感じることなく共感を持って読むことができます。

もしもあの時代に遭遇していれば、私もまたご立派な主義主張などあっさりと投げ打って軍部や戦争に協力し、卑怯未練な態度で生き延びようと悪あがきを図ったに違いないからです。

しかし中国大陸で日本軍の残虐行為を嫌というほど見せつけられた高見は、日本人の本質を鋭く見抜いてもいます。

「東条首相を逆さにつるさないからといって、日本人はイタリ―人のように穏和な民とすることはできない。日本人だって残虐だ。だって、というより日本人こそといった方が正しいくらい、支那の戦線で日本の兵隊は残虐行為をほしいままにした。権力を持つと日本人は残虐になるのだ。権力を持たせられないと、子羊の如く従順、卑屈。ああなんという卑怯さだ。」

私はこのような日本人の素敵なキャラが、戦後六〇年を経て一新されたとはどうも思えないのです。


権力を持てば残虐に行使する子羊のごとき優しい魂 茫洋

Monday, October 19, 2009

ドナルド・キーン著「日本人の戦争」を読んで 前篇

照る日曇る日第302回

太平洋戦争中に戦死した日本人兵士の日記を読んで、「どんな学術書や一般書を読んだ時よりも日本人に近づいたという気がした」と語る著者は、このたびはわが国を代表する作家や学者、知識人、たとえば永井荷風や山田風太郎、高見順、大仏次郎、内田百聞、伊藤整、徳川夢声、渡辺一夫、海野十三、清沢洌などの戦時中の日記をふんだんに引用しながら、彼らがどのようにこの未曽有の非常事態を受け止めたかを記録し、時折抑制の利いた感想を付け加えています。

数多くのテキストが登場する中で、著者が特に頻繁に取り上げているのは、永井荷風、山田風太郎、高見順の三名の日記です。
戦時中の荷風の主な文学活動は、大正六年一九一七年からつけている日記でした。その文章は「その蒼枯、その艶麗、哀愁を含める小説といわんより詩に近き芸術愈々至境に入れり」と山田風太郎が評したようにじつに見事なものでしたが、その内容は愚かな戦争に自分と国民を巻き込んだ軍部に対する恨みと憎しみが随所に顔をのぞかせています。

当時もしもこのような危険な言及が外部に漏れたなら、ただでは済まされなかったでしょう。渡辺一夫のように官憲の検閲を恐れてフランス語で日記を書いていた人もいたわけですから、これは文字通り命がけの表現活動でした。

かの一九四五年三月の東京大空襲によって偏奇館が炎上した際にも預金通帳とこの日記だけは必死で持ち出したところに荷風という人の人柄がありありとしのばれます。

ちなみに著者によれば、岩波版の荷風日記は後世になってから荷風あるいは校訂者の手によって書き換えられた個所もあるので、オリジナルに近い東都書房版を参照するべきだとしています。

♪やれやれまたあの膨大な全巻の読み直しをせよというのか荷風散人 茫洋

藤沢周著「キルリアン」を読む

照る日曇る日第301回

いわゆるひとりの中年の鎌倉文士?が市内の名所旧跡、たとえば夜の円覚寺の山門や化粧坂、あるいはまた亀ヶ谷のおのれのあばらや、北鎌倉の居酒屋、さらには若き日に身に覚えの道玄坂界隈などで、やたらひとりよがりな物思いにふける私小説的感慨小説です。

まず冒頭の蝶の描写が妙ですよ。

「一匹の蝶がその風に翻弄されつつも、絶命的なバランスで宙を泳いでいく。」
というのですが、およその意味はわかるけれど、この一行においてプロの文章として「絶命的」はないでしょう。せっかく勢い込んで読もうとしていたのに、この奇怪な形容動詞に面喰って「絶望的」な気分になりました。

しかし心を動かされる個所がないではありません。たとえば突然文士の陋屋を前触れもなく訪れる謎の美女。

「薄手の黒いストッキングの細い足首が見え、三和土(たたきと読む)に残ったもう一方に足が太腿の奥まで露わにしていた。茶封筒とバッグを框(かまちと読む)に置いたまま、畳を軽やかに揺らして入ってくると、布団に頽(くずお)れてくる」

なあんて、なかなかうまいもんです。おまけに文士は、こんな官能的な美女にいきなり唇を重ねられたりするのです。いいなあ。

それからこの文士の風呂場には巨大な「鎌倉蜘蛛」が棲息していて、昼でもそうとう不気味な雰囲気を醸し出しています。さらには文士の故郷新潟の友人からはなにやら幼友達の不穏なうわさ話を伝えてきます。

しかしながら、これらの諸要素がよってたかってなにか小説的核心を構成していくのかと思ってじっと我慢して読み続けていたのですが、結局はなんにも起こらない。なにもない。なにももたらされない。このサントリーの山崎的状況はいったいどういうことなのでしょう。

不得要領のまま読み終わったのですが、タイトルの意味すらわからない。仕方なくネットで調べてみると、キルリアンとは旧ソ連の科学者が唱えた「似非科学」で、高周波電界中に置かれた生物体の表面に起こるコロナ放電現象のことらしいのですが、それならこの芥川賞作家の小説って「似非小説」ではないでしょうか?

ちょうどその時でした。しかしちょっと待てよ。主題の喪失と描法の混乱こそ現代小説の2大特徴とすれば、この作家のこの作品こそは、げにそれらの特性を全開させた秀逸な収穫ではないのか?という不埒な思いつきが、私の鈍い爬虫類の脳内にあたかも天啓のように閃いたのでした。


♪不埒な女のラチもないプラチナジュエリー 茫洋

Saturday, October 17, 2009

ヘスス・ロペス・コボス指揮パリ・オペラ座で「ホフマン物語」を視聴する

♪音楽千夜一夜第86回

オフェンバックが作曲した「ホフマン物語」を録画したビデオで視聴しました。

これは主人公ホフマンが、「歌う人形」のオランピア、「瀕死の歌姫」アントーニア、「ヴェネツィアの娼婦」ジュリエッタと次々に恋に落ちるが何れも破綻するというお話です。

世のオペラの大半は荒唐無稽であり、またそれでいっこう構わないのですが、この作品はあらすじはそれほどひどくはないものの、肝心かなめの音楽そのものが荒唐無稽そのものです。

さまざまな演奏稿が流布しており、いずれも演奏に2時間以上かかる大曲なのですが、ゆいいつ聴くに値する箇所があの有名な「ホフマンの舟歌」であるのは、それ以外のアリアや管弦楽がいかに無価値で無内容であるかを雄弁に物語っています。

指揮者は超ベテランのヘスス・コボスですし、オケもそこそこ、歌手も重要な役どころで実力派のブリン・ターフェルが出演しており、才人ロバート・カーセンが演出で奮闘しているのですが、まったく煮ても焼いても食えない非音楽的な駄作です。

しかしこのオペラのゆいいつの救いは、プロコフエフの「3つのオレンジの恋」というタイトルの名称以外になんのとりえもない最悪のオペラがあるということぐらいでしょうか。
とりわけ2幕のあほだら行進曲は、人間脳ではなく爬虫類の脳によって書かれた吐き気を催すように愚劣な旋律で、私はこの史上最悪の曲を聴くくらいならいっそ死んだ方がましです。

♪やい3つのオレンジども3つの糞ころがしにでも恋すべし 茫洋

Friday, October 16, 2009

「皇室の名宝―日本美の華」第1期展を見る

茫洋物見遊山記 第1回


秋晴れの一日、上野の国立博物館で「皇室の名宝―日本美の華」第1期展を見てきました。まだ会期が始まったばかりの午前中だというのにかなり混雑していました。あと1週間もすればまたもや平成館おなじみのぐるぐる巻き大行列が始まるのでしょう。

怖いもの見たさの行列というなら分かりますが、有名もの見たさのにわか美術ファンがこれほど急増するとは、だれも思っていなかったのではないでしょうか。まことに天下泰平、文明文化爛熟の平成の御代でございます。

さて今回の展示の目玉は、もはやわが国の美術界に不動の位置を築くに至った伊藤若冲と酒井抱一です。20年前には10人中の9人までが見向きもしなかった奇想派と江戸琳派の泰斗がこのように千客万来の人気者になろうとは、泉下の2人もさぞや苦笑しているに違いありません。

 その若冲の代表作である「動植綵絵」は、以前江戸城内の三の丸尚蔵館で何幅かずつシリーズで公開されたおりに圧倒的な感銘を受けたものですが、本展で全30幅が一堂に並んでいるのはまさに壮観というべく、陸海空に溌剌と跋扈する鳥や魚や草花たちが泰平楽を奏でるさまに見入るのは、さながら東叡山の楽園に遊ぶがごとき至福の眼福でした。

とりわけまっさかさまに落下せんとする雁の大胆無比な構図や、レオナルド藤田に影響を与えたと思われる鶴や鸚鵡の銀色の発色などは何度眺めてもため息が出るばかり。北斎、広重におさおさ劣ることのない名人芸ではないでしょうか。

それから忘れてはいけないのが、その端倪すべからざる力量を存分に発揮した酒井抱一の12幅の連作エドカランドリエ「花鳥一二ヶ月図」です。いずれ劣らぬ名品ですが、すでに六三歳になんなんとする頃合いの作品なのに構図の切れ味はするどく、色彩は赤の鮮やかさとくにめでたく、さすがにお大名らしい揺るがぬ気品が全幅にみなぎり、老境をものともせぬ芸術の夕映えのなんという華やぎでしょうか。

会場にはそのほか横山の大観選手や川合の玉堂、橋本の雅邦選手の力作などもあるにはありましたが、若冲や抱一両選手と比べられてはいくらなんでも相手が悪すぎます。本物の芸術の格の違いを、思う存分に見せつけられた展覧会でした。

最後に一言。「皇室の名宝」などと高らかに謳ってはいますが、しかしてその実態は玉石混交、中には名宝の名前が泣くような駄品も堂々と陳列してあるので要注意です。



♪玉もあれば瓦礫もあるよ楽しみ尽きぬ皇室名宝展 茫洋


♪蛇蛙蟷螂たちのなんと楽しく生きておること烏賊蛸鯛たちのなんと楽しげに泳いでいることよ 茫洋

Thursday, October 15, 2009

スピルバーグ監督の「ターミナル」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.16

これは故国を旅だってニューヨークのJ.F.ケネディ空港に到着したトム・ハンクス扮する主人公が、父の願いをなかなか果たせずに同空港の内部で延々と滞在を余儀なくされるというお話です。

ロシアの隣国と思しき主人公の母国クラコージアで突如軍事クーデターが勃発したためにパスポートやヴィザが無効になり、扉の向こう側のニューヨークに出て父が夢見たジャズメンのサインをもらうこともできず、かといって戻ることもできず、英語もろくに話せないトム・ハンクスは文字通り立ち往生してしまいます。

しかしそこはよくしたもんで、寝る場所、仕事、友人はもちろん彼に好意を寄せる女性まで出てきます。この不倫の恋に悩むスッチー役のキャサリン.セタ・ジョーンズが色っぽく、とっぽい田舎者トム・ハンクスに意地悪な空港管理の官僚役のバリー・ジャパカ・ヘンリーが好演しています。

すったもんだの大騒動がいろいろあって、最後は意を決した主人公が仲間たちの応援と悪者役の慈悲のお陰で空港の外に出て父の悲願を果たし、折り良く母国のクーデターも解決したために無事に帰国の途に着くというスピルバーグらしいハッピーエンドで終わります。

サスペンスとロマンスとコメディーを足して3で割ったそれなりにウエルメイドなハリウッド映画といえるでしょう。


木犀をたずね歩くや浄妙寺 茫洋

Tuesday, October 13, 2009

吉村昭「歴史小説集成第4巻」を読んで

照る日曇る日第300回

岩波書店から刊行されているシリーズの第4巻には「落日の宴」「黒船」「洋船建造」「敵討」の長短4つの作品が収められており、幕末のペリー来日の頃の幕吏の精力的な活動ぶりをつぶさに追体験することができます。


嘉永6年1853年6月、ペルリ提督率いる4隻のアメリカ艦隊が浦賀に来航し、彼らが去って間もなくプチャーチン率いるロシア艦隊が長崎に入港し開港や通商を要求しました。
著者は、前者を題材とした「黒船」では小通詞堀達之助、後者を扱った「落日の宴」では交渉役を務めた川路聖謨(かわじとしあきら)を主人公として、この史上未曽有の国難に当時の幕閣がいかに誠実に、持てる全知全能をあげて対応したかを精細に描破しています。

「黒船」では、アメリカ艦隊の威嚇的な態度と、これに終始振り回される老中阿部伊勢守正弘をはじめ徳川幕府の指導者たちの態度が対照的です。
米国が強行し、日本が追認するというパターンはこの時に確立され、この恨み重なる屈辱をいっきに晴らさんとして企図されたのがかの太平洋戦争でしたが、一擲乾坤の大博打にまたしても屈辱的な敗北を喫した日本は、依然として大きなコンンプレックスをこの大国に対して懐き続けているようです。

ペルリ側の攻勢に対峙する老中阿部伊勢守正弘などの幕閣の裏舞台も興味津津ですが、それ以上に興味深いのは、小通詞堀達之助の波乱に満ち曲折に富んだ生涯です。
長崎でオランダ語をマスターした堀は、同僚の森山の誹謗中傷によって小伝馬町の牢屋敷に収監され、そこで高野長英と同様にはしなくも牢名主となって安政の大獄で斬に処せられた水戸家の家老や頼三樹三郎、橋本左内、吉田松陰などの悲劇を目の当たりにします。

彼の語学の才を知る古賀謹一郎によってようやく娑婆に出た堀は、英語の達人たちに追いあげながらもその習得に努め、日本人の手になる初めての英和辞書「英和対訳袖珍辞書」を完成させるのです。
ようやく函館で維新を迎えたのもつかの間、われらが主人公は今度は榎本武揚率いる幕府軍から命からがら逃げ回りながらも47歳にして愛する女性と巡り会い再婚するのですが、美人薄命の言葉通り彼女に先立たれ、やがて次第に衰えながら齢72歳で没するのです。時に明治26年でした。

「落日の宴」でロシア艦隊を率いたプチャーチンと互角以上にやりあった川路聖謨は、つとに世界情勢を熟知し、開国の必然を見抜いていた当時最高級の政治家でした。
50歳を過ぎながら三島から天城を越えて下田まで160里を1昼夜で走破した強靭な肉体と精神力、高い教養と高貴な人格は世界中で第1級の人材であると敵であるはずのプチャーチンや秘書官のゴンチャロフ(あの名作「オブローモフ」の作家ですよ!)からも激賞されています。

それにしても伊豆で沈没したロシア艦「ディアナ号」をめぐる政治折衝は猛烈無比なもので、このような重大局面をよくも川路や阿部は切り抜けたものだと感嘆せざるを得ません。
現代の歴史家は彼ら幕末の政治家を薩長の田舎者と対比してとかく優柔不断で肝が据わっていないと低く評価しがちですが、西郷、大久保、桂、岩倉などとサシになれば果たしてどちらの人物が上であったでしょうか。

徳川の世に最後まで忠誠を誓った川路聖謨は、慶応4年3月15日、江戸城が討幕軍の手に落ちるのを潔しとせず齢67歳で自決して果てました。
山田風太郎が評したごとく「徳川武士の最後の花」ともいうべきまことに見事な死にざまでありました。


腹横一文字にかっさばき晒を巻きてのち喉に短銃打ち込みたり 茫洋

Monday, October 12, 2009

橋本征子著 詩集「秘祭」を読んで

照る日曇る日第299回

「夏の呪文」「闇の乳房」「破船」につづく著者の第4番目の詩集「秘祭」が刊行されました。

苺、アスオアラガス、桃、アドカボ、にんにく、イチジク、メロン、レモン、ホウレンソウ、ピーマン……、キッチンにそっと置かれた果物を凝視するうちに詩人の心の片隅に、突如として遠い少女時代の思い出や父母の記憶、異国の忘れがたい光景、そしてさまざま奇想が浮かんでくるのです。

それはたとえば、子宮の中で波打つアマゾネスの血脈、父祖伝来の不遜な欲望と草原の孤独、氷河の上の青空へのあこがれ、原野に棲息する先住民族の咆哮。野太い太鼓連打に高鳴る心臓、透明な思惟と最後から2番目の抒情……

では早速ページを開いてみましょう。

暗い電灯の下 影のない死者たちと円陣
を組んでかぼちゃを食べる 暗い洞穴の
口のなかにほっくりと煮た真黄色のかぼ
ちゃを放り込み 歯茎で咀嚼する わた
しも食べる 噛むたびに 痛くもないの
に歯がぽろぽろと抜けてゆく 吐き出し
てみると白いかぼちゃの種 死者たちは
わたしをみてやさしく微笑む 滅びたも
のたちの祝祭 供物 かぼちゃ     「パンプキン」より


ここに流れているのは、多彩な諧調を見事に制御した由緒正しい音楽の調べ。静謐なハーモニーを縫って流れる美しい旋律。そして不意に波打つ痙攣的な転調。眩い色彩の氾濫、たちまち失われる調和の幻想、空虚な日常をいっきょに満たす圧倒的な詩的ヴィジョンの奔騰……。


種の少ないつややかな水気の多いコルニ
ッション 少年の美しいペニスの短剣 
醜い陰毛が生える前の清浄な野菜 肩甲
骨に嵌められた茎から水滴が溢れて 少
年の無垢な体をすみずみまで沐う 生殖
を今だ知らない体はしなやかに伸び 下
半身をくねらせ 再び海へとすべらかに
入って行く 少年の性器の聖性 小さな
きゅうり コルニッション       「コルニッション」より


テーブルの上でつややかな尻をだしたま
まの桃 真っ赤な夕焼けの映る水たまり
をもう飛び越えることなない果実 鉄棒
の逆さ上がりにもう挑むことのない果実 
記憶の冷たさに潜んでいて 今 漂着
物となって辿り着いたもうひとりのわた
し ずっと前 わたしのなかで流れ消え
去って 今 蘇ったわたし 桃     「桃」より

ここに繰り広げられたのは、遠い森の奥で開催されている性の祝祭、動物と植物の結婚、音もなく爆発する生理、真紅の夢の洪水、覚醒、沈下と上昇、そしてまた音楽、うちならされる打楽器、ダンス、ダンス、ダンス……。


北の街で来るべき冬を待つ詩人が暖炉の傍らで夢見るものは、いったい何でしょうか?
それは晴朗な成熟と穏やかな退去? いな全身を一撃のもとで溶解させるいまひとたびの燃ゆる恋、魂を震撼させる新たな叡智の降臨、よりよき豊かな生への誘惑、そしてゆるやかで甘い眠りのおとずれ……。


北国の冬の夜空に鳴り響く花火はきみの秘めたる祭りか 茫洋

Sunday, October 11, 2009

高橋源一郎著「13日間で「名文」を書けるようになる方法」を読んで 後編

照る日曇る日第298回

この長谷川摂子の童話「めっきらもっきらどおんどん」が、いったんは失われた言葉の力を取り戻す光景は劇的で、その昔、やはり脳に障碍を持つ私の長男が一度は失われていた発語を取り戻した折の無上の感激をはしなくも思い出しました。

源チャンは「ふつうに」生きていくことができなくなるかもしれない息子の将来を思って戦慄するのですが、「彼がどんな風になっても支えていこう。これからはずっと彼をわたしたちの家の中心にして暮らしていこう。彼の生涯を支えられるだけのものを、わたしはなにがなんでも作り出していこう」とけなげにも決意します。

そしてこのとき、不思議なことに将来への恐怖とともに、「大きな喜びのようなものを」感じるのです。

源チャンは、その喜びとは、これまでこの世の中の主流を歩んできたいわば「右まきの人」が、世の中の主流をはずれた「弱い人」や「少数派の人」「左まきの人」の「横に立つ喜び」であると定義するのですが、この尋常ならざる喜びこそは、不幸のどん底で呻吟しているはずのわれら地底人が、はるか地上を仰ぎ見るような斬新な視角をあたえ、この世にあって一身にして二生を経るような複合的な生きがいを与えてくれる得難い特権に他ならないのです。

我田引水して急遽同病を憐れむわけでは毛頭ないのですが、このたびの高橋源チャンの原体験は、彼の今後の作家活動にとって大きな飛躍の源泉となるに違いありません。

ぐあんばれ源チャン!
ありがとう君こそはわが聖なる愚者わが生きるよろこび 茫洋

Saturday, October 10, 2009

高橋源一郎著「13日間で「名文」を書けるようになる方法」を読んで 中編

照る日曇る日第297回

それからこの本(講義)のもうひとつの楽しさは、行き当たりばったりの即興的な自由さです。くだらないシラバスにとらわれない、ジャズの演奏に見られるような奔放な思索のインプロビゼーションです。

たとえば源チャンの第9回目の授業は、思いがけないトラブルに見舞われ、休講を余儀なくされます。彼の2歳9か月になる次男が急性脳炎の疑いで救急車で病院に担ぎ込まれたからです。

医師から「小脳性無言症」と診断されたキイちゃんは、小脳に大きな損傷をこうむり、それまで自由にしゃべっていた言葉が突然出なくなってしまいます。

そして、息子の「発語機能」が損なわれたのは、著者が文芸雑誌に連載したキイちゃんを主人公とする小説の物語の中で、キイちゃんの言葉を奪ったからだ、となじる妻の詰問が、なんと10回目の授業で源チャンの口から淡々と紹介されるのです。

「あなたがあんな小説を書くからよ! いますぐ小説をハッピーエンドにして! キイちゃんに言葉を取り戻させて!」

しかしまるで小説を地でいくこの実話は、あるささやかな奇跡が起こることによって、その絶望的な悲惨さがいくらか明るい方へと向かいます。それは源チャンが次男の大好きな童話を読み聞かせているときに起こりました。

「ちんぷく まんぷく あっペらの きんぴらこ じょんがら ぴこたこ めっきらもっきら どおんどん」

源チャンが魔法の言葉をささやくと次男は、「けたけた、げらげら」と笑いだしたのです!
 

♪めっきらもっきらどおんどん魔法の言葉がわが子を救う 茫洋

Friday, October 09, 2009

高橋源一郎著「13日間で「名文」を書けるようになる方法」を読んで 前篇

照る日曇る日第296回

これは著者が毎週木曜日の4時限に明治大学国際学部で行った「言語表現法」の13回の講義の実録ライブ収録です。軽薄な実用書のようなタイトルで損をしていますが、内容的にはその正反対の著作であると断言してもいいでしょう。

よしんば誰がどんな名講義を13日間どころか13年間行ったとしても、受講した学生に名文など書けるわけもないのですが、そんなことは百も承知の上で高橋の源チャンはユニークな授業を行っています。

ではそれはどんな講義だったのでしょう?

著者はまず学生に著者が好きな文章(ソンタグの遺書、斎藤茂吉の恋文、日本国憲法前文、カフカの「変身」、バラク・オバマやハーヴェイ・ミルクの演説など)を読んでもらい、それから何か課題(自己紹介、ラブレター、「憲法」や「演説」を書くなど)を出して学生に文章を書いてもらい、その文章について学生とともに話し合いながら、お互いにああでもない、こうでもないと考えはじめます。

それらの素材やこれらの講義自体をダシにして、「書くこと」や「話すこと」にとどまらず「生きること」をめぐってああでもない、こうでもないと、まるでソクラテスのように「考えること」自体が、この授業の狙いなのでしょう。

言葉という重宝な道具を上手に使いこなして「考えるすべを見出すこと」、そうして本人未踏の知られざるどこか遠い世界の果ての果てまで思惟の旅を続けることが、この「言語表現法」講義の遠大な目標となっているようです。

そうしてこのユニークな講義の実況中継を読む私たち読者は、著者が設定したその簡単な仕組みからもたらされる、もぎたての果実を味わうような思考のみずみずしさとおいしさを追体験することができるのです。


♪どこまでも遠くへ行くんだ言葉という翼に乗って 茫洋

Thursday, October 08, 2009

スピルバーグ監督「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.14

自分が大好きな人はいざ知らず、あまり好きでないからこそ人はもう一人の自分を夢見たり、年甲斐もなく自分探しなる虚妄の旅路に出るのでしょう。

そういう元スポーツマンにうってつけの映画がこれ。パイロットや医師や法律家に次々に成り済ましてしまう実在の男フランク・ウィリアム・アバグネイルをモデルにした映画です。

アバグネイル役を演じるデカプリオと、トム・ハンクス扮するどこか間抜けなFBI捜査官との虚々実々のかけひきがなかなかおもしろく、クリスマスイヴになると寂しくなるデカプリオがオフィスでたった一人のトム・ハンクスに電話してくるところなぞ泣かせます。

それにしても六〇年代のパンナムのパイロットはよくもてたのですねえ。美人スッチーを何人も従えて空港を闊歩するかっこよさ! いまや飛ぶ鳥さえ憐れむ体たらくに陥ったわがナショナルフラッグの高給取りも、さだめしこのあで姿にあこがれて入社したのでしょうね。やってることは鳩バスの運転手とバスガイドさんと同じだというのに。

多重人格の持ち主ならずとも、千恵蔵の「7つの顔の男」でなくとも、人間はいくつものことなる性格や適性を内蔵していますから、アバグネイルのような別人格成り済ましも十分可能なはずですが、この映画のようにどこまでいっても「らっきょうの皮むき」状態となると自己同一性の喪失ということになって大変ですね。

そしてスピルバーグの映画作りもどことなくこの「らっきょうの皮むき」に似ていて、それぞれの皮(作品)はそれなりに面白いのだけれど、所詮はらっきょうの皮にすぎなくて、見終わってしまえば「それでどうしたの?」と観客がみな口をそろえて言うので、スピルバーグは仕方なくまた「新しいらっきょうの皮」を見せなければならなくなるというわけです。

♪一枚また1枚らっきょうの皮めくるめくわが人生 茫洋

Wednesday, October 07, 2009

吉村昭著「彰義隊」を読んで

照る日曇る日第295回

徳川幕府に最後まで忠誠を誓い、上野の森に立てこもって薩長の朝廷軍と戦った彰義隊は新撰組と並んで江戸が最期に咲かせたささやかな玉砕の2輪の華でしょう。

しかし著者がこの本で精細に描いているのは、その彰義隊本体ではなくて、彼らの精神的支柱と仰がれ、後に奥羽列藩同盟の盟主に担ぎあげられた寛永寺門主の輪王寺宮の波乱に満ちた生涯の軌跡です。

輪王寺宮は名は能久、法名を公現と称し、弘化4年1847年伏見宮邦家親王の第9子として生まれ、12歳で勅命により輪王寺宮を襲名し、元治元年1864年には親王の位の第1位をさずけられて天台宗の最高責任者として比叡山、東叡山、日光の3山を管領するようになりました。

輪王寺宮は慶応4年1867年1月の戊辰戦争で敗北した一橋慶喜の一命を救助しようとして箱根を下り、朝廷軍の東征大総督であった有栖川宮の慈悲を乞うたのですが、にべもなく拒否されてしまいます。有栖川宮は自分の婚約者であった和宮を奪った徳川家を憎み、その一族である慶喜に味方する輪王寺宮に冷酷に対応したのです。

同じ皇族のよしみを心頼みとし、交渉に楽観的であった輪王寺宮の自負と矜持はむざんに打ち砕かれ、あまつさえ有栖川宮率いる官軍は彰義隊を討伐すると称して輪王寺宮が居住する寛永寺をなんの断りもなく砲撃します。

この時の体験が彼の運命を一変させてしまいました。朝廷を代表する一員であり、明治天皇の伯父でありながら、輪王寺宮は有栖川宮への敵意と対抗意識から官軍に反旗を翻し、賊軍である幕府の側に立つのです。

しかし東北雄藩の奮戦むなしく奥羽列藩同盟はあっけなく崩壊し、輪王寺宮はまたしても一敗地にまみれてしまいます。朝廷軍に降伏して京に呼び戻された輪王寺宮は、東征のみならず佐賀の乱や西南戦争の鎮圧にも勲功をあげた有栖川宮に激しいライバル意識をいだき、兄の小松宮の力を借りてドイツに留学して軍事技術を修得し、勃発したばかりの日清戦争に従軍して国恩に報いようと望んだのですが、その切なる願いを握りつぶしたまま宿敵の有栖川宮は61歳で逝去してしまいます。

けれども明治23年5月、ついに宿願が果たされる日が到来しました。兄の小松宮によって近衛師団長に任じられた輪王寺宮は、清国と通じた台湾の不穏な動きを鎮圧することを命じられたのです。かつての朝敵としての汚名をそそごうと勇躍した輪王寺宮は、兵士の先頭に立って清国軍と激戦を繰り広げたのですが、不幸にもちょうどその頃台湾で大流行していたマラリアに感染し、同年10月28日48歳で病没しました。

もしかすると明治天皇に代わって天皇になっていたかもしれない一人の男が高僧となり、反乱軍の長となり、天下の朝敵となり、ついには大日本帝国の軍人として異国の地に斃れる。著者はその悲壮感にみちた波乱万丈の生涯と彼を最後まで突き動かした強烈な心的機制を慈愛の目で丁寧に描きつくしています。

♪天皇になるか天下のお尋ね者になるか紙一重 茫洋

Tuesday, October 06, 2009

カルロ・リッツイ指揮ウイーンフィルで「椿姫」を視聴して

♪音楽千夜一夜第85回

これは05年8月7日にザルツブルク祝祭大劇場で行われたヴェルディの「椿姫」の公演録画ですが、新星ビオレッタ役のアンナ・ネトレプコの容姿と演技と歌唱に終始魅了されました。

この人はモデル並みのスタイルと美脚の持ち主であり、加えて軽くて透明なソプラノの喉を持ち合わせています。カラスやデバルデイが好きな私は、この種の吹けば飛ぶよな軽い声質には大いに抵抗があり、だからアンナ・ネトレプコの日本版ともいうべき森麻季のような水溜りをアメンボウのように滑りつづけていく歌唱を冷たく見下しているのですが、アンナには森嬢にはない腰の強さと劇性も備わっています。

顔容はアップになると美形というよりは可愛らしさが勝ったいわゆる狆ころ姉ちゃん顔ですが、赤いドレスに赤い靴のアンナ嬢が赤いソファーの上で前後左右に寝転がって白い太腿を惜しげもなく剥き出しにすると、場内超満員の観衆は大口をぽっかり開いてよだれを流しているのです。高等娼婦にふさわしい演出であり演技であると感服しました。

相手役のアルフレート役のロランド・ビリャソンもかなりのイケメンで美男と美女がさかりのついた猫のようにいちゃつきながら抱擁と激しい接吻を繰り返すのですから、ヴェルディの音楽どころの騒ぎではありません。

けれどもそんな激しい演技のために歌唱がおろそかにされることはなく、どのアリアも平均以上に歌いこなしているのです。その若い二人を脇でしっかり固めているのがベテランバリトンのトマス・ハンプソンで、なぜか第1幕の冒頭から出演してヒロインの行く末を案じている医師役のルイジ・ローニともどもオペラの縁の下をがっちり支えています。

そして特筆すべきは演出のウイリー・デッカー。伝統的なスタイルをいっさい廃棄して、青と白の照明を基調とした簡素な舞台に、大きな時計や白いバラ、赤いドレス、ソファーなどの小道具を巧みに使って、ヒロインの悲劇を象徴的に劇化することに成功しています。とりわけ2幕のパーティから3幕の主人公の死の床への転換を幕を下ろさずに続けた箇所などはまことに秀逸でした。

そんなわけでこの公演は、かつて最晩年のゲオルグ・ショルテイが1994年にロンドンのコベントガーデンで当時話題の美人ソプラノアンジェラ・ゲオルギューと組んで行った素晴らしいライブに匹敵する内容になりました。

いずれも超美形イコンの登場で話題を呼んだことでは共通していますが、両者を比較すると、その公演の成功にもっとも貢献したのが前者では指揮者、後者では演出家の働きであったことが、この15年間の歳月の経過を雄弁に物語っているように思います。


♪はしなくも大指揮者の時代終り中小演出家の時代来たれり 茫洋

Monday, October 05, 2009

ケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ響「パルシファル」を視聴して

♪音楽千夜一夜第84回

04年8月にバーデンバーデン祝祭劇場で行われたライブの映像です。ケント・ナガノという人の指揮を私はまったく評価していませんでしたが、このワーグナーではさしたる破綻も見せず、最後までなんとか無難に振っていたので驚きました。

昔からよく言われるように、指揮者の役割は3つしかありません。それは一斉に音楽を開始すること。そして開始した音楽をうまく演奏すること。最後は開始した音楽を一斉に停止させることですが、ケントはこの3つの重要な使命のうち2つの仕事は確実に果たしたといえましょう。彼の手兵ベルリン・ドイツ交響楽団も劇的な盛り上がりには欠けますが、まずまずの伴奏振りといえましょう。

タイトルロールのクリストファー・ウエントリス、アンフォルタス王役のトマス・ハンプソンもまずまずの歌唱ですが、グルネマンツのマッティ・サルミネン、クンドリのワルトラウテ・マイヤーの2人が正統的なワーグナーうたいらしい充実した歌唱を見せています。とりわけサルミネンは素晴らしい。彼のいないワーグナーなんて小澤のいない民主党のようなものでしょう。

そしてこれらすべての配役にもましてこの舞台神聖祝祭劇の荒唐無稽な物語をわかりやすく交通整理して美しく明快な見世物に仕立てていたのは、意外なことに演出家のニコラウス・レーンホフその人でした。聖なる愚者パルシファルを色仕掛で誘惑するクンドリの妖艶さ、そしてその誘惑を断ち切って敢然とおのが意志を貫く主人公の晴れ姿も彼の演出の賜物でしょう。

ただ最高に盛り上がるはずの第3幕の「聖金曜日の音楽」が不発に終わってしまったのは指揮者の責任です。ダルなN響をしどろもどろに振りに来日する暇があったら、少しはクナパーツブッシュの録音を聞いて勉強してもらいたいものです。

♪金の時代には金の音楽銅の時代には銅の音楽 茫洋

Sunday, October 04, 2009

スピルバーグ監督「宇宙戦争」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.13


オーソン・ウエルズがラジオ番組にして全米をあっと驚かせた英国の作家H.G.ウエルズの原作をスピルバーグが映画化しました。

雷鳴が轟きわたる黒い空から突然襲来してくる凶悪な宇宙人たち。思いもかけず彼らは天体からではなく、地球の足元から次々に湧き出てきます。知能とハイテク技術に長けた彼らは、地球生誕の大昔からわたしたち人類の下部構造に潜んでいたのです。

ですから宇宙人というのは、わたしたち自身に内在している闇の部分、他者への無関心と敵意と殺意そのものといってもよいでしょう。

だから画面は終始暗く陰鬱そのものです。扮する家族もお互いにとげとげしく反発しあい、愛情のかけらもないバラバラの状態です。

スクリーンにうごめく暗い人物の不吉な影。そこへ襲いかかる武装した宇宙人軍団。最強を誇った地球防衛軍はあっというまにほぼ全滅状態となり、わずかにオオサカの善戦がボストンにまで伝わってくるのみ。地球最後の日は目前に迫りました。

この映画では、スピルバーグが、あるいはわたしたち自身が持っている果てしもなく絶望的で退嬰的な悪魔の世界が延々と描写され、万策尽きたと誰もが思わされたその瞬間にかすかな曙光が差しこみ、お約束といえばお約束の奇跡の逆転劇がラストで訪れる。そのドラマの道行がいかにもスピルバーグであります。


われらが地獄面よりぬっと立ち上がる悪鬼どもを倒すのは誰 茫洋

Saturday, October 03, 2009

ジョージ・キューカー監督「恋をしましょう」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.12

まずタイトルが単純明快でよろしい。なんたってLe t's make loveですぞ。

次にマリロンモンローが単細胞で超可愛いところがよろしい。3番目は、モンローに恋したイブモンタンが彼女の歓心を買おうと歌をビング・クロスビーに習うところがおもしろい。クロスビーに褒められたモンタンが赤くなるところは最高です。(なお彼はおそらくはミスキャストじゃろう。)

モンタンは踊りをジーン・ケリーからも教わるのですが、この場面はもうちょっと長く丁寧に見せて欲しかったのです。

お話は大富豪でプレーボーイで実業家のモンタンがモンローに一目ぼれして、彼女が所属する小劇団の素人役者となって、恋敵と張り合って、すったもんだのどたばたの挙句、ついに初めての恋をハッピーエンドにまでもちこむという軽妙な三文ハリウッド喜劇です。

たしかに三文は三文なのですが、最近のハリウッドも日本映画もこういうこていな三文コメディを生産する余力がなくなってきたのはとても残念です。空疎な「超大作」はもうやめにしてちょうだい。

モンローは亡くなる二年前なのにとても元気。この能天気な映画を見ていると、もっとあの甘美なお色気とおばかなキャラと下手くそな歌を生かしたミュージカル映画にたくさん出てもらいたかったとつくづく思わされます。


♪セクシーシンボルというよりちょいといかれた芋ねえちゃんマリリンモンローノーリターン 茫洋

Friday, October 02, 2009

吉村昭著「天狗争乱」を読んで

照る日曇る日第294回

水戸天狗党が尊王攘夷の実行を求めて筑波山に集結したのは明治維新まであと5年足らずに迫った元治元年3月のことでした。過激な尊王攘夷論者である藤田小四郎が、水戸藩町奉行田丸稲之衛門を大将に仰ぎ、63名の同志とともに決起したのは、京の天皇を尊崇することによって、幕府の権限を強化し、わが国の官民が一丸となって諸外国を打ち払い(攘夷決行)、井伊大老によって開港された横浜を閉鎖することでした。

徳川斉昭が率い、会沢正志斎や小太郎の父藤田東湖を擁する幕末の水戸藩は、この尊王攘夷という思想の淵源の地でしたが、攘夷激派である水戸天狗党は、藩内の門閥派や同じ攘夷の穏健派である鎮派と対抗しながら、この思想を現実の政策として実行するために長州藩や朝廷との共同戦線を夢見ながら武装蜂起したのでした。

激派の武士のみならず神官、農民らも加わっておよそ千名の大勢力に膨れ上がった天狗勢でしたが、公武合体派が牛耳を握っていた当時の幕府執行部の執拗な追跡と徹底的な弾圧をこうむります。そして水戸の門閥派や追討軍と戦いながら故郷水戸からはるばる厳冬の越前までの逃避行を余儀なくされた彼らは、主君である徳川慶喜から無情にも見捨てられ、幕府の敵として人夫をのぞいたほぼ全員が翌慶応元年2月に雪の敦賀で斬首されます。当たり前のことながら、思想は人を殺すのです。

この天下に名高い天狗党の乱の顛末を、著者は例によって感情を押し殺した冷静無比な筆致で淡々と記述します。

しかし、天狗党の暴れん坊田中源蔵の火つけ強盗の落下狼藉、それとはあまりにも対照的な天狗党本体の見事なまでに清廉潔白な行軍ぶり、西南戦争の西郷軍の可愛岳踏破に酷似した蠅帽子峠の強行突破、千尋の谷底へ落下していく馬の悲鳴、降伏した天狗党総大将武田耕雲斎と加賀藩代表永原甚七郎のまるで歌舞伎の千両役者の舞台を思わせる永訣の場面、水戸藩門閥派の巨魁市川の冷酷非情な仕打ち、そして英傑と謳われた徳川慶喜の武士として、人間としてあるまじき卑怯未練な態度、などを黙々と認める作家の心のなかでは、清濁併せ呑む歴史の奔流に無言でのみこまれていった非命の人々、敗残の民への無限の共感と大いなる悲しみが激しく渦巻いていることが感じられるのです。


当たり前のことながら思想は人を殺すのだ 茫洋

Thursday, October 01, 2009

アーサー・ペン監督「俺たちに明日はない」を見て

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.11

どうして原題の「ボニーとクライド」が「俺たちに明日はない」に変身したのかわかりませんが、アメリカ30年代の大不況期に銀行強盗を繰り返した若い2人が主人公の悪漢映画という名の恋愛映画であります。

冒頭、田舎町のしがないウエイトレスが満たされない生と性の欲求にもだえている。そこに刑務所から出てきたばかりのかっこいいあんちゃんが現れて、目と目がふとしたはずみで出会う。ここから運命の恋がはじまります。

クライド(ウオーレン・ビーティ)はテキサス一かっこいい美女ボニー(フェイ・ダナウエイ)を見染め、彼女のためなら盗みでも殺人でもなんでもやろうと心に決め、そのみえのために実際即座にそれを実行します。

そしてそれ以降の強盗行為と逃避行はその最初のもののはずみのあとの一瀉千里の玉突き行為の結果にすぎません。

2人が若い手下をリクルートしたり、クライドの兄夫婦が犯罪グループの仲間入りをしたり、強盗団がテキサス・レンジャーを捕まえてなぶりものにするエピソードもあくまでもこの映画の付けたたしであって、この映画の本当のクライマックスは、逃走劇の最後に、性的に不能であったはずの男がどういう風の吹きまわしか初めて女と性交することに成功し、「どうだった?」と恐る恐る尋ねたクライドに、ボニーがはずかしそうに「良かった」と答えるシーンにあるのです。

女の言葉は多少ともリップサービスであったとしても、男の方はこれは絶対うれしかったに違いありません。クライドはこの瞬間銀行を襲ってドルの札束を手に入れたときよりもはるかに大きな満足と生きる喜びを味わいます。

実際画面に目を凝らすと、このシーンからの2人の表情は、それまでのプラトニクな恋愛の陰影ではなくて激しい性愛の燃えるようなよろこびに彩られており、突如百千の銃弾によってそれが断ち切られるその瞬間まで、ボニーとクライドは人生でもっとも充たされた時間を生きたといえましょう。


♪性愛の讃歌非情の銃弾テキサスの荒野にこだませり 茫洋