Tuesday, July 31, 2012

アンドリュー・V・マクラグレン監督の「大いなる男たち」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.285


南北戦争が終わった直後のアメリカを舞台にした物語です。

元北軍の大佐、御大ジョン・ウエインに相対する元南軍の大佐に扮するはなんとロック・ハドソン。かつての敵味方が憎み合いつつも協力し合って革命下のメキシコをめざすという一大冒険譚であるんであるんであるん。

かねてからこの大根役者に悪口雑言の限りを投げつけてきたけれど、あにはからんやこの映画でのロック・ハドソンの演技は格調高く、ウエインよりも重厚な存在感を示している。1本や2本の出演映画を見ただけで安易に決めつけてはいけませんでしたね。


自分で手を下さず他人に殺してもらおうとする横着さ 蝶人

Monday, July 30, 2012

西暦2012年文月 蝶人狂歌三昧



ある晴れた日に 第112 

われらは生きている1$79円99の明るい living hell
どこからきてどこへゆくのか誰ひとり知る者はなく日々は流れやがてわれらも去る
夕間暮れ君と歩けば茜雲消えゆく空にカナカナ鳴きたり
けふ大暑「退会したユーザー」が妙に気になるミクシィかな
ネギを買わず玉ねぎを買い過ぎて怒られた
被災地より昨日着きたる柴犬次郎今は亡き我が家のムクに生き写しなりき
あたしがhymnを歌い終わるまでに出したら許さないからねと脅されました
なんとか教の教祖に成りあがりたる夢を見て教組も大変だと夢の中で思う
今日こそはあえて使うべし卯の花腐しといふ言葉
一人しか子供産ませぬその国に自由と人権あるはずはなし
死に絶えよマーラー9番アダージョに鳴る携帯の音
頓死せよマーラー9番アダージョに携帯呼び出し音を伴奏する男
ここでは私は一人の芸人として自由に歌うことが許されている
低機能も高機能も自閉症は自閉症なり先天的な脳障碍者なり
発達障碍なぞと言い換えても全く無意味生まれついての脳の傷怪我なり
発達が遅れているから発達障碍ではない生まれつき脳に傷があったからこうなった
生まれつき脳に傷があったからこうなった自閉症は病気ではない
帽を取り二度お辞儀して別れたりイチロースズキ背番号三十一
アホ馬鹿の巨人が勝てば腹が立つ中日の監督を権藤に変えよ
おじさんが頭を掻いてやると純ちゃんはうっとりと眼を閉じていた
万物是資生阿弗利加而一以全阿弗利加
遍在する一なるものより流れ出たりいちじるしく偏在すると見ゆるもの
そんな情けない声でしか鳴けないのかニイニイゼミ
十二所神社のバス停で座りこんでたあなたが待っていたものは何
フェイスブックにはキリギリスミクシィにはアリさんが棲んでいる
今朝早く花をつけたる蓮の花の今日一日の命なるかな
仏様が鎮座まします蓮の花白のまわりは薄き紅なり
一日で終わりと聞きし蓮の花ポンともいわず今朝も咲きたり
お父さんとお母さんに怒られました蓮の花と葉を捨てないでとあれだけ注意しておいたのに花托をちょんぎって滑川に捨てた耕君
鎌倉の谷戸のはずれの一軒家「隅田の花火」人知れず咲く
死刑廃止すれば道連れ殺人あきらめて一人静かに死んで呉れるか
堤家や正田家の如き巨大墳墓は嫌みなりわれらがテナーの墓所くらいがよし
時はいま卯の花腐しと言いつべし
無神論者も頭を垂れる神社かな
馬鹿まるだしを屁とも思わぬ奴ばかり
薔薇が咲くイージス軍艦の港を訪ねけり
この頃は玉葱ばかりなり百円野菜
蓮が咲くポンと言うたか言わないか


つばくらめ低く飛ぶ駅に入りけり 蝶人

Sunday, July 29, 2012

「ザ・デッカ・サウンド50枚組CD」を聴いて




音楽千夜一夜 272 


50枚で8000円ということは1枚160円で名門デッカの名演奏が楽しめるというまるで夢のようなCD選集です。

ケルテスのドボルザーク、ウイーン八重演奏団のベートーヴェンやメンデルスゾーン、リンカーンセンターにおけるサザーランド、パバロッティのライヴ、モントゥー、ロンドン響のラベル、ベーム、ウイーンフィルのブル4、ラド・ルプーのベートーヴェン、シフのゴルドベルグなどが選り取り見取り。なんの節操も無いアナーキーなコンピレーションですが演奏も録音も最高です。


あたしがhymnを歌い終わるまでに出したら許さないからねと脅されました 蝶人


Saturday, July 28, 2012

ビリー・ワイルダー監督の「七年目の浮気」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.284

結婚七年目を迎えたトム・イーウエル選手が、妻子をリゾートに送り出した夏の盛りにマリリン・モンローによろめくウエルメイドのリーマン・コメディ一幕物。

冒頭、妻子を避暑地に送り出した先住民のマンハッタン族とおなじことを百年後もやっていると切り出すこの軽快なユーモアとウイットがビリー・ワイルダーの得意技をウッデイ・アレンが何度も盗んだ。

モンローが地下鉄の風で下半身を冷やすシーンも、彼女がパンティを冷蔵庫で冷やしているほどの暑がりであるという性格描写を徹底するために用意されたのであって、必ずしも白いパンティを観客に見せて喜ばせようとする意図からではなかった。でも見せているけど。

ワイルダーの薫陶よろしくコメデイエンヌ、マリリン・モンローは気を吐いているが、トム・イーウエルの代わりにジャック・レモンならもっと楽しめたのに。


ネギを買わず玉ねぎを買い過ぎて怒られた 蝶人



Friday, July 27, 2012

片山杜秀著「未完のファシズム」を読んで




照る日曇る日第526


「持てる国」英米ロと「持たざる国」日本の余りにも大きなギャップ、これが本書のキーワードです。

国土に資源なく、人こそ満ちたれどそれを養い育む科学技術産業も剰余豊かな文化文明もない日本を、いかにして文武両道を兼備した欧米並みの強国に仕立て上げてゆくか。それが漱石鴎外のような知識人のみならず日本の軍人と軍隊にとっても最重要の課題でありジレンマであったことを、私は本書によって初めて教えられました。

わが国が持たざる国である以上、その身の丈に合った軍事力で西欧先進国に対抗しようと考えた荒木貞夫や小畑敏四郎などの「皇軍派」と、まずは日本を豊かな強国にしてから一流国と対等になり、ある段階で軍事的に叩こうと考える永田鉄山や鈴木貞一・石原莞爾などの「統制派」の骨肉の闘争は有名です。

日本のような持たざる国が物資物量の豊富な大国と戦ってもまず勝ち目はない。しかしそれでは持たざる国の軍隊の存在理由なんて全然がない。物資兵力が劣勢でも精神を鼓舞し、側面攻撃などの戦略を活かして賢い短期決戦を挑めば、局部的な勝利を収める可能性はあるはずだから、その間に味方に有利な休戦にもちこむ道もあるだろう。

そういう苦し紛れの現実主義に立つ「皇軍派」の小畑たちは、武器より精神力が大事だと力説した「統帥綱領」と「戦闘綱領」を残してあの2.26事件で「統制派」との党派闘争に敗れてしまいます。

しかしいくら統制派でも単なる陸軍の派閥ですから、持たざる国を一挙に持てる国にするなんてたやすくは出来ません。それには長い時間と経験、そして政治・経済・社会全体にまたがる機能・権限の強力と集中が必要です。

それでもあえてここを強突破するためには、議会と明治憲法と天皇主権の掣肘をとっぱらって陸軍軍事独裁体制を敷く必要がありました。統制派きっての跳ね上がり石原莞爾は、わが国を豊かにして1966年に世界最終戦争を仕掛けるはずだったのに、実際にはおのれの理論をおのれの軍靴で踏みにじって「満州国」を創成!?しましたが、この恣意的で無思慮な試みが不毛な突出に終わったことは他ならぬ歴史が証明(未完のファシズム)しています。

そして「統帥綱領」と「戦闘綱領」の精神力賛美は、その後、中柴末純の歪んだ脳髄によって東条英機の「戦陣訓」に発展的に継承され、仮に劣勢でも勝敗に関係なく降伏せずに全員戦死せよ!という「一億玉砕」の思想に結晶していきました。

以上駆け足で著者の考えを紹介しましたが、その他にも宮沢賢治の文学と国柱会の関係など興味深い論考が随所で繰り広げられています。


介護される方が死ぬか介護する方が死ぬかそれが問題だ 蝶人

Thursday, July 26, 2012

舛田利男監督の「二百三高地」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283

駄優、あおい輝彦を主人公に、往年の有名スターがどっさり出演している日露戦争夜話であるが、演出がひどすぎる。

恋人を戦地に送り出した新婚ほやほやの夏目雅子をフューチャーしながら、さだまさしの聴くだに恥ずかしくなるようなおセンチな音楽がこれでもか、これでもかとかぶさる。

映像だけで語り尽くせない不安と自身のなさから、こういう感傷過多の三流演歌におんぶにダッコだっこするのである。なにが「愛は死にますか」だ。そんな恥ずかしい歌を臆面も無く歌えるもんだ。お前が勝手に死ね。

笠原の脚本も酷過ぎる。児玉源一郎の加勢でようやく二百三高地を落とした乃木将軍(仲代達矢)が明治天皇の前で報告書を読みあげながら万感胸に迫って号泣、号泣、また号泣するというお涙頂戴の茶番劇に堕してしまった。

それにしても三船敏郎の明治天皇はないと思うけど。


夕間暮れ君と歩けば茜雲消えゆく空にカナカナ鳴きたり 蝶人


Wednesday, July 25, 2012

ビーバン・キドロン監督の「ブリジット・ジョーンズの日記きれそうな私の12か月」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283


 ヒロインのレネー・ゼルウィガーとヒーローダーシー役のコリン・ファース、そしてその強力なライヴァル役であるヒュー・グラントは前作に引き続き出演しているが、なぜか監督が変わった。でも変わっても演出がとくに良くなったわけではない。ともかく中級の娯楽作品だから誰が監督でも同じことなのである。

 しかし今回はなんの必然性も無く舞台がタイに変わって、ここでヒロインが大変な目に遭うのだが、この絶体絶命のピンチに喧嘩別れしていたダーシー氏がやっぱり駆けつけてくれて、2人はめでたく一緒になるのである。

邦題の「きれそうな私の12か月」は原題のThe Edge of Reasonがサマセット・モームの「The Razor's Edge(剃刀の刃」を踏まえていることを知ったうえでの命名で見事だが、私なら「リンダ、狂っちゃいそう」じゃなかった、「ブリジット、狂っちゃいそう」で行きたいと思う。


発達障碍なぞと言い換えても全く無意味生まれついての脳の怪我なり 蝶人



Tuesday, July 24, 2012

シャロン・マグアイア監督の「ブリジット・ジョーンズの日記」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.282


ちょっとおでぶでちょっと可愛らしい女子ブリジット・ジョーンズ(レネー・ゼルウィガーが好演)を主人公とするうれしかなしいトタバタ恋愛物語です。

男(女)はどうしても顔が綺麗で体がスリムな女(男)に惹かれてしまうので、この映画のヒロインのようなタイプに愛嬌以上の愛を感じて接近をはかる男性にはとりあえず深甚なる敬意を表したいし、それがやっさもっさ色々あった挙句に落ち着くところに落ち着いたのはまことに慶賀にたえないおはなしなのである。

 しかし世の中には外面似菩薩内心夜叉という男女はいくらでも存在していて、外面が美しくても心の姿かたち、内実の良さというものが外部から窺えないから困ってしまう。

いっそ心の中でなにを考えているのかが額にデジタルでディスプレイ表示されるようになればいいのにと思ったりしながら、ひとの心をほんわかとさせてしまうこの奇特な映画を眺めておりました。

この映画がジェーン・オースティンの小説の影響を受けていると説く御仁が居る。確かに彼氏の名前は「高慢と偏見」に出てくるダーシー氏だが、だからといって特に共通点があるわけではない。小説と違って映画はそんな大層でご立派なものではないわいな。


帽を取り二度お辞儀して別れたりイチロースズキ背番号三十一 蝶人


Monday, July 23, 2012

相米慎二監督の「お引っ越し」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.281


1993年に製作された夫婦の離婚とその波紋を描いた人情噺。父親が中井貴一、母親がなんと桜田淳子、彼らの一人娘に田畑智子という異色のキャスティングが面白い。ちなみに田畑智子は本作が映画デビュー、桜田淳子は映画どころか芸能界最後の作品となってしまったが、その女優としての異能を自らの手で封じてしまったことがつくづく惜しまれる映画でもある。

この映画は珍しく京都とその近郊が舞台となっており、ほとんどの会話が現代の京都弁で終始しているが、京都市東山区の出身である田畑智子のしゃべくりと自由奔放な演技に魅了される。

相米慎二は「映画の作法をいつのまにか逸脱して映画の外部への遁走を図ろうとする異様な映画」を理想とした監督であるが、本作に於いても五山送り火「大文字焼き」の夜に母親の追及を逃れた田畑智子が山野の闇にさすらうシーンや琵琶湖に浮かんだ船が炎上するラストなどは、もはや映画の主題から大きく逸脱した巨大な妄想がさながらフェリーニの幻影のように激しい情念の炎を噴き上げて、見る者を圧倒し戸惑わせるのである。


最期まで映画ならざる映画を夢見た男、それが相米慎二だった。


低機能でも高機能でも自閉症は自閉症先天的な脳障がいなり 蝶人


Sunday, July 22, 2012

森史朗著「ミッドウェイ海戦第二部」を読んで




照る日曇る日第525


第2部ではいよいよ決戦の時を迎えた日米両軍の死闘が膨大な資料を読み込み、最新の取材を駆使して分刻みで「事実」が詳細に再現・検証されるが、ここでも特徴的なのは日本側の指導者たちの油断であり脳天気であり白痴的な思い込みと非科学的独断である。

著者は、海戦の当日の朝、南雲機動部隊が旗艦赤城から全艦隊に発した「本日敵出撃ノ算ナシ」という信号命令が、その後の雷爆転換作業、そして第2次攻撃隊発進遅延へと続く海戦大敗へ誘導する導火線となった」と断じている。

ミッドウェイ海戦の結果、日本軍は空母4、重巡1、搭載航空機285、熟練搭乗員109組と多くの戦闘員(その中には第2航空船隊司令長官と加賀、飛龍、蒼龍艦長の殉死を含む)を、米軍は空母1、駆逐艦1、航空機147とその乗員を失ったが、この空母決戦を契機に太平洋における制海権と制空権は急速に米軍の支配下に入ることとなり、その趨勢が逆転する機会はついに訪れなかった。

本書によれば、「1年や2年は暴れてみせる」はずの連合艦隊が、開戦わずか半年で犯したこの致命的な蹉跌の原因について「温情あふれる」山本五十六はいっさい不問に付し、無数の陛下の忠良な兵を絶海の鱶の餌食にした南雲、草鹿、源田などの無能な指揮官(常に戦わずして戦場から逃亡し続けた栗田ほど酷くはなににしても)の責任と作戦指導の誤りを一言も追及することなく放置し、第3艦隊の要職につけることによってさらなる誤りを犯したのであった。あまつさえ彼らは海戦の真実を国民、そして天皇に対しても隠そうとはかったのであった。

 情けないわれらが指揮官たち(山口、加来、柳本を除く)に比べて、本書にあって高く評価されているのは、敵ながらあっ晴れな第16機動部隊司令官である。

生まれて初めての航空戦指導にもかかわらず、他人の進言を容れる雅量と沈着冷静な判断力、そして広範な戦場の全貌をよく呑み込んだ大胆不敵な戦術(航空機の全力投入)で2隻の空母を駆使して指揮「赤城」、「蒼龍」を撃沈したレイモンド・A・スプルーアンス少将のような軍人がわが陣営にあったなら、と思わずにはいられない。


けふ大暑「退会したユーザー」が気になるミクシィかな 蝶人



Saturday, July 21, 2012

森史朗著「ミッドウェイ海戦第一部」を読んで




照る日曇る日第524

真珠湾の奇襲で大戦果を挙げたばかりの世界に冠たる大日本帝国艦隊が、そのおよそ半年後の1942年6月5日の中部太平洋沖でいったいどうして主力空母4隻撃沈という惨憺たる敗北を喫したのかかねがね疑問に思っていたので手に取ったのが本書である。

 著者によれば、本来なら永野総長指揮下の軍令部がこうした大きな作戦を企画立案するはずが、真珠湾のお手柄で山本五十六の存在が圧倒的に大きくなったために永野が遠慮し、下部組織の連合艦隊側の発言権が増大していたそうだ。

 そしてその幕僚では山本が偏愛する奇人変人の黒島主席参謀が独走し、山本はそれを放任していたという。また海軍全体でミッドウェイで敵空母と一戦を交えようとするコンセンサスなどはまるでなく、そもそも山本が望んでいたのは「ハワイ占領戦」であり、時代遅れの「戦艦」大和に自らが座乗してミッドウェイに乗り込むなど望むところではなかったという。あまつさえ彼は艦隊の一部を割いてアリューシャン方面に派遣し、あってはならない戦力の分断の愚を自ら犯していたのである。

 しかしいずれは圧倒的な米軍の前に膝を屈する日が来るにしても、それを一日でも遅らせ、講和に持ちこむチャンスを憎大させるために、ここで敵空母を徹底的に叩いておかねばならぬ。そういう思いでは各自の志操は共通していた。しかし山本はその指揮下の南雲忠一第一航空艦隊司令官とは不倶戴天の間柄であり、その他日本海軍首脳相互と各幕僚たちの連携は米軍のそれにくらべても悪かった。

ちなみに彼我の戦力を比較してみると日本海軍は空母・戦艦の数、高速艦隊の機動性、戦闘機と搭乗員の優秀性で上回っていたが、敵がフルに活用しているレーダーはなく対空火器が不十分で航空機の防弾・火災対策がなされておらず、なによりも、「策敵と情報収集」に対して驚くほど無神経で無為無策であり、結局これが致命的な敗戦の要因になったといえる。

とりわけ最新型の策敵機を持ちながらそれを活用せず、空母直掩機を一艙当たり僅か3機で良しとした航空甲参謀源田実や参謀長草鹿龍之介、「攻撃機の半分は魚雷装備で待機せよ」という連合艦隊司令長官自らの命令を、かつての真珠湾への第2次攻撃と同様に無視した南雲一航司令官の罪は大きい。ちなみに著者によれば南雲は軍人にあるまじき小心者であった。

初戦の大勝におごり、なんの客観的な根拠もなく「鎧袖一触敵をほふる」などと豪語していたわが軍の指導層の恐るべき傲慢と無知と夜郎自大、意思不統一と内部対立と混乱がこれほどひどいとは知らなかった。


死刑廃止すれば道連れ殺人あきらめて一人静かに死んで呉れるか 蝶人

お知らせ 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う
 このうたが本日の「日経歌壇」岡井隆氏選の3席に入りました。


Friday, July 20, 2012

東京新宿文化学園服飾博物館で「アフリカの染織」展を見て




ふぁっちょん幻論71茫洋物見遊山記89 


ここのところ、アフリカの政治経済文化活動はいちじるしく停滞低迷を続けていますが、欧米とアジアの繁栄が終息する半世紀後にこの現生人類を生んだ母なる大陸の存在がふたたび輝かしい光彩を放つであろうことは、ゆくりなくもこの会場に拡げられた東西南北アフリカ諸国の染織の産物を眺めていればおのずから確信できることです。

イスラムと西欧の感性が見事に調和したモロッコ、チュニジアの衣装やガーナ、ナイジェリア、マダガスカル、カメルーン、コトトジボワールの巻衣、上衣、肩掛け、腰巻衣などの染織の色、柄、デザインの基調はわたしたちが観念的に想像しがちな原色のド派手なテーストのものではなく、じつに繊細で知性的でエレガントな産物揃いで、とりわけナイジェリアのブブと称せられる呪術的なデザインのコートはまるで江戸時代の風呂敷のように東洋的で洒脱な感覚で統一されておりつよく印象に残りました。

考えてみればこの大陸に生まれ育った人類の遺伝子が世界各地に散らばっていったのですから欧米、ユーラシア等のすべての人種に偏在する多種多様な遺伝的要素は、現代のアフリカ人のDNAに遍在しているのでしょう。百聞は一見に如かずを地でいくような展覧会です。


*なお同展は来る9月21日まで開催中。ただし日曜祭日は休館です。


万物是資生阿弗利加而一以全阿弗利加 蝶人

遍在する一なるものより流れ出たりいちじるしく偏在すると見ゆるもの 蝶人

Thursday, July 19, 2012

川西政明著「新・日本文壇史第8巻」を読んで




照る日曇る日第523

「女性作家の世界」と題された本巻に登場するのは、佐多稲子、岡田嘉子、田村俊子、伊藤千代子、杉山智恵子、西沢あさ子、平林たい子、林芙美子、宮本百合子、野上弥生子、湯浅芳子、森茉莉、幸田文、井上荒野、岡本かの子、宇野千代、金子みすず、杉田久女、瀬戸内寂聴、鈴木真砂子、河野多恵子、中城ふみ子、富岡多恵子、網野菊、芝木好子、武田百合子、曽野綾子、竹西寛子、津村節子という圧倒的な壮観で、これを総覧すればとくに男子の作家など昭和の本邦では不要ではなかったのかという不逞で不届きな疑問すら湧いてくる。

総じて男の小説は観念的で一面的で万物を一刀両断して我が事足れりとする傾向があっるが、女のそれはそんな生易しいものではない。男のかっこつけた与太話が終わったあとでおもむろに女の終わりなき因果と因縁の世間話がはじまるからだ。

今回印象に残ったのは岡田嘉子と杉本良吉の手に手を取った北帰行である。人民抑圧国家ソ連にあらぬ幻想を懐いて国境を越えた二人は、それぞれ銃殺と流刑の憂き目をみたばかりか無辜のメイエルホルドまで巻き込んで粛清されるという悲劇を生んでしまった。

社会主義にめざめ大連に逃避して零落し、命からがら帰国してから文学人生を切り開いた平林たい子の小堀甚二、江田三郎との交渉も興味深いが、林芙美子と外山五郎、森本六璽、巴里の恋人白井晟一との数奇な異性関係、それにも増して宮本百合子、湯浅芳子、野上弥栄子の肉体と精神とが複雑に入り組んだ同性関係を叙した箇所は優れた小説を読むより面白い。

昭和四八年八月、著者が同席した井上光晴の通夜の席で、埴谷雄高が歌った時に瀬戸内寂聴が号泣したという「どこからきて、どこへゆくのか」という歌を、わたしも聴いてみたかった。


どこからきてどこへゆくのか誰ひとり知る者はなく日々は流れやがてわれらも去る 蝶人

Wednesday, July 18, 2012

ソウル・ディブ監督の「ある公爵夫人の生涯」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.280


レイ・ファインズ演じる公爵とキーラ・ナイトレイが演じる公爵夫人の問題コンビが何と言っても素晴らしい。むかしこういうオキャンな同級生がいたが今頃どうしているのやら。

それにしても17世紀後半の英国社会って酷いものだ。貴族と平民の階級差別がインドより陰湿とはかねてより聞いていたが、たかが一介の公爵に、誰かを首相に据えたり、妻を暴君のように産む機械とみなす権限があるとは知らなかった。極東のどこかの国と似ている。

元をただせば愛してもいない癖にそんな公爵の夫人になりたいと願った若く美しい女の浅墓さが、彼らの悲劇を生んだのだが、嫌がる夫人をレイプしたり、公然と妻妾同居の生活を続けて恬として恥じない超エリートの生き方には、いくら映像と音楽が綺麗な映画とはいえ生理的な不快感を覚える。

ましてそれがほぼ実話であると知ればなおさらのことだ。似ても焼いても喰えないこの夫婦が、ラストで訳の分からない和解に至るのもあまりにも唐突で納得できなかった。

しかしこの映画の思いがけない贈り物はあの「愛の嵐」の名花シャーロット・ランプリングの登場。さすがに乳母桜となってしまったが健在と知ってうれしかった。


生まれつき脳に傷があったからこうなった自閉症は病気ではない 蝶人

Tuesday, July 17, 2012

クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.279


27年間投獄されていたネルソン・マンデラが、南ア共和国の大統領になる。

白人と黒人の対立解消に心を砕き、いろいろ苦労するのだが、1995年のラグビー世界選手権に奇跡の優勝を遂げることを通じて国内の敵対勢力を融和に導くことができたという、まるで奇跡のようなおとぎ話のような大成功物語。

細かくあらを探せばいろんなことが言えるが、まあ結果よければすべてよしみたいなスポーツパラダイスストーリではある。マンデラに扮したモーガン・フリーマンが実物よりカッコいいのはどういうわけだ。イーストウッドは憎たらしいくらい観客を泣かせる壺を心得ている。


お父さんとお母さんに怒られました蓮の花と葉を捨てないでとあれだけ注意しておいたのに花托をちょんぎって滑川に捨てた耕君 蝶人

Monday, July 16, 2012

古澤憲吾監督の「ニッポン無責任時代」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.278



植木等が自称日本一の無責任男になって大活躍するといいう1962年製作のアホ馬鹿映画だが、根本的なアホ馬鹿映画ではなくてその背後に通底する暗さとその全体を覆う妙に背伸びした強勢感、圧迫感が最後まで気になる奇妙な映画だ。

学歴も金もコネもないリーマン1年生が、時代錯誤の能天気と度胸だけでのし上がって当時の時代閉塞の現状を変えようとぐあんばるお話だが、とどのつまりが北海道の水産関連の社長に就任し、後輩の結婚式が行われている今は亡き横浜プリンスホテルの高台でアホ馬鹿ソングを歌って万歳万歳おしまいという映画で、これではどこが無責任野郎なのかさっぱり分からない。

現実は高度成長経済が驀進している世の中なのだから、映画がそれをなぞるのではなくもう少し既成秩序と権力を打破して革命的脳天気資本主義社会をデッチ上げてくれるのかと期待していたのだが、これでは元の黙阿弥ではないだろうか。

「ハイそれまでヨ」というテーマ音楽がぴったりの空虚で虚妄な映画であるが、この明るい空しさこそが現在まで続く戦後ニッポン社会の本質であった。




なんとか教の教祖に成りあがりたる夢を見て教組も大変だと夢の中で思う 蝶人

Sunday, July 15, 2012

アナトール・リトヴァク監督の「さよならをもう一度」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.277&♪音楽千夜一夜 271


 歌を忘れたカナリアのような夫イヴ・モンタンのつれなさにいたく傷つき、「踊れないダンボ」のような鈍い演技を見せるイングリッド・バーグマンが、神経衰弱患者のようなエキセントリックな演技で応える年下のアンソニー・パーキンスと浮気するが、やっぱり元の鞘に戻る話。

原作はむかし熱病のようにもてはやされたおフランスの通俗三流作家フランソワーズ・サガンの「ブラームスはお好き」で、どうして人気が出たのかといえば名前とタイトルが良かったとしかいいようがない下らない三文小説だ。

二人が逢い引きするのがサル・プレイエルで行われたブラームスの演奏会で、その他幾度となく第三交響曲第三楽章のポコ・アレグレットが鳴り響くが、このような通俗映画の主題歌に引用されたのではブラームスが可哀想だ。

人世でいっとう大事なことは額に汗して働いて生計を立てて一人静かに死んでいことなので、それすら出来ない高等遊民が愛のない生活は地獄だとか生きている値打ちがないなどと抜かして不倫に走ったりそれでも満たされないであらぬ妄想に耽ったりするのはいかがなものか。左岸のサガンのような連中にはいまでも虫唾が走る。


薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う 蝶人



Saturday, July 14, 2012

トマス・ピンチョン著「LAヴァイス」を読んで





照る日曇る日第523


ロスの私立探偵が70年代の洛陽悪徳都市で例によって例のごとく繰り広げるという、まあんずアホ馬鹿パラノイア物語だなあ。

ここでは60年代の明るい歌と踊りは影をひそめ、ニクソン流の新資本主義と現実主義が新たな法と秩序の締め付けをあたりかまわず強要してくるんだが、本書のとんちき主人公は「舗道の敷石の下はピーチ!」などとうそぶきながらすでにあらかた失われた60年代のノリでハッパを吸い吸い、時代の巨悪に向かって孤立無援の蟷螂の斧を振りかざそうとするんだね、これが。

既にして悲愴であり滑稽そのもののテイタラクであるが、ピンチョンときたら今が21世紀のはじめであると知りながら、あえてこの不毛と苦渋の時代におのれの分身を突入させて、もういちど宴のあとのアホ馬鹿踊をやらかそうとしているみたいだ。

しゃあけんど2009年に書かれたというのに、なんて不敵な面魂だろう、経歴も年齢も不明なこのダイマイトガイは!

と、 “チンポの根っこから”(注 翻訳原文のまま)思うよ。

おいらも当時のロスに潜入して、フランク・ザッパとロス・フィルの異文化交流コンサートとやらを聴いてみたかったゼイ。


ここでは私は一人の芸人として自由に歌うことが許されている 蝶人


Friday, July 13, 2012

ヴィクター・フレミング監督の「オズの魔法使い」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.276


主人公のジュディ・ガーランドが愛犬を意地悪ばあさんにいじめられて行き場所がないといって、いきなり『オーバー・ザ・レインボウ』を少女なのか大人なのかわからない声で歌い始める。それがかの「虹の彼方に」というわけだが、すべてのミュージカル映画が唐突に歌い出す不自然さをもつのと同様あまりにも唐突で不自然である。

カンザスの郷里の田舎に(現代と同様)突然竜巻が現れ、彼女はそれこそ虹の彼方に飛ばされ舞い降りた不思議な小人たち(村上春樹のリトル・ピープルのように不気味)の村に降り立ち、オズの魔法使いを訪ねる旅に出るところから画面は突然カラーになるが、世界的な人気は別にしてこの監督の演出は、かの大愚作「風と共に去りぬ」と同様まったく凡庸そのものである。

それはともかく、少女が道中で出会うかかし男、ブリキ男、ライオン男、最後に登場する魔法使いの全員が懐かしい郷里の知り合いたちの扮装になっていて、この物語の全篇がヒロインの少女の白昼夢でもあるという仕掛けになっている。

しかしてそのキーワードはThere is no place like home。「おうちほど素敵な場所はない」という文部省唱歌と共に全巻の幕が閉じられるがここで画面は再び褐色のモントーンに戻るのであった。

劇中でライオン男が「僕はタンポポのように弱虫」と歌うのは、ライオンをフランス語で“ライオンの歯”ともいうことから。私の長男が通っている県央福祉会のカフェの名前と同じです。なお日本の歌うたいの「ラルクアンシエル」もフランス語で空の孤、つまり虹の意だから、まあこの映画の主題歌にちなんだネーミングと考えてもいいだろう。


この頃は玉葱ばかりなり百円野菜 蝶人

Thursday, July 12, 2012

マーク・ローレンス監督の「噂のモーガン夫妻」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.277


2009年製作のいかにも最近のハリウッド出来の軽佻浮薄な即席コメディ。NYでテロリストに命を狙われた元夫婦がワイオミンングの田舎に緊急避難しているうちにだんだん鞘が戻るというお粗末な一席。

原題はDid You Hear About the Morgans?」なのに、こういう生きた英語のグルーヴ感をあまり反映していない邦題ではあるが、モーガン夫妻という名詞を使っているからまだマシとはいえよう。

モーガン氏はヒュー・グラント、元妻をサラ・ジェシカ・パーカーが演じている。ヒュー・グラントという名前は2拍子、サラ・ジェシカ・パーカーという名前は発音が3拍子になっていて音楽的でいいが、演技は必ずしもそうとうはいえないな。


NHKおはよう日本まちかど情報室鈴木奈穂子と鹿島綾乃は飛びっきりの仲良し 蝶人


Wednesday, July 11, 2012

シェーカル・カブール監督の「エリザベス」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.276


エリザベス女王をケイト・ブランシェットが、スコットランドのメアリー女王をファニー・アルダンが演じているが、後者は前者より年齢が若いのでこの配役はおかしい。むしろ逆にした方が良かったかもしれない。

それに波瀾万丈のエリザベス女王の生涯を描くのにメアリーの処刑に触れずに済ませているのはもっとおかしい。

また彼女の生涯の恋人がロバート・ダドリー卿であったことは事実だが、この映画では彼女がロバートとのセックスに夢中になる有様を侍女たちにのぞき見させており、これがどうして「処女王」なのか理解に苦しむのである。

メアリー女王と共謀したノーフォーク卿の陰謀にロバート・ダドリー卿も加担したように描かれているが、その事実はないし、恋人を失いながらも英国と国民を夫とする処女王として悲愴な決意で能面のような顔を晒すラストシーンで流れるのは、なんとモーツアルトのレクイエムであるのには苦笑の他はない。それまで劇中で使用されていたのは同時代の音楽なのだから、せめて少し時代が下がるがパーセルなどを流すべきだろう。

それより何より私はロバート・ダドリー役のジョセフ・ファインズの顔が死ぬほど嫌いなので吐き気をこらえながら2時間我慢して眺めていたのであった。


被災地より昨日着きたる柴犬次郎我が家のムクに生き写しなり 蝶人

Tuesday, July 10, 2012

ポール・オースター著「ブルックリン・フォリーズ」を読んで





照る日曇る日第522


朝日新聞の朝刊で、もはや何の噺だったのかも分からず意味不明の学校ネタと自動車ネタを小林秀雄の晩年の講演会の如く垂れ流している奥田英朗、伊坂幸太郎。そして吹けば飛ぶよなこんにゃく文体で下らないヨタ噺を書き飛ばして原稿料を略取している重松清に失望落胆かつあきれ果てたら、この1冊を手にとってみよう。

オースターは毎年1冊のペースで力作を出し続けているようだが、これは2005年の作品でニューヨークのブルックリン界隈に棲息する市井の人々のいかにもありそうで、しかし絶対にない話を抜群のストーリーテリング術を駆使、するのみならず、舌なめずりして楽しみながら書いている! から空恐ろしい。

「私は静かに死ねる場所を探していた」

という出だしからして読む者をじゅうぶんに惹きつけるが、続く数ページでもはや読者は完璧に著者が繰り出すものがたりの蜘蛛の糸の虜になってしまうに違いない。

んなわけであるからしてあらすじ等については触れないが、晩年のカフカが公演で出会った人形を無くして悲しんでいる少女のために、なんと3週間続けて渾身の力を振るって人形からの手紙を書き続けた、という感動的な逸話ははたして本当なのかしらん。

そんな手紙は少なくとも私が読んだ2種類の全集には収められてはいなかったが、これもオースターの「天才的な」作り話だったりして。
ともあれ小説家のプロの仕事の最良の見本が、ここにある。


そんな情けない声でしか鳴けないのかニイニイゼミ 蝶人