闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.281
1993年に製作された夫婦の離婚とその波紋を描いた人情噺。父親が中井貴一、母親がなんと桜田淳子、彼らの一人娘に田畑智子という異色のキャスティングが面白い。ちなみに田畑智子は本作が映画デビュー、桜田淳子は映画どころか芸能界最後の作品となってしまったが、その女優としての異能を自らの手で封じてしまったことがつくづく惜しまれる映画でもある。
この映画は珍しく京都とその近郊が舞台となっており、ほとんどの会話が現代の京都弁で終始しているが、京都市東山区の出身である田畑智子のしゃべくりと自由奔放な演技に魅了される。
相米慎二は「映画の作法をいつのまにか逸脱して映画の外部への遁走を図ろうとする異様な映画」を理想とした監督であるが、本作に於いても五山送り火「大文字焼き」の夜に母親の追及を逃れた田畑智子が山野の闇にさすらうシーンや琵琶湖に浮かんだ船が炎上するラストなどは、もはや映画の主題から大きく逸脱した巨大な妄想がさながらフェリーニの幻影のように激しい情念の炎を噴き上げて、見る者を圧倒し戸惑わせるのである。
最期まで映画ならざる映画を夢見た男、それが相米慎二だった。
低機能でも高機能でも自閉症は自閉症先天的な脳障がいなり 蝶人
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