照る日曇る日第524回
真珠湾の奇襲で大戦果を挙げたばかりの世界に冠たる大日本帝国艦隊が、そのおよそ半年後の1942年6月5日の中部太平洋沖でいったいどうして主力空母4隻撃沈という惨憺たる敗北を喫したのかかねがね疑問に思っていたので手に取ったのが本書である。
著者によれば、本来なら永野総長指揮下の軍令部がこうした大きな作戦を企画立案するはずが、真珠湾のお手柄で山本五十六の存在が圧倒的に大きくなったために永野が遠慮し、下部組織の連合艦隊側の発言権が増大していたそうだ。
そしてその幕僚では山本が偏愛する奇人変人の黒島主席参謀が独走し、山本はそれを放任していたという。また海軍全体でミッドウェイで敵空母と一戦を交えようとするコンセンサスなどはまるでなく、そもそも山本が望んでいたのは「ハワイ占領戦」であり、時代遅れの「戦艦」大和に自らが座乗してミッドウェイに乗り込むなど望むところではなかったという。あまつさえ彼は艦隊の一部を割いてアリューシャン方面に派遣し、あってはならない戦力の分断の愚を自ら犯していたのである。
しかしいずれは圧倒的な米軍の前に膝を屈する日が来るにしても、それを一日でも遅らせ、講和に持ちこむチャンスを憎大させるために、ここで敵空母を徹底的に叩いておかねばならぬ。そういう思いでは各自の志操は共通していた。しかし山本はその指揮下の南雲忠一第一航空艦隊司令官とは不倶戴天の間柄であり、その他日本海軍首脳相互と各幕僚たちの連携は米軍のそれにくらべても悪かった。
ちなみに彼我の戦力を比較してみると日本海軍は空母・戦艦の数、高速艦隊の機動性、戦闘機と搭乗員の優秀性で上回っていたが、敵がフルに活用しているレーダーはなく対空火器が不十分で航空機の防弾・火災対策がなされておらず、なによりも、「策敵と情報収集」に対して驚くほど無神経で無為無策であり、結局これが致命的な敗戦の要因になったといえる。
とりわけ最新型の策敵機を持ちながらそれを活用せず、空母直掩機を一艙当たり僅か3機で良しとした航空甲参謀源田実や参謀長草鹿龍之介、「攻撃機の半分は魚雷装備で待機せよ」という連合艦隊司令長官自らの命令を、かつての真珠湾への第2次攻撃と同様に無視した南雲一航司令官の罪は大きい。ちなみに著者によれば南雲は軍人にあるまじき小心者であった。
初戦の大勝におごり、なんの客観的な根拠もなく「鎧袖一触敵をほふる」などと豪語していたわが軍の指導層の恐るべき傲慢と無知と夜郎自大、意思不統一と内部対立と混乱がこれほどひどいとは知らなかった。
死刑廃止すれば道連れ殺人あきらめて一人静かに死んで呉れるか 蝶人
お知らせ 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う
このうたが本日の「日経歌壇」岡井隆氏選の3席に入りました。
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