Saturday, January 31, 2009

メンデルスゾーンの代表的作品「MENDELSSOHN THE COMPULETE MASTERPIECES」を聴いて

♪音楽千夜一夜第55回

毎度おなじみ超廉価のソニーBGMグループの全30枚組オムニバスを聴き終えました。

なんでメンデルちゃんなのかといいますと、今年は彼の生誕100周年にあたるのでこういう記念盤がぞろりと発売されるのです。有名な「イタリア」とか「スコットランド」のニックネームがついている交響曲はクルト・マズア指揮ゲバントハウス響の古式豊かな演奏で楽しめますが、ロイ・グッドマンが指揮してハノーバー・バンドが演奏している若書きの弦楽シンフォニーもとてもフレッシュで魅力的です。

 意外にも?感銘を受けたのが、ヘンシェルカルテットが奏でる3枚組シリーズの弦楽四重奏曲集とこれまた3枚も収録されたオルガン曲たち。後者はさすがバッハの「マタイ受難曲」をバッハ時代以来はじめて蘇演したこの作曲家らしく、まるで生前のバッハもかくやと思われるほど生き写しの演奏にびっくりしました。これはスイスの古い教会のオルガンをステファン・ヨハネス・ブレイシャーが重厚かつ荘重に弾きこなしています。

私の大好きなエーリッヒ・ラインスドルフがボストン交響楽団を率いた「真夏の夜の夢の音楽」は、クレンペラーの名演には及ばないものの深沈たる夜の森の妖精たちを眼前させてくれる見事な演奏です。

今を去る四半世紀の昔の7月4日、純白の夏服に身を包んだ彼が指揮棒一閃、スーザの行進曲「星条旗を永遠なれ」をニューヨーク・フィルを立たせて颯爽と演奏した東京文化会館の夜を懐かしく思い出したことでした。 

良家のぼんぼんとして何不自由なく健やかに成長し、ワーマール共和国のゲーテとも親交のあったメンデルスゾーンですが、わずか38歳で夭折します。そのせいか、彼のどの曲を聴いても永遠の若々しさが輝いているような気がしませんか。

♪愛国のマーチに胸は高鳴りて今宵さんざめくブラスの祭典 茫洋
♪あやしくも胸揺るがすは極彩の音高鳴るジンタブラスの咆哮 茫洋

Friday, January 30, 2009

西暦2009年茫洋睦月歌日記

♪ある晴れた日に 第51回


ブルーベリー、苺無花果林檎ジャム数々あれど柚子が大好き

何事のおわしますかは知らねども胸に満ち来る光一筋

われもまたソウル・トレインに乗り込んで、世界の果てまで旅立ちたし

武士は義に女は恋に死すべしと元録の掟ついに定まる 

昼下がり舗道に伏したる黒猫は薄き血吐きて瞑目しており

「新世界」の第4楽章は行進曲ではない讃歌である「歌え歌え」とクーベリックは叫ぶ

やたら雷、津波を連発するなかれ気象庁とマスコミはピーターと狼

豚のごとく太りしもの武道館にこけつまろびつ還暦ジュリーコンサート

6時間ぶっちぎり武道館還暦ジュリーは日本のプレスリー

なにやらんかなしききもちになりにけりじへいしょうきょうかいがつくりしぼうさいはんどぶっく

災害はいつどこで起こるか分からない君のために何ができるか
殺すか殺されるか一つを選ぶ苦しさよ

かくすればかくなるものとは知りながら御身大事に敵殺す君 

遥かなる遺恨のほどはさておきて眼下の敵はみなみな殺せ  

夜叉の如き形相で嬉々としてパレスチナ人を血祭りにあげているイスラエル外相 

眼には眼を歯には歯を旧約の教えにいそいそと従うユダヤの民かな 

自分探しなぞというありあわせの言葉を用いて己の営為を規定しようとするそのお粗末さ肌寒さよ 

美しい人の心が美しいかどうかがはっきりと見えたらいいのに

サンキュロットたちを仇やおろそかにすれば罰が当たるぜよ

南蛮服に身を包み真紅のワイン飲み干したり織田信長

着物を裂き足袋職人が洋服に縫う沼田氏こそはヨウジの大先輩

大人しき雌の駱駝に跨りて砂漠往くなり猛きベドウイン

どうせわたしをだますならさいごのさいごまでだましだましつづけてほしかったあ

望みなきにしもあらずなおも一縷の希望を胸に進みたし絶望も希望も虚妄ならば

堕落腐敗しきった平成俳句界にいまひとりの碧梧桐出でよ
 
管弦の楽高鳴れば春鶯囀大宮人の宴は果て無し
 
こんな小説のどこがおもろいんじゃあと叫びて屑籠めがけて投げつける

どんな革命にも大中小の獅子がいた吼えよライオン

女性の蜂起なくして真の革命なし昔も今も

歌舞伎座やオリンピックに口出しする暇あらば新銀行の算盤弾け石原都知事


若水をこころに浴びて命かな

立ったまま朽ちてゆかなむ0九年

市田柿1箱498円鎌万の安さ畏るべし

武士道は辞世一発死ぬことと見つけたり

遠い日を思い出させて遠い景

おお天よ、われらが運命に形を与え給え



☆青い空には雲がある

青い空には雲がある
雲の上には光がある
光の彼方に夢がある

京都には百万遍がある
鎌倉には十二所神社がある
綾部には「てらこ」がある

百貨店には屋上庭園がある
サーカスにはブランコがある
リーマンにはボーナスがある

カレンダーには旗日がある
機動隊には7つある
小田急線にはロマンスカーがある

機動隊には貸しがある。
吉本隆明には借りがある
愛犬ムクには墓がある

手術台にはメスがある
佐々木小次郎には物干し竿がある
露台には植木鉢がある

食堂の戸棚にはドラヤキがある
隣の親父には抜け毛がある
新国籍法には抜け道がある

金融業には悪がある
障碍児には無垢がある
我が家の玄関には灯りがある

イエスにはマリアがある
大刀洗には井戸がある
畳の上には布団がある

猫にはタマがある
男にも玉がある
竜宮城には玉手箱がある

赤ちゃんには乳歯がある
処女には処女膜がある
老人には萎びた珍宝がある

レノンにはイマジンがある
サントリーには山崎がある
私には2人の子供がある

ジョン・フォードにはジョン・ウエインがある
助さんには格さんがある
私には可愛い奥さんがある

蝶には翅がある。
臍には胡麻がある
眼には涙がある

道には石がある
身体には骨がある
人には理想がある

青い空には雲がある
雲の上には光がある
光の彼方に夢がある




♪オバマとなら和解してもいいとフィデルフィデル和解せよ 茫洋

Thursday, January 29, 2009

ロドリゴ・ガルシア監督の映画「美しい人」を見る

照る日曇る日第226回

衛星放送で先日やっていた05年公開のアメリカ映画です。

タイトルが妙に気になったので、ほんとに美しい人が出てくるのかと期待していましたら、ホリーハンターとかシシースペイセク、とどめにグレン・クローズまで登場します。これは「美しい人」というよりは「元美しかった人」ではないかなとちょっと思ったりしましたが、それは冗談。心の清い女性が陸続と登場する上出来のオムニバス映画でした。
ちなみに原題は「nine lives」。9人の女性の人生の断面をワンシーン、ワンカットであざやかに描いています。

グレン・クローズは、たしかNHKのBS2であの超面白かった「ホワイトハウス」のあと番組(題名忘却)で、じつに見事な演技を披露していました。マーチン・シーン主演の「ホワイトハウス」も抜群だったけど、これが謎が謎を呼ぶまたしても超々面白い連続ドラマでした。

ああそれなのにたったワンクールで打ち切りにしてしまうとはNHKはけしからん!
こういう超一流のドラマにくらべたら「篤姫」なんかまるで幼稚園のお遊戯みたいなもんでござんすよ。

ところでハリウッドでは(でも?)、もう若くはない演技派女優の出演機会が極端に減ってあほばか美貌肉体誇示女優にとって替わられているようです。そのことを主題にした映画も数年前に制作されていたような気がしますが、これはあほばか男性の一員として分かるだけにちと心が痛む話。老いも若きも、美しい人も、美しくない人も末長くよい映画に出演していただきたいものです。

♪美しい人の心が美しいかどうかがはきりと見えたらいいのに 茫洋

これが歌舞伎座?松竹は、歌舞伎座建て替え案を白紙撤回せよ

勝手に建築観光33回


「新しさを求めて意味不明の新しさに迷う」のではなく、「古きをたずねてその新しさをふたたび見出すこと」。これが私たちが心の中でひそかに求めている現代建築のあるべき姿ではないでしょうか。

だからこそ辰野金吾設計の当初案を復元しようとしている東京駅のやり方は多くの人々から支持されていますし、数々の由緒ある建物を破壊した悪評高い三菱地所もかつて壮麗さを誇った三菱1号館をそのまま再建しようとしています。
東京駅の傍にある中央郵便局をなんとかそのままんも形で残したいと願う私たちの思いもこれと同じです。

だとすれば、このたび松竹が、1950年に竣工した吉田八十八設計の第四期の建物を、一九二四年竣工の岡田信一郎設計の壮麗な桃山様式のお手本(第三期)に土台を戻して、通算第五期の新歌舞伎座立ち上げをめざしたことは、歌舞伎座のみならず、銀座と東京の建築のあるべき姿に照らしてもっとも賞賛に値する勇気ある決断でした。

 このようなよき企てが、都知事の個人的かつ一方的な意見で圧殺され、日の目をみなくなることはとても残念ですし、もしそうなれば銀座、東京のみならず日本全体の大きな文化的損失だと思います。

 以上の観点から、松竹本社は昨日マスコミ発表された都知事推薦の現行案を廃棄して、もう一度当初の案に戻り、あの素晴らしい歌舞伎座建て替え案を再検討していただきたいのです。心ある市民は必ずや松竹オリジナル案を支持することでしょう。

Wednesday, January 28, 2009

松竹は「石原都知事案による歌舞伎座建て替え」を中止せよ

勝手に建築観光32回

東京築地の歌舞伎座では、いま異例のさよなら公演を行っています。
1924年に建てられ、米軍機による空襲で被災し、50年に改修され、02年に国の登録有形文化財に指定されたこの由緒ある建物については、私もこれまでこの日記で再三触れてきましたが、その老朽化が進んだためにどうしても建て替えるというのです。

物には寿命があるので建て替え自体は仕方がないのでしょうが、親会社の松竹が都に申請した第1次建て替え案を石原東京都知事が却下したために第2案に変更したというので驚きました。

今回の計画に携わった伊藤滋・早大特命教授らによれば、当初松竹は現在の歌舞伎座の原型となった太平洋戦争前の歌舞伎座を復元する計画だったそうです。ところが知事が事前の調整段階で注文をつけて、私見ではこのきわめてまっとうな復元計画を己の一存で葬ったというのです。

28日附の朝刊にはその改定案の写真が掲載されていましたが、それはこれまでも丸ビルや表参道ヒルズなどで実施されていたオリジナルの一部を形式的に踏襲する中途半端な折衷案でした。しかし施主が当初目指していたのは、価値ある文化財を単に復元するのみならず、光輝ある歌舞伎の殿堂をより歴史に忠実に再現復古しようとする意欲的な方法論でした。

これはたとえて言えば両国の国技館の立て直しにあたって江戸時代の回向院の相撲小屋、連合軍の爆撃によって崩壊したドレスデンの国立オペラをその一時代前の様式で再建しようとする試みにも似た「本格的な復古再現建築」への挑戦でした。

わが国の最高の芸術のひとつである歌舞伎の聖なる殿堂を、「より新しく」ではなく、「より古く由緒ある姿かたちで再現、再創造」しようというこの歴史的な英断を、「銭湯みたいで好きじゃない」「オペラ座のようにしたほうがいい」などという一知半解の近代化論者の一声で取り下げるとはなんと愚かなことでしょうか。

逗子海岸の丘の上の豪邸に住み少年時代から金持ちのぼんぼんとして育ったこの人物は、おそらく生まれてから一度も銭湯などに入ったことがないでしょうし、宮大工が秘術を尽くして建造した全国各地の銭湯建築や、庶民のあこがれが生み出した富士山のタイル絵の実物を見たこともないでしょう。

東京千住「大黒湯」の絢爛豪華な外装と内装の華麗な宮造りスタイル、花鳥の絵が色彩豊かに描かれた格天井、大寺院にもひけをとらないその完成度を一度でも目にした人なら、「銭湯みたいで好きじゃない」などとは口が裂けても言えないはずです。そのような不遜な言い草は我が国が誇る「銭湯文化」に対する無知であり、いわれなき差別でもあります。

また歌舞伎はいわば日本のオペラで、西欧のオペラとほぼ同じころに誕生した芸能ジャンルですが、それぞれに深い歴史と伝統がありますから、それにふさわしい建築様式で敬意を表さなければなりません。とりわけ本邦の歌舞伎建築においては、オペラ座の大理石と鉄とガラスではなく、重厚な木と紙と漆喰の壁で構築しなければ長唄、下座音楽、義太夫、清元の音響がなじまないのです。

ちなみに現在の歌舞伎座の音響の精妙さは国立劇場はもとより、サントリーホールやカーネギーホールなどをはるかにしのぎ、世界の劇場でも有数のものであることをほとんどの人が知りません。知事がいったいどこのオペラ座を想定しているのか知りませんが、新歌舞伎座は断じて「オペラ座のようにしては」なりません。

また知事周辺は「建て替えに反対したわけではない。ただ劇場とビルの調和がとれていなかった」と話しているそうですが、この場合、調和を破っているのは、そんじょそこらのどこにでもあるモダンなビルのほうです。
古今東西にわたって永久不滅の銀座の象徴であるべき劇場が、もしもありきたりのモダンなビルと調和していたならば、そのビルの外装やデザインをこそ劇場(新歌舞伎座)に合わせて根本的に変えなければならないはずです。

銀座のランドマークともいうべき交詢社ビルや和光ビルの形式的な保存改装が、首都の建築遺産にどれほどの文化的損失を与えたかを考えるとき、残る唯一無二の「世界に向かって開かれた銀座の顔」をどのように維持・保存・強化するのかはきわめて重要な問題です。
わたくしはこの際松竹本社に対して、フランスや中国の文化に圧倒的に無知で無理解な知事のアホ馬鹿勧告を勇気をもって退け、今回発表された改造案をただちに白紙撤回して当初原案に基づく新改築計画に復帰されることをせつに望むものです。

時こそ今は 傾け歌舞伎座!



♪今こそは天下分け目の関ヶ原松竹は断固石原案を退けよ 茫洋
♪歌舞伎座やオリンピックごっこする暇あらば新銀行の算盤弾け石原都知事 

Tuesday, January 27, 2009

萩耿介著「松林図屏風」を読んで

照る日曇る日第225回

見るたびに日本絵画の底知れぬ磁力に引き入れられる「松林図屏風」であるが、この六双の名品を描いた長谷川等伯を主人公とする時代小説が本作である。

絵師一族とその生涯を取り巻く時代背景をじっくりと調査し、そこから浮かび上がった創作の秘密に大胆な推理と想像を凝らして偉大な芸術家の真実に迫った手際はあっぱれ。第二回日経小説大賞を受賞したのもむべなるかな、といえがばいえようが、まずはタイトルと主題で得をしている。

思いがけないどんでん返しやら時代考証的な意外性も随所に盛り込まれ、飽かせずになんとか最後まで引っ張っていく構想力と筆力はたいしたものだと思うが、さてそれで読後になにが残ったのか。これが信長、光秀、秀吉、家康の治世を生き抜いた絵師のほんとうの生きざまだったのだろうか、と問い返せば胸の裡にうすら寒い空々しさが垂れこめている。どうせ騙すならもっと徹底的に騙して欲しかった、となにやら歌謡曲のうらめしいリフレーンのような木霊が返ってきた。

根も葉もない嘘っぱちを書いていかにもありそうな話だと得心させたら小説として大成功だが、そこそこ根と葉のある話を徹頭徹尾得心させることも意外に難しそうなのである。


♪どうせわたしをだますならさいごのさいごまでだましだましつづけてほしかったあ
茫洋

Monday, January 26, 2009

T・Eロレンス著・田隈恒生訳「完全版 知恵の七柱1」を読んで

照る日曇る日第224回

デビッド・リーンの名作「アラビアのロレンス」の主人公T・Eロレンスは、あの映画の冒頭の印象的なシーンで見られるように、1935年5月19日、不慮のオートバイ事故で46歳で急死した。彼の自伝であるこの本は、すでに全3冊で同じ東洋文庫から出版されているオックスフォード普及版のオリジナル原典版にあたる内容で、これからなんと全5冊で発売されるという。やれやれ。
しかし同じタイトルの短縮版に加えて拡大ヴァージョンの正規版も併せて公刊するとはさすが天下の平凡社。これぞ出版社の鑑といわなければなるまい。

ちなみに「知恵の七柱」という題名は、旧約聖書の箴言第9章の冒頭「知恵はその家を建て、その7つの柱をきり成し、その畜をほふり、その酒をまぜ合わせ、そのふるまいをそなえ、そのはしためをつかわしてまちの高き所に呼ばわりいわしむ。拙き者よここに来たれと云々」に依る。かなり思わせぶりだが本書の内容とはあまり関係がなさそうだ。しかし冒頭の捧詩はロレンスのかつて愛した御稚児さんへの愛の言葉らしい。

第1次世界大戦中の1916年、アラブがトルコに反乱を起こせば英国はドイツと戦いながらトルコを打倒できるだろうと考えた英国は、ロレンスをアラビアに派遣、ベドウインの首長(シャリーフ)フサイン・ブン・アリーとその子息アリー、アブドゥツラー、ファイサル、ザイドに加担したロレンスはいよいよ灼熱の砂漠にその生涯の活躍の舞台を見出すのである。

ところでロレンスは、この砂漠の遊牧民の反乱の物語を、「白鯨」や「カラマーゾフの兄弟」に匹敵する偉大な物語に仕上げたいという野望のもとに執筆にかかったそうだが、出来上がったものは、もちろんそうとうに違った内容になった。

けれども以下に引用する個所(第二部「アラブ軍、攻勢に出る」第二六章「行軍命令」)には、ロレンスが自作をそれらの名作になぞらえようと懸命に努力した形跡があって微笑ましいものがある。


「右翼の従軍詩人が不意に耳障りな歌声を張り上げた。一篇の創作二行連句で、ファイサルと彼がワジェフで与えてくれるはずのよろこびを歌っていた。右翼の隊は詩句に耳を澄ませてから頭に入れ、一度、二度、三度と誇りと自己満足を誇示する前に、左翼側への嘲りをこめ、繰り返すたびに前よりも挑発的に斉唱した。しかし四度目に得意を誇示する前に、左翼の詩人が烈しく独唱に入った。右翼のライバルのカブレットに対する即席の返歌で同歩格で相応する押韻により詩人の情感を完結し、あるいは最後を締めくくるものだった。左翼の部隊は勝ち誇ったようにどよめきつつ、それを復唱する。すると太鼓がふたたび鳴り、旗手が臙脂の大旆を振りかざしつつ、右翼、左翼、中堅の全親衛が士気を鼓舞する節回しの連帯歌を斉唱した。

われはブリテンを失い、ガリアを失いぬ、
われはローマを失いぬ、ましてつらきはララゲーを失いしこと!」


♪大人しき雌の駱駝に跨りて砂漠往くなり猛きベドウイン 茫洋

Sunday, January 25, 2009

メンズ漫録その4 本邦初のパタンナー

ふあっちょん幻論第27回


1853年にペリーが来日すると、「毛唐柄」(唐桟(細番の綿糸で平織りにした縞織物、紺+浅黄、赤の羽織りや着物に使用)や「唐人仕立て」が流行するが、幕府は百姓・町人の異国風衣装を禁じた。しかし部分的には国防強化のため軍事訓練用に洋装、軍服を取り入れるようになる。

このときに活躍したのが初代裁断士の沼田守一で、彼は古着を解体し、足袋職人12人に羅紗、型紙を与えて洋服を製作した。彼こそは本邦初のパタンナー兼デザイナーというべき人物である。

ちなみに「洋服」という言葉は、1867年に発行された『方庵日記』に初出しており、ご一新以後一般にも使われるようになったそうだ。また福沢諭吉の著書『西洋衣食住』には、袴とズボン、帯とベルトなど着物と洋服の類似点や、彼独自の洋服着こなしノウハウが記述されているそうだが、私はまだ読んだことはない。



♪着物を裂き足袋職人が洋服に縫う沼田氏こそはヨウジの大先輩 茫洋

Saturday, January 24, 2009

メンズ漫録その3 南蛮服から日本の服へ

ふあっちょん幻論第26回


西欧は洋服の本場であるが、では日本のメンズモードはどのように移植されたのだろうか。

16世紀の中葉に宣教師たちが渡来すると、南蛮服、えびす服、紅毛服による洋服受容がはじまった。「南蛮服」のアイテムとしては、「合羽」(ケープがなまった)軽珍(カルソン。形状はbreechesブリーチズで半ズボンに近い)、無縁帽子、羅紗、ビロード、毛留(むうる)、鹿皮等であるがこれらはそのまま後世に伝えられて現代のファッション・アイテムになる。

1587年に豊臣秀吉がキリシタン排外政策を開始し、1633年の徳川幕府が鎖国令を宣言すると南蛮モードの流入は下火になる。しかしその後も、プロテスタント国のオランダから輸入された羅紗(厚くて粗いウール、陣羽織や火事羽織り・袋物に使用)や緞子(文様を織り出した絹織物)等は権力者によって珍重されたが、その後取り締まりがさらに強化され、1643年に町人の羅紗合羽の着用が、1652年には歌舞伎役者のビロード襟が禁止された。
 
しかし諸外国からの影響が強まる中で、1720年に幕府は洋書の禁を解き、蘭学を解禁した。それ以前から出島のオランダ人は「えびす言葉」を話し「えびす模様」の「えびすの長衣装」(紅毛服)を纏い、蘭学者は「えびす流」または「唐人仕立て」と呼ばれる装束を纏っていた。前野良沢や杉田玄白は和服の襦袢の上に洋服の上着、チョッキを着、のちの大黒さんと称するズボン様のものをはき、吾妻コートに似た袖なし、折襟型のオーバーのようなものを着ていたのである。


♪南蛮服に身を包み真紅のワイン飲み干したり織田信長 茫洋

Friday, January 23, 2009

メンズ漫録その2 フランス革命とスーツの誕生

ふあっちょん幻論第25回


1789年のフランス革命では国王・貴族・僧侶以外の第3階級=市民階級が台頭した。彼らはバスティーユ監獄を襲撃し、ルイ16世とマリー・アントワネットを処刑し、国民公会による共和制政府を樹立した。

この蜂起の主役たちをドラクロアの名画「民衆を導く自由の女神」で観察してみよう。画面に登場する庶民派・労働者の戦士たちはすべて長ズボンのサンキュロット(sans culotteあるいはパンタロンpantalon。丈夫で安価な直線裁ちの簡素なズボン)をはいている。

キュロット(culotte半ズボン、ブリーチズ)をはいた貴族・ブルジョワ階級の独裁を、怒れるサンキュロットたちが実力で打倒したのがメンズ・ファッションにおけるフランス革命であり、このためにフランス革命を「サンキュロット革命」ともいう。

しかしフランスの共和制はロベスピエールらによる5年間の恐怖政治、ナポレオン・ボナパルトによる帝政と欧州征服の15年間を経て弱体化し、代わって産業革命をいち早く経験した英国が19世紀初頭に覇権を確立する。

そして19世紀中頃になると、現代のスーツの原型であるサックススーツが登場した。
このスーツの原型についてはハーディー・エーミス卿などが唱える乗馬服説と室内着ラウンジスーツ説の2説があって対立している。どう見ても下にキュロットはいた乗馬ジャケットがスーツの原型とは考え難く、後者の楽なラウンジ説が有力であるが、いずれにしても上下のユニットの下のパンツはサンキュロット・スタイルである。

フランス革命は、近代の政治経済社会の礎石を築いたが、同様に西欧衣服史のあざやかなメルクマールでもあった。市民革命と西洋のメンズスーツを創造したサンキュロットたちは、自由で自立した個人の原型であり、ここに歴史上はじめて市民(シビライズドマン)が誕生したともいえよう。背広=市民服=civil clothingというテーゼが、近現代を貫く衣装哲学であることを、世のリーマンたちはいっときも忘却してはならない。


♪サンキュロットたちを仇やおろそかにすれば罰が当たるぜよ 茫洋

Thursday, January 22, 2009

ふあっちょん幻論第24回

メンズ漫録その1 日本の武士と西欧貴族の美学

日本の武士の本質は「葉隠」がいみじくも喝破したように死ぬことにあり、潔く戦って潔く死ぬための文武の修業、具体的には剣術と切腹の稽古、そして生涯の経綸を一瞬で総括するための最低限の文化である辞世を遺す練習に励んだ。

この最後の部分の価値を知らず、あるいは知ってはいてもあえて無視して「俳句第二芸術論」を唱えた桑原武夫のような曲学阿世がいまも跡を絶たないようだが、すべからく現代の君子士人は平素より腰折れの2つ3つを即座に詠める「最低の教養」を身につけておかねばなるまい。俳句には芸術よりもっともっと大事な意義があるのだ。

ところでモーツアルトの最晩年時代、すなわちフランス革命前夜の西欧の貴族は日本の武士が切腹の稽古に励んだように、みな乗馬を好んだ。馬に乗る際には長い革長靴をはく。その長い靴と美的に調和し、ヒップの線を美しく強調し、馬上の運動を快適にするために、彼らは短いキュロット(culotte半ズボン、ブリーチズ)をつけた。

キュロットをつけた両足で挟んだ馬体を蹴ると、馬は直進する。これが競馬になる。その直進運動を轡を引いて制御すると、動と反動の相反運動の対峙状態となる。これが曲馬の始原であり、人馬一体の芸術の端緒である。これこそは究極の男の美学であり、第三階級などにはついぞ無縁の貴族の特権的快楽だったのである。


♪武士道は辞世一発死ぬことと見つけたり 茫洋

Wednesday, January 21, 2009

Tuesday, January 20, 2009

京都思文閣とわたし

バガテルop85

むかしたった1年間だけ京都で下宿していたことがある。左京区の田中西大久保町という叡電前や百万遍や出町柳や高野に近いところだが、そのすぐそばに思文閣という骨董屋があったと知ったのは、四半世紀の時間が経過して偶然この会社のカタログが時折送られてくるようになってからのことだった。
思文閣ははじめは古本屋だったのが次第に美術品を扱うようになり、最近では若社長の田中大氏が12chの「何でも鑑定団」の審査員として出場するまでになっている。

それはともかく、年に数回届けられるようになったカタログはオールグラビア印刷の立派なもので、ほんらいはそのカタログであれやこれやの高価な珍品を発注するための商材なのだが、私はそんな持ち合わせも余裕もないのでもっぱら古今東西の優品を眺めて楽しんでいる。

私のような素人には図版の上から眺める商品の真贋など知る由もなく、よしんば本物の若冲の逸品であっても自分のものにできるはずもないのだが、それでも漱石、鴎外、露伴、紅葉など文人墨客の筆のすさびを眺めているだけでもしばし浮世の憂いを忘れることができるのである。眼福とはけだしこのようなことをいうのだろう。

しかも毎回陸続と登場する屏風、仏像、彫刻、和洋の絵画と書、壺や陶器、写経、古文書、写本、浮世絵、刷り物、硯、版木、色紙、書簡や断簡零墨に至る多種多様な骨董・美術品には、当たり前のことだがすべて値札がつけられていて、同じ画家や文学者、政治家でもずいぶん値段が違うところが興味深い。

例えば、松平不昧候書状42万円也、頼山陽書状31万5000円、華岡青周洲書状47万2500円也。
いったい何を根拠にこの値段がついているのだろうと考えて見ても、おそらくは誰も決定的な根拠を明かせないところがまた面白いのである。

維新のぼんくら政治家田中光顕(こやつのいたずらに巨大で空疎な墓石を見よ)と足尾銅山の田中正造の短歌が並んでいて、前者が65000円、後者が150000円というのはなぜか納得できるような気がするが、子規の同門である高浜虚子の短冊「一つ根に離れ浮く葉や春の水」が200000円であるのに対して、河東碧梧桐の「ざぼんに刃をあてる刃を入るゝ」がたった120000円であるのがどうにも解せない。

作品、筆跡、人物のいずれをとっても虚子ごとき凡庸な俳諧師の風下に立ついわれのない偉大な野人芸術家碧梧桐のために、私は京都思文閣の鑑定に断固異議を唱えたいのである。


♪堕落腐敗しきった平成俳句界にいまひとりの碧梧桐出でよ 茫洋

Monday, January 19, 2009

アーサー・ウェイリー・佐復秀樹訳「源氏物語2」を読んで

照る日曇る日第223回

ウェイリーによれば紫式部はこの物語のすべての登場人物の年齢や地位や境遇を一瞬たりとも忘れることなく各帖を整然と記述しているという。物語のディテールではなく、その壮大な時間的・空間的な全体構造をきちんと押さえてからこの翻訳に入ったことは、彼のいかにも几帳面で学究的な性格を物語るとともに、この翻訳と凡百の日本語訳との決定的な違いを生んでいる、と思った。

よく源氏物語はプルーストの失われた時を求めてと比較されるが、この両者に共通する骨太の物語構造と近代的な心理分析を最初に発見したのがこのエキセントリックなキングズ・カレッジアンだった。彼の翻訳を読んでみると、谷崎や与謝野は全体構造の強固さには無自覚にただ細部の美を舐めるように慈しんでいるにすぎないことがよく分かる。

原作は同一でも、それを極東のローカル文学にとどめるか、はたまた世界最高の文学に押し上げるかは、翻訳者の世界文学の理解の深さの差であることが愚かな私にもはじめてわかったような気がする。

流謫の地から権力の中心に復活した源氏は、二条の館を離れて春夏秋冬四つの季節の名前をつけた東西南北四つの対からなる広大な屋敷を新設し、そこに正妻の紫の上、秋好皇后(六条御息所の娘)をはじめ、明石の上、玉鬘、花散里なぞの愛人たちをそれぞれ配し、対から対へ、御殿から御殿へといくつもの渡り廊下を伝って、あるいは鑓水に浮かべた小舟で遊覧する。

乱れ咲く四季折々の花々と天空から降り注ぐ大宮人の妙なる管弦の響きはまさにこの世に顕現した華麗な一幅の極楽絵図そのものである。ウェイリーはこのくだりを「モーツアルトの交響楽のなかの律動と似ている」、と評しているが、巻二四「胡蝶」を目にしている私の耳朶にも、たしかに彼の最後のハ長調交響曲の終楽章のコーダが遠く鳴り響いていたのであった。

巻末のウェイリーの「解説」も興味深いが、翻訳の佐復秀樹が多用している「主要な」
という現代日本語の使用法は、文法の正則に照らして正しいとはいえない。世間でよく使っている「親交を深める」というジャッグルした表現が正則から少し外れているように。


♪管弦の楽高鳴れば春鶯囀大宮人の宴は果て無し 茫洋

掘田善衛著「掘田善衛上海日記」を読む

照る日曇る日第222回

敗戦直前の1945年3月24日、当時27歳の「心からやりたいということ、心から何事かをなしたいという欲求がさらにない」一人の若者は、松岡洋右の息子の仲介で日本を飛び出し、「上海客死」の覚悟で欧州をめざした。しかし当時欧州直行便は存在せず、やむなく著者はこの動乱の地で8月15日を迎え、1947年1月に帰国するまで当地の武田泰淳宅に転がり込む。

その間の私的な記録がこの日記である。そこには支配から脱して自らに目覚めつつある等身大の中国と生身の中国人たちの動向、そして敗戦国民に転落して動揺する日本人たちの狂乱ぶり、さらに異国での異常な体験と燃え上がる愛に戸惑う孤独な魂の彷徨がとぎれとぎれの断想のように記されている。
日本人を憎んで密告したり殺したりする中国人もいたが、戦争中とまったく同じようにつきあう中国人もいる。しかし大半の日本人は戦争中とがらりと態度を変えて民主主義人間に変身してしまう。いっぽうこの人物はといえば、敗戦から国共内戦開始という天下の大乱のさなかに木の葉のように右往左往しながらも、「天下国家のために何をなしたいという野望もない。また自分一個のためにすら何をしたいとも思わぬ。つまらないことおびただしい。自分で自分がまったくつまらない。食物をこしらえたり、皿を洗ったりする瞬間がもっとも充実しているように思う」と書いていて、若いのにさすが掘田、と大いなる共感を覚える。敗戦の日にわざと陸軍兵の軍帽をかぶり、戦勝を寿ぐ中国人たちで雑沓する市街に単身身を乗り入れる著者の勇気は感動的ですらある。

1946年5月21日
今日から自分と戦うことについて考えよう。
したいことはしない。
したくないことはしない。

1946年8月10日
アインシュタインが宇宙の構成は単一であると言ったとき、ヴァレリーが「その単一なることを証明するものは何であるか」と問うたところ、アインシュタインは「それは信仰だ」と決答した。これに対して、ヴァレリーは「このときほど自分は感動したことがない」と慨した。信仰のない科学は所詮うすめられた毒薬の注射以外のものでない。信仰がないからその毒に耐えきれないのである。されば科学自体も発展しないし、人格も決して人に卓越せるものとなりえない。

1946年10月18日
岸田劉生の「美の本体」に「運命に形を与えれば実在だ」という言葉がある。これは芸術と人生を深く深く見たまことの芸術家の言葉である。とらえがたきこの世の運命に形を与えたもの、それが文学である。実在である。
「それは美だ。在るといふことの美だ」。

などの日記も、なかなか示唆に富む。

広場の孤独やゴヤの作家の揺籃の地はまさに上海にあったことを雄弁に物語る貴重な青春の記録と評せよう。


♪おお天よ、われらが運命に形を与え給え 茫洋

Saturday, January 17, 2009

エルサ・モランテ著「アルトゥーロの島」、ナタリア・ギンズブルク著「モンテ・フェルシモの丘の家」を読んで

照る日曇る日第221回

前者は少年の継母への淡い初恋を軸にした偽ビルダングスロマンであるが、どこがイタリアを代表する女流作家らしいのか理解に苦しむ。こうしたテーマでは中勘助などのわが国の少年文学のほうに1日の長がある。私はそぞろ下村湖人や山本有三なぞをまた読み返してみたくなった。

2作のうち取るとすれば、まだ後者か。これはローマからアメリカのプリンストンに脱出した作家を中心にその係累たちがお互いに取り交わす書簡から構成される家族の物語で、翻訳を亡くなった須賀敦子が担当していてそれなりに読ませるものがある。

池澤夏樹の個人編集による河出書房新社の世界文学全集は、これまでは比較的駄作が少なかったが、本巻はその数少ない例外といえよう。



 ♪こんな小説のどこがおもろいんじゃあと叫びて屑籠めがけて投げつける 茫洋

Friday, January 16, 2009

佐藤賢一著・小説フランス革命「バスティーユの陥落」を読む

照る日曇る日第220回

ヴェルサイユで打ち上げられた烽火は平民の町パリの要塞で大爆発を遂げ、それが7月14日の革命として結実した。

この小説の冒頭で大活躍するのは、ミラボーの陰謀によって暴発した弁護士デムーランである。パレ・ロワイヤルの行進からはじまった反貴族、反軍隊、ネッケル復活を旗印とするパリ民衆のデモンストレーションは、ついにテュイルリー公園でのドイツ傭兵との武力衝突を引き起こすが、フランス衛兵隊の支援によって竜騎兵を撃退したデムーランは、一夜にして一躍パリ市民の英雄となる。

しかし王と政府は、シャン・ド・マルスなどパリの四囲に強大な外国軍を待機させ、武力介入の機会をうかがっていた。武器には武器で対峙しなければならない。ダントン、マラーなどとともにデムーランを指導者とするパリ市民は、武器が隠匿されていると思われたバスティーユ監獄に弁天橋さながら遮二無二に突入し、ついに難攻不落の要塞を陥落させる。

フランス革命の一里塚は、このような偶然の暴発ともみえる民衆の盲目的なエネルギーの全面展開によって築かれたのである。暴動こそが革命の母なのだ。かくしてパリの権力は、各種ブルジョワ混成軍の手によって奪取された。


このような首都の高揚を人民の果実とせず、王冠の祝祭と化すためにミラボーは、ルイ一六世のパリ訪問を提起し、それは実現される。一七八九年七月一七日、パリ市政庁の露台に上がった国王は、ヴィヴラフランス、ヴィヴルロワの大歓声に包まれた。

ヴェルサイユの憲法制定国民議会は、ミラボーなど保守派の逡巡躊躇を押しのけてルソーがかつて種を播いた人権宣言を採択し、ロベスピエールを感涙させたがその革命的な法案をルイ16世は批准しようとはしなかった。閉塞状態に陥った事態を打開したのは、パリの平民女性の蜂起だった。降りしきる雨の中「パンを寄こせ」とシュプレヒコールを挙げながらグレーヴ広場からヴェルサイユまで歩き続けた彼女たちは、ミラボー、デムーラン、ロベスピエールなどの革命指導者たちを乗り越え、ヴェルサイユ宮殿の内部まで乱入しルイ16世と王妃マリー・アントワネットを実力で拉致し、再びパリに取って返してテュイルリー宮に幽閉する。無名の、無数の女性たちの活躍で、フランス革命は決定的なメルクマールを刻んだのである。
 

♪女性の蜂起なくして真の革命なし昔も今も 茫洋

Thursday, January 15, 2009

佐藤賢一著・小説フランス革命「革命のライオン」を読む

照る日曇る日第219回

そもそもの始まりは王国の財政難だった。貴族が課税に抵抗したためにフランスの国政が混乱し、1788年、貴族の傲慢な居直りを背景に高等法院と政府(財務長官ネッケル)は決定的に対立した。

翌年の8月8日、国民の声に押されて魔がさしたルイ16世は、よせばいいのに何を血迷ったのか全国3部会の招集を発令する。
ここに全国から集まった平民、僧侶、貴族の政治的対立がフランスの国民意識の覚醒をうながし、それが同89年7月14日のバスティーユ要塞攻撃に引火していくのである。

このシリーズの第1巻は、革命前夜の全国3部会の動静をつぶさに描いて興味深い。そこでは王、第1身分の聖職者や第2身分の貴族たちから蔑視されながら徐々に己の権利と権力にめざめていく第3身分の平民たちの姿が、プロバンスの貴族でありながら第3身分代表として全国3部会、後の国民議会の議員となったミラボー伯爵を中心に生き生きと描かれている。
 
「革命の獅子」と呼ばれたミラボーの豪傑ぶりと、その清濁併せ呑む政治的言動に魅了されながら、次第に力を蓄えていくアラスの弁護士で後の独裁者ロベスピエールの初々しい姿、「第3身分とは何か」を書いた僧侶のシェイエス、アメリカ独立戦争にボランティアとして従軍したラ・ファイエット将軍などの実像も新鮮そのもの。あの悪筆家の塩野七生ほどではないが、文章の一部に生硬な表現がみられるが、そんなことより今後の展開が大いに期待される。



♪どんな革命にも大中小の獅子がいた吼えよライオン  茫洋

Wednesday, January 14, 2009

加藤廣著「謎手本忠臣蔵」を読んで

照る日曇る日第218回

「此間の遺恨、覚えたか」と叫びながら、浅野内匠頭はなぜ上野介に刃傷に及んだか。「此間の遺恨」とは何か。著者は主に五代将軍綱吉とその僚友側用人柳沢吉保の視点をつうじてこの松の廊下刃傷事件を解明しようとしている。

元禄14年当時の彼らにとって最大のテーマは、綱吉の母桂昌院の従一位授与問題「桂一計画」であった。栄耀栄華を極めた京堀川の八百屋の娘を史上最高の官位に就け、愛する母に死土産として贈りたい。この綱吉の悲願を達成するために、柳沢吉保が朝廷に対する折衝と政治工作のために特命を授けて送り込んだのが吉良上野介であった。

ところが先祖代々朝廷贔屓で知られる浅野家は、親しい関白を通じてそのような朝幕間の内部事情に通暁しており、こうした幕府の理不尽なごりおしに反発を懐いていた。
そしてたまたま朝使饗応役に任じられた浅野内匠頭の前に吉良上野介が登場し、「桂一計画」において自分が担っている大役を誇らしげに漏らした。そのとき、内匠頭が何らかの否定的な発言を行ない、それに対して上野介が武士のプライドを傷つけるような種類の発言を行ない、堪忍袋の緒を切らせた内匠頭が斬りつけた、というのが著者の解釈である。

当初仇討に否定的であった内蔵助はこうした朝幕間の醜い争いを外部に漏らすことなく恨みを呑んで刑場の露と消えた内匠頭の真意を知ってはじめて討ち入りに立ちあがる。それは主君への私怨をはらすのではなく公儀への異議申し立てであった。
いっぽう吉良上野介の朝廷への働きかけが不成功に終わったことを知った綱吉と吉保は、上野介の限界を悟って別のルートから猛烈に運動し、桂昌院の従一位授与問題は討ち入り寸前に成就する。
松の廊下事件が喧嘩両成敗ではなく一方的に浅野内匠頭に不利な裁きであったことから反発する世論をなだめるために、綱吉と吉保は、赤穂浪士の策動を隅々まで熟知しながら上野介暗殺を許したというのである。

まあこの説が嘘か本当かはにわかに断定できないが、従来悪人とされてきた綱吉と吉保の功罪を洗い直し、彼らの暦や貨幣改革とオランダによる暴利の追及、さらには家康が福島正則に書いた密書の行方など数々の派生的エピソードにいそいそと言及している点も思いがけず楽しめる。

赤穂浪士の吉良邸討ち入りは綱吉と彼を裏面操作した側用人柳沢吉保の陰謀である、というのは、この間読んだ秋山駿著「忠臣蔵」と同じ結論であるが、この本の引用は、ほとんど福本日南の「元禄快挙録」と徳富蘇峰の「近世日本国民史・赤穂浪士」の二著に依存していたために、そのくわしい実証的な説明はなかった。本書では、その渇を存分に癒すことができるだろう。


♪昼下がり舗道に伏したる黒猫は薄き血吐きて瞑目しており 茫洋

Tuesday, January 13, 2009

最終回「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」

バガテルop85


家族の方へ 災害後の助言by日本自閉症協会会長・石井哲夫氏のアドバイス

「子供さんにもよりますが、高機能で生活行動の自立した子供さんの場合は、まず不安が取れず興奮しているわが子の気持ちをいやすことを考えてください。そのためには傍らにいて静かに話しかけたり、好きな音楽を聴かせたり、本を読ませたり、ゲームをさせたりするとよいと思います。そしてこの機会に災害から逃れた状況に関してわが子の取った行動をほめてほしいと思います。特に自分から気づいたり判断したりしたことがあれば、それを繰り返し話し、本人の気付きをはっきりさせることが良い教育になるのです。
自立していない子供さんの場合は、嫌がらない場合にはよく抱きしめてあげたり、一緒に毛布やふとんの中でくるまって落ち着かせる工夫をしてください。」

いかにもこの人らしい温和な対応ですね。30年前のその昔、私は石井氏などが主張する、自閉症児の障碍をただありのままに受け入れようと主張する「受容療法」に批判的でした。症状と障碍のもっと本質に肉薄して損傷部分を活性化する積極的な療法にかつえていたのです。しかし障碍者に対して強制的にかかわる際の反発や逆効果などを考慮すると「大人になった」今では、こういう受け身の対応もあながち全面的に否定するものではありません。

昔は自閉症の原因を「脳の器質障碍」であると考える医者や学者はきわめて少数で、たとえば神奈川県戸塚のこども医療センターに勤務していた東大精神科のあほばか医師などは、ふたりとも自閉症の専門家を自称していたにもかかわらず、私の長男の障碍の原因を母親の育児の失敗(当時「母原病!」と呼んでいた)によるものである、となんの科学的根拠もなく、一方的に決め付けてくれました。

その後こういうお偉い人たちも、主流派の情緒障碍説から機能障碍説へとこっそり「転向」したのでしょうが、あの時の彼らのしたり顔を思い出すたびに、きょうもふつふつと怒りがこみ上げてくるのです。

それはさておき、私はかつて1日両切りピース50本の猛烈なヘビースモーカーであり、強度のニコンチン依存症であったために、その毒が妻の胎内に入って障碍児を誕生させたと確信していますので、若い人たちにはどうしても禁煙してほしいのです。


♪「新世界」の第4楽章は行進曲ではない讃歌である「歌え歌え」とクーベリックは叫ぶ 茫洋

Monday, January 12, 2009

第5回「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」 

バガテルop84


12君が海や川のそばにいたら
・津波で突然水が増えてくるので、海岸や川岸から離れよう
・海岸で強い揺れに襲われたら、いちばん恐ろしいのは津波。避難の指示や勧告を待つことなく、安全な高台や避難場所を目指す

13学校・職場と確認しておくことは

・集合場所、避難場所を決めておこう
・「私は大丈夫です。ここにいます」と家族に伝える方法を決めておこう。
・「助けてカード」を家族と作り、いつも持っていよう。
・帰宅地図を家族といっしょに作ろう。トイレや水の補給できるところを記入しておこう。
・ペットボトル、飲料水、チョコレートやあめなどを職場に置いてもらおう。
・災害が起きたときには、すぐに家に帰るかどうか職場や学校に決めてもらおう。

14局地的豪雨、雷雨、台風、竜巻にも注意
・川は突然水が増えてくるので大急ぎでその場を離れよう
・町中では水が来たと思ったら側溝に落ちないように電柱などを目印に傘などで安全を確認しながら高いところへ避難しよう。地下街では急いで階段へ。手すりにつかまって上がろう。
・車のドアは水深60センチになったら開かなくなるので、その前に逃げよう。
・雷雨 ぴかりときたら屋内へ。野原では身を低く。

♪やたら雷、津波を連発するなかれ気象庁とマスコミはピーターと狼 茫洋

Sunday, January 11, 2009

第4回「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」 

バガテルop83

8駅では
・線路には絶対に下りてはいけません。危険!
・駅員さんのいうとおりにしよう

9電車やバスの中では
・吊皮やボールにつかまろう。勝手に外には出ない
・運転士さんのいうとおりにしよう

10遊園地・公園では
・乗り物の中にいたら、しっかりつかまる
・家族やいっしょに来た人と、はぐれないように手をつなぐ

11君がひとりだったら
・大声で「助けて」という
・近くの人・制服の人(駅員・警察官・警備員)に助けてもらおう
・助けに来てくれた人に「助けてカード」、身分証明書、サポートブックなどを見せ、避難場所に連れて行ってもらおう
・家族に連絡してもらおう
・駅や乗り物の中では、係りの人のいうとおりにしよう

避難するときの注意
・あわてず落ち着いて
・割れたガラスなどの落ちているものを踏まないように注意
・はしらない。急ぎ足で移動する
・人を押さない。順番を守る。とくに階段やエスカレーターでは皆が倒れて事故になるので注意
・係りの人やお店の人がいるときは、いうことをきいて行動する
・係りの人がいないときは、非常口のマークの方に移動する



♪遠い日を思い出させて遠い景 茫洋

Saturday, January 10, 2009

第3回「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」

バガテルop82

4地震のとき外にいたら
・落ちてくるもの、看板・ガラスなどから逃げる
・カバンなどで頭を守る
・切れた電線にさわらない
・電柱・ブロック塀・自動販売機やマンホールから離れる

5君が学校にいたら
・あわてて飛び出さず先生のいうとおりにしよう

6デパート、スーパーでは
・店員さんのいうとおりにしよう
・エレベーターに閉じ込められたら、あわてず非常ボタンを押す。すべての階のボタンを押す
・バッグや買い物かごなどを頭に乗せ、ショーケースなど倒れやすいものから離れよう
・非常口マークを普段から確認しておく
・エスカレーターでは前の人との間をあけて、かならず手すりにつかまるように習慣づけておこう

7地下街では
・柱や壁に寄りかかり、定員さんのいうとおりにしよう
・バッグなどを頭に乗せ、揺れがおさまるのを待つ
・あわてず、地上に出る
・脱出するときは、壁伝いに歩いて避難
・火災が発生しなければ比較的安全なので、あわてず行動すること


♪豚のごとく太りしもの武道館にこけつまろびつ還暦ジュリーコンサート 茫洋
♪豚の如く醜き男駆け回る日本武道館還暦ジュリーコンサート
♪6時間ぶっちぎり武道館還暦ジュリーは日本のプレスリー

Friday, January 09, 2009

続「自閉症の人たちのための防災ハンドブック」 

バガテルop81

自閉症の人たちは、もし災害にあったら

・落ち着いて身を守りましょう
・1人でいてもあわてないこと。必ず助けが来ると信じよう
・お家の人といっしょだったら、お家の人のいうとおりにしよう
・いっしょにいる人と離れないようにしよう


こんなときにはこうしよう

1地震が来た時家で寝ていたら
・ふとんをかぶろう
・割れた窓ガラスでけがをしないように注意
・枕元に履きなれた靴、懐中電灯、携帯電話、ラジオなどを準備
・寝室に倒れそうなものを置かない
・頭の上に物が落ちてこないところに寝る

2地震が来た時部屋にいたら
・机の下にもぐり、机の脚にしかりつかまる
・食器棚、倒れてくるものから離れる
・物が飛んでくることもあるので気をつけて
・頭にクッションなどをのせて揺れがおさまるまでそのままでいる
・戸をあけて出入り口を確保
・あわてて戸外へ飛び出さないように
・無理に火を消しに行かない

3お風呂、トイレに入っていたら
・風呂場、トイレからあわてて飛び出さない
・湯船から出ないで洗面器をかぶる
・けがしないようにバスマットなどで足を守る
・ドアをあけ、逃げ道をつくる
・割れた鏡、タイルに注意


♪なにやらんかなしききもちになりにけりじへいしょうきょうかいがつくりしぼうさいはんどぶっく 茫洋
自閉症の人たちのための防災ハンドブック 

バガテルop80


○災害が起きたら、自閉症の人たちはこうしよう

①まず落ち着くこと
深呼吸を3回くらいして助けを待とう

②危険から体をまもろう

③人を呼ぼう

④安全なところへ連れて行ってもらおう


○災害が起きたら、家族はこうしよう

A災害が起きたら、

親がまず落ち着くこと
「大丈夫だよ」と声をかけよう
本人に分かりやすい言葉や方法で本人を落ち着かせよう

B普段からの準備と心構え

練習していないことはいざというときには役に立たない。

  ①気づいてもらうために
「助けてカード」を作成し、本人にいつも持たせる
『助けて』と声を出す練習、ホイッスルを吹く練習
衣服への記名、サポートブックを作成し、持たせる

②日頃からわが子の存在を知っておいてもらう
隣近所とのお付き合いを
民生委員とのコンタクトも
要援護者名簿に登録
ひとりになったときを想定し、普段からの準備・訓練を

③家族で防災会議をしよう
家族同士の連絡方法などについて

④地域での避難訓練に参加を

⑤自宅以外で宿泊する体験をもとう




♪災害はいつどこで起こるか分からない君のために何ができるか 茫洋

Wednesday, January 07, 2009

川上弘美著「どこから行っても遠い町」を読んで

照る日曇る日第217回

道路の左端に江戸時代に建立された馬頭観音と右かなざわ道と書かれた道路標識が立ち並んでいて、この一帯が古代から幹線道路として重要視されたかすかな面影を伝えていた。

鎌倉石でできたその二基の標識のすぐ隣に立っている一軒の魚屋さんが、おそらくはこの小説の最初に出てくる魚屋「魚清」のモデルではないだろうか、と私は勝手に想像を逞しうした。なぜならその魚屋は小説と同じように三階建てで、一階では魚を商っており、二階は住居部分であり、三階には小さな小屋があるのだが、それを除いた広大なスペースを利用してよくアジやイカなどを天日干にしているからである。

「魚清」を起点にして著者がはじめるのは、東京近郊のとある小さな町の住人たちが織りなす生と死と愛と希望の物語だが、私は私で別の空想を楽しんでいた。

その魚屋には年老いた夫婦二人が長らく商売を続けてきた。彼らの一人息子は東京の大学でフランス文学を専攻し、ソルボンヌに留学をしてからリヨンの大学で教員をしていたと風の噂で聞いたことがある。ところが理由はまったく不明だが、彼は今から一五年ほど前に突然帰国し、しばらくはフランス語の家庭教師の看板をカツオやヒラメの隣に掲げていたのだが、受験勉強に追われるいまどきの学生にこんな時代遅れの言語を学ぼうとする者などいるはずもなく、ある日父親に向かって「俺は魚屋のあとを継ぐ」と宣言したのだった。

魚屋の向かいにはここから鮮魚を仕入れている仕舞店風の鮓屋があったが、いつが営業日でいつが休日なのか客も店主にもよく分からない気まぐれな店だったので、一握りの馴染み客しか寄り付かなかった。
そんな鮨屋金兵衛をことのほか贔屓にしていたのが、金兵衛の隣のガソリンスタンドで働いていたFさんだった。氏は九州大学の理学部を卒業したインテリだったが、ある日大企業を突如リストラされ、とにもかくにも月々の生活費を稼ぐためにエッソスタンダードに飛び込んできたというわけだった。
私とFさんの唯一の接点は、障碍児を持つ父親ということだった。二人は時々金兵衛でゲソなぞをつまみながら、まるで同病相哀れむように、他人にはとうてい聞かせられない情けないグチをこぼしあう仲だった。

新しい年が明けてまもないある夜のこと、いつものように私が金兵衛の暖簾をくぐると、この店ではついぞ見かけたことのない若い女が、ねじり鉢巻きを巻いた徳さんに向かって「もう、あたし我慢できない」と何度も叫ぶように言いながらううすい背中を震わせて泣いていた。


……まあ、ざっとそんな感じの、因果は巡る花車小説です。



かくすればかくなるものとは知りながら御身大事に敵殺す君 茫洋

遥かなる遺恨のほどはさておきて眼下の敵はみなみな殺せ  茫洋

Tuesday, January 06, 2009

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで その5

鎌倉ちょっと不思議な物語第161回&照る日曇る日第216回

 蒙古襲来後、鎌倉幕府では頼朝恩顧の御家人と北条一族ゆかりの得宗御内人との対立がきしみはじめ、それが幕府の執権政治のみならず天皇家や朝廷の権力闘争、さらには中世の社会構造にまで大きな影響を及ぼそうとしていた。

 双方の権力闘争が最高潮に達したのは、弘安8年1285年11月の霜月騒動だった。安達氏の館は代々甘縄にあったが、泰盛はそこは子息宗景に譲り自宅の松谷の別邸に住んでいた。

その年の11月7日、なにか異常な雰囲気を感じて午前10時頃にそこを出た泰盛は、正午ごろ小町大路と横大路が交わる塔の辻の屋形に向かい、すぐ近所の執権貞時の館に参じようとしたところで御内人たちに行く手を阻まれ、死者30人、負傷者10人の被害を出した。

それをきっかけにこの辺を中心とする合戦が始まり、激闘の中で周軍の御所も炎上した。午後4時に戦闘は終わった。泰盛方は完全に敗れ、泰盛以下子息宗景、弟長景、時景色ら安達氏一族は自害・討ち死にし果てた。

安達氏とともに分流大曽禰氏、二階堂氏、小笠原氏など錚錚たる豪族も滅びた。鎌倉では泰盛の婿金沢顕時が下総に流され、ここに御家人最大の流派は滅んで内管領平頼綱の独裁政治が始まることになる。しかしその頼綱も頼綱執権貞時の手によって永仁元年1293年4月にうち滅ぼされたのである。


夜叉の如き形相で嬉々としてパレスチナ人を血祭りにあげているイスラエル外相 茫洋

眼には眼を歯には歯を旧約の教えにいそいそと従うユダヤの民かな 茫洋

Monday, January 05, 2009

ベルンハルト・シェリンク著「帰郷者」を読んで

ベルンハルト・シェリンク著「帰郷者」を読んで

初夢

バガテルop79

嵐の中を疾走するシカゴ行きの夜行列車に乗ってどこか比較的大きな駅に着いた。プラットホームに停まった蒸気機関車から野生の獣の荒い息のように白い蒸気が噴き出ている。どうやらこの駅でしばらく停車するようだ。私はホームの端にある改札口を出て駅前広場のあたりをふらふらと歩きだした。

その暗闇の街でなにか大きな事件が起こったということはないと思う。あったとしても覚えていない。しかし私はそこでいつも夢の中でしか出会わない建物や風景と久しぶりに出会い、とても懐かしい思いに駆られた。

気が付くとそうとうの時間が経過していた。私は大急ぎで駅に引き返して闇を透かしてプラットホームをのぞくと、蒸気機関車とそれが牽引する何両かの古ぼけた木造の客車の姿は何度見直してもそのかけらもなかった。列車はもうとっくに出発してしまっていたのだ。

私は茫然として改札口に立ちすくみ、さてどうしたものかと考えた挙句に、改札口の傍にある小さな詰所に入っていった。幸いなことに駅員がいたので、私は事情を説明してなんとかならないかと尋ねると、彼は「もう上りはないよ」と冷たく言ってドアを閉めようとしたので、焦った私はドアの下に靴を入れてそれを防いだ。

「しかし下りで一駅戻れば上りの新幹線に乗り継ぐことができるのではないだろうか」といまそこで思いついたことをいうと、それが当たりだったと見えて、駅員は彼のほんらいの地である親切そうな表情に戻り、デスクで仕事をしていたもう一人の同僚に声をかけ、連絡と乗り継ぎの計算と新幹線の予約作業を猛烈な勢いで開始した。

ところがようやくその時になって、私は胸に納めた財布にたった1円もなく、この駅までの切符さえ持っていないことにはじめて気が付き、大いにうろたえ、さらにうろたえ、限りもなくうろたえているのだった。


♪市田柿1箱498円鎌万の安さ畏るべし  茫洋

Saturday, January 03, 2009

秋山駿著「忠臣蔵」を読む

照る日曇る日第214回

大阪城崩壊から80年を閲し、原城の反乱の記憶も次第に遠ざかると血なまぐさい硝煙にかわって美服に薫じられた上方流のかぐわしい香の匂いが人々を魅了するようになる。華麗なる元禄文化の開幕である。

そこで権力者は、血を血で洗う戦乱の世に別れを告げ、太平に慣れ親しみ、平和というものに倦み果てた武士たちに対して、かつての宮本武蔵の「五輪書」や山本常朝の「葉隠」に代わって新たな「武士道」の規範を示さなければならない。恒久平和の時代における武士の生き方のバイブルを制作しなければならない。そのために活用されたのがこの前代未聞の仇討である、と著者は説く。

忠臣蔵の思想は、形は吉良の首を打って亡き主君の恩に報じるというものだが、その核心を流れるのは「武士であろうとする者は死を尖端に置く考えと行動によって義を護る者だ」ということだ。この独創的な元禄版武士道を立ち上げた大石内蔵助の義挙を民衆の潜在的な支援とあいまって直接間接にバックアップすることによって、5代将軍綱吉と側用人柳沢吉保は泰平の時代の武士道を確立した。そしてこの新武士道はそれ以後の徳川、明治時代を貫通し、明治天皇崩御の時点まで生命を保っていた。そういうのである。

せんじつめれば赤穂浪士の吉良邸討ち入りは元禄時代の強権独裁者である綱吉と彼を裏面操作した側用人柳沢吉保の陰謀である、というのが著者の結論であるが、しかし誰かに都合よく洗脳された浅野内匠頭が突然でくのぼうのように上野介に斬りかかったわけではあるまい。

論理の大筋は簡明だとしても、各論の証明があまりにもお粗末。これは歴史の理屈をうんぬんするのではなく、忠臣蔵をめぐる著者のユニークな文学的歴史散歩に耳を傾けるべき書物であろう。


♪武士は義に女は恋に死すべしと元録の掟ついに定まる 茫洋

Friday, January 02, 2009

高橋源一郎著「いつかソウル・トレインに乗る日まで」を読んで

♪照る日曇る日第213回

驚いたことには高橋源ちゃんの小説にはほとんど駄作がなく、おまけに駄作であったとしても必ずそれが現今の文学に対する鋭い異議申し立てになっている。そしてそれは今回も例外ではない。

なんせ「生涯初の、そして最後の」、と銘打たれた超恋愛小説である。主人公は某マスコミに勤務する相当垢が溜まった中年の俸給生活者であるが、作者と同様に元サヨクの前歴を有するこの主人公は大多数の日本人と相違してなぜか韓国とその国の住人に大いなる親和力を有しており、その結果この小説のヒロインとの超絶的恋愛が発生する。

という仕儀は多少不自然であり、説明不足のようでもあるが、どうやら主人公は韓国の特派員時代にこの国の反権力闘争に加担していた形跡もあり、その運動参加者とのシンパシーがこの小説の登場人物たちとの連関を構成している。

らしいのであるが、そんなことはどうでもいい。ともかく主人公は半死に状態の日本と自分を捨ててこの国に呼び寄せられ、そこで2度目のファム・ファタルと遭遇し、2度目の、そして最後の恋愛に深く埋没していく。案の上愛は男を覚醒し再生し復活させるのだが、それが達成されたと見えた瞬間にまるで一場の夢のように崩壊する。(衝撃のラスト?ゆえにわざとこのように書いています。くわしくは手に取って読んでください。)

というようなプロットもじつはどうでもよくて、作者がここでやりたかったのはとても不器用な愛の経験の零からの再構築であり、その愛の結晶化作用と同時に構築されていく小説構造自体の破壊的再構成なのである。つまり作者は、愛と小説をほとんど幼児が粘土の人形を作っては壊すように、作りながら壊し、壊しながら何か新しいものを作り出そうとしている。その製造過程をここで臆面もなく公開すること、それが小説だと言いたいらしいのである。

しかし「何か新しいもの」とは最後までわからない。作者にもわからないものが、どうして私たち読者にわかるだろうか。けれども、そういう無手勝流のはちゃめちゃでアナーキーな小説作法をいくら読者が少なくなろうと断固として譲り渡さないところが、時代に媚びず時代に先駆けるこの作家の革命的根性なのである。


♪われもまたソウル・トレインに乗り込んで、世界の果てまで旅立ちたし 茫洋

Thursday, January 01, 2009

青い空には雲がある

♪ある晴れた日に 第50回記念


青い空には雲がある
雲の上には光がある
光の彼方に夢がある

京都には百万遍がある
鎌倉には十二所神社がある
綾部にはてらこがある


百貨店には屋上庭園がある
サーカスにはブランコがある
リーマンにはボーナスがある


カレンダーには旗日がある
機動隊には7つある
小田急線にはロマンスカーがある

機動隊には貸しがある。
吉本隆明には借りがある
愛犬ムクには墓がある


手術台にはメスがある
佐々木小次郎には物干し竿がある
露台には植木鉢がある


食堂の戸棚にはドラヤキがある
隣の親父には抜け毛がある
新国籍法には抜け道がある


金融業には悪がある
障碍児には無垢がある
我が家の玄関には灯りがある


イエスにはマリアがある
大刀洗には井戸がある
畳の上には布団がある


猫にはタマがある
男にも玉がある
竜宮城には玉手箱がある


赤ちゃんには乳歯がある
処女には処女膜がある
老人には萎びた珍宝がある


レノンにはイマジンがある
サントリーには山崎がある
私には2人の子供がある


ジョン・フォードにはジョン・ウエインがある
助さんには格さんがある
私には可愛い奥さんがある


蝶には翅がある。
臍には胡麻がある
眼には涙がある


道には石がある
身体には骨がある
人には理想がある


青い空には雲がある
雲の上には光がある
光の彼方に夢がある