Wednesday, June 30, 2010

ルミネの広告

茫洋広告戯評第13回

JR東日本が運営する商業施設「ルミネ」は、おなじ会社による駅ナカ施設「エキュート」の大宮や品川、立川店などと共に都会の若い女性に人気があるようです。

「エキュート品川」が誕生した日に、見違えるようにきれいに変身した構内を散歩していましたら、昔私が駅の前」キャンペーンをやっていた丸井にヒントを得て、これからは駅中の小売店が百貨店を駆逐するに違いないと大予言して当時の会社の人たちに奇人変人扱いされたことをはしなくも思い出しました。少なくとも人よりも建物の寿命の方が長いのですね。

 さてルミネは「仏語lumiere と英語mine」の合成語ですし、(エキュートは「駅+cute」の合成語)、そのスローガンが「わたしらしくをあたらしく」であることをみても、この商業施設のコンセプトをつくった人はタダものではありません。恐らくこれは例の「ルミ姉」を主人公とするテレビCMを企画制作した電通のプランナー兼コピーライターの田中選手ではないかとにらみましたが違っているでしょうか?

 さて設立当初は大手の広告代理店の専門家によって巣だっていったこの「ルミネ」の広告キャンペーンは、現在は親会社の系列下にあるJR東日本広告によって企画制作されているようです。私がよく利用するJR新宿駅の湘南新宿線の線路際の構内広告にはサントリーとピーチジョン(ワコールに買収された下着メーカー)と並んで、「ルミネ」の巨大ポスターが掲示され、割合頻繁に更新されています。

 いやでも目に入るのでじっと見つめているとどうも焦点が定まりません。歳のせいで視力が減退しているのかと思っていましたが、どうもそうではありません。春夏秋冬歳時記のように張り出されるファッション広告のキャメラマンは毎回ニナミカこと蜷川実花であり、彼女のピンはいつも甘いのです。意図的に甘くしてあるのです。

これはつねに商品に正確にフォーカスすることを暗黙裡に義務付けられているファッションの広告の世界ではきわめて例外的なケースであり、そこにニナミカ選手とルミネという企業の独特のスタンスが象徴されているのかもしれません。

 ニナミカが好むのは大空をバックにした砂浜や青い海で、そこに主人公の若いモデルが空中ブランコをしたりハンモックで揺れていたり、おとぎ話の馬車に乗っていたりするのです。
それはまあ許せるとしても、これにつけあわせになっているキャッチフレーズが毎回きわめて頭でひねくりまわしたコピーなのでいささか難があります。いま使われている「体ごと着替えたくなる時がある」もまるで男がこさえた観念的な文章で、その凡庸さを救おうとするかのように毎回グラフィックデザイナーが発明している奇妙奇天烈な変態書体と相俟って、私的には辛口評価にならざるを得ません。


  ♪朝比奈の峠の上で立ち小便 茫洋

Tuesday, June 29, 2010

西暦2010年水無月茫洋花鳥風月人情紙風船

ある晴れた日に 第76回


藤多き里に住みたる嬉しさよ

いざ行かん蛍舞う橋の袂まで

君とふたり蛍見にゆく夏の夜

妻とふたり蛍見にゆくうれしさよ

手のひらを返すがごとく生きており

ホトトギス特許許可局と鳴きにけり

春蘭が咲いていたのはこの辺り

ルリシジミ両手に花と飛びにけり

健ちゃんが突破したのは瑠璃シジミの瑠璃

生きてしあらば良きこともあらむナズナ咲く


百年の昔を吹きし水無月の奇麗な風が今日吹き過ぎる

たしかに神はいますらし されど日ごとに神は弱くなるらし

東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを疾く建て替えるべし
 
入梅の朝、一匹の大蛇が道路を横断していった。

知に働けば角が立つことあるけれどやっぱりフィッシャー・ディースカウには叶わない
 
君が代の歌声響く競技場唇結びし君の凛々しさ

東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを明日建て替えるべし

昨日辞め今日忘却の総理大臣無常迅速世の常なれど

腹黒き王沢蜂を一刺し哀れ死にたる鳩蜂マーヤ

ドン・ジョヴァンニの地獄落ち思い出したり小鳩刺し違え

歌え、歌え、心から歌えとサー・ジョンが叫ぶ

原節子司葉子野田高悟が徹マンしていた浄明寺遥かなり

君知るや蛍は毎晩同じ葉の同じ宿にて眠ることを

父よ母よムクよみなみなホタルとなりて我をおとなう

鎌倉の夜のホームに降り立てば潮のかおりが胸元にくる

鎌倉のプラットホームに降り立てば潮のかおりぞ胸元にくる

荒れ狂う命のたぎりをキャンバスに叩きつけおりゴッホ顕現

かにかくに資本の走狗と成り果てて会社会社と喚く君(俺)たち

はげたかファンドの雇われ社長となりて肩で風切る哀れな君たち

リークッスンが言った。おやお前丸腰じゃないか?キム・イルソンも言った。ゲイリークーパーをきどっているんだろうよ。ヤーポンよ俺たちはお前さんを武装解除しちゃうぞ。

カバたちがタンクで茹で死ぬ季節こそニル・アドミラリの境地を目指さむ

チャンチャン、スチャラカチャンとまことにお粗末な一席でげす

今日のお言葉 クラシックを好む輩なぞは、淫靡な奴に決まっている



      でんでん虫車に轢かれし恨みかな 茫洋

Monday, June 28, 2010

白い犬の陰に

白い犬の陰に

茫洋広告戯評第12回

最近の携帯通信会社の決算を見ると伸び率ではソフトバンクがダントツで、次が老舗のドコモ、ひと頃元気だったKDDIが伸び悩んでいるようですが、3社の広告キャンペーンもおおかたはそれらの業績を反映しているような気がします。

広告が面白いのは何と言ってもソフトバンクの「白戸家の白い犬キャンペーン」で、いまや遣りたい放題。犬のお父さんがサッカーをしたり選挙に出たりと神出鬼没の大活躍で、かつてはどうしようもない安売り後発会社であったこの企業イメージをおおいに盛り上げ、ユーザーの好意好感度を上昇させています。まいにちおよそ4000本流されるCMの中でこれほど面白いものはないでしょう。

ほんらい広告は商品の特性を消費者にうまく伝達するべきなのですが、このキャンペーンではその基本的メッセージを超えて企画のドラマ性とキャスティングの妙が想定外にヒットしたために、CMが通常のCMの規範を逸脱して一種の社会現象となりおおせました。

民族差別と果敢に闘ってきた反骨の企業経営者と、その意気に感じた制作者のいまどき珍しい幸福かつ奇蹟的な協業であり、あの名作「そうだ京都行こう。」キャンペーンを企画した制作会社シンガタの佐々木宏氏のもうひとつの代表作として、後世に残る傑作でありましょう。

 最近どうも事業も商品企画も沈滞気味のKDDIでは、相変わらずガンガンメールの土屋アンナがぐあんばっていますが、「嵐」とかいう虚弱団体がぞろっと出てくるだけの防水キャンペーンは、そのキャスティングといい、演出といい最悪。最近の資生堂の「椿」もそうですが、こういう有名タレントをただ垂れ流しただけの芸の無さを、視聴者=消費者は鋭く見抜いており、それが企業イメージのずるずる低下につながっているのです。

対するドコモが最近展開したのは渡辺謙、岡田将生、堀北真希、木村カエラなどを起用した「ひとりとひとつ」キャンペーン。ソフトバンクが犬を擬人化したのに対抗して、今度はケーター自体を擬人化しました。

 携帯電話が使用者本人に帰属するパーソナルな存在であることを製品企画の原点に戻って訴求しようとしていますが、それはあまりにも当たり前の話なので、本キャンペーンに先立ってダスベーダーが登場して「俺のボスはどこだ?」と騒いだ(巨額が投じられた!)わりには消費者の反応は白けたものでした。

そもそも「原点に帰ろう」などと言いだした人間はそこで終わっており、そういう経営者が率いる企業は、さらなる衰弱の一途をたどるしかないのです。


    君が代の歌声響く競技場唇結びし君の凛々しさ 茫洋

Sunday, June 27, 2010

ケルアック&バロウズ著「そしてカバたちはタンクで茹で死に」を読んで

照る日曇る日 第351回

なにやら奇妙なタイトルに惹かれて読みだしましたら「路上」のジャック・ケルアックと「裸のランチ」のウィリアム・バロウズの、いずれも無名時代の小説だったのでちと驚きました。

この題名は当時どこかの動物園だかサーカスだかが火事で丸やけになって大勢の動物や人間が死んだというラジオのニュースを2人が聴いていたのでつけられたそうですが、命名の理由なぞ聞かないほうがよっぽどシュールで良かったね、というところ。なぜなら、この素人小説にはそれ以外の取り柄がさっぱりなかったからです。


ではカバ小説の中身といえば、これが1944年8月にニューヨークで起こった殺人事件のてきとーなカバー! 2人が偶数章と奇数章をそれぞれ書きついで完成させたというリレー方式の目新しさをのぞけば、特にどうということもない面白くもおかしくもない三文小説でした。

たまたまその年の夏、ルシアン・カーという少年が彼につきまとうデヴィッド・カラマーという年上の男をナイフで刺し、意識不明のカラマーをハドソン川に投げ落として殺害したそうですが、この2人はケルアックやバロウズやアレン・ギンズバーグなど後にビート世代を代表する文学者や詩人たちの知り合いでした。

彼らは殺害直後のカーに対して自首を勧めるどころか殺人の感想を聞いたり、逃亡の相談に乗ったりしたのでケルアックなどは牢屋にぶち込まれたり、後年になってこのカー・カマラー事件の顛末を何度も小説化していますし、バロウズなどはこの事件を参考?にして細君を銃殺しているくらいですから、若い彼らにとってはそうとうショックな事件だったとは思うのですが、読まされる方にとっては面白くもおかしくもない話だねえ、という一点に帰着するわけです。

 しかしながらいまや現代小説の肝が、あらすじの面白さや主題の積極性ではなく、読み進むに従って読者の胸中に生じる不断の生命の躍動(エランヴィタール)そのものにあるとすれば、この元祖ビート小説の最大の特徴は、その生命の躍動を一歩も二歩も進めた無窮の生命の非躍動(ニル・アドミラリ)にこそあるのでしょう。お茶漬けの味にこそグルメを凌ぐ深い滋味が宿るのです。

 それゆえ平成最晩期に生きるサイバーパンクな作家たちは、このニル・アドミラリの境地をこそいまいちど目指すべきではないでしょうかなう。


♪カバたちがタンクで茹で死ぬ季節こそニル・アドミラリの境地を目指さむ 茫洋

Saturday, June 26, 2010

エオリアン四重奏団の「ハイドンのカルテット全曲」を聴いて

音楽千夜一夜 第145夜

ようやくハイドンの弦楽四重奏曲の全曲を22枚のCD(@347円)で聴き終わりました。この偉業を1970年代にはじめて達成した英国のエオリアンカルテットの演奏です。

私はたまにはラサールやアルバンベルクなどの鋭角的なカルテットも聴きますが、すぐに大脳前頭葉に物理的な痛みを感じてしまい、聴く人に無用の緊張を強いる彼らを敬しつつ遠ざけ、そのかわりにこのように前途茫洋で曖昧模糊、天衣無縫で八方隙だらけのゆるい四重奏団の音曲に耳を傾けることが多いのです。

フルヴェンの生きるか死ぬか乾坤一擲の運命交響曲にひしと聴き入るのは年に一度のことでして、スチャラカチャンチャンの三六四日はモールアルトの小夜曲に浮かれているほうが性に合っているのですね。ト短調交響曲やレクイエムよりもシャンドール&ザルツブルクァメラータのセレナードや喜遊曲を取りたいとなすますおもう平成も晩期の今日この頃であります。

ハイドンは交響曲とおなじように外見はあまり変化がなくても細部のあちこちに思いがけない仕掛けや創意工夫があって、ロマン派の大仰な絶叫音楽にはけっしてない淫靡な楽しみを与えてくれます。そもそもクラシックを好む輩なぞは、淫靡な奴に決まっているのです。

第一ヴァイオリン主導の古典的な演奏で、時折は音程をはずしたり縦の線がずれてしまったりする古拙で鄙びた演奏ですが、それはそれでハイドンらしく、それでも後期の作品76や77くらいになると目が覚めるような音彩を四方に放つので、さすがに英国の楽団には英国のスピーカーが似合うなあと思わされた次第です。

なおハイドンの全曲盤は、2000年にフィリップスから発売されたアメリカのエンジェル弦楽四重奏団の21枚組の格安CDも出ていますが、1994年から1999年に録音されたこちらの演奏はもっと若々しくモダンです。

♪今日のお言葉 クラシックを好む輩なぞは、淫靡な奴に決まっている 茫洋

レヴァインMETでモザールの「魔笛」を視聴する

音楽千夜一夜 第144夜


毎度おなじみの千夜一夜でげす。

そういえばこないだ久しぶりにモツアルトの「魔笛」を視聴しましたが、やはり古今東西無敵の名曲でやす。演奏はジェームズ・レヴァイン指揮のメトロポリタン歌劇場管弦楽団。1991年11月の公演をてだれのブライアン・ラージがライブ収録したものです。

演奏はいつのもレヴァインらしい安定したモーツアルト節。もっと劇的にやればやれる人ですが、そこはぐっと抑えてあら珍しや英国の美術家デイヴィット・ホックニーのポップな演出に奉仕しておりやす。

出演はザラストラにクルト・モル、タミーノにフランシスコ・アライサ、夜の女王にリチアーナ・セッラ、加えてタミーナにはキャスリーン・バトルといった御一行さん。

レヴァインによってその類稀なる才能を見いだされたバトル嬢は、このオペラハウスの専属ソプラノとして大活躍しておりやしたが、根が下賎の身であったのか生来の遺伝子のゆえか、はたまたニューヨークの花見酒気分の観光客どもにちやほやされてだんだんと嬌慢の病に冒されたのかはいざしらず、次第に彼女の自堕落な立ち居振る舞いが湿地のツキヨタケのごとくにょきにょきと芽生え、夜遊び朝寝坊のあまりたびたびリハーサルにも遅れるようになりやした。

バトル嬢は温厚無比なる音楽監督を軽んじて恩を仇で返したのみならず伝統あるオペラハウスに多大の迷惑をかけること度重なるに及んで、ついにこの公演のあとしばらくしてMET永久追放の憂き目をみることにあいなりました。

身から出た錆びを地でいく阿呆の所業、諸行無常とはこのことかや。雉も鳴かずば撃たれまいに、の嘆きの一言が天井桟敷のどこかから聞こえてくるような黒き白鳥の歌であり、鶴の最期の絶唱でありまする。

♪チャンチャン、スチャラカチャンとまことにお粗末な一席でげす 茫洋

Friday, June 25, 2010

デッカ盤「PIANO MASTERWORKS」50枚組CDを聴いて

音楽千夜一夜 第143夜

2008年9月にデッカから発売されたピアノによる演奏大全集をようやく聞き終わりました。例によってついつい1枚180円という廉価につられて買ってしまったのですが、これはどれをとっても聞き逃せない名盤揃いで、さきの35枚組ヴァイオリン名曲集以上の耳の悦楽を与えてくれました。

ラインアップはシフによるバッハのパルティータやピアノ協奏曲、グルダの平均律全曲、ケンプ、ギレリス、ゼルキン、アラウによるベートーヴェンのソナタや協奏曲、バックハウス、ベームによるブラームスの協奏曲、アルゲリッチのショパン、リヒテルのハイドン、カーゾン、ルプーのシューベルト、コヴァセビッチ、デービス、ハスキル、フリッチャイによるモーツアルトの協奏曲、ケンプによるシューマン等々ですが、なかでもシフとグルダは抜群の聴きごたえがありました。

半分くらいはすでに所有しているCDでしたが、最新のマスタリングがなされているので演奏だけでなく録音も素晴らしいのです。

もはやこの世にあらざるピアノの名人たちの名演奏に次々に耳を傾けていると、聴いている私も、この世にあるかあらぬか定かではない不思議な世界にたゆたいゆき、夢の中で鳴り続けている音楽にいつまでも身をゆだねているのでした。


♪はげたかファンドの雇われ社長となりて肩で風切る哀れな君たち 茫洋

Thursday, June 24, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第9回

bowyow megalomania theater vol.1

ゲッ、ゲッ、ゲエーとぜんぶの穴から出しちゃいました。

そして泣きました。

こわかったのです。

頭が痛い。もういやだ。僕は女のひとに汚されてしまった。僕は女のひとは、いやです。なにされるか分からない。乙姫なんて大きらいだ。許せない。ぶっ殺してやる。

額のところに玉のような汗をかいて「ちくしょう、ぶっ殺してやる! 許せない!」
と叫んだところで、パッチリ目が覚めました。お母さんが心配そうに僕をのぞきこんでいました。病院でした。真っ白なシーツにつつまれて僕はあくむのような夢を見ていました。そしてそれが発作でした。


     春蘭が咲いていたのはこの辺り 茫洋

Tuesday, June 22, 2010

レーモンド・カーヴァー著「ビギナーズ」を読んで

照る日曇る日 第350回

アメリカの作家レーモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」という短編集を読んだ時、それが当時の「ニューヨーカー」の辣腕編集者ゴードン・リッシュによって原文のおよそ半分がカットされ、残された部分も徹底的に切り張りされた代物であり、その奇妙なタイトルさえも、くだんの編集者によって命名されていたことを、私はこの本の翻訳者村上春樹のあとがきによってはじめて知りました。

当時アル中で小説を書くどころか、死に瀕していた無名の作家にとって、自作を改変されることは屈辱的ではありましたが、その改変が原作よりも優れた成果を収めていたり、改変されたその協調性に欠けた共著が著名出版社から世に出たり、ましてや江湖の文学ファンから歓迎されてベストセラーになるに及んでは、それこそ功罪相半ばということになって、長くお互いの「企業秘密」になったことは、門外漢の私にもわかるような気がします。

さて文学者である妻テス・ギャラガーの協力を得て限りなく当初のオリジナル原稿に忠実に復刻された「愛について語るときに我々の語ること」改め「ビギナーズ」の読後感はどうかと聞かれたら、収録作品ごとに優劣はあるにせよ、原作も良ければ改訂版も悪くないことあたかもブルックナーの交響曲のごとし、と答えるしかありません。

たとえば表題作の「ビギナーズ」は改訂版である「愛について語るときに我々の語ること」の倍の分量に復活したために、交通事故から奇蹟的に生還した老夫婦の再会のシーンで大きな感動を与えられたり、作者の思いがけないゆったりとした語り口に小さな驚きを味わったりすることができるわけですが、その反面、あちこちの冗長な描写が気になるだけでなく、カーヴァーの最大の特徴である生の真髄に冷酷無比に切り込む鋭い筆鋒が失われている不満を感じないわけにはいられません。まるで泡のないサイダーを飲まされているような味気なさといえばいいのでしょうか。

やがて腐れ縁で結ばれたこの2人は、切れろ切れないのすったもんだを繰り返したあげくようやく決別し、晴れて独立して自由の身になったこの20世紀アメリカ文学の旗手は、短すぎた生涯の最晩年を彩る「大聖堂」などの心に重く沁み込む傑作を遺して1988年に亡くなったわけですが、その文壇デビュー以来の前半生を創造したのは作家以上に作家を知る編集者との二人三脚であったことを思うと、複雑な感慨に誘われます。

おそらく私たちはこの作家の内部にキメラやミノタウロスの残骸を見出し、その作品の内部に棲息するジキルとハイド氏の対話を読まされているのではないでしょうか。


かにかくに資本の走狗と成り果てて会社会社と喚く君(俺)たち 茫洋

Monday, June 21, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第8回

bowyow megalomania theater vol.1


そう、そう、そう、そう、結構やるじゃんこの子。あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あん、ぐんぐぐぐぐぐぐーん、アッハ、アッハ、アッハ、アッハ、ア、いいいいいいいいいいーーーーーーーーーい。

 おーし、こんどはそっちをいじめてやる。どお、どお、どおだい。、どら、どら、どおだい。こんなとこに指を入れられたことある? ないでしょ。どうかな、どうかな、どんな気持ち?

んぐ、んぐ、んぐぐ、あっ、あっ、あっ、あっ、もうだめ。もうだめ、もうもうかんべんしてくださあーい。いいっ、いいっ、いいっ、いいよおう。あっ、あっ、やめて、やめて、やめ、やめ、やめ、や、や、や、やあーん。あん、あ、あ、あ、あ、あああああああああーーーーーーーーーん。

僕は頭の中に赤や青や黄色の絵具をチューブからうんこのように何重もぶちまけられたよう気分になって目がくらみ吐き気がして、とうとう上からも下からも吐き出してしまいました。


    ルリシジミ両手に花と飛びにけり 茫洋

    健ちゃんが突破したのは瑠璃シジミの瑠璃 茫洋

Saturday, June 19, 2010

子規と六月と風

バガテルop126

明治の短詩形文学の豪傑、正岡子規のうたが好きな私ですが、とりわけ


毎年よ彼岸の入りに寒いのは

六月を奇麗な風の吹くことよ

いくたびも雪の深さを尋ねけり


のように、あまり頭でひねくったところのない、平凡な、いわゆる月並みの句を好みます。

星雲の志を懐いて松山から上京した子規は、陸羯南の世話で「日本」新聞社の社員となって明治25(1892)年11月に郷里から母の八重と妹の律を下谷区上根岸に呼び寄せ、家族3人で暮らしはじめます。

明治26年3月につくられた「彼岸の入り」の歌は、母親八重の言葉をそのまま5・7・5の調べに乗せたもので、俳句を第2芸術とののしった頭の良い仏文学者にはそれこそ最低の句なのでしょうが、文芸と理屈はしょせん無縁のものと確信している頭が悪い私にとっては、愛惜すべきなかなかに味わい深い佳句なのです。

3句目の「雪の深さ」の句は、子規がついには死に至る脊椎カリエスを患って床に就くようになった明治29年の冬の句ですが、やはり母と子の楽しい会話のやりとりの中から誕生した日常生活の小さなよろこびが息づいているようです。

先日の朝日新聞の詩歌欄で、ある俳人が「六月の風」の句について触れ、これは明治28年の3月、日清戦争に従軍した子規が帰国する船中で喀血し、須磨の病院にかつぎこまれて九死に一生を得て詠んだ、いわば生への帰還の感慨の句である、と鬼の首でも取ったように書いていました。

賢い頭で実証的に右脳を納得させた結果、はじめて得心して感動されたようですが、私は、この句は時代環境や彼の個人的体験とは無関係に、野に咲く花のような自然の魅力を放っていて、その解釈と鑑賞のために、上述の背景の理会が必要になるとはさらさら思いません。

子規はただ梅雨から初夏にかけてときおり爽やかに吹き抜ける六月の風を、ただ無心に「奇麗」と感じ、その気持ちをそのまま詠んだのです。それとも、もしかするとこの句は、子規が須磨から根岸に帰った後で、母親の八重が、

「のぼさん、今日は朝からきれいな風が吹きよるねえ」

と話しかけた、その瞬間に誕生したのかも知れません。

いずれにせよ、今から115年前の昔、あの鄙びた根岸の里を吹いた風は、今日も奇麗に吹いているのでした。


ホトトギス特許許可局と鳴きにけり 茫洋

百年の昔を吹きし水無月の奇麗な風が今日吹き過ぎる 茫洋

Friday, June 18, 2010

小川国夫遺著「弱い神」を読んで

照る日曇る日 第349回


藤枝の大井川周辺の河口と原っぱと集落と海と空を舞台にし、明治、大正、昭和の大戦期を貫き、祖父母、父母、息子夫婦三代にわたって連綿と繰り広げられる紅林家の物語は、確かにその題材を作者の一族とその周辺からとられているものの、読み進むうちに祖父である家長があるときは清水の次郎長のように、ある時は旧約聖書の苦難に悩めるヨブのように、またあるときはガルシア・マルケスの小説に出てくる孤独な英雄のようにも思えてきます。

しかも驚いたことには、この膨大な大河小説は、全編にわたって静岡県の一地方の方言の会話文だけによって延々と描き続けられています。作者はかつて袖をすり合わせたすべての親族や友人、知己を自分の枕元にさながら「いたこ」のように呼び出し、この世にあらぬ親しき人々が語り出すまでひたすら待っています。

そして生者はもちろん死者たちも、作者のうながしに応えて、在りし日のかけがえのない記憶を、とつとつと語り始める。したがってこれは死者が語った言葉を傾聴する「聖書」や「古事記」のような物語なのです。

―たとえ正当防衛でも人は殺さないっていうことですね。
―そうなんだよ。                 (「危険思想」より)

―この調子だと、国は喰い荒らされてしまうと言うんですか。大井川に落ちる渡り鳥のように、残骸になってしまうと言うんですか。
―残骸……、ね。国というものがあればの話ですが……。
―国などというものはないと言うんですか。
―ありませんよ。あるのは国という言葉だけです。あるように見せかけているだけだ。利用したい者には便利な言葉ですが。         (「幾波行き」より)

そこには俗にまみれて動物のようにうごめく男と女の貧しい赤裸々な生活があり、闘争と戦争と殺人と自殺と敵対と暴力と友情と情欲と純愛と聖なる自己犠牲があります。
いつまでも果てることない物語は、いつしか実在の作家の郷里を浮遊して壮大な神話の世界にまで星雲にように広がってゆく。すると遠い雲の彼方から光り輝くまばゆい人が姿を現し、読者のなかにはそれをイエスキリストであると囁く人も間違いなくいるでしょう。

小川国夫はすぐれてモラルに生き、モラルに殉じた人でした。
敬愛する作家の最期の小説は、私の心に大きな置き土産を残してくれたようです。それは残された私の生の歩みに少なからぬ影響を及ぼすことでしょう。楽しみでもあり、また怖いような気もする死者からの最期の贈り物です。

たしかに神はいますらし されど日ごとに神は弱くなるらし 茫洋

写大ギャラリーで「高木こずえ写真展」をざっと眺めつつ

茫洋物見遊山記第33回

私がはじめて見た高木こずえの作品は、昔活躍した陰湿な歌うたいデュオ「ウインク」をもっと美人に、もっとカジュアルに、ぐんと若くした2人の少女の笑顔をツインセットにして並べたポスターでしたが、問答無用の明るく楽しい青春の表情の一瞬がさわやかに切り取られていました。

この人はきっと広告代理店か制作会社のカメラマンになって、いかにも当世風な和らぎの映像をつくっていくのかとたかをくくっていたら、とんでもない。一転して今回の宮崎県の口蹄疫騒動を先取りするような不安におびえる牛のおそれとおののきを突き付けたり、混迷のどん底にあえぐ現代人の魂に内視鏡を挿入した心霊写真を撮ってしまったり、一作ごとに視点を変え、手法を変えて試行錯誤を続けるそのありさまは、さながら文学における平野啓一郎の万華鏡戦略を写真で置き換えたようなアヴァンギャルドなアプローチのいきおいを感じさせて、まことに興味深いものがあります。

ふつうの作家や写真家は特定の文体やアングルを見出すとそれを墨守して揺るがないのですが、「第三五回木村伊兵衛賞」を受賞した彼女には、そういう予定調和の道をいさぎよしとせず、前人未到の表現の沃野ないし泥沼へ匍匐前進しようとする反逆的な精神がむんむんみなぎっているようなのです。

だから四〇点のカラーとモノクロもあんまり共通点がない。そのかわりに異様な緊張と不安、生のよろこびと死への衝動がないまぜになってせめぎ合っているカオスの奔流・逆流をまるでブブゼラの暗騒音のように感じます。さらにはスチールという静止的な要素と激しくアクティブに問題提起するアートとの汽水域における相互乗り入れを企てている不穏な気配もうかがえ、東京を捨て長野に帰る彼女のこれからにはとうぶん目が離せそうにありません。(8月1日まで東京工芸大学中野校で開催中)


♪高い木のこずえの上から下りてくる不思議で不気味なブブゼラの音よ 茫洋

♪ブブゼラの暗騒音のように不気味な不安が押し寄せる高木こずえの新境地 茫洋

Wednesday, June 16, 2010

独ドキュメント盤「クロード・ドビュツシイ集」10枚組を聞いて

音楽千夜一夜 第142夜

お馴染み独ドキュメント盤によるたった1000円のドビュツシイ・コレクションですが、その内容はモントー、マルケビッチ、アンセルメ指揮による管弦楽の名品「海」、「牧神の午後への前奏曲」やホロビッツ。コルトー、ギーゼキング、ツービンシュタイン独奏による「練習曲」、カルヴェカルテットによる「弦楽四重奏曲」、歌曲まで選曲・演奏ともなかなか充実した格好のセレクト集です。

とくに注目に値するのは、ドビュツシイのエキスパートと称されたデジレ・エミール・アンゲルブレヒト指揮によるオペラ「聖セバスチヤンの殉教」の名演奏が収録されていること。

このCDはかつて仏ディスク・モンターニュからほそぼそと出されていましたが80年代から廃盤になっていたマニア垂涎のお値打ち品で、「ぺリアスとメリザンド」でオペラ界に衝撃を与えたドビュツシイの、アラン・ポー原作による、もうひとつの傑作にこころゆくまで耳を傾けることができます。

ドイツの単純明快な音楽と比較すると、イギリス、フランスの音楽はいったいなにをいいたいのかよくわかりませんが、最近はまさしくその点が素晴らしいのだと得心がいくようになりました。つまり音楽には最終的な解決はない以上、彼らもなにをどう表現していいのかよくわからなかったのです。

明るい光に包まれたラベルの平原から、深い霧に閉ざされたドビュツシイの森に入るとアンリ・ルソーの花や樹木や蛇や女やライオンに出会う楽しみがあなたを待っていることでしょう。


♪入梅の朝、一匹の大蛇が道路を横断していった。茫洋

Tuesday, June 15, 2010

ミヒャエル・ハンペ演出・ムーテー・スカラ座で「コシファントゥッテ」を視聴する

音楽千夜一夜 第141夜


1989年4月にミラノ・スカラ座で行われたライブです。序曲の棒が普段より早いのか世界一のオーケストラも、珍しやついて行くのが精いっぱいになりますが、幕が上がると次第にいつものペースを取り戻し、2幕のフィナーレでは大きな大団円の輪を築きおおせます。安心といえば安心、つまらんといえばつまらない御大ムーティのモーツアルトです。

先日ご紹介した鬼才ピーター・セラーズの奇抜な演出と違って、ミヒャエル・ハンペの演出はオーソドックスそのもの。物語の古典的な骨組みをしっかりと踏まえたうえでところどころで美術、衣装、照明を含めて「ちょっと斬新な」効果を打ち出します。冒頭で男性陣の2人が出帆していた船の帆は白でしたが、2度目の登場は夕方で赤い夕陽と帆が目に鮮やかです。2人の女性陣のおさげが左右に垂らされているので似たような姿形でもすぐに判別できるのです。

出演はフィオルディリージがダニエラ・デッシー、ドラベラはデレス・ツイーグラー、デスピーナがアデリーナ・スカラベリ、フェランドがヨゼフ・クンドラック、グリエルモがアレサンドロ・コルベッリ、ドン・アルフォンソはクラウデイア・デスデーリという布陣でしたが、デスデーリひとりが絶不調で、他の演者の健闘の足をひっぱっておりました。

このモーツアルト最晩年のオペラは、フィガロなど先行する名作に酷似したアリアも頻出してこの天才の早すぎた晩年の創作の衰えも感じさせますが、第2幕のフィオルディリージの長大なアリア「どうか許してください私の恋人よ」など忘れ難い名曲もふんだんにちりばめられていて、我々の耳目を奪います。

♪君知るや蛍は毎晩同じ葉の同じ宿にて眠ることを 茫洋

Monday, June 14, 2010

森アーツセンターギャラリーで「ボストン美術館展」を見る

茫洋物見遊山記第32回&勝手に建築観光38回

古典派の画家とは違って、印象派の画家たちは、目前の事物を心眼でとらえても、そのまま写生することはありません。

心眼に映じた風物の心象を白い画布の上に投影しながら、とりあえずは事物をその構成要素に解体して主観的な映像に置き換えることを狙ったドガ、マネ、ルノワール、ゴーギャン。徹底的に事物をその構成要素に還元して、微細な極点として再配置する神経衰弱家のスーラやシニャック。事物を丸や三角や四角などの抽象的な図形に還元しながら観念的に再構築しようとするセザンヌ。事物を赤や緑や黄色の色彩素に還元しながら新たな事物を再構築しようと試みたモネ。そして、事物を完膚なきまでに解体しながら地上では存在しない宇宙的な事物を再創造しようと祈ったゴッホ……。

それら多種多様な画家たちのさまざまな近代絵画への取り組みの一端をこの展覧会の貧しい展示によってもうかがい知ることができました。

以下は例によって例の如く言わでもがなの悪口雑言になりますが、「1890年オーヴェール、ゴッホ晩年」を特筆大書し、「エル・グレコ、レンブラント、ミレー、ドガ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ピカソなど、ボストン美術館名画80点の競演」という惹句で大量の顧客動員を図った本展の内容は、本家ボストンの宝の山に比べたらほんの九牛の一毛に過ぎず、確かに上述の画家の作品はあちらこちらにちらほら並べられているものの、超目玉ゴッホも、セザンヌも、ピカソもたったの一点。モネの11点はさすがに見ごたえがあったものの、あとはミレーやコロー、ドガなどを散発5安打くらい打ちっぱなしただけの初夏なのに超寒いコレクションです。

肖像画、宗教画、オランダの室内画、日常画、風景画、静物画などと、いちおう8つのミニコ-ナーに区分した展示方法もきわめてぞんざいなやっつけ仕事で、たぶんここにはプロのキューレーターなど一人もいないのでしょうが、こんな分類や会場構成なら素人でもやってのけるでしょう。

かてて加えて、その存在自体が東京の都市景観を大きく破壊しているこの醜悪なビル自体が大問題です。超高層にある会場に辿りつくのも、私のような田舎者や光輝老齢者にとっては一苦労。はじめての人は容易に近づきがたいヒマラヤの高地のようなところで偉そうに虚妄の店舗を開いているのですが、こういう貴重な藝術文化財を緊急避難させるためには最悪の環境とロケーション。顧客利便と安全管理のために美術展を低層階で開催するのは世界の常識です。

あまつさえ家電量販店の呼び込みのような美術に無縁な案内人の傲岸不遜な態度、300円も取られて返ってこないあほばかロッカーなどなど、いかにもこの新興成金デベロッパーにふさわしいいんちきでやくざまがいのやりくちが随所に見受けられて非常に不愉快な雨の月曜日でした。私が愛した江戸ゆかりの六本木の故地を壊滅させた彼奴らがボストン美術館展を開催するなんて10年早いのです。


♪東京の都市景観を毀損する六本木ヒルズを明日建て替えるべし 茫洋

ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウTHE GREAT EMI RECORDINGSを聴く

音楽千夜一夜 第140夜

フィッシャー・ディースカウで思い出すのは、彼が吉田秀和翁と一緒のタクシーに乗り合わせたときの逸話です。そのタクシーのラジオからはちょうどクラシック音楽が流れていたので、まだ若き日の吉田翁が、「ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番!」と言い当てると、隣の席に座っていたディースカウが、「ソロはバックハウス、オケはカールベーム指揮のウイーンンフィル」と引き取ったというのですが、ここに彼のやや神経質で律儀な性格と正確無比をモットーとするきめ細かな音楽作法の一端がうかがえるような気が致します。(ところで昭和時代の東京の運転手には高尚な音楽趣味の持ち主がいたものですね。)

世界に冠たるバリトンの帝王の地位を辞したあと、彼は第二の人生に入り、第二のクレンペラーたらんと指揮者を目指してチエコフィルハーモニーを振って独欧系の交響曲をいくつか録音しました。しかし歌曲では成功した上記の音楽術が、指揮では仇となったためでしょう、クレンペラーなどからも冷たい視線を浴びて結局雄図むなしく熟年の夢を捨てたのでした。

されど古今東西男性のバリトン歌手多しと言えども、フィッシャー・ディースカウの前にディースカウなくフィッシャー・ディースカウの後にディースカウなし。その紋切り型の定評をいやおうなしに認めさせられてしまうような11枚組のEMI盤コレクションです。

そもそも私がシューベルトの歌曲の素晴らしさにはじめて目覚めたのは、忘れもしないここに収められたフィッシャー・ディースカウがジェラルド・ムーアのピアノ伴奏で歌う「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」の3つの代表的な歌曲集のLPレコードの演奏においてでした。

ドイツ語から翻訳された日本語の歌詞をフレーズごとに辿っていたとき、この作曲家がたくまずして企図した詩と音楽の絶妙な交歓が、フィッシャー・ディースカウの知的で、滑らかで、清潔で、かゆい所に手が届くような巧みな口跡によって奇蹟的に果たされていると感じたのです。

その懐かしいシューベルトをはじめ、シューマンの「リーダークライス」やブラームスの「マゲローネによるロマンス」(リヒテルの伴奏)、マーラー、ウオルフ、シュトラウスの有名な歌曲の録音を網羅したこのコレクションは、その1枚166円というバジェット価格ともども、この不世出のバリトン歌手の魅力をあますところなく伝えてくれるでしょう。

知に働けば角が立つことあれどやっぱりフィッシャー・ディースカウには叶わない 茫洋

Saturday, June 12, 2010

石川九揚著「近代書史」を読んで

照る日曇る日 第348回

私の郷里の実家には犬養毅や西郷隆盛、新島襄、賀川豊彦などの揮毫を扁額にしたものが長押の上に掲げてありました。

南洲の「敬天愛人」はもちろん偽作ですが、やたら安易に健筆をふるった木堂に詩魂なく、襄にプロスタントの矜持あれど、「死線を越えて」の作家に初期の社会主義思想というよりは、「奇妙な童心」をくみ取ってやや意外の感に打たれたことなどを思い出します。
それでも政治家や文人墨客の書については、文がその人を表わす以上に、書がその人となりを直示することを、幼いながらになんとなく理解していたようなのです。

その後青山の根津美術館で出会った良寛の書と八〇年代のはじめに六本木の小さなギャラリーで見た井上有一の有名な「壁新聞」シリーズは、書に疎い私にとっては大きな衝撃でした。
当時世間では相田みつおや榊莫山などの手合いがらちもない紙屑をかき散らして世間の人気を博していましたが、こんな低俗の輩に比べたら、大本教の開祖出口なをの墨痕淋漓たる「お筆先」でも拝め、と言いたくなったものです。

ところが当節では、またぞろ武田なんとかとか紫の船なぞという私にはさっぱり良さのわからない書き手がマスコミの無知に乗じるように登場して超表層の話題となり、とうとう「女子書道ブーム」なるものが列島全域に嵐のように巻き起ったようで、まっこと慶賀の至りでございます。(←「龍馬伝」の福山選手の真似)
ここらでわが国の書の歴史や特性について概略を知りたいと思っていたところに、折よくこの本が出現したというわけです。

石川九楊の名前は、「毛筆の数百本から数千本が、最終的には一本一本全部別々の方向に動くように進んでいる」とか「無意識の水が動いている」というような言い方で、彼が書をかく際の「筆触」の生命力をことのほか重要視している当代屈指の書道家であるとだけ承知していました。

本書では明治の元勲から漱石、子規、藤村、晶子、茂吉、潤一郎、一政、山頭火、希代の悪筆扇千景(による国土交通省の看板)に至るまで、多くの作家や政治家、書家の墨跡と作品を具体的に例示しながら、その背景にある彼らの人物像や思想までぴたりと言い当てる離れ業を見せるのですが、たとえば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」手帳全一冊、正岡子規の絶筆となった「辞世三句」の徹底的な解字分析には心底驚嘆させられました。
死に瀕した彼らがどのような心境でこれらの遺言を書き記したのかが、まるでその現場に居合わせたかのような臨場感と共にあざやかに分析されているからです。

また私は著者によって紹介される多種多様な書家の膨大な作品群の中にあって、政治家を卒業してプロの書き手になった副島種臣と中林悟竹の天馬空を行くような書、内藤湖南や夏目漱石などの保守的優等生によって酷評された洋画家中村不折の中国六朝書を自家薬籠中のものにした超前衛的な「龍眠帖」の前で、大きな衝撃を受けたことを驚きと喜びをもって告白しないわけにはいきません。

世間では先刻承知のことなのでしょうが、恥ずかしながら私は、これらの書の革命的な素晴らしさ、パンクなドラマトゥルギーについて、棺桶に片足を突っ込んだこの年になるまで無知だったのです!

うれしかったのは書の専門家である著者が子規の二人の高弟である「有季・定型・花鳥諷詠派」の高浜虚子の書を退けて「無季・自由律・短詩派」である河東碧悟桐の「再構成された無機なる自然」の境地を高く評価し、あわせて腐敗堕落した虚子亜流の現今の俳句界について警鐘を乱打していることで、これこそわが意を得た思いでした。

著者の思索の対象は、毛筆による古典的な書道の世界を離れて、石川啄木、島崎藤村、高村光太郎の「近代ペン書き三筆」の書体特徴の分析に及び、さらに啄木の「口」という字の書き方が一九八〇年代に猖獗を極めた「丸文字」の元祖であるとの指摘に至り、ついには九〇年代から始まった「金釘流横書き」が、日本語の漢字かな混じり文の将来をいちじるしく損なっているとその実例を挙げて説き、最後に一日も早い縦書きの復活を願って九〇〇〇〇〇字にわたって「三菱のユニ鉛筆で手書きされた」この大著の全巻をおもむろに閉じるのですが、そういうことなら、これからは私も板書を「金釘流縦書き」にせねば、としばし考えさせられた鋭い指摘ではありました。

早い話が、わが国近代の「書」の解剖を通じて文明の病根を剔抉する、記念碑的な名著の誕生と評せましょう。


♪明日よりは「金釘流横書き」にいたしませう悪評高き余の「金釘流横書き」 茫洋

Friday, June 11, 2010

梅原猛著「葬られた王朝」を読んで

照る日曇る日第347回

かつて「隠された十字架」で法隆寺は藤原不比等によって聖徳太子の怨霊を鎮魂するために再建されたと説き、「水底の歌」では柿本人麻呂は不比等によって石見の国で水死させられて怨霊となった、と説いた著者が、今度は出雲の国を訪ねて、出雲王朝の創始者である「スサノオとその子孫のオオクニヌシこそ、不比等がもっとも手厚く祀った大怨霊神なのであり、その不比等こそがヤマト王朝に敗れた出雲王朝の神々を出雲の地に封じ込めた張本人である」と高らかに宣言します。

菅原道真の怨霊を鎮めるために藤原忠平が京都の北野天満宮を建てたところ、道真の怒りは時平の子孫に向かったために忠平一族は難を逃れて摂政関白の職を独占するようになり、ついには天満宮が摂関家の守護神になってしまった話は有名ですが、怨霊鎮魂派にして藤原不比等原理主義の泰斗である著者は、今回もかなり強引にこの論法を古代出雲文明の誕生と死滅の歴史に適用して、かなりの成果?をおさめた模様です。

 およそ40年前に「神々の流竄」でヤマトで起こった物語を出雲に仮託したフィクションであると断じた著者でしたが、本書ではその誤りを全面的に認め、やはり古代出雲にはヤマト王朝にまさるとも劣らぬ偉大な文明と文化があったことを、記紀の徹底的な読み直しや最近の考古学上の遺跡・遺物発掘や郷土史研究の成果を踏まえて、威風堂々と骨太に論証しているのです。

 私は、著者のいつもながらの鋭い直観に裏打ちされた規模雄大な構想力と大胆不敵な想像力に対して、深甚なる敬意を惜しむものではありません。しかし、「縄文時代の日本(あるいは日本人)」などという明らかに非歴史科学的な用語を乱発したり、神話上の人物と実在の歴史的人物とがいともたやすく観念的に接ぎ木されてしまったり、相変わらず「古事記」の選集に従事した稗田阿礼が藤原不比等その人である、と力説している梅原翁の「論証」のやり方には、多少の粗雑さを感じないわけにはいきませんでした。

いざ行かん蛍舞う橋の袂まで 茫洋
細君と蛍見にゆく夏の夜

Thursday, June 10, 2010

写大ギャラリーで「写真家と静物との対話」展を見る

茫洋物見遊山記第31回

すでに6月の6日に終わってしまいましたが、東京工芸大学・中野キャンパスで開催されていた「写真家と静物との対話」展を足早に見物していたのでした。
 
写真と私の初めての出会いは「日光写真」でした。いつ差してくるかわからない光線をひたすら待ち続けていると、深い霧がようやく憂鬱なヴェールを開いて転写装置を載せた小さな方形のフレームの上に幽かな陽の光が落ちると、印画紙の上に影とも形ともつかない図像がぼんやりと姿を現します。露台の上でうずくまって、裏日本地方特有のうら悲しい曇天の空を見上げていた少年は、いったいなにを考えていたのでしょうか。

長じた後、その少年はようやく手に入れたデジタルカメラで10年近くおのれの風貌と頭上の空を撮り続け、それらの、微細な差異があるような、ないような画像をときおりパソコンのモニターで自動再生して呆然と眺めているようですが、そのとき彼の脳裏には、いったいいかなる想念が湧き起っているのでしょうか。


写大ギャラリーの会場に並んだW.H.フォックス、エドワード・ウエストン、イモジン・カニングハム、ジャン・クルーバーなどの主として静物を対象としたもの寂びた写真は、私のそんな遠い日の記憶を呼び覚ましてくれたようです。


腹黒き王沢蜂を一刺しし己は死にたり鳩蜂マーヤ 茫洋

ドン・ジョヴァンニの地獄落ち思い出したり小鳩刺し違え 茫洋

Wednesday, June 09, 2010

ジョン・バルビローリTHE GREAT EMI RECORDINGSを聴く

♪音楽千夜一夜 第139夜

バルビローリといえば亡くなった三浦淳史という北国の音楽評論家を思い出します。こよなく英国音楽を愛した彼は、私にバルビローリやビーチャム卿が指揮するディーリアスやエルガーの音楽、そしてデニスブレインのホルンやジャクリーヌ・デユプレのチエロ、シュテファン・コワセヴィッチのピアノの素晴らしさを教えてくれました。

相思相愛の仲であったデユプレとコワセヴィッチの間に乱暴に割って入ることによってこの不世出の閨秀チエリストの人生をめちゃくちゃにしたダニエル・バレンボイムを生涯にわたって許さなかった三浦氏は、デユプレとコワセヴィッチの唯一の共演であるベートーヴェンのチエロソナタをこよなく愛したのでした。

さて今回EMIから発売された10枚組の超廉価版CDセットには、サー・ジョンが手兵のハレ管弦楽団を指揮したディーリアスの「夏の庭」やシベリウスの「フィンランディア」、シンフォニア・オブ・ロンドンを率いたヴォーン・ウイリアムスの「グリーンスリーヴズの主題による幻想曲」、ウイーンフィルと入れたブラームスの第3交響曲などがバランスよくレイアウトされていますが、久しぶりに聞いたベルリオーズの「夏の夜」におけるジャネット・ベーカーとの声涙ともに下る名演奏に魂を奪われてしまいました。

抒情的な旋律を歌いに歌って聴く者の琴線にとことん迫る斯界の第一人者とは、かのトスカニーニではなくなんとジョン・バルビローリその人だったのです。



♪歌え、歌え、心から歌えとサー・ジョンが叫ぶ 茫洋

Tuesday, June 08, 2010

ピーター・セラーズ演出で「コシファントゥッテ」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第138夜


原作が想定する物語の時代や空間に従わず、恣意的なTPOを任意に設定し、物語の書き換えを図ろうとするオペラの新演出がいつごろから始まったのかは分かりませんが、少なくとも私がその「新しい演出」に接して驚いたのはこのレーザーディスクに収められたピーター・セラーズのモーツアルト作品からでした。


この作品は、当初ニューヨーク州立大学が主催する国際パフォーミングアートフェスティバルで上演されたものをピーター・セラーズ演出で1990年にスタジオでライブ収録されたものですが、いきなりカメラはNYからマイアミと思しき海辺に車とともに疾走し、その名もレストラン「デスピーナ」に到着したところからドラマが開始されます。

ドンアルフォンソは「デスピーナ」のオーナーで2組のバカップルはこの安レストランに出入りするお姉ちゃんとお兄さんという設定です。そういう軽佻浮薄なアメリカンという下世話な世界から立ちあがったこの安直なはずの「西洋取り変えばや物語」は、後半男性二重唱で「女はこうしたもの」が歌われるあたりから次第に深刻な様相を呈し、男と女の間を隔てている深くて速い川の運命的な葛藤が、私たち観客の心の中にもひやりと冷たく流れ込むようになるのだから、才子才に溺れがちなピーター・セラーズの演出もまんざら捨てたものではありません。

クレーグ・スミス指揮ウイーン交響楽団の劇伴も、モーツアルトの天才的な楽譜を損なわない程度には自然な流れをつくって、セラーズのやりたい放題の演出をきちんと下支えしています。


♪リークッスンが言った。おやお前丸腰じゃないか?キム・イルソンも言った。ゲイリークーパーをきどっているんだろうよ。ヤーポンよ俺たちはお前さんを武装解除しちゃうぞ。茫洋

Monday, June 07, 2010

報国寺のタケノコを見る

茫洋物見遊山記第30回&鎌倉ちょっと不思議な物語第222回

 しばらく前に細君と一緒に名物の筍を見に報国寺を訪ねました。竹寺として知られるこのお寺は建武元年1334年に天岸慧広の開山、足利家時を開基として開かれ、当時の寺領は5キロ先の衣張山に及ぶ広大なものだったと「鎌倉の寺小事典」には記されています。

 この衣張山という優雅な名前をもつ山は、仏様がゆったりと横そべったような姿をした低い山で、最近難視聴に苦しむ住民がデジタル放送受信の巨大アンテナをこの山の頂上に立てようとしたのですが、環境破壊につながるとしてその提案は当局によって退けられたそうです。

 また同書によれば、永亭の乱1439年では第4代の鎌倉公方の嫡男足利義久が10歳で自刃した悲劇の地でもあるそうですが、古くから境内の孟宗の竹林が有名で、さらに木下利玄の歌碑やお墓もあります。それは

   あるき来てもののふ果てし岩穴の ひやけきからにいにしへおもほゆ

という和歌ですが、元はもののふではなく「北条」であったのを当時の報国寺の菅原道之という住職が勝手に書き換えてしまったといからひどいものです。

 報国寺のある浄明寺の町内には「浄妙寺」という名刹もあって鎌倉時代から張り合ってきました。寺格からいえば圧倒的に後者が高いのですが、戦後は商才にたけた住職が観光客を巧みに誘致し、元広島カープの古葉監督が篤く帰依したりして竹寺報国寺の人気が沸騰しお向かいの浄妙寺さんは閑古鳥が鳴いていたのですが、東京の広告代理店に知恵をつけられた?浄妙寺が、自家製のパンを目玉にした洒落たレストランを境内に開設し観光バスが停まれる駐車場を作ったために形勢にわかに逆転中というところでしょうか。

いずれにしてもわれらがアイドル原節子老嬢が遠くに去ってしまった浄明寺界隈はもう往年の輝きがうせてしまったような気がいたします。


   ♪原節子司葉子野田高悟が徹マンしていた浄明寺遥かなり 茫洋

バーンスタイン指揮・ウイーンフィルで「運命」「田園」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第137夜

昨日に続いてやはり定評のあるコンビによる70年代のベートーヴェン演奏です。

「運命」は1977年9月にウイーン・コンツエルトハウスで、「田園」は翌78年11月にムジークフェラインザールで行われたライブを収録しており、「レオノーレ序曲第3番」がおまけについています。

私はこの輸入盤のレーザーディスクをなんと大枚4380円!をはたいて購入していますが、いまなら同じ値段で同じ演奏によるDⅤDのベートーヴェン全集が買えるでしょう。デフレと技術革新の進歩はとどまるところがないようですが、当然ながら演奏は昔日の水準のままでとどまっていて、それが名演奏家の演奏の歴史的価値とその限界を同時に伝えるアーカイブとなっています。

平凡な「運命」と比較すると「田園」の演奏はじつに丁寧にベートーヴェンのスコアを再現していて、ウイーンを舞台に活躍したこの作曲家への共感と愛情にあふれた名演奏には違いありません。
「運命」のコンマスのライナー・キュッヒルは指揮者の急激な加速についていくだけで精いっぱいですが、「田園」におけるヘッツエルは余裕綽々。バーンスタインの名代としてまるで指揮者のように身振り手振り全身を揺らしながら弓を高く掲げてウイーンのオーケストラをリードしてゆきます。

このような指揮者以上の指揮ができるコンサートナスターは、ウイーンフィルのみならず世界中で跡を絶ちました。1992年7月29日のザルツブルグ近郊ザンクト・グルゲンでのゲルハルト・ヘッツエルの滑落死は、惜しめてもあまりある大きな損失であり、光輝あるウイーンフィルの歴史はまさにこの瞬間から腐敗と堕落の道を辿ることになったのでした。


手のひらを返すがごとく生きており 茫洋

Sunday, June 06, 2010

バーンスタイン指揮・ウイーンフィルで「マーラー交響曲」を視聴する

♪音楽千夜一夜 第136夜

ともかく早くレーザーディスクをDⅤDに焼いておかないと2012年のデジタル態勢に乗り遅れてしまうので、数百枚あるLDを見直しながらダビングせざるを得ない消耗な毎日です。という次第でバーンスタイン、ウイーン、マーラーの70年代の黄金コンビの演奏ですが、さすがにこういう血と汗と涙の熱演タイプは時代遅れになったのかなあというのが率直な感想です。

1番ニ長調「巨人」ではもっと第4楽章で燃えてほしいのに1974年10月のバーンスタインがいくら指揮台からジャンプしても発火せず。コンサートマターがゲルハルト・ヘッツエルではなく若く凡庸なライナー・キュッヒルであることもマイナスに作用しているのでしょうが、これでは大昔のジェームス・レバイン指揮フィラデルフィア管の清新な演奏に比べてもかなり遜色があります。

ヘッツエルがコンマスに入った1972年5月ライブの第4番ト長調は最終楽章でソプラノのエディト・マチスの清純な独唱「我らは天上の喜びを味わう」が歌われるといくぶんの昂揚を見せますが、私が1979年パリ・シャトレ座で聴いたクーベリック指揮バイエルン放響の天国的で透明な演奏には及びもつかない凡演です。

1972年4月と5月にライブ収録された第5番嬰ハ短調は、有名な第4楽章のアダージェットで深い瞑想と愛と抒情の歌を聴かせてくれるものの、強いて比較すればバーンスタインのニューヨークフィルとの旧録、あるいは1987年の同じウイーンフィルとの録音のほうがより優れた演奏ではないかと思われます。

1974年10月の交響曲第7番ホ短調ではバーンスタイン・ウイーンフィルが「夜の歌」を歌います。第5楽章のロンド・フィナーレはいかにもレニーらしさが横溢しており、今日の3曲のなかではこれが最上と思えます。


生きてしあらば良きこともあらむ薺咲く 茫洋

Friday, June 04, 2010

「ウテ・レンパーsingsクルト・ワイル」を視聴する

♪音楽千夜一夜第135回


ウテ・レンパーは1963年ドイツ・ミュンスター生まれの美貌の歌姫です。キャッツやキャバレーやシカゴなどのミュージカル歌手としてつとに有名ですが、1994年にパリのブフ・デユ・ノールでライブ収録されたこのクルト・ワイル歌唱はじつに聴きごたえ、見ごたえがあります。

「クルト・ワイルの音楽の本質は彼が一過性の抒情を徹底的に排除したことです」などと時折解説を交えながら、レンパーは「赤いローザ」や「セーヌ哀歌」「バルバラ・ソング」「アラバマ・ソング」「私は船を待っているの」などワイルの代表作品に激しく感情移入して、時折は涙を滂沱と流しながらドラマチックに歌っています。そして休憩をはさんだ後半のプログラムで、ワイルの名曲として知られる「セプテンバーソング」や「マイシップ」の熱い思いを込めた絶唱に接すると、いったいワイルのどこが反抒情主義なのという疑問がわいてもくるのです。冷血の下にひそむ熱血のたぎりを私たちはあびせかけられたのでした。

 ウテ・レンパーはドイツ語・英語・フランス語を苦もなく使い分け、ローザルクセンブルクやメッキー・メッサー、ジェニーになりきってあざやかに歌います。曲想に応じてあざやかに豹変する表情や機敏な身のこなし、とりわけその官能的な肉体の運動性は見る者を強く惹きつけてやみません。

私は三文オペラといえばロッテ・レーニアとひとつ覚えで思い込んでいたのですが、この美しいミューズの前ではどうやら古い固定観念を改めざるをえないようです。ウテ・レンパーの緩急自在な身体表現力を支えた演出のジャン・ピエール・バリジェンと練達のピアニストジェフ・コーエンの好演も見事でした。

♪昨日辞め今日忘却の総理大臣無常迅速世の常なれど 茫洋

Thursday, June 03, 2010

独メンブラン社盤「クララ・ハスキル・ポートレート」を聴いて

♪音楽千夜一夜第134回

クララ・ハスキル(1895-1960)はどこか魔法使いのおばあさんに似たやさしい風貌の持ち主でしたが、そのモーツアルトの演奏ではつとに定評があるところです。

この10枚組のCDにはそのモーツアルトの13番、19番、20番、ゲザ・アンダとの2台の協奏曲k365を柱に、ベートーベン、バッハ、シューベルト、シューマンの有名曲が収められていて、彼女の多彩なピアノ演奏を1枚たった100円というバジェットプライスで楽しむことができます。

 しかしこのセットにはグリュミオーと組んだモーツアルトのヴァイオリンソナタが欠けているのが残念です。あのフィリップス原盤の演奏には孤高の天才に終生つきまとった硬質の悲しさ、そしてハスキルにもつきまとった生の物悲しさが相乗して痛々しいまでに感じられ、そこへ若きグリュミオーの空虚な明るさが加わることによって明暗一如となった名状しがたい魅力を醸し出しているのです。

 しかしハスキルのバッハやとりわけシューマンの演奏も悪くありません。ピアノ協奏曲や「子供の情景」「アヴェッグバリエーション」を聞いていると、このルーマニアの媼の孤独な魂の奥の奥を垣間見たような気持ちになります。


藤多き里に住みたる嬉しさよ 茫洋

Tuesday, June 01, 2010

蛍の頃

バガテルop125&鎌倉ちょっと不思議な物語第221回

今年も滑川に蛍の季節が訪れました。

2010年の初見は5月28日の午後7時30分、小さな竹橋の上流で2匹が舞っておりました。ちなみに昨年は5月21日に1匹、おととしは6月4日になんと7匹の乱舞、その前年の2007年は6月2日に2匹でした

どうしてそんなことが分かるかって? それはね、私が博文館の10年連用日記をつけていてね、その日の天気と四季折々のチョウやカエルの産卵日や昆虫類の初見日についてメモしてあるからなのです。

それはともかく、今年はなんども台風並みの大水がこの狭くて小さな滑川を奔流のように襲いかかり、すべての動植物を由比ヶ浜の海岸に押し流したはずなのに、よくぞ蛍の幼虫の棲み家であるカワニナが川の底に残っていてくれたものです。

さきほどまた自転車で捜索に行ってきましたら、和泉橋の上流の葉っぱの陰で3匹の青白い光が点滅していましたから、昨年ほどではなくとも初夏の夜の風物詩としての役割を何とか果たしてくれそうです。

しかし町内会の連中が近々川掃除をするとかいうているので、彼らの棲み家を根絶やしにしまいかと心配。川をきれいにするのもいいけれどこの河川が全国的に貴重な天然ヘイケボタルの中世以来の自生地であることによくよく思いを致してほしいものです。

私の意見では人類は蛍の光を愛でる人とそうでない人とに分かれ、私は後者の人々とは席を同じくしたいとは思いません。またこの際ついでに言いたいことを言わせていただくならば、チョウと蛍が死者の精霊であることについてはかなり確かであるように思われます。

    父よ母よムクよみなみなホタルとなりて我をおとなう 茫洋