Wednesday, September 30, 2009

ルドルフ・ビーブル指揮喜歌劇「メリー・ウイドウ」を鑑賞する

♪音楽千夜一夜第83回

05年8月11日から13日までオーストリアのノイジードラー湖で開催されたメルビッシュ音楽祭のライブ映像です。

曲はレハールの「メリー・ウイドウ」。森の妖精ヴィリアの歌とおなじみの哀愁漂う主題歌「閉ざした唇に」はこのオペレッタの聴きどころです。見どこころは第3幕のパリのマキシムのカンカン踊りでしょうか。

この会場は湖に面した広大な空間なので、大勢のダンサーがスカートを捲りあげながら入れ替わり立ち替わりにお色気たっぷりの例のダンスを繰り広げるシーンはなかなか楽しいものです。

演出はヘルムート・ローナー、指揮はたびたびの来日で我が国でもおなじみのルドルフ・ビーブルですが、別にこの人がいなくても素人の私が振ってもダンスの伴奏くらいはできそうです。

オケはメルビッシュ音楽祭管弦楽団なる寄せ集めアルバイト集団(だと思う)。文字通りステレオタイプの演奏がぐだぐだれれてれと続き、湖に音が散乱するあまり広大な空間であるために、歌手たちは全員口元にマイクをつけて歌っていましたが、もしかすると全部口パクかもしれません。

ヒロインのグラバリ夫人はマルガリータ・デ・アレノーラという妖艶な年増、が古臭ければアバウトアラフォー。いかにも蓮っ葉で男好きのする豊乳の持ち主ですが、こういう下品なヒロインと比べてなんとメラニー・ホリディの可憐で清潔でかわいらしかったことよ。(彼女はグラバリ夫人ではなくバランシエンヌが持ち役でしたが。)

若かりし頃の私は、レハールのこの「閉ざした唇に」を見ると思わず涙腺が緩んだものですが、こんな無残な演奏なんて一滴の涙も出ないや。


♪蝉どもが神隠れする十月朔日 茫洋

Tuesday, September 29, 2009

西暦2009年長月茫洋歌日誌

♪ある晴れた日に 第66回

馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり

横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな

やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな

古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり

秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな

くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ

鬼が出るか蛇が出るか屁も出ざりき今朝の授業

あと2年辛抱すればわが世の春神ならぬ人の悲しさ哀れさ

獣道を狂気のごとく走る自転車は凶器なり

横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹

生涯ただ一度の大音響を発して極楽往生せしは慶日上人

45日間無利息にだまされて夜逃げしたらあんたが助けて呉れるのか余裕のゆうちゃん

八幡宮長谷寺英勝寺光明寺鎌倉の寺社みな白き蓮

植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ

食べ歩いても食べ歩いても失望す名物に旨いものなし

男一匹生きるも死ぬもこの時ぞこの時ぞ

去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ

情報の掃溜めと化したR25んなもの誰も要らん

こんなもんぐたぐた書いてなんになるだんだん身苦死がいやになる

雨に打たれ街路に伏せたるアブラゼミ拾いて朝顔の葉に乗せたり

鳥海山より岩木山を直視したるわが眼を鏡で見ている

かねてよりのわれの望みを叶えるはわれならぬリヴァイアサンの蜂起なりしか


植物はあらゆる方向に触手を伸ばす
 
君と僕夫婦であぶる仲にして

あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし
 
投じたるすべての票が死なざりき

花の名をよく知るひとの床しさよ

けふもまたちゃんちゃらおかしくいきにけり

陰茎のタマタマほどの寒さかな

ちんぽこを握ればふぐりの冷たさよ

処暑の夜わが陰嚢の冷たさよ

累々と蝉横たわる峠かな

箱根山一句も浮かばず下るなり

黄金虫救ってやりしうれしさよ


♪くわんれきの次なる環に踏みいれず宙外はるか消え失せし友 茫洋

Monday, September 28, 2009

ウラジミール・ユロフスキ指揮ロンドンフィルで「シンデレラ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第85回

ロンドン郊外のグライドボーンで05年6月に開催されたロッシーニの「シンデレラ」のオペラ公演映像です。

初夏のグライドボーンでは、幕間にシルクハットの紳士やドレスの淑女たちが連れ立って緑地を散歩したり、サンドウイッチとワインなどを楽しんだりしているようですが、まことに英国らしい貴族的な環境のようです。

ピットに入っているのはいつものように小編成のロンドンフィル、指揮者は若手のウラジミール・ユロフスキという人ですが初めて聞く名前です。序曲からしてすでにおなじみのクレッシェンドがうねうねと盛り上がり小さなピークを迎えた所で第1幕が始まります。

シンデレラの物語はあまりにも有名なので繰り返しませんが、シンデレラって「灰かぶり」という意味なんだそうです。日本でも鉢カブリ姫というのがあるようですが、あばら屋に住み粗末な身なりをした地味な娘にふさわしいネーミングですね。そして男爵と2人の馬鹿娘にいじめられ続けたその「灰かぶり姫」が、王子様に見染められて晴れてプリンセスの座を射止めるまでの奇跡の玉の輿物語をロッシーニは楽しみながら作曲しています。

聴きどころはやはり第1幕のフィナーレの大合唱でしょうか。ここではめくるめくようなクレッシェンドの繰り返しがミニマルミュージックのような陶酔と眩暈を生みだしほとんど悪酔いを覚えるほどです。これは喜劇王ロッシーニの悪魔的な側面ではないでしょうか。

その前半に比べると後半の第2部はかなり冗長で緊張感に欠けますが、最後のシンデレラの長大なアリアで1巻の終わり。めでたくハッピイエンドを迎えます。

歌手、オケ、指揮いずれも可もなく不可もないなかにあって、特筆すべきはやはりピーターホールの演出でしょう。舞台の設定、美術、衣装、照明にいたるまで当時の時代背景を忠実に反映し、重厚で写実的ななかにも華麗で優雅な雰囲気をしっとりと漂わせ、ともすれば軽薄なドタバタ劇に転落しかねない本作品を本格的な演劇的オペラとしてしっかりと支えています。

出演はアンジェリーナ(シンデレラ)、ルクサンドラ・ドノーセ、ドン・ラミロ(王子)、マキシム・ミロノフほか。


♪あなたと私夫婦であぶる仲良しこよし 茫洋

アーノンクール指揮チューリッヒ歌劇場・シンティルラ管でモーツアルト「にせの花作り女」を視聴する

♪音楽千夜一夜第84回

モーツアルトイヤーである06年2月にスイスのチューリッヒ歌劇場で行われた公演です。
アーノンクールはウイーンに帰還するずっと昔から、この地味な歌劇場でバロック・オペラを振り続けていましたが、今回のシンティルラ管弦楽団という名前は初耳です。同歌劇場の選抜チームの名称かもしれませんが、とても情熱的な演奏。右翼第2バイオリンの2列目の日本人女性が、とても表情豊かにモーツアルトに取り組んでいる姿を見てああ音楽ってこういう風に夢中にならなければ、と改めて思わされました。

日本のオケ、とくにN響の奏者たちはどいつもこいつも冷感症で不感症で冷血漢の爬虫類ぞろいでいくら指揮者があおっても能面のようにニル・アドミラリな表情を変えようとしません。楽器のお稽古はしばらくやめて、楽しければ楽しい顔を、悲しければ悲しい顔をして演奏するような演劇的トレーニングでもすれば少しはましな演奏ができるのではないでしょうか。私はこいつらの仏頂面を見るのが厭なので、いつもテレビの音声だけを聴いているのです。

閑話休題。さて演奏ですが、御大アーノンクールの指揮はさすがに手慣れたもので特に若手のソプラノ歌手と合わせたときの弱音の響かせ方、音の消し方が見事。同じ極東の御大である小澤先生など大いに見習ってほしいものです。もう遅すぎると思うけど。

なにせこのK196 の作品はモーツアルトが17歳の1774年に書かれた曲なので、プロットもいいかげん(浮気をしたと勘違いした伯爵が妻を刺すが、死んだはずの妻は花作り女と偽って生きていて、誤解が解けた二人は元の鞘に戻る?!)なら、アリアの出来栄えもいまいちです。20年前なら公演などあり得ない幼稚な作品とイッセルシュテット以外の指揮者が考えていたに違いありませんが、その若書きをアーノンクールはじつにもっともらしく聞かせます。

さすがに後年の「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」などの完成度はありませんが、たとえば後者のレポレロの有名な「恋人のカタログの歌」を想起させるアリア、そそて「フィガロ」の終幕の夜の庭園のドタバタ劇そっくりの舞台が、すでにこの段階で構想されていたことがよくわかるのです。

いかに天才とは言え若き日のモーツアルトがそれこそ計画的に傑作への階段を一歩一歩切り開いていったことが如実に理解できるだけでもこのオペラは価値があります。

出演は題名役にエヴァ・メイ、イザベル・レイ、クリストフ・シュトレールなどでまずまずの歌いぶり。演出はトビアス・モレッティ、美術はロルフ・グリッテンベルクですが、すべてを総覧していちばん見事な出来は衣装のデザインでした。誰が担当したのだろう。


♪横須賀線で母親と押しくら饅頭しているお下げの姉妹 茫洋


9/29

Saturday, September 26, 2009

思い出の庄野潤三

遥かな昔、遠い所で 第85回

二夜続けて馥郁と香る月下美人の花が咲きました。庄野潤三の小説を知ったのは、私が結婚して横浜の弘明寺の裏駅のやまのうえの墓地の傍のアパートに住むようになってからのことでした。

その頃、弘明寺の裏駅のすぐ傍にはどういうわけかもう使われなくなってしまった小さなプールがありました。
私はアパートに通じる急な坂道を息急き切って登り切ってそのプールを見下ろすたびに、彼の「プールサイド小景」を思い出し、たくさんの枯れ葉が浮いたその黒い水面に私と同じようなダークスーツを着たサラリーマンが漂っていないかとおそるおそる確かめたものでした。

アパートの窓を開けるとお墓の向こうには草原と遠い丘陵と青い空と白い雲が望まれ、時々電車が走っていく姿が見えました。生まれたばかりの長男は先天的な障碍があるとも知らず、家の前の坂道をよだれを垂らしながら這い這いしていました。

庄野潤三が小田急線の生田の谷の上に住んでいることは、学生時代の友人のK君の家に遊びに行ったときに教えてくれました。彼の実家はそのすぐ近所にあったからです。
私は当時まだ田舎で田んぼや藁ぶきの農家や栗の木が目立つその近辺を散歩しながら、この小説家の「夕べの雲」の素晴らしいラストシーンを思い浮かべたり、もしかしてあの小道の曲がり角から作家その人が突然大柄な図体を現すのではないかという気がして待ち構えたりしたものですが、もちろんそんなことはなかったのです。

「夕べの雲」もいいけど、そのあとの作品もいいぞ、と教えてくれたのは、やはり同級生だったS君でした。
それ以来私は毎年のように出版される彼の一連の家族小説を折に触れて読んできました。たとえば「貝がらと海の音」などの小説というよりも日記のような連作がそれですが、どれをとってもまるで金太郎飴のように老夫婦の日常と子供や孫の動静、生田の家をめぐる季節と風物が淡々と歳時記のように記されています。

そこには事件らしい事件はありませんし、プロットも、いたずらな修辞さえありません。あえていうなら、流れゆく水に描かれた物語とでもいうべきものでしょう。もはや文学や小説であることさえ放棄したような文章の連なりですが、ただそれに目をさらしていると、不思議なことに心に安息を覚え、限りある生を生きてあることの幸せというものに自然と気づかせてくれるのです。そこには今を生きている人間の確かな手触りとその人間をゆっくりと押し流していく悠久の時間の流れがあります。

私にとってこの貴重な作品の源泉が、今月二一日に突然流れることをやめたのは、ひとつの文学的事件というよりは実生活上の打撃でありました。深い喪失感と悲しみを味わいながらも、できれば私も彼のように自他のこころをうるおす文章を書きたいものだと改めて思っているところです。

♪馥郁と月下美人香る生田山伊東静雄の愛弟子逝きけり 茫洋

Friday, September 25, 2009

メアリー・マッカーシー著「アメリカの鳥」を読んで

照る日曇る日第293回


メアリー・マッカーシーといえば「グループ」を書いたことで知られるアメリカの美人女流作家ですが、「アクセルの城」で有名な批評家エドマンド・ウイルソンの伴侶でもあったとは知りませんでした。別に知らなくても全然構いませんが、問題は彼女のこの作品です。

ちょうどアメリカのジョンソン大統領が北ベトナムを爆撃した頃にパリで学生生活を送っていたアメリカ人の若者ピーター君の留学中のあれやこれやの小事件が、まるで牛の反芻のように延々と垂れ流されていて、この文章のどこが偉大な20世紀の小説なのかといぶかしく思わないわけにはいきません。

たとえばソルボンヌの外国人のための初級文明クラスの授業がつまらないそうですが、それがいったいどうしたこうした。つまらなければやめればいいじゃないか。それをつまらないと書けば小説になるとでも思っているのでしょうか。

サルトルがルフェーブルに接近したからなんだというのだ。さらにはお決まりの失恋話や交友関係や放浪者やローマ旅行やアパルトマンの家主とのトラブルやオートバイを船で持ち込もうとするときに持ち上がった事件やらアリストテレスやカントの感想だのを聞きたくもないや。もうもう勘弁しとくれ。それはお前さんのミクシィにでも乗っけといてくれ、と言いたくもなるのです。

だいたい「アメリカの鳥」というタイトルと本文はどういう関係になっているのかさえ最後まで読んでもさっぱりわからぬ。ピーターの母親がランドフスカに師事したピアニストであることと、パリではトイレの事情がひどく悪いということだけがわずかに脳裏に残された近来まれに見る後味の悪い読書でした。

♪やい池澤夏樹下らぬ三文小説をセレクトするな 茫洋

Thursday, September 24, 2009

道永のらん著「人間さまの手のひら」を読んで

照る日曇る日第292回

都会の中に住んでいるのは人間だけではありません。犬も猫もゴキブリもカラスもタイワンリスも住んでいます。この小説の主人公はそのうち私たちのもっとも身近な存在である猫たちです。

主人公「ねず」は生後四か月を迎える前に誰かに捨てられた雌猫。ひとりぼっちで置き去りにされて苦労しますがマンションの三階のベランダに居を構えるさくらママとその子のぶち子と同棲するようになってから、ようやくみずからの猫人生のスタートを切ることに成功するのです。

それからメンズ猫に処女を狙われる“エロの季節”、「地域猫」なるコンセプトで地域で愛される猫作りを目指すNPO活動推進者のおかげで強制的に避妊手術を受ける“受難の季節”、近所の公園でおししい食事にありつく“グルメの季節”を経て、われらがヒロインはけなげにも逞しい前進を続けるのですが、ある日トラックに轢き殺されそうになったところを雄猫のパクによって命を助けられます。

パクが身代わりになってくれたのおかげで彼女は九死に一生を得たのです。しかし、そこからねずの自分史上最大最高の危機がはじまります。
安住の地であったベランダからも、多くの友人たちと交流できた公園からも「追放」された彼女は、またしても放浪の身となり、「いったい死んでしまった猫はどうなるのか?」、「猫における存在と無の相関関係はいかがなものであるのか?」という猫哲学上の重大問題に直面し、その場で立ち往生してしまいます。

この煩悶を解決すべくねずははるかなる山寺に棲むという老いたる寺猫「仏っさま」を尋ね、その猫知に長けた貴重な人生哲学に接し、起死回生を果たします。
「ねずや、けっして死を恐れてはならぬ。死は終わりではない。今生での死はみ仏さまのもとへ戻り、もういちど新たな命としていつの世かに生まれ落ちるための、長い長い眠りの時間なのじゃよ」
と親しくさとされたねずは、死を恐れずにおのが猫生をまっとうする決意を固めたのでありました。

ここから新規一転、生まれ変わったねずは絶世の美女猫「ヒメ」の遺児を救おうと獅子ならぬ猫奮迅の大活躍を開始するのですが、ちょうど時間がよろしいようで。
いずれにしても猫を心から愛する人ならではの人猫一体の幻想的な雰囲気、そして克明周到な観察から生まれた創造性豊かなストーリーテリングが見事です。

なお、どうしてもその小説の顛末が気になる方は、わが親愛なるマイミクさんの「ねずちゃんさん」に尋ねてみてくださいな。


♪横浜の坂の途次なる三差路のビルの上なる2匹の猫かな 茫洋

Wednesday, September 23, 2009

ムーティ指揮ウイーン・フィルでモーツアルト・ザルツブルク・コンサートを視聴する

♪音楽千夜一夜第83回

モーツアルトイヤーだった06年の1月27日に祝祭大劇場で開催された記念コンサートの実況ライブです。

 まずは内田光子の独奏でk503のピアノ協奏曲から始まります。ラ・ローチャなどの演奏では大振りになるこの曲ですが、内田はよくいえば内省的、悪く言えば神経質に演奏します。右手で和音を抑えたまま激しく打ち振られる左手。これは指揮も自分でやろうとする意思表示なのでしょうか。

次はメゾソプラノのバルトリの歌唱によるシェーナとロンド 「どうしてあなたを忘れられよう」 ですがここでは内田光子のピアノ伴奏が先ほどの曲よりも見事に冴えわたりました。文句なしの名曲の名演です。
「恐るるな、愛する人よ」 K.505 は内田が抜けて チェチーリア・バルトリ だけの独唱ですが、私ははしなくもいまから20年以上前に彼女がドミンゴと九州にやってきて歌った夜のことを思い出しました。
 3曲目の「彼をふりかえりなさい K.584は御大バリトンの トマス・ハンプソン の登場。続く4曲目には「バイオリンとビオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 」をなんとバイオリンがギドン・クレーメル 、ビオラがユーリ・バシュメット という豪華コンビで熱演。クレーメルはニクラウスよりもムーティとの相性のほうが良好と見受けられました。

5曲目の交響曲 第35番 ニ長調 K.385 「ハフナー」はまあ普通の出来ですが、再度登場したバルトリによるモテット「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」 K.165 は聴きごたえがありました。 おあとは「フィガロの結婚」 から “もうあんたの勝ちだと言ったな”と“ため息をついている間に” の2曲をトマス・ハンプソン が、「ドン・ジョヴァンニ」 から “お手をどうぞ” を2人が歌い、最後は「魔笛」 から フィナーレの合唱 をウイーンの合唱団が歌ってお開きに。もう結構これで満腹というほかはない記念コンサートでしたが、できれば指揮者がベーム、コンサートマスターがゲルハルト・ヘッツエルの名コンビならもっともっと素晴らしい演奏会になったことでしょう。

♪黄金虫救ってやりしうれしさよ 茫洋

Tuesday, September 22, 2009

映画「イージーライダー」を鑑賞する

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.10


この映画は、2人の若者が広大なアメリカ大陸を東西南北気が向くままにハーレーダビッドソンにまたがって旅する一大遊行観光(光を見る)映画といってもよいでしょう。

砂漠もハイウエイも、巨大な岩石も、河川も森も太陽も暗闇も青空も風も雲もそれまでけっしてドイツ製のアリフレックスキャメラによって35ミリのカラーフィルムにけっしてとらえられたことのなかった映像でした。

高速で移動する車両から未知の空間に投げ出されたレンズは感激のあまり被写体の照準を意識的かつ無意識的に逸脱してグランドキャニオンに沈む真っ赤な夕陽を震えながら映し出します。

そして、この震えこそが映画イージーライダーの本質です。先住民たちが無心に眺め、そうした純真無垢な60年代末尾の風光明媚、いうならばアメリカ大陸の原風景がこのロードムービーには定着されているのです。

映画の終盤でマリファナとドラッグによって駆動された生と性と聖が三位一体となった幻想的な映像が人工的に繰り広げられます。これこそは私たちが80年代になって確立したプロモーションビデオの先駆的な実験ですが、最後にジャック・ニコルソン、デニス・ホッパー、ピーターフォンダがその順番で住民から虐殺される有名なシーンは、ヒッピーに対する保守的な市民の悪意に満ちた暴力や殺意の表れとして政治的にとらえられることが多いようです。

しかし何度もこの映画を見ているうちに、この映画のこの「衝撃的な」ラストは、このエンドレスに続くであろう観光映画を劇的に終了させるためにホッパーたちが知恵を絞って考えた「よくある」ハリウッド映画的プロットとして考案されていて、そういう意味では、本作は世評に高いニューアメリカンシネマの傑作というよりは古臭いハリウッド映画ではないかという気もするのですが、こんな気がするのはたぶん私だけでしょう。

実際製作費の大半はこのラストシーンをいやがうえにも強調するための空撮に費やされ、後年デニス・ホッパーが監督した映画(たぶん「ホット・スポット」)のラストシーンがイージーライダーのそれと酷似しているのも偶然とは思えません。

深い確信もなく印字しているのですが、「自由民に対する殺意と暴力」よりも炎上するオートバイを急速に塗りつぶそうとする「緑の原野」がこの映画の真の主人公としてフューチャーされているのではないでしょうか。


♪古池を埋める儀式を執行し郷里の我が家解体されけり 茫洋

映画「おくりびと」を鑑賞する

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.9

滝田洋二郎監督の本作はアカデミー外国語部門賞を獲得したということで大変な話題になりました。先月旅行した出羽三山地方でもこの映画のタイトルを描いたイラストレーターの作品やら「おくりびと饅頭」やらお酒やらが土産物屋さんに所せましと並んでいて、時ならぬ「おくりびとブーム」を物語っていました。
なんでもこの映画に出てくる銭湯やモックンがチエロを奏でるシーンなどがこの一帯で撮影されたらしく、ロケ地をたどるバス旅行まであるというのでびっくりしました。

その作品を昨夜1泊旅行に出かけた箱根のホテルで鑑賞したのですが、なにせ民放の番組枠だったためにひっきりなしにCMが入り、せっかくの優良映画の雰囲気を妨げ、破壊することおびただしいものがありました。やはり映画は劇場かDVDかNHKに限ります。

「おくりびと」とは人の死をあの世に送る手伝いをする人のことだそうで、納棺師なる職病名があることを私はこの映画ではじめて知りました。
そういえばむかし私の父が亡くなったとき、郷里の葬具屋の若いスタッフがじつに甲斐がいしく世話をしてくれたのですが、用意された棺桶の長さがわずかに長身の父の背丈に及ばず、残る1,2寸の処置をめぐって折るか畳むか無化するかと懸命に汗を流していた姿がはつかに偲ばれたことでした。

もっくん扮する納棺師はそのおりの葬具屋をはるかにしのぐ手厚いケアを死者に対して徹底的に施すのですが、それは我が国の茶道や華道や武道の専門家が茶や花や武器に対して振る舞う厳粛な儀式が死者に対しても及んでいるさまをありありと映し出します。おそらくはこの異様さと崇高さとがふたつながらに西欧人の好奇心と宗教心に感応し、スタッフの想定外の受賞に結びついたのでしょう。

役者ではもっくんの奮闘もさることながら師匠格の山崎努とその訳ありアシスタントの余貴美子の演技が賞讃に価し、広末涼子の恋人役はより知的な若手女優を選ぶべきであったという一抹の恨みが残ります。演出に大過なく、脚本と音楽はプロの仕事としては詰めが甘すぎますが、最近の邦画のレベルから推せばはまずこんなものでしょう。

もっくんの仕事を「けがらわしい」と罵っていったんは拒んだ妻が、納棺師の神聖にして祝祭的な職業の意義を悟って回心するくだり、焼場の荼毘を担当する男の述懐、棺桶に点火されて一挙に炎上する遺体、もっくんと父との無言の再会などなどいくつものドラマが内蔵された映画ですが、納棺師たちがわずか5分遅刻したことを難詰した妻を亡くした男が、山崎努の渾身のヘアメイクで賦活した妻の美貌に接して涙し、さきほどの無礼を謝して手渡した干し柿を納棺師主従がむしゃむしゃ食らう場面がもっとも印象に残ります。


♪箱根山一句浮かばず下るなり 茫洋

Saturday, September 19, 2009

アントネルロ・アルレマンディ指揮東フィルで「トゥーランドット」を視聴する

♪音楽千夜一夜第82回


08年10月に新国立劇場で行われたプッチーニの最後のオペラの公演をビデオで鑑賞しました。

ドイツからやってきたヘニング・ブロックハウスの演出で、このオペラの舞台はなぜだか1920年代のイタリアに設定されています。村の市場にプッチーニ夫婦がやってきたところでサーカス芸人が呼び止め、イタリア特有の仮面劇「トゥーランドット」を一同が仮面をつけながら開始するというのが第1幕までの「見立て」です。

幕が開くとプッチーニ夫妻はそれぞれ主役のカラフとトゥーランドットを演じ、リューが自刃したあと主役の愛の場面からは全員が仮面を脱いで元に戻るという設定なのですが、いったいそれがどういう意図で、またどういう効果を狙って行われたのか、頭が弱い私には最後まで理解できません。頭のよさそうな演出家のブロックハウスさんには馬鹿にもよくわかるようにぜひとも解説していただきたいと思ったことでした。

 この有名なオペラにはこれまでにも数多くの名演奏や名録音、録画があるわけですが、主役のイレーネ・テオリン、ワルテル・フラッカーロがそれなりの美声で一生懸命に「3つの謎に1つの死」とか「誰も寝るな」とか歌っていることはわかったけれども、それはいったいどうした、こうした。
凡庸な指揮者が凡庸なオケを適当に鳴らしていることもよーくわかりましたが、いったいそれがこれまでの演奏歴に格別新しい意義を加えたのかしらと自問自答してみると、結局はただのひとつも付け加えるものがなかったということが、おりしも死に瀕している油蝉に吹きつける一陣の秋風のようにそぞろ身に沁み、こういう駄演で残りも少ない私の貴重な時間をまたしても無駄にさせるのだけはどうぞやめてほしいものだなあ、とつくづく思った二時間一四分でした。

  ♪秋風やとぎれとぎれに泣いているひとりぽっちの油蝉かな 茫洋

Friday, September 18, 2009

ジュールス・ダッシン監督の「トプカピ」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.8

異才ジュールス・ダッシンの冒険犯罪喜劇映画の舞台はトルコ・イスタンブールのトプカピ宮殿です。

このイスラム文化の精髄を集めた宝物館の目玉であるエメラルドの宝石に鏤められたスルタンの短剣。これをメルナ・メルクリ扮する怪盗グループがおもしろくもおかしくもないドタバタを繰り返しながら、見事盗み出すことに成功するのですが、結局は足がついて全員つかまってしまう。しかし刑務所から出て来るとこんどはロシアの秘宝に挑戦するというあほらしいストーリー。

「日曜はだめよ」の名コンビとも思えない超のつく駄作ですが、強いて褒めればその後のお宝強奪映画にはらはらドキドキのリアルな手法と撮影手法の先鞭をつけたことでしょうか。メルクリもそれほど魅力的とは思えません。前作の「フェードラ」の出来映えが素晴らしかっただけに残念無念な結果です。

私はダッシンはなんとなくフランスの監督かと思っていたのですが、1911年生まれのアメリカ人で、赤狩りに追われて欧州に逃げだしそこでメルクリと知りあって結婚したとは知りませんでした。ギリシアの観光相だか文化相だかになったあと94年に死んだメルクリと死別したあと08年3月に97歳でアテネで亡くなったそうですが、どのような晩年であったのかちょっと気になるところです。

♪情報の掃溜めと化したR25んなもの誰も要らん 茫洋

Tuesday, September 15, 2009

ウルフ・シルマー指揮パリ・オペラ座管で「カプリッチョ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第81回

リヒヤルト・シュトラウスの最高傑作は、もちろん最晩年に衰えた力を振り絞るようにして書かれたこの世への決別の「4つの最後の歌」ですが、その数年前に書かれた彼の最後のオペラ「カプリッチョ」は端倪すべからざる彼の最高傑作であり、意欲的な野心作です。

このオペラは、表面的には、芸術の構成要素のうちもっとも重要なものは詩であるかはたまた音楽であるのかを面白おかしく描こうとしていますが、それよりも「オペラとは何かという問題自体をオペラにした」ことが画期的です。

オペラには詩人(台本作家)と作曲家や演出家、プロンプターまで続々登場し、「はじめは詩、次は音楽」なのか、その逆であるかをめぐって派手な大論争を繰り広げますが、議論はより重要な役割を果たす演出に及ぶところがじつにコンテンポラリーです。とりわけ演出の果たすについて疑義を懐く登場人物全員から攻撃された演出家が懸命に弁護するくだりなどは圧巻で、オペラ演出のいかがわしさについて今から68年も前に、「オペラ上演の真っただ中で問題提起していたこのオペラの先進性はいまなお耳目に新鮮です。


さらに進んで、ギリシア神話や英雄たちが登場する旧態依然たるオペラ界を革新し、普通の市民を主人公とする日常生活をオペラにしよう、という議論は突然、「それではいま我々が繰り広げている論争自体をオペラに仕立てて我々全員が出演しようではないか。詩人と作曲家は一致協力してすぐに作業にかかってくれ」という提案でいちおうの解決を見るのですが、じつはそのオペラこそすでに1時間半にわたって私たちが実際に視聴してきたオペラなのです。

これから書かれるはずのオペラの大半がすでに上演されているというこの新しさ。そして、「このオペラをどのように進行させ、どのように終わらせるのか」が、このオペラの最大の問題点になるのです!

終幕のスポットライトはヒロインの伯爵令嬢に注がれます。じつはオペラの制作を担当する詩人と作曲家は、不倶戴天の恋のライバルであり、2人ともルネ・フレミング扮する美しい伯爵令嬢に求婚しているのです。さあ改めて詩(詩人)を取るか音楽(作曲家)を取るか、2つにひとつ。とらなければ恋も公演も成就せず、かといってどちらかを取ればただちに恋もオペラも崩壊します。

「ああ困った、困った。私はどうすればいいの。このオペラの終わらせ方をどうか教えてください!」
ハラハラドキドキのクライマックス。これぞ地獄の選択。絶望のアリアが悲しげに場内に響き渡ります。あのウエルメイドな「薔薇の騎士」の予定調和をかなぐり捨ててよくもこんなすごいオペラを書きあげたものです。

私が視聴したのは、ロバート・カーセン演出、ウルフ・シルマー指揮04年6月のパリ・オペラ座ガルニエ宮公演で、ルネ・フレミング、フォン・オッターに加えてあら懐かしやロバート・ティアーが特別出演しています。指揮は平板ですが演出と女声の歌唱が優れていました。クライバーはどうしてこの傑作を振らなかったのでしょう。



♪雨に打たれ街路に伏せたるアブラゼミ拾いて朝顔の葉に乗せたり 茫洋

Monday, September 14, 2009

2つの新聞連載小説を読んで

照る日曇る日第291回

今月9日の水曜日に朝日新聞の朝刊に掲載されていた「麗しき花実」という時代小説がわずか201回目の連載で終わりました。高名な画家酒井抱一やその弟子である鈴木其一たちと同時代に生きる蒔絵師の女主人公が、恋と芸術と生活のはざまで苦悩しながら、虚飾に満ちた江戸での徒弟生活に見切りをつけて郷里の松江に戻ろうとするところで、この小説はさながら情趣豊かな江戸時代の夕映えのように深沈たる終焉を迎えます。

「池のまわりは冷えてきて、酔客のほかに歩く人は見えない。西側の薄い町屋のうしろは本郷の台地であった。料理屋の並びを過ぎて台地の下を歩いてゆくと、道の先は暗淡としてくる。しばらくして彼女はその花に気づいた。歩み寄ると中の見えない茶屋で、入口の掛け提灯の端に上野にはない紅い花が結んである。折枝の山茶花であった。(中略)振り返ると人影はなく、池の白鳥も見えない。中島の明かりの向こうには上野の山がただ黒く横たわり、やはり黒い池を見下ろしている。華やかな紅葉のあとだけに淋しい素顔を見る気持で彼女は立っていたが、やがて思い切ると、そっと花を手に取り、今は東都のどこよりも信じられる確かな夜の中へ入っていった。」

という最終回の末尾を読んでいると、江戸蒔絵の将来に命をかけようとするひとりの女性のけなげさと人の命のはかなさ、そしてかけがえのなさが、夜のしじまに溶け込もうとする池の端界隈のしみじみとした情緒とともにわたしたちの胸にそくそくと迫ってきます。

この小説の作者は乙川優三郎という人ですが、主人公の女性を中心に、抱一や其一などの人となりまでくっきりと浮かび上がらせたばかりか、当時の日本画や蒔絵作家が置かれた製作状況やその芸術的葛藤にも深く筆をさし入れ、私たちを親しく江戸の工房に出入りさせてくれました。老大家、中一弥の挿絵も毎回「これぞ江戸の華」と思わせる上品な色気が漂う凛とした力作ぞろいでじつに見ごたえがありました。

惜しまれつつ終了した本作と対照的なのが、日経の朝刊で延々なんと340回も連載を続ける「甘苦上海」という高樹のぶ子の小説です。主人公はいま世界でもっとも注目を集める中国経済の中心地上海でビジネスに取り組む50代の女性で、みずからの欲望に忠実な彼女の激烈な、そして悲愴感みなぎる生と性がテーマといってもよいでしょう。

ここでは中国、上海、少数民族問題、グローバル経済、ビジネス、癒しのアロマテラピー、熟年女性と若い男との大恋愛などなど、いまどき世間で流行中のキーワード的主題が目白押しです。しかし作者が表層のいわゆるひとつのトレンデイな枠組みを気取り、主人公に激しく思い入れをすればするほど、壮大な大河小説のたがは前後左右でどんぐりころころ脱輪し、もはやカッコイイ同時進行スタイル現代小説どころか、ただただ浅墓な醜女の深情けを下品に露呈する4畳半襖の下書き風落書のていたらくに陥り、結局は大昔から存在する通俗恋愛小説の超低空をあえぎあえぎ飛行しているようです。

かつて昭和の昔に、小説の主題の積極性は小説のアクチュアリティーを保障するとかしないとかいう議論が行われたと記憶しますが、当節再流行の小林多喜二の「蟹工船」と同様、高樹女史の「甘苦上海」が提出した「主題の積極性」は空虚そのもので小説のていをなさず、包装紙の斬新さとは裏腹に、その実態はまことに旧態依然たる陳腐な三文恋愛小説の王道を無様に疾駆しているといえましょう。
♪花の名をよく知るひとの床しさよ 茫洋

Saturday, September 12, 2009

横須賀とわたし

♪ある晴れた日に 第65回


横須賀には海と空と公園がある。
 
横須賀には聖ヨセフがある。サイカヤがある。K歯科もラジオ放送局もある。

横須賀には小泉親子もいる。そのほかやくざもたくさんいる。

横須賀には長崎チャンポンのリンガーハットがある。餃子がついてたったの650円だ。

横須賀なのに関西風きつねうどんがある。450円だ。

横須賀にはカットショップがある。簡単シャンプーと脇剃りがついて1100円だ。

横須賀には横須賀交響楽団がある。懐かしの須賀学があり、歯科大には不正融資とジャカランタの花が咲く。

横須賀には横須賀線が走る。京急バスも走る。イージス艦も走る。潜水艦も潜っている。

横須賀では白人と黒人と日本人と混血の子どもたちが歩いている。

横須賀には海と空と公園がある。



♪45日間無利息にだまされて夜逃げしたらあんたが助けて呉れるのか余裕のゆうちゃん  茫洋

大庭みな子著「魚の泪」を読んで

照る日曇る日第290回

大庭みな子さんは夫とともに11年の長きにわたってアラスカのシトカという帝政ロシア時代におおいに栄えた当時の首都で先住民やらロシア人やらアメリカ人やら日本人やらと混じって生活したそうですが、その頃の多国籍な市民との精神的な交流が、この作家のその後の活動の起点になっていることは間違いないようです。

欧州からも日本からも米国からも遠く離れて、いわば世界から見捨てられた異郷に身を置いて暮らしている異邦人たちとの不可思議な隠遁と流謫生活が著者独自の思考と感性をはぐくんだのではないでしょうか。

シカトには企業から出張してくる日本人もいましたが、彼女が肝胆相照らしたのは容易に本音を明かさない日本人ではなく、世界各地の既存の文法から大きくはみ出した異邦人たちでした。彼女はみずからは沈黙を守りながら、異邦人たちのあくことのない饒舌に耳を傾け、そのことによって彼女の内部には異邦人の言葉がミズナラの樹の内部の水のようにみなぎり、全身を循環し、それによって彼女もまた異邦人の仲間であることを知りました。つまり彼女は、異邦人たちとともに徐々にみずからの異邦へと侵入したのです。

そして「大切なことはまず思うことです。思わなければ決してなにもやってこないでしょう。ひとつのことを長い間思い続けていれば、ひとはたいていその思いを実現させるものです」と彼女がみずから語っているように、彼女の内なる異邦人が、彼女をして異邦の言葉を世界に発信させることを命じたのでしょう。

哲学者でもあるこの人は、「東洋と西洋のもっとも大きな相違は、東洋人は世界はあるがままのものであると考え、西洋人は世界はある法則のもとに動いていて、宇宙には神の理念があると考えたことである。東洋の思想には虚無がつきもので、はじめる前から終わったあとのむなしさについて考え、結局はなにもしないで個人的な幸福への道を説くものが多い」なぞとうそぶきつつ、この稀代の精神の旅行者は、その極北のシトカを捨ててパリに飛びだし、そこから東洋へと帰還する放浪の旅路を選びます。

小説の最後には、表題となった芭蕉の句がさりげなく添えられて、当時の作家の不退転の決意を表明しているようです。

捨て果てて身はなきものと思えども
雪の降る日は 寒くこそあれ
花の降る日は 浮かれこそすれ


♪去んぬる如月母君を神隠しに遭うた男けふペットボトル捨つ 茫洋

Thursday, September 10, 2009

くたばれスタインウエイ

♪音楽千夜一夜第80回

ピアニストが使っているピアノは、私のような音楽の素人でも多少気にならないでもありません。

かつてモーツアルトはA.ヴァルター、後期のベートーヴェンはC.グラーフ、ショパンはプレイエル、リストはエラール、ドビュッシーやシュナーベルはベヒシュタイン、コルトーはプレイエルを使っていましたが、現在はおよそ98%がスタインウエイ銘柄の洋琴ということで、これはパソコンのOSにおけるマイクロソフトの圧倒的な比率に匹敵します。

おもにベーゼンドルファーを弾くアンドラーシュ・シフやヤマハを愛用したリヒテルや、しているマリア・ジョアン・ピリスなどは、超少数派の異端者ということになるのでしょう。

私は個人的には仕事上やむを得ずのOSを使っているのですが、ときどきそれがなんだか嫌になって、たまにはアップルを使ってみたくなる。それはポリーニや故ホロビッツをはじめ世界中のピアニストが使用しているスタインウエイのキンキラキンの音色が耳に鋭く刺さるのがどうにも苦痛になって、バックハウスが好んだ重厚な低音が響くベーゼンドルファーの調べに耳を傾けてみたくなる気持ちに似ているかもしれません。

私はホロビッツの演奏は嫌いではありませんが、スタインウエイの音色がどうにも好きになれません。昔から生理的に合わないのです。
スタインウエイがアメリカの最新鋭の超高速戦闘機のように華麗で刺激的な排気音を都会の高速道路にまき散らせているとすれば、ベーゼンドルファーはウイーンの奥の細道で昔の古拙な流行歌をひとり静かに呟いている。そしてヤマハは、浜松名産の淡白な養殖うなぎがただ一匹でイノブタ音頭を踊っている。
たぶんひどく間違っているとは思いますが、なんだかそんな違いがあるような気がするのです。

バックハウスが、演奏の前にオクターブを試し弾きをするベーゼンドルファーの低音の深沈とした響きの美しさの前では、軽佻浮薄なスタインウエイや無個性な優等生タイプのヤマハなぞとうてい敵ではありませぬ。

現在ハンブルグとニューヨークで生産されているスタインウエイは、機能的にはとても良くできた最高の完成度を誇る楽器で、だからベーゼンドルファーも、そのベーゼンドルファーを買収したヤマハもとうていかなわないのだそうですが、なんとかこの弱者同盟を強化して、世界に冠たるスタインウエイ陣営にひとあわ吹かせてほしいものです。



   ♪くたばれスタインウエイと呟きながらヤマハを弾く夕べ 茫洋

Wednesday, September 09, 2009

初秋の鎌倉ガイド 後篇

鎌倉ちょっと不思議な物語第206回

ちなみに鎌倉にはいろんな飲食のお店があちこちにありますが、きわめて少数の例外をのぞいてみなろくなものはありません。駅の向かいの料亭Tなどは最悪です。テレビで紹介された有名店の大半は、良識ある鎌倉市民が昔から見向きもしなかったC級店です。そんな店に延々と並んで貴重な散策の時間を無駄にしてはなりません。

また昭和の終わりごろに訳のワカラん非地元的土産物屋が突然立ち並びはじめた「小町通り」なる商店街などを断じて通ってはいけません。それから鎌倉のお土産は豊島屋の鳩サブレーと昔から決まっています。ほかにもまぎらわしいサブレーがあるから要注意です。

⑦閑話休題。さてツアー再開です。江の電で再び鎌倉駅に戻ったら、横須賀線で一駅の北鎌倉まで直行します。乗る時は後方の車両が便利です。降りたらすぐに東京方面を眺めてください。ここが小津の「晩春」だか「麦秋」だかで笠智衆と原節子の父娘が並んで立っていた懐かしのプラットホームのロケ現場です。節子さんはつい2,3年前まで浄妙寺のすぐそばで暮しておられ、司葉子さんなぞと麻雀を楽しんでおられたようですが、現在は某所に居を移されたようです。

左側の改札口から降りると(右に降りるとあとで訪れる円覚寺)目の前が道路なので、これを左折して鎌倉に戻る方向にどんどん歩きます。踏切を渡って5分くらい行くと左に見えてきたのが建長寺。700年前のちょうどここいらで一遍上人は北条時頼に「待った」をかけられてとうとう鎌倉に入れなかったのです。仕方なく一遍上人はのちに隠れキリシタンのお寺として知られるようになった光照寺に泊まったと伝えられております。もちろん時宗のお寺です。

⑧その時頼ゆかりの建長寺をみてから、もと来た道を戻ると、左側に昔尼寺だった東慶寺があるので、ここで小林秀雄や高見順、西田幾多郎、野上豊一郎、田村俊子、和辻哲郎などのお墓参りをしてから、

⑨横須賀線の線路の踏切を左折して、どんどん進んだところにあるアジサイで知られる明月院を拝観し、ついでに近所の故渋澤龍彦邸を眺め、最後に駅前の円覚寺に詣で、漱石ゆかりの帰源院や舎利殿をちょいとのぞいてみましょう。

⑩鎌倉はほかにもさまざまな見どころがありますが、ちょっと詰め込み過ぎとはいえこの一日コースはどなたにもお勧めできるのではないでしょうか。またお出かけの節は、鎌倉市観光協会のホームページをのぞいておくと勉強になります。このコースでは帰路は北鎌倉駅になりますが、鎌倉から帰るようにコースを変更してももちろん構いません。

蛇足ながら鎌倉は道路が大混雑するので車では絶対に来ないこと。電車も帰りが混雑するので、鎌倉駅から東京方面に帰るときは、東京寄りの最前列の車両に乗るか、余裕のあるときは一駅先の逗子まで行って、そこで改めて上りに乗り換えると必ず座れます。
横須賀線は逗子で末尾に4両連結しますし、湘南新宿ラインはぜんぶ逗子が始発だからです。


♪食べ歩いても食べ歩いても失望す名物に旨いものなし 茫洋

Tuesday, September 08, 2009

初秋の鎌倉ガイド 前篇

鎌倉ちょっと不思議な物語第205回

猛暑の白露の翌日はさすがに温度が少し下がって午後遅くには一雨ぱらついた鎌倉です。
今日は完ぺきな無気力状態に陥ったので、この秋、鎌倉を散策してみようとお考えの方ににわか仕込みの一日観光コースを考えてみました。

①まず鎌倉駅東口で降りて改札口を出たらすぐ右隣にある観光案内所にある「9月号の地図」をもらいましょう。(無料)。そして「かまくら四季のみどころ」で紹介してある「初秋散歩道」をたどりましょう。(なおこの「かまくら四季のみどころ」の裏面がとても簡単かつ分かりやすい地図なので重宝します。他のあらゆる地図はこれがあれば無用です。

それから鎌倉ガイドブックの最高峰は鎌倉市教育研究所が編集し教育委員会が発行している「かまくら子ども風土記全4冊」で、現在にいたるまでこれ以上のものはありません。最近英文版も発売されたようです。

②次に駅左側の地下道をくぐって裏駅(西口)に向かい、栄西が開いた寿福寺からはじめて現存する鎌倉唯一の尼寺英勝寺、緑豊かな谷戸の突き当たりにある海蔵寺、足利尊氏ゆかりの浄光妙寺を訪ねてから、鶴岡八幡宮に詣でます。寿福寺では中原中也の旧居、浄光妙寺では里見弴の旧居と柳美里の新居を見物しましょう。

八幡様の入口の鳥居をくぐってすぐ左手の平家池からのぞむ県立近代美術館が坂倉準三の設計です。右手のもっと大きい池が源氏池でまだ白い蓮の花が咲いているかもしれません。この源氏池の近くにあった茶店で中原中也がビールを飲みながら「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と喚いたところです。(小生の俳号はここからとりました)
続いて鳥居を直進して実朝が暗殺された大銀杏を左に見ながら八幡様にお参りしてください。

③鳥居さんのところまで戻ったらまん前の道を左に折れて(右に曲がると北鎌倉)50m直進し、ぶつかったところにあるのが萩の寺で有名な宝戒寺です。足利尊氏が自分が滅ぼした北条氏一族の霊を慰めるために後醍醐天皇の命で作った寺です。私の好きな鎌倉時代の武将泰盛が平頼綱に暗殺されたのもこの付近でした。

④「初秋散歩道」のコースはここでおしまいですが、ついでに宝戒寺を出た前の道を左折してどんどん南下します。(宝戒寺の前方一帯が鎌倉幕府の所在地でこのあたりに諸将が住んでいました)。この小さな細い道が鎌倉時代のメーンストリートで途中左に日蓮辻説法跡の碑が立っているように左右には日蓮宗のお寺があります。10m進んだ右側の奥が吉田秀和の家の裏側、200mで右手に本覚寺というやはり日蓮宗の大きなお寺がありますが、ここを右に見ながら二股道を左折して鬱蒼とした森に囲まれた妙本寺の階段を上ります。ここは比企寺とも言って北条氏に滅ぼされた比企一族の鎮魂の寺ですが、祖師堂前のカイドウ(今のは新しい奴)が有名です。やはり先ほどの小林秀雄の「中原中也の思い出」に出てくる晩春の暮方の落下狼藉の情景でおなじみ。観光客がほとんどこないかわりに、可愛らしい野良猫が出迎えてくれるお薦めスポットです。

⑤元来た道を引き返して本覚寺の裏門に入って本堂左脇にある正宗のお墓に詣で、本覚寺の右奥の小道を直進すると再び駅前の大通りに出ます。駅まで2分ですがその道はいきずりの誰かに尋ねてください。

⑥駅の右側にある東急ストアの1階で売っているおむすびかサンジェルマンのサンドウイッチとお茶か水を買ってから最初の鎌倉駅東口に戻って西口に改札口がある江ノ島電鉄に乗車して長谷駅で降り、長谷寺と大仏を見物しましょう。駅のプラットホームで大船軒の名物「鯵の押し寿司」を買ってどこかで食べるのもいいでしょう。


♪こんなもんぐたぐた書いてなんになるだんだん身苦死がいやになる 茫洋

Monday, September 07, 2009

白露日記

バガテルop113

今日から学校の授業が始まったのですが、完璧に夏休みボケしていて教室のフロアをひとつ間違えてしまいました。クラスの担当の先生と助手の方が教室の入り口で私が来るのを待っていて下さったのですが、私がなかなか姿を現さないのでずいぶん心配されたようです。ごめんなさい。

この1カ月、長い間人間とは口を利かずに海の魚や庭の長崎アゲハや峠道の道案内(ハンミョウ)や油蝉や藻屑ガニなぞとばかり対話していたものですから、急に人前で1時間以上も上手にしゃべることなどできはしません。
案の定当初の予定から大きく脱線して広告戦線1985年の乱などという本論とはまるで無関係のうわごとを速射砲のように連発したものですから、わが愛する選手たちは大いに戸惑ったに違いありません。

実は夏休み前にクラスの2人の学生が退学してしまったというので、もしかして私の講義がつまらないから辞めてしまったのですかと尋ねたら、そんなことは絶対にありません。と否定されたのでひとまず胸をなでおろした次第ですが、顧客満足を果たせない教師と政党は早晩退場せざるを得ません。

普通学校の授業では1コマ分のコンテンツに対しておよそ7倍の情報量を用意し、臨機応変に対応すべしとされていて、私もそのようなデータだけは頭の中に内包して教壇に登っているのですが、問題はいざ口を開くやそのコンテキストとはまったく裏腹な方向へ走りだしてしまうことです。

学校の授業は中原中也絶叫コンサートではないので、できるだけ理性的に全体をコントロールしなければいけませんが、かといって作ってきたメモをただ読み上げたり板書するだけでは全国の学友諸君に飽きられて即ねんねぐーされてしまう。

熱い心を秘めた冷たい言葉、というのが理想的なのでしょうが、何百回繰り返してもうまくいったと思うことはほとんどありません。
気力、体力、情報力、瞬間統合力、憑依力の5つの条件が備わっていないとこの長丁場を成功裏に乗り切ることはできないのです。そういう意味では、授業はミュジシャンの1発ライブ、あるいはクナパーツブッシュの練習なしの本番演奏と酷似しているということができるでしょう。

そのこころは、鬼が出るか蛇が出るか。うまくいったらお慰み。


♪鬼が出るか蛇が出るか屁も出ざりき今朝の授業 茫洋

Sunday, September 06, 2009

「2台、3台のピアノのための協奏曲」を視聴して

♪音楽千夜一夜第79回

ワーナーから超廉価で発売されたバレンボイムによるベルリンフィルの弾き振りでモーツアルトの洋琴協奏曲を拝聴しました。不思議なもので今を去る数十年も昔にロンドンでジャクリーヌ・デュ・プレとよろしくやっていた頃の、同じ曲のイギリス室内管弦楽団との演奏に、オケは数等劣るというのに及ばないというのは、いったいどういう訳なのでしょうか。

普通は歳月は芸術家の技量を磨き、その表現をもっと高みに引き上げるといわれているのですが、ときおり例外もあって、それはあながちバレンボイムがその後の芸術的精進を怠ったという意味ではなくて、モーツアルトのような音楽の演奏には往々にしておこるような気がします。二度と取り戻せない若き日のみずみずしい感性の仕業でもあるのでしょう。

実際この夏バレンボイムが、ロンドンの「プロムス09」で行ったべートーヴェンの「フィデリオ」の演奏は、常に凡庸な小澤のそれを百層倍も千層倍も上回るじつに見事なもので、東西寄せ集めの非力なウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団をドライブして感動的なクライマックスを築きあげたのでした。

閑話休題。そのバレンボイムのCDセットのおまけについていたのが、表題の2曲のDVDで、これが非常に愉しい演奏でした。1989年6月18日にロイヤル・アルバートホールで行われた公演のライブですが、いずれもゲオルグ・ショルテイが指揮するイギリス室内管弦楽団のピアノの演奏で、2台ではバレンボイムとショルティ、3台ではこれに若き日のアンドラーフ・シフが加わって喜悦と即興とユーモアがあふれたパフォーマンスを展開しています。

もともとピアノが得意なショルティですから、弾き振りなどおちゃのこさいさい、その実に適正なテンポの設定と情熱的な指揮ぶりに乗って、2人の若者が丁々発止と鮮やかな連弾を繰り広げます。いやあモーツアルトってほんとうに愉しいですね、と言いたげに3台のスタインウエィを3人3様に叩きます。

もっとも激しくぶったたいていたのはシフで、奔馬のようにヒンヒン歌いまくる彼を押しとどめようと、バレンボイムが懸命に抑えようとしますがシフは我関せず。
ショルテイに至っては、他の2人の確認も待たずにいきなりk242を開始してしまうのでバレンボイムが呆然としている、その驚きの阿呆面がもろに映っているところも楽しい限りです。

それもそのはずちょうどその頃、ショルテイは30歳ほど離れた若妻(元BBCの美人アナウンサー)と再婚したばかりでまさに幸福の絶頂にあったのでした。
茫茫夢の如し。帰らぬ青春を振りかえらせてくれる懐かしいモーツアルトです。


♪植物はあらゆる方向に触手を伸ばす 茫洋

♪植物の手と手互いに争わず光に向かいて平等に伸ぶ

Saturday, September 05, 2009

吉村昭著「長英逃亡」を読んで

照る日曇る日第289回

高野長英は仙台水沢に生まれた江戸時代を代表する洋学者です。

彼は武士の身分を捨てて長崎のシーボルトの鳴滝塾で医学と蘭学を学びました。当時英国のモリソン号が来航したのですが、「異国船打ち払いなどの強硬手段を避けて我が国の鎖国政策をよく説明し、おだやかに退去させるべし」という主張を盛り込んだ「夢物語」を書きました。

それからしばらくして、幕府は皮肉にも彼とまったく同じ政策を採用することになるのですが、長英は洋学者を毛嫌いした目付鳥居輝蔵の憎悪の対象となって、渡辺崋山などとともに「番社の獄」の災厄に見舞われます。天保10年1839年12月28日、長英は家財、家屋すべてを取り上げられ鬼神も恐れる小伝馬町の牢屋に投じられてしまいました。

本書はその悲劇の主人公が、どのようにして牢名主!となり、どのようにして脱獄し!たのか。彼がいったいどのような伝手をたどって、江戸から水沢、福島、米沢、上越、名古屋、広島、宇和島、佐倉、そして江戸への帰還と長期にわたる大逃亡生活(彼が蝦夷地を経てロシアに逃げたという説も有力だった)を敢行したのか。
その間絶望の奥底に突き落とされつつも、どのようにして孤独と風雪に耐えたのか。蘭学や医学の弟子や同僚や師匠、同好の士や名もなき庶民の友愛の絆にどのように救われたのか。窮乏と孤絶の逃亡生活の合間を縫って、どのようにしてお得意のオランダ語の翻訳を通じて宇和島藩主伊達宗城や島津斉彬の防衛外交政策、ひいては幕末の政治展開に大きく貢献できたのか、等々を克明に伝えてくれます。

手に汗握るスリルとサスペンス、実録ならでは破天荒の面白さ、加えて森鴎外の晩年の史伝の世界に通ずる生の厳粛さがここには淡々と刻印されています。

ああ、それにしてもわれらが主人公が、もしもあと2か月、善良な男に頼んで牢に放火させ、一時的な「切放」(解放)を利して脱獄せずにじっと辛抱していたら、彼の運命はどうなっていたでしょう。

天敵鳥居輝蔵は失脚して丸亀に追放になり、彼の上司の水野忠邦も左遷されて主人公と思想をおなじくする老中阿部正弘や伊達宗城、島津斉彬、江川太郎左衛門の時代に急転したわけですから、牢破りの汚名を着せられることなく、「日本一の語学の天才」として洋学派を主導するのみならず、開明派の幕閣の間に名声を確立し、決定的な影響を及ぼしていたに違いありません。

それを思えば、南町奉行遠山金之助の手下どもにとうとう青山百人町の隠れ家を突きとめられ、岡っ引きの十手で目も歯も顔も体も滅多刺しに刺されて虐殺された長英の最期ほど悲惨なものはないでしょう。

そんな一代のインテリ蘭学者の流浪の生涯を、著者は史実に限りなく忠実に、冷静無比に粛々と叙述し、そのことを通じて史実の内奥にひそむ真実を語らせることに成功したようです。

著者の「あとがき」によれば、主人公のすべての足跡をたずね歩き、史料に「松がある」と書かれていれば、それが赤松であるか黒松であるか確認し、「土ぼこりが舞いあがっていた」と書かれていれば、その土が赤いか黒いか、または砂地であるかを確かめながら執筆しつづけ、しまいには逃亡者長英になり切って悪夢にうなされ警察官の人影におびえたと記していますが、ここまで書いてもらえれば高野長英も以て瞑すべし。まさにこれぞ著者畢生の名著、入魂の傑作といえましょう。

私はこの著作を岩波書店版の吉村昭歴史小説集成第3巻で読みましたが、551ページ下段18行冒頭に誤植があるので訂正していただきたいと思います。寡永2年は1823年ではなく1849年です。

あと2年辛抱すればわが世の春神ならぬ人の悲しさ哀れさ 茫洋

Friday, September 04, 2009

獣道を狂気のごとく走る自転車は凶器なり

バガテルop112&鎌倉ちょっと不思議な物語第204回

不肖あまでうす過去半年間足かけ1年半にわたって市内のハイキングコースの車両通行禁止を市当局に訴え続けてきたわけですが、最寄りの朝夷奈切通については下記のような「自転車・バイクの通行は止めてください」というお願い看板が掲示されることになりました。

「お願い」と「禁止」では大違いですし、他の切通には手つかずという問題はあるのですが、なにせ相手は煮ても焼いても食えないお役人。まずは一定の成果ありと自己満足することと致しましょう。


『あまでうす様からお寄せいただきましたご質問につきまして、次のとおりお答えいたします。 日頃から、市政にご理解とご協力を賜り、ありがとうございます。 回答が遅くなりましたことをお詫びいたします。 ご質問に対するお答えは、前回と変わりありませんが、平成21年5月28日に回答しました立て看板(自転車・バイクの通行は止めてください)については、9月中に鎌倉市側に設置いたします。** 今後とも、市民に信頼される市政を進めてまいりますので、ご理解ご協力のほどよろしくお願い申しあげます。                平成21年9月2日 鎌倉市長 石渡徳一』


累々と蝉横たわる峠かな  茫洋

Thursday, September 03, 2009

吉村昭著「彦九郎山河」を読んで

照る日曇る日第288回

昔祖父に連れて行かれた、たしか京都の三条大橋の袂に、いかつい顔立ちの侍が、ものものしく平伏している巨大な銅像を見て驚いたのが、私がこの高山彦九郎という名前を聞いたはじまりでした。
それからずいぶん歳月が経ってしまいましたが、御所の賢所にいます至高の君を拝し奉っていたこの人の行跡をつぶさに知ることができたのは、著者のこの本のおかげです。

一言で尽くせば、高山彦九郎という一徹者は、ご一新の74年も前に王政復古を夢見つつ斃れた忠君愛国の儒者なのです。明治維新を地下で突き動かしたのは、ほかならぬ尊王攘夷という僭熱でしたが、彦九郎とその仲間たちは、幕府の松平定信が断行する武断政治に異を唱え、幕府や朝廷の文治派勢力と手を握りながら、およそ1世紀も早すぎた大政奉還運動に挺身したのです。

18世紀も終わろうとする寛政の御代は、列島の外ではロシアやイギリスなどの諸外国勢力が覇を唱えて四囲の海域に押し寄せようとしていましたが、内では京の朝廷と幕府の間に「尊号問題」などの軋轢が高まり、いわば明治維新のさきがけのさきがけを準備したような緊張感が二都の間にみなぎっていたようです。

そのおおらかな人柄と学識で誰からも愛された上州新田郡細谷生まれの熱血漢・高山彦九郎は、「蘭学事始」を著した前野良澤や渡辺崋山などの影響を受け、南下するロシアの実情を観察しようと蝦夷地を目指して果たせず、今度は、天皇の父を上皇に任命してもらい朝廷の政治的経済的地位を一気に向上させようと考え、儒者仲間や同好の士や公家や大納言たちとかたらい、当時から反幕勢力の中核であった薩摩藩との提携を画策したのですが、事志とたがい失敗してしまいます。

彦九郎のくわだてを見破った幕府は、そのおそるべき取締組織を総動員して、江戸から都、都から九州久留米の果てまでこの孤高の思想家を追い詰め、生き場と行き場を失った彦九郎はついに自害のやむなきに至ります。
腹に脇差を突き立て、京の方角である丑寅に向かって額を畳に押しつけた彦九郎は、「なぜの自刃かと問われるとわずかに唇を動かして「狂気」と答えて翌日息絶えました。

その辞世は「朽ち果てて身は土となり墓なくも心は国を守らんものを」というものですが、この国の、この時代にあって、己の思想を貫こうとした人の、その生のあまりの過酷さと壮烈さにしばし打たれない読者は誰一人いないことでしょう。


♪八幡宮長谷寺英勝寺光明寺鎌倉の寺社みな白き蓮 茫洋

Wednesday, September 02, 2009

マーク・フォスター監督の「ネバーランド」を見る

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol.7

衛星放送で「ネバーランド」という映画をぼんやり眺めました。これはピーターパンという有名なキャラクターと彼の仲間たちが住む「ネバーランド」という空想世界を創案したスコットランドの劇作家ジェームス・マシュー・バリーの生涯を脚色した物語で、ピーターパンのモデルとなった寡婦と4人の少年たちが登場します。

すべての少年少女が夢見る存在であり、気まぐれな空想や海洋冒険譚に夢中になったり、動物や自然と自分を簡単に一体化してしまう連中である、という通念は、いわば世界共通の幻想ですが、実際にはそのステレオタイプに乗っかったドラマが続々生産されてきました。

こうしたドラマの本質は、無邪気な少年少女自身の空想の産物というよりは精神に傷を負った大人の奇怪な妄想であることは、ルイス・キャロルのアリスと同じように、このバリー原作のピーターパンでも歴然としています。もしかするとピーターパンは、子供の振りをした大人による子供像の典型なのではないでしょうか。

もちろんピーターパンたちが空を飛んだりするところは見る者をワクワクさせてくれますが、その半面彼らが住んでいるネバーランドというのはそうとう不気味な世界ではないか、ということは、この映画のラストで死に瀕した寡婦がよろよろと辿る冥途の旅路の不吉なビジュアルが示しているような気がします。

監督は凡庸なマーク・フォスター、主演はジョニー・デップとケイト・ウインスレットという人気者ですが、いずれも「種なし葡萄」のように演技も存在感も不確かな役者です。
けれど、もしかするとそのクローズアップに堪えない不透明で実体のないあやふやな顔かたちと怪人20面相的なキャラクターこそが、今日の世界とハリウッドの現在を象徴しているのかもしれません。


♪鳥海山より岩木山を直視したるわが眼を鏡で見ている 茫洋