Sunday, November 29, 2009

西暦2009年霜月茫洋歌日誌

♪ある晴れた日に 第68回




風に縋れ食草求む黄蝶かな

上野介の首が落ちたるさざれ石

晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲

霧の奥から現れ出たるは永遠

弦と弦つま弾くギターのおぞましき

テレビ見つつ頷く妻の好ましや

電話しつつお辞儀する妻の好ましや

仁義なき花盗人を憎みけり

ジンジャーの白い花を見ている私かな

アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた

男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ

あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓
 
あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜

われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき

せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし

エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢

君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを

小松菜をおろぬこうかと尋ねたる愛しき人よおろぬき給え

小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え

弦と弦乾いた爪が震わせるギターほどおぞましき音はなし

オオフロイデとドイツ語で歌わない限りわれは第9演奏会をボイコットすべし

束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一

ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ

満月の星空に響くあのアリア夜の女王はそも何者
 
ぽんぽこというマイミクさん今頃どうしているのやら

南風吹かば思いは常に立ち返るわれらの故里常夏の国

いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜

ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人

くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ
 
ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ

世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人


♪汝エコノミーよどこまでも沈み行けわが憂鬱よりも奥深く

軍服の国産について

バガテルop115&ふぁっちょん幻論第53回

昨日だか一昨日だかの新聞の短信で、鳩山内閣の北沢防衛大臣が、「軍服を外国から調達しているような国はない」と文句を言っていたようです。

うろ覚えで申し訳ないのですが、例の仕分け人たちが、防衛予算のうち軍服の国産経費が高すぎるので、海外調達にせよと仕分けしたことへの感情的な反発のようでした。

恐らく彼は国防の最前線に立つ自衛隊員の衣服を外国製にすれば、皮膚の外部から夷狄・毛唐の不純な血が混じり、純乎たる愛国の精神が汚染されるとでも思ったのではないでしょうか。

考えてみれば、自国防衛の大半を外国の核兵器と軍備に依存しているこの国で、軍服だけを国産にしてみたところでいったい何が変わるというのでしょう。防衛予算が足らなければ、横須賀や舞鶴に係留してある不要不急のイージス艦を、楽天かヤフーのオークションにかければ、まるで打出の小槌のように現金化できるはず。あどけない寝言をいうのはやめてほしいものです。

ところでいまや軍服はもとより、世界のお洋服は、自動車と同様どこの国に行っても「純国産」などは天然記念物&世界遺産の範疇に属し、ギャップもH&Mもユニクロもアフガニスタンのカルザイ大統領が大好きな名だたるラグジュアリーブランドも、その縫製はほとんど中欧やアジアの発展途上国に外注しています。そうでないと産業として生き延びる道がないからです。

数年前にイトーヨーカ堂が北朝鮮で縫製した超安価なスーツを、わが国の最底辺でのたうつ超ビンボー・リーマンは、いまだに愛着していることを、私だけは知っています。
縫製はベトナムやバングラディシュ、カンボジアにまかせ、デザインだけは実力のあるデザイナーに外注すれば、いまの予算の半分以下でユニクロの「+j」に負けない、安くてかっこいい軍服ができるでしょう。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。

そもそも軍服は、ファッションの原点でした。バーバリーやアクアスキュータムのコートも、第1次大戦の英国陸軍の塹壕戦から誕生したのです。北沢防衛大臣さえ決心すれば、経営破綻に陥って苦悩しているわが国のトップデザイナー山本耀司氏などを起用して、
世界に冠たる「メード・イン・ワールドの軍服」が誕生するかもしれません。戦争と軍隊を憎むイデオロギーは別にして。


♪小松菜をおろぬこうかと我に聞く愛しき人よおろぬき給え 茫洋

Friday, November 27, 2009

花盗人

バガテルop115

青白い花が近所の草むらに咲いていました。

とても珍しい可憐な花です。私が写真を撮っていると、通りがかりのハイカーも数人立ち止まり、

「トリカブトに似ていますね」
「いや、あれは夏の花だからね」
「それでは、いったい何の花でしょう?」
「らんらんランラン蘭の花? あなたのお名前なんていうの?」

なぞと喃喃喋喋、丁丁発止と楽しくおしゃべりしたのが昨日の午後のこと。

 今朝早速もう一度撮影しようと現場を訪れましたら、影も形もありません。

気をつけてよくよく探してみたら、花があったと思しきあたりに、ぽっかり開いた黒土の穴。一昼夜の間に花盗人が鼠小僧のやうにやってきたのでせう。

無残に花を散らし、風と共に去りぬ。油断も隙もあったものではないわいな。

どうにも風流を解さぬ世の中になり果てたものです。


♪仁義なき花盗人を憎みけり 茫洋

ある思い出

遥かな昔、遠い所で 第86回

久しぶりに大学生の次男が帰宅して家族四人で食卓を囲んだ。

生まれた時から障碍のある長男のKが「Kちゃん、いい子? Kちゃん、いい子?」と何回も聞く。この問いかけにうんうんと肯定してやると、彼は深く安心するのである。

はじめのうちは「Kちゃん、いい子だよ」と答えていた私たちだったが、こんなくだらない問答を早く切り上げて食事に取り掛かろうとして、軽い気持ちで「Kちゃん、悪い子だよ」と私が言ってしまった。

えっ!と驚いたKの反応が面白かったので、次男もふざけて「Kちゃん、悪い子だよ」と言った。妻までも笑いながら「Kちゃん、悪い子」と言ってしまった。

長男はしばらく三人の顔を代わる代わる見つめていたが、やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで「Kちゃん、悪い子?」とおずおず尋ねた。

調子に乗った私たちが、声を揃えて「Kちゃん、悪い子!」と答えたその時だった。突然彼の両頬から大粒の涙がまるでロタ島の驟雨のようにテーブルクロスの上におびただしく流れ落ちた。

それは真夏の正午だった。セミの声がみな死んだ。

私たちは息をのんでその涙を見つめていた。そうして無知で傲慢で無神経な大人がこの恐ろしく繊細な魂を傷つけてしまったことを激しく後悔したのであった。


♪霧の奥から現れ出たるは永遠 茫洋

Thursday, November 26, 2009

梟が鳴く森で 第6回

9月18日

何? 岳君? 何? 岳君? 用事が無いのに、ちゃんと、座りなさい。と、吉田先生が仰言いました。
指、差さないの。ね、岳君。御喋り、しない。知らない。バイバイ、と、川島先生が仰言いました。
稔、おしっこ、しちゃ、駄目。おしっこ、したら。分かった、と。山本先生が言いました。

9月19日 晴

勉強を頑張る。吉阪伸介

連絡帳を忘れずに、持ってくる事。福井仁治

一日も早く退院する。福井伸一

字を丁寧に書く事。松野文枝

サッカーを上達、させる事。山田三平

勉強を一生懸命、遣る。高井公平

僕は、体力作りを頑張ります。坂本岳


♪ジンジャーの白い花を見ている私かな 茫洋

Monday, November 23, 2009

梟が鳴く森で 第5回

9月14日

 空き缶投げ捨ては、止めましょう。

9月15日 雨

 渋谷、代官山、中目黒、祐天寺、都立大学、自由ケ丘、田園調布、多摩川園、新丸子、武蔵小杉、元住吉、日吉、綱島、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽、東白楽、反町、横浜、高島町、桜木町、お父さん、桜木町行った? 何で行った? JRで行った?
京浜東北線? 新型? 旧型? 
帰りは? 東横線でしょう? 急行? 各駅停車? 横浜まで東横線の各停? でしょ?
JRと東横線と、どっちが安い?


9月16日

お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、参ります。次は長後に、止まります。危険ですから、白線の内側迄、御下がり下さい。
お待たせ、しました。4番ホームから、急行新宿行きが、発車、致します。

9月17日 雨

マリオ、ルイージ、ピーチ姫、キノピオ、クッパ、御兄ちゃんキノコ、御姉ちゃんキノコ、弟キノコ、王妃、国王。



♪世界中のマグロの8割食らい尽くす我ら強欲日本人 茫洋

Sunday, November 22, 2009

メルビッシュ音楽祭のレハール喜歌劇「ルクセンブルク伯爵」を視聴する

メルビッシュ音楽祭のレハール喜歌劇「ルクセンブルク伯爵」を視聴する

♪音楽千夜一夜第95回

これは06年8月1日にオーストリアのイジートラー湖に面する巨大な野外劇場で行われたメルビッシュ音楽祭の公演です。

指揮は日本でもおなじみのルドルフ・ビーグル爺。あとは私の知らない人ばかりの出演ですが、いずれも歌って踊れる器用な歌手揃いと見受けられます。

歌って踊れて演技ができる役者の存在が、オペラからオペレッタを派生させ、それがのちにミュージカルを誕生させたとも考えられますが、レハールの音楽はウイーンの民衆音楽に恩師ドボルザーク譲りの歌謡的なメロデイを加味したポピュラーミュージックとでもいえばよいのでしょうか。ある種の生真面目さと定式通りのお笑いをとってつけた奇妙なアマルガムが、わたしたちをちょっと面白がらせたり、なんだこの音楽は、と軽蔑させたりすることになるわけです。

有名な「メリーウイドオ」の後で書かれた、このパリを舞台にしたどたばた劇「ルクセンブルク伯爵」は、あいかわらず能天気な筋書きでごきげんなばか騒ぎを繰り広げ、いかにもありがちな恋のさやあての後はお決まりのハッピーエンドで終わります。

会場がばかでかいために歌手はみな口元にマイクをつけて歌っていて、それが本物のクラシックやオペラではない喜歌劇というややマイナーなポジションにかえってふさわしいように思えてきますが、まばらな拍手が途絶えてしばらくすると湖上に花火が打ち上げられ、それが一入この興業のわびしさとはかなさを伝え、ここ2カ月発注のないわたしのやるせなさといつまでも共振するのでした。

♪あなうれしCD1万円注文す2カ月ぶりに発注ありし夜

Saturday, November 21, 2009

山中貞雄監督「河内山宗俊」を見る

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.20

これも夭折した山中の時代劇映画です。

遺作の「人情紙風船」で心中する、いな妻に無理心中されてしまう忍従型の武士をやった河原崎長十郎が茶坊主の主役を、やくざな髪結い役の中村翫右衛門が浪人をあいつとめこのご両人はまたしても、(いな遺作と同様に)命を落とすのです。

しかもその遠因が原節子扮する甘酒屋の娘可愛さのためと来ている。彼女の不肖の弟が遊郭の遊女とできてしまい、その水揚げ代の300両を都合してやろうと身を苦界に堕とそうとするけなげな娘が気の毒だというので、あたら大の男がもろ肌脱いでやくだと大立ち回りを演じて、挙句の果てに2人とも死んでしまうのですからプロットとしてはいかがなものかと思われます。

けれども、純情可憐な原節子がぴたりと壺にはまってじつにういういしい。いい歳こいた海千山千の男が乗りかかかった船、とうとう大事な命まで投げ出してしまうってことは今も昔もあったのではないでしょうか。

 それにつけても30分近くあったとかいうラストの迫真の立ち回りがあまりにも短すぎるのは物足りない。溝のバリケードの裏側から刺殺される河内山宗俊の壮烈な死にざまもこれが延々と続いてこそ生かされるのですからね。

監督・脚本 山中貞雄、脚本三村伸太郎、撮影町井春美、音楽西悟郎、出演 河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、加東大介、霧立のぼる、市川楽三郎(1936年 日活太秦発声制作)

♪あのこ可愛いや死んでもいいよグサリ突き刺す心の臓 茫洋

Friday, November 20, 2009

ウイリアム・ワイラー監督「ローマの休日」を見る

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.19

私のいちばん好きな映画は、やっぱりこれ。「ローマの休日」なのです。

二度と帰らぬ男と女の青春の輝き、ローマのスペイン広場、コロッセオ、サンタンジェロ城、コロンナ宮殿、疾走するヴェスパとフィアット。老獪なウイリアム・ワイラーの巨大な手のひらの上で永遠の恋人たちは恋の輪舞を踊るのです。

しかし何回見ても、涙が出てしまうのはどうしてでしょうか。王国の掟に雁字搦めになったアン王女、(というよりはヘプバーンの)おそらくはたった一度の自由、たった一度の恋、たった一度の(実際は2回するのですが)接吻が、見る人の胸を切なく打つのでしょう。

 とりわけ最後の記者会見のシーンで、訪問した世界の都市でどこがいちばん良かったかと聞かれたアン王女が、どこの都市もそれなりに良かったと答えようとして、「ローマです」と断言するくだりは、はっと胸を突かれます。
そしてアメリカ通信社の記者に扮したグレゴリー・ぺックを万感の思いで見つめた小鹿のような黒い瞳が急速に光彩を閉じて、生涯の恋を断ち切って厳しい王女の顔に戻る瞬間を、ワイラーは鋭くとらえています。

柱が高くそびえた宮殿の間を去っていく男の悲しみは、じつは王女のそれよりもかえって深いのでした。



 ♪ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ 茫洋

Thursday, November 19, 2009

鎌倉文学館特別展を見る

茫洋物見遊山記第6回&鎌倉ちょっと不思議な物語第208回


特別展「鎌倉からの手紙、鎌倉への手紙」を見に行きましたら、いろんな作家のいろんな手書きが並んでいて面白かったのです。

まず漱石は避暑地鎌倉から娘筆子へのやさしい葉書です。漱石の親友正岡子規が迫りくる死を脊髄に予感しつつ在倫敦の漱石に出したいかにも彼らしい文飾を施した巻き紙も展示してありました。

漱石の弟子の芥川龍之介は横須賀の海軍士官学校で英語教師を務めながら鎌倉大町の元八幡神社傍に住んで「蜘蛛の糸」、「地獄変」、未完となった「邪宗門」を書きましたが、本展では漱石夫人から贈られた文机も展示してありました。

わが最愛の詩人中原中也関係では30歳で死ぬ直前に母親に出した手紙が印象的でした。中也は自分の死の原因となった病気である結核性脳膜炎を「痛風」と書いていますが、清川病院の医師はきっと藪医者だったに違いありません。もっとも中也が亡くなったというだけの理由でわたしはずっとこの病院をかかりつけにしている訳ですが。

 母親フクへの最後の手紙で、中也は自分はこれからもういちど日仏学館の通信講座でフランス語を学びなおし、あちこち旅行もしながら5、6年後に文壇再登場を果たしたい。自分は元気いっぱいで運勢占いでもだんだん運が向くという良い卦が出たから、と安心させていますが、それからわずか2ヶ月後には亡くなってしまいました。人の世の無常と悲哀をこれほど感じさせる手紙もないでしょう。

それから太宰治が川端康成に出した「芥川賞を下さい」という有名な直訴状も展示してありましたが、これはあんまりだと驚かずにはいられません。直情を披歴した太宰の嘘偽りのない気持ちであることはだれにもわかるでしょうが、川端のような繊細な神経の持ち主にとっては「この田舎者め!」と逆効果であったに違いありません。太宰の「晩年」がいくら名作であったとしても、また審査員が川端ならずとも、きっと落選させるでしょう。

太宰ってほんとうに不器用な男だったのですね。しかしその不器用さが魅力でもある作家です。


♪くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ 茫洋

Wednesday, November 18, 2009

ジョン・ウー監督「M:I-2」を見ながら

ジョン・ウー監督「M:I-2」を見ながら

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.18


トム・クルーズ主演の「ミッション・インポシブル」の第2弾ですが、ちゃんとそのように表示しろ。原題は「MISSION:IMPOSSIBLE2」なのに「M:1=2」なんて判じ物じゃ。身内だけで通用している訳のわからぬタイトルを勝手なつけるな!

と観る前から怒り狂っていた私ですが、トム・クルーズの崖登りやカーアクションにはびっくり。スタントマンなしでやっていたとすれば立派なものです。

今回のクルーズ選手の使命は、悪人ダグレイ・スコットから最悪の殺人ウイルスとその治療薬を奪還すること。ところがクルーズが相棒のヒロインタンディ・ニュートンに本気で惚れてしまい、そのヒロインが元恋人の悪人の人質になってしまったために恋と仕事がひとつにからんだ鳴り物入りの追跡劇がスリルとサスペンスもどっちゃりと2時間にわたって繰り広げられるわけです。

トム・クルーズが監督に呼び寄せた「バイオレンスの詩人」なぞと称される香港ヤサグレ派のジョン・ウーが、バイオレンスシーンの撮影なぞにそこそこ手腕を発揮していますが、なに往年の巨匠サム・ペキンパーに比べれば児戯に等しい演出に過ぎません。
またせっかくアンソニー・ホプキンスを起用しながらこれが善人役とは。ヒロイン役タンディ・ニュートンの魅力のなさと相俟って、壺を心得たキャスティングとは程遠いもの。ラストのしらけるようなエンディングもとってつけたような代物と言わざるを得ません。


♪男たちの挽歌どころか己の挽歌を歌うのか疲弊したジョン・ウーよ 茫洋

Tuesday, November 17, 2009

ニコラ・ルイゾッティ指揮・東響「ドン・ジョヴァンニ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第94回


 今年の4月5日にサントリーホールで行われたライブ収録されたビデオを鑑賞しました。
前回の「フィガロの結婚」の演奏の時にも感じたことですが、この指揮者にはイタリアの田舎を吹いているそよ風を感じます。モーツアルトを考えすぎると小澤やアーノンクールのような妙にしかつめらしいもったいぶった演奏に陥るのですが、ニコラ・ルイゾッティは、割合自然かつノンシャランに振っているのが幸いしていると思います。
そのタクトに東京交響楽団が素直についていっています。もう少し積極性が欲しいところですが、しょせん日本のプロのオケには無理でしょう。N響なんかでなくてもっけの幸いでした。

オペラは舞台を設けて音楽を鳴らしたりダンスを踊ったりして、どこかに居るに違いない芸能の神様の降臨を待ち望む儀式です。運が良ければアルスの神が天井からするすると舞い降りてきますが、幸いなことにこの公演では、ドン・ジョバンニが一幕で村娘ツエルリーナを誘惑する「お手をどうぞ」の二重唱のところでそれがあった形跡があります。

昔「愛より速く」という名作がありましたが、モーツアルトは娘さんがたった60秒で男に身を投げ出しても構わないという気持ちに実際にさせてしまう凄い肉愛の音楽を書いたのですね。娘が身を横たえた小娘がモンシロチョウの雌のように両の肢をわずかに開くところを、きっと天上のモーツアルトも覗きこんでいたはずです。

この公演の最大の見どころはダビニア・ロドリゲス扮するツェルリーナの演技と歌唱。これまでそれほど印象が強くなかったこの役柄の意味の再考を迫るほどの鮮やかな切れ味を見せました。人気急上昇の実力派マルクス・ウェルバによる立派な外題役ともども大きな賞讃に価します。

ガブリエル・エルゾテイの演出はホールオペラの弱点を逆手に取ってなかなかしたたかに振る舞っていましたが、ドンナ・エルヴィーラに男装させたり、やたら役者にいま流行の帽子をかぶらせたりする衣装担当者の妙なこだわりは気になりました。

気になるといえば、指揮者が兼ねて弾いていたフォルテピアノのレチタティーボは二幕で騎士長が石像となって登場する箇所でピアノ協奏曲k488の第二楽章のアダージョを即興で弾いていましたが、二幕の食事のシーンで奏でられるフィガロならともかく作曲者の指定のないこういう演奏は肝心かなめのオペラの演奏に致命的な影響を与えるということが分かっていないのではないでしょうか。


 それでは最後に、当夜出演した歌手の成績を四段階で採点しておきましょう。

ドン・ジョヴァンニ:マルクス・ウェルバ 優
騎士長:エンツォ・カプアーノ 可
ドンナ・アンナ:セレーナ・ファルノッキア 良
ドン・オッターヴィオ:ブラゴイ・ナコスキ 可
ドンナ・エルヴィーラ:増田 朋子 不可
レポレルロ:マルコ・ヴィンコ 良
マゼット:ディヤン・ヴァチコフ 可
ツェルリーナ:ダビニア・ロドリゲス 優

ドンナ・エルヴィーラ役の増田 朋子は歌唱、演技ともにかなり問題があって完全なミスキャスト。他のスタッフがモーツアルトの音楽に乗っているというのに1人だけ不協和音を奏でていました。
アリアによっては歌いきれていないものがあるというのに、邦人びいきというのかブーの代わりにブラボーを叫ぶ者も多く、レポレルロのカタログの歌の途中で拍手をする手合いも飛び出すなど、この夜の聴衆の耳を疑ったことでした。


♪電話しつつお辞儀する妻の好ましや 茫洋

Monday, November 16, 2009

横須賀ところどころ 第3回

茫洋物見遊山記 第5回


ところでヴェルニー記念館の当時28歳のヴェルニーを起用して横須賀に製鉄と造船所を作ったのは、幕府の陸軍と海軍の奉行並を兼務していた、つまりは軍のトップであった小栗上野介(忠順)でした。

小栗上野介は明治政府の近代化政策の骨格を敷いたと評される開明的な頭脳の持ち主で、将軍徳川慶喜を説いて300億円を拠出させ、駐日フランス公使のレオン・ロシュの協力を得てヴェルニーを招聘し、横須賀造船所を創設したのでした。また製鉄所の建設をきっかけに横浜仏蘭西語伝習所という日本初のフランス語学校を設立。これもロッシュの助力でフランス人講師を招いて本格的な授業を行ないました。

ロシュなどの外国人との交際においては、彼が安政7年1860年に咸臨丸の一行とともに渡米して、かの地で優れた文明と科学技術に接した貴重な経験が存分に生かされていたようです。

しかし薩長との武力対決を唱えた小栗はその主戦論が容れられず、職を罷免されて郷里の高崎・権田村に帰りましたが、明治新政府から恨みを買い、慶応4年1968年4月4日の午前11時に斬首されて果てました。裁判なしの即時処刑ですから維新政府の兵士も無茶苦茶なことをしたものです。

ヴェルニー記念館のあるヴェルニー公園の一角には小栗上野介とヴェルニーの二人の胸像が並んで建てられ、その視線は彼らの青春の思い出である横須賀の港を見つめています。


♪上野介の首が落ちたるさざれ石 茫洋

梟が鳴く森で 第4回

9月11日

岳君、定期、ちゃんと、見せなさいよ。
分かった。見せた? 居た。分かった。分かった。

岳君、御母さんに、言って、貰いなさい。
分かった。分かった。分かった。分かった。分かった。

ちゃんと、待って、居るんだよ。
分かった。分かった。分かった。

岳君、今日、英語、行くんだよ。
分かった。

岳君、今日、暖かいね。
分かった。由紀ちゃんの御友達なの。
分かった。分かった。

9月12日

 TATSUO YASUHIRO MARIKO ASANO RIKA TOSHIHIKO KEISUKE NOBUICHI HITOHARU KOHEI TAKANOBU YOKO FUMIE SANPEI KHO HARUKO NORIKO

9月13日 晴のち曇
発車ベルの話
発車ベルが、鳴ると、ドアが閉まります。ほかの駅は、音楽が鳴ります。JR東日本。


♪テレビ見つつ頷く妻の好ましや 茫洋

Saturday, November 14, 2009

キシュ著「庭、灰」カルヴィーノ著「見えない都市」を読んで

照る日曇る日第310回

これは池澤夏樹編集による河出書房新社の世界文学全集の1冊です。

ユーゴスラビアのキシュが書いたのは現実と幻想がごった煮になった父親の思い出とそれに付随するビルダングスロマン。ユダヤ人の父親はアウシュビッツで帰らぬ人となりましたが、誰にせよ父にまつわるさまざまな記憶と物語はあるわけで、それらと比べてこの小説が格別劣るわけでもすぐれているわけでもありません。

イタリアのカルヴィーノが書いたのは、これとは正反対の幻想小説です。マルコ・ポーロの「東方見聞録」を下敷きにした偉大なる旅行者と偉大なる征服者フビライ・ハーンとの世界の都市をめぐる対話です。
それらすべて女性の名前がつけられた都市はベネツイアをのぞいて実在しない空想の都市であり、したがってそれらの都市をめぐってさまざまな視点から繰り返される対話自体も空想的な性質のものです。

第7部に至って、フビライはポーロが一歩も静謐な庭を動いて形跡がないにもかかわらず、いつそれらの数多くの都市を訪問する暇があったのかと疑い、「朕もまたここにおるということが確かなこととは思えないのだ」と自問します。

万里の長城やヴェネツィアははたして本当に実在していたのか? マルコ・ポーロもフビライもはたして実在したのか? 歴史的事実も人物もその存在の根底が激しく疑われたままこのいかにももっともらしい小説は終わりを告げるのです。


♪われ描くゆえに都市ありカルヴィーノ語りき 茫洋

Friday, November 13, 2009

山中貞雄監督「人情紙風船」を見る

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.17

わずか28歳で若い命を中国戦線に散らした山中の最後の作品です。タイトルどおりの江戸時代の長屋もので、ちょっとくだけた落語調で住人の首つり自殺騒ぎを語り始める導入部はなにやら職人肌の超ベテランの仕事のようです。

しかしその軽妙さが、第2、第3の殺人事件で終わりを告げるラストは衝撃的でもあり、いささか唐突でもありますが、この開始と終結のあざやかな構成はやはりただものの仕業ではなく、早熟の天才の片鱗を垣間見せたものでしょう。

棟割り長屋の住人たちはけっして熊さんや八っさんではなく、威勢の良いやくざな髪結の町人や不甲斐ない侍とその生活をしがない紙風船作りで支える妻であり、その住人たちをとりかこむ武家や富裕な商人たちややくざが三味一体となった権力構造もさりげなく描かれており、やがて突然の悲劇がまるで山中の最期を予言するように起こるのです。

黒澤と同世代のこの監督がもし生きていたら、どのような傑作をわれわれに見せてくれたでしょうか。長十郎、翫右衛門、加東大介が好演。  
                                                脚本三村伸太郎、撮影三村明、音楽太田忠、出演前進座一同=河原崎長十郎、中村翫右衛門、山岸しづ江、霧立のぼる、市川楽三郎(1937年 前進座/P・C・L制作)
♪せめてあと20年あらばさぞや傑作が生まれたろう人情紙風船のごとし 茫洋                        

Thursday, November 12, 2009

吉村昭著「吉村昭歴史小説集成5」を読んで

照る日曇る日第309回

この巻に収められたのは「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」の2つの作品で、いずれも江戸時代に海難事故で遭難した水夫の波乱万丈の生涯の物語です。

天明2年1782年、伊勢国白子浦を15名の仲間とともに江戸に向かった沖船頭大黒屋光太夫は遠州灘で時化にあいます。刎ね荷を行い帆柱を切り倒して坊主船となった神昌丸はアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着し、そこでロシア人ニビジモフに救われた光太夫は極寒さと病気で13名の仲間を失いながらカムチャッカオホーツク、ヤクーツクを経てイルクーツクに到着。ロシア当局者の好意と援助に支えられながらペテルブルグに赴きエカテリナ女帝に拝謁し、女帝の命でラクスマンとともに12年ぶりに故国の土を踏みます。
 
いっぽう「アメリカ彦蔵」の主人公彦太郎は、播磨国加古郡播磨町の水夫でしたが、嘉永年1850年に浦賀沖から大坂に向かう永力丸に13歳の若さで乗って熊野沖で遭難、太平洋を漂流するうちに米船に救助されてサンフランシスコに到着。やはりこの国でも多くの人々の温かい援助を受けて、リンカーンなど3人の大統領と面会するなど、この国の言語習慣文化になじみ、ついに米国籍を得て安政6年に帰国しました。

いずれも身分の低い一介の漁夫にすぎない者が、偶然とはいえロシア、アメリカという先進国の文明の余沢を受けて世界の最新情報に通じ、語学を生かして生計の道を得たのみならず当時のエリート階級に接近してあざやかに一種のコスモポリタンとして成り上がるさまを、著者は例によって膨大な文献を駆使し、光太夫や彦蔵その人になりきって彼らの足跡を舐めるような圧倒的なリアリズムで描破しています。

ギリシア正教の洗礼を受けなかったために帰国できた光太夫と、カトリック受洗者でありアメリカ国籍取得者であったにもかかわらず入国を許されたジョセフ・ヒコ。
まるで一身にして二生を経るような異邦体験を経た日本人でありながら、故里では浦島太郎のような味気ない思いを懐いた二人。

かつて世界の輝かしい頂点を見た二人の晩年には、コスモポリタン特有の三界に身の置き所がない根なし草のどこか虚ろなものがあったようです。



♪エカテリナの抱擁リンカンの分厚い掌漁夫の見し夢のまた夢 茫洋

Wednesday, November 11, 2009

横須賀ところどころ 第2回

茫洋物見遊山記 第4回

ヴェルニー記念館の見どころは、巨大なスチームハンマーです。

慶応元年1865年に製造されその翌年にオランダから輸入されたこの横須賀製鉄所備え付けの工作機械は、蒸気(スチーム)を動力としてハンマー(鎚)を持ち上げてこれを落下させ、加熱した金属素材に打撃力を加えて鍛造作業を行うもので、19世紀半ばにイギリスのナスミスという人が考案したそうです。

スチームハンマーが稼働するためには巨大なハンマーを受け止めるための地下部分の強化が重要で、落下する重量の20倍から30倍もある重量物を埋める必要があったといわれていますが、その現物がこの記念館には据え付けてあり、日曜祭日には実際に稼働するところを見物できるそうです。 

 また明治22年1889年に開業した横須賀駅のホームには古いイギリスとアメリカ製のレールが再利用され、アメリカ製の鉄鋼を使って1910年代に建てられた工場はいまなお横須賀で現役で働いています。

このように横須賀製鉄所は、当初フランスとオランダの技術が取り入れられ、続いて明治以降ドイツやイギリス、アメリカの工業技術も移入された先進技術工場だったのです。

以上昨日の記事とともに、ヴェルニー記念館のパンフレットより勝手に引用させていただきました。

♪君知るや幕末の巨大機械平成の御代になおも駆動するを 茫洋

Tuesday, November 10, 2009

横須賀ところどころ 第1回

横須賀駅のすぐそばにあるのがヴェルニー記念館というちょっと変わった建物です。
ヴェルニーは幕末にフランスから招かれたお雇い外国人の一人ですが、この地に横須賀製鉄所(造船所)を建設しわが国の近代化に大きく貢献した彼の功績をながく後世に伝えるために建てられたそうです。

ヴェルニーは1837年にフランスアルディシュ県オブナに生まれリヨンの国立高等中学を経てパリのエコール・ポリテクニクに入学、1858年海軍造船大学校に進み、25歳で2等造船技師資格を取ってブレストの海軍工廠に勤務、海軍の技術者として中国の寧波で造船に従事していましたが、慶応元年1865年に来日し、横須賀製鉄所をつくってその活動を軌道に乗せ、12年間の滞在を終えて明治9年1876年3月に帰国し、故郷オブナで71歳で逝去しました。

横須賀製鉄所はゆいいつの政府直轄の造船所として軍艦清輝や運送船箱館丸などの汽船を製造したほか、国内外の艦船263艘を修理し、明治政府の富国強兵・殖産興業のモデルとして活躍し、付属教育機関からは数多くの艦船建造技術者やフランス語教育者を輩出しました。

 ウオルターズ兄弟とともに銀座の煉瓦街の建設に加わった朝倉清一や旧丸ビルを建てた桜井小太郎もこの学校の卒業生です。

 
   ♪ダイエーの500m先に潜水艦浮かぶ横須賀に驚かぬ人 茫洋

Monday, November 09, 2009

梟が鳴く森で 第3回

9月8日 曇のち雨

山手線の話。
前の山手線は、旧型です。旧型は、黄緑の電車です。旧型と、新型が、両方、走って、居ました。新型丈、走って居ます。

9月9日

 山手線の話。つづき。
 前の山手線は、旧型で、電車は、黄緑です。旧型と、新型は、両方走って、居ます。
 そして、旧型の山手線は、南部線と、常磐線と、仙台と、秋田の所へ行って、仕舞いました。山手線の線路は、新型丈、走って、居ます。

9月10日

 前の横浜線は?
 黄緑丈、黄緑と、緑。根岸線に、似て、居る。其れで、配送、した。
今は、ステンレスカー。
良く、頭、入れなさい。
はい。

♪弦と弦つま弾くギターのおぞましき 茫洋

Sunday, November 08, 2009

ベローナ野外劇場ポンキエリの「ジョコンダ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第93回

これは05年6月17日にイタリアベローナの野外劇場で行われた公演のライブです。老練ドナート・レンゼッチィ率いるベローナの管弦楽団が「時の踊り」で有名なこのオペラを好演しました。

演出と衣装はこれもベテランのピエール・ルイージ・ビッティが小奇麗にまとめています。ローマ時代の遺跡という広大な会場なので、オーケストラの音響と合唱がずれるという局面もままありましたが、実力派ぞろいの歌手たちが気持ちよさげに高音を張り上げているのがいかにもイタリアの野外公演でした。

ヒロインのジョコンダはトスカと同じような歌姫という役柄ですが、トスカがスカルピアに迫られたようにバルナバという悪役に欲情を抱かれ、トスカがローマの城壁から身を投げたように、ベネツイアの運河で自刃して果てるのです。あわれと言うも愚かな話です。

ジョコンダには恋しい男がいるのですが、この男はベネツイアの総督の細君にいれあげていて、結局ジョコンダは自らを犠牲にして惚れた男とその恋人のために身を滅ぼしてしまいます。3幕第2場の時の踊りが終わって4幕に入ると最後の愁嘆場になりますが、ここで本当にヒロインに共感して一掬の涙を流してもらえるかがこのお芝居の成功か不成功かの分かれ道ですが、本公演はその点ではいまいちでした。

しかし冒頭のスパイの流言飛語からジョコンダの盲目の母親が魔女扱いされて私刑に遭いそうになる箇所の衝迫振りはなかなかのもので、ポンキエリは人の心に迫る音楽が書けるひとだと改めて思いました。

 ちなみにジョコンダとは陽気な女という意味だそうですが、陽気なはずのヒロインが運命のいたずらで自滅に追い詰められていく悲劇的な道行が最大の見どころとはずいぶん皮肉なタイトルをつけたものです。

♪アズディン・アライアの黒のミニから柔らかな2本の脚がくねくねと降りてきた 茫洋

Saturday, November 07, 2009

「第94回鎌倉交響楽団定期演奏会」を聴いて

♪音楽千夜一夜第92回&鎌倉ちょっと不思議な物語第207回

土曜2時からのマチネーでした。冒頭楽団長よりこのオーケストラの名誉団長、日比谷平一郎氏が1昨日92歳で逝去されたとの報告がなされ、コンサートに先立ってバッハのアリアが粛々と奏されました。今から10年くらい前、旧中央公民館で氏のモーツアルトのカルテットの演奏に接したことを思い出しましたが、枯淡の弦の調べでした。謹んで哀悼の意を表します。

 それからおなじみの名曲である「鎌倉市歌」が演奏されると、次はいきなりモーツアルトの変ホ長調k543が始まりました。第1楽章のアダージョでは珍しく第1ヴァイオリンにアンサンブルの乱れがありましたが、すぐに立ち直り、終わりのアレグロなどは快調そのものでした。

第2楽章のアンダンテ・コン・モートから第3楽章のメヌエットへと、新進指揮者三原彰人に率いられたオーケストラは、モーツアルト晩年の孤愁をオーボエなしの編成でほのかに湛えつつ最終楽章へ突入します。変ホ長調4分の2拍子で始まるアレグロです。

第1ヴァイオリンが奏でる16分音符は明るい滅びの歌ですが、これが弦楽器から木菅、木菅から金菅、金菅から弦楽器へと変奏されながら手渡され、螺旋階段を上っては下り、下っては登るように何度も何度も主題が再現されます。

憑かれたように演奏するオーケストラに聞き入っているうちに、私の脳裏に晩秋のヴィーンの路地で、辻音楽師のようにただひとり踊っている背の低い男がぼんやり浮かんできました。粉雪舞い散る夕映えの街灯の下でまるで子供のように単純なメロディを歌いながら踊り興じる孤独な天才の姿が。
そんな見事な演奏だったのに、あまりにも少ない拍手がお気の毒でした。

次はL.グレンダールというデンマークの作曲家による「トロンボーン協奏曲」を府川雪野さんが独奏しました。とても珍しい曲で私には初めての曲でしたが、なかなか楽しめました。

休憩を挟んで演奏されたのはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」でした。鎌倉交響楽団は名技性を発揮してこの難曲を見事に演奏しましたが、私は冒頭の鎌倉市歌ほどの感銘すら受けませんでした。これは誰がなんといおうと底の浅い駄曲なのですが、モーツアルトで拍手の労を惜しんだ大方の聴衆は、ここぞとばかりやんややんやの喝采を浴びせ続けます。お決まりのアンコールを催促しているのでしょう。

で、演奏されたのがなんとリストの「ハンガリー舞曲第2番」という俗悪な骨董品。こんな趣味の悪い曲を聴かされるくらいなら、モーツアルトで退場して大船のユニクロで990円のヒートテックを買いに行ったほうが良かったなあ。

次回の公演は恒例のベートーヴェンの「第9」ですが、鎌響はこの名曲をどうして日本語の歌詞で演奏するのでしょうか? 中西礼という鎌倉市政に一大汚点を残して東京に逃亡したこの男の作詞も良くないけれど、どんな日本語訳だってこの第4楽章とはミスマッチであり、原曲の感銘を大きく損なっていることはロバの耳にさえ自明のことではないでしょうか。2010年度からはどうか元のドイツ語に戻して頂きたいものです。


♪オオフロイデとドイツ語で歌わずば鎌倉第9をボイコットすべし 茫洋

Friday, November 06, 2009

小西甚一著 日本文藝史別巻「日本文学原論」を読んで

照る日曇る日第308回

理数系の学問と違って、私たちが日本文学を研究する際に、「何を対象にして、どのようにその研究を進めるのか」という問題はなかなかに難しく、明治以来幾星霜を経たわが国の国文学界においても、いまだに明確にされていないといっても過言ではないようです。

顧みれば我が国では文学の実証的・文献学的考証は盛んに行われてきて一定の評価をあげてはきたものの、歴史や社会的要因と区別された「文学自体の内在的な価値の研究」はなおざりにされてきました。

この880頁に及ぶ書物は、物理や数学の世界では古くから採用されている科学的な理論と手法を用いた文芸、文学の研究というものが、どうしてこれほど我が国では遅れてしまったのか、またそれを早急に確立するためにはどうしたらよいか、という課題をめぐって、「雅」と「俗」と「雅俗」の3つのカテゴリーで鮮やかに我が国の文学史をぶった斬ってみせた大著「日本文藝史」を著した国文学の泰斗が、最晩年に取り組み、ついに未完に終わった壮大な知的営為の総決算であると申せましょう。

著者は国文学のみならず広く古今東西の哲学や人文諸科学、物理、化学、数学などの歴史的文献や欧米諸科学を主導した研究者の代表的な管見を自由自在に引用、敷衍、解釈しながらあちこち道草を楽しみ、悠揚迫らずこの大きな課題に挑んでいます。

たとえば著者は、なぜ優れた芸術作品が私たちを深く感動させるのかという問いについてドイツの哲学者ハイデガーの1934年から36年頃の学説を縷々紐解いたあとで次のように解説しています。

1)日常的な次元では「隠れ」でしかない存在自体が、本来的な次元では、「隠れなさ」としての「真」であること。2)その「真」を正確に表現ないし理会するのが芸術的な「美」となること、3)そうした「真」や「美」に至るために日常次元からいっての「手荒さ」が不可欠なこと。(ハイデガーの講演「ヘルダーリンと詩の本質」参照)
つまり「隠れなさ」としての「真」を形象の中に確立することが芸術の本質で、それが達成されていないものが非芸術であり、その確率の度合いが低いものが浅薄な大衆文芸であるということになります。

しかし本書に登場するのは、ハイデガーだけではありません。プラトン、デカルト、カント、デユルタイ、フッサール、フロイト、ニュートン、リルケ、ゲーテ、世阿弥、芭蕉、西田幾太郎、朝永振一郎、シュライアマハー、インガルンデン、ガダマー、フライ、バシュラール、アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルク、ゲーデルなどの思索とその達成が次々に呼び出され、たとえば物理学における相対性原理や量子力学論、数学における不完全性定理の登場とニュー・クリティシズムにおける多元性・不確定性の創案が共時的に論じられるくだりではなにがなしに(こんな時こそ「ナニゲニ」というのでしょうか?)知的興奮を禁じ得ません。

英米仏独などの重厚な西欧思想に加えて江戸期以前の本邦固有の文化思想および中国、インドなど東洋の歴史的伝統を広く渉猟しながら独自の世界文学観を手中に収めたかにみえる著者がもっとも高く評価した思想家、それはほかならぬ「意識と本質」の著者井筒俊彦でした。

東洋的伝統の最高最良の理解者・継承者である2人の偉大な思想家が並び立つ本書の掉尾に、静かな感動をおぼえない読者はいないでしょう。



♪束の間の命の限りを文芸に捧げつくせり小西甚一 茫洋

Thursday, November 05, 2009

コーリン・デービス指揮コベントガーデン王立歌劇場管で「魔笛」を視聴する

♪音楽千夜一夜第91回

03年2月1日のライブですが、モーツアルトに定評のある指揮者なので安心して聞いていられます。演出はオオソドクスな手法が好ましいラビット・マクヴィカー。パミーナのドロテア・ルシュマン、タミーノのウイル・ハルトマン、パパゲーノのサイモン・キーンリーサイドも好演していますが、夜の女王ティアナ・タムラウの絶唱が脳天に響き渡る。モーツアルトはなんて素敵なアリアを書いたんだとつくづく思わされる演奏です。

魔笛は秘教オペラなぞと称されるだけあって、何回見てもよくわからないところがあります。たとえば夜の女王とザラストロのどちらが悪者なのか。パミーナはザラストロの実の娘ではないので妙齢の娘に対する義父の視線はどこか怪しい。冒頭いきなり大蛇に襲われて気絶して3人の侍女に助けられるタミーノなんて、とても勇者とは思えないのですが。

それからタイトルの魔笛にしても、パミーナの父で夜の女王の夫がトネリコならぬ柏の木から嵐と稲妻の夜に刻んだ代物であるらしい。ということは、その神話的来歴がワーグナーのリングのリブレットに影響を与えた可能性もあるのでしょうか。

ところでモーツアルトに限らず、作曲家の音楽の本質は、かれらが書いた楽譜の中、というよりは彼らが楽譜に封印した音塊そのもののなかに潜んでいるには違いありませんが、いくら演奏家がスコアを忠実に再現しても、その演奏が作曲家が脳内に築き上げた音響建造物の原想と合致しているかどうかを、当の作曲家自身だって確言することはできないでしょう。

なぜなら作曲家の原想は必ずしも彼が書き下ろした楽譜とは同致せず、楽想のすべてがスコアに書き込まれているとは限りません。楽想はつねに揺れ動いて変化し続けていますが、いったん作曲家の手を離れたスコアは、その瞬間に過去の産物となり、原想からおいてけぼりをくらいます。だから作曲家にとってどのスコアもすでにおのれの手を離れた異物であり、いわば永遠に宇宙に放置されたさすらいの未定稿なのです。

またそんな事情を無視して「スコア=原想そのもの」だとしても、実際にはそれは演奏家の個々の解釈や古楽器や現代楽器など多種多様な楽器による演奏を通じてしか現実の音とならないので、それら無数の再現のいずれが作曲家の真意にもっとも近いのであるかを断定するのは、たとえ作曲家自身のお墨付きを得たにせよ至難の業といえましょう。

もとより作曲家の真意を正しく反映した演奏が優れた演奏とは限らないのですが、(たとえばストラビンスキーやシュトラウスの自作の演奏)あれやこれやのコンサートやCDの聞きまくりを全廃して、楽譜だけを読み込み、頭の中で空想の音楽会を開いて自在に音楽を鳴らしてみることこそ、作曲家の楽想の原像に肉薄する最短距離なのかもしれません。楽譜の読めない私が今頃そう思い当たっても詮無いことなのですが。

♪満月の星空に響くあのアリア夜の女王はそも何者 茫洋

Wednesday, November 04, 2009

イヴァン・フィッシャー指揮ジ・エイジ・オブ・インライトメント管で「コシ・ファン・トゥッテ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第90回

06年6月にロンドン郊外のグライドボーン音楽祭で行われたモーツアルトの生誕記念演奏です。指揮はハンガリー出身のイヴァン・フィッシャー。

この人のお兄さんのアダム・フィッシャーは、私がドラティのと並んで高く評価するハイドンの交響曲全曲をオーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団と入れたり、ハンガリー国立管弦楽団とバリトークの管弦楽曲を録音(2つのバイオリン協奏曲の独奏は今は亡きゲルハルト・ヘッツェルの名演!)したりしている名人ですが、その弟もオペラの達人でこの古楽器による演奏集団をはつらつとドライヴしています。

この古楽器オーケストラは、あのロジャー・ノリントンのロンドン・クラシカル・プレーヤーズを吸収して発展し続けているようですが、聞かされている我々はこの音が果たして17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代に鳴っていた音の再現なのかなんてわかるはずがありません。

私がこの種のオケを初めて耳にしたのは60年代初めのアーノンクールによるウィーン・コンツェントゥス・ムジクスやコレギウム・アウレウム合奏団でしたが、70年代に入るとホグウッドが創立したエンシェント室内管弦楽団が録音したモーツアルトの交響曲なぞを大枚はたいて買わされて、「もしかすると現代楽器よりもこっちのほうが本物ななのかしら」と思わされてしまったものです。

いまそれらの初期古楽器時代の演奏を聴きなおしてみますと、その大半の演奏内容がこけおどしであり、使用されている楽器の時代考証もいい加減であり、現物が残ってもいない楽器を新規に制作してそれを古楽器と称する輩や、ドボルザークやスメタナまで古楽器で録音する手合いまで登場するに至っては、いったいなにが正しい古楽器演奏なのかを誰も明言することが不可能となり、画期的だったのは「ハイドンやモーツアルトをその当時の楽器で」というコンセプトだけであったことが歳月の経過とともに明らかになってきたように思われます。


下世話にいうならば、アーノンクールもウイーンフィルの指揮棒を一度でもよいからこの手で握りしめたかったからこその古楽器研究であったのであり、ホグウッドも、ノリントンも、ガーディナーもブリュッヘンも、所詮は金儲けと有名目当ての古楽器三昧だったのではないでしょうか。何故か今は亡きデヴィッド・マンローが懐かしい今日この頃です。

大きく脱線してしまいましたが、コニラス・ハイトナーの簡素な演出による「コシ・ファン・トゥッテ」の演奏は、古楽器による現代風モーツアルト歌劇の興業としてまずまずの出来映えです。


♪ただ一日で他の男に乗り換える今も昔もコシ・ファン・トゥッテ 茫洋

Tuesday, November 03, 2009

梟が鳴く森で 第2回

9月5日

中学生の時の時間割

  月   火    水    木    金   土

1 音楽  音楽   音楽   音楽   音楽  音楽

2国語  技術家庭  数学   技家   国語  数学

3体育  技家    養訓   技家   体育  生活個別

4体育  技家   養訓   技家   体育

5生活個別 技家  生活個別 技家   クラブ

6   生活個別      生活個別


9月6日

 停止信号です、暫く、御待ち下さい。暫く、御待ち、下さい。暫く、御待ち、下さい。
 間も無く発車、致します。
停止信号です。ええ、只今。暫く、御待ち、下さい。暫く、御待ち、下さい。 
停止信号です、暫く、御待ち下さい。

9月7日 晴

 横浜線の話。
 前の横浜線は、旧型です。旧型は、黄緑で、電車は、根岸線に、似て、居ます。
 そして、新しい、ステンレスカーに、成りました。ステンレスカーは、新型です。おわり。


♪晴朗な魂の頬笑みを隠す黒き雲 茫洋

Monday, November 02, 2009

第106回横須賀交響楽団定期演奏会を聴いて


♪音楽千夜一夜第89回

まずはシューベルトの「未完成」、次にワーグナーのタンホイザー序曲、最後にブラームスの第3番へ長調の交響曲というラインアップに惹かれて宵闇迫る横須賀までやってきました。

 相変わらずオーケストラは好調を維持し、へぼでダルなN響よりも生気あふれるアンサンブルを奏でていました。が、問題なのはこのオケの常任指揮者(特に名を秘す)の指揮そのものです。古来指揮者の役割は、音楽を開始すること、終えること、その中間部をうまく演奏すること、の3点だとされてきたわけですが、この夜は3つのうちの2つまでが十全に機能していなかったといわざるを得ません。

 この指揮者は、ブラームスの終楽章において、あの見事に書かれた終結部の音楽を音楽の内部において充実し切って終わらせることに失敗し、あろうことかアンコールのハンガリー舞曲第1番の咆哮を代置してなんとか「終わった」ことにするという体たらくでした。これではとてもプロの仕儀とは申せません。(もしかするとアマチュアかも)

ここで唐突ですが、指揮者をピッチャーにたとえてみましょう。普通の指揮者ならストレートをベースにスライダーやフォークやカーブなどを少なくとも2割か3割くらい交え、球種に加えてコースと緩急の変化をつけて打者(曲)と対決するのですが、あいにくこの投手の持ち球は平均135キロ程度の直球しかなく、時折恣意的かつ痙攣的にオケをかわいそうなくらいに恫喝して140キロ台後半の剛速球を投げ込むのです。

ただしコントロールは抜群でつねにど真ん中。「さあ、打ってくれ」とばかり腕も折れよと投げ込むのですが、野球(音楽)の醍醐味ってそんな単純なものでしょうか。

おそらくこの指揮者のカラーパレットには、元気や歓喜や軍隊ラッパやジンタの狂騒、元気はつらつオロナミンはあっても、優雅や抒情や哀愁や孤独や悲傷のひと刷毛もないのでしょう。もっと言い募れば、彼がこれまで生きてきた人生において、脳天に響くフォルテッシモにはなじんでいても、平々凡々たる人生の基底を流れる切実な喜怒哀楽、とりわけ都会の孤独な魂にひそりと語りかけるピアニッシモのはかない美しさなど歯牙にもかけてこなかったのでしょう。こんな単細胞な指導者に率いられた楽員こそいい迷惑です。

事実当夜シューベルトの2つの楽章、ブラームスの4つの楽章のテンポと音の強弱について格別の思い入れがあったとは思えず、あの有名なブラームスのポコ・アレグレットをあれくらい無味乾燥かつ無慈悲に演奏できることにわたしは恐怖と驚異すら覚えたほどでした。

再現芸術の演奏において、私たちは作曲者の生の実質と同時に、演奏者とりわけ指揮者のそれをも耳にしています。だからカザルスの「鳥の歌」に落涙するのです。うろんな生きざまが演奏のひとふしに出るから音楽は怖いのです。

スコアの音符を物理的な音響に変換しようとだけ考えるのではなくて、1828年のシューベルトがどのような絶望とはかない希望のなかでこのロ短調を書いたのか、そして1883年のブラームスがどのような恋に苦しんでいたのか、等々も考えてそれを演奏の解釈に反映し、その曲の背後に潜む作曲家の活きた心模様を聴衆に伝えることが指揮者に課せられた重要な使命ではないだろうか、と思わされた横須賀の貴重な一夜でした。

 ♪いまいちどカザルスの「鳥の歌」聴きたしと横須賀の海岸をさまよう夜 茫洋

Sunday, November 01, 2009

夫馬基彦著「オキナワ 大神の声」を読んで 後篇

照る日曇る日第307回


さてせっかくの機会なので著者の驥尾に付して南方問題なぞに贅言を費やしてみたいのですが、本書で取り扱われている「琉球弧」は、往古より中国や日本という大国の不当な干渉を受け、政治的な従属を強いられてきました。そして戦後米国からの独立を果たしてからもなお日米軍事同盟のあおりをくらって、その領地の半分が基地によって占拠された状態にあります。

最近日本=大和国の政権の座についた民主党は、普天間基地の移転問題を契機に日米関係の見直しを及び腰で唱えていますが、それならばいっそ沖縄=琉球の側でも、軍事基地を不当に押し付けるヤマトンチュウ政権との関係を根本的に見直すべきではないでしょうか。 
この際数世紀に及ぶ古い隷属の絆を思いきって断ち切って、あわよくば北のまほろばアイヌ政権と手を携えて腐敗堕落したヤマトンチュウ政権から独立し、天皇制なき完全非武装中立を旗印にかつての琉球王国の輝かしい平和と繁栄を取り戻すべきではないでしょうか。そしておよそ1万5千年ぶりに確立された幻の縄文王国は、ヤマトンチュウ政権から多くの亡命者を友愛的に迎えることでしょう。

最後に一点どうしても書き記しておきたいことは、この著者の自閉症や自閉症気味という言葉の使い方です。おそらく著者は、221pの6行目になにげなく記したように、自閉症児者とは、社会や人間との接触を避けて四畳半の個室に自閉的に閉じこもったりする「ネクラ人間の類」と心得ておられるのではないかと想像するのですが、これはとんでもない誤解です。

自閉症は、「病気」や「気質」ではありません。生まれつき脳の機能に何らかの障害を持つ発達障害のひとつです。確かに人や物との変わった関わり方をしたり、他人とのコミュニケーションがうまくとれなかったり、興味や関心が非常に偏っていて同じことを繰り返したがる特徴をもっていたりすることもありますが、「自閉的人間=自閉症者」では断じてありません。晴朗な心の中では、他者と全世界に対してコミュニケーションをしたくて仕方がないにもかかわらず、脳の機能障碍ゆえにそれがかなわない不幸な人たちなのです。
この際、日本自閉症協会のHPなどを検索して、今後の広範な人間理解と旺盛な創作活動のために役立てていただくようお願いいたします。

http://www.autism.or.jp/autism05/rainman20040508.pdf


万国の障碍者団結せよ 偏狭健常者政権を打倒せよ 茫洋