茫洋物見遊山記第6回&鎌倉ちょっと不思議な物語第208回
特別展「鎌倉からの手紙、鎌倉への手紙」を見に行きましたら、いろんな作家のいろんな手書きが並んでいて面白かったのです。
まず漱石は避暑地鎌倉から娘筆子へのやさしい葉書です。漱石の親友正岡子規が迫りくる死を脊髄に予感しつつ在倫敦の漱石に出したいかにも彼らしい文飾を施した巻き紙も展示してありました。
漱石の弟子の芥川龍之介は横須賀の海軍士官学校で英語教師を務めながら鎌倉大町の元八幡神社傍に住んで「蜘蛛の糸」、「地獄変」、未完となった「邪宗門」を書きましたが、本展では漱石夫人から贈られた文机も展示してありました。
わが最愛の詩人中原中也関係では30歳で死ぬ直前に母親に出した手紙が印象的でした。中也は自分の死の原因となった病気である結核性脳膜炎を「痛風」と書いていますが、清川病院の医師はきっと藪医者だったに違いありません。もっとも中也が亡くなったというだけの理由でわたしはずっとこの病院をかかりつけにしている訳ですが。
母親フクへの最後の手紙で、中也は自分はこれからもういちど日仏学館の通信講座でフランス語を学びなおし、あちこち旅行もしながら5、6年後に文壇再登場を果たしたい。自分は元気いっぱいで運勢占いでもだんだん運が向くという良い卦が出たから、と安心させていますが、それからわずか2ヶ月後には亡くなってしまいました。人の世の無常と悲哀をこれほど感じさせる手紙もないでしょう。
それから太宰治が川端康成に出した「芥川賞を下さい」という有名な直訴状も展示してありましたが、これはあんまりだと驚かずにはいられません。直情を披歴した太宰の嘘偽りのない気持ちであることはだれにもわかるでしょうが、川端のような繊細な神経の持ち主にとっては「この田舎者め!」と逆効果であったに違いありません。太宰の「晩年」がいくら名作であったとしても、また審査員が川端ならずとも、きっと落選させるでしょう。
太宰ってほんとうに不器用な男だったのですね。しかしその不器用さが魅力でもある作家です。
♪くださいください芥川賞そんな恥ずかしい手紙をよくも書いたもんだ 茫洋
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