Wednesday, March 31, 2010

鎌倉国宝館でひな人形展を見る

茫洋物見遊山記第20回&鎌倉ちょっと不思議な物語第212回

今年も国宝館恒例のひな人形の陳列が始まりました。(4月4日まで開催)

これを眺めていると今年もようやく春になったのだなあ。またひとつ馬齢を加えたのだなあ。わが家の女の児は家内だけだなあ。家族ともどもあと何年くらい安穏に暮らせるのだろうなあ、とさまざまな想念が湧いてくるのがいと不可思議です。

ひな人形の起源は平安時代にまでさかのぼるそうです。源氏物語にも時々出てくる「形代(かたしろ)」、お祓いのために身代わりで川に流した紙人形がその原型ではないか、と私は勝手に想像しているのですが、もはや捨てようとしてもあまりにも立派で博物館くらいにしか安置できなくなった江戸時代のお雛様100点が会場狭しと並んでいる姿はけだし壮観です。

江戸時代といってもほとんどが享保時代のひな人形ですが、その顔容の能のお面を思わせる幽玄美と細密無比な工芸技術の冴え、全身の堂々たる造型感覚、そして身にまとう衣服の立派さには思わず脱帽します。彼らの息女の健康と平安を祈念する恰好の形代として、こんな見事なひな人形を、当時の分限者は所有していたのです。しかしそれは、彼らの子孫への愛情の表現であるとおなじくらい、彼らの富貴の誇示でもあったはずです。

ところで会場のひな人形の並び方は、現在のお雛様とは左右が逆になっています。学芸員の方にその理由を尋ねましたら、昔からわが国では左大臣が右大臣より偉かったように、「左」が「右」より優位の「立ち位置」だったので、この会場のお雛様のように「向かって左に女雛、右側に男雛」というスタイルで並べていたそうですが、大正天皇もしくは昭和3年の昭和天皇の成婚式の際に西欧先進国の先例にならって左右を入れ替えていらい、現在の形になったのだそうです。
やはり昔ながらの男尊女卑の陋古な慣習はまずい、と考えたのでしょうね。

♪母上のグリンピースの混ぜご飯妻が作りて食べさせてくれたり 茫洋

Tuesday, March 30, 2010

西暦2010年弥生茫洋花鳥風月人情紙風船

ある晴れた日に 第73回


梅の花花との間に萼ありて

春日遅遅日光写真待つ心

面白うてやがて悲しき水の歌

3月や歯科皮膚科整形外科に日参す

椿落ち鴨泳ぎタテハ飛び鶯が鳴く弥生廿日

辛夷咲き野鴨繕い黄蝶舞い鶯鳴くなり弥生の廿日

桜咲き瑠璃シジミ飛びおたま泳ぐ谷戸にも春は巡りきたれり

なのでなのでを連発すれどなのでの前がてんで分からん

青空から忽然と消えし大銀杏甦れわれら一人一人の胸の裡に

神を恐れおののく孤独な少年を待ち構えていた酒と薔薇の日々

東京の明るい廃墟をよろばいつわが胸に浮かぶ江戸の俤

あの小澤のあとにメスト!ウイーンオペラの歴史と伝統ここにパッタリ尽きたり
 
おたまじやくしの表層を水澄ましのごとく滑走する小澤メスト輩

百聞は一聴に如かずロバの耳に響く王様の音楽

3流のオペラハウスのカルメンを涙を流して聴いているビゼー

カラヤンの最悪の録音はショパンのピアノ曲を管弦楽に編曲した演奏。そこではお涙頂戴のやすっぽい叙情が大安売りされている

普通の女性が光り輝く美女となるげに化粧とは恐ろしき道具よ

人は死に 詩と音楽が 永遠に残る

もう二度と帰ることなきいまのいまをわが生の証とて歌にとどめむ

坂の上の風呂屋の下の道端に今年も咲きたりミモザの花が

今日も元気だ桃山パンク黒墨捲れば紅蓮の炎

私をリストラした人をリストラした人がリストラされました

人よりも物の命は長ければ物に過ぎぬと驕るなかれ人

待ち兼ねた春が蝶よ花よとやってくる

金メダルが2つあったら良かったのにねと語る焼肉屋の柔らかな心

欠陥車作りし咎を身に負いて謝り続けるトヨタ社長

古き良きアメリカの黄金時代二度と帰らず

美しきヴァイオリニストをたぶらかす希代の色事師とく本業に戻れ

あのアパートのあの部屋で男女3人自殺したのか

わが息子指差し「あんな児には近づかないのよ」と教える母親


♪くだらなきいまのみの感懐をとどめおきたくけふもまたくだらぬうたをよむのです 茫洋

Monday, March 29, 2010

「演劇集団 円」を応援しませう

バガテルop124

円は1975年に芥川比呂志を中心に劇団雲から独立した演劇団で、岸田今日子、南美江などが活躍、現在はテレビに出ずっぱりの橋爪功を柱に、松本留美、有川博、立石涼子、朴璐美などを擁しています。

そんなことはどうでもよいのですが、じつは私の知人がこの劇団で翻訳家として活動しているので、今年1年間は円を支援しようと心に決めました。

2010年のプログラムは4月にハロルド・ピンター原作、大橋也寸演出の「HOMECOMING」、8月は鶴屋南北原作、森新太郎演出による「四谷怪談」、10月はオーエン・マカファーティ原作、演出平出琢也による「シーンズ・フロム・ザ・ビッグピキュチャー」、12月は岸田今日子を記念して谷川俊太郎現代語訳による「むかしむかしのわっはっは」というレパートリー。正統派の新劇あり伝統派の歌舞伎風あり、アヴァンギャルドあり、日本昔話ファミリーものありと実に豊かなラインアップです。

特報です!

ただいま円の会の会員に無料登録すると、この4公演を15000円でいい席で見られます。申し込みは03-5828-0654、〒111-0035台東区西浅草1-2-3田原町センタービル5階の「円の会」まで。以上、私としたことが非常に珍しくあまりにも露骨なPRでした。

♪3月や歯科皮膚科整形外科に日参す 茫洋

Sunday, March 28, 2010

コーリン・デービス指揮コベントガーデン「螺旋の回転」を視聴する

♪音楽千夜一夜第124回

古いレーザーディスクを引っ張り出して、DVDに焼きながら珍しい演奏を聴きました。
コーリン・デービス指揮コベントガーデンのロイヤル・オペラが少人数で演奏するベンジャミン・ブリテン作曲のオペラ「螺旋の回転」に、ペートル・ウエイグルという人が屋外ロケの映像をつけたものです。

グラードボーンに良く似た緑の草原の中に古い洋館と教会が建っていて、その建物の内部や何エーカーという広大な敷地のあちこちを贅沢に使い、ヘンリー・ジェイムズ原作のこのSF的小説を一篇の映像詩に仕立て上げています。

物語のあらすじは、家庭教師として古い洋館にやって来たヒロインが、その館に住む少年少女に宿る死者の霊と対決し、勝利を収めたものの最後の最後に少年が息絶えてしまうという西洋によくある怪奇譚です。

美しい女優とハンサムな男優が演じ、彼らの口パクの歌を、実力派のヘレン・ドナート、ロバート・ティアーズ、ヘザー・ハーパーなどが歌っていますが、ラストではそれなりに盛り上がるものの、原作におけるネジがギリギリと回転して、恐怖に慄く登場人物たちを抜き差しならぬところまでギリギリ追い詰めていくような臨場感はありません。むしろ、のどかな野外劇といった趣が強く出ています。

ブリテンの作曲の腕の冴えは、第2幕の第13のバリエーション、第6シーンにおけるピアノ連打の劇伴において最大限に発揮されており、ここぞとばかりにたたみかけるコーリン・デービスの指揮も見事です。


♪春日遅遅日光写真待つ心 茫洋

Saturday, March 27, 2010

ブーレーズ指揮ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」を視聴して

♪音楽千夜一夜第123回

数々の印象深い銘品をつくってくれたドビュッシーですが、やはりこれがいちばんの代表作でせう。あれほど傾倒したワーグナーから足を洗い、独立独歩で創造した新しい楽の音がここには香り高く鳴り響いています。

指揮者ブーレーズの評価は年経るごとに高まり、いまやアーノンクールと並んで斯界の一大権威と化した感がありますが、冷静に振り返ってみれば昔のクリーブランド時代やウイーンコンチエルトムジークス創成時代の方が双方ともにはるかにマシな演奏をしていたと言えそうです。どう考えても面白くもおかしくもない、それでいてもったいぶったこけおどしの、似ても焼いても食えないタヌキおやじの指揮ぶりに熱狂する人の気持ちが私のようなド素人にはいくら聞いてもてんわからないのでしゅが…。

そんな御大ではありますが、1992年3月になぜだか英国に飛んで、ウエールズ・ナショナル・オペラ管弦楽団と演奏した「ペレアストメリザンド」ではそれなりに楽しめる劇伴をつとめて破綻はありませぬ。メリザンドはアリスン・ハーグレイ、ペレアスはニール・アーチャー、ゴローはドナルド・マックスウエル、老王アルケルはケニス・コックスという欧米人の歌手ばかりが出演していますが、フランス語の発音に欠ける点はなさそうです。

演出はベルリン生まれのペーター・シュタインという人ですが、第3幕第一場でアリスン・ハーグレイのブロンドの長く美しい自毛を使って非常に官能的な愛の戯れを演じさせています。城塞の窓辺のペレアスがあおむけざまに垂らした髪を庭に立つメリザンドがつかんで愛撫し接吻の嵐を降らせる情景こそこのオペラの白眉でしょう。

地上では許されない無垢の愛の交歓を目撃したペレアスの義兄ゴローは嫉妬に駆られてついに弟を殺してしまい、衝撃を受けたメリザンドもあとを追うようにして死んでしまいます。ある点まではワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に似ていますが、聴いてみると全然違う音楽になっています。どちらかといえばドビュッシーの方が陰影に富む複雑で高級な音楽といえるでしょうか。

「ペレアストメリザンド」は数あるオペラのなかでヤナーチエックの「利口な女狐の物語」と並んで私がいっとう好きなオペラ(いっとう嫌いなのはプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」)なのですが、これまであまり演奏の機会に恵まれず、個人的には七〇年代の終わりにパリのシャンゼリゼ劇場で見たマゼール指揮パリ管の公演がもっとも感動的なものでした。(あの頃のマゼールは良かった!)

この「ペレアストメリザンド」の演奏は、それに次ぐものとして、長く手元に置きたいと思っています。

♪私をリストラした人をリストラした人がリストラされました 茫洋

Thursday, March 25, 2010

カラヤン指揮ウイーン国立歌劇場の「薔薇の騎士」を視聴する

♪音楽千夜一夜第122回

これは1960年8月のザルツブルク音楽祭にかけられたシュトラウスの名作オペラの歴史的公演の記録です。出演は元帥夫人にシュヴァルツコップだけでなく、ゾフィーがローテンベルガー、オクタヴィアンのユリナッチの女性陣に加えてオックス男爵にオットー・エーデルマン、ファーニナルにはなんとエーリッヒ・クンツという豪華キャスティングで、この映像はランクオーガニゼーションという映画会社が製作してビデオ時代から世界中でベストセラーになっていましたが、いまではDVDでも鑑賞できるというわけです。

カラヤンはのちに1984年の同じザルツブルク音楽祭でも同じオーケストラとこの演目を上演し、映像化しました。これも同じタイプの見事な演奏ですが元帥夫人にアンナ・トモワ・シントウ、オクタビアンにアグネス・パルツア、ソフィーにジャネット・ペリー、男爵にクルト・モル、ファーニナルにゴドフリート・ホルニクというキャステイングはクルト・モルを除いてどうみても前者に勝ち目はないでしょう。
アンナ・トモワ・シントウはカラヤンやベーム好みのソプラノですが、フィガロの結婚の伯爵夫人ならともかく元帥夫人でシュヴァルツコップと対抗しようというのはちょっと虫が良すぎます。

さて「薔薇の騎士」においてははじめと終わりがいちばん大事。なんせ公衆の面前で、成熟した貴夫人とやる気まんまんの若い騎士(しかも女性によって演じられる!)によって愛の戯れならぬずばり性交が行われるのですから、それにふさわしいコンビを登場させなければあとが続きません。ここでは冒頭のクラリネットが鋭い男根と化して元帥夫人をいっきに貫き、その直後に痙攣的に果てるときのお相手が問題です。セーナ・ユリナッチの演技も相当はがゆいものがありますが、まあまあ許せるとして、アグネス・パルツアというのでは見ている方だってしらけます。

大人の女の哀しい愛の終わりを告げる3重唱が見事なアンサンブルで歌いおさめられたあとは、若いバカップルがその恋の末路も知らずにいまだけに許される野放図な愛の賛歌を歌いあげるのですが、、さてその終幕間際には、黒人の子供の召使が元帥夫人が忘れた絹のハンカチーフを拾って退場する演出でおわらないと、このオペラはどうしても終わらないのです。


♪カラヤンの最悪の録音はショパンのレ・シルフィールド そこではお涙頂戴のやすっぽい叙情が大安売りされている 茫洋

Wednesday, March 24, 2010

ブレゲンツ音楽祭の「トロヴァトーレ」を視聴して

♪音楽千夜一夜第121回

独スイス国境のオーストリアのボーデン湖上で二〇〇六年の真夏に開催されたブレゲンツ音楽祭の実況録画です。

演出はロバート・カーセンという人ですが、湖上に巨大な船のような石油コンビナートのような構造物を設置して、演技はその広大な空間を舞台に行われます。なにかあると空高く伸びた煙突から紅蓮の炎が衝撃音と同時に舞いあがり、ビジュアル効果満点の派手な見世物です。

指揮はトーマス・ロスナーでウィーン交響楽団が出張っての演奏。なかなか快調なテンポでヴェルデイ節を奏でていました。歌手はヒロインのレオノーラにイアノ・タマール、マンリーコにカール・タナー、ルーナ伯爵がジェリコ・ルチッチ、アズティエーナにマリアンネ・コルネッティという布陣でそれぞれ歌唱力にある実力派と見受けられましたが、なにせ全員がマイクを通して歌っているために、その真価は知るべくもありません。

あくまでも真夏の夜のスペクタクル、世界中からやってきた観光客向けのはかない一場の夢と評すべき公演なのでしょう。

♪面白うてやがて悲しき水の歌 茫洋

Tuesday, March 23, 2010

スコット・フィッツジエラルド著・村上春樹訳「冬の夢」を読んで

照る日曇る日第335回

フィッツジエラルドが彼の代表作を書く前に、いわば練習問題のようにすらすら書いた短編小説が5本並んでいます。

村上春樹によれば、彼はみじかいものならだいたい1日で書き飛ばしたというのですが、その切れ味の鋭さといったら芥川も及ばない天才的なもの。とりわけ最後から2番目の「リッツくらい大きなダイアモンド」という作品なぞ、太宰治のストーリーテリングをはるかにしのぐ物語の行方知らずの恐るべき面白さです。

その大半がアメリカの通俗文芸誌向けのよくできた高級娯楽小説ですが、「罪の赦し」だけは一種異様な性格の物語。主人公の少年の「原罪」にまつわる宗教意識や苦悩について、張りつめた緊張感のもとで、重苦しい独白が積み重ねられてゆきます。

この古風なピューリタニズムこそが、後年の酒と女と薔薇の日々の放蕩と自己破壊を早くから準備したフィッツジエラルドの内面の知られざる核だったのです。



♪神を恐れおののく孤独な少年を待ち構えていた酒と薔薇の日々 茫洋

Monday, March 22, 2010

藤原歌劇団の「ジョコンダ」を視聴して

♪音楽千夜一夜第120回


昨二〇〇九年の一月三一日に東京文化会館で行われたポンキエルリのオペラ「ジョコンダ」のあら珍しや四幕版の公演をビデオで見ました。

まず特筆すべきは指揮者菊池彦展と東フィルの好演です。この指揮者がどのようなキャリアの人か私は全然知りませんが、彼は大きな手振り身振りでこの不感症のオーケストラを力ずくで眠りから叩き起こし、波乱万丈の物語が進行するにつれて、オペラに不可欠な熱いコンブリオの力動をもたらし、ついに観衆の興奮と感動をもたらします。

力の限り歌いまくる歌手と、それに対抗して負けじと昂揚していく管弦の高鳴りこそはオペラの醍醐味。最近私が聞いたウエルザーメストの青白いインテリ貧血症のコンコンチキ音楽とは180度ベクトルの異なる正則音楽を耳にして、これなら欧州より日本のオペラの方がよっぽど優れていると痛感しました。

表題役のエリザーベト・マトスとその恋人エンツオ役のチョン・イグン、ジョコンダに横恋慕する密偵バルナバ役の堀内康雄も好演。2幕の冒頭では有名な間奏曲「時の踊り」が奏でられ、そのあとは一気に海上船の火災や3幕の黄金の館へとなだれ込みますが、終幕第4幕のジョコンダの自害まで快い緊張を保ちながら音楽は疾走し続けます。

オペラや作曲家の精神にいっさい肉薄することなくおたまじやくしの表層をまるで水澄ましのようにすいすい滑走する凡庸なフランツ・ウエルザー・メストや小澤征爾とは鋭く一線を画する充実した公演記録でした。

♪おたまじやくしの表層を水澄ましのごとく滑走する小澤メスト輩 茫洋

Sunday, March 21, 2010

神奈川県立近代美術館で「松谷武判展」を見る

茫洋物見遊山記第20回&鎌倉ちょっと不思議な物語第212回

松谷武判は1937年大阪生まれのアーチスト。1954年より日本画を学び、戦後はあの伝説的な具体美術協会の前衛美術運動に参加し、1966年以降は「人の真似をするな。誰もやらないことをやれ」をモットーにパリで制作を続けているそうです。

そういう経歴の人とも知らずにのこのこ入っていきましたら、やたら暗くて黒いものばかりで面喰いました。大半の作品が、白と黒を基調に鉛筆で描き重ねて黒の線と黒の面を強調しています。とりわけビニール系接着材の黒いボンドを、キャンバスに円く堆く浮き彫り(レリーフ)したものが多いのですが、しかし女性の乳房や禅坊主の立体的な墨書を思わせるそれらのマッス(塊)はけっして無秩序な立方体ではなく、きわめて稠密に計画された美意識によって厳しく貫かれています。

会場狭しと押し寄せる黒、黒、黒のインパクト…。そのモノトーンとはおそらく人間と世界と宇宙の根源にひそんでいる暗黒物質の重力を象徴しているのではないでしょうか。会場のあちこちで渦巻き流動し続けている黒い球体から発せられる未知のエネルギーが感じられ、私たちの存在を背後から支えるとともに、私たちの未来と運命を領導している不可知な物質の力を感じさせる不思議なコレクションです。

なおこの「松谷武判展」は、来る3月28日まで神奈川県立近代美術館鎌倉で開催されています。

♪辛夷咲き野鴨繕い黄蝶舞い鶯鳴くなり弥生の廿日 茫洋

Saturday, March 20, 2010

平成の隠者、東京をさすらう 川本三郎著「きのふの東京、けふの東京」を読んで

照る日曇る日第334回


川本三郎という人は、嫌なことは、しない、書かない。ただ好きな人とだけ付き合い、好きなことだけをして、好きなことだけを記事にして生活している、と聞いたことがあります。まことにうらやましい平成の隠者、聖賢のような存在ですね。

そんな川本氏がもっとも好むのは東京の東西あちこちの気ままな町歩き。それも高層ビルやキンキラキンの商業施設が建ち並ぶ「街」ではなく、銭湯と居酒屋と古本屋がある昔ながらの庶民的な「町」を選んで歩くのです。

だから本書で主に取り上げられているのは永井荷風が好んだ隅田川を越えた深川や洲崎、三ノ輪浄閑寺、荒川の放水路などですが、川本氏の町歩きのフィールドは東京の全域にまたがっており、両国や神保町、神田、東京、新橋、阿佐谷、新宿なども忘れられてはいません。

それにつけても、荷風の幼馴染井上唖々ゆかりの森下町「山利喜」、小名木川六間掘、大久保湯灌場に杖を引いた荷風散人、その荷風の足跡をたどった野口富士男氏、さらにそれらの先達を慕う川本氏が、今は無き江戸の風景のよすがを求めてさすらう姿を見ていると、現代の読者である私(たち)もまた彼らの驥尾に付して懐古掃苔の旅に出かけたいと願わずにはおられません。

私は「断腸亭日乗」を読んで以来、かつて荷風が通い詰めた新橋の「金兵衛」という一膳飯屋の所在を尋ねていたのですが、本書でそれが汐留交差点角にある天明時代創業の佃煮屋「玉木屋」の近所にあったと初めて知らされ、久しぶりに新橋を訪ねてみたくなりました。

近年大規模な開発が行われたにもかかわらず、あの辺にはまだ江戸時代から続く老舗が残っているようです。


♪東京の明るい廃墟をよろばいつわが胸に浮かぶ江戸の俤 茫洋

Friday, March 19, 2010

アラン・J・パクラ監督「大統領の陰謀」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.28

この映画では、70年代前半の合衆国を驚倒させたウオーターゲート事件の顛末を事実に則して描いています。なんとワシントンポスト紙の2人の新米記者の執拗な取材とスクープが、ニクソン大統領を失脚させるに至るのです。原題は「俺たち全員ニクソン組」ってか。

ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマン扮する新聞記者は、通称「ディープスロート」、実は当時のFBI副長官の内部情報を得ながら、ニクソン再選のために資金と情報を非合法に集め、民主党候補を倒そうとする勢力(結局それはニクソンと彼の7人の腹心に直結していたわけですが)の追及を開始します。

最初はほんの断片的な情報に基づいて突撃取材を敢行し、また別の断片をまるでパッチワークのようにつなぎ合わせて事件の核心に迫ろうとする2人の悪戦苦闘ぶりがこの映画の見どころです。例えば大統領再選委員会の名簿をポスト紙の女性記者の「肉体的協力」で手に入れ、そのメンバーの自宅をアルファベット順に、しかも2度も!訪問して不正資金提供の証言を得ようとするくだりなど彼らの猛烈な記者根性には脱帽せざるを得ません。

証言を引き出す手口も斬新で、例えば「小澤幹事長、あなたは地元の企業からの不正献金をもらったでしょう?」と尋ねて「私はお金についてはつねに秘書に適正に処理させてきました」という答えが返ってきたら、この態度を、質問に対して正面から回答しない「否定の否定」とみなして疑惑ありという主旨の記事にするのです。あるいはまた自分からは積極的に証言しようとしない人物に対して、「容疑者はMですね・」とイニシャルで聞いて証言者にうなずかせたり首を振って否定させたりして確認する手法、また「もし私の推察が事実に反していたら、いまから10数える間にこの電話を切ってください」と追い詰めて確認をとるなど、あれやこれやの取材のテクニックは非常に興味深いものでした。

アラン・J・パクラ監督は、冒頭の民主党本部へのスパイの侵入事件以外さしたるアクションもないこの映画の眼目を、監督は事件記者の取材活動そのものに絞って描写していますが(もっともそうせざるを得ないという事情もあるわけですが)、テレビがニクソン再選を伝えるなかデスクで懸命にタイプを叩く2人というシーンで全編を終わらせるラストはいささか物足らない。もう少し劇的なパフォーマンスを見せてほしかったと思わずにはいられませんでした。

主演の2人はかっこいいスターぶりでしたが、彼らを激励叱咤し、社運を賭けて真実の追求と報道の自由を死守しようとする彼らの上司役のジェーソン・ロバーズがこの年のアカデミー賞をもらったのは当然と思わせる名演技でした。


1976年 アメリカ ワイルドウッド・エンタープライズ制作【製作】ウォルター・コブレンツ               【原作】カール・バーンステイン                   ボブ・ウッドワード                 【脚本】ウィリアム・ゴールドマン              【撮影】ゴードン・ウィリス                 【音楽】デビッド・シャイア                 【原題】All the President’s Men


♪やっと待ち遠しい春が蝶よ花よとやってくる 茫洋

Thursday, March 18, 2010

木村大作監督の「剱岳」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.27

新田次郎原作の山岳小説を、ベテラン映像キャメラマンが初めて監督しました。噂ではかなり過酷なロケだったそうで、特に雪山の登攀の際の滑落や猛烈な吹雪のシーンなどはほとんど命懸けの撮影だったのではないでしょうか。
かつて彼が森谷司郎監督・高倉健主演の「八甲田山」で手掛けた過酷な大自然と人間との闘争をここでもまたぞろ描こうとしているようです。

キャメラは剱岳とその周辺の春夏秋冬を美しくとらえ、大雲海の彼方にそびえる霊峰富士の姿など感嘆に値する映像を刻み、物語の最後では相争った陸軍測量部に属する主人公たちとそのライバルであった登山家たちの友愛に満ちたうるわしいエールの交換で映画のラストを盛り上げることに成功してはいますが、細部を子細に眺めるといくつもの欠点が目につき、この二時間を優に超える大作氏の大作の鑑賞をおおいに妨げています。

そのひとつが映像のセピア色の濁りを秘めたトーンです。物語が明治四〇年前後の設定なので、こういう懐かし風にまとめたのでしょうが、どうも被写体が曖昧模糊として醜くなり、見にくいことこのうえありません。この自称「撮影者」は、かつて黒沢が激賞しただけあってどんな映画でもピンだけはドオンピシャリ合っていますが、それと同時につねに画面を陰鬱かつ大仰なものに変質させてしまいます。要するに、彼の眼は濁り、彼の感性の根っこには図太くどんくさい体育会的なものが盤居していて、これが木村大作という撮影者の長所でもあれば短所でもあります。

例えば彼のキャメラは、黒沢の「用心棒」や深作の「極道の妻」たちなどでは、物語に内在する不穏な空気を醸成することに貢献して一定程度の成功を収めているのですが、高倉健が主演する「居酒屋兆次」、「駅」、「海峡」などではいうにいわれぬエグさをもたらし、溝口や成瀬や小津を好む、より映像の質に敏感な都会人たちが、劇場に足を運ぶことを視覚暴力的に阻止しているのです。

 では彼の映画監督としての初仕事はどうだったのでしょうか?
まず演出の手腕に関して大きなクエスチョンマークがつきます。あれほど苦労したはずの剱岳初登頂があんなにあっけなく描かれるとは! 前に触れた感動的なラストがそのあとで出てくるとはいえ、難攻不落の孤峰がこんなに簡単に登れるのなら誰も苦労はしないでしょう。

そのほかのシークエンスでも説明抜きで救難隊が登場したり、突然ベースキャンプに到着していたりと手前勝手な演出が目立ちます。どのカットを刻み、どのカットを残し、どの長さにするかという基本的な技術とセンスがないから、こういうみっともない仕儀になるのです。また普通のプロの監督や編集者なら、この題材をもっと効果的に二時間以内の長さで収めるに違いありません。

不慣れな監督を助けるべき池辺晋一郎の音楽も最悪です。映像がいくら剱岳の四季を描いているからといってヴィヴァルディの「四季」などのヴァイオリン協奏曲の連発はないでしょう。そして感動的なシーンにはバッハ。あまりにも安易な劇伴のやり方には憤りさえ覚えます。これでは音楽家の仕事ではなくBGM屋さんの仕事ではないでしょうか。あなたはわが国を代表する作曲家らしく、この驚異の映像に拮抗するだけのオリジナル音楽を創造して仙台フィルに演奏させるべきでした。

 最後にこの映画にかかわった全員のクレジットが「仲間に」というタイトルのもとで延々と流されますが、つねに出演者名を登場順やアルファベット順に並べているウディ・アレンならともかく、映画製作にかかわった人物やら出資者やもろもろの協力会社などを、監督・俳優・音楽・美術等の専門性や職能をいっさい明示せずに、いわば亜細亜的な一視同仁視してしまう古い体質の郷党意識には、さすがに超保守反動主義者の私といえども反発せざるをえません。

♪坂の上の風呂屋の下の道端に今年も咲きたりミモザの花が 茫洋

Wednesday, March 17, 2010

フランツ・ウエルザー・メスト指揮チュウリヒ劇場管「ドン・ジョヴァンニ」を視聴する

♪音楽千夜一夜第119回

止せばいいのに、昨日メタメタに悪口を言った同じ指揮者と団体によるモーツアルトを聴いてみました。これも序曲が軽薄そのもので、テンポだけはいっちょまえにフルトヴェングラーと同じくらいの遅さですが、コクもタメもないまるで蒸留水のような演奏。お前ワルトトイフェルでもやるのかよ。

レポレロの「カタログの歌」など、私がこれまで耳にした中でも最低に近い演奏で、やれやれどうなるのかと思っていたのですが、そこはほれさすがは器の広いモーツアルト、幕が進むにつれて次第に様になってきて、村娘ツエルリーナとドン・ジョバンニの2重唱などはそれなりに聴かせてくれました。

しかし「魔笛」のパパゲーノ役ならともかく、サイモン・キーリンサイドの表題役などは、明らかなミスキャストというべきでしょう。マリン・ハルテリウスのドンナ・エルヴィラ、エヴァ・メイのドンナ・アンナ、アントン・シャリンガーのレポレロ、ラインハルト・マイヤーのマゼットもすべて2、3流の歌うたい。いや別に3流でも4流でもいいのですが、モーツアルトならでは、オペラならではの劇的感興がかけらもない演奏です。

スヴェン・エリック・ベヒトルフという人の演出は間口が狭いこの劇場の奥行きを深くしてうまく幕で仕切って何層かの構造をつくり場面転換に創意工夫を見せていましたが、所詮はそこまで。天啓と霊感はついに最後の最後まで訪れない典型的な凡演でした。

それなのに馬鹿っ面下げて「ブラボー!ブラボー!」を連発しているチュウリヒ劇場の観客は、まるでどこかの国のそれに似ているようで覚えずぞっとしました。にもかかわらずこのフランツ・ウエルザー・メストという若い指揮者の評判は欧州では上々のようで、悪評嘖々だった小澤征爾の後任としてウイーン国立劇場の音楽監督に就任するとか。

こんな吹けば飛ぶよなお兄ちゃんなら、ティーレマンやガティやパッパーノの方が百層倍もマシだと思うのは私だけでしょうか。

♪あの小澤のあとにメスト!ウイーンオペラの歴史と伝統ここにパッタリ尽きたり 茫洋

Tuesday, March 16, 2010

フランツ・ウエルザー・メスト指揮チュウリヒ劇場管「カルメン」を視聴する

♪音楽千夜一夜第118回

2008年6月下旬から7月1日までかけてスイスのチュウリヒ歌劇場で行われた公演を収録・編集したビデオを見ました。

指揮者のメストはこのビゼーの名作オペラを♪すいすいすいったららったすらすらすいのすい、とまるで楽譜の内部を植木ツバメが通り抜けるような軽快さで演奏いたします。
山崎浩太郎氏によれば、こういう手口がいわゆるひとつのなうい(←老人語)現代的な劇伴方法で、これこそが今後の指揮の主流になるのだ、などと偉そうに抜かしております。
 しかし馬鹿たり、こんな音楽的真実から限りなく逸脱してあらぬ方向に逃走するような卑劣な演奏の、どこがオペラであり、どこがビゼーなのでしょう。お前たちはさだめしかのフルトヴェングラーのモーツアルトのダポンテオペラの劇伴など一度も耳にしたことがないのだろうよ。耳をほじってよーく聞いてみろ、愚か者よ。

また山崎氏のこのような言説は、彼が10年前に新進ひょおろんかとしてデビューしたばらいのころ、ナクソスから発売された30年代のメットのヴェルディのピコなどが指揮したCDを口をきわめて褒め称えて、かうした血沸き肉躍る狂熱的な音楽ダンスこそが、オペラ本来の醍醐味であるというお前さんの正論とてんで矛盾しておるではないか。

そういう非オペラ的な指揮者が奏でる非オペラ的な演奏にふさわしく、マチアスなんとかという人の演出も、スペインの抜けるような青空の下、わが家の愛犬ムクが兵士どもに頭を撫でられて舞台の端でシッポを振ったり!するという奇妙なものであり、カルメン役のヴェッセリーナ・ペルトゥージもフェッム・ファタールとしての妖艶さと磁力に決定的に欠け、ドンホセも、エスカミリヨも、ちょうどそれに匹敵する程度の歌うたいであり、考えてみれば、そもそもここチュウリヒ歌劇場は、かのカルロス・クラーバーが在籍した時代から、楽員の指揮と技術が落ち込んでどうしようもない3流オペラハウスであったのであり、しょせんはこの程度のカルメンしか俺たちに提供できないザマなのさ。

♪3流のオペラハウスのカルメンを涙を流して聴いているビゼー 茫洋

Monday, March 15, 2010

「ドイツグラモフォン社創立111周年記念55CDセレクション」を聴いて

♪音楽千夜一夜第117回


1898年の設立から2009年に至る111年間にこのクラッシックの名門レーベルが世に送り出した55枚のレコード&CDを集めた記念碑的なコレコションです。

アルファベット順にざっとご紹介しますと、まずはアバドの隠れたブラームスの名盤である「21のハンガリア舞曲集」から始まって、私のアバター名とも相通じるかのアマデウス弦楽四重奏団による「ベートーヴェンの作品59、131」。昔懐かしアルゲリッチの「ショパンの前奏曲集」、ミケランジェリの「ドビュッシー前奏曲集&映像」、私の嫌いなホセ・カレーラスをバーンスタインが徹底的に苛め抜いた「ウエストサイドストーリー」。

お次はブーレーズの「春祭&ペトリューシカ」の再録、御大ベーム翁の泣く子も黙る「モツレク」、アホバカドゥダメルの「マラ5」、ディスカウの「冬の旅」、フルニエのバッハの無伴奏、フリッチャイのヴェルディの「レクイエム」、フルベンの「シューマン&ハイドン」、ハーンの「バッハ協奏曲集」、ホロビッツの「モスクワ・ライヴ」、ギレリスのベートーヴェン、ヨッフムの「カルミナ・ブラーナ」、カラヤンのベト9、ケンプのベト協4,5番、クライバーのベト5,7番と続きます。

それからマルケヴィッチの幻想交響曲、マゼールのメンデルスゾーン、ミンコフスキーのラモー、ムターのブラームス、てんでつまらんランランのメンチャイ、ネトレプコ、ターフェル、ヴンダーリッヒ、クヴァストホフ、ヴィラゾンのアリア集、オイストラフのチャイコン、ポリーニのショパン、リヒターのロ短調ミサ曲、ロストロのドヴォコン、リヒテルのラフコン、ヴァルヒャのバッハ等々、これでもかこれでもかのてんこもりでたったの1枚208円でした!

んで55枚中のベストワンはというと、これが我ながら意外なことにイゴール・マルケヴィッチがコンセール・ラムルー管と入れたベルリオーズの「幻想」。定評あるミュンシュ、クリュイタンスのパリ管あるいはフランス国立放送管とのライブを2割は軽くしのぎます。あの陰険なカラヤンが生涯にわたってマルケヴィッチを日陰に追いやった理由がよくわかる恐るべき名演でした。

次点は初めて耳にしたヴィラゾンのアリア集、3位はわが偏愛の指揮者フリッチャイが振った一世一代の名演、ヴェルディの「レクイエム」でした。


♪百聞は一聴に如かずロバの耳に響く王様の音楽 茫洋

Sunday, March 14, 2010

鶴岡八幡宮の大銀杏見物

茫洋物見遊山記第19回&鎌倉ちょっと不思議な物語第211回

遅まきながら先日の強風で倒れてしまった鎌倉八幡宮の大銀杏を見物に行ってきました。じつは鎌倉には、鎌倉時代の遺物としては大仏様とこの大銀杏くらいしか残されていませんから、今回の事件は、神社のみならず市民と世界遺産登録をめざす鎌倉市としても大きな損失だったのです。

現場は私のような物見高い見物客で大混雑。くだんの大木はすでに根元から切断されてその大部分が左側の空き地に積み重ねてありました。そしてかつて義経の妾静御前が頼朝夫妻の前で踊った舞殿では、若い新郎新婦の結婚式が何事もなかったかのように執り行われていました。

私は八幡様の階段のわきにある大銀杏を見るたびに、短刀を握りしめて木陰に隠れていた実朝の甥公暁の姿を想像したものです。しかし今日はいつも見慣れた30メートルに達する巨樹が、普段はあったその場所にありません。あるべきものがない。私たちの心にぽっかり空いた空虚さながらに……。この大いなる欠如が、逆にこの大銀杏のかつては偉大だった存在というものを、晴れ上がった青空に浮き彫りにしているようでした。

報道によれば、もういちどこの樹を立ち上げるために新芽をはやす養生を行うとか。もしその作業がうまくいったとしても、樹齢1千年を超すといわれる現在の大きさまでに成長するには何世代も要するわけですし、今日この大銀杏を取り囲んでいる群衆も私自身もとっくの昔に死に絶えているはずなのですが、それでも平気で偉大な神木の遺伝子を後世に残そうと考えるその心根の不思議さ。

思うに古代から受け継いだ私たちの心の奥底には依然として巨樹には神が宿るという原始的な信仰のような意識と心性が残存していて、それが縄文杉や屋久杉の前で自然に頭を垂れるという無意識の身体行動に出るのでしょう。今回も東京農大の植物の専門家がどうと倒れたこの大銀杏の前でしばし両手を合わせて祈っている姿がテレビで映し出されましたが、最先端の科学と前近代的な信仰との思いがけない出会は自然のようでもありながら、多少の違和感を伴って私の印象に残りました。


♪青空から忽然と消えし大銀杏甦れわれら一人一人の胸の裡に 茫洋

Saturday, March 13, 2010

佐々木秀一著「ロミー」を読んで

照る日曇る日第333回


1938年にナチ占領下のウイーンに生まれ、1982年に43歳でパリ7区バルベ・ド・ジュイ通り11番地のアパルトマンで死んだ女優ロミー・シュナイダーの本格的な伝記です。

ロミーと聞いて誰もが思い出すのは、アラン・ドロンと共演したジャック・ドレー監督の「太陽が知っている」、ジョセフ・ロージー監督の「暗殺者のメロディ」、オーソン・ウエルズ監督との「審判」、クロード・ソーテ監督との「すぎ去りし日の…」「夕なぎ」、ルキノ・ヴィスコンティ監督との「ルートヴィッヒ」、ジャック・ルーフィオ監督との「サン・スーシーの女」辺りでしょうか。

特にヴィスコンティ監督の「ルートヴィッヒ」でオーストリア皇后エリザーベトに扮したロミーが、白馬に跨って乗馬服で登場するシーンは、思わず息を呑む泰西名画のような超絶的な美しさ。ワーグナーの音楽とあいまって、これぞヴィスコンティ美学の真髄、といたく感じ入ったものでした。

1961年、ヴィスコンティは当時相思相愛の仲であったロミーとアラン・ドロンを英国の戯曲家ジョン・フォード原作による舞台「あわれ彼女は娼婦」に出演させますが、この成功が、若き2人の華々しいキャリアの出発点になったようです。

もうひとつ私たちがロミーで思い出すのは、その早すぎた晩年の悲劇です。1981年7月5日の日曜日の昼下がり、ロミー最愛の息子ダヴィッドは当時の義父の両親の家に入ろうとしましたが、屋敷の正面の門は鍵がかかっていたために、囲い塀をよじ登って内庭に降りようとしたところ、薔薇の茂みに足をとられてバランスを失い、その下で待ち構えていた鉄格子の先端の槍の穂先に腹部を貫かれ、懸命の治療も虚しくその日の夕方、14歳7カ月のはかない生涯を閉じてしまいます。

この悲惨な出来事がそれでなくともエキセントリックなロミーの心身を痛々しくも直撃し、睡眠薬を乱用するようになった悲劇の女優は、それでもなお渾身の力をふり絞って遺作「サン・スーシーの女」を完成させたあと、まるで精根尽きたように、その翌年心不全で亡くなります。

小柄でフォトジェニックなロミー・シュナイダーは、わが国で一昔前に活躍した鈴木保奈美という女優にちょっと似たところがありました。2人とも、普段は道行く人が誰ひとりその存在に気付かないほど地味な女性なのに、熟練のヘアメイクの手にかかるとたちまち異様な美しさで銀幕に光り輝いたものでした。

♪普通の女性が光り輝く美女となるげに化粧とは恐ろしき道具よ 茫洋

Friday, March 12, 2010

胸を打つソプラノとピアノの調べ 吉田秀和著「永遠の故郷 真昼」を読んで

照る日曇る日第332回&♪音楽千夜一夜第116回


おそらく遺作のつもりで雑誌「すばる」で連載されている(であろう)吉田氏の最新作「永遠の故郷」の第3作です。

「夜」から始まり、「薄明」に続くこの「真昼」編は、死の亡き父君に献呈され、主としてマーラーの歌曲について述べられていますが、冒頭におかれた「愛の喜び」と題されたある女性の思い出が深く心に残ります。

これは、戦後間もなく音楽の原稿を書きはじめた吉田氏を担当していた、ある女性誌の編集者と氏の、音楽を通じた余りにも短すぎた心と心のまじわりを、淡々とつづった掌編です。

声楽家志望だった彼女は、父も兄も戦争で失い、音楽学校も断念せざるを得なかったのですが、彼女は歌うことが大好きで、吉田氏のピアノの伴奏でヨーハン・マルティーニの『愛の喜び』を「明るく澄んだきれいな声で」よく歌ったそうです。

愛の喜びは束の間のもの
愛の悲しみは一生終わらない
私は不実なシルヴィアのためすべてを捨てた
彼女は私を捨て、別の恋人を選ぶ
愛の喜びは束の間のもの
愛の悲しみは一生終わらない(吉田秀和訳)

そして吉田氏はこの18世紀のドイツ生まれのオルガニスト兼作曲家の「都雅な趣と優しい華やかな」、「革命前夜のロココ趣味の咲かせた小さな残んの花とでも呼んでみたい」代表作を、手書きの楽譜に則して小節ごとに解説を加えた後で、このささやかな2人だけの楽興の時の終わりについて触れています。

飛び込みの仕事で忙殺されていた吉田氏が、久しぶりに銀座のはずれにあった彼女の出版社を訪ねてみると、夏の終わりに風邪をひいた彼女は、それがこじれて肺炎になり、入院したけれど「先週亡くなりました」と告げられます。

人はあっけなく死ぬけれど、歌の思い出は、ずいぶん遠くの世界まで私たちを導いてくれるものです。この短いエッセイを読んでいると、若くして死んだ女性の美しいソプラノとピアノの調べが、春浅い私の書斎に聞こえてくるような気がするのが不思議です。


♪人は死に 詩と音楽が 永遠に残る 茫洋

Thursday, March 11, 2010

三枝昂之著「啄木 ふるさとの空遠みかも」を読んで

照る日曇る日第331回

明治41年4月25日、思い出多き函館の街に別れを告げてからちょうど1450日目の明治45年4月13日、天才歌人石川啄木は、折しも八重桜が満開の東京小石川区久堅町の借家の貸間で、父と妻と友人若山牧水に見守られながら、あたら26歳の命を儚く散らして果てました。

その前月に死んだ母カツも、6月に生まれた次女房江も、妻節子も、長女京子も、みな結核で死んでいます。与謝野鉄幹晶子の「明星」への接近も、「自然主義」の取り込みも、偉大な小説家への夢の挫折も、大逆事件の衝撃を受けた社会主義思想の影響も、「一握の砂」の出版と名声も、突然の発病と無念の死も、すべてがたった1450日という短い時間と空間のなかでの生成だったことをおもうと、せめてあと10年の余命あらば、とその悔しさも一入です。

それはともかく、日本短歌史上に大きな足跡を遺した石川啄木の、余りにも短すぎた生涯とその芸術活動の軌跡を丁寧に追った本書は、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買い来て/妻としたしむ」くらいしか諳んじられない私にとって格好の解説書でした。

著者によればわが国の和歌革新運動の第1期は、佐佐木信綱、正岡子規、与謝野鉄幹晶子夫妻によって明治30年代に「自我の詩」をキーワードとして担われ、続く40年代の第2期において、第1期の代表選手である与謝野晶子の「熱情」を「平熱」に冷却して、新たな「生活の詩」を生みだしたのが石川啄木だというわけです。

啄木は「歌のいろいろ」で「忙しい生活の間に心に浮かんでは消えてゆく刹那刹那の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌というものは滅びない」と語っているそうですが、著者が要約する通り、「二度と帰ってこない命の1秒の、その刹那刹那を愛惜する心を、実人生となんらの間隔がない心持で歌うこと」こそ、この天才歌人の短歌観だったのでしょう。

さらに啄木は単なる生活派短歌の草分けであるだけでなく、昭和に入って渡辺順三が主導したプロレタリア短歌運動や前川佐美雄を代表者とするモダニズム短歌の源流でもあると著者は説き、その余波は、綿矢りさ、金原ひとみの小説の描写にまでも及んでいると説くのですが、

はたらけど/はたらけど/猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る
こみ合える電車の隅に/ちぢこまる/ゆふべゆふべの我のいとしさ
「石川はふびんな奴だ。」/ときにかう自分で言いて/かなしみてみる。
空家に入り/煙草にみたることありき/あわれただ一人居たきばかりに
あたらしき心求めて/名も知らぬ/街など今日もさまよいて来ぬ

などの作品をほとほとと朗読してみると、確かにそういう形跡があるような気配もしてくるのでした。

 啄木の遺言により土岐哀果の手で出版された歌集「悲しき玩具」は、啄木の言葉「歌は私の悲しい玩具である」から採られたそうですが、自在に創造することができた和歌を「へなぶり」と見下していた啄木の心根がかえって悲しみを誘います。
ちなみに「悲しき玩具」の巻頭におかれた啄木の生涯最後の歌は、次のようでした。

眼とづれど、/心にうかぶ何もなし。/さびしくも、また、眼をあけるかな。


♪もう二度と帰ることなきいまのいまをわが生の証とて歌にとどめむ 茫洋

Wednesday, March 10, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第38回

bowyow megalomania theater vol.1

「カレーおいしいですか」

「おいしいです……。えーと、えーと、岳君桜木町のドリームランド行きたい」

「え、ドリームランドって桜木町のどこにあるの?」

「えーと、えーとね、桜木町にある」

「駅のそばですか?」

「駅のそばです」

「ドリームランドでなにするの?」

「乗り物に乗りたいお」

「どんな乗り物?」

「わかりません」

「じゃあ今度お父さんとドリームランド行こうね」

「はい。今度お父さんとドリームランド行きます」

「どうやって行く?」

「えーと新型の京浜東北線に乗る」

「どこから?」

「大船から」

「いつ行くの?」

「今度です」

「誰と行く?」

「お母さんとお父さんと行く……。もうお話終わりです」


♪なのでなのでを連発すれどなのでの前がてんで分からん 茫洋

Tuesday, March 09, 2010

ハイティンク指揮ベルリン・フィルで「マーラー第3番」を視聴する

♪音楽千夜一夜第115回


マーラーのニ短調交響曲は、全部で6つの楽章で構成されています。はじめの3つの楽章は、じゅげむじゅげむちんぷんかんぷん、一体何が言いたかったのかマーラー自身もよく分からなかったと思いますが、アルトが深々と「おお人間よ、気をつけよ!」と神秘的な第一声を発するやいなや、複雑怪奇な楽想はがぜん精気を取り戻し、続く子供たちの天使の歌や女声合唱が、彼岸へのあこがれを高らかに歌い上げるのです。

そうしてこの興奮が一段落してから、現世を生きる事の喜びと悲しみがニ長調4/4拍子で奏される終曲で切々と歌われるのですが、ここにこそ彼の本領が発揮されるのです。

最初の3章こそいささか平板な演奏にとどまったとはいうものの、ベルナルド・ハイティンクは海千山千のベルリンフィルを率いて、この屈指の難曲を見事に演奏してのけます。長らくベイヌムの薫陶を受けて老成したこのオランダ人は、かつてギュンター・ヴァントの晩年がそうであったように、ただ書かれた楽譜を忠実に辿るだけで、作曲者の夢見た世界をありのままに私たちに手渡してくれる融通無碍の境地に到達したようです。

フローレンス・クイヴァーのアルト独唱、テルツ少年合唱団、エルンストゼンフ女声合唱団のアシストを得たベルリンフィルが、1990年12月にベルリンのフィルハーミニーで演奏した映像を、いまはなきフィリップスレコードがライブ収録したものです。


わが息子指差し「あんな児には近づかないのよ」と教える母親 茫洋

Monday, March 08, 2010

ジョン・フォード監督の「わが谷は緑なりき」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.26

名匠ジョン・フォードが監督したこの映画の原題は「How Green Was My Valley」です。
直訳すれば「私の谷はなんと緑色だったことよ!」という意味なのでしょうが、これを
「わが谷は緑なりき」とさらりと文語体で言い表したところが見事です。「ここに泉あり」と並ぶ名ネーミングではないでしょうか。

 しかし、かつては豊かな自然に恵まれていたという英国ウエールズ地方の美しい谷間は、ほとんど顔を出しません。その谷底に生きるモーガン一家をはじめとする労働者たち、そして彼らに生活の糧を与え、彼らの暮らしを支えるとともに時として彼らの命を奪う谷底の下の炭坑そのもの、最後に全編を彩るウエールズの民衆の合唱が、この映画の主人公なのです。

 そこで描かれるのは育ちゆく多感な少年の内面、男と女の宿命の恋と悲劇、貧しい家族同士や近隣、友人たちの間の友愛の絆とその断裂、労働者同志の連帯と対立、家族炭坑主と労働者たちとの階級的対決、正義感やプライドを持ちながらも信仰心薄く品性下劣な民衆の複雑怪奇な心根ですが、ウエールズではないもののアイルランド出身のジョン・フォード監督は、あたかもそこが自分の故郷であるかのように、この谷間に生きる人々の清濁を併せ呑むように、すべての喜怒哀楽に対していつくしみを懐きながら、美しい白黒の映像を繰り出します。

 主演は少年ヒューを演じたロディ・マクドウオール、少年の姉でヒロインを演じたモーリン・オハラ、その恋人役の牧師を演じたウオルター・ピジョンなどですが、ウキペデアによれば、当時あんなにかわいらしかったロディ・マクドウオールは、後年「猿の惑星」でコーネリアス博士を演じたというので驚きました。そして清純な美貌を誇ったモーリン・オハラは当年とって90歳でまだ存命だというのですから、これまたびっくりです。

 さらにウキペデアには、長男のイヴォールの妻であるブローウィン役のアンナ・リーが撮影当時妊娠していたのにフォードはそのことを知らずに、彼女を階段から転げ落ちるシーンを撮影したために流産させ、生涯このことを悔やんだと書かれているのですが、私が見たNHKの映像にはこのくだりは登場しませんでした。
思うに例によって2時間を超える長尺物をつくってしまったフォードのオリジナルを、20世紀フォックスの帝王と称されたこの映画のプロデューサー、ダリル・F・ザナックが自分でずたずたにカットしたに違いありません。


♪梅の花花との間に萼ありて 茫洋

Sunday, March 07, 2010

ビリー・ワイルダーの「アパートの鍵貸します」を見ながら

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.25

まず原題は確か「アパートメント」というのですが、これを「アパートの鍵貸します」とした宣伝マンは偉い。こっちのほうが事の本質をとらえています。
それから誰もがいうように、名優ジャック・レモンとシャリー・マクレーンの持ち味をフルに生かしきった名匠ビリー・ワールダーの演出の冴えは見事です。

私が勝手に思うのには、演出は指揮と同じで、思い切って速くするかうんとテンポを遅くすると効果的です。中途半端がいちばんつまらない。
例えばワイルダーやジョンフォードやトリュフォーは、トスカニーニに似て物語をキビキビ進行させ、観客に生理的な快感を与えます。小津はその正反対で、私の大好きなチエリビダッケのように些細なデテールの描写に時間をたっぷりかけるのですが、そこから普段は見えない世界が見えてくる。いわば映像と音響のミクロの決死圏ですね。

さて、この映画の冒頭は主人公が勤務する生命保険会社で、巨大なオフィス空間に大勢の社員たちが整然と並んでいます。それはアメリカ資本主義特有のテーラーシステムが猛威をふるう非人間的な管理体制を象徴しているようですが、物語はそういうカフカの「審判」的状況を踏まえながらも、この会社資本主義のアホらしさを漫画批評的に描き出すことによって笑い飛ばし、最後は等身大の愛のある生活を取り戻した恋人たちにフォーカスを当てて、ワイルダー一流の「泣き笑い人生の応援歌」をララバイしながら閉幕するのです。

酒も涙も温かい……アメリカの古く良き理想主義なるものが、まだマンハッタンのそこここに確かに存在していた時代の懐かしい置き土産といってもよい映画ではないでしょうか。


♪古き良きアメリカの黄金時代二度と帰らず 茫洋

Saturday, March 06, 2010

「網野善彦著作集別巻」を読んで

照る日曇る日第330回

マルクスは「ドイツイデオロギー」の中で、「古代が都市から出発したのに対して、中世は農村から出発した」と述べましたが、網野善彦氏の駆け足の精力的な生涯は、この有名なテーゼをあくなき文献調査と実証的研究の積み重ねを通じて、よしんば西欧の中世がそうであったとしても「我が国の中世はむしろ都市と都市的なものから出発した」と完全に逆転させるために蕩尽されたと言えるのかもしれません。

戦後間もなく日本共産党の過激な政治闘争に加担するなかで氏が1951年に書いた最初の学術論文「若狭における封建革命」と「封建制度とはなにか」(本巻に収録)では、当時のマルクス主義の公式を絶対化し、歴史の中で浮き沈みする民衆の個別具体的な存在と生活を完全に捨象する傾向が端的にあらわれていました。

こうした若書きを徹底的に自己批判し、あらゆる空虚なイデオリギーと決別して輻輳する現実のただなかに沈潜した氏は、中世荘園や荘園公領制の構造、職能民の生業と流通、列島の都市や海川山野に生きる百姓(ひゃくせい)のライフスタイルの実像を摘出する作業を通じて、列島の政治経済社会が14世紀終盤の中世前期で根本的に転換し、その構造的転換がつよく現在に及んでいることをあきらかにしながら、2004年2月に肺がんによってその試行の大成の道を余儀なく絶たれるまで、偉大な歴史学者としての本領を遺憾なく発揮し続けました。

ほとんど徒手空拳の試行錯誤を断行するなかから、氏はマルクスを疑い、石母田正、松本新八郎を疑い、「農民」を疑い、「封建制」を疑い、やがて「日本」そのものを疑い、「戦後」を疑い、「天皇」を疑うことになったのです。
学界のすべての既成の権威と秩序を疑い、世の常識のすべてを疑い尽くした人が不毛の荒野の上に構築した巨大な城塞を仰ぎ見ながら、あとに続く私たちがなすべきことは、この強固な城と構築者そのものをも徹底的に疑うことによって大胆に乗り越えていくことではないでしょうか。

♪己も世界も疑え疑えすべてを疑え 茫洋

Friday, March 05, 2010

東博で「長谷川等伯展」を見る

茫洋物見遊山記第18回

没後400年を記念して東京国立博物館で開催中の「長谷川等伯特別展」を見ました。
彼の代表作として有名な6曲1双の「松林図屏風」はこの博物館の所蔵品なのでこれまでも何回か見物してきたのですが、まずは再晩年の傑作から鑑賞しておこうと第7室に足を運びました。

これはやはり東洋西洋すべての絵画の中でも極め付きの名品です。
等伯がこの屏風に描こうとしたのは、もはや現実の松林ではなく、その松林の彼方にある彼の心象風景です。この松や霧や風が象徴するものは、法華経の教えを胸に秘め、信長、秀吉、家康という戦国時代の領袖の御機嫌をとり結びながら必死で生きた天才絵師の、権力と抗い、己の理想を求め、激しく律動する心の軌跡そのものなのです。

私たちがここで見出したものは、墨の濃淡の限りもないバリエーションの裏側に潜んでいる人間存在の強烈な光と影、地上の欲望から脱して善悪の彼岸に遊びたいと願う孤独な魂の彷徨、そして絵筆1本でこの世にあらざる究極の美を目指そうとした絵師の、もはやなにものにもとらわれない自由奔放な藝術的理想の境地、すなわち安土桃山時代が生み出した孤高のパンクの精神なのです。

能登の絵仏師として若くして頭角をあらわした長谷川信春の武器は、その写実的な造形力と華麗な色彩力でした。会場の最初に陳列されている「十二天像」はその最良の証です。
やがて京に出て等伯と名乗った田舎絵師は、法華経ゆかりの羅漢像や達磨像、中国伝来の山水画の技法を身につけ、あの有名な大徳寺山門の壁画や千利休像など幾多の佳作を製作し続けます。

次第に実力と名声を兼ね備えてきた等伯が飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野派と対抗して取り組んだのは、桃山時代を代表する豪華絢爛な金碧画でした。会場狭しと並べられている京都智積院所蔵の「楓図壁貼付」や「松に秋草図屏風」には、等伯の破綻を恐れない大胆な構図と奔放な色彩が全面展開されており、彼のシュトルムウントドランクな自立精神と鬼神も恐れないアバンギャルドな実験精神は、わが国の絵画史始まって以来の破格のものであったことがよく理解されます。

「柳橋水車図屏風」のポップや「萩芒図屏風」の象徴主義、「波濤図」のアールデコなど同時代の西洋絵画にはるか先駆ける斬新さと迫力は、守旧派の狩野派にはけっして見られないていのもので、これら作品を眺めていると、彼らがなぜあれほど執拗に等伯派を敵視したのかという理由も、おのずと得心できるというものです。

一代の英雄秀吉が死んで治国平天下を目指す家康の時代に入ると、等伯の関心は水墨画に向かいますが、「瀟湘八景図屏風」や「竹林七賢図屏風」などの気宇壮大な構図と植物や岩山のまるで動きだそうとするような生き生きした表現は、私があまり評価しない雪舟の山水画とは正反対の光彩陸離の素晴らしさです。
また「山水図襖」の怪奇幻想、「竹林猿猴図屏風」や「竹虎図屏風」における動物の愛すべきユーモラスな表情も逸することができないでしょう。

このように時代とともに微妙に変化した彼の作風でしたが、彼が多年にわたって培ってきた多種多様なジャンルにおける色・柄・デザインの技法が集大成され、6曲1双の小さな世界に炸裂したものが、冒頭で触れた「松林図屏風」の巨大な精神世界でした。

次第に混雑してきた会場を去る前に最後の一瞥をくれた私の脳裏に浮かんだのは、現世をすみやかに解脱し、宇宙における栄枯不滅の生命の透明な輝きを願う、かの桃山のパンクアーチストの見果てぬ夢でした。
 

   ♪今日も元気だ桃山パンク黒墨捲れば紅蓮の炎 茫洋

Thursday, March 04, 2010

塚原琢哉写真展「シレジア」を見て

茫洋物見遊山記第17回

シレジアというのはポーランドの地名です。かつてこの地方には、19世紀の終わりから20世紀の終わりごろまで、欧州の重化学工業を支える巨大な炭坑がありました。しかしシレジアは、現在ではわが国の三井三池と同様、生産施設も工場も住宅も誰ひとり訪れることもない見捨てられた廃墟となっています。

塚原琢哉がレンズを向けたのはその第1次産業と労働運動のかつての栄光の拠点でした。しかし黄昏の光にセピア色に照らし出された作業塔やコンベアや事務所や集会場や職員住宅には過去へのノスタルジーは感じられません。不在の労働者たちへの懐旧や悲嘆の情も皆無です。それらはいまはやりの建築遺産などでは断じてなく、時空を超えた物質それ自体なのです。かつて己をつくった人間からは遠く離れて、ただ一個の物として屹立している物たちを眺めていると、「物の生命は人間よりも長い」という不滅の真理を、ここでもまた思い出さないわけにはいかないのでした。

なお本展は今月いっぱい東京工芸大学写大ギャラリーで開かれていて、来る3月6日にはフォトグラファー自身によるギャラリートークもあるようです。


 ♪人よりも物の命は長ければ物に過ぎぬと驕るなかれ人 茫洋

Wednesday, March 03, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第37回

bowyow megalomania theater vol.1


「岳君、南武線に乗ったことある?」

「ないお。ありません」

「南武線に乗りたい?」

「乗りたいです」

「岳君、京浜東北線乗った?」

「乗りました」

「新型ですか旧型ですか」

「旧型です」

「新型は乗った?」

「乗れなかったお」

「新型に乗りたいですか?」

「乗りたいです」

「新型に乗ってどこへ行きたいですか?」

「えーと、えーと、桜木町行きたい」

「桜木町のどこですか?」

「健康福祉センター」

「そこでなにしたいの?」

「えーと、えーと、お昼ごはん食べたい」

「どんなご飯ですか?」

「カレーですよ」


♪欠陥車作りし咎を身に負いて謝り続けるトヨタ社長 茫洋

Monday, March 01, 2010

「新版クラシックCDの名盤演奏家篇」を読んで

照る日曇る日第329回&♪音楽千夜一夜第114回

音楽評論家の宇野功芳、中野雄、福島章恭の3氏によるクラシックCD批評です。私の好き嫌いや評価とは異なる部分もありますが、小沢征爾の音楽の程度がいかに低いか、アイザック・スターンを中核とするユダヤ・マフィアがチョン・キョンファなどの異端分子をいかに過酷に弾圧したか等々、あっと驚く音楽談義が満載です。

さて本邦に音楽評論家多しといえども、吉田秀和氏と宇野功芳氏ほど我が国のクラシックファンに決定的な影響を与え、今なお与え続けている人物はいないでしょう。
前者は当時無名だったグレン・グールドを世に送り出し、晩年のホロビッツの演奏を「壊れた骨董品」と評したことで、後者は偉大な指揮者朝比奈隆の令名を一躍高めたことによって、凡百のヒョーロン家どもがロバの耳の持ち主であることをあざやかに証明してみせました。朝比奈氏本人がつねづね「自分の今日あるは宇野氏のお陰です」と語っていたことがなによりの証拠です。

しかしそれだけではありません。クナパーツブッシュやシューリヒト、ムラビンスキーの指揮の素晴らしさを声を大にして唱え続け、ついにその「洛陽の音価」を高からしめたことも宇野氏ならではの大きな功績でしょう。既成の権威や固定観念に左右されず、ただ自分の耳だけを信じて演奏の良し悪しを断固として下す氏には幾百万の敵がいるのでしょうが、熱狂的な信者やファンもまた多いようです。

その宇野氏が、本書で耳寄りな話を書いています。なんでも私の大嫌いな元N響音楽監督のシャルル・デュトワはめっぽう女性にもてる色男で、(かつてはアルゲリッチと結婚していたことは私も知っていましたが)、韓国の天才的ヴァイオリニストのチョン・キョンファ、そして最近ではわが国の諏訪内晶子と付き合って子をなしたために、それがもとで夫からのDVに遭ったというのです。あくまでも噂話だと断ってはありますが、もし本当ならそれが彼女の長期にわたる低迷の理由ではないでしょうか。

ケンウッドの代表取締役を務めてから音楽プロデューサーとして世界を駆け回っている中野氏のお好みが、かつてロイヤル・コンセルトヘボウで長くコンマスを務めたヘルマン・クレバースとは我が意を得たりの思いでした。このクレバースとウイーンフィルのヘッツエルこそ、わが偏愛してやまないヴァイオリニストでしたから。
また中野氏がハーゲンやエマーソン、アルバンベルクSQなどを評価せず、歴史に残るカルテットは、ブッシュ、バリリ、ウイーン・コンツエルトハウス、アマデウスSQと断言しているのもさすがです。

最後に、宇野、中野両氏にくらべて30歳程も若い福島氏が、「CDの寿命はおよそ30年だ!」と断言しているのには驚きました。実際つい先日私が昔買ったグラモフォンのホロビッツの盤面が陥没崩壊しているのを目のあたりにして衝撃を受けたばかりだからです。3度の食事を2度にしてせっせと買い集めた数万枚の私のコレクションの運命やいかに?

♪美しきヴァイオリニストをたぶらかす希代の色事師とく本業に戻れ 茫洋