Friday, March 05, 2010

東博で「長谷川等伯展」を見る

茫洋物見遊山記第18回

没後400年を記念して東京国立博物館で開催中の「長谷川等伯特別展」を見ました。
彼の代表作として有名な6曲1双の「松林図屏風」はこの博物館の所蔵品なのでこれまでも何回か見物してきたのですが、まずは再晩年の傑作から鑑賞しておこうと第7室に足を運びました。

これはやはり東洋西洋すべての絵画の中でも極め付きの名品です。
等伯がこの屏風に描こうとしたのは、もはや現実の松林ではなく、その松林の彼方にある彼の心象風景です。この松や霧や風が象徴するものは、法華経の教えを胸に秘め、信長、秀吉、家康という戦国時代の領袖の御機嫌をとり結びながら必死で生きた天才絵師の、権力と抗い、己の理想を求め、激しく律動する心の軌跡そのものなのです。

私たちがここで見出したものは、墨の濃淡の限りもないバリエーションの裏側に潜んでいる人間存在の強烈な光と影、地上の欲望から脱して善悪の彼岸に遊びたいと願う孤独な魂の彷徨、そして絵筆1本でこの世にあらざる究極の美を目指そうとした絵師の、もはやなにものにもとらわれない自由奔放な藝術的理想の境地、すなわち安土桃山時代が生み出した孤高のパンクの精神なのです。

能登の絵仏師として若くして頭角をあらわした長谷川信春の武器は、その写実的な造形力と華麗な色彩力でした。会場の最初に陳列されている「十二天像」はその最良の証です。
やがて京に出て等伯と名乗った田舎絵師は、法華経ゆかりの羅漢像や達磨像、中国伝来の山水画の技法を身につけ、あの有名な大徳寺山門の壁画や千利休像など幾多の佳作を製作し続けます。

次第に実力と名声を兼ね備えてきた等伯が飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野派と対抗して取り組んだのは、桃山時代を代表する豪華絢爛な金碧画でした。会場狭しと並べられている京都智積院所蔵の「楓図壁貼付」や「松に秋草図屏風」には、等伯の破綻を恐れない大胆な構図と奔放な色彩が全面展開されており、彼のシュトルムウントドランクな自立精神と鬼神も恐れないアバンギャルドな実験精神は、わが国の絵画史始まって以来の破格のものであったことがよく理解されます。

「柳橋水車図屏風」のポップや「萩芒図屏風」の象徴主義、「波濤図」のアールデコなど同時代の西洋絵画にはるか先駆ける斬新さと迫力は、守旧派の狩野派にはけっして見られないていのもので、これら作品を眺めていると、彼らがなぜあれほど執拗に等伯派を敵視したのかという理由も、おのずと得心できるというものです。

一代の英雄秀吉が死んで治国平天下を目指す家康の時代に入ると、等伯の関心は水墨画に向かいますが、「瀟湘八景図屏風」や「竹林七賢図屏風」などの気宇壮大な構図と植物や岩山のまるで動きだそうとするような生き生きした表現は、私があまり評価しない雪舟の山水画とは正反対の光彩陸離の素晴らしさです。
また「山水図襖」の怪奇幻想、「竹林猿猴図屏風」や「竹虎図屏風」における動物の愛すべきユーモラスな表情も逸することができないでしょう。

このように時代とともに微妙に変化した彼の作風でしたが、彼が多年にわたって培ってきた多種多様なジャンルにおける色・柄・デザインの技法が集大成され、6曲1双の小さな世界に炸裂したものが、冒頭で触れた「松林図屏風」の巨大な精神世界でした。

次第に混雑してきた会場を去る前に最後の一瞥をくれた私の脳裏に浮かんだのは、現世をすみやかに解脱し、宇宙における栄枯不滅の生命の透明な輝きを願う、かの桃山のパンクアーチストの見果てぬ夢でした。
 

   ♪今日も元気だ桃山パンク黒墨捲れば紅蓮の炎 茫洋

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