Sunday, March 14, 2010

鶴岡八幡宮の大銀杏見物

茫洋物見遊山記第19回&鎌倉ちょっと不思議な物語第211回

遅まきながら先日の強風で倒れてしまった鎌倉八幡宮の大銀杏を見物に行ってきました。じつは鎌倉には、鎌倉時代の遺物としては大仏様とこの大銀杏くらいしか残されていませんから、今回の事件は、神社のみならず市民と世界遺産登録をめざす鎌倉市としても大きな損失だったのです。

現場は私のような物見高い見物客で大混雑。くだんの大木はすでに根元から切断されてその大部分が左側の空き地に積み重ねてありました。そしてかつて義経の妾静御前が頼朝夫妻の前で踊った舞殿では、若い新郎新婦の結婚式が何事もなかったかのように執り行われていました。

私は八幡様の階段のわきにある大銀杏を見るたびに、短刀を握りしめて木陰に隠れていた実朝の甥公暁の姿を想像したものです。しかし今日はいつも見慣れた30メートルに達する巨樹が、普段はあったその場所にありません。あるべきものがない。私たちの心にぽっかり空いた空虚さながらに……。この大いなる欠如が、逆にこの大銀杏のかつては偉大だった存在というものを、晴れ上がった青空に浮き彫りにしているようでした。

報道によれば、もういちどこの樹を立ち上げるために新芽をはやす養生を行うとか。もしその作業がうまくいったとしても、樹齢1千年を超すといわれる現在の大きさまでに成長するには何世代も要するわけですし、今日この大銀杏を取り囲んでいる群衆も私自身もとっくの昔に死に絶えているはずなのですが、それでも平気で偉大な神木の遺伝子を後世に残そうと考えるその心根の不思議さ。

思うに古代から受け継いだ私たちの心の奥底には依然として巨樹には神が宿るという原始的な信仰のような意識と心性が残存していて、それが縄文杉や屋久杉の前で自然に頭を垂れるという無意識の身体行動に出るのでしょう。今回も東京農大の植物の専門家がどうと倒れたこの大銀杏の前でしばし両手を合わせて祈っている姿がテレビで映し出されましたが、最先端の科学と前近代的な信仰との思いがけない出会は自然のようでもありながら、多少の違和感を伴って私の印象に残りました。


♪青空から忽然と消えし大銀杏甦れわれら一人一人の胸の裡に 茫洋

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