Wednesday, December 31, 2008

謹賀新年

♪ある晴れた日に 第49回

ブルーベリー、苺無花果林檎ジャム数々あれど柚子が大好き

何事のおわしますかは知らねども胸に満ち来る光一筋

若水をこころに浴びて命かな

立ったまま朽ちてゆかなむ0九年 


本年もよろしくお願いいたします。

Tuesday, December 30, 2008

西暦2008年茫洋師走歌日記

♪ある晴れた日に 第48回


身を挺し敗者の胸を抱きとめるレフリーのごとき裁定者欲し 

ブルックリンのドラッグストアの四つ角でプカリ浮かんだジタンの煙よ

ハイランドの坂をあえぎながら登りゆきし3台のトラックの名は信望愛

ねえニザン20歳がもっとも醜いときだなんて誰もが知ってるさ

おやびんのためなら滅私奉公 お国も王も喜んで裏切りますぜ

奏者全員死者のミサ曲聴けば冥界より手招きさるる心地して

硝煙燻ぶるバリケードに仁王立ち最後の1発を放ちし老革命家に乾杯

遥かなるエルドラドの輝きは幻かわれら冷え行く鉄の時代に生きる者

俯いて地面に何を書いていたのか己に罪なしと信ずる者より石を打てといいいし人は

意味のある言葉を吐きたくない朝もある

平安の御代の源氏も式部も紫も雅な京都弁を喋っていた

楽しみは亡き母ゆかりの谷根千をひとり静かにさすらうとき

文を読めば音楽が聞こえてくるような文を書きたし
 
文を書けば己の血がでるそのような文も書きたし
 
時代も世紀も煎じ詰めればこの一瞬のわれらの行状に尽きる
 
フルベン王は死せり後は洪水垂れ流すのみとカラヤン嗤う
 
夕焼けの公孫樹の下に眠りたり雑司ヶ谷なる大塚夫妻
  
さらばベネチア沈みゆく関東ローム層で弔鐘を鳴らすのは誰

ぐららがあぐ おんぎゃあどれんちゃ ぶおばぶば ぐちゃわんべるる ううれえんぱあ
 
またひとりパパゲーノ見つけたり広大なるロシアの森に

障害者を障がい者とひらくこころの優しさよ

降っても照っても元気に行くよ俺たち陽気な3馬鹿大将

バーキンが別れに呉れし☆リース部屋に飾りてクリスマス迎う

サラリマンは哀しきものよアホ馬鹿の咎を背負いて血肉であがなう

異邦人を愛したことのない人は永遠に彼らを差別するだろう

われもすべてをなげうちおどりくるうてだいくわんきのうちにしにたし

困った時には神風が吹く安んじて死地に赴け汝陛下の赤子共



☆俸給生活者はつらいよ

俸給生活者は達成不可能なノルマもなんとか達成しなければならぬ
俸給生活者は他社より劣った製品をそれと知りつつ売り込まねばならぬ
俸給生活者は40度の高熱を押して出社せねばならぬ

俸給生活者は哀しいよ

俸給生活者は理不尽な人事の憂き目を見なければならぬ
俸給生活者は嫌な上司も好きにならねばらぬ
俸給生活者は最低の部下も愛さねばならぬ

俸給生活者はえらいよ

俸給生活者はアホ馬鹿消費者のわがままを否定しない
俸給生活者はクレーマーの唾を浴びながら謝罪する
俸給生活者はアホ馬鹿社長に代わって土下座までする


俸給生活者は楽しいよ

俸給生活者はともかく毎月給料をもらえる
俸給生活者は会社の金を使える
俸給生活者は会社をだしにして己の欲望をかなえることができる

俸給生活者はすごいよ

俸給生活者は家庭や家族を忘却することができる
俸給生活者は会社の金で豪遊できる
俸給生活者は棚牡丹餅ボーナスを年に2回ももらえる

俸給生活者はサイコーだよ

俸給生活者は仕事ができなくても出世できる
俸給生活者はなんだか分からぬ権力を手中に収める
俸給生活者は何の根拠もなく己を偉い者だと思ったりする


しかし俸給生活者は、ある日突然リストラされる


柚子四ツ浮かべたる風呂の楽しさよ

雪でも降れだんだん東京が厭になる

吉田家でプーランク聴こえる小町かな

ルビコンを渡らぬ人のいとおしき

国も人も三割縮む年の暮

オオフロイデ、蛍の光で年は暮れ



では皆様、よいお年を!

Monday, December 29, 2008

西暦2008年茫洋読書回想録

照る日曇る日第212回

 歳末につき、08年に私が読んだ本の中からベスト数冊を挙げておきましょう。

まずはわが敬愛する歴史家網野善彦の著作集(岩波書店)から「第5巻蒙古襲来」と「第11巻芸能・身分・女性」の2冊。いずれも日本中世の深奥に血路を切り開く知の冒険は身震いするほど感動的です。ただ情報や資料を客観的に分析して要素還元式レポートを書いていればそれで良しとする学者と違って、彼には彼独自の不逞な志があり、それが私を魅了するのだと思います。   

 「日本人は思想したか」(新潮文庫)は梅原猛、吉本隆明、中沢新一の新旧思想家による日本思想史の大総括書です。今から10年以上前の対談ですが、いま読んでも随所に斬新な知見がちりばめられており、再読三読の価値があると思います。

吉田秀和「永遠の故郷-夜」(集英社)は、音楽ファン以外の人にもお薦めの1冊。小林多喜二がビオラを弾いて著者の母上のピアノとデュオを組んだ話、同じ小樽での年上の女性との初めての接吻、大岡昇平の愛したクリスマスローズの花が吉田邸の庭に植えられていることなど数々のエピソードの花束によって飾られた心に染み入る珠玉の随筆です。

 今年は小島信夫の本をかなり読んだのですが、いずれも深い感銘を受けました。
菅野満子の手紙」(集英社)では、作者は自分と他人とそれ以外の全世界をちっぽけな筆一本であますところなく表現しようとしています。それはすべての作家が夢見る夢であるとはいえ、そんなことはしょせんは絶望的に不可能なのですが、それでも彼は断固として些細な断片から壮大な全体の構築への旅に出かけるのです。
そのために話柄は次々に横道わき道に逸れ、さまざまなエピソードが弘法大師の鎚で突かれた道端の泉のように噴出し、そこに花々が咲き、蝶々が飛来し、長大な道草が延々と横行し、物語のほんとうの主題を作者も読者もたびたび見失うのですが、そんな道行きが幾たびも繰り返されるうちに、小説の醍醐味とは小説の到達点に到達することではなく、小説の現在をいま思う存分に生きることなのだ、ということが身にしみるようにして体得されてくるのでした。

 森見登美彦著「有頂天家族」(幻冬舎)のエネルギッシュなエンターテインメントには脱帽しました。
かつて私がケネディ大統領が暗殺された年に暮らしていた京都を舞台に、主人公である狸の一族と鞍馬に住む天狗と人間の3つの種族が、表向きは人間の姿かたちをしながら現実と空想が重層的に一体化された悲喜こもごも抱腹絶倒の超現実物語が展開されていくのです。血沸き肉躍るカタリこそが小説の本来の魅力であることをこれほど雄弁に証明しているロマンは、この糞面白くもない平成の御世にあって珍しいのではないでしょうか。

次は川上弘美の「風花」(集英社)です。そんじょそこいらのどこにでもいそうな主婦が亭主に浮気されて、それをしおに彼女は自分自身を、夫を、そして世界というものを見つめなおし、自分と自分を含めた全部の世界を取り返そうとする。そういういわば世間でも小説世界でもありふれたテーマを、作者はこの人ならではの文章できちんと刻みあげていき、最後の最後でどこかお決まりの小説とはかけ離れた非常な世界へと読者を連れ込んでそのまま放置してしまう。これこそ当代一流の文学者の凄腕でしょう。

続いては、私の尊敬するマイミクさんでもある新進気鋭の思想家、雑賀恵子さんの新著「エコ・ロゴス」(人文書院)に瞠目しました。「存在」と「食」をめぐる著者の思考は、時空を超えて軽やかに飛翔しながら、私たちを未踏の領域に導いていきます。

さて、今年はずいぶん遠ざかっていたドストエフスキーを久しぶりに手に取りました。話題の光文社版ではありません。手垢のついた米川版です。昔から雑誌は改造、文庫は岩波、浪曲は廣澤虎造、小唄は赤坂小梅、沙翁は逍遙、トルストイは中村白葉、ドストは米川正夫と相場が決まっているのです。  「カラマーゾフの兄弟」(昭和29年河出書房版)の最後の最後のエピローグで、多くの子供たちに囲まれてアリョーシャが別れの言葉を述べるくだりは、モーツアルトの「フィガロの結婚」の末尾の合唱を思わずにはいられません。それは愛と許しと世界の平和を願う音楽です。同じ作曲家による「魔笛」のパパゲーノとパパゲーナの歌や少年天使の歌、近くはパブロ・カザルスの「鳥の歌」と同じ主題をドストエフスキーは臆面もなく奏でているような気がしました。

私にとって、本を読むということは、毎日ご飯やパンを食べるようなものです。食べるはしから排泄していって昨日の朝は何を食べたのかすら忘れてしまう。これではあまりに健忘症ではないかということで06年の7月から読書覚書をつけるようになりましたが、さきほど今年読んだ本を数えてみたらわずか90冊。年々気力体力視力が衰えてくるので消化する本の数も落ち込んでいくのです。

しかし読むべき本の数は年々積み上がります。晩年の中原中也がいうたように、量より質、1冊1冊を一期一会、最後の晩餐とみなして精読し、壊れゆく脳内の記憶を死守していきたいと願っている次第です。


♪国も人も三割縮む年の暮 茫洋

Sunday, December 28, 2008

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで その4

照る日曇る日第211回

いわゆる元寇は、第1回が文永11年1274年、第2回目が弘安4年1281年であるが、来襲したモンゴル、高麗、漢、(弘安の役は江南軍も)の大軍勢はいずれも台風の被害に遭っている。

しかし「文永の役」でそれがあったかなかったかについてはまだいろいろな議論があるようであるが、「弘安の役」における暴風雨の来襲は確実で、戦死・溺死する者元軍10万、高麗軍7千、総敬14万の大軍はそのおよそ4分の3を失った。

著者は、元軍壊滅の原因は台風ももちろんであるが、モンゴル、高麗、漢、江南軍の4つの混成寄せ集め部隊の内部対立が主因であり、宿敵同士の指揮官の行動には終始統一と団結が欠けていた。さらに専制的な強制によって建造された軍船はモンゴルによって滅ぼされた中国の船大工が手抜きしたといわれるほど脆弱な造りであったことなどを指摘している。

しかし日本軍の防衛体制も脆弱そのもので挙国一致などとはお世辞にもいえず、まことに薄氷の勝利であったと言わざるをえない。世評とは裏腹に無能の将軍北条時宗は鎌倉八幡宮に異国降伏の祈祷をするくらいのことしかしていないが、そこは腐っても鯛、執権政治の最盛期であったために竹崎季長、河野通有などの勇猛な御家人の敢闘の前に、元軍の侵攻は「失敗すべくして失敗」したのである。

ところが戦後油然としてわき起こったのは元軍敗北は神風の仕業であり、寺社仏閣の神威であるという愚かな見解であった。以前からあった、日本は神国であり神明の加護する特別な国であるというあほらしい考え方はさらに強まり、仏は神が姿を変えて現れたとする反本地垂迹説や伊勢神宮外宮の神官度会氏の唱える伊勢神道はこのような愛国的空気のなかで形成され、その663年後、このアトモスフェアをKYした狂気の軍人どもによって「神風」特攻隊の悲劇が起こったことを私たちは忘れるわけにはいかない。


  ♪困った時には神風が吹く安んじて死地に赴け汝陛下の赤子共 茫洋

Saturday, December 27, 2008

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで その3

照る日曇る日第210回


ちょうどその頃、一遍は京の五条烏丸東の因幡堂の縁の下で乞食と共に眠っていたが、弘安2年1279年の8月、信濃の善光寺に向かった一遍は食器の鉢をたたき、念仏を唱えながら踊り出した。一遍が踊ると乞食も癩の者も頭をふり、足をあげ、高声で念仏を唱えて踊りはじめた。

はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの
のりのみちをば しる人ぞしる
ともはねよ かくてもをどれ こころこま
みだのみのりと きくぞうれしき

踊りと念仏のなかで、人々は歓喜に導かれていった。このようにして
おのずから動く手足を動かし、心のままに躍り声をあげることによって自然な野生のよろこびを一遍は抑圧された民衆の心にわきたたせていったのである。

一遍は遍歴・漂泊する人々と共に歩み、遊行した。弘安7年1284年、京の桂を発って丹波の篠村に着いた一遍の周囲にいたのは「異類異形にしてよのつねにあらず」、利のために狩猟、漁労などの殺生を業とする人たちであった。彼らが頭を振り、肩をゆすり、一糸まとわぬ姿になって踊っていると頭上から花々が降り注ぎ、紫雲がたなびいたという。

正応2年1289年、摂津国兵庫島の和田岬で一遍は静かな往生を遂げたが、「葬礼の儀式をととのうべからず。野にすててけだものにほどこすべし」という遺言は守られず、彼の遺体は岬の観音堂に埋められた。彼の死に接し入水自殺を遂げた7人の僧と非人の成仏する姿は「一遍聖絵」で今日もつぶさに見ることができる。

以上は、本書からの自由な引用でした。


♪われもすべてをなげうちおどりくるうてだいくわんきのうちにしにたし 茫洋

Friday, December 26, 2008

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで その2

照る日曇る日第209回

「立正安国論」を書いて国難に臨む執権時宗に意見具申をはかった日蓮は「念仏は無間地獄、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説なり」という「四箇の格言」を掲げ、モンゴルを退けうるのは日本第一の法華経の行者われをおいてほかになしと小町の門々で絶叫したために、文永8年9月12日、得宗御内人の代表的人物平頼綱によって逮捕され、いままさに瀧口寺で処刑されようとした。

伝説では「一天にわかにかき曇り大なる雷鳴なりひびき刀は宙に舞いにけり」ということになってはいるが、実際には平頼綱の最大のライバル筆頭御家人の安達泰盛の時宗への進言の結果である、と著者はいう。蒙古襲来の前夜、鎌倉幕府の御家人と得宗との対立はぬきさしならぬ様相を呈していた。

九死に一生を得た日蓮であるが、その説教はますます火を吐くように過激になり、その攻撃の矛先は鎌倉極楽寺の勧進上人、忍性に向けられた。
日蓮は、「生身の如来」と仰がれながらじつは布絹財宝を貯え、利銭借請を業としている生臭坊主の貧民への施しは偽善でしかない、と弾劾し、この年の大旱魃に当たって祈雨の法験を争おう、と忍性に挑んだのである。

北条一門と癒着する宗教者のみならず北条政権そのものに対してもまっこうから批判を加え始めた日蓮は、はげしい弾圧に身をさらしつつ、この弾圧それ自体のなかに法華経の真理のあかしを読み取り、その確信のなかから「われはセンダラ(賎民)が子、片海の海人が子」という発言が生まれた。権力の課した過酷な弾圧は、ここに一個の不屈の思想家を誕生せしめたのである。(P139)

しかしながら日蓮は、「モンゴル来襲の非常時に忍性ごときを信じている輩は殺され、女は他国へ連れ去られるだろう。白癩・黒癩・諸悪重病の人々、多かるへし」と差別的妄言を吐いている。かれども、その癩病の患者を背負ってこれを救おうとした人こそ、ほかならぬ忍性であった。


♪異邦人を愛したことのない人は永遠に彼らを差別するだろう 茫洋

Thursday, December 25, 2008

サラリマン音頭

♪ある晴れた日に 第47回


俸給生活者はつらいよ

俸給生活者は達成不可能なノルマもなんとか達成しなければならぬ
俸給生活者は他社より劣った製品をそれと知りつつ売り込まねばならぬ
俸給生活者は40度の高熱を押して出社せねばならぬ

俸給生活者は哀しいよ

俸給生活者は理不尽な人事の憂き目を見なければならぬ
俸給生活者は嫌な上司も好きにならねばらぬ
俸給生活者は最低の部下も愛さねばならぬ

俸給生活者はえらいよ

俸給生活者はアホ馬鹿消費者のわがままを否定しない
俸給生活者はクレーマーの唾を浴びながら謝罪する
俸給生活者はアホ馬鹿社長に代わって土下座までする


俸給生活者は楽しいよ

俸給生活者はともかく毎月給料をもらえる
俸給生活者は会社の金を使える
俸給生活者は会社をだしにして己の欲望をかなえることができる

俸給生活者はすごいよ

俸給生活者は家庭や家族を忘却することができる
俸給生活者は会社の金で豪遊できる
俸給生活者は棚牡丹餅ボーナスを年に2回ももらえる

俸給生活者はサイコーだよ

俸給生活者は仕事ができなくても出世できる
俸給生活者はなんだか分からぬ権力を手中に収める
俸給生活者は何の根拠もなく己を偉い者だと思ったりする


しかし俸給生活者は、ある日突然リストラされる


♪サラリマンは哀しきものよアホ馬鹿の咎を背負いて血肉であがなう 茫洋

Wednesday, December 24, 2008

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで

照る日曇る日第208回

鎌倉時代の農民とは一線を画して、海賊をも業とする海民、殺生をも業とする山民の世界があった。

11世紀半ばに「鬼の子孫」と自称し、都の人々からもそう呼ばれていた京の都の郊外の里に住む八瀬童子は、代々刀自に率いられた集団であったが、山門の青蓮院門跡に属し天皇の賀輿丁もつとめた彼らは、炭を焼き、薪を売るなどの山仕事を業とする山の民だった。

大原の里に住む人々もこれと同様な集団で、当時の大原女は鈴鹿山の女盗賊と同じように荒くれだった炭売り商人であり、現在の鄙びた花売り娘とはまるで違う逞しい存在だった。
桂、大井、宇治など山城を中心に流れる河川のすべてを漁場として天皇から認められていた鵜飼の女性たちは、大原女と同様に頭に白い布をまき、鮎などの魚を売り歩く商売女であった。

宝冶2年1248年、漁場の争いに激昂した桂女たちは院の御所に集団で押しかけちょうど退出してきた摂政近衛兼経の背に向かって声高に罵ったという。
その桂女は室町時代から特徴あるかぶりものをかぶる遊女の一種とみなされ、そのたおやかな優艶さで知られるようになっていくが、これを女性の存在の仕方の時代的進化と呼ぶのか退化と呼ぶのかは微妙なところである。

♪身を挺し敗者の胸を抱きとめるレフリーこそは闘士なりけり 茫洋

♪身を挺し敗者の胸を抱きとめるレフリーのごとき裁定者欲し 茫洋

Tuesday, December 23, 2008

こんな夢を見た

バガテルop78

昨夜衛星放送で黒澤の「夢」という映画をやっていた。前にも見たことがあるのだが、随所に素晴らしい情景が出てくる名画なのでじっと眼を凝らしていたのだが、そのうちに猛烈な睡魔に襲われてしまった。仕事の疲れがどっと出たらしい。仕方なく幻の兵隊が回れ右して暗闇のトンネルにザックザックと姿を消したあたりで寝室に引き揚げて眠ってしまった。

「夢は第2の人生である」という名文句を吐いたのは仏蘭西の偉大な詩人ジェラール・ド・ネルヴァルだが、そんな因果の関係からなにかひとつくらいささやかな夢を見るかと思っていたのだが、ひとかけらすら見なかった。

そこで、というのも妙な話だが、2002年10月3日に私が見た夢を備忘録として記しておこう。

昨夜見た夢の中で昔死んだ近藤さんを見かけた。近藤さんの顔は茶色の斑点入りのヴェールのようなもので覆われていたためにちらとしか見えなかったが、たしかにそれは近藤さんだった。彼女が腰をおろしていた丸いテーブルの反対側にはでっぷり太った広瀬さんが座っていた。でもどうしてガンで死んだ女性が生きているのか。もしかして男性の広瀬さんももう死んでしまっているのではあるまいか、と怪しみながら、僕が丸いテーブルの方へ近づいたとき、突然マガジンハウスの雑誌編集者のI君がその部屋に滑り込んできた。そして背中に背負ったリュックサックをどさりと投げ出すと、そこから2枚のLPのアルバムを取り出して部屋の片隅の壁のたもとに丁寧に並べた。僕がI君に近づくと、彼は僕の顔をみるなり少し顔を赤らめてリュックをつかむとさっと走り去った。そこで僕は好奇心に駆られてアルバムを手にとった。その1枚はカール・リヒター指揮、ミュンヘンバッハ演奏のバッハのブランデンブルグ協奏曲全曲のレコードだった。1枚のジャケットに2枚のレコードが入っていた。


♪バーキンが別れに呉れし☆リース部屋に飾りてクリスマス迎う 茫洋

天才とは?

バガテルop77

いまを去る遠い昔の某月某日、

天才とはどんな人であるかと聞かれた建築家のフランク・ロイド・ライトが、

天才とは、自然を見る目を持つ人のこと。
天才とは、自然を感じる心を持つ人のこと。
天才とは、自然に従う勇気をもつ人のこと。

と答えたそうであるが、なかなかよい答えではないだろうか。

なんでも「マビノギオン」という古代ウエールズの三題詩からに引用らしいが、私は
そういう天才なら、身近にいる多くの知的障碍者なら、みんな立派にこの3馬鹿大将に該当するなあ、と思ったことであった。


♪降っても照っても元気に行くよ俺たち陽気な3馬鹿大将 茫洋

Monday, December 22, 2008

ちゃんと就職したいと願っている君に

バガテルop76

あっという間の就職氷河期の到来である。なかには内定が決まっていたのに門前払いを食わす不届きな企業もあるときく。法律違反だから断固闘えと檄を飛ばす厚生労働省の某大臣もいたようだが、かといっての臨時職員に雇ってあげようというでもない。

この突然の世界不況の元凶はひとえにアメリカ帝国を中心とした金融資本主義者および同国の金に目がくらんだ亡者どもの常軌を逸した欲望の狂乱にあるのであり、わが国をはじめとした世界各国のいっぱんピープルにはまったく無関係に一〇〇年に一度の大波乱が起こった。あのサブプライムローン問題さえなければ、このような悲劇は起こらなかったのである。

したがって今次の世界不況の影響を被ったすべての国家と組織と個人は、ただちに彼らに対して抗議するとともにアメリカ大使館に波状デモをかけ、その被害の多いさに応じて損害賠償の大衆訴訟を起こすべきである。それなのにあほばか大国の愚挙の尻拭いをどうして国内のメーカーや自治体が行う必要があるのか理解に苦しむ。これほど明々白々たる因果は、いまこそ正確に応報しなければならない。

それはさておき、来年卒業する予定の大学生や専門学校生の諸君の不安はいかばかりであろう。微力な私にできるコト。それは彼らに対して、「それほど悪くはない就職口」をたったひとつだけ、しかし自信をもって紹介することだろう。
いまとても困っている学友諸君は、つぎのホームページにアクセスされたい。

http://tomoni.or.jp/saiyou/saiyou.html


♪柚子四つ浮かべる風呂の楽しさよ 茫洋

Sunday, December 21, 2008

ポール・オースター著「幻影の書」を読む

照る日曇る日第207回

この人の本は「偶然の音楽」以来2冊目になる。前作も良かったが、こちらのほうが一段と読み応えがあった。

何といっても映画「スモーク」の原作者・脚本家だけに、ストーリー自体が抜群に面白い。映画的だ。

愛する妻子の突然の事故死からはじまって、無声映画の最後の巨匠との思いもかけない邂逅、そこで明かされる巨匠の生涯の秘密、そして主人公の前に現れた運命の女性アルマとのたった8日間の凝縮された愛、そしてなおも巨匠の最後の作品と死をめぐって最後まで残された黒い疑惑、シャトーブリアンの膨大な回想録からの気の利いた引用、(「人間はひとつの生を生きるのではない。多くの、端から端まで置かれた生を生きるのであり、それこそが人間の悲惨なのだ」)、本編に挿入されて実際に映画化された「マーチン・フロストの内なる生」のシナリオの素晴らしさ等々、これは第1級の娯楽読物であり、優れた人生の書でもある。

とりわけ喜劇俳優や若い女性、ポルノ女優、小人、大学教授などのインテリゲンチャなどそれぞれの人物像の水際立った造形とディテールの精密な押さえ方は見事なもので、この1947年ニューアーク生まれの若い作家の才能は底知れない、というべきだろう。

ニューヨークの街角のドラッグストアを舞台にハーヴェー・カイテルとウイリアム・ハートが主演したウエイン・ワン監督の「スモーク」もいかにも都会的で洒落た映画だった。ラストでゆっくりと立ち上る煙草のけむりのはかなくも美しかったこと。確か共同プロデューサーには独文の堀越君が参加していたっけ。ああいうユーモアとエスプリがきらりと光る映画を目にしなくなってひさしい。さびしいことだ。

♪ブルックリンのドラッグストアの四つ角でプカリ浮かんだジタンの煙よ 茫洋

Saturday, December 20, 2008

ニザン著「アデン、アラビア」を読んで

照る日曇る日第206回

ポール・ニザンは1905年トゥールに生まれ、独ソ不可侵条約に衝撃を受けて共産党を脱党した39年に召集され、翌40年にダンケルクから撤退の途中、不幸にも敵弾に当たって戦死した。享年35歳は奇しくもモーツアルト、正岡子規と同年である。

ニザンはサルトルと同様超エリート校、高等師範学校に進学したが、1926年、パリの腐敗堕落したブルジョワ生活に絶望して(あのアルチュール・ランボオも訪れた)イエメンの不毛の地アデンに逃走し、およそ1年間の滞在の後に本書を書きあげた。
出発の前年の20歳の時にはファシスズム運動に参加していたのに、アデンから帰還するとフランス共産党に入党するのだから、その間の思想的な振幅はかなり大きかったに違いない。

 「僕は20歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない」
という冒頭の一句は昔から人口に膾炙する名文句として知られ、(私には「けっ、なんてキザであほなやつ!」としか思えなかったが)、なかにはそのロマネスクとリリシズムに感動してアデン、アラビアならぬアジア、アメリカ、ヨーロッパに旅して故国に帰らぬ若者までいたようだ。

しかしそれに続く文章はそれほど華麗なものではなく、むしろ苦渋に満ちたものだ。内容も若々しく真摯ではあっても独創的な思藻はほとんどなく、知識人によくある青春の悩みという程度の代物にすぎない。
しかし当時極度に消耗し、思想的大混乱のさなかで自己崩壊寸前に立ち至った著者が、旧世界の中で居場所を失なった己を立て直すために、思い切って遠いはるかな地平に投げ入れることを決意し、その空間移動と異郷体験によって己の心身がこうむった変化について沈着冷静に観察、報告していることだけは高く評価できよう。

遠い旅から帰還した若者の感想は、次のようなものだった。
「結局、僕のヨーロッパに対する考え方は出発前とちがうものになっていた。ヨーロッパは死んでなどいない。ベンガルボダイジュのようにあちこちに副次的な根を伸ばしているのだ。まずはこの株を攻撃しよう。この木の葉陰で、誰もが死ぬ」

 ♪ねえニザン20歳がもっとも醜いときだなんて誰でも知ってるさ 茫洋

Thursday, December 18, 2008

倉地克直著「徳川社会のゆらぎ」を読む

照る日曇る日第205回

小学館の「日本の歴史」シリーズはいずれも近来の力作ぞろいだが、とうとう11巻まできた。今号で徳川幕府が揺らいだら、まもなく明治維新がやってくるのだろう。

本書によれば、江戸時代には多くの穢多非人が存在した。

非人は穢多と違って平民身分に戻ることができたが穢多はできなかった。元和・寛永ごろに非人の組織化が行われ、江戸では非人頭、大坂では長吏が統率したが、その江戸の非人頭は穢多頭によって統率されていたので、穢多は非人よりも偉かった?ことになる。


彼らの組織には「乞食の法度」と称される独自の規律があった。4か所で集団生活していた江戸の非人小屋には、ボスの非人頭の下に非人手下(「てか」と呼ぶ。やくざ映画などのテカはここから来たのだろう)がおり、さらにそのまわりには野非人からくりこまれたばかりの非人小屋居候がいた。

その非人居候には、元浪人や僧侶、職人、芸能者やライ病者、障碍者、さまざまな犯罪者たちがいた。17世紀にはキリシタンが流入し、文化11年1814年には岡山乞食(当地の非人組織名)の中から禁教の日蓮宗不受不施派の信者が多数摘発されている。

このような縦型の身分制度は、ひとり穢多非人集団のみならず、政党、官僚、私企業、町内会、軍隊、教職、宗教団体、監獄からホームレス集団にまで時代を超えて散見される。


♪おやびんのためなら滅私奉公 お国も王も喜んで裏切りますぜ 茫洋

Wednesday, December 17, 2008

堀江敏幸著「未見坂」を読んで

照る日曇る日第204回


一天にわかにかき曇るとものすごい強風が吹き募り、大粒のにわか雨が降りはじめたある夕べ、突然家がつぶれるのではないかと思うほどの衝撃があった。

慌てて家族全員が店の表に飛び出してみると、てらこ履物店の傍らに立っている木造の大きな電信柱がぽっきりと折れ、見たこともない1台の自動車が巨大な褐色のカブトムシのように木の根元に停まっていた。

米軍のジープだった。ジープのそばには3名の兵士がヘルメットから雨しぶきを滴らせながら呆然とたちすくんでいたが、やがて真ん中の真黒な顔をしたいちばん背の低い兵隊が、やはり真黒な瞳を持つ大きな目玉をおずおずと動かしながら、懸命に彼らが犯したあやまちを詫びようとおそらくはアイアム・ソリーとでもいうような外国語を何度も何度も分厚い唇から発した。

それが私がうまれてはじめて耳にした英語であり、はじめて目にした黒人だった。

これは私が本書に触発されて書いた例文であるが、例えばそのような、ある任意の時代の、ある任意の街の、ある住人たちの身の上に起こるささやかな、しかしなかなかに忘れ難い事件や経験を、作者は慌てず急がずに言葉を選び、その言葉を舌の上で何度も転がせるように吟味しながら、真っ白な原稿用紙の上にきれいに並べて見せ、あるいは幼年時代の自分の過去を心ゆくまで再現しようと決めた少年のように、もはや書くことを忘れて屋根の上の白い雲の去来に呆然と見入っている。

フィリツプ・ソレルスの忘れ難い「神秘のモーツアルト」の訳者でもある著者は、本書を皮切りにフォークナーの、かの“ヨクナパトーファ・サーガ”の平成版を目指しているに違いない。

 ♪ハイランドの坂をあえぎながら登りゆきし3台のトラックの名は信望愛 茫洋

Tuesday, December 16, 2008

歳末クラシックCD談義 後篇

♪音楽千夜一夜第54回

シフのバッハ12枚組は最高で、後期シューベルトもとても良かったのです。昔聴いたケンプのシューベルトも後期のピアノソナタも素晴らしかったので、この際全曲を聴こうと思って7枚組全集4590円を買ったついでに、ブレンデルの7枚組をなんの期待もせずに3789円で買いましたら、これが定評あるケンプよりもはるかに素晴らしかったのは意外でした。

最近引退したばかりのこの人のモーツアルトは、ヴォックス録音以来(最近独ブリリアントから超安価で全集が出た)さんざん聴いて満足していたのですが、シューベルトはヴェートーベンよりず抜けて良かった。こんなことなら内田光子の問題作も併せて買って聴き比べておけばよかったと後悔しています。あれは確か8枚組で5500円だったっけ。

タワーで仏united archivesが廃盤になるというのでさよならバーゲンしていたので、ブダペストSQの50年代ライブ録音によるヴェートーベンSQ全集8枚組を2690円、モーツアルトの最後のプロシア王SQ2枚組を1590円で衝動買い。ヴェートーベンは米コロンビアの40年代録音を持っているが、そちらの演奏の方がやや充実しているような気がします。プロシア王は未聴。

バーンスタインのヴェートーベン交響曲全集とモーツアルトの後期交響曲&レクイエム&ミサ曲集6枚組が(当然のことながら)とても良かったので、最晩年のニューヨーク・フィルとのチャイコフスキー後期交響曲集4枚組2590円を聴いたら、これまた6番の「悲愴」が血わき肉おどる名演で満足。くたばれカルタゴ&小澤&カラヤン。

名門ニューヨーク・フィルといえば、アンドロメダ盤から出たブルーノ・ワルター指揮のモーツアルトの後期交響曲集が秀逸。選ぶならステレオのコロンビア盤よりもむしろこちらか。しかしモーツアルトの交響曲全集なら、墺ならぬ豪州出身のさすらいの棒振り男チャールズ・マッケラス卿がプラハ室内響と入れたテラーク盤10枚組の高い完成度には及ばない。かのバルリン&ベーム翁も追い越して、数ある演奏のなかで現在の私のベストです。

♪奏者全員死者のミサ曲聴けば冥界より手招きさるる心地して 茫洋

Monday, December 15, 2008

歳末クラシックCD談義 前篇

♪音楽千夜一夜第53回

今日も相変わらずクラシックを聴いています。
年々仕事が減り、世界同時不況が到来するずっと前から不景気なので、CDの購入は基本的に1枚1000円以下、中心価格は200~500円までと定め、暗い世相をせせら笑いながら東京のバスガイドの浜美枝さんのように、都電荒川線の車掌の倍賞千恵子さんのように♪明るく明るく歌いながら、乗り切って参りました。

さて先々月はパドゥラ・スコダのシューマンのピアノ独奏曲全集2500円也という廉価版を「ふんスコダか、グルダに比べてお前はなんて凡庸なんだ」、と軽蔑しながらも買ってきて13枚続けて聴いたら、ポリーニやアルゲリッチよりいい演奏だったのですっかり脱帽。

先月はジョージ・セル、クリーブランド響が51年から69年までフィリップスとデッカに入れた(ソニー以外の)全録音5枚組と、ピエール。モントゥーが56年から64年までに同じくその2つのレーベルに入れた7枚組の録音を聴いたが、これも素晴らしく珠玉の名盤とはこのような演奏をいうのだろうと思いました。ちなみにモントゥー老のロンドン響「ベト4第1楽章冒頭」と中島みゆきの「ファイト」が私の人生の応援歌です。

わずか1000円で4枚組という廉価版での思いがけない掘り出し物は、独クアドロマニアのプッチーニの「マノンレスコー」と、「蝶々夫人」のそれぞれ1930年スカラ座、49年メットの知らない指揮者の全曲演奏。録音がひどいので途中でやめようかと思いましたが我慢して聞いているうちにオペラ的感興がわき出てくる名演。後者では私の好きなエレノア・スチューバーが好演しています。

気をよくして同じレーベルの「ラ・ボエーム」と「トスカ」を買ってきたら、いずれも1938年の録音ですがベンジャミン・ジーリとカラスの黄金コンビがスカラ座とローマ歌劇場でちょうちょうはっしの白熱のクライマックス。オペラだけは昔の歌手と昔の演奏で聴くべきだとしみじみ思ったことでした。

そういうわけで、ただいま同じクアドロ盤のクナパーツブッシュの「パルシファル」(1951年バイロイト音楽祭ライブ)をかけていますが聖金曜日の音楽がすさまじい迫力。これはもしかするとフィリップスのステレオを超えた演奏ではないでしょうか。

1000円盤といえば、アルトゥスから出たアンドレクリュイタンス&パリ管の生前唯一無二の東京文化会館におけるベルリオーズの「幻想交響曲」のライブがあまりにも素晴らしかったので、1986年10月15日東京文化会館における神様チエリビダッケ指揮ミュンヘンフィルの「ブラームス4番」&「死と変容」の超絶的名演、同じく1991年11月2日サントリーホールにおけるクーベリック&チエコフィルの「我が祖国」を、フルトヴェングラーの51年7月29日バイロイトのオルフェオ盤「合唱付き」といっしょに買ってきました。

もったいないので、すぐには聴かないでいましばらく机の上であたためているところ。私だけのささやかな楽しみです。

♪吉田家でプーランク聴こえる小町かな 茫洋

Sunday, December 14, 2008

エリック・ロメール監督の「グレースと公爵」を見る

照る日曇る日第203回

革命と反革命とではいずれかの2者択一であり、人間は敵か味方かのいずれかであり、あらゆる選択肢について第3の道なぞ考えたことすらなかった。

もとよりフランス革命も絶対的な善であり、その不滅の歴史的、社会的、政治的、思想的意義を認めようとしない輩なぞは、人間の屑とみなして平気だった。テーヌやらマチエやらルフェーブルの革命史を読んではやたら興奮しておった。

ラファイエットやダントンやジョゼフ・フーシェなどは人民の敵で、過激なマラー、ロベスピエールのほうがよっぽどかっこいいのであった。あなおそろしや。まだ私も青くさく若かったのである。

なんやかんやでつねに心の中は革命の炎が燃え盛っていたので、苛烈に弾圧され人民の敵というレッテルを貼られて断頭台の露と消える当時の王党派の貴族たちについては、かくも長きあいだにわたって、てんで想像すら及ばなかったのである。

しかし正義と自由と平等という錦の御旗を振りかざし、ラ・マルセイエーズの軍歌に乗って迫りくる暴徒たちにおびえながら、彼らはいったいどのような毎日を送っていたのだろう。どんな思いで日々を支え、どんな愛憎をはぐくみながら朝を迎えていたのだろう。

そういう素朴な質問に対するうってつけの回答がこの映画の半面の相貌であるが、名匠エリック・ロメールは、史上未曽有、驚天動地の時代を誠実に生きた男女に焦点を当て、その不滅の愛を淡々と描く。

女は英国人でありながらルイ16世に忠誠を誓うグレース・エリオット、そして男は、王の従兄でありながらフランス革命の理念を奉じ、王の死に1票を投じながらもロベスピエールの策謀によってギロチンの刃の下に斃れた悲劇の公爵オルレアン。時代の悲劇を超えて、運命のふたりがどのように深く愛し合ったか、とくとごろうじろ。


♪硝煙燻ぶるバリケードに仁王立ち最後の1発を放ちし老革命家に乾杯 茫洋

Saturday, December 13, 2008

クッツェー著「鉄の時代」を読む

照る日曇る日第202回

南アフリカのケープタウンに住む元ラテン語教師の70歳の女性がアメリカに住む娘に宛てた長い遺書である。彼女はガンに冒されていて余命いくばくもないが、アパルトヘイトのただなかにあるこの極南の地にあって、いっけん自由な、そして孤独な生活を強いられている。

トランジットしては通過して行く者たちのように彼女の家を訪れるこれも孤独で心を固く閉ざした男や通りすがりの女、そして彼女の子供たちがいる。
誘蛾灯にさそわれて飛んできた蛾のようにいつの間にか老女の周りに集まってくる見知らぬ赤の他人たち。その醜悪で悪臭を放つ気味の悪い連中を、われらが老いたるヒロインはあたたかく迎え入れ、非道な国家権力や警察の暴力によって日常生活の平安を徹底的に脅かされながらも、容易に他人の善意を信じようとしない彼らと誠実に向かい合う。

残された日が短い彼女にとって、この世におけるゆいいつの救いとは、たまさかに彼女の懐に落ち込んだ任意の男、限りなく胡散臭く、薄情で誠実さのかけらもない1人の中年男をひたすら信じきること、その1点に賭けることなのだ。

彼女にとってこの悲惨で絶望的な争闘の「鉄の時代」のあとに来るべきは、人類が友愛でゆるやかに結ばれるはずの「青銅の時代」であり、それに続く「銀と金の時代」なのである。おお、なんと勇気凛々の超楽天主義者であることよ!

それゆえ、小説の掉尾をあえかに彩る2人の抱擁は、少しく感動的ですらある。


♪遥かなるエルドラドの輝きは幻かわれら冷え行く鉄の時代に生きる者 茫洋

Friday, December 12, 2008

網野善彦著作集第11巻「芸能・身分・女性」を読む

照る日曇る日第201回&ふあっちょん幻論第24回 

婆娑羅(バサラ)と呼ばれる異類異形の風体の輩の源流は、平安後期の「江談抄」に「放免が分不相応の美服を着るのは非人のゆえ禁忌を憚らざるなり」とあるをもって嚆矢とする。金銀錦紅の打衣、鏡鈴のごとき風流、派手な模様の狩衣を着て異様な棒(鉾)を担ぎ、大きなひげをはやした放免(検非違使の部下)は、非人であるがゆえに俗世界のタブーには触れないとされた。

しかしこのバサラは頻々たる禁制にもかかわらず博戯、双六、飛礫の流行とあいまって悪党の進出とともに急速に浸透し、その悪党どもがついに後醍醐天皇と結託して都を制圧したのが建武新政であった。彼らの圧倒的なエネルギーは公家・武家の政治を根底から揺り動かし、バサラな非人の綾羅錦繍の装束、金銀珠玉のファッションは、小舎人童、大童子、牛飼童子、猿楽田楽法師、供奉人までも虜にしたのである。

またバサラも着用した「柿の衣」は主に中世後期の無縁の非人、とりわけ癩の病人々の衣装として定着していった。癩の病といえばいまでいうハンセン氏病のことだが、これに犯された兄弟子の養叟に対する弟弟子一休の驚くべき罵倒の言葉を忘れるわけにはいかない。ここには後年にいたって顕在化する障碍者への卑賎視がうかがえる。


一揆の衣装には世界的に赤と白が使われてきた。「一遍上人絵詞伝」に登場する乞食非人の指導者は、白い覆面・頭巾をつけて六尺棒を持ち、赤ならぬ柿色の僧衣を身にまとっているし、明応5年近江の馬借一揆の柿帷衆は、全員ふだん彼らが身につけていない柿色の帷を着て近江から侵入した斉藤妙純の軍勢と戦った。

江戸時代の百姓一揆では困窮した百姓たちは蓑・笠をつけ俵を背負い、非人の姿をし、妻子には地頭所の前で乞食をさせて都の強訴に旅立った。差別された最下層の身分に自らをおくことをためらわない不退転の決意をそこに示したのである。

柿色の衣は山伏の衣装でもあり、鎌倉時代の義経も、南北朝の護良親王も日野資朝も山伏姿で各地を逃亡した。山伏は山の霊力を身に備えた聖なる存在であり、聖なる非人でもあった。彼らがまとった非人性を象徴する柿色の衣は平安、鎌倉、室町、江戸時代にも連綿と伝わり、歌舞伎の江戸三座に引き幕の中央にはつねに柿色が据えられ、遊女屋の暖簾も柿色であった。

しかしその反面、江戸時代の奉行の足軽たちは柿色の羽織を着て街を見回ったので、「柿羽織」と呼ばれており、彼らが腰にさす鼻捻という棒は江戸の非人頭も持っていたそうだ。柿色の象徴的機能の別の面を物語るといえよう。

聖にして非なる柿色ファッションカラーは現代にも流れており、歌舞伎一八番の「暫」の鎌倉権五郎景政の衣装は、柿色地に三升大紋であり、その権五郎役をお家芸とする市川団十郎家は柿色を先祖代々の家の色と定めている。云々。

飛礫、博打、旅する女性、非人を真正面から論じた本巻は、疑いもなくここまで読み進んできた網野善彦著作集の白眉である。

♪俯いて地面に何を書いていたのか己に罪なしと信ずる者より石を打てといいいし人は 茫洋

Thursday, December 11, 2008

鎌倉市の「障がい者計画」への要望

バガテルop75&鎌倉ちょっと不思議な物語第160回


1「障がい者自立支援法」と合わせて市の障害福祉計画の見直しを!

「障がい者自立支援法」は、障がい者を無理やり自立させようとして施設から追い出そうとしたり、収入のない障がい者に従来よりも経費負担を強いて自活困難に追い込むなど、数多くの問題点をかかえており、現在各政党でも白紙撤回や改定を検討中です。
従ってこの法律をもとにした障がい福祉計画の実施は、新法の成立までいったん中止し、それから再検討するべきではないでしょうか。

2障がい者個人個人の状況に対応したきめ細かい施策を!

市の障がい福祉計画の福祉施設から地域生活への移行の「数値目標」にあまりにも力点がおかれすぎています。
施設からどうしても移行できない障がい者も数多く存在しているのに、そうした個人個人の実態とは無関係に年度別の数字で減少計画を立てることは無謀であり、「非人間的」です。数値計画自体を撤廃し、もっと障がい者個人個人の状況に対応したきめ細かい施策を充実させるべきではないでしょうか。

3親亡きあとの障がい者のケアを!

障がい者の親にとって最大の関心事は、親亡きあとの障がい者のケアであります。そのために物心両面の支援を手厚くしてほしいのです。
現在鎌倉市にはかなりの数の通所施設や地域作業所が存在していますが、入所施設は1か所しかありません。今後その需要は急速に高まると予想されるので、その増設を希望するとともに、既存の施設に対する格別の配慮をつよく希望します。

4「障害者」から「障碍者」へ

現在逗子市など全国の多くの市町村、あるいは一般企業の求人広告においても、いわゆる障害者のことを「障碍者」と表記するようになっています。「障害」という表記がなにか悪いもの、世間に悪をなすもの、という印象をともなうところから、あえてニュートラルな「障碍」あるいは「障がい」という用語を使うように変化しているのです。
そこで本市でも遅まきながらこの表現法を採用されてはいかがでしょうか。それは単なる言葉狩りというレベルの問題ではなく、恵まれない弱者に対してどのように接するかという人間としての態度の問題です。わたしたちは、害虫ではないのですから。

5 追記
最近幼女の殺人容疑で知的障碍の男性が逮捕されたが、彼が本当に健常者とおなじ認識と行動でそれを実行したのかは軽々に即断することはできないと思います。
もし彼が結果的に殺人を犯した場合でも、明確な殺意の元で自覚的にそれを行なったのかどうか、専門家の参画のもとでよく調べていただきたいのです。なんとなれば、私が知る限りの知的遅滞者は、殺人を考えたり、実行を計画したり、直接手を下すことなぞ絶対に不可能な人たちだから。

♪障害者を障がい者とひらくこころの優しさよ 茫洋

Wednesday, December 10, 2008

黒澤明の「デルス・ウザーラ」を見て

照る日曇る日第200回

黒澤がほとんど単身でロシアならぬソビエトに乗り込んで1年有半の格闘を経て命懸けで撮った映画は、驚くべきことには彼の最上の美質が発揮された名品だった。

そこには自然の恐ろしさとすばらしさをふたつながらに受け入れる愛すべき冒険者である狩人がおり、原初的な人間と獣との対決と友愛がある。雄大で神秘的な大自然への畏敬の念と、その豊かな恵みへの感謝があるかと思えば、密林の奥まで侵入する開拓の毒牙があり、都市の論理の前になすすべもなく敗退して自滅するイノセントな魂への万斛の哀歌がある。

黒澤は、そうした人と動植物が語らいあっていた黄金の神話時代から銀の時代、青銅の時代から英雄の時代までをほとんどのびやかに描く。ほんらいの自分に立ち返ったように軽く深呼吸しながら……。ああ、なんという幸福な映画であることか!

ヘシオドスが記録した時代の流れは、さらに鉄の時代を経て艱難と労苦に満ち満ちた現代にまで及ぶが、黒沢の映画的時間は懸命にもそこに到達することを避ける。ショスタコービッチが歌わざるを得なかった「森の歌」を歌うことを拒否して、あざやかに日本に帰還するのである。

この映画には、黒沢の映画でなければけっして私たちに贈り届けられなかったような人類史上の不滅の一瞬、映画ならではの特権的な瞬間が70ミリシネマスコープのフィルムの上にくっきりと刻印されており、私たちは人と自然と映画とがひとつに溶け合った奇跡を目の当たりにすることが許される。

映画に対して、誰がそれ以上のものを望むことができるだろうか。


♪またひとりパパゲーノ見つけたり広大なるロシアの森に 茫洋

Tuesday, December 09, 2008

黄昏の渋谷で「アンドリュー・ワイエス展」を見る

照る日曇る日第199回

遅まきながらはじめて副都心線に乗って、見慣れぬ駅にたどり着き、渋谷東急文化村まで死ぬほど歩いたあとで、アンドリュー・ワイエスの素描、水彩、テンペラを見ました。1917年にアメリカペンシルヴェニア州に生まれた画家はことし91歳、現在もなお元気に描き続けているそうです。

荒涼とした草原にたたずむいかにも頑固そうな農夫、丘の上の孤独な家、鳥や鹿や樹木。とある古い農家の一角に差し込む午後の光線、砂のようにザラザラした感触の若い女の素肌、突然降ってくる粉雪……、彼は本国と同様わが国でも人気が高いそうですが、いかにも現代人に受けそうな画題とタッチをしています。極北に生きる禅僧のような異端者の孤独な魂は、わたしたち現代人の心にかくもたやすく触れ合うのでしょうか。

が、じっと眺めているうちに、画相といい表現といいあまりにも表面的な感じがしてだんだん肌寒い気分に襲われてきました。こういってはいけないかもしれないが、あまりにも通俗的で感傷的な作風ではないだろうか。こんなもん、もしかしてお金儲けのためにかきなぐっているのではないだろうか。もしかしてフェイクではないだろうか、という疑いです。

もとより私などに偽物とまで断言する勇気はありませんが、(新設された地下鉄副都心線といい安藤忠雄設計とやらの渋谷駅といい、道玄坂の汚らしさといい)残念ながら最近の展覧会のなかではいちばん共感できなかったシロモノでした。

♪雪でも降れだんだん東京が厭になる 茫洋

Monday, December 08, 2008

ブライアン・ヘルゲランド監督「ペイバック」を見る

照る日曇る日第198回

メル・ギブソンが主演する1999年製作のアメリカ映画「ペイバック」を見た。どうにも面白くなく、やりきれない気分にふさわしいじつにくだらないギャング映画であった。そういう意味ではとてもマッチグーであった。

粋がっているチンピラのギブソンがちょいと悪事に手を染め、やっと手に入れた七万ドルを親友とおのれの妻に奪われてしまい、それを死んだ気になって巨大な悪の組織と全面的に対決しながら取り返すまでの波乱万丈、支離滅裂のハードボイルド大アクション映画であった。

なんでも大ベストセラーの映画化らしいが、こういうあほばかシナリオを愚直に演じさせたらメル・ギブソンにかなうものはない。ルーシー・リュウー演じる強烈な暴力サディストの演技も見ものだった。


♪ぐららがあぐ おんぎゃあどれんちゃ ぶおばぶば ぐちゃわんべるる ううれえんぱあ 茫洋

横須賀交響楽団の「第9」を聴く

♪音楽千夜一夜第52回

この素晴らしいオケのコントラバス奏者であり、私のマイミクさんでもある笑み里さんのご招待で、年末恒例のヴェートーフェンの「合唱付き」を楽しませていただきました。

日曜午後のマチネーです。須賀線の横須賀駅を降りて寒風吹きすさぶ港を見ると大きな潜水艦がちょうど岸壁に接岸されるところでした。嬌声を挙げてデジカメで撮ろうとする見物客を制するがごとく、反戦平和を唱える小柄な尼僧が「南無妙法蓮華経!南無妙法蓮華経!!」と手に持った小太鼓を連打しながら通り過ぎる。いつもながらのヨコスカ・ハーバーです。

演奏は同じヴェトちゃんの「合唱幻想曲」から始まりました。構成に大きな破綻があるものの、いかにもヴェトちゃんらしい荒削りな作品を、象のように巨大な体躯を揺さぶりながらピアノの久保千尋が力奏しました。

休憩のあとはお待ちかねの「第9」です。はじめの3つの楽章が破綻こそないものの、あまりにも優等生的な安全運転で、今日はどうなることかと案じましたが心配無用。最後の楽章でオケも指揮者も合唱も大爆発。世界の恒久平和を祈念する歌と旋律を、腕も折れよ、喉も裂けよ、バチも折れよ、とばかりに超満員で立ち見まで出ている巨大なホールにぶちかまし、折からの寒波で心まで冷え切っていた聴衆の胸のなかを灼熱の嵐に巻き込みました。

指揮者は最近絶好調の神奈川フィルを牽引する若き棒振り現田茂夫。おそらくは徹底的なリハーサルでオケをしごいたのでしょう。アマチュアオケ屈指の実力を誇る横須賀交響楽団から思い通りの音色とバランスと色彩と力感を生み出し、この至高の難曲を見事にドライブしました。私はこれほど最終楽章にピークを設定した演奏を聴いたのははじめてで、オケもさることながらコーラスのすさまじい威力に圧倒されました。今日の主役はまぎれもなく横須賀芸術劇場合唱団でしょう。

安定した弦、とりわけヴェトちゃんには必須の低音部をゴンゴン築くコントラバス軍、活気ある打と管、とりわけリズム感抜群のパカッションが素晴らしく、管弦楽と管楽器の美しいハーモニーは聴きごたえがありましたが、ピッコロの音程と強度、トライアングルの鳴らし方、それから前にも触れたようにこの指揮者の曲の解釈については私には強い異論があり、正直に告白すれば3つの楽章の演奏には失望を禁じえませんでした。若きマエストロの今後の自覚と精進に期待したいと思います。

「第9」を打ち上げたあと、驚いたことには「蛍の光」のアンコールがあり、それにしてもヴェトちゃんを上回る?なんという天下の名曲かなと一掬の涙がきらりと漏れたことでした。ロンドンの「プロムス」のように場内大合唱になるともっと盛り上がるのですがね。

♪オオフロイデ、蛍の光で年は暮れ 茫洋

Saturday, December 06, 2008

アーサー・ウェイリー&佐復秀樹訳「源氏物語1」を読む

照る日曇る日第197回

1925年刊行のアーサー・ウェイリー訳の源氏は、与謝野晶子の小説的翻訳のあとをおうようにして英国の日本語(そして中国語も)独学者の熱い心と冷たい手によって大戦前の全世界に向かって公刊された。

ドナルド・キーンによれば、ウェイリーの翻訳は、まず原文を繰り返し熟読玩味し、しかるのちにそれを脳髄から放擲し、今度は英語として噛み砕いた文を「振り返らずに」書き下ろし、あとで原文と照らし合わせて趣旨が同じなら多少の欠落や付加があろうともそれでよしとする、という手合いのものであったらしく、そのことがあまたの翻訳にない独特の魅力を形作っている。

正宗白鳥が評したように、「原文は簡潔とはいえ頭をちょん切って胴体ばかりがふらふらしているような文章で読むに歯痒いのであるが、訳文はサクリサクリと歯切れがいい。糸のもつれのほぐされる快さがある。翻訳が死せるが如き原作を活き返らせることもあるものだ」と感じさせてくれるのである。

そのようにウェイリーの訳文は、原文→英語という変則クッションを介在させているにもかかわらず、物語の主人公である紫式部の主人公性を強調し、原文には想定されていない「主語」を樹木の幹のように樹立するとともに、述語と形容句、副詞の補助的な機能を英文脈の論理に準じて華麗な枝葉のように巧みにアレンジしたために、まるで海鼠のように目鼻すら区別できない膨大なやまと言葉のかたまりが、ジェーイン・オウスチンやマルセル・プルーストに匹敵する格調高い西洋小説に変身してしまったのである。

佐復秀樹の翻訳は、そのようなウェイリーの訳文をさらに現代的な日本語に置き換えようとしたもので、これをあの有名な紫式部の名作などと過剰に身構えなくても素直に楽しめる物語、面白くて本格的な大河小説として換骨奪胎することに成功している。
これまで私の源氏翻訳ランキングは1位窯変橋本、2位谷崎、3位与謝野であったが、ウェイリー・佐復組の仕事はそれらのいずれよりも光源氏とその恋人たちのキャラクターを生き生きと光彩陸離に再現しているように思われる。

ただ明石の巻で入道につかえる下人たちが「時にはかなりの時化になるんやが、たいていはずっと前にわかるもんや」などと関西弁(明石弁?)でしゃべらせているのだが、それなら源氏や紫や葵上も京都弁にするべきだし、そうすると野卑な?明石弁と雅な都ことばとの差別化をはかる必要も生じるんとちゃうやろか?


  ♪平安の御代の源氏も紫も雅な京都弁を喋っていた 茫洋

Friday, December 05, 2008

森まゆみ著「旧浅草區まちの記憶」を読む

照る日曇る日第196回

森まゆみの本や文章は「矢根千」の時から好きで、なんでも好んで読んで後悔しない。私にとってはいまどき希少な作家である。

彼女の案内で旧15区(麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川)のうち旧浅草區を歩こうというのが本書の企画である。すでに神田を歩いているそうだが、未読。いずれそのうちに。

こういう年寄りじみた好企画を連発していた毎日新聞社の「アミューズ」もいつの間にやら休刊になってしまったようだ。勢いがあるのは右翼系のファシズム雑誌ばかりとは情けないやら腹立たしいやら。そのうち防衛庁のアホ馬鹿軍人どもがクーデターに打って出て政権を奪取し、日清日露戦争でもおっぱじめて新満州国設立にでも乗り出すのだろう。

おっといけねえ、ついまた愚痴が。そんなきな臭いことより江戸探しでござった。
誰かが過去は新しく、未来は懐かしい、とか口走っていたようだが、私はもう新しいことには皆目金輪際興味がない。そして最近どんどん死んでいく懐かしい人や失われた時代に無性に惹かれる。私はてって的な保守主義者であり、反改革主義者であり、現代に棲息する絶滅寸前の縄文人であるからして、過去の沈湎とした記憶や思い出、退嬰的なノスタルジーに心ゆくまで浸りながら急性アルツハイマーになって夢見るようにねんねぐーしながら安らかに死んでいきたいのである。

話が脱線したので万やむを得ずもうこの本の紹介ははしょってしまおう。読みたい人は読めば大いなる心の慰安を得るであろう。最後に、私がときたま東京を訪れるときの最大の楽しみは文人墨客の掃苔であることを告白してご挨拶にかえたいと存じます。ご静聴ありがとう。

♪楽しみは亡き母ゆかりの谷根千をひとり静かにさすらうとき 茫洋

Thursday, December 04, 2008

池田清彦・養老孟司著「正義で地球は救えない」を読んで

照る日曇る日第195回


地球における二酸化炭素の急増と温暖化の相関関係に疑問を投げかけることからはじまって、環境問題の本質は、食糧とエネルギー問題にあると喝破し、もろもろの「地球にやさしい」環境運動の虚偽と虚妄を鋭くえぐる問題提起の書である。環境原理主義者に対する反環境原理主義者の弾劾の書でもある。

例えばここ2年間くらいの企業の広告活動をみると、その中心的なテーマは環境問題であって、その一極集中ぶりは異常なものがある。環境さえPRしておけばそれで良し、とする体制順応型の対消費者コミュニケーション活動そのものが、この国の産業活動の疲弊と腐敗と堕落を物語っているようだ。

それでは企業や消費者にとってそれほど環境問題、とりわけ地球温暖化問題がどれほど切実な課題として認識されているのかといえば、それらは極めて表層的なものにすぎない。

たとえば先の洞爺湖サミットで我が国はじめ世界各国は「50年までに排出量半減」することを認めたが、具体的な行動計画については誰もなにも言わなかった。しかし養老氏が説くように、二酸化炭素排出の最大の要因は石油の使用なので、本気で温暖化を抑えたければ、石油生産を抑止するのがもっとも効果的だ。

これを年々計画的に抑制すれば多少経済活動は弱まるが「50年までに排出量半減」など簡単に実行できてしまう。ところがそれがわかっているくせに手もつけず、同じサミットで逆に産油国に対して石油増産を要請するというのは矛盾そのものである。
つまりはおそらく(日本国をのぞいて)世界中の国々が本当に本気で二酸化炭素の削減に取り組んでいるわきゃあない。ここは思案のしどころだよと著者たちは警告するのである。

 確かに気象変動の要因は複雑怪奇だから、二酸化炭素の増減だけで地球温暖化を説明することはできないだろう。もしもあるパラメーターを恣意的に導入することによって過去100年間の気候変動を上手に説明することができたとしても、一歩先の未来について確信の持てる予測をすることは困難だろう。

 
肝心要の二酸化炭素の増減や地球温暖化の因果関係についても最終的にはまだ学問的な決着はついていない。にもかかわらずそれを己の金もうけや政治的野心の道具として利用しようとする輩が陸続と登場し、科学的真実の探求そっちのけでわれがちに世界崩壊だの人類絶滅の未曾有の危機だの目の色変えて叫んでいるようだ。科学と論理に弱い(どうでもよい?)私には、いずれが正かいずれが邪か今やそれすら見分けがつかなくなってきたので、この問題からはしばらく降りて様子を見ることにしよう。いまわあわあ叫んでいる連中がみんな死んじまったころにはおのずと結着がつくだろう。

しかしだからといって池田が言うように、京都議定書に始まる世界各国の取り組みがまったくナンセンスであり、こんな愚かな活動に全国民を巻き込むのは愚の骨頂であるばかりか税の無駄遣いであり、アメリカ帝国主義の大陰謀である、と偉そうに説くのはいかがなものであろうか。(日本だけが損をする)排出量取引が排出量低下自体につながらないことはいうまでもないが、それでもあの漫画的なクールビズだのエコバッグだのエコカーだって、印税稼ぎの駄弁を弄するだけで何もやらないよりは多少はましではないのではなかろうか。

しかし事の重大さからすれば、著者たちが力説するとおり、石油の産出が終了する前に代替エネルギーを開発して全世界の持続を可能にするとともに、極力世界人口を低減させていくことは、ツバルやベネチアやオランダの陥没やホッキョクグマの絶滅を心配することよりもはるかに重要な「地球人の使命」であろう。


♪さらばベネチア沈みゆく関東ローム層で弔鐘を鳴らすのは誰 茫洋

Wednesday, December 03, 2008

鎌倉文学館で「吉田秀和展」を見る

鎌倉ちょっと不思議な物語第159回&♪音楽千夜一夜第52回

よい小春日和になったので、久しぶりに自転車を飛ばして長谷の文学館まで行って企画展吉田秀和「音楽を言葉に」を覘いてきました。

入口の紅葉が見事でみんな写真を撮っていましたが、それは見事なものでした。
しかし肝心の展示会場には中原中也の時と違って格別印象に残るものはなく、ただ秀和さんの来歴データや日本ハし日本橋で生まれたご幼少のみぎりから現在までのご真影や、生原稿や、著作が1階と2階の2つの会場にパラパラ並べてあるだけなので、ちょっとがっかり。考えてみれば、じゃあそのほかに何を展示すればいいのか私にも分からないが、イのいちばんの展示物が文化勲章というのはご本人にも失礼だし恥ずかしくはないのかい?

と、やや辛口のコメントを並べているのは、先月の15日に行われた「吉田秀和氏と音楽をたのしむ」という文学館の特別講演の抽選に外れてしまったからなんで。要するにひがんでいるのさ。しかし限定20名なんて確率が低すぎる。あんな狭い部屋なんかやめて広い庭園でやったらどうなのさ。海も太陽も紅葉も見えるし。

なんてぼやきながらもグールドのゴルトベルクが流れる旧前田伯爵邸を茫洋が茫洋と歩いていると、小林秀雄と大岡昇平が秀和さんに宛てた葉書を見つけました。いずれも昭和30年代前半の発信です。
秀雄さんのは2通あって、いずれも秀和さんが送ったレコードへの礼状。1枚はデ・ヴィトーのヴァイオリン曲で、「やはりヴィトーは男性とは違う女らしさがある」と評し、もう1枚のグールドのそれに対しては、「極めて新鮮!」と大書してその驚きを率直に言い表しています。短にして要を尽くした達筆です。

これに対して昇平さんのは、まるでみみずがのたくったような筆跡で、「あなたは音楽界の中原です」と褒めそやしています。これはちょうどそのころ、秀和さんが雑誌にはじめて掲載した中原中也の思い出話を読んだ昇平さんが、自分のそれまでの中也論も裸足で真っ青になって逃げ出すくらいの卓論名文であると絶賛しているのです。
蛇足ながら、この中原という言葉は、中原中也の中也と野原(ここでは音楽界)の中心とを掛けているのですね。

しかし音楽について一家言のあった昇平さんは、ただ秀和さんを褒めるだけでなく、自分が最近書いたハイドン論に自信があったらしく。それをぜひ読んでくれ、と頼んでもいます。
 そういえば大岡昇平は「モオツアルト」はもう小林秀雄教祖にまかせて、生涯をつうじてハイドンやバルトークに血道をあげ、現代音楽も聴きあさっていたことをはしなくも思いだした私は、いずれ昇平さんの音楽論もまとめて読んでみたいと思ったことでした。

♪文を読めば音が聞こえてくるそのような文を書きたし 茫洋

♪文を書けば己の血がでるそのような文も書きたし 茫洋

Tuesday, December 02, 2008

ビルギット・ニルソン著「ビルギット・ニルソン オペラに捧げた生涯」を読む

♪音楽千夜一夜第50回&照る日曇る日第194回


ビルギット・ニルソンといえば、なんといっても20世紀を代表するワーグナー歌手ということになるであろう。

ただちに思い浮かぶのは、名物プロデューサー、カールショー、ゲオルグ・ショルティ、ウィーンフィルと組んだデッカの「指輪」全曲録音、1966年7~8月のカール・ベーム指揮バイロイト祝祭soによる素晴らしい「指輪」の全曲ライブ演奏、同じメンバー+相棒ヴィントガッセンとがっぷり4つに組んだ「トリスタンとイゾルデ」の空前絶後の名唱、翌年の春、死ぬ直前のヴィーランド・ワグナーの厳命でピエール・ブーレーズと大阪にやってきてアホ馬鹿N響相手にぶっつけ本番で歌ったトリイゾなどであるが、とりわけ私の心に突き刺さったのは1983年1月ニューヨークのメトロポリタン歌劇場創立100周年記念ガラコンサートに登場した彼女が、いきなり「ワルキューレ」第2幕の有名な「ホヨトホ!」の叫び声を上げた瞬間、超満員の聴衆が満腔の歓呼の声を挙げた光景だった。

ただひと声で満場を歓喜の坩堝と化すことができるのは、世界に名歌手多しといえども「オテロ」のデル・モナコとビルギット・ニルソンだけであろう。

この本はそのスウェーデン生まれのソプラノ歌手ビルギット・ニルソン(1918-2005)の自伝である。

田舎の牧場の娘がふとしたことから音楽の道に入り、ストックホルムのオペラハウスを振り出しにウイーン、スカラ座、メット、バイロイト、テアトル・コロンなど世界の有名オペラハウスや音楽祭に出演するようになり、ワーグナー作品をはじめ、トスカ、トゥーランドット、アイーダ、仮面舞踏会、マクベス、サロメ、エレクトラなど大作の主役を演じるようになり、エリッヒ・クライバー、フリッツ・ブッシュ、クナパーツブッシュ、カイルベルト、ベーム、カラヤン、ショルティ、クレンペラー、ラインスドルフ、クロブチャールなどの棒で歌うようになる。(余談ながらカイルベルトとクロブチャールの指揮に対する彼女の高い評価にいたく共感)

彼女の徹底したカラヤン嫌いの理由、クレンペラーからいきなり「独身?」と口説かれる話など、世界の一流指揮者の実力と人柄に生身で接したリアルな月旦評も抜群の面白さだ。

その間彼女が共演したビョルディング、フランコ・コレッリ、ホッター、カラス、テバルディ、レオンタイン・プライス、シオミナート、ディ・ステファノなどの名歌手たちの逸話、彼女を生涯にわたって追いかけたマリリンモンロー似のストーカー悲話も興味深いものがある。

例えば、彼女とフランコ・コレッリがメットの「トゥーランドット」で繰り広げたハイC競争は壮絶なものであったらしい。
そのほとんどはコレッリが勝ったらしいが、たった一度だけニルソンが勝利した時のこと、コレッリが姿を消したので支配人のルドルフ・ビングが捜したところ、コレッリは怒り狂って拳骨でテーブルを力任せに叩いて血だらけになり、コレッリ夫人が救急車を呼ぼうとしていた。しかしまだもう1幕残っていたので、ビングが「次の幕でトゥーランドットに口づけするときに噛みついて復讐しろ」とささやいて彼を舞台に立たせ、自分は逃げ出したという。
指揮者のレオポルド・ストコフスキーはそんなことがあったとはなにも知らなかったそうだが、あとで演出家からピングの悪知恵を聞いた彼女は、支配人に宛てて次のような電報を打ったそうだ。
「噛まれて負傷したために、次回公演はキャンセルします―ビルギット」


クラシックのアーチストの評伝はどれも当たり外れがないが、この本は著者の誠実さ、温かな人間性と巧まざるユーモア、そしてなによりも音楽への愛と献身が際だっていて、読む者がたとえ耳に一丁♪なき音痴であったとしても、そのささくれだった心の裡をほのぼのとした気持ちに変えてくれるに違いない。

♪時代も世紀も煎じ詰めればこの一瞬のわれらの行状に尽きる 茫洋

Monday, December 01, 2008

川口マーン恵美著「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」を読む

♪音楽千夜一夜第50回&照る日曇る日第193回

そのように性急に二者択一を迫られると困ってしまう。

私の答えはもちろんフルトヴェングラーに決まっているのだが、だからといってカラヤンの演奏も特にオペラには素晴らしいものが目白押しである。クラシックの演奏家のリストからこの才人を抜かせばそのあとはかなりさびしい姿になるに違いない。特にかつて吉田秀和氏が推薦していたカ氏の晩年のモーツアルトのセレナードの演奏は老鶴万骨枯れたしみじみとした、当世はやりの言葉でいうと泣かせる演奏だった。

この本の面白さは、ベルリンを五回訪れた著者がまだかろうじて存命中の延べ一一人のベルリンフィルの演奏家たちに数度のインタビューを敢行し、かつての統領の人柄や力量について遠慮なく尋ね歩き、予想外の率直な回答を引き出したことにある。クラシックファンにとって面白くないわけがない好企画である。

インタビュー直後に急死した名物ティンパニー奏者のテーリヒンは有名なカラヤン嫌いであるが、カラヤン好みの正確無比の太鼓叩きフォーグラーの登場によって一九七九年六月以降の全ライブと録音から外された彼が怒り狂ったのは当然だとしても、その背景には情動の一撃か精巧の打刻かというこの世界最高のオーケストラに君臨した双頭の鷹の演奏哲学の違いが生んだ不可避の悲劇ではなかっただろうか。

しかし、栄華を誇った英雄の晩年はいずれも孤独で悲しい。

フルベンはその晩年に聴力を失うという現実に直面して完全に生きる気力をなくし、そのあとの衰弱は極めて急速で、死ぬ前に夫人に「死ぬことがこんなに簡単とは知らなかったよ」といいながらまるで自殺のように息を引き取ったらしい。

またカラヤンは一九八四年の大阪公演では、曲を振り間違え、スカラ座ではアンコールをバッハの「アリア」に決めていたのにマスカーニの「友人フリッツ」のつもりで振り始め、一九八八年の最期の日本公演における「展覧会の絵」は誰の耳にも無残な演奏であった。その極めつけはザビーネ・マイヤー事件にはじまる手兵ベルリンフィルとの対立と永訣であったが、それは誰あろう帝王カラヤン自身が招いた悲劇であった。(第一三章フィンケ氏との対話)


慨嘆しつつこの本を読み終わった私は、気を取り直して元楽員の多くが激賞しているフルベンのシューマンの四番とラベルを聴きなおしてみたいと思ったことだった。


♪フルベン王は死せり後は洪水垂れ流すのみとカラヤン嗤う 茫洋

秋日掃苔

バガテルop74

秋晴れの午後、池袋のフジフィルムにデジカメの修理に行ったら、1時間もかかると言われた。およそ半年おきにCCDにゴミが溜まるのである。そのたびにはるばる池袋くんだりまでやってきてゴミ掃除をしてもらうのだが、これって欠陥商品ではなかろうか?

いままでのカメラではこんなことはなかったのに、また鳥取砂丘に旅行したわけでもないのに、いったいどうしたわけだろう。まったくやれやれである。

その代わりにといっては何だが、この近所に私の大好きな往来座という古本屋さんがある。海外文学は扱わない代わりに本邦の文学や映画、美術関連が充実しており、いつ行ってもヴィクターの古いけれどもよい音を出すスピーカーSX3からボブディランの音楽が流れている渋いお店であるが、若くて清潔な感じがする店主に道を訪ねて久しぶりに雑司ヶ谷霊園まで足を運んで私の唯一の趣味である掃苔を楽しんだ。

1-1区画にはわが敬愛する荷風散人、漱石が「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」と一代の絶唱を詠んだ大塚楠緒子、小泉八雲、泉鏡花などが長い眠りに就いている。私は彼らの墓石の上に降り積んだ銀杏の葉を両の掌で払い落して霊前に額ずくことができた。

永井荷風は三ノ輪の浄閑寺に葬られることをのぞんだのだが、幸か不幸か窮屈な一角に眠っている。ハーンの墓もとってつけたように狭い。楠緒子さんは法学博士の夫と仲良く並んでいる。

秋の日はつるべ落しにぐんぐん沈んでいく。私はこの近所にある小栗上野介、岩瀬忠震、成島柳北、中村是公と漱石、森田草平とケーベル博士の墓前には欠礼して黄昏の霊園を後にしたのであった。


夕焼けの公孫樹の下に眠りたり雑司ヶ谷なる大塚夫妻  茫洋