Saturday, December 27, 2008

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで その3

照る日曇る日第210回


ちょうどその頃、一遍は京の五条烏丸東の因幡堂の縁の下で乞食と共に眠っていたが、弘安2年1279年の8月、信濃の善光寺に向かった一遍は食器の鉢をたたき、念仏を唱えながら踊り出した。一遍が踊ると乞食も癩の者も頭をふり、足をあげ、高声で念仏を唱えて踊りはじめた。

はねばはねよ をどらばをどれ はるこまの
のりのみちをば しる人ぞしる
ともはねよ かくてもをどれ こころこま
みだのみのりと きくぞうれしき

踊りと念仏のなかで、人々は歓喜に導かれていった。このようにして
おのずから動く手足を動かし、心のままに躍り声をあげることによって自然な野生のよろこびを一遍は抑圧された民衆の心にわきたたせていったのである。

一遍は遍歴・漂泊する人々と共に歩み、遊行した。弘安7年1284年、京の桂を発って丹波の篠村に着いた一遍の周囲にいたのは「異類異形にしてよのつねにあらず」、利のために狩猟、漁労などの殺生を業とする人たちであった。彼らが頭を振り、肩をゆすり、一糸まとわぬ姿になって踊っていると頭上から花々が降り注ぎ、紫雲がたなびいたという。

正応2年1289年、摂津国兵庫島の和田岬で一遍は静かな往生を遂げたが、「葬礼の儀式をととのうべからず。野にすててけだものにほどこすべし」という遺言は守られず、彼の遺体は岬の観音堂に埋められた。彼の死に接し入水自殺を遂げた7人の僧と非人の成仏する姿は「一遍聖絵」で今日もつぶさに見ることができる。

以上は、本書からの自由な引用でした。


♪われもすべてをなげうちおどりくるうてだいくわんきのうちにしにたし 茫洋

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