照る日曇る日第200回
黒澤がほとんど単身でロシアならぬソビエトに乗り込んで1年有半の格闘を経て命懸けで撮った映画は、驚くべきことには彼の最上の美質が発揮された名品だった。
そこには自然の恐ろしさとすばらしさをふたつながらに受け入れる愛すべき冒険者である狩人がおり、原初的な人間と獣との対決と友愛がある。雄大で神秘的な大自然への畏敬の念と、その豊かな恵みへの感謝があるかと思えば、密林の奥まで侵入する開拓の毒牙があり、都市の論理の前になすすべもなく敗退して自滅するイノセントな魂への万斛の哀歌がある。
黒澤は、そうした人と動植物が語らいあっていた黄金の神話時代から銀の時代、青銅の時代から英雄の時代までをほとんどのびやかに描く。ほんらいの自分に立ち返ったように軽く深呼吸しながら……。ああ、なんという幸福な映画であることか!
ヘシオドスが記録した時代の流れは、さらに鉄の時代を経て艱難と労苦に満ち満ちた現代にまで及ぶが、黒沢の映画的時間は懸命にもそこに到達することを避ける。ショスタコービッチが歌わざるを得なかった「森の歌」を歌うことを拒否して、あざやかに日本に帰還するのである。
この映画には、黒沢の映画でなければけっして私たちに贈り届けられなかったような人類史上の不滅の一瞬、映画ならではの特権的な瞬間が70ミリシネマスコープのフィルムの上にくっきりと刻印されており、私たちは人と自然と映画とがひとつに溶け合った奇跡を目の当たりにすることが許される。
映画に対して、誰がそれ以上のものを望むことができるだろうか。
♪またひとりパパゲーノ見つけたり広大なるロシアの森に 茫洋
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