Sunday, December 28, 2008

網野善彦著作集第5巻「蒙古襲来」を読んで その4

照る日曇る日第211回

いわゆる元寇は、第1回が文永11年1274年、第2回目が弘安4年1281年であるが、来襲したモンゴル、高麗、漢、(弘安の役は江南軍も)の大軍勢はいずれも台風の被害に遭っている。

しかし「文永の役」でそれがあったかなかったかについてはまだいろいろな議論があるようであるが、「弘安の役」における暴風雨の来襲は確実で、戦死・溺死する者元軍10万、高麗軍7千、総敬14万の大軍はそのおよそ4分の3を失った。

著者は、元軍壊滅の原因は台風ももちろんであるが、モンゴル、高麗、漢、江南軍の4つの混成寄せ集め部隊の内部対立が主因であり、宿敵同士の指揮官の行動には終始統一と団結が欠けていた。さらに専制的な強制によって建造された軍船はモンゴルによって滅ぼされた中国の船大工が手抜きしたといわれるほど脆弱な造りであったことなどを指摘している。

しかし日本軍の防衛体制も脆弱そのもので挙国一致などとはお世辞にもいえず、まことに薄氷の勝利であったと言わざるをえない。世評とは裏腹に無能の将軍北条時宗は鎌倉八幡宮に異国降伏の祈祷をするくらいのことしかしていないが、そこは腐っても鯛、執権政治の最盛期であったために竹崎季長、河野通有などの勇猛な御家人の敢闘の前に、元軍の侵攻は「失敗すべくして失敗」したのである。

ところが戦後油然としてわき起こったのは元軍敗北は神風の仕業であり、寺社仏閣の神威であるという愚かな見解であった。以前からあった、日本は神国であり神明の加護する特別な国であるというあほらしい考え方はさらに強まり、仏は神が姿を変えて現れたとする反本地垂迹説や伊勢神宮外宮の神官度会氏の唱える伊勢神道はこのような愛国的空気のなかで形成され、その663年後、このアトモスフェアをKYした狂気の軍人どもによって「神風」特攻隊の悲劇が起こったことを私たちは忘れるわけにはいかない。


  ♪困った時には神風が吹く安んじて死地に赴け汝陛下の赤子共 茫洋

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