照る日曇る日第203回
革命と反革命とではいずれかの2者択一であり、人間は敵か味方かのいずれかであり、あらゆる選択肢について第3の道なぞ考えたことすらなかった。
もとよりフランス革命も絶対的な善であり、その不滅の歴史的、社会的、政治的、思想的意義を認めようとしない輩なぞは、人間の屑とみなして平気だった。テーヌやらマチエやらルフェーブルの革命史を読んではやたら興奮しておった。
ラファイエットやダントンやジョゼフ・フーシェなどは人民の敵で、過激なマラー、ロベスピエールのほうがよっぽどかっこいいのであった。あなおそろしや。まだ私も青くさく若かったのである。
なんやかんやでつねに心の中は革命の炎が燃え盛っていたので、苛烈に弾圧され人民の敵というレッテルを貼られて断頭台の露と消える当時の王党派の貴族たちについては、かくも長きあいだにわたって、てんで想像すら及ばなかったのである。
しかし正義と自由と平等という錦の御旗を振りかざし、ラ・マルセイエーズの軍歌に乗って迫りくる暴徒たちにおびえながら、彼らはいったいどのような毎日を送っていたのだろう。どんな思いで日々を支え、どんな愛憎をはぐくみながら朝を迎えていたのだろう。
そういう素朴な質問に対するうってつけの回答がこの映画の半面の相貌であるが、名匠エリック・ロメールは、史上未曽有、驚天動地の時代を誠実に生きた男女に焦点を当て、その不滅の愛を淡々と描く。
女は英国人でありながらルイ16世に忠誠を誓うグレース・エリオット、そして男は、王の従兄でありながらフランス革命の理念を奉じ、王の死に1票を投じながらもロベスピエールの策謀によってギロチンの刃の下に斃れた悲劇の公爵オルレアン。時代の悲劇を超えて、運命のふたりがどのように深く愛し合ったか、とくとごろうじろ。
♪硝煙燻ぶるバリケードに仁王立ち最後の1発を放ちし老革命家に乾杯 茫洋
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