照る日曇る日第195回
地球における二酸化炭素の急増と温暖化の相関関係に疑問を投げかけることからはじまって、環境問題の本質は、食糧とエネルギー問題にあると喝破し、もろもろの「地球にやさしい」環境運動の虚偽と虚妄を鋭くえぐる問題提起の書である。環境原理主義者に対する反環境原理主義者の弾劾の書でもある。
例えばここ2年間くらいの企業の広告活動をみると、その中心的なテーマは環境問題であって、その一極集中ぶりは異常なものがある。環境さえPRしておけばそれで良し、とする体制順応型の対消費者コミュニケーション活動そのものが、この国の産業活動の疲弊と腐敗と堕落を物語っているようだ。
それでは企業や消費者にとってそれほど環境問題、とりわけ地球温暖化問題がどれほど切実な課題として認識されているのかといえば、それらは極めて表層的なものにすぎない。
たとえば先の洞爺湖サミットで我が国はじめ世界各国は「50年までに排出量半減」することを認めたが、具体的な行動計画については誰もなにも言わなかった。しかし養老氏が説くように、二酸化炭素排出の最大の要因は石油の使用なので、本気で温暖化を抑えたければ、石油生産を抑止するのがもっとも効果的だ。
これを年々計画的に抑制すれば多少経済活動は弱まるが「50年までに排出量半減」など簡単に実行できてしまう。ところがそれがわかっているくせに手もつけず、同じサミットで逆に産油国に対して石油増産を要請するというのは矛盾そのものである。
つまりはおそらく(日本国をのぞいて)世界中の国々が本当に本気で二酸化炭素の削減に取り組んでいるわきゃあない。ここは思案のしどころだよと著者たちは警告するのである。
確かに気象変動の要因は複雑怪奇だから、二酸化炭素の増減だけで地球温暖化を説明することはできないだろう。もしもあるパラメーターを恣意的に導入することによって過去100年間の気候変動を上手に説明することができたとしても、一歩先の未来について確信の持てる予測をすることは困難だろう。
肝心要の二酸化炭素の増減や地球温暖化の因果関係についても最終的にはまだ学問的な決着はついていない。にもかかわらずそれを己の金もうけや政治的野心の道具として利用しようとする輩が陸続と登場し、科学的真実の探求そっちのけでわれがちに世界崩壊だの人類絶滅の未曾有の危機だの目の色変えて叫んでいるようだ。科学と論理に弱い(どうでもよい?)私には、いずれが正かいずれが邪か今やそれすら見分けがつかなくなってきたので、この問題からはしばらく降りて様子を見ることにしよう。いまわあわあ叫んでいる連中がみんな死んじまったころにはおのずと結着がつくだろう。
しかしだからといって池田が言うように、京都議定書に始まる世界各国の取り組みがまったくナンセンスであり、こんな愚かな活動に全国民を巻き込むのは愚の骨頂であるばかりか税の無駄遣いであり、アメリカ帝国主義の大陰謀である、と偉そうに説くのはいかがなものであろうか。(日本だけが損をする)排出量取引が排出量低下自体につながらないことはいうまでもないが、それでもあの漫画的なクールビズだのエコバッグだのエコカーだって、印税稼ぎの駄弁を弄するだけで何もやらないよりは多少はましではないのではなかろうか。
しかし事の重大さからすれば、著者たちが力説するとおり、石油の産出が終了する前に代替エネルギーを開発して全世界の持続を可能にするとともに、極力世界人口を低減させていくことは、ツバルやベネチアやオランダの陥没やホッキョクグマの絶滅を心配することよりもはるかに重要な「地球人の使命」であろう。
♪さらばベネチア沈みゆく関東ローム層で弔鐘を鳴らすのは誰 茫洋
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