♪音楽千夜一夜第50回&照る日曇る日第194回
ビルギット・ニルソンといえば、なんといっても20世紀を代表するワーグナー歌手ということになるであろう。
ただちに思い浮かぶのは、名物プロデューサー、カールショー、ゲオルグ・ショルティ、ウィーンフィルと組んだデッカの「指輪」全曲録音、1966年7~8月のカール・ベーム指揮バイロイト祝祭soによる素晴らしい「指輪」の全曲ライブ演奏、同じメンバー+相棒ヴィントガッセンとがっぷり4つに組んだ「トリスタンとイゾルデ」の空前絶後の名唱、翌年の春、死ぬ直前のヴィーランド・ワグナーの厳命でピエール・ブーレーズと大阪にやってきてアホ馬鹿N響相手にぶっつけ本番で歌ったトリイゾなどであるが、とりわけ私の心に突き刺さったのは1983年1月ニューヨークのメトロポリタン歌劇場創立100周年記念ガラコンサートに登場した彼女が、いきなり「ワルキューレ」第2幕の有名な「ホヨトホ!」の叫び声を上げた瞬間、超満員の聴衆が満腔の歓呼の声を挙げた光景だった。
ただひと声で満場を歓喜の坩堝と化すことができるのは、世界に名歌手多しといえども「オテロ」のデル・モナコとビルギット・ニルソンだけであろう。
この本はそのスウェーデン生まれのソプラノ歌手ビルギット・ニルソン(1918-2005)の自伝である。
田舎の牧場の娘がふとしたことから音楽の道に入り、ストックホルムのオペラハウスを振り出しにウイーン、スカラ座、メット、バイロイト、テアトル・コロンなど世界の有名オペラハウスや音楽祭に出演するようになり、ワーグナー作品をはじめ、トスカ、トゥーランドット、アイーダ、仮面舞踏会、マクベス、サロメ、エレクトラなど大作の主役を演じるようになり、エリッヒ・クライバー、フリッツ・ブッシュ、クナパーツブッシュ、カイルベルト、ベーム、カラヤン、ショルティ、クレンペラー、ラインスドルフ、クロブチャールなどの棒で歌うようになる。(余談ながらカイルベルトとクロブチャールの指揮に対する彼女の高い評価にいたく共感)
彼女の徹底したカラヤン嫌いの理由、クレンペラーからいきなり「独身?」と口説かれる話など、世界の一流指揮者の実力と人柄に生身で接したリアルな月旦評も抜群の面白さだ。
その間彼女が共演したビョルディング、フランコ・コレッリ、ホッター、カラス、テバルディ、レオンタイン・プライス、シオミナート、ディ・ステファノなどの名歌手たちの逸話、彼女を生涯にわたって追いかけたマリリンモンロー似のストーカー悲話も興味深いものがある。
例えば、彼女とフランコ・コレッリがメットの「トゥーランドット」で繰り広げたハイC競争は壮絶なものであったらしい。
そのほとんどはコレッリが勝ったらしいが、たった一度だけニルソンが勝利した時のこと、コレッリが姿を消したので支配人のルドルフ・ビングが捜したところ、コレッリは怒り狂って拳骨でテーブルを力任せに叩いて血だらけになり、コレッリ夫人が救急車を呼ぼうとしていた。しかしまだもう1幕残っていたので、ビングが「次の幕でトゥーランドットに口づけするときに噛みついて復讐しろ」とささやいて彼を舞台に立たせ、自分は逃げ出したという。
指揮者のレオポルド・ストコフスキーはそんなことがあったとはなにも知らなかったそうだが、あとで演出家からピングの悪知恵を聞いた彼女は、支配人に宛てて次のような電報を打ったそうだ。
「噛まれて負傷したために、次回公演はキャンセルします―ビルギット」
クラシックのアーチストの評伝はどれも当たり外れがないが、この本は著者の誠実さ、温かな人間性と巧まざるユーモア、そしてなによりも音楽への愛と献身が際だっていて、読む者がたとえ耳に一丁♪なき音痴であったとしても、そのささくれだった心の裡をほのぼのとした気持ちに変えてくれるに違いない。
♪時代も世紀も煎じ詰めればこの一瞬のわれらの行状に尽きる 茫洋
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