♪音楽千夜一夜第50回&照る日曇る日第193回
そのように性急に二者択一を迫られると困ってしまう。
私の答えはもちろんフルトヴェングラーに決まっているのだが、だからといってカラヤンの演奏も特にオペラには素晴らしいものが目白押しである。クラシックの演奏家のリストからこの才人を抜かせばそのあとはかなりさびしい姿になるに違いない。特にかつて吉田秀和氏が推薦していたカ氏の晩年のモーツアルトのセレナードの演奏は老鶴万骨枯れたしみじみとした、当世はやりの言葉でいうと泣かせる演奏だった。
この本の面白さは、ベルリンを五回訪れた著者がまだかろうじて存命中の延べ一一人のベルリンフィルの演奏家たちに数度のインタビューを敢行し、かつての統領の人柄や力量について遠慮なく尋ね歩き、予想外の率直な回答を引き出したことにある。クラシックファンにとって面白くないわけがない好企画である。
インタビュー直後に急死した名物ティンパニー奏者のテーリヒンは有名なカラヤン嫌いであるが、カラヤン好みの正確無比の太鼓叩きフォーグラーの登場によって一九七九年六月以降の全ライブと録音から外された彼が怒り狂ったのは当然だとしても、その背景には情動の一撃か精巧の打刻かというこの世界最高のオーケストラに君臨した双頭の鷹の演奏哲学の違いが生んだ不可避の悲劇ではなかっただろうか。
しかし、栄華を誇った英雄の晩年はいずれも孤独で悲しい。
フルベンはその晩年に聴力を失うという現実に直面して完全に生きる気力をなくし、そのあとの衰弱は極めて急速で、死ぬ前に夫人に「死ぬことがこんなに簡単とは知らなかったよ」といいながらまるで自殺のように息を引き取ったらしい。
またカラヤンは一九八四年の大阪公演では、曲を振り間違え、スカラ座ではアンコールをバッハの「アリア」に決めていたのにマスカーニの「友人フリッツ」のつもりで振り始め、一九八八年の最期の日本公演における「展覧会の絵」は誰の耳にも無残な演奏であった。その極めつけはザビーネ・マイヤー事件にはじまる手兵ベルリンフィルとの対立と永訣であったが、それは誰あろう帝王カラヤン自身が招いた悲劇であった。(第一三章フィンケ氏との対話)
慨嘆しつつこの本を読み終わった私は、気を取り直して元楽員の多くが激賞しているフルベンのシューマンの四番とラベルを聴きなおしてみたいと思ったことだった。
♪フルベン王は死せり後は洪水垂れ流すのみとカラヤン嗤う 茫洋
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