Saturday, December 31, 2011

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


正月や生死の際のひとやすみ 蝶人

Friday, December 30, 2011

西暦2011年師走 蝶人狂歌三昧

ある晴れた日に 第102回


「カチューシャ」の転調していくところが好き なんだかワクワクしてくるから
生きる悦びを感じるから

マーラーを好きでも嫌いでもない人がマーラーを名演してもこりゃ詮無いわなあ

痩身長躯で躁鬱でユダヤ人のくせにカトリックで最期にユダヤ教に戻ったクレンペラーのマーラーを聴け

マーラーに神は見えずブルックナーはバッハと同様神を見た人

ハーレムの奴隷となりしデートリッヒ今宵コーランをひとり読むらん

男一匹金玉二つてんでカッコよく死んでやろうじゃん

病院では年齢と生年月日を言わせる。もひとつ「老若男女」と言わせてみなさい

お母さんと西友行きます!お母さんと瀬西友行きます!と叫ぶ君 そうかいもうお父さんとは行かないのかね 行ってくれないのかね 僕の息子のくせに

おいらはイサムノグチの提灯なんて要らないけれど、あの簾だけは欲しい。欲しい。欲しい。

耳を聾せんばかりの大声で電車の遅延を伝えたり鎌倉駅の駅員め

夢の無き国に住まいて夢を見る

一機89億のF35を買わなければいろいろ買えるがな

僻村の孤老となりて冬籠り

喉ちんこ赤く腫れたり午前二時

玉虫を尋ねて行かむ幾千里

ガガズミの赤は野薔薇の赤より紅くしてサネカズラ、ピラカンサ我が家は赤い

じんせいなんてつうつうれろれろつうれれろ 

世の中や粗にして野にして卑なる奴ばかり
 
午前二時また玄関の鐘が鳴る

ダイアナ妃を恋人もろとものみ込みし巴里の暗虚はここにもありしか

WinWinの関係があたくしのコンセプトなどと抜かすこの女狐社長

鎌倉の駅前広場の赤とんぼわれひとともにたそがれてゆく

卑小なる己を神に擬しいと高きところめざす者に呪いあれ

西陽差すしやうぐあい施設の六畳間息子を託し黙して帰りぬ

長身でモデルのように美しい隣家の妻が越す明日かな

年の瀬やバーキンが呉れしリースを飾る

貧すれど貪するなかれ羊雲

かにかくに平成の世も暮れかかる

神仏を一縷の望みと頼りけり


最悪の年がようやく明けたれば少しはましな年が来るらむ 蝶人

Thursday, December 29, 2011

吉田郁子主演・英国ロイヤルオペラの「ロメオとジュリエット」を視聴して

♪音楽千夜一夜 第236回

このところ毎日バッハのカンタータを聴いていますが、歳末になるとやっぱりバレエがみたくなる。というわけで吉田郁子主演・英国ロイヤルオペラの「ロメオとジュリエット」日本公演の映像を視聴してみました。

お馴染みプロコフィエフの悲恋物語を踊るのは、長らくこのバレエ団でプリンシパルとして活躍したという吉田嬢。まわりはみな巨大な毛唐ばかり。こんなに背丈が低くてちっぽけで痩せっぽちで大丈夫なのかなと心配でしたが、最後まで見事に踊りきったのでやっと安心しました。

この人の技量や迫力が抜群とはさらさら思えないが(その点ではロメオ役のスティーヴン・マックレーは素晴らしい!)彼女の最大の持ち味はそのパフォーマンスの繊細さと相手の男性側の高度の操作性にあるのですね。これが普通の毛唐女であればこんなに軽々と持ち上げたりぶっ飛ばせたりできっこない。パ・ド・ドゥの曲芸的な軽業はじつに彼女あってのものなのです。

私はプロコフィエフの音楽をあまり高く評価できません。本作でも特定の主題を乱用しすぎてくどいし、ピーターと狼のテーマまで流用する必要はないだろう。じつに下らない3流の作曲家だ。演奏はポリス・クルジーン指揮の東フィルでいずれも水準以下の凡演(「ティボルトの死」でも全然盛り上がらない)、ケネス・マクミランの演出はまずまずの出来でした。

出演
ジュリエット:吉田都、ロメオ:スティーヴン・マックレー、ティボルト:トーマス・ホワイトヘッド、べンヴォーリオ:セルゲイ・ポルーニン、パリス:ヨハネス・ステパネク 
2010年6月29日  東京文化会館(東京・上野)


   長身でモデルのように美しい隣家の佳人が越す朝かな 蝶人

Wednesday, December 28, 2011

ジェームズ・ブリッジス監督の「チャイナ・シンドローム」を観て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.183


スリーマイル島の、チエルノブイリの、そして東電福島の原発事故を予見した記念碑的な1979年のハリウッド映画である。

ここでは監督のジェームズ・ブリッジスよりもまず製作者兼フリーキャメラマン役で出演のマイケル・ダグラスの先見の名に深甚なる敬意を表したい。

 テレビ局のキャスター役のジェーン・フォンダも珍しく素直に好演しているが、原発を愛しながら原発の安全性と原発会社の秘密隠ぺい体質に疑問を抱いて苦悩するジャック・レモンの演技が素晴らしい。

フォンダやダグラスの外部からの突っ込みに対して、原発会社の身内のレモンがあるときは会社人間の、またあるときは正義と真実を追及する公正な市民の立場のあいだを揺れ動くさまが、見る者の共感をさそう。そもそも原発で喰っている人間がどうして原発を根本的に批判することができようか。それをあえて身体を張ってやろうとする男を観客は手に汗を握って見詰めるのである。

そして次なる原発着工を目前に控え、事故の真相を隠蔽しようと焦るアメリカ東電は、既存の政治権力と結託してスパイ、脅迫、あまつさえ身内の粛清さえ図ろうとするのだが、これって日本東電の醜悪な現況をなんと30年前に予言していたといえないだろうか?


神仏を一縷の望みと頼りけり 蝶人

Tuesday, December 27, 2011

シドニー・ルメット監督の「ネットワーク」を観て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.182

「12人の怒れる男」「狼たちの午後」「評決」のシドニー・ルメットが今年の4月に86歳で死んでいたなんてぜんぜん知らなかったよ。

彼はつとに社会派の巨匠と評価されているようだが、そんなことよりどんな作品でも役者の存在感を最大限に発揮させている点が評価できる。

テレビというメディアの腐敗と堕落を厳しく糾弾したこの作品では、視聴率獲得のためには人殺しさえも辞さないフェイ・ダナウエイーのあざとい魅力、おのれの主客の立場を喪失して狂っていく人気キャスターのピーター・フィンチの異常なペルソナ肥大、老練ウイリアム・ホールデンの死に際に渋い花を咲かせた演出の膂力が素晴らしい。

 そして1976年という時点でテレビと言うメデイアの本質を鋭く洞察したバディ・チャイエフスキーの脚本にも拍手を惜しんではならない。そして俺たちは
 I'm as mad as hell, and I'm not going to take this anymore!
という叫びをもう一度取り戻そうではないか!


喉ちんこ赤く腫れたり午前二時 蝶人

Monday, December 26, 2011

スピルバーグ監督の「レイダース 失われた聖櫃」を観て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.181

1981年に製作されたこの監督の得意な波乱万丈一大冒険絵巻でやす。

ハリソン・フォード扮するいかがわしい考古学学者インディ・ジョーンズがナチの陰謀と戦いながら世界中を股に掛けて大活躍致しやす。

陸海空を駆け抜ける間にご都合主義のつじつま合わせがあったり死んだはずのヒロインが生きていたりするデタラメもまあ御愛嬌。まずは大人も子供も大口開いて見物できる無害衛生の動く動画。されど何百匹もの実物の毒蛇を登場させているが、たった1匹の蛇で観客を恐怖させたヒッチコックの爪の垢でも呑ませたいものである。

しかし振り返ってみればこのインディ・ジョーンズ、最初から最後までお宝をライバルに奪われっぱなしだったなあ。特にラストで聖櫃の怒りに触れずヒロインと2人だけ命が助かったのはどうしてだろう。聖櫃はナチと非ナチを見分ける叡智を持っていたから?

こんな下らない娯楽映画の大ヒットが名作「ブレードランナー」の興行成績を不振に終わらせたという話があるが、それがもし本当なら残念なことだ。


一機89億のF35を買わなければいろいろ買えるがな 蝶人

Sunday, December 25, 2011

リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」を観て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.180

ディックの原作も面白かったが、もっと素晴らしいのがこの映像で、全篇を流れる終末観と虚無感がたまらなくいい。

人間が自分勝手な理由で製造したレプリカンが人間と見まがうような内容と外観に近接すればとうぜん生みの親に反逆するに決まっているが、昨日の友は今日の敵。今度は一転して人類の宿敵となったレプリカンをブレードランナー(ハリソン・フォード)が抹殺を命じられるというお話からして救いようがないのだが、最高の科学技術で精製されたくせに短命な美貌のレプリカン(ショーン・ヤング)がフォードに恋をするとくるから、その切なさもここに極まる。

特に印象的なのは女性レプリカン、ダリル・ハンナを屠ったフォードが強敵ルトガー・ハウアーに徹底的に追い詰められ、あわやというところでハウアーの寿命が尽きてさながら「あしたのジョー」のように雨の中に白く燃え尽きるシーン。見るべき程のことを見、人間フォードの見たこともない光景を見た彼は、平知盛のように世を去るのである。

そうしてラストのフォード&ヤングの逃避行はまるで「心中天網島」の道行きのように哀れで儚い。強力「わかもと」を服用しながら早くも21世紀末の纏綿たる情緒に浸ろうではないか。

夢の無き国に住まひて夢を見る 蝶人

Saturday, December 24, 2011

よしもとばなな著「スウィート・ヒアアフター」

照る日曇る日第476回

震災で亡くなった大勢の無辜の民を悼むために、この作家がみずからも亡き人の在ます世界に沈入して懐かしい人たちとの交わりを深めようとするのは善い事であるし、それは小説家だけに許された特権かもしれない。

京都に住むアーチストとヒロインが乗った車は上賀茂に帰宅する途中で交通事故に遭いあっけなくこの世をみまかる。フリーダ・カーロのように腹に鉄棒を喰らった彼女だけは一命を取り留め、最大の不幸と絶望の中から再生を試みようとするのだが、もしかすると彼女も彼と一緒に死んだのかもしれないし、生きていながら2つの世界を往還する霊魂の背負子のような存在なのかもしれない。

著者がそういう霊界の存在に寛容な人物であることは事実なのだろうが、ここで書かれているような生者死者を超越した父母未生以前の世界を、私は断固否定しようとはいまでは思わない。しかもそれは往々にして私に周辺でも実際に起こっているのだから、なおさらのことだ。

人世は死ねば終りではなく、あの世でかれらも私たちの身内も生きており、その気になればいつでも会って話してなぐさめあう事が出来るという考え方は、私たちにいわば2層倍のおおいなる精神の自由をもたらす。だからガリガリの無神論者たちも霊的なるものの存在を完全には否定したがらないのであろう。

けれども30年以上も前に同じ京都の比叡山ドライブウエイから谷底に転落した知人がたまたま車体頑強なボルボに乗っていたために九死に一生を得たことも知っておく必要があるのだろう。

午前二時また玄関の鐘が鳴る 蝶人

Friday, December 23, 2011

福永武彦著「福永武彦戦後日記」を読んで

照る日曇る日第475回

「廃市」「海市」「死の島」の作者、というよりも池澤夏樹の父である福永武彦の若き日の日記である。

1945年、46年、47年のほぼ3年間におよぶ日記を読んでみると、敗戦直後の生活苦、病苦、芸術苦、世界苦、とりわけ恋愛苦によってこの文学青年が強烈なダメージを蒙り、それがのちの彼の芸術に決定的な影響を、というより傷を残したということがよく分かる。

福永武彦の運命を決定づけたのは若き日に小説も書いていた「マチネ・ポエティック」の同人であった詩人・原條あき子で、この青年の生涯最大の危機をあるときは永遠の毒婦の如く加速させ、またあるときは永遠の童女のごとく回避させた運命的なヒロインが息子夏樹をこの世に誕生させたのだが、この夫婦の対峙関係はどこか島尾敏雄とその妻ミホのそれを思わせる。

1947年の日記は二人の実存がぎりぎりのところで軋み合う有様を、息苦しい緊迫感と臨場感とともに伝え、ある意味では下手な小説以上の迫力であるが、著者が自画自賛する内容を持つ「1949年日記」が発見されたと言うが、その上梓が一日千秋の思いで待たれるのである。


僻村の孤老となりて冬籠り 蝶人

Thursday, December 22, 2011

五木寛之著「私訳歎異抄」を読んで

照る日曇る日第474回

浄土宗と浄土真宗はつくづく革命的な宗教だと思う。仏や悟りや成仏について自力であれこれ苦労してかんがえたり悩んだり難行に取り組んだりするひつようはごうもない。ただただ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えればどんな人間でも極楽往生できるというのだから。即身成仏をめざす真言宗や六根清浄をねがう天台、法華一乗の徒が怒り狂って朝廷に強訴したのもとうぜんだろう。

それまでの宗教がことごとく自力本願であり、近代以降も人間力の根幹は自己の主体性の涵養であったことをおもうと、この他力本願の思想の簡明さと平民性と思考放棄のラジカリズムにはつねに圧倒される。

されど南無阿弥陀仏だけでくよくよ悩まずに天国に行けたらいいけれど、そんな簡単なことで大丈夫なんだろうか、とかえって心配になってくるほどだ。さらに「悪人なほもつて往生をとぐ。いはんや善人をや。」ということになると、いささか行きすぎのようにも思えてくる。

だがさにあらず。親鸞にとってすべての人間はたまには善人にもなることができる悪人であったから、まずそうゆう普通の悪人がはやく現生を卒業して来世で仏になってはやく現世に戻ってきてくれれば、教祖としてはハッピーなのであった。

 ちなみに歎異抄とは親鸞の著作ではない。開祖没後三〇年、その教説をめぐって数多くの「異」説が登場して相争う状況を「歎」いた直弟子唯円のメモランダムなのである。


年の瀬やバーキンが呉れしリースを飾る 蝶人

Wednesday, December 21, 2011

細川重男著「北条氏と鎌倉幕府」を読んで

照る日曇る日第475回$鎌倉ちょっと不思議な物語第255回


「北条氏はなぜ将軍にならなかったのか?」と自問して始まった本書が、最後の最後に「北条氏得宗は鎌倉将軍の「御後見」なのであり、自ら将軍になる必要もなく、またなりたくもなかったのである」と答えて終わると、「なんだそれは?んなこと最初から分かっていた話じゃないか」と文句の一つも言いたくなります。

しかし得宗とは元は「徳崇」であり、それは時頼期以降に贈られた禅宗系の追号であるとか、北条義時は武内宿禰の再誕であり北条時宗が恐怖の独裁者であったとか、そこに行くまでのお話がなかなか面白い。

これは恐らく著者が「あとがき」で真島昌利の名言として引いている
「難しいことはわかりやすく
わかりやすいことは面白く、
面白いことは深く」
という言葉を実践してやろうと気合を入れてぐあんばったからなのでしょう。

しかしながらこの名言の出所は、このギタリストがこの世に生まれおちる前から劇作家の井上ひさし氏が折に触れて唱えていた
「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
ゆかいなことをいっそうゆかいに」 
という名言のパクリであることは、歴然としています。

歴史の専門家でインテリゲンチャンのはしくれである著者が、そんなこととも知らずに感動しているこのミュジシャンは、かつての「ブルーハーツ」、現在の「クロマニヨンズ」におけるわが偏愛の天才パンク・ロッカー甲本ヒロトのベスト・パートナーなのですが、その彼がヒロトの足元にも及ばぬ凡才であることもきっとご存知ないのでしょうね。


じんせいなんてつうつうれろれろつうれれろ 蝶人

Tuesday, December 20, 2011

小林正樹監督の「切腹」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.179

仲代達矢が主演する格調高い時代劇。寛永6年に井伊家の屋敷で腹を切りたいと貧乏侍が頼みに来る。当時商人を中心とした貨幣経済の波が下層武士階級を食うや食わずの悲惨な状態に突き落としていたが、困り果てた侍がそういう名目で大家を訪れ、いくばくかの金子を貰って引き揚げるケースが頻発していたんだそうだ。

しかしそんな風潮に業を煮やした井伊家の代官(三国連太郎)とその手下たちは、訪問者(仲代達也の娘婿)の表向きの要請どおりに切腹させる、しかも売り払った真剣ならぬ竹光で。その惨たらしい最期を知った義父は息子の敵の代官屋敷に乗り込んで血刀を振るって壮絶な復讐劇を繰り広げる。

幕府の重臣井伊家にあるまじき非人情な仕打ちに抗議するいわば自爆テロで、そのチャンバラの大迫力を求めるのにやぶさかではないが、冷静に考えると竹光での切腹を強要はたしかに非道の仕打ちであるが、そもそもいくら貧困の底に喘いでいるとはいえ、大名家の庭先を借りて自死すると称して金品をねだりに行く根性そのものが浅間しい。

その点をないがしろにして大名家の横暴や自己保身を難詰するという原作シナリオのほうが片手落ちなのである。竹光で腹を切る映画の音楽も武満徹。遠い親戚の五味龍太郎が悪役で出演していて嬉しかったが、それにしても実に後味の悪い映画であった。


ガガズミの赤は野薔薇の赤より紅くしてサネカズラ、ピラカンサ我が家は赤い 
蝶人

Monday, December 19, 2011

ハワード・ホークス監督の「コンドル」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.178


サン・テクジュペリの名作「南方郵便機」「夜間飛行」「人間の土地」「戦う操縦士」をただちに想起させる郵便飛行機をめぐる男の友情物語です。

ただしサンテックスの活動舞台が主にモロッコなど北アフリカの砂漠であったのに対して、これは南米エクアドルの港町。ここはコンドルが棲む高山の麓にあっていつも雨と霧に悩まされなぜか飛行場はいつでも水浸しなのですが、大根役者のケーリー・グラントや名脇役トーマス・ミッチエルなどのあらくれパイロットが活躍する小さな飛行場にNYの踊り子ジーン・アーサーや麗しのリタ・ヘイワースが紛れ込んで来てお馴染みの恋のさや当てがはじまります。

しかし本作の主題はそういうやわなラブロマンスではなく、命知らずのヒコーキ野郎の大冒険。高度1万フィートで操縦席にコンドルが飛び込んできたり、(その前に岩山に盤踞する彼らにニトログリセリンの爆薬を投下した報いか)、宿敵と思われた男との涙ぐましい和解があって、最後の最後にハッピエンドとなるのです。

粗にして野であるが卑ならざるハワード・ホークスの名品です。


世の中は粗にして野にして卑なる奴ばかり 蝶人

Sunday, December 18, 2011

ワルター指揮コロンビア響の「モーツアルト選集」を聞いて

♪音楽千夜一夜 第235回


超廉価CDの元祖ソニー・クラシカルGがまたまた贈ってくれたブルーノ・ワルター最晩年のモーツアルトの花束です。後期6大交響曲に加えてアイネクライネ、ドイツ舞曲、フランチエスカッチと組んだヴァイオリン協奏曲やニューヨークフィルと入れたレクイエムまで、たった1枚331円で6枚組のすべてステレオの名演奏が手に入るのですから、これは買わない方がどうかしています。

いずれもつとに定評のあるロマンチックなもので古き良き時代のモザールを堪能できますが問題は音質。この最新型24bitのCD録音はまたしても耳に痛い金属的なヒスを連発。手持ちのLPの優しさや豊かさなどはどこかに消し飛んでしまったようです。

ブダペストSQといいジュリアートSQといい、この会社の音響技術者の音楽性の無さには毎度のことながらウンザリさせられます。


WinWinの関係があたくしのコンセプトなどと抜かすこの女狐社長 蝶人

Saturday, December 17, 2011

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン響の「ブッルクナー交響曲第8番」を聞いて

♪音楽千夜一夜 第234回

いわずと知れたブッルクナーの代表的な破綻蝶作品をプレートル指揮ウィーン響がものの見事に僅瑕すらないライヴ演奏してのけまする。

マーラーの時とまったく同じ手口で、お客様はみなイワシ、ユアーン、ユヤーン口あんぐりと意味謎不明の拍手喝采で、おもわずこっちも手を叩きそうになりますが、どうにもこうにも似ても焼いても喰えない、いや飲めない真水のように透明な演奏。朝比奈やシューリヒトやクナやフルヴェンやヴェームやヴァントやチエリビダッケのような濁りやにがりが、いっさいありまへん。

朝比奈を除いて優れた西欧人の演奏では、ときどきまぎれもなき神、あるいは神のやうなもの、もののけ的にが顕現して、「ふむ。やはり神は存在するのだ」とおもわず頭を垂れてしまう奇跡的な瞬間が訪れることもままあるのですが、プレートルに限っては全然ない。てんで無い。金輪際無い。

おそらくこの合理主義者は我々日本人と同様にキリスト教の神なんて信じていないのでしょう。だから悪い演奏だと言うておるわけではないのですが。


マーラーに神は見えずブルックナーはバッハと同様神を見た人 蝶人

Friday, December 16, 2011

井上ひさし著「一分ノ一」下巻を読んで

照る日曇る日第473回

我らが主人公は、分断された日本の再統一を夢見るソヴィエトによって占領された北ニッポン国の地理学者サブロー・ニザエモーノヴィッチ・エンドーこと遠藤三郎。

彼は、少数の味方を敵の警察やスパイの魔手によって次々に失いながらも、入手した7枚の偽の身分証明書を使いながら、幾たびもの死地と窮地をあやうく逃れに逃れ、ついに中央ニッポン国六本木交差点付近のモスクワ芸術座付属トウキョウ俳優座劇場にたどりつき、名女優コマキーナ・カズートヴナ・クルハレンコの献身と劇場スタッフの協力によってテレビ出演を果たし、全国の隠れ統一熱望者たちの決起をうながす。

救国の英雄となった遠藤三郎の輝かしい存在を知ったニッポン人たちはようやく蜂起し、東京の各地でデモや武装闘争が開始されようとしていたが、肝心要の主人公は対日理事会からの死刑宣告を受け、執拗な敵スパイからの攻撃と追及、卑劣な脅迫の前にひとたびは転向を決意するのであった。

が、しかし、しかし、火山噴火口上の西郷隆盛の如く、203高地直下の乃木希典の如く、怒れる若者たちによって祭り上げられた神輿状態に陥った遠藤三郎は、再び戦場に返り咲き、世界最終戦争の渦中に飛び込むことを決意する。

さあこうなったら乗りかかった船、平成4(1992)年から足掛け7年41回の断続的連載を経たこの冒険ファンタジー超大作は、平成22(2010)年の著者の死去にもめげず、泉下の「小説未来」にて永久連載の栄光の道を辿ることとなったのであるうう……。

玉虫を尋ねて行かむ幾千里 蝶人

Thursday, December 15, 2011

奥富敬之著「吾妻鏡の謎」を読んで

照る日曇る日第472回$鎌倉ちょっと不思議な物語第254回


何の期待もなくたまたま手に取ってしまった一冊の本でしたが、長年に亘って吾妻鏡を読み込み独自の研究を続けてきた著者によるこの遺著は、予想外の収穫がありました。

鎌倉幕府の終わりが近づいたころに編まれたこの本は、もちろん「北条氏による北条氏のための北条氏の歴史書」なのですが著者は類書とはまったく別の視角からその問題点を次々に俎板に載せて筆鋒鋭く疑惑を解明してゆきます。

例えば富士川合戦など実在しなかったこと、平家よりももともと源氏のほうが水軍に強かったこと、鎌倉幕府の成立は頼朝ゆかりの御家人が自主的に一揆(決起して同盟の契りを結んだ)治承4年12月12日の亥の刻であること、その「一揆」組の統一と団結に逆らって自分勝手な「独歩」を敢行し、兄の乗馬を曳くのが武士として極めて名誉なことであることにすら無知で下賤の身であったからこそ、頼朝は義経を切り捨てたこと。

そしてこの「独歩」を粛清して「一揆」を守ることが鎌倉幕府の組織原理であったこと、「独歩」路線を強行する(北条氏を除く)あまりにも強大な御家人の長(下総介広常、梶原景時、比企能員、畠山重忠、和田義盛等)は、その組織原理からもたらされる「権力の平均化」政策によって粛清されるが、その場合でも一族を皆殺しにすることは頼朝以降もなかったこと、実朝暗殺の真相をもっとも正確に伝えているのは「吾妻鏡」ではなく「愚管抄」であり、暗殺の黒幕は意外にも北条義時ではなく三浦義村であり、暗殺者公暁の協力者がいた鶴岡二十五坊には多くの平家の残党が僧侶に姿を変えて潜んでいたこと、

などなどが、豊富な文献証拠と著者ならではの鋭い推理と直観できわめて大きな説得力をもって論証してあります。本書は、これから鎌倉幕府と「吾妻鏡」を研究しようとする人にとって必読の書といえるでしょう。

Wednesday, December 14, 2011

県立近代美術館で「シャルロット・ペリアンと日本」展を見て

茫洋物見遊山記第75

本邦では初、そしてニュヨーク近代美術館、巴里私立美術館に次いで世界で3番目に設立されたこの鎌倉の公立公共美術館であれやこれやの展示を見るのは、小生のこよなき喜びですが、小春日和の今日はシャルロット・ペリアン嬢のインテリア展を見物する機会に恵まれ、有り難く天に感謝を捧げたことでした。

シャルロット・ペリアン選手は1903年に巴里に生まれたのデザイナーで、ル・コルビジュのアトリエで、インテリアの苦手なこの大建築家のアシスタントを務めていたキュートな女性です。

同じアトリエでわが国の前川國男、坂倉準三とも同僚であった彼女は、1940年のヒトラーに因るパリ陥落のまさにその日に祖国を去って、客船白山丸で来日、わが国商工省の輸出工芸指導顧問として破格の高給で迎えられ、東洋と西洋を衝突・融合・再編集する、当時としては異色のデザイン世界を創造しました。

特に河井寛次朗郎、柳宗悦などわが国の「民藝」運動の推進者との出会いによって竹や木などの自然素材の特性を生かした机や長椅子や家具や調度品が次々に誕生し、それらは1941年に高島屋で開催された「日本創作品展覧会」を通じて全世界に発信され、住宅内部装備のデザイン革新に後々まで大きな影響を与えることになったようです。

46年の帰国後も彼女と日本デザイン界の密接な関係は坂倉準三との交友と共に長く続き、99年に死去するまで53年の「コルビジュ、レジェ、ペリアン3人展」や日仏のエールフランスのオフィスデザイン、在仏日本大使館のインテリアデザインなど数多くの優れた成果を残し続けましたが、そんなことはどうでもよろしい。

会場を入ってすぐ左手に陳列されている秋田の竹を使って精巧繊細に仕上げられたいくつかの小さな簾(すだれ)を見るだけで、当時弱冠38歳だったこのデザイナーの類まれなる才能が誰の眼にも明らかでありましょう。

おいらはイサムノグチの提灯なんて要らないけれど、あの簾だけは欲しい。欲しい。欲しい。蝶人

Tuesday, December 13, 2011

プラド美術館所蔵「ゴヤ展」を見て


茫洋物見遊山記第74

昔むかしスペインを訪ねてこの美術館の壮大さとその所蔵コレクションの膨大さに圧倒されたことを思い出しました。

もうすぐ会期が終わりそうなので駆けつけて一覧しましたが、ざっと半分がゴヤの闘牛や戦争の惨禍を主題とした画面の小さな素描だったので、見るのにひどく疲れてしまいました。これらは画家の私小説あるいは内面の極私的な独白のような趣があって丁寧に見て行くととても興味深いものがありますが、素描の過半数が西洋美術館の在庫品なのでちょっとガックリ。プラド美術館所蔵のなどと謳っていますが、総数123点のうち37点、その他の国内美術館のかき集め6点を加えると、およそ3割近くがプラド以外の収蔵品なんて、すこしく羊頭狗肉の展覧会ではないでしょうか?

プラド本体のゴヤはこんなものではなく、それこそ見飽きて腐るほどあるのです。しかもその作品をずるがしこいキューレーターたちが、やれ「創意と実践」だとか「嘘と無節操」、「不運なる祭典」「信心と断罪」などと小賢しい惹句をつけて、それでなくとも疲弊した我々観客の目をあらぬ方へ誘導しようとする。我等はあなた方の固定観念の押しつけなぞ必要としていない。それぞれの自分の目で勝手に見るだけのことです。どうかほおっておいてください。

と、罵詈雑言の限りを尽くしながらも、たった1500円でバルセロナに行かないで素晴らしいゴヤの「自画像」や「日傘」をこの眼で心ゆくまで眺めることができたのは望外のよろこび。有名な「着衣のマハ」はさして傑作とも思えませんが、「日傘」の色彩の美しさと取り合わせの妙は、見れば見るほど生理的な快感を覚え、人もまばらな雨の午後に時の経つのも忘れてしまいました。

ゴヤの油彩にはちょっとルノワールに似た浮遊感がかんじられ、(よく見ると人物像は下地からわずかに浮き上がるように描かれている)それが私たちを一瞬、このせちがらい現世を超脱した夢見心地に誘ってくれるのです。もしかするとこの画家は、戦争や殺戮や巨悪などの過酷な現実と地獄を見据える生活者の視線を素描の連作に、地上の楽園を夢想する幻視者の視線を初期・中期の油彩に定着しようとしていたのかもしれませんね。

お母さんと西友行きます!お母さんと西友行きます!と叫ぶ君 そうかいもうお父さんとは行かないのかね 行ってくれないのかね 僕の息子のくせに

蝶人

Monday, December 12, 2011

ブリジストン美術館で「野見山暁治展」を見て


茫洋物見遊山記第73

90歳になんなんとする、いや確かもっと年長組のはずの洋画家の一大回顧展覧会である。

画家は福岡の飯塚炭鉱の近辺で生まれた人らしく、幼時の記憶がボタ山とリンクしていて、その黒グロとした影像が、渡欧したベルギーの橙色の鉱山とオーバーラップしていく。

長い海外生活は彼に表層の自由と色彩の氾濫を与えたが、それはうわべだけの虚飾に過ぎず、帰国した画家は本邦の本来本然の実在と激しく格闘するようになる。

しかしそうやって悪戦苦闘しているうちに90年代にはそういう堅苦しい問題意識そのものがどうでもよくなって、というか無化されていき、ついに2000年代に突入すると武者小路実篤的ないわば無為にして化すとでもいう風な融通無下の心境に至りそうになるのだが、このいっけんよさげな行き方を、わたくし的には断固寸止めしてくれないと困る。

あなたのそのトレンドを、かの一休禅師や老子に比べると、たといおヌシが百歳になろうがまだまだ洟垂れ小僧の遊びの世界にとどまるに違いない。失礼ながら、貴君が戯れに描いた最新版の自画像に、その最高の到達点と遥かな未達点がともに明示されているではないか。

ああ、まことに芸術は長く、人世は短い。

病院では年齢と生年月日を言わせる。もひとつ「老若男女」と言わせてみなさい。蝶人

Sunday, December 11, 2011

国立新美術館の「モダン・アート、アメリカン展」を見て


茫洋物見遊山記第72

珠玉のフィリップ・モリス・コレクションと副題されたこの展覧会では、第1章「ロマン主義とリアリズム」とか第10章「抽象表現主義」というタイトルが付された全部で110点がずらずら並べられていたが、ちょっとカッコつけ過ぎ。こっちは要するに現代アメリカ美術を見に来ているのだから様々な意匠とこざかしい分類なんて無用の長物なのである。

それなりによく描かれ、それなりの絵画的意義を持ちながら、私の目と心から冷たく無視されて通り過ぎていった数多くの作品は今ではどこに消えていったのか今では誰にも分からないが、とどのつまりはジュージア・オキーフが小屋や葉を描いた作品と、エドワード・ホッパーによる「日曜日」と「都会に近づく」が、ただそれだけが私の存在に激しく呼応して白い壁から立ち上がった。

ホッパーの作品は、どれも現代人の孤独な精神の不安な様相を不気味に象徴しているが、とりわけ「都会に近づく」はその最たるもので、都会に近づきながらトンネルに吸い込まれている車道のその左端にあるトンネルの暗闇は、あの英国皇太子妃ダイアナをのみ込んだ穴よりも不気味で昏いのであった。

ダイアナ妃を恋人もろとものみ込みし巴里の暗虚はここにもありしか 蝶人

Saturday, December 10, 2011

エーファ・ヴァイスヴァイラー著「オットー・クレンペラー」を読んで


照る日曇る日第471回&♪音楽千夜一夜 233

その指揮者がやる音楽と政治的志操は無関係だと言い切ったあとでも、潔癖無比だった剛直なトスカニーニのように、出来ればカラヤンがナチ党員ではなく、フルトヴェングラーがヒトラーの誕生日に演奏なんかせずにいてほしかった、と思わずにはいられない。

では私がその音楽と人柄を偏愛するオットー・クレンペラーがどうだったかというと、なんと彼は1922年の12月にトスカニーニが蹴っぽったムッソリーニの臨席するスカラ座演奏会で「ファススト党讃歌」を嬉々として振ったというから、嫌になる。

どうもこの極度の躁うつ病を周期的に繰り返したこの指揮者は、つねに音楽と自分の病気と狂気と突発的な恋愛に激烈に囚われるあまり、時の政治的空気を読む能力が異常に弱かったように思われる。

けれどもクロール・オペラで彼の初期の音楽的黄金時代を築くことに成功していたクレンペラーは、1934年にはユダヤ人狩りがをきわめたオーストリアから家族ともどもちゃっかりロサンジェルスに亡命して当地の交響楽団を手兵にし、シェーンベルクやパウル・ベッカーなどの亡命者と激しい内紛を繰り返しながら、「第2の人生」のキャリアを築き直したわけだから、たいしたものだ。

しかし本書によればそこから彼の最悪の危機がはじまる。彼の生涯でたびたび繰り返された重度の障碍にまたしても陥ったクレンペラーは、脳腫瘍の手術のあとで髄膜炎に襲われてロスフィルを解雇され、糟糠の妻を裏切って若い美女に入れ上げて心中をはかり、その後も火傷や骨折や災難や事故を引き起こしながら世界中を放浪した挙句、ようやく1959年になって名プロデューサー、ウオルター・レッグに見出されて英国のフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者になる。

それからの活躍は私たちが知る通りだが、本書はそこにいたるまでのドイツ国内における彼の壮烈な音楽修業時代の足取りを初めて克明にレポートして、クレンペラー・マニアの蒙をあざやかに啓いてくれている。巻末に付された同時代人の証言や膨大なディスコグラフィーもとても参考になる。

長身で痩身で躁鬱でユダヤ人でカトリックでまたユダヤ教に戻ったクレンペラーのマーラーを聴け 蝶人

Friday, December 09, 2011

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン響の「マーラー交響曲第6番」を聞いて


♪音楽千夜一夜 232

これもさきの「交響曲第5番」と同じようなことがいえる純音楽的な平成の名演奏だ。

しかし何回聞いてもこの音楽のどこがマーラーなのだろう? この手法なら別にマーラーならずとも、ベトちゃんだってシュバちゃんだってバハちゃんだって、誰だっていける。はずだ。

その一端が先般のウイーンフィルのニューイヤーコンサートではしなくも示され、従来とかくマリアカラスの劇伴プロパー担当者などといちじるしく軽んじられていたこのフランス人指揮者の驚くべき才能を、世界中が再認識したわけだ。これは現在トップを快走するヤンソンスでさえできないであろうような最高水準のマーラー演奏でげす。

しかし、しかしだ。残念ながら、そこには彼の専売特許である「世界苦」のかけらも見当たらない。「世界苦」のないマーラーなんて、まるで魔羅のない男のようなものだ。

私は演奏や録音は悪くとも、人世いかに生きるべきか、いかに世界と相亘るべきか、と激烈かつ神経衰弱的に憂悶する息も絶え絶えのマーラーを、(どちらかひとつを選べといわれたらば、だ)聞きたいな。

「カチューシャ」の転調していくところが好きなんだかワクワクしてくるから 蝶人

ジョルジュ・プレートル指揮ウィーン響の「マーラー交響曲第5番」を聞いて


♪音楽千夜一夜 231

これは驚いた。どこまでも透明で明確で真率な音楽が、最高の音質と最高の棒で滔々と流れていく。ワルターからバンスタイン、テンシュタットを経てアバド、シノーポリ、ラトルまで幾星霜にわたって紆余曲折のかぎりをつくしてきたマーラー演奏の、いわゆるひとつの決定的名盤がついにリリースされた感が深い。

1991年5月19日にウインコンツエルトハウスで行われたライヴ演奏だというのに、プレートルの棒は冴えに冴えわたり、書かれた音符の底の底まで眼光紙背に徹してウィーン響を完璧に牽引する。間違えてはいけない、こういう指揮者だけをマエストロと呼ぶのだ。

かようにどんなに言葉を尽くして褒めすぎにはならない「音楽的超名演」なのだが、惜しむらくはこの演奏からはマーラーそのひとの孤独や悲惨や苦悩のひとかけらも聞こえてはこない。おそらくプレートルが音化しようとしたものは、マーラーの音符に過ぎず、彼の人物や音楽観ではなかった。マーラーに傾倒し、愛するがゆえに演奏しようとしたワルターやクレンペラー、バンスタインやテンシュタットと鋭く一線を画するものはその一点である。

マーラーを好きでも嫌いでもない人がマーラーを名演してもこりゃ詮無いわなあ 蝶人

Wednesday, December 07, 2011

フレッド・ジンネマン監督の「真昼の決闘」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.177

これはやはりゲーリー・クーパーが熱演する1952年製作の「ハイヌーン」です。

1939年製作の「ボー・ジェスト」では哀れ砂漠の堡塁で集中砲火の餌食になってしまったクーパーでしたが、本作ではやはり孤立無援の保安官ながら、ならず者の無法と暴力の脅威に沈黙する善良な市民の協力なしに4人の敵を倒し、(うち1名は新妻グレイス・ケリーがやっつけます)この絶体絶命の窮地を辛うじて切り抜けるのです。

冒頭いきなりあの有名なディミトリ・ティオムキン作曲の主題家が鳴りわたり、その後も折に触れて劇伴されるのはいま見ると煩い限りですが、初めて劇場で見物したときには地平線の彼方からやってくる正午到着の列車ともども興奮したものです。

何年も市民のために貢献し、多くの悪漢どもを牢屋に送り込んできた功労者だというのに、いざ本当の危機がやって来ると無二の親友さえも助けようとはしない。正義やら法律なんかよりおいらの命と町の平和がよっぽど大事だ、というわけです。

結婚したての妻にもそっぽを向かれ、こんなはずではなかったと冷や汗たらたらのクーパーの焦りと苦しみは、満更私たちの身に覚えのないものではありませんし、こういう乗るかそるか、生きるか死ぬか、男や女の一分が立つか立たぬかという非常事態はこれからも頻々と起こるに違いありません。

そうして結局、人世なんて、どうせ死ぬならてんで恰好よく死なう! 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!という教訓がさすらいの荒野にも残されたわけでした。

男一匹金玉二つてんでカッコよく死んでやろうじゃん 蝶人

Tuesday, December 06, 2011

ウイリアム・ウエルマン監督の「ボー・ジェスト」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.176

1939年製作のクーパーが主演するフランス外人部隊3人兄弟物語です。監督はウイリアム・ウエルマンという妙な名前のアメリカ人ですが、第一次大戦中にみずからフランスの外人部隊に志願して花形パイロットとして活躍したという。そんな実体験が本作にも反映されているようです。

題名の「ボー・ジェスト」とは仏語で優雅なしぐさという意味らしいのですが、この仲良し兄弟は次々に従軍して優雅どころか1人を除いて名誉の戦死を遂げてしまうのですが、お家で待っていた恋人と再会できたのはなによりでした。

戦争といっても砂漠のアラブ軍と死闘を繰り広げるのですが、砂丘の彼方にぽかりと浮かんだ城砦に籠り、怒涛のように攻めてくるイスラム軍と孤立無援の戦いを繰り広げるゲーリー・クーパー選手の姿は、これこそが1930年製作のスタンバーグ監督の「モロッコ」の続編そのものではありませんか! 

きっとクーパーのあとを裸足で追い掛けていったマレーネ・デートリッヒちゃんは、あわれイスラム軍の美しき女奴隷になってしまったに違いありません。

ハーレムの奴隷となりしデートリッヒ今宵コーランをひとり読むらん 蝶人

Monday, December 05, 2011

文化学園服飾博物館で「世界の絣」展を見て

茫洋物見遊山記第71回&ふぁっちょん幻論第66

絣って日本だけのものかと思っていたらとんでもない、どうもインドが原産らしいんだけどアジアを中心にカンボジア、タイ、ラオス、ベトナム、ビルマ(ここで「ミャンマー」などと読み書きする人は軍事政権の支持者だぞ)、中国、インドネシア、ナイジェリア、ウズベキスタン、シリア、ヨルダン、モロッコ、フランス、アメリカ、グアテマラなど世界各国、各地で行われてきた染織方法だったんですね。

なんでも博物館資料によれば、文様にしたがってあらかじめ糸を染めわけたあとに織り上げるもので、経糸に染めを施す経絣(たてがすり)、緯糸に施す緯絣(よこかすり)、経緯両方向に施す経緯絣(たてよこかすり)の3種があるそうです。

会場には23カ国から集められた120点の絣がずらりと並んでいましたが、同じアジア諸国の製品に比べても、国産品はどこか淡白で繊細で弱弱しく感じられましたが、やはりテキスタイルにもそういう国民性が象徴され刻印されてきたのでしょうか。

なーんて下らないことをぼんやり思惟しながら、これは経絣、これは緯絣と目で確かめ、タテタテ、ヨコヨコ、タテヨコ、タテヨコと呟きながら歩いていたら、自分が横歩きするカニさんのように思えてきました。

タテタテ、ヨコヨコ、タテヨコ、タテヨコ 世界の絣の素晴らしさ 蝶人

*「世界の絣」展は12月17日まで堂々開催中です。

黒沢明監督の「羅生門」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.175

有名な芥川の短編「藪の中」と「羅生門」を脚色した内外で有名な映画です。森の中で居眠りしていたならず者の三船敏郎が、通りがかりの美女京マチ子の脚(ちょっと太い)を見て欲情を催し、夫の侍、森雅之を襲って縛りあげてその目の前で強姦し、その後侍が死体で発見された事件の真相を、羅生門で雨宿りしていた僧や下人らが推理するのです。

検非違使に捕縛された野盗多丸、探し出された美女、死んだ夫(イタコが冥界から呼び出す!)、そして現場に居合わせた下人の目から見た4つの真実が順番に紹介されますが、結局は最後の証言がいちばんほんとうに近いものだというのが、この映画の解釈なのでしょう。

男のいいなりだった従順な女性が、とつじょ現代女性のような感覚で2人の男性を罵倒し、これをきっかけに2人の決闘がはじまるが、刃傷を恐れるそのカッコ悪いチャンバラが最大の見どころ。こんな男なら女も愛想を尽かすでしょう。

そもそも芥川の原作は頭のいい閑人のひねくれた知的遊戯のようなもの。最後の羅生門でのとってつけたようなエピソードは蛇足ですし、ボレロを下手にコピーしたような早坂文雄の音楽はいうもとちがう最悪のやっつけ仕事。ゆいいつの見どころは森の光と影の高速移動撮影でしょうか。

貧すれど貪するなかれ羊雲 蝶人

Saturday, December 03, 2011

磯見辰典著「鎌倉小町百六番地」を読んで


照る日曇る日第470回&鎌倉ちょっと不思議な物語第252

「かまくら春秋」に連載された生粋の鎌倉生まれの鎌倉育ちの著者が訥々と綴った昭和初期の地元の子供たちの思い出話です。

亡くなる前に井上ひさしが絶賛したという本書のタイトルは別に奇を衒ったものではなく、著者たちが少年時代を過ごした住所の表記名で、そこはちょうど小町通りの入り口の不二屋辺にあたります。

聞けば当時、現在の鎌倉駅東口一帯は、磯見タクシー、磯見旅館など一族の会社や地所が駅をぐるりと取り囲むように立地していたそうです。駅前は子供たちの遊び場で空一面に赤とんぼやシオカラ、オニヤンマが舞い、著者たち兄弟は正月の凧揚げや独楽回し、石蹴り、鬼ごっこ、かくれんぼう、野球まで楽しんでいたそうですからまるで夢のような話ですね。

舗装されない道には馬糞が落ち、朝は納豆売りや豆腐屋、夜にはラオ屋の笛の音が流れる昭和一〇年代の物寂びた雰囲気は、私が当地に越してきた三〇年前にはまだ夜のしじまに幽かに漂っていたと記憶していますが、そんな長閑な小路に次第に観光客があふれ、その観光客を狙う商魂逞しい東京資本がぎんぎらぎんにさりげなく流入してきたのは、比較的最近のことといえましょう。

旧い昔を遠い眼で慈しみながら記したこの朴訥な回顧録を読みながら、私は半丁も歩けば商店も絶えた寂しい小町の通りを懐かしく思い出していました。

鎌倉の駅前広場の赤とんぼわれひとともにたそがれてゆく 蝶人

Friday, December 02, 2011

ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督の「モロッコ」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.174

はじめぐずぐず中ぱっぱ、終わりは脱兎のごとし、という美男美女の年代物時の恋愛劇。

出だしの演出は最悪でゲーリー・クーパーもマレーネ・デートリッヒも下等な演技を繰り広げる。デートリッヒはコケチッシュだがフランス語の唄ときたら下手くそで、これ見よがしな脚線も、現代の東京を闊歩する女性に比べたら醜いくらいの代物である。

が、最後の最後で外人部隊のさすらいのクーパーが砂漠の彼方に消えてゆこうとする瞬間に、遅まきながらこのラブストーリがゆらりと立ち上がる。

やがて意識の底に押さえていた女の恋情が鎌首をもたげ、彼女がヒールを砂の上に脱ぎ捨てるところで、劇的なカタストロフィが形づくられる。それまでくだらない映像の連続をじっと我慢していた観客のフラストレーションがいっきに解消され、ある種のカタルシスが得られるのである。

しかし砂丘の向こうに消えていった2人には、その後いったいそのような運命が待ちうけていたのだろう。誰か続編を作って見せてくれないだろうか?

かにかくに平成の世も暮れかかる 蝶人

Thursday, December 01, 2011

細馬宏通著「浅草十二階」を読んで

照る日曇る日第469

最近東京の下町に東京タワーよりもぐんと高いジャックの空の樹というけったいな塔が出来るというので世間ではらあらあ騒いでいるようですが、明治23年11月に浅草に凌雲閣別名浅草十二階が完成したときはそんななまやさしいものではなく、明治一の高塔、東都のエッフェル塔にして至高のランドマークということで、江湖の話題を独占したそうです。

当時は世界でも珍しかった本邦初の電動式エスカレーターを装備し、鳴り物入りでオープンした十二階でしたが、ひとの噂も七五日。明治百美人写真の展示や演芸場のにぎやかしで集客を図りますが、やがて閑古鳥が鳴き、大正十二年九月の関東大震災で倒壊してしまいます。

本書はその浅草十二階がどのような経緯で建てられ、当時の文学者たとえば田山花袋、石川啄木、島崎藤村、北原白秋、木下杢太郎、江戸川乱歩などがこの地上一二階、高さ一七二尺(約五二米)の高塔についてどのような感想を抱いたかを論じるとともに、その社会思想的な意義について興味深い考察を行っていますが、著者が紹介している乱歩の言葉のように「どこの魔法使いが建てたのか実に途方もないへんてこりんな代物」であったこの高塔の謎は、追及すればするほど深まっていくかに思えてなりません。

卑小なる己を神に擬しいと高きところめざす者に呪いあれ 蝶人

Wednesday, November 30, 2011

井上ひさし著「一分ノ一」上巻を読んで


照る日曇る日第468

アジア太平洋戦争に敗れた日本は、米英ソ中の四カ国に分断占領されてしまいます。

すなわち、北海道・東北はソ連、東日本主体の中央ニッポンは米国、西日本・九州は英国、四国は中国のようにバラバラにされたために、かつての国家と民族のアイデンティが日毎に崩れ去っていくのでしたが、かのとき早くこの時遅く立ち上がったのが主人公、サブロー・ニザエモーノ・ヴィッチ・エンドー、略称サブーシャでした。

サーシャは、なんと赤の広場の一分の一、すなわち原寸大の地図を作成して北ニッポン政府をあっといわせた伊能忠敬を思わせる地理学者ですが、国境のない統一ニッポンの版図つまり日本独立をめざして孤立無援に似たゲリラ戦を開始します。

主人公のまわりにつどうのは、天才少年や高校野球監督やヤクザや熟女歌手や主将犬などなど、さながら八犬伝に出てくるような一騎当千の少数の同志たち。粉雪舞う山形を脱走した彼らは、四つの占領国に必ず散在しているであろう革命的な愛国者たちを糾合するために、さまざまな困難と身内の犠牲、さらにはCIAFBIKGBMI5等々四大国の諜報機関や暴力装置の妨害と弾圧を乗りこえて、占領国が覇権を競いつつひしめく東京は六本木交差点にまで進出してまいります。

さあ、いよいよ血湧き肉踊る前代未聞の一大英雄冒険譚のはじまり、はじまりィ……

西陽差すしやうぐあい施設の六畳間息子を託し黙して帰りぬ 蝶人

Tuesday, November 29, 2011

ある晴れた日に 第101回


西暦2011年霜月 蝶人狂歌三昧

ゆく秋や横須賀線はみな昼寝

夕焼けやカバヤキャラメルなめたいな

鎌倉では生き残れなかったねラルフローレン

しょうぐあいしゃのむすこをもつきみがしょうぐあいしゃになってしょうぐあいしゃのははをかいぐおしているのはしょうぐあないことなのか

春は桜夏は朝顔秋は菊冬は水仙咲く陋居

表には野尻裏には大佛と書きたり大佛次郎旧邸

嫌な事は全部忘れてコンチエルト・ケルンの「フィガロの結婚」を聴いていました

音楽について語って音楽が聞こえてこない論者の至らなさ

見境なくアンコールを催促する卑しい聴衆どもよ

逝くときは私がいや俺が息子を道連れにと争う夫婦あり

ずっと鎌倉なら自殺はしなかったかいややっぱり死んだだろうな芥川

秋風に松寥々と聳えけり芥川が「鼻」書きし家の跡

江の電や虚子邸で咲くホトトギス

うるんだ羊の瞳だったよ国際免許の次男の写真

ウンコとオシッコはしようと思えば同時に出来るものなり

暖かな布団に包まれてぐっすり眠るほどの仕合わせはない

自転車に乗っていると死んだ父になって走っていた

日帝を制圧したりアワダチソウ

嫌嫌嫌嫌嫌嫌ああと叫んでいました

コラボとは対独協力者のことであるコラボコラボと連呼するな馬鹿者

今日こそは失いし夢を取り返す日愛する魂よ美しく装え

密教とかけてアッコちゃんと解くその心は秘密と魔法がいっぱい

汝等あらゆる宗教原理主義を廃しあたらしき自由の道を歩め

皇室の毒を身に受け御用邸に逃走せしや哀れ雅子妃

雅子妃よ愛児を連れて実家へ戻れ諸悪の根源は天皇制にあり

せっかく料理をお勉強したいと思っているのに細かいことをグチャグチャいわないでよ

年の瀬や我に仕事を与え給え妻と子供を喰わせるために

いつか来る枯れ木に桜の咲く朝が

羊雲綿雲鰯雲薄雲朧雲入道雲雲こそは天からの贈り物

よしだでらではなくてきちでんじいってみたいな吉田寺

良いことはなにひとつないけれどほらこの歌がひとつできました 蝶人

Monday, November 28, 2011

チャップリン監督・主演・音楽の「ライムライト」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.173

1952年製作のアメリカ時代最後の作品です。この映画を見る度に感動するのはライムライトの主題音楽です。プロでもかけないこのメロディを、本来は素人の茶プリンがよくも作曲できたもんだ、といつも感心します。

そしてもちろん映画のハイライトは、車椅子の中で息絶えたカルメロが見守る中でライムライトを浴びたヒロインが、その叙情的なテーマ音楽に乗ってするすると踊り出るところ。チャップリン一世一代のえぐい演出が見事に決まりました。

もうひとつは、なんといっても名優バスターキートンとの競演の場面です。バイオリンを弾くチャップリンとそれに合わせるキートンの息詰まるような対決は、何回見ても息が詰まります。

このシーンのシナリオを書いたのはチュップリンだったと思いますが、喜劇役者としての存在感で勝っているのは6対4でキートンだと思います。しかしよくぞこんな歴史的名場面を映画にしてくれた、と鑑賞するたびに感謝感謝の名画でありまする。

羊雲綿雲鰯雲薄雲朧雲入道雲雲こそは天からの贈り物 蝶人

Saturday, November 26, 2011

パーヴェル・ルンギン監督の「ラフマニノフ ある愛の調べ」を見て

パーヴェル・ルンギン監督の「ラフマニノフ ある愛の調べ」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.171&♪音楽千夜一夜 231

2007年のロシア映画で、ピアノの達人にして作曲家のラフマニノフの半生を扱っています。

父母の離婚、恩師への愛憎、揺れ動く女性関係、アメリカ亡命後の過酷な演奏旅行、作曲ができない苦悩、ライラックの花への偏愛等々さまざまなエピソードが時系列を無視してランダムに描かれている映画です。

貴族出身の彼は革命後に故国を亡命するのですが、この映画ではことさらソビエト政権への敵意と反感が露骨に打ち出されていて、旧ソ連と現在のロシアのイデオロギー的なへだたりが劇映画にも強烈に反映されているようです。ラフマニノフ親子は本作では彼の崇拝者で教え子の女性ボリシェヴィキの好意でかろうじて脱出を許されるのですが、これはもちろん恣意的な創作でしょう。

 ラフマニノフは強度のうつと神経衰弱に悩まされていたそうですが、その原因になったのが交響曲第一番の初演の失敗でした。作曲家のグラズーノフが、さして演奏困難とも思えぬ出だしで指揮不能に陥る箇所を、この映画は酔っぱらった指揮者が楽譜を譜面台から落としてしまう形で表現していましたが、後の有名なピアノ協奏曲とちがって、この曲はいまでも聴衆を選ぶ晦渋さを持っているので、当時正しく演奏されていたとしても拍手喝采を浴びたとは思えません。

ラフマニノフはいまレコードで聴いてもホロビッツと並ぶピアノの名人であると思いますが、結局作曲家としてはしょせん底の浅い2流の人だったのでしょう。

見境なくアンコールを催促する卑しい聴衆どもよ 蝶人