Tuesday, December 13, 2011

プラド美術館所蔵「ゴヤ展」を見て


茫洋物見遊山記第74

昔むかしスペインを訪ねてこの美術館の壮大さとその所蔵コレクションの膨大さに圧倒されたことを思い出しました。

もうすぐ会期が終わりそうなので駆けつけて一覧しましたが、ざっと半分がゴヤの闘牛や戦争の惨禍を主題とした画面の小さな素描だったので、見るのにひどく疲れてしまいました。これらは画家の私小説あるいは内面の極私的な独白のような趣があって丁寧に見て行くととても興味深いものがありますが、素描の過半数が西洋美術館の在庫品なのでちょっとガックリ。プラド美術館所蔵のなどと謳っていますが、総数123点のうち37点、その他の国内美術館のかき集め6点を加えると、およそ3割近くがプラド以外の収蔵品なんて、すこしく羊頭狗肉の展覧会ではないでしょうか?

プラド本体のゴヤはこんなものではなく、それこそ見飽きて腐るほどあるのです。しかもその作品をずるがしこいキューレーターたちが、やれ「創意と実践」だとか「嘘と無節操」、「不運なる祭典」「信心と断罪」などと小賢しい惹句をつけて、それでなくとも疲弊した我々観客の目をあらぬ方へ誘導しようとする。我等はあなた方の固定観念の押しつけなぞ必要としていない。それぞれの自分の目で勝手に見るだけのことです。どうかほおっておいてください。

と、罵詈雑言の限りを尽くしながらも、たった1500円でバルセロナに行かないで素晴らしいゴヤの「自画像」や「日傘」をこの眼で心ゆくまで眺めることができたのは望外のよろこび。有名な「着衣のマハ」はさして傑作とも思えませんが、「日傘」の色彩の美しさと取り合わせの妙は、見れば見るほど生理的な快感を覚え、人もまばらな雨の午後に時の経つのも忘れてしまいました。

ゴヤの油彩にはちょっとルノワールに似た浮遊感がかんじられ、(よく見ると人物像は下地からわずかに浮き上がるように描かれている)それが私たちを一瞬、このせちがらい現世を超脱した夢見心地に誘ってくれるのです。もしかするとこの画家は、戦争や殺戮や巨悪などの過酷な現実と地獄を見据える生活者の視線を素描の連作に、地上の楽園を夢想する幻視者の視線を初期・中期の油彩に定着しようとしていたのかもしれませんね。

お母さんと西友行きます!お母さんと西友行きます!と叫ぶ君 そうかいもうお父さんとは行かないのかね 行ってくれないのかね 僕の息子のくせに

蝶人

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