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Wednesday, May 09, 2012

根津美術館で「KORIN展」を見て




茫洋物見遊山記第87回&勝手に建築観光第49回

そろそろ会期も終わりに近づいたので、意を決して南青山まで重い足を運んできました。だいたいこの度の改築を設計した隈研吾という男を私はまるで信用していないし、本展のタイトルのコーリン鉛筆みたいな表示も気に喰わないので、いっそ出かけるのはよそうかとまで思いつめていたのですが、やはり光琳の「八橋図」と「燕子花図」は底抜けに素晴らしかった。いずれがあやめかかきつばた、とはこういう組み合わせをいうのでしょう。

どちらも六曲一双の金地屏風ですが、翠藍の配色の美しさと律動的な配列がもたらす心理的な諧調が絶妙で、いついつまでも眺めていたい気持ちに駆られます。

1世紀ぶりに並んだ双方を比べてみると、向かって右側の「燕子花図」は燕子の花と葉の色がやや重厚で、モーツアルトの後期の交響曲にたとえるとパセチックなト短調k550、左側のたらしこみのある8つの橋と共に描かれた「八橋図」は表向きだけは軽やかなハ長調k551という趣でしょうか。

右から第1、第2扇と流れる宙空に浮かんだ燕子が、生きるよろこびをうたう4つの楽章のように見えてくるから不思議です。これこそ日本が世界に誇る最高傑作、われらの心の永遠の宝でありましょう。同じ光琳の「夏草図屏風」も見るたびに新鮮で、中央の立葵が、あたかもゴッホの向日葵のような生命の輝きをわれらに送って寄越すのでした。

しかししかし、最後にとっておかれた最大の驚きは、なんと酒井抱一の大作「青楓朱楓図屏風」でした。その朱色と薄緑色の取り合わせの衝撃は、構図の大胆さと相俟って、色彩がこれほど恐るべき魔力を放射したことはかつてなかったのではないでしょうか。ああ極楽極楽。これでよい死土産ができました。

 余談ながら、昔の根津美術館はいつでもひとけがなく、ひっそりしていて、私は常設展示の良寛の書を見るのが好きでした。裏門から入って木造低層の玄関口までわずかな勾配を辿ってゆくと何故かディーリアスの音楽が聴こえてくるようでしたが、今度の改築はそんな私のささやかな心の贅沢をすべてぶち壊しにしてしまい、かつて私がひそかに逢い引きを楽しんでいた奥の日本庭園もいまでは有料になってしまいました。

ほんとにセンスが悪くて才能が無いアホ馬鹿建築家には困ります。先日亡くなった菊竹清訓の醜悪無比なデザインのお陰で私は二度と江戸東京博物館には行けないでしょうし、六本木ヒルズも同様。こういう美意識を無視した無神経な悪しき建築による弊害の責任は彼奴がくたばったとしても半永久的に続くのです。

当美術館の竹林の趣向にしても、隈研吾が2003年に青山梅窓院で試みたと同じ京都料亭風エントランスのクリシエですが、こういう安直で陳腐な仕掛けが果たして一流建築家の仕事といえるのでしょうか。内装だってうちの近所の工務店の方がもっと安価にもっと上手にやるでしょう。

松竹本社ビルといいサントリー美術館といい、この人の小賢い、ちまちました、折衷的なしのぎのテクニックは、そこを使う人の心を曇天の悪性ウイルスのように汚染するに違いありません。私はあえて1991年のM2の精神に立ちもどれ!と言うてやりたくなりました。

雲雀歌い燕子咲けども君在らず東京青山根津美術館 蝶人


Saturday, April 14, 2012

東京国立近代美術館の「ジャクソン・ボロック展」を見て

茫洋物見遊山記第84回

いわゆる「アクション・ペインティング」の元祖の作品が60点以上も見物できるというので竹橋まで出かけたら、金曜の午後だというのに人影もまばらでありました。

やはり世間の人は上野公園のパンダや桜見物には繰り出してもアメリカ人の酔っ払いの抽象表現主義の作品なんて見たくもないのでしょうね。

ハンス・ネイムスによって撮影された製作中のライヴ映像を見ると、ボロックは庭に置かれた巨大なキャンバスに向かって結構激しく塗料を垂れ流したり刷毛で殴り描きしたりしているのですが、完成された作品を見るとそういう現場の乱暴さや粗暴さはどこかに消し飛び、いくぶんかの不穏さを背後に秘めながらも、見えない神知によって整然と区画された秩序のようなものを感じるから不思議です。

アクションといわんよりは、恐るべき孤独の世界で金色の沈黙を守っているペインティングでした。
一方における人為的芸術行為と他方における非人間的偶然性とが奇跡の融合を遂げて、ここに前代未聞の複雑さと単純さ、醜さと美しさを兼ね備えた前衛美術が誕生したのです。

しかし画面全体を強烈な色彩と綾模様で制覇した時価200億円の最高傑作をしばらく眺めていると、絵の焦点がどこにもないものだからだんだん不安に駆られてくる。

私はいくら金があっても、またいくら値打ちのある傑作であっても、こういう不気味な代物を家の中に飾っておこうとは思いませぬ。それはかのメキシコの壁画が与えるめまいと吐き気に限りなく近いものを放散して已まないのです。

余りにも短すぎた生涯の最晩年に、ボロックはこの一斉風靡した一点突破全面展開画法を急転させて、黒一色の抽象画を描きはじめたようですが、どこか一休の書や白隠の禅画を思わせる東洋的な古淡の味わいこそは、私が彼にひそかに求めていた理想の画境でした。


その男尾籠なれどもぐぇいじゅつ家 蝶人

Wednesday, March 21, 2012

鎌倉国宝館で「ひな人形」を見る

茫洋物見遊山記第81回&鎌倉ちょっと不思議な物語第260回 &ふぁっちょん幻論第69回


年年歳歳花相似 年年歳歳人不同。あれからもう1年が経ったのですね。

私は今年もまた、春近い朝、鶴岡八幡宮の片隅にある国宝館のひな人形を見物に行きました。享保時代に製作された大きなうりざね顔、引目鉤鼻の享保雛をはじめ、江戸、明治、大正時代につくられ大家、名家、旧家に大切に保存されていた内裏雛や御殿飾り、雛段飾り、立雛、衣装人形、御所人形などが目も綾に陳列され、この一隅だけは早くも春爛漫の雰囲気です。

昨年も触れましたが、平安時代以降本邦では(右大臣より左大臣のほうが偉かったように)、身分地位が上位の者は左側(向かって右)に立つという伝統と風習があったために、この会場の人形はいずれも男雛が左(向かって右)に、女雛が左(向かって右)側に並んで立っています。

ところが昭和三年一九二八年、昭和天皇即位の折にそれが左右逆転したのはいかなる事情があったのでしょうか。恐らくは西洋から来日した貴賓との会見や接待の折に不都合が生じる惧れがあったために古来伝統の作法を急遽曲げてしまったのでしょうが、どうしてこういう問題に過剰反応する右翼や国家主義者たちが反対しなかったのか不可解です。ここでは礼儀作法という名目に潜む西洋と神国ニッポンの存在理由が問われていたのですから。

それにしても昭和天皇の顰に右に倣って、それ以降の人形業界や日本人が西洋流のレイアウトに盲従してしまったことこそ大問題だと思うのですが、そうゆー下らない話よりも今年のパリコレで話題を呼んだコムデギャルソンの少女風のワンンピースの発想の原点は、縄文巻頭衣ではなく「お雛様」にあるとにらんでいるのですが。


*本展は鎌倉国宝館で4月1日までひめやかに開催中

        
平成のすべての女性をお雛様にする川久保玲 蝶人

Tuesday, December 13, 2011

プラド美術館所蔵「ゴヤ展」を見て


茫洋物見遊山記第74回

昔むかしスペインを訪ねてこの美術館の壮大さとその所蔵コレクションの膨大さに圧倒されたことを思い出しました。

もうすぐ会期が終わりそうなので駆けつけて一覧しましたが、ざっと半分がゴヤの闘牛や戦争の惨禍を主題とした画面の小さな素描だったので、見るのにひどく疲れてしまいました。これらは画家の私小説あるいは内面の極私的な独白のような趣があって丁寧に見て行くととても興味深いものがありますが、素描の過半数が西洋美術館の在庫品なのでちょっとガックリ。プラド美術館所蔵のなどと謳っていますが、総数123点のうち37点、その他の国内美術館のかき集め6点を加えると、およそ3割近くがプラド以外の収蔵品なんて、すこしく羊頭狗肉の展覧会ではないでしょうか?

プラド本体のゴヤはこんなものではなく、それこそ見飽きて腐るほどあるのです。しかもその作品をずるがしこいキューレーターたちが、やれ「創意と実践」だとか「嘘と無節操」、「不運なる祭典」「信心と断罪」などと小賢しい惹句をつけて、それでなくとも疲弊した我々観客の目をあらぬ方へ誘導しようとする。我等はあなた方の固定観念の押しつけなぞ必要としていない。それぞれの自分の目で勝手に見るだけのことです。どうかほおっておいてください。

と、罵詈雑言の限りを尽くしながらも、たった1500円でバルセロナに行かないで素晴らしいゴヤの「自画像」や「日傘」をこの眼で心ゆくまで眺めることができたのは望外のよろこび。有名な「着衣のマハ」はさして傑作とも思えませんが、「日傘」の色彩の美しさと取り合わせの妙は、見れば見るほど生理的な快感を覚え、人もまばらな雨の午後に時の経つのも忘れてしまいました。

ゴヤの油彩にはちょっとルノワールに似た浮遊感がかんじられ、(よく見ると人物像は下地からわずかに浮き上がるように描かれている)それが私たちを一瞬、このせちがらい現世を超脱した夢見心地に誘ってくれるのです。もしかするとこの画家は、戦争や殺戮や巨悪などの過酷な現実と地獄を見据える生活者の視線を素描の連作に、地上の楽園を夢想する幻視者の視線を初期・中期の油彩に定着しようとしていたのかもしれませんね。

お母さんと西友行きます!お母さんと西友行きます!と叫ぶ君 そうかいもうお父さんとは行かないのかね 行ってくれないのかね 僕の息子のくせに

蝶人

Sunday, December 11, 2011

国立新美術館の「モダン・アート、アメリカン展」を見て


茫洋物見遊山記第72回

珠玉のフィリップ・モリス・コレクションと副題されたこの展覧会では、第1章「ロマン主義とリアリズム」とか第10章「抽象表現主義」というタイトルが付された全部で110点がずらずら並べられていたが、ちょっとカッコつけ過ぎ。こっちは要するに現代アメリカ美術を見に来ているのだから様々な意匠とこざかしい分類なんて無用の長物なのである。

それなりによく描かれ、それなりの絵画的意義を持ちながら、私の目と心から冷たく無視されて通り過ぎていった数多くの作品は今ではどこに消えていったのか今では誰にも分からないが、とどのつまりはジュージア・オキーフが小屋や葉を描いた作品と、エドワード・ホッパーによる「日曜日」と「都会に近づく」が、ただそれだけが私の存在に激しく呼応して白い壁から立ち上がった。

ホッパーの作品は、どれも現代人の孤独な精神の不安な様相を不気味に象徴しているが、とりわけ「都会に近づく」はその最たるもので、都会に近づきながらトンネルに吸い込まれている車道のその左端にあるトンネルの暗闇は、あの英国皇太子妃ダイアナをのみ込んだ穴よりも不気味で昏いのであった。

ダイアナ妃を恋人もろとものみ込みし巴里の暗虚はここにもありしか 蝶人

Monday, July 18, 2011

文化学園服飾博物館で「暑さと衣服」展を見る


茫洋物見遊山記第60 回&ふぁっちょん幻論第64回

うだるような暑さの中で「民族衣装にみる涼しさの工夫」と題した恰好の展覧会を見物しました。

この節はスーパーの付いたクールビズとやらで全国で落ち目の百貨店のみならず青木青山春山ユニクロなどのメンズの売り上げが浮揚しているのは慶賀に堪えません。先日は環境省の伊集院光のように醜く豚太りした役人がなんと派手なデザインのアロハシャツを一着に及んで登所しておりましたが、ここまでスーパーが過熱逆上すると嫌な感じを通り越していい加減にしてくれと叫びたくなります。

クールビズについては、これが本当に二酸化炭素排出に貢献しているのか否か、女性のそれが等閑視されているのは何故か、このような行きすぎた簡素化、カジュアル化がはたしてビジネスと服飾のあるべき姿形なのか等々さまざまな疑問が沸き起こって参りますが、ここではクールビズそのものではなく、それに関連するもっと興味深い2つの事象について触れておきましょう。

ひとつは過去三〇年以上に亘って服飾デザインのみならず衣食住遊休知美商品世界を主導してきたカジュアル化現象の終焉とその反動です。最近のパリコレやミラノコレ、車のデザインの保守反動セダン化や耐震化住宅の要塞化などはそのいささか早すぎる予兆といえるでしょう。

次は列島の「燃えよドラゴン熱帯化現象」です。

例えばアパレルについては旧来の秋冬物とアウターウエア重視の企画内容を春夏物&インアー主力に逆転させる必要がありますし、他の業界にとっても地球温暖化の進行によって年中亜熱帯国と化した我が国のマーチャンダイジングをどのように変容させるかは重要な課題となるでしょう。

熱に浮かれてそんなあほらしいことを考えながら東南アジアやアフリカなど世界中の夏の民族衣装を見物していた私の眼に飛び込んできた、「節電節エコで摂氏二八度の労働条件に耐える究極のスマートウエア」。それはなんとパプアニューギニアの先住民族が愛用しているペニスウエアでした!

一糸もまとわず一本のペニスウエアだけで銀座七丁目を闊歩する。これこそ、この夏もっともイケテル、クールビズファッションではないでしょうか?

*なお本展は来る9月24日まで東京新宿の文化学園服飾博物館にて開催中。休館日は日曜日&祝日、夏季休暇は8月13~20日。

全国の男の顔色なからしめ花咲き誇る三千世界 蝶人

Sunday, November 28, 2010

文化学園服飾博物館で「日本の型染」展を見る

茫洋物見遊山記第48回


このような展覧会を見るのははじめてです。型染は紙や木などの型を用いて文様を表現する染色技法のひとつで、わが国では古くからおこなわれ、着物をはじめ公家装飾、武家装飾、芸能衣装など多くの服飾に使用されてきたそうです。

日本の型染は主に文様を彫り透かした型紙を用いて種々の染色技法が駆使されており、その種類も小紋、中形、型友禅、摺染、摺箔、板締、燻革まど多種多様です。

もともと型染は型を用いることによって同じ文様の染色品を量産する技法なので、手描きによる自由な文様とはことなり省略やデフォルメされた文様とパターンの繰り返しなどが見られます。

しかしこの型の使用という制約こそが型染の特徴であり、整然とした文様や反復の諧調など型染独特の美を見出すことができるのです。

以上博物館資料のまる写しでのご紹介でした。

追伸 本展は12月18日まで開催中。日曜日はお休みです。



支持率が1%でも辞めないと断じる人を首相に推したり 茫洋

Monday, October 25, 2010

神奈川県立近代美術館鎌倉で「岡崎和郎展」を見て

神奈川県立近代美術館鎌倉で「岡崎和郎展」を見て

茫洋物見遊山記第43回&鎌倉ちょっと不思議な物語第230回


雨の日に無人の美術館で現代美術を眺めるのも乙なものだ。岡崎という人の経歴も作品歴も何も知らないままにしおだれる軒をくぐって古い建物に入ると、そこには純白の精神世界が沈然と繰り広げられていた。

壁面の至るところに真っ白な庇が築かれている。庇といっても家の庇ではなく、庇に似たような出っ張りである。そのあるものは人の眉のように見え、またあるものは鳥のように、またおできのように、部屋のフックのように、盲腸のように、しまいには不吉な生物のように思えてくる。白くシンプルな形状をした様々な庇が、多様で複雑な表情を湛えて看る人の心をあらぬところへいざなっている。

無意味の意味といえばダダイズムだが、実際にこれは一種の無意味な挑戦であり、らちもない夢魔であり、時流に無関係なアナーキズムでもある。よってそれらをじっと見ていると、次第に理性がかく乱され、気が狂いそうになるのが分かるが、その手に乗ってはいけない。平地に静かなる大乱を起こそうとするのが、つまりはそれが作者の狙いなのだろう。

そのくせ白い庇から眼を放せば、すかさず作者は見る者を突き放すからたちが悪い。庇コレクションに混じって、白いキューピーちゃんや怪獣ガメラが現れてホッとしたが、
「補遺の庭」と題された今回の展示会の意図など、私のような無知蒙昧の徒には七度死んでも分かるはずはないが、「庇シリーズに飽きたら、周りの美しい樹木と水をホイホイ見てね」というような意味でもあるのだろうか。

作者よりも、こんなチンプンカンプンの作品を私蔵する人物に興味を懐いた不思議な展覧会であった。


白い庇に降る雪は過ぎし昔の思い出か 茫洋

Sunday, October 24, 2010

神奈川県立近代美術館鎌倉別館で「保田春彦展」を見て

茫洋物見遊山記第41回&鎌倉ちょっと不思議な物語第229回


こないだ横浜で見たドガのデッサンは予想外につまらなかったが、鎌倉の別館で見た保田のそれはつまらないどころではなかった。

この違いはどこから来るのかと考えると、前者が制作の途次そのものの残骸としての未完成品であるのに対して、後者がまったき作品として見事に完成されている点にあるだろう。ドガは眼の修練ないし油彩への一課程、あるいは趣味の手習いとして踊子を凝視しているのに対して、保田の視線は女体を貫徹し、妻やモデルの頭や手足や胴体をバラバラに解体しながら、同時並行的にオブジェに再構築し、それらの部品を批評し、観賞し、スケッチし直しながら、ふたたび生身の女体に勢いよく回帰してくる。

かつてセザンヌやピカソが、このプロセスの往路に精力を注いだのに対して、保田は同じエネルギーを還路にも注いだ。だから彼の裸婦のデッサンは私たちをかくも惑わし、撹乱し、限りなく惹きつけるのだろう。その激烈な眼と精神の往還そのものが、保田芸術の真髄である。

最近の大病で死にかけた作者は、患者となった自分や医師や看護師などを同じやり口で荒々しくスケッチしている。これぞ恐るべき百鬼夜行のライブ・ペインテング。生と死と魑魅魍魎が手術室で乱舞している。


ああ人の世は魑魅魍魎の百鬼夜行 茫洋

Sunday, July 25, 2010

文化学園服飾博物館で「世界の更紗」展を見る

茫洋物見遊山記第35回&ふぁっちょん幻論第60回

更紗と聞けば、♪スカンポ、スカンポ、ジャワ更紗という歌を遠い日にどこかで聞いたことを反射的に思い出します。

調べてみると北原白秋作詞、山田耕作作曲の「酸模の咲く頃」という小学唱歌でした。正式には、次のような素敵な歌だったのでここで全国のよい子の皆さんとご一緒にのどちんこを全開しながら大きな声で合唱してみたいと存じます。

♪土手のスカンポ ジャワ更紗 昼は蛍がねんねする 
僕ら小学1年生 今朝も通って また戻る 
スカンポスカンポ川のふち 
夏が来た来た ドレミファソ

みなさん、いかがでしたか。ちゃんと歌えましたか。とってもいい歌ですね。
特に「昼は蛍がねんねする」というところと、最後の「夏が来た来たドレミファソ」というコーダはあーだこーだを許さないとてもチャーミングなもの。昨今の、歌詞が聞こえない、出鱈目英語入りのあほばかポップスなど足元にも及ばぬ白秋&耕作ゴールデンコンビの至高の境地でしたね。

私はこのスカンポソングをハミングしながら楽しく「世界の更紗」展を見物しました。展覧会のチラシによれば、更紗とは「主に木綿の布に手描きや型を使って文様をあらわしたもの」を指すそうですが、織りでなくなく染めで文様を作るところがポイントです。

原産国はインドですが、たちまちジャワ(インドネシア)近辺に飛び火し、ここから17世紀の大航海時代の東インド会社の貿易ルートを経由して、東は中国、日本、西はヨーロッパ、ロシア、中東、アフリカまでほぼ全世界に伝播していったようです。

それにしても同じ文様をアレンジしながらジャワ更紗、ペルシア更紗、アフリカ更紗、フランス更紗、日本更紗のおそろしく微妙で多彩な差異よ! ここに統合を夢見つつもけっして単一化されざる世界文化の一典型があるようにも思われます。

なおこの興味深い展覧会は新宿の文化学園服飾博物館にて9月25日まで開催されています。


♪ジャワ更紗サラサはスカンポの柄に似て 茫洋

Friday, August 21, 2009

2つの美術館

バガテルop108


今日も午後から由比が浜へ行きましたら、赤旗が立って救助用のヘリコプターが2機ホバリングしています。きっと誰かが海で溺れたのでしょう。そのまま材木座へ行くと黄色い旗が風に靡いていましたが、結局青旗の逗子海岸で泳ぎました。

浜からすぐそばの浅瀬で大きなアジが2匹、3匹と見事な跳躍を連続で見せてくれます。あみがあれば晩御飯のおかずに掬ってやるのにと思ったことでした。

さて今日の本題です。美術館というところは展覧展示の中身も大事ですが、その施設を運営する体制やスタッフの心遣いもそれに劣らず重要です。

19日の水曜日に東京竹橋の国立近代美術館へ出かけて「ゴーギャン展」を楽しんだ話はすでにこのブログでも書きましたが、実はその帰りにちょっと不愉快なことがありました。使用したコインロッカーから100円玉が出てこなかったのです。次の客もこのような目に遭うと厭だろうと思い、たまたま会場の出口に投書コーナーがあったので、「展示内容は素晴らしかったが、100円玉を失ったことは残念だ」と一筆したため、何気なく電話番号を書いてポストに投函しておいたところ、なんとその翌日の午前中に同館統括のSさんという方から、「調査した結果貴殿の一〇〇円玉が機械の奥で発見された。大変申し訳ありませんでした」という電話があり、今日になってその金額相当の切手と次回の招待券二枚が同封された丁重な詫び状を頂戴しました。(本当はたかが一〇〇円だし別に返ってこなくても良かったのですが、いかが致しましょうかと聞かれて同じ金額の切手にしてもらったのは当方のとっさの恥ずかしい思いつきでした。)

私がこういう目に遭ったのも、こういう素早いフォローに遭ったのも生まれて初めてのことなので、実はビックリなのですが、日本全国の美術館がこのように顧客本位の迅速かつ親切な対応をしてくれるとは限りません。いや例外中の例外なのではないでしょうか。

というのも数年前、私はこれとまったく逆の経験をしたことがあるからです。葉山に神奈川県立近代美術館の分館が誕生した直後に障ぐあいを持つ家族と一緒にそこを訪れた私たちは、係員からじつに不愉快極まる対応を受け、障ぐあい者の受け入れ態勢がなっていないのではないか、という趣旨の書簡を同館の館長宛に送ったのですが、待てど暮らせどなしのつぶてでした。おそらく館長の目にも触れなかったのではないでしょうか。

そういう無礼千万な公共施設も存在する中で、今回の国立近代美術館の措置はまことに気持ちがよく、晩夏の午後を吹き抜ける一陣の清風のように爽快そのものでありました。
おかしなもので、私たちはちょっとしたことでうれしくなったり、悲しくなったりするのです。


♪魚ならば溺れることもあるまいに海空陸の大レスキュー隊 茫洋

Friday, April 17, 2009

箱根に行ってきました

♪ある晴れた日に 第56回


鳥歌い花は弾けて水緩み箱根全山笑いさざめく

懐かしき巡り合いかな地に伏して万事を捨ててなお眠る人

猫どもは恐れも知らず日溜まりに遊び戯れ眠り呆けたり

名も知らぬあまたの花が咲き乱れシュレーゲル蛙鳴く湿生花園

いちりんそう咲きにりんそう咲く花の園さんりんそう求めて池を巡りき

外輪山の雲間を裂きて薄日差しミズバショウの池蛙声さわがし

ひさかたの光のどけき花の園カタクリ散れどマメザクラ咲きたり

腰を折りマイクを振りて歌うなり息子のおはこ千の風に乗って


青池様のおかげをもちて訪れし箱根の森に広がる笑顔 

Wednesday, October 22, 2008

鎌倉国宝館で「鎌倉の精華」展を見る

照る日曇る日第178回&鎌倉ちょっと不思議な物語145回


私がいっとう好きな美術館が、神奈川県立近代美術館鎌倉と「ここ」です。八幡様の境内のなかの木立ちのなかにひっそりとたたずむ校倉造の小さな建物。いつ行っても人影がまばらで心ゆくまで仏像や掛け軸と対面できるのです。
 
その鎌倉国宝館鎌倉国宝館が、今日は珍しくなにやらおめかしして国宝10件、重文65件の絢爛豪華な品ぞろえでお出迎え。開館80周年を記念して、開設当時のコレクションがずらりと並んでいました。

八幡様が所有する漆塗りの弓矢も国宝なんですってね。見た目は瀟洒ですが、さきっちょの矢じりは当然鋭い金属製で、こいつを那須の与一が射れば百発百中で武者どもを射殺したに違いありません。当時は精巧無比な殺人兵器だった。

♪京の五条の糸屋の娘
姉が十六、妹が十四
諸国大名は弓矢で殺すが
糸屋の娘は目で殺す

という私の大好きな頼山陽先生特製の都々逸を思い出しました。


丈六の大仏というのもよく出てきますが、その現物がいきなり出てきたのには驚いた。迫力があります。これと同じ大きさのやつが私の家の近くの光触寺の本堂に安置してありますが、これはもとは実朝が建てた大慈寺の本尊でした。真黒だけどよくも戦火に耐えたものです。

あとは頼朝が奥州平泉を模倣して建てた二階堂の永福寺の向かいの山頂に埋められていた経筒。中には水晶の数珠とお経が入っていた。それを山の中に入って発掘したのは市の文化財担当の若い女性でした。きっと政子の霊が彼女をこの場所に連れて行ったのでしょう。奇跡の大発見としかいえません。見終えて明るい戸外に出るとちょうど結婚式の花嫁さんが若宮に向かうところでした。いい御日和でなによりです。

♪うらうらとひかりのどけきあきのあさぶんきんしまだのはなよめうつむく ぼうよう

Friday, October 10, 2008

上野都美術館で「フェルメール展」を見る

照る日曇る日第172回


濃い金木犀の匂いに誘われるように上野公園を歩いて「フェルメール展」をのぞいてきました。会期ももうすぐ終わりそうだし、なんと本物を7点もまとめて見られるそうだし、連日のように新聞が特集しているので、急いで駆けつけてはみたものの、残念ながら先日の「ピカソ展」のような深甚な感動とは無縁のさめた出会いであったと言わざるをえません。

 フェルメールは同時代の同傾向の画家に比べるとはるかに技巧にたけ、現代人の感性に訴えかけるようなモダンな表現ができた才人でした。それは外部からの光線の取り入れ方や光と影の鮮やかなコントラスト、劇的で謎めいた人物の配置、濡れたように輝く色彩(たとえば「手紙を書く婦人と召使」の朱色のスカート)の熟達した取り扱い方に顕著にあらわれています。

また彼は、映画のストップモーションの手法のように、近世オランダの市民たちを主人公とした長い長い映画のある場面を突然停止させ、その一瞬をまるで一枚の写真のように忠実に再現しようと試みました。

その結果、タブローはまるで「永遠の相の下」に引きずり出された一瞬の静謐と緊迫感、それゆえのするどい美しさを湛えるようになったのです。宗教画に似たある種の祈りと敬虔な感情がそこからもたらされます。世界中の人から愛される秘密はそこにあるのではないでしょうか。

しかし、絵画に生き生きした生命感と、あわよくば魔的な時空への陶酔をもとめてやまない私にとっては、そんなフェルメールの天下の名作も、シュトルムウントドランクなきただの「お絵かき」にすぎません。美術史にとって多少の意味があるとしても、私たちの生きた芸術にとってはなんの価値もない、とっくの昔に死んだ絵なのです。まこと猫に小判とはこのことでしょう。
金曜の遅い午後のこととて人影もそれほど多くはない会場を、私はわずか一〇分で足早に立ち去ったことでした。


♪フェルメールよりも美しきはフェルメール展の上空のあかね雲 茫洋

Monday, October 06, 2008

「巨匠ピカソ展」を見る

照る日曇る日第167回


雨上がりの月曜日の午後、心ゆくまでピカソの2つのピカソ展を堪能しました。

いつどこで鑑賞しても私の目と心を楽しませてくれるピカソですが、今回の国立新美術館&サントリー美術館あわせて200点以上の大回顧展は、1901年から1972年に至るまでの数多くの作品を制作年代順に配列してあったために、私なりの発見がありました。

それは当り前のことなのでしょうが、彼の芸術が歳月とともに成熟し、ついに最晩年に至って心と技、人格と芸術とが見事に融合し、自由奔放に独自の表現世界を切り開いたということです。

とりわけ1970年から72年にかけて制作された「家族」、「母と子」「風景」(新国)、そして画家が91歳で亡くなる前年に描かれた「若い画家」(サントリー)という題名の自画像は、この恋と冒険と波乱と試行錯誤に満ちた偉大なる芸術家の集大成ともいうべき虚心坦懐にして融通無碍な至高の芸域を私たちにあざやかに示しています。

それまでのピカソは、たとえ抽象画を描く際にも、「女の頭部」とか「マンドリンを持つ男」とかのタイトル(名辞)の意味に最後までとらわれていたようですが、晩年にいたってゲルニカに代表されるそれらのきまじめな名辞の世界との自問自答や自縄自縛からも最終的に解き放たれたように、私には感じられます。

「家族」や「母子」などという題名こそつけられていますが、もはやそれらはどうでもよくなって、対象との直截的な対偶関係を無視し、名辞以前の真に自由な世界に晴々と飛躍していったのではないでしょうか。

いつまでもこれらのキャンバスを眺めていたいと思わずにはいられない、この明るく、楽しく、軽やかで透明な境地にたどりつくまでに、おそらくは彼の初期の青の時代や、キュビズムの冒険や、新古典主義の迷走や、ミノタウロスへの肉薄、シュルレアリスムへの逸脱があったのでしょう。

とりわけ最後の最期の作品は、まるで芭蕉の俳諧のわび、さびの境地に通じるような枯淡と諦念と幻化、さらには一種の悟りさえ想起させる東洋的な作風が印象的で、これを1901年に描かれた有名なセザンヌ風の自画像(サントリー)と対比させて眺めると、ある偉大なる芸術家の生涯の最初と最後の足跡を同時に見せつけられたようで、凡人の一人としても複雑な感慨がわき起こってきます。

それから絶対に言い忘れてはいけないのは、彼の素晴らしい色使いです。初期の青の時代の青などはまだまだ素人の若気の至りであったと痛感させるような深々とした青、緑、そして紫などの色彩の取り合わせのなんと美しいこと。ゴッホのような狂気、をはらんだ濃さはなく、マチスの華麗さ、デユフィの浮遊性はありませんが、色彩本来のありかを正しくわきまえたものの見事な色使いに酔わされます。

しかし、それらの大型の油彩の超大作にも増して私が気に入ったのは、メリメの「カルメン」の挿絵の小さなリトグラフでした。余白をたっぷりとってまるで水彩画のような軽みと遊び心でひといきに描き上げられた闘牛士や闘牛や観衆の描線のなんと生き生きしていることでしょう。私は思わず良寛のひらがなの優美さや、北斎漫画の線の律動を思い浮かべたことでした。今回の作品でただ1点を選べと言われたら、私はこのあまりにも洒脱な筆のすさび(新国作品番号60)をあげるでしょう。


♪有名な青の時代の青よりもなお青き青をわれピカソに見き 茫洋

Saturday, January 12, 2008

特報「A@A アート・アット・アグネス アートフェア2008」本日6時まで開催中!

特報「A@A アート・アット・アグネス アートフェア2008」本日6時まで開催中!

地下のマーガレットホール「ART@BASEMENT FLOOR」「ギャラリー・カウンタック」のコーナーへ急げ!!

東京神楽坂「アグネスホテル アンド アパートメンツ東京」
〒162-0825 東京都新宿区神楽坂 2-20-1TEL: (03)3267-5505FAX: (03)3267-5513

→ART@AGNES事務局公式HP(http://www.artatagnes.com/)

♪ホテルアグネスのアート展愛犬ムクの絵売れ残りたり 亡羊

Saturday, May 05, 2007

神奈川県立近代美術館を歩く

鎌倉ちょっと不思議な物語57回&勝手に建築観光・第13回


子どもの日は八幡様は雑踏でごったがえしていたが、一歩木立の中に入ると閑静だった。

名匠坂倉準三が設計した東急文化会館はすでに消失したが、ここ鎌倉の神奈川県立近代美術館は降り積もる歳月の底でどっしりと、そして軽やかに持ちこたえている。

最近東京のど真ん中にできた3つの美術館なぞ、犬に食われてしまっても構わないけれど、この小さな美術館だけは、どうかいつまでもこの源平池のほとりの美しい景観の中で独り静に佇んでいてほしいものだ。

ここは美術館がすでにして生きた美術でも、ある数少ない文化遺産なのである。

家族揃って開催中の「近代絵画の名品展―高橋由一から昭和初期まで」を見る。

すでに何度も見たことのある懐かしい作品たちを、明るい緑の光が差し込む部屋から部屋へとぽつりぽつりと散歩しながら見てゆくこの喜びは無上のものである。

高橋由一の「江ノ島図」、黒田清輝の「逗子五景」、青木繁の「真善美」、高村光太郎の、萬鉄五郎の、岸田劉生のひとつひとつがしみじみと胸の奥に染み込んでいく。

そうしてやはり私が好きな松本竣介の油絵が4点出ていた。「建物」、「立ち話」、「R夫人像」、「自画像」であるが、そのうち死の7年前に描かれた自画像が特に素晴らしかった。

36歳で死んだ竣介は、その聞こえない耳を澄ませて、いつまでも何者かの声に耳を傾けているのだった。