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Wednesday, March 21, 2012

鎌倉国宝館で「ひな人形」を見る

茫洋物見遊山記第81回&鎌倉ちょっと不思議な物語第260回 &ふぁっちょん幻論第69回


年年歳歳花相似 年年歳歳人不同。あれからもう1年が経ったのですね。

私は今年もまた、春近い朝、鶴岡八幡宮の片隅にある国宝館のひな人形を見物に行きました。享保時代に製作された大きなうりざね顔、引目鉤鼻の享保雛をはじめ、江戸、明治、大正時代につくられ大家、名家、旧家に大切に保存されていた内裏雛や御殿飾り、雛段飾り、立雛、衣装人形、御所人形などが目も綾に陳列され、この一隅だけは早くも春爛漫の雰囲気です。

昨年も触れましたが、平安時代以降本邦では(右大臣より左大臣のほうが偉かったように)、身分地位が上位の者は左側(向かって右)に立つという伝統と風習があったために、この会場の人形はいずれも男雛が左(向かって右)に、女雛が左(向かって右)側に並んで立っています。

ところが昭和三年一九二八年、昭和天皇即位の折にそれが左右逆転したのはいかなる事情があったのでしょうか。恐らくは西洋から来日した貴賓との会見や接待の折に不都合が生じる惧れがあったために古来伝統の作法を急遽曲げてしまったのでしょうが、どうしてこういう問題に過剰反応する右翼や国家主義者たちが反対しなかったのか不可解です。ここでは礼儀作法という名目に潜む西洋と神国ニッポンの存在理由が問われていたのですから。

それにしても昭和天皇の顰に右に倣って、それ以降の人形業界や日本人が西洋流のレイアウトに盲従してしまったことこそ大問題だと思うのですが、そうゆー下らない話よりも今年のパリコレで話題を呼んだコムデギャルソンの少女風のワンンピースの発想の原点は、縄文巻頭衣ではなく「お雛様」にあるとにらんでいるのですが。


*本展は鎌倉国宝館で4月1日までひめやかに開催中

        
平成のすべての女性をお雛様にする川久保玲 蝶人

Sunday, December 11, 2011

国立新美術館の「モダン・アート、アメリカン展」を見て


茫洋物見遊山記第72回

珠玉のフィリップ・モリス・コレクションと副題されたこの展覧会では、第1章「ロマン主義とリアリズム」とか第10章「抽象表現主義」というタイトルが付された全部で110点がずらずら並べられていたが、ちょっとカッコつけ過ぎ。こっちは要するに現代アメリカ美術を見に来ているのだから様々な意匠とこざかしい分類なんて無用の長物なのである。

それなりによく描かれ、それなりの絵画的意義を持ちながら、私の目と心から冷たく無視されて通り過ぎていった数多くの作品は今ではどこに消えていったのか今では誰にも分からないが、とどのつまりはジュージア・オキーフが小屋や葉を描いた作品と、エドワード・ホッパーによる「日曜日」と「都会に近づく」が、ただそれだけが私の存在に激しく呼応して白い壁から立ち上がった。

ホッパーの作品は、どれも現代人の孤独な精神の不安な様相を不気味に象徴しているが、とりわけ「都会に近づく」はその最たるもので、都会に近づきながらトンネルに吸い込まれている車道のその左端にあるトンネルの暗闇は、あの英国皇太子妃ダイアナをのみ込んだ穴よりも不気味で昏いのであった。

ダイアナ妃を恋人もろとものみ込みし巴里の暗虚はここにもありしか 蝶人

Wednesday, November 09, 2011

高浜虚子旧居を訪ねて


茫洋物見遊山記第68回&鎌倉ちょっと不思議な物語第248回&勝手に建築観光第44回&茫洋広告戯評第15回

若き日の芥川龍之介の下宿からほどちかいところになんと高浜虚子の旧居がひっそりとたっていました。虚子の死後は次女の星野立子さんが住んでいたようですが、その後は人手に渡って現在に至っているようです。すぐ傍に江の電が走っているのですが、その音がやむとまた秋の日の静寂に包まれてしまいます。

相当に古い木造家屋の前にはかなり広い庭があって、一輪の紅い薔薇が咲き残り、他にもさまざまな花が植えられていましたが、私は隅っこに小さな花弁をつけていたホトトギスに目を奪われました。

虚子が正岡子規の推挽で俳誌「ホトトギス」を出したのは明治30年のことでしたが、その「ホトトギス」と子規ゆかりの杜鵑草がこの庭にあるのは当然と言えば当然とはいえ、いったい誰が植えたのだろう、もしかして虚子が手ずから植えたのではないだろうかと思って、私はしばらく生垣の間からじっと眺めておりました。

庭の外と狭い路の間には「高浜虚子旧居」の小さな石碑と「浜音の由比ヶ浜より初電車」と立子の書で刻んだ虚子の句碑がうずくまっていました。これなどは例の「花鳥風詠」をうたい文句にした偉大なる俳人のいかにも凡庸な作品ですが、毎朝江の電の由比ヶ浜駅から鎌倉に出て、横須賀線で東京駅の近所の丸ビルになった編集所まで通っていた虚子の几帳面な性格を窺わせるには充分です。

私は時折丸ビルのその「ホトトギス」事務所を用もないのに尋ねては明治の俳人の面影を慕っていたのですが、それにしても、(と話は飛びますが)、その立派なビルジングを耐震性がどうたらこうたらと抜かして1995年に一夜にして倒壊させ、下らないコンクリートの残骸ビルを再建した三菱不動産は許せません。

あまつさえ彼らはてめえがぶっこわした歴史ある建築物の土台となった米国産パイン材をば社長が登場する広告に使って、そのまだまだ使用できる頑丈さを誇示していますが、それならなおさら巨大な犬小屋の新丸ビルなんぞ必要はなかったのではないでしょうか。

「一丁倫敦」を模したジョサイア・コンドル設計の三菱一号館を1968年にさっさと解体しておいて、世間の風潮が歴史や回顧や環境保全の方向にむかうと、突如美術館として再建したよなどといばっている会社は、所詮文化を語る資格のない金もうけだけの土建屋であり、亡くなった虚子も草葉の陰でよよと泣いていることでしょう。

江の電や虚子邸で咲くホトトギス 蝶人

Saturday, July 09, 2011

椹木野衣監修「岡本太郎爆発大全」を読んで


照る日曇る日第443回

有名な「太陽の塔」などの建築物をつらつら眺めていると、芸術は確かに爆発だと思わされる。何の爆発? もちろん己の爆発に決まっているさ。

社会と大衆の面前で己を爆発させるためには、知情意の恐るべき集中と膨大な量の薪が必要だったが、太郎にとっては、月夜の闇に咲く隠花植物の祭典を孜々として秘かに準備することが、ある晴れた日の朝、明るい太陽に向かって顕花植物を全面開花させる大魔術への秘法だった。

赤や青や黄色や紫の原色が氾濫する彼の油絵を見よ。そこに繰り広げられているのは恐るべきニヒリズムの絶望的な吐露。すべての一瞬を、生きて、生きて、生きてあらんこと熱望したはずの芸術家の、死んで、死んで、死に沈潜せんことだけを希んでいるかのような、完璧な無為と放棄と退嬰の世界。

この青の死の負の絵画こそが、大地に屹立する深紅の正旗を逆説的に支援していた。

大いなる虚無から大いなる肯定、父母未生以前の自我から宇宙的な膨張拡大、先住民の素朴から全知全能の見者への終わりなき往還が、彼の尽きることのない泉のようなアヴァンギャルドを湧出する。

そして岡本太郎は、生涯に亘ってこれが実践にシシフォスのように挺身し、己の火祭りに己が松明を投じることによって、文字通りに燃え尽きたのだった。

彼の全作品を採録したこの膨大な一巻には、死せる芸術家の偉大な魂魄が宿っているように思われる。

太郎忌や飛んで火に入る冬の虫 蝶人

◎「佐々木健グループ展」開催中

「モンブラン・ヤングアーティスト・パトロネージ・イン・ジャパン2011」

会期:2011年7月7日(木)~9月21日(水)
場所:モンブラン銀座本店(営業時間:11:00-20:00)
東京都中央区銀座7-9-11モンブランGINZA Bldg 銀座中央通り”