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Friday, December 14, 2012

勝長寿院入口の「文覚上人屋敷跡」を訪ねて




茫洋物見遊山記第97回 & 鎌倉ちょっと不思議な物語第267回

文覚上人(1139-1203)の鎌倉の屋敷跡は、滑川に面した勝長寿院(大御堂)の入り口にあった。

彼は平安末期から鎌倉時代初期の真言宗の僧で、元は遠藤盛遠という俗名の北面の武士だった。芥川龍之介の「袈裟と盛遠」に登場するのがこの遠藤盛遠で、彼は渡左衛門尉の美貌の妻に横恋慕して誤ってわが手で殺めてしまい、仏門に入って熊野で苦行したという。

後に高雄山神護寺を再興し東寺の大修理を主導したほか、源頼朝の挙兵を助け、幕府創設後その帰依を受けたが、頼朝の没後は佐渡・対馬に流罪となった

全盛時代の文覚上人は頼朝に対して影響力があり、平家直系の最後の子孫、平維盛の子、高清、通称六代御前の助命を嘆願して認められ、彼を神護寺に匿っていたが、上人が事件に巻き込まれて佐渡に流されている間に、六代は逗子の田越川の傍で処刑されてしまった。六代御前の墓は、キマグレンというポップグループのメンバーが通っていた逗子スポーツクラブのすぐ近所に実在するが、ここが平家一族の終の住処となった。

一方平家と覇権を争った源氏の一族の最後の地といえば三大将軍実朝の墓地ということになるが、「吾妻鏡」によればそれは文覚上人屋敷跡からほど近い勝長寿院(一説では寿福寺)にあった。実朝と六代の墓の距離は車なら一〇分もかからないので思いのほか近い場所に武士社会を創始した源平二つの部族の末裔が眠っていることになる。

寿福寺は、昔源頼朝の父義朝が住んでいた跡に政子が実朝の師であった栄西を迎えて創建された臨済宗の名刹で、ここにも実朝と政子の墓があるが、形式的なもので実際に骨はないだろう。しかし私はこのお寺を訪れる度に、これらの歴史上の人物が歩んだ苔むした敷石の上を、この境内の借家に住んでいた晩年の詩人中原中也がふらふらと歩いていた姿を思わずにはいられないのである。



ああ亡羊茫洋すべての人は通り過ぎて行く 蝶人


Thursday, December 13, 2012

鄙びたる軍楽の憶ひ~“自民大勝”の後に来るもの



バガテルop161

いよいよ運命の日が近づいてきた。

昔から政治や政治家が嫌いで極端な変化を嫌う私は、今回もどこに入れようかと迷っている。そんな混迷派の私が愚かにも政変を期待して清き一票を投じた元逗子市長の長島選手は、選挙民への挨拶もなく、義理も果たさず、落ち目の民主党から足を洗って早々と戦線から逃亡してしまった。なんと自分勝手な奴だろう。

今回も選挙のポスターやテレビスポットなどを一瞥すると、私利私欲と権力欲に目が眩んだと思しき醜い顔貌ばかりが並んでいてウンザリする。いま日本経済新聞の「私の履歴書」では、かつてこの国の総理大臣を務め、IT革命を「イット革命」と読み下して平然としていた男の自慢話が延々と続いているが、この男が「自分はバカダ大学や産経新聞にコネで入った」と恥じらいもなく公言しているので仰天したが、他の政党の首領も推して知るべし。こんな手合いがコッカコッカコケコッコー!と偉そうに呼号しているから困ったものだ。

さて今回は2大政党の他にいわゆる第三極が出現し、表向きでは原発や災害復興や経済再生政策等を巡って多種多様な選択肢が登場したように見える。それらはどれひとつゆるがせにできない重要な問題ではあるが、それらの帰趨はそれとして、じっさいには現行憲法を基軸とした戦後政治の是非こそが、水面下で激しく問われることになるのではないだろうか。

もとより現行憲法はアメリカ帝国からの押しつけであることは否めず、私のように第1章に異論があったり、第2章に文句をいう連中が増えてきたり、様々な問題点を含んでいることは事実だが、しかしそれが全体としてわが国の指導者と国家の恣な権力の発動と暴走に対する決定的な最後の枷と砦になってきたことは周知の事実である。

あの品性劣悪で極悪非道な暴走老人が口走っているように「憲法のお陰で人が殺されている」のではなく、憲法のお陰でわが国は彼が望むように他国とはみだりに戦争できず、その結果およそ70年の長きにわたって「人を殺したり殺されたりしないで済んだ」のである。自虐とかサドとかマゾなぞと口をきわめて罵っている人たちも、たまにはそんな石原慎太郎憲兵隊長の命令で尖閣諸島に突撃しないですんでいる僥倖を、せめて年に一度くらいは感謝したらどうだろう。「ありがとう憲法!」と。

自民党はすでに本年4月に新しい改憲案を策定し、そこでは「国防軍」「非常大権」「天皇元首制」などが麗々しく謳われている。現行憲法を廃棄してより強権的な内容に改定するだけではなく、象徴天皇制を改めて明治時代のような元首制に変えるというのだが、それは「日本を取り戻す」のではなく、歴史の針を2世紀前の非民主的な昔に戻すという時代錯誤の試みというべきだろう。

もし自民党が第1党となれば石原・橋下の維新と合体した独裁的な極右政権が「合法的に」誕生し、戦後まがりなりにも継続されてきた“民主政治”は楽天的な私たちが思っているより早く崩壊するだろう。

現行憲法はたちまち骨抜きにされて強権的で偏狭で好戦的な国産憲法が誕生し、集団的自衛権を裏打ちするための徴兵制が復活して若者はささやかな愛と自由と平和を奪われ、いともたやすく戦場へ送られるだろう。「シナ」と対抗するアジアの最強国をめざして富国強兵と核武装への道が我等臣民の前途にたのしく、ルンルンとひろがっていくのである。

そういう次第であるからして、今回の選挙で私たちに問われているのは、「短兵急に決められる戦前型強権政治」への回帰か、それとも“相変わらずなかなか決められない、非効率でカッコ悪いオタンチン・パレオロガスでモモンガーのようなお馴染みの「俗流あらえっさっさあ的民主主義」の継続”か、という二者択一である。  

自民大勝の後にやって来るのは、私たちがこれまで見たこともない“地獄の季節”だ。政権交代の果実を収穫できなかった民主党のアホ馬鹿さをサディステイック・ミカバンドのように厳しく懲罰することも大事だが、私たちがとっくの昔に見捨てた超無能政党の「イトレル・チャプリン的」妄想の成就に加担し、戦後70年掛けてようやく形成し得た国家国民の現有政治遺産を根こそぎに崩壊させる愚だけはなんとしても避けたいものである。


ウレピーナ楽しいなニッポン全国ウヨクがウヨウヨ 蝶人

Friday, November 16, 2012

黒澤明監督の「乱」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.346

この作品はこれまで何回かみているが、いつも圧倒されるのは原田美枝子が次郎の君の脇差を奪ってその場に押し倒し、首筋に切りつけながら脅迫恫喝するシーンで、ここでは完全に男女の立場が逆転している。その後根津甚八の馬鹿殿は兄の正妻にまるで女のように犯されたあと、今度は女に戻った楓に泣きを入れられ、美しく狡猾な彼女はそれからは馬鹿殿を自分のいいなりに御していくのである。

このシークエンスに比べると大殿と3人の息子たちやお付きのピーターとの掛け合いなどはずいぶん精彩を欠き、大殿自身の心理を含めて人間関係があざやかに描かれているとはいえない。

その代わりにすこぶる印象的なのは緑の大草原を疾走する馬に跨った武士たちの群像、紅蓮の炎を上げて燃え尽きる城やその中から死人のように白衣でよろけ出てくる大殿、画面狭しと移動する戦士たちの戦闘シーンで、そのさまはまるで一幅の華麗で悲愴な絵巻物を見せられているような気分である。

このような雄大な景観をバックにした勇壮な時代劇は、もはやわが国では二度と撮られることはないだろう。武満徹の音楽も地味ではあるが忘れ難い。


にしてもさっさと民主党を見限りシンクタンクに転職するという神奈川4区長島一由 蝶人

Thursday, November 08, 2012

山本嘉次郎監督の「エノケンのちゃっきり金太」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.341

エノケンが扮する巾着切が幕末明治にかけて岡っ引きや誌史維新の志士なぞを相手に大活躍するはずのコメディだが、これくらい面白くない喜劇映画も珍しい。

この映画はなぜかミュージカル仕立てになっていて、エノケンはいろんな歌謡曲を歌うのだが、これがじつにつまらない曲でそれを真面目に歌うエノケンもさらにつまらない。彼のトレードマークはくしゃみをすることで、劇中なんどもクシュンクシュンとやるのだが、この昔ながらのお笑いの常套手段がわざとらしくつまらない。

山本は戦争映画などを取り扱うとそれなりに無難な演出をする人だが、お笑いにはまったく不向きで、そもそも喜劇のなんたるかが全然分かっていない人なのだろう。

せっかくエノケンを起用しながらこんな不調法な映画が出来てしまったのだが、エノケンその人も大した役者ではないのかも知れない。もっと他の作品をみてみないとたしかなことは分からないのだが。


権力を我がものにせんとつるみあう我利我利亡者に災いあれ 蝶人

Saturday, October 20, 2012

神宮、熊野、高野山を巡る




茫洋物見遊山記第93回 

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人

Sunday, October 14, 2012

ジョン・フォード監督の「三人の名付け親」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.329


サザエ「1948年製作の映画だというのに鮮やかな色彩美にびっくり。砂漠の砂嵐をあんなに奇麗に見せてくれるなんて! 「アラビアのロレンス」のデビット・リーンはこの映画を真似したんじゃないかしら。」

マスオ「はじめに出てきたなよなよのオジサンが実は凄腕の保安官だったり、銀行を襲撃した凶悪犯たちが砂漠の真ん中で生まれた赤ちゃんに夢中になるとか、人は見かけによらないというか、思いがけないドンデンガエシがあるのが面白いね。」

カツオ「砂漠の真ん中で生まれた赤ちゃんがイエスキリストで、ジョン・ウエインなんかの3人の悪党が西方からやって来た博士たちのように描かれている。聖書のお告げがバンバン出てくるし、この映画って宗教映画みたい。本当に西部劇なの?」

波平「つまり、基督教原理主義と拳銃こそがアメリカの原点、ということがよく分かる映画なんじゃよ。」


異界との通信に夢中なりスマホ族 蝶人

Wednesday, October 10, 2012

シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.327

一人の少年の父親殺人疑惑事件の陪審員として呼びだされた年齢も、生まれも育ちも、思想も暮らしもまちまちな12人の市民が繰り広げる密室内の討論劇である。

状況証拠から予断に囚われ、はじめはヘンリー・フォンダ一人を除いて全員が有罪を確信していたのだが、疑問を懐いたこの建築家がひとつひとつの問題点を解明していくそのプロセスが、スリルとサスペンスを呼ぶ。

有罪説と無罪説の論理的な戦いというよりも、猛暑にいらだち、野球や私事にかまけて早く評決して帰宅したい多くの普通の市民たちと人間の生死に誠実な判断を示そうとする一人の男の良心のせめぎあいが、この映画の主題である。

最後まで反対し続けるリー・J・コップの孤独な心情がまことに哀れであるが、一二名の無名の市民の良識に一人の人間の命運を託す合衆国の法的制度の素晴らしさと恐ろしさを、二つながらに体感する映画でもある。


朝っぱらからオオミズアオの幼虫を4匹も殺してしまって気色悪し 蝶人


Thursday, October 04, 2012

ジョージ・C・ウルフ監督の「最後の初恋」を観て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.323

消えたはずだよお富さん。どっこい生きていたアラフォーのダイアン・レインちゃんが70近い色男のリチャード・ギアとロダンテという海際の別荘地でまだまだやるじゃないか大恋愛をするぐあんばれ中年激励映画である。

それしにても題名の「最後の初恋」っていったいどういう意味なんだろう。いくら考えても分からない。なぜ原題通りの「ロダンテの夜」にしないのか不可解である。

「オーバー・ザ・ムーン」からおよそ10年が経過したわけだが、ダイアン・レインちゃんまだまだ小皺だって可愛い。勝手知ったるリチャード・ギア選手と相変わらずの素人っぽい演技を繰り広げておりました。

AKBなんてみな同じ顔しょんべんくさいイモねえちゃんばっかり 蝶人


Wednesday, October 03, 2012

トニー・ゴールドウイン監督の「オーバー・ザ・ムーン」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.322

ダスティンホフマン製作のサンダンス映画でダイアン・レインがヒロインである。原題は「 A Walk on the Moon 」なのだが妙な邦題をつけたものだ。

 ダイアン・レインとかグレタ・スカッキはプロの俳優のくせにどこかアマチュアというか普通の女性のおももちや風情をいつまでも漂わせていて、その中途半端な曖昧さが私たちを魅了し、かつやきもきさせるのである。

 本作でダイアン選手は旦那への不満と性的欲望に悩む若き人妻をやきもきと熱演、夏のリゾート地にやって来たブラウス売りのヒッピーに惚れて浮気し、なんと近所で開催されたウッドストックになだれこむ。

母親に内緒でボーイフレンドと出掛けた16,7の娘が、10代のギャルのように「弾ける」(この厭らしい手あかにまみれた決まり文句を、一度だけ使ってみたかった!)
ヤンママ、ダイアン選手を偶然目撃して、たまげて蹌踉と帰宅するシーンがいちばん面白かった。

1969年現在の不穏な社会情勢のなかで、日常からの逸脱を夢見るだけでなく、実践しようか、いややめようかと小さな胸を痛めるそのあえかなおののきが、画面からじかに伝わって来る切ない人世映画である。

ここで飛べ1969ウッドストック 飛んだ奴らはどこへ行ったか? 蝶人



Wednesday, September 19, 2012

ロン・ハワード監督の「バックドラフト」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.313

あの9.11を想起させるようなアメリカの消防士の活躍と悲劇をロン・ハワードが「コクーン」における凡庸な演出とはひとあじ違う冴えを見せて力強く描いている。

この映画を見ると消防士の闘いがどのようなものであるか、判ったような気になって来る。優れた消防士は、悪魔のような生き物である「炎」の動向を窺い、その爆発の危険を鋭く察知し、それが空気の中に潜んでいる間に飛び込んで消火・救命を敢行する職人芸の持ち主なのである。そこでは炎は不倶戴天の宿敵であると同時に、彼らを魅了する伴侶でもあり、そこから炎への愛に満ちた対話との戯れが生まれたりもするのである。

不慮の死で斃れた父親の跡を継いで消防士になった兄弟の屈折する感情とラストの大爆発&アクションシーンが見ものである。


今日もまた時給40円の労働に汗を流す子我が子愛しや 蝶人

Tuesday, September 18, 2012

ロン・ハワード監督の「コクーン」「コクーン2」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.311&312


宇宙の彼方から地球のアメリカのフロリダになんたら星人がやって来て、海底に残された彼らの同族を救助しようとする。

その同胞は岩石で包まれた繭(コクーン)の内部に入っているのだが、このコクーンが保管されたプールで泳いだ死に損ないの老人たちがまるで若者のように奇跡的によみがえる、てな妙な噺で、ここでは宇宙人が回春剤として機能していることになる。

やっさもっさ色々あった挙句に、老人たちは、なんたら星人の招待に応じて永遠不滅の青春と不老不死を願いつつ宇宙の彼方に旅立っていくのでしたあ。

おらおめでたや。しかしほんとにそんな異郷で極楽生活をエンジョイできるのかしらね。

その後この映画の続編を見てしまったが、5年後に旅立った老人たちが地球に帰還してやっさもっさする噺だった。

なんたら遊星では極楽不死の生活をエンジョイできるが、地球で楽しみや孫たちとの共生は諦めざるをえない。さあ、どっちを取るかという選択をこもごも強いられるのだったが、遠い将来においてこういう悩みが現実のものになるかもしれない。人類が他者に対して賢明に振舞い良い子にしていればだが。

この映画はバハマで撮影されているのにもかかわらず、この天国的なリゾートの素晴らしさがてんでロケに活かされていない。ロン・ハワードってあんまり才能のない監督だな。


一度だけマリア・カラスのように歌ってみたいな五七五七七で 蝶人

Sunday, August 26, 2012

夏の終わりに




バガテルop157&茫洋物見遊山記第91回


長男と妻と3人で由比ヶ浜の海水浴場へ行く。毎年17,8回はここへ通うのだけれど、今年は天候不順や義母のお葬式で今日で11回目の海行きである。

 幸い県営の駐車場は空いていたのだが、生憎の台風で遊泳禁止の赤旗が強風にはためいている。鎌倉の全部の海水浴場が同じ状態だというので、急遽逗子海岸に向かった。悪名高き東京都知事の別荘がそびえる山頂の下に広がるこの海水浴場は、内海でいつも波ひとつなく凪いでいるのだが、さすがに今日はかなり波が打ち寄せている。

しかし監視所の上に歯は黄色い旗が出ているので遊泳は可能だ。私は息子と一緒に混雑する浜辺に降りていった。妻は10年目のカローラで懸命に駐車場を探しているが、夏休みもおわり間近の日曜の昼下がりでは無理だろう。

長男は子供のころから海水浴が大好きで、施設が休みになる土日は必ず海に連れて行けと親に命じるのである。彼は泳げないのだが、派手な星条旗のデザインの浮輪にどっかりと身をゆだね、まるで銭湯に浮かぶように入道雲の相模湾に浮かんでいる。

いつものように3、4回海に入り、その都度持参したお茶をゴクゴクと飲み、だいたい40分経過したところで「もう帰ります」とのたまわったので、携帯で妻に連絡し海岸道路で拾ってもらって帰宅した。

鎌倉も逗子も海水浴客は年々減っているようだが、浜に甍を並べたド派手な着脱所が揃って8拍子の無粋で不気味なビートを連打していてうるさくてかなわない。セーラムをくわえたビキニの女たちが虚脱した表情で踊り狂っていたが、世界中どの海岸へ行っても夏の浜辺は静謐そのもの。海水浴と無為無音そして夢想を楽しむのが夏の掟であることを知ってもらいたいものだ。

「お父さん浮輪潰してください」の一言で我が家の夏休み終わりぬ 蝶人


Thursday, August 09, 2012

トニー・スコット監督の「デジャヴ」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.292

これは第288回で紹介した同じトニー・スコット監督の「エネミー・オブ・アメリカ」に悪乗りしてさらに先を行くような映画で、ここでは、アメリカ政府は宇宙と地上のいたるところに張り巡らした精密な監視カメラで全住民のプライバシーを暴き尽くして犯罪を捜査しているのである。

 しかも単にターゲットを追跡して動画再生するのみならず、48時間に遡って既に生起した事象に現在時からかかわることすら出来るのであるから、これが本当ならノーベル賞どころか天地がデングリ返る世紀の大発見であろう。

 しかし普通はいくら最新科学技術を駆使しても、過去を書きかえて新しい現在をもたらすことなぞ不可能であると知っているから畏れ多い不可知の領域に踏み込むのを控えているのだが、この映画ではなんとNYでテロリストによって爆破転覆させたれた大型フェリー事故をなかったことにして死者をよみがえらせ悲劇を帳消しにしてハッピーエンドをもたらすのである。

 凄いというか無謀というかハチャメチャである。製作者も監督もとても正気とは思えないがたかが映画だからなにをどう描いても許されるのだろうね。


    三人の娘に手厚く介護され九十一を全うせしひと 蝶人

Saturday, August 04, 2012

トニー・スコット監督の「エネミー・オブ・アメリカ」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.288

至る所に監視カメラや盗聴マイクが仕掛けられ、権力を握る者たちが市民のプライバシーを完膚なきまでにぶち破っている状況を告発する映画である。

主に英国に倣ってわが国の店舗や街頭のあちこちでこういう不愉快な光学装置が断りも無く据え付けられたのは確か90年代頃からだったと記憶しているが、それが今世紀に入るや雨後のタケノコのごとく繁殖するにいたった。

それまでよく通っていた新宿のタワーレコードに行くのを止めたのは、このビルのエレベーターの内部に据え付けられた監視カメラが俺をにらんでいるのを発見したからで、激昂したおいらはジャンプ一番そいつをもぎ取ろうとしたんだが届かなかった。1998年製作の凡庸なこのハリウッド映画は、そういうことを各人が各国でせよと教えている。

にも拘わらずわが国の多くの人々は、捜査のためにはおのれの肖像権やプライバシーなぞ屁とも思っていないようで、こないだのオウムの犯人逮捕劇のときにも誰ひとり異議を唱えず、最近とみに捜査能力が減退していた警察の久しぶりのお手柄なぞと拍手喝采してよだれを流して喜んでいた。この阿呆たれめが。

彼奴等はオウムの10匹や100匹よりも大事なものがあることをすっかり忘れて、裸の王様どころか街中でフリチンになって喜んでいるのである。ワンワン。

映画のことにも少し触れておくと、懐かしやだいぶ年をくったジン・ハックマンが、危機に陥った主人公を側面援助する元情報局員の役で健在ぶりを示している。あとジェイソン・ロバーズもちょいと姿を見せている。すぐに消されてしまうんだが。


誰ひとり読まぬブログを書き続ける人の心の底知れぬ闇 蝶人

    *この歌、本日の「日経歌壇」にて岡井隆氏に選ばる。あな恐ろし。


Wednesday, August 01, 2012

ノーラ・エフロン監督の「めぐり逢えたら」




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.286


1993年のハリウッド映画で「シアトルの不眠男」というのが原題だが、ケーリーグラントとデボラカーの「めぐり愛」が引用されているので、この邦題はまあ許せる。

 さてその内容はというと、最愛の妻に死なれて生きる意欲を無くした建築家トムハンクス選手が、たまたまラジオの身の上相談に出て歎いているのを聞いたテレビ局員のメグライアンちゃんが、婚約していたのに恋の予感に導かれ、なんやかやあって結局NYのエンパイアステートビルの展望台で「めぐり逢う」という超感動的なお涙頂戴の一席。

ノーラ・エフロンという監督が脚本を書き、演出したこんなあほらしいヨタ話が大ヒットするアメリカという国の民度の低さに改めて愛想を尽かしたくなる。


毎日必死で映画見ていますHDDからこぼれださないように 蝶人

Tuesday, July 31, 2012

アンドリュー・V・マクラグレン監督の「大いなる男たち」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.285


南北戦争が終わった直後のアメリカを舞台にした物語です。

元北軍の大佐、御大ジョン・ウエインに相対する元南軍の大佐に扮するはなんとロック・ハドソン。かつての敵味方が憎み合いつつも協力し合って革命下のメキシコをめざすという一大冒険譚であるんであるんであるん。

かねてからこの大根役者に悪口雑言の限りを投げつけてきたけれど、あにはからんやこの映画でのロック・ハドソンの演技は格調高く、ウエインよりも重厚な存在感を示している。1本や2本の出演映画を見ただけで安易に決めつけてはいけませんでしたね。


自分で手を下さず他人に殺してもらおうとする横着さ 蝶人

Saturday, July 28, 2012

ビリー・ワイルダー監督の「七年目の浮気」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.284

結婚七年目を迎えたトム・イーウエル選手が、妻子をリゾートに送り出した夏の盛りにマリリン・モンローによろめくウエルメイドのリーマン・コメディ一幕物。

冒頭、妻子を避暑地に送り出した先住民のマンハッタン族とおなじことを百年後もやっていると切り出すこの軽快なユーモアとウイットがビリー・ワイルダーの得意技をウッデイ・アレンが何度も盗んだ。

モンローが地下鉄の風で下半身を冷やすシーンも、彼女がパンティを冷蔵庫で冷やしているほどの暑がりであるという性格描写を徹底するために用意されたのであって、必ずしも白いパンティを観客に見せて喜ばせようとする意図からではなかった。でも見せているけど。

ワイルダーの薫陶よろしくコメデイエンヌ、マリリン・モンローは気を吐いているが、トム・イーウエルの代わりにジャック・レモンならもっと楽しめたのに。


ネギを買わず玉ねぎを買い過ぎて怒られた 蝶人



Thursday, July 26, 2012

舛田利男監督の「二百三高地」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283

駄優、あおい輝彦を主人公に、往年の有名スターがどっさり出演している日露戦争夜話であるが、演出がひどすぎる。

恋人を戦地に送り出した新婚ほやほやの夏目雅子をフューチャーしながら、さだまさしの聴くだに恥ずかしくなるようなおセンチな音楽がこれでもか、これでもかとかぶさる。

映像だけで語り尽くせない不安と自身のなさから、こういう感傷過多の三流演歌におんぶにダッコだっこするのである。なにが「愛は死にますか」だ。そんな恥ずかしい歌を臆面も無く歌えるもんだ。お前が勝手に死ね。

笠原の脚本も酷過ぎる。児玉源一郎の加勢でようやく二百三高地を落とした乃木将軍(仲代達矢)が明治天皇の前で報告書を読みあげながら万感胸に迫って号泣、号泣、また号泣するというお涙頂戴の茶番劇に堕してしまった。

それにしても三船敏郎の明治天皇はないと思うけど。


夕間暮れ君と歩けば茜雲消えゆく空にカナカナ鳴きたり 蝶人


Wednesday, July 25, 2012

ビーバン・キドロン監督の「ブリジット・ジョーンズの日記きれそうな私の12か月」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283


 ヒロインのレネー・ゼルウィガーとヒーローダーシー役のコリン・ファース、そしてその強力なライヴァル役であるヒュー・グラントは前作に引き続き出演しているが、なぜか監督が変わった。でも変わっても演出がとくに良くなったわけではない。ともかく中級の娯楽作品だから誰が監督でも同じことなのである。

 しかし今回はなんの必然性も無く舞台がタイに変わって、ここでヒロインが大変な目に遭うのだが、この絶体絶命のピンチに喧嘩別れしていたダーシー氏がやっぱり駆けつけてくれて、2人はめでたく一緒になるのである。

邦題の「きれそうな私の12か月」は原題のThe Edge of Reasonがサマセット・モームの「The Razor's Edge(剃刀の刃」を踏まえていることを知ったうえでの命名で見事だが、私なら「リンダ、狂っちゃいそう」じゃなかった、「ブリジット、狂っちゃいそう」で行きたいと思う。


発達障碍なぞと言い換えても全く無意味生まれついての脳の怪我なり 蝶人



Friday, July 20, 2012

東京新宿文化学園服飾博物館で「アフリカの染織」展を見て




ふぁっちょん幻論第71回&茫洋物見遊山記第89回 


ここのところ、アフリカの政治経済文化活動はいちじるしく停滞低迷を続けていますが、欧米とアジアの繁栄が終息する半世紀後にこの現生人類を生んだ母なる大陸の存在がふたたび輝かしい光彩を放つであろうことは、ゆくりなくもこの会場に拡げられた東西南北アフリカ諸国の染織の産物を眺めていればおのずから確信できることです。

イスラムと西欧の感性が見事に調和したモロッコ、チュニジアの衣装やガーナ、ナイジェリア、マダガスカル、カメルーン、コトトジボワールの巻衣、上衣、肩掛け、腰巻衣などの染織の色、柄、デザインの基調はわたしたちが観念的に想像しがちな原色のド派手なテーストのものではなく、じつに繊細で知性的でエレガントな産物揃いで、とりわけナイジェリアのブブと称せられる呪術的なデザインのコートはまるで江戸時代の風呂敷のように東洋的で洒脱な感覚で統一されておりつよく印象に残りました。

考えてみればこの大陸に生まれ育った人類の遺伝子が世界各地に散らばっていったのですから欧米、ユーラシア等のすべての人種に偏在する多種多様な遺伝的要素は、現代のアフリカ人のDNAに遍在しているのでしょう。百聞は一見に如かずを地でいくような展覧会です。


*なお同展は来る9月21日まで開催中。ただし日曜祭日は休館です。


万物是資生阿弗利加而一以全阿弗利加 蝶人

遍在する一なるものより流れ出たりいちじるしく偏在すると見ゆるもの 蝶人