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Friday, November 23, 2012

陳凱歌監督の「子供たちの王様」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.351


1960年代後半、文化大革命時代に毛沢東が断行した「下放」政策によって都市の若者が中国の僻地へ送り込まれた。この映画の主人公は教育経験のない田舎の若者だが、人里離れた山の上の中学校の国語教師に任命され、突如教壇に立つことになる。

 などという背景はどうでもよろしいが、陳凱歌の映画では人物や事件や風物自体も美しくきっかりと描かれていて感銘を受けるのだが、正確にいうと彼が描こうとしているのは、人物や事件や風物自体ではなく、それらのアトモスフェールやたたずまいであり、そのたたずまいを成立させている静かな時の流れであると感じられる。彼は映画的事件ではなく、そのフレームの外を流れる静謐な時間そのものを直視しているのである。

 しかしこの映画は時の政治権力とは無縁な教育の理想的なあり方を追及する実験映画でもあり、専門教育の手あかにまみれた手法に無縁の素人の若者が、教科書を捨て、カリキュラムを捨て、辞書を捨て、即興的な試行錯誤を繰り返しながら、自発的に学ぶことの楽しさを徒手空拳で見出していくプロセスは感動的ですらある。

 中国であろうが日本であろうが、恐らくこのような地道な手作りの全人教育だけが本当の児童教育なのであり、それはかのジュリアン橋下ソレル市長などが大阪で取り組んでいる岡っ引き教育の対極に位置するものなのだろう。

二読三読四読まだ意味不明この新古今調のコンチキチン 蝶人

Monday, November 05, 2012

福田晴一監督の「二等兵物語」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.338

淳三郎と花菱アチャコの二等兵物語。かれらの悲惨な軍隊生活を通じて反戦を訴えようとしている。

陸軍の兵舎に女性が訪ねてきたり、子供を便所に何日も隠したりできるとも思えないが、そういうことを平気で描いている本作のハイライトは、上官のいじめと虐待と暴力に頭に来た淳が、敗戦となって醜い振舞いをする彼らを機関銃で脅しながら、その非を鳴らす大演説をぶつシーンである。

そこでは理不尽な暴力と恐怖で強制的に部下を従属させるのではなく、愛と友情と協同にもとづく愛国的な軍隊組織のヴィジョンが語られるのだが、声涙下りすぎてお涙頂戴の上官の告白まで飛び出す脚本はかえってよろしくなかった。

それにしてもこの映画で描かれたような帝国陸軍軍隊の非人間性は、日本人の最悪の側面であり、その遺伝子はいまなお現行の軍隊組織と我等の精神に生きながらえているのだろう。

左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈 蝶人

Friday, November 02, 2012

佐藤賢一著「共和国の樹立」を読んで



照る日曇る日第546

1792年8月10日の蜂起は奇跡的に成功し、ここでサン・キュロット階級は一気に巻き返したが、続く9月は法を無視した虐殺の季節だった。ダントンの演説から始まった反革命派狩りではモッブと化した民衆が敵対的な政治家たちを見境なしに血祭りに上げる。革命とは今も昔も問答無用の敵の殺戮なのである。

その後サン・キュロットたちはやっさもっさの挙句にようやく王制を廃止し、共和制を樹立したものの、国王ルイ16世をどう裁くのかという難問に直面する。有罪だからといって市民ルイ・カペーを死刑に処していいものだろうか、とさすがのダントンやロベスピエールも胸に手を当ててためらうのだ。

そんななか、中庸のジロンド派に押されに押されていたジャコバン派が息を吹き返したのは、田舎者の最年少議員サン・ジュストの「人民の敵であり虐殺者、簒奪者、反逆者である王は仏蘭西に無関係の外国人として即刻裁かれるべし」という洗練されない論理による問答無用のどんくさい演説からだった。

衆寡敵せずというのに、議会で少数派の一議員の名演説が中間派のみならず多数派を論理的に圧倒して公論が逆転するなどわが国では到底考えられないことだが、それが18世紀の仏蘭西では実際に起こったのである。革命の進行過程では、現状を固定せず無理矢理敵に向かって前進しようとする勢力が優位に立つことが多いが、これがまさにその時だった。これ以降ジャコバン派の盟主ロベスピエールさえももはや過激派の暴走をとめることは出来なくなり、革命の本質は日を追って見失われてゆくのである。

 パリ大学医学部教授ジョセフ・イグナス・ギヨタンによって開発された最新式の処刑機械ギロチンによって処刑されてゆくルイ16世の最期の姿はあまりにも痛々しく哀しい。彼は教授に助言して三カ月状の丸いデザインであった刃を鋭い3角形に修正したギロチンで首をはねられたのであった。
 
革命の美名の下に屠られし草莽の民何処へ消えしか 蝶人

Wednesday, October 31, 2012

新説亜細亜版桃太郎音頭



ある晴れた日に 117


一、桃太郎さん 桃太郎さん
海に浮かんだ尖閣竹島
全部わたしに くださいな 

二、やりましょう やりましょう
これから北の征伐に
ついて行くなら あげましょう 

三、行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
仲間になって 行きましょう 

四、そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 北の熊

五、おもしろい おもしろい
のこらず四島攻めふせて
分捕物を えんやらや 

六、万々歳 万々歳
お伴の犬や猿雉子は
勇んで車を えんやらや

七、桃太郎さん 桃太郎さん
これであらかた片付いた
今度は東を攻めましょう


秋の蚊を柔らかく叩いて殺す午後 蝶人

Thursday, October 25, 2012

リティー・バニュ監督の「さすらう者たちの地」を見て





闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.333


これは2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞を受賞したフランス映画である。ロンノル政権時代の苦難とその後のポルポト政権による大虐殺に耐えて生き延びたカンボジアの民衆が、全土に敷かれることになった高速光ファイバー工事で露命をつなぐ極限状況をルポルタージュしている。

道端に穴を開けそこにケーブルを通すのだが、岩だらけの地面を掘り進んでいくと突如毒蛇が現れたり戦争中に埋められた地雷や爆弾が出てきたりする。命懸けの仕事を女子供も手伝って朝から晩までやっている。

工事を請け負っているのはおおむね悪徳ブローカーで、彼らに搾取される細民にはなけなしの賃金しか与えられず、貯金も明日の食料も夢も希望すらない。怪我をしても病院にすら行けない極貧生活を強いられている彼らにどんな励ましの言葉を言えようか。

キャメラはそんな悲惨な彼らに寄り添うようにして、そのありのまあの姿を全世界に伝えようとしている。


弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百 蝶人

Saturday, October 20, 2012

神宮、熊野、高野山を巡る




茫洋物見遊山記第93 

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人

Monday, September 03, 2012

シルベスター・スタローン監督の「ロッキー3」「ロッキー4」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.303304

 アポロを倒したロッキーは連戦連勝するが、効なり名を遂げたその最後の防衛戦で間ひそかに実力を蓄えてきた強敵ミスターTに屈辱のKOを喫したばかりか盟友の名トレーナーを喪って人生の指針を失いアイデンティテイの崩壊に直面する。その生涯最大の危機を救ったのはなんとかつての宿敵アポロであった、というシナリオが心憎い。

 かつての宿敵からの心身両面からの支援を受けたロッキーはみごとタイトルを奪還するのだった。

つづく4作目はお話が政治がらみになっていてきな臭い。旧ソ連の冷酷非情なボクサーに親友のアポロをリング上で殺されたロッキーは、冷戦さなかの敵国に乗りこんでのリベンジ戦に勝利する。

はじめはロッキーを敵視していたロシア人たちが善戦健闘するロッキーの味方をしてソビエト大統領を慌てさせるとか、勝利後の「政治の壁を崩そう」的なロッキーのインタビューが会場の圧倒的共感を得るシーンなどが片腹痛いが、ロッキーはどうしてもこういう「愛国映画」を作りたかったのだろう。

昔阪神、次横浜、今ヤクルト無節操者のわたしでござい 蝶人

Saturday, September 01, 2012

大島渚監督の「新宿泥棒日記」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.300

横尾忠則が紀伊国屋で訳も分からず本を盗んで社長の田辺茂一の自著をもらったり、横山リエが佐藤慶と渡辺文雄に犯されたり、横山と横尾が状況劇場の麿赤児や李礼仙と赤テントで共演したり、突然横山リエがオシッコしたり、佐藤慶がセックスというのは不感症的な性器を感じるようにすることだと語ったり、新宿東口派出所が襲われたり、西口広場でフォーク集会が開かれたり、東口広場でパフォーマンスが行われたり、まるでいきあたりばったりの即興的演出だが、それでも辛うじて「映画」という古典的な範疇に収まっているのは、35ミリや8ミリ手ぶれフィルムからから終始正体不明の訳の分からない60年代潜熱がマグマのように放射され、よく考えてみれば無意味で無内容な言説が恥知らずな直截性と鈍重な肉体性によって覆われているからであって、けっしてこの映画における大島(たち)の視線が男は女を犯す存在であり女は男から犯されるのを待っているなどという安直なテーゼを爬虫類の脳内に安置し、♪ひとつでたほいのよさほいのホイ的なあからさまな男尊女卑のどうしようもない下劣な猥歌で全篇が彩られているからではないのだよ。

この夏も現れ出でたる大ウナギ毎晩川を悠々と泳ぐ 
こんな長さのこんなぶっといウナギでねと腕がどんどん伸びてゆく 蝶人

Friday, August 24, 2012

佐藤賢一著「ジロンド派の興亡」を読んで




照る日曇る日第534

長らく中断していた佐藤賢一氏の「小説フランス革命」シリーズがいよいよ第2部に入り、その再開第一弾の第7巻が数年振りに刊行されたのは誠に慶賀に堪えない。

この巻では革命第4年に入った1792年のジロンド派とルイ16世の角逐を主にロラン夫人の視点から描いているが、内務大臣に就任することになった夫よりもはるかに凄腕のこのサロンの女主人の容貌、人柄、政治的経綸が、繰るページの奥からぞめき立ってくるような描写に舌を巻かされる。

とりわけロラン夫人が、夫やダントンを唆して市民の蜂起を実現するものの、ルイ16世が、アホ馬鹿ロバの王様どころか、抜群の知性と忍耐力で、チエルリー王宮に侵入したパリの貧民、サンキュロットの暴徒たちを鮮やかに撃退する光景は生彩がある。

かつては革命の寵児としてパリに令名をとどろかせたデムーランが、愛児の誕生を目前にして再度の蜂起に尻ごみするくだりや、「両大陸の英雄」ラ・ファイエットの哀れな悪あがき、王からつかまされた黄金で再び暴動を企もうとする不屈の反逆者ダントン、暗殺の恐怖にちぢみあがる小心者のロベスピエールなど、フランス革命を担う群像たちを、著者はこれまでのどの巻よりも見事に活写してやまないのである。


革命の原点は食料暴騰人心不安いずれその日も遠くあるまじ 蝶人


*全国の学友諸君、この演説を聴け!


Sunday, August 12, 2012

エルネスト・チェ・ゲバラ著「チェ・ゲバラ革命日記」を読んで




照る日曇る日第530

1956年12月2日、「グランマ号」という名のボートに乗ってメキシコからキューバに上陸したカストロ兄弟やアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラなどわずか82名の武装勢力が1959年1月1日にバチスタ政権を武力で打倒するまでの革命闘争を記録した文字通りの日録である。

シエラ・マエストラを拠点とした少数精鋭の革命軍は、バチスタ軍を奇襲していくつもの勝利を収めるがその行軍は困難に満ち満ちたものであり、多くの犠牲者を出しながらも一歩後退二歩前進というような形で進んで行く。

持病のぜんそくに苦しみ、待ち伏せ、死亡、負傷、裏切り、処刑……殺すか殺されるかの極限状況を体験しながら、ゲバラの筆致はラテン的な楽天性と理知的な冷静さの両方を兼ね備え、ときおり皮肉やユーモアも交ざっていて興味深い。

指導者のカストロは軍団連中に訓示を垂れ、「不服従」、「脱走」、「負けを認める」、の三つの罪を犯した者は死刑にするとアジっているが、過酷な行軍に耐えきれず除隊を願い出た少年兵には、バチスタ軍の逮捕を警告したうえでそれを許している。

ゲバラがボスであるカストロの命令に基本的には従いながらも、時々それを無視して我が道を行ったりするのも面白い。このような度量の大きさがキューバ革命を成功させた要因のひとつではなかろうか。

本書の末尾の付録には反乱軍の伝令を務めていたサンチエス・リディアのゲバラへの初々しいラブレターが紹介されていて微笑ましいが、その彼女が革命成就前夜の1958年12月12日、敵に捕えられ拷問のうえ惨殺されたと聞くと、思わず粛然と襟を正さざるを得ない。

そのために己の生をなげうつ程の不跋の信念がなければ革命なんて軽々に参加できないし、従って簡単には実現できないのであろう。



革命てふ言葉なんて発する力既に無くヤマトシジミ翼畳む 蝶人

Thursday, July 26, 2012

舛田利男監督の「二百三高地」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283

駄優、あおい輝彦を主人公に、往年の有名スターがどっさり出演している日露戦争夜話であるが、演出がひどすぎる。

恋人を戦地に送り出した新婚ほやほやの夏目雅子をフューチャーしながら、さだまさしの聴くだに恥ずかしくなるようなおセンチな音楽がこれでもか、これでもかとかぶさる。

映像だけで語り尽くせない不安と自身のなさから、こういう感傷過多の三流演歌におんぶにダッコだっこするのである。なにが「愛は死にますか」だ。そんな恥ずかしい歌を臆面も無く歌えるもんだ。お前が勝手に死ね。

笠原の脚本も酷過ぎる。児玉源一郎の加勢でようやく二百三高地を落とした乃木将軍(仲代達矢)が明治天皇の前で報告書を読みあげながら万感胸に迫って号泣、号泣、また号泣するというお涙頂戴の茶番劇に堕してしまった。

それにしても三船敏郎の明治天皇はないと思うけど。


夕間暮れ君と歩けば茜雲消えゆく空にカナカナ鳴きたり 蝶人


Sunday, July 22, 2012

森史朗著「ミッドウェイ海戦第二部」を読んで




照る日曇る日第525


第2部ではいよいよ決戦の時を迎えた日米両軍の死闘が膨大な資料を読み込み、最新の取材を駆使して分刻みで「事実」が詳細に再現・検証されるが、ここでも特徴的なのは日本側の指導者たちの油断であり脳天気であり白痴的な思い込みと非科学的独断である。

著者は、海戦の当日の朝、南雲機動部隊が旗艦赤城から全艦隊に発した「本日敵出撃ノ算ナシ」という信号命令が、その後の雷爆転換作業、そして第2次攻撃隊発進遅延へと続く海戦大敗へ誘導する導火線となった」と断じている。

ミッドウェイ海戦の結果、日本軍は空母4、重巡1、搭載航空機285、熟練搭乗員109組と多くの戦闘員(その中には第2航空船隊司令長官と加賀、飛龍、蒼龍艦長の殉死を含む)を、米軍は空母1、駆逐艦1、航空機147とその乗員を失ったが、この空母決戦を契機に太平洋における制海権と制空権は急速に米軍の支配下に入ることとなり、その趨勢が逆転する機会はついに訪れなかった。

本書によれば、「1年や2年は暴れてみせる」はずの連合艦隊が、開戦わずか半年で犯したこの致命的な蹉跌の原因について「温情あふれる」山本五十六はいっさい不問に付し、無数の陛下の忠良な兵を絶海の鱶の餌食にした南雲、草鹿、源田などの無能な指揮官(常に戦わずして戦場から逃亡し続けた栗田ほど酷くはなににしても)の責任と作戦指導の誤りを一言も追及することなく放置し、第3艦隊の要職につけることによってさらなる誤りを犯したのであった。あまつさえ彼らは海戦の真実を国民、そして天皇に対しても隠そうとはかったのであった。

 情けないわれらが指揮官たち(山口、加来、柳本を除く)に比べて、本書にあって高く評価されているのは、敵ながらあっ晴れな第16機動部隊司令官である。

生まれて初めての航空戦指導にもかかわらず、他人の進言を容れる雅量と沈着冷静な判断力、そして広範な戦場の全貌をよく呑み込んだ大胆不敵な戦術(航空機の全力投入)で2隻の空母を駆使して指揮「赤城」、「蒼龍」を撃沈したレイモンド・A・スプルーアンス少将のような軍人がわが陣営にあったなら、と思わずにはいられない。


けふ大暑「退会したユーザー」が気になるミクシィかな 蝶人



Saturday, July 21, 2012

森史朗著「ミッドウェイ海戦第一部」を読んで




照る日曇る日第524

真珠湾の奇襲で大戦果を挙げたばかりの世界に冠たる大日本帝国艦隊が、そのおよそ半年後の1942年6月5日の中部太平洋沖でいったいどうして主力空母4隻撃沈という惨憺たる敗北を喫したのかかねがね疑問に思っていたので手に取ったのが本書である。

 著者によれば、本来なら永野総長指揮下の軍令部がこうした大きな作戦を企画立案するはずが、真珠湾のお手柄で山本五十六の存在が圧倒的に大きくなったために永野が遠慮し、下部組織の連合艦隊側の発言権が増大していたそうだ。

 そしてその幕僚では山本が偏愛する奇人変人の黒島主席参謀が独走し、山本はそれを放任していたという。また海軍全体でミッドウェイで敵空母と一戦を交えようとするコンセンサスなどはまるでなく、そもそも山本が望んでいたのは「ハワイ占領戦」であり、時代遅れの「戦艦」大和に自らが座乗してミッドウェイに乗り込むなど望むところではなかったという。あまつさえ彼は艦隊の一部を割いてアリューシャン方面に派遣し、あってはならない戦力の分断の愚を自ら犯していたのである。

 しかしいずれは圧倒的な米軍の前に膝を屈する日が来るにしても、それを一日でも遅らせ、講和に持ちこむチャンスを憎大させるために、ここで敵空母を徹底的に叩いておかねばならぬ。そういう思いでは各自の志操は共通していた。しかし山本はその指揮下の南雲忠一第一航空艦隊司令官とは不倶戴天の間柄であり、その他日本海軍首脳相互と各幕僚たちの連携は米軍のそれにくらべても悪かった。

ちなみに彼我の戦力を比較してみると日本海軍は空母・戦艦の数、高速艦隊の機動性、戦闘機と搭乗員の優秀性で上回っていたが、敵がフルに活用しているレーダーはなく対空火器が不十分で航空機の防弾・火災対策がなされておらず、なによりも、「策敵と情報収集」に対して驚くほど無神経で無為無策であり、結局これが致命的な敗戦の要因になったといえる。

とりわけ最新型の策敵機を持ちながらそれを活用せず、空母直掩機を一艙当たり僅か3機で良しとした航空甲参謀源田実や参謀長草鹿龍之介、「攻撃機の半分は魚雷装備で待機せよ」という連合艦隊司令長官自らの命令を、かつての真珠湾への第2次攻撃と同様に無視した南雲一航司令官の罪は大きい。ちなみに著者によれば南雲は軍人にあるまじき小心者であった。

初戦の大勝におごり、なんの客観的な根拠もなく「鎧袖一触敵をほふる」などと豪語していたわが軍の指導層の恐るべき傲慢と無知と夜郎自大、意思不統一と内部対立と混乱がこれほどひどいとは知らなかった。


死刑廃止すれば道連れ殺人あきらめて一人静かに死んで呉れるか 蝶人

お知らせ 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う
 このうたが本日の「日経歌壇」岡井隆氏選の3席に入りました。


Wednesday, July 11, 2012

シェーカル・カブール監督の「エリザベス」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.276


エリザベス女王をケイト・ブランシェットが、スコットランドのメアリー女王をファニー・アルダンが演じているが、後者は前者より年齢が若いのでこの配役はおかしい。むしろ逆にした方が良かったかもしれない。

それに波瀾万丈のエリザベス女王の生涯を描くのにメアリーの処刑に触れずに済ませているのはもっとおかしい。

また彼女の生涯の恋人がロバート・ダドリー卿であったことは事実だが、この映画では彼女がロバートとのセックスに夢中になる有様を侍女たちにのぞき見させており、これがどうして「処女王」なのか理解に苦しむのである。

メアリー女王と共謀したノーフォーク卿の陰謀にロバート・ダドリー卿も加担したように描かれているが、その事実はないし、恋人を失いながらも英国と国民を夫とする処女王として悲愴な決意で能面のような顔を晒すラストシーンで流れるのは、なんとモーツアルトのレクイエムであるのには苦笑の他はない。それまで劇中で使用されていたのは同時代の音楽なのだから、せめて少し時代が下がるがパーセルなどを流すべきだろう。

それより何より私はロバート・ダドリー役のジョセフ・ファインズの顔が死ぬほど嫌いなので吐き気をこらえながら2時間我慢して眺めていたのであった。


被災地より昨日着きたる柴犬次郎我が家のムクに生き写しなり 蝶人

Friday, May 25, 2012

「山本周五郎戦中日記」を読んで




照る日曇る日第516回


本書には1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃の日から1945(昭和20)年2月4日までの日記が全文復刻されている。

当時彼は38歳。東京大森の馬込文士村に居を構え、連夜の空襲の中を防空壕と行き来しながら代表作となる「日本婦道記」などを雑誌に連載していたようだが、空襲を今か今かと待ちながら彼は「鉄兜をかぶって玄関先で小説を書き」、空襲警報が鳴ると組長として隣組を駆けずりまわって避難させ、敵機が去るとまた原稿用紙を広げ、ヒロポンを打ちながら徹夜して書きまくという日々が続くのである。

この頃の出版社は用紙が配給になり短編の依頼ばかりだったようだが、作家は愛する妻子のために、否それ以上に鬼畜米英と戦う祖国と同胞のために、彼の最善の小説を書くことをもって彼の戦争とみなしている。ここでは書くことが最前線で敵と砲火を交えている兵士の戦闘と完全に等価になっており、空襲で死ぬことも恐れぬ文字通り「決死の文学戦争」が書斎で戦われていたことが分かる。

 昭和19年11月9日には「スターリンが革命記念日に日本を侵略者と断言した。この事実の重さを責任者は正当に理会しているのか」という記述があるが、著者の願いも空しく当局はソ連に対する備えを怠り、昭和20年8月の対日宣戦と南樺太や北方領土の不法占領を許したことを我々は記憶し続けなければならない。

 「己には仕事より他になにものも無し、強くなろう、勉強をしよう。
 己は独りだ、これを忘れずに仕事をしてゆこう。
神よ、この寂しさと孤独にどうか耐えてゆかれますように」(昭和19年10月19日)

「しっかり周五郎」と綴った著者だったが、この日記が終わったあとの3月には東京大空襲で長男が行方不明となり、5月には愛妻を喪う。作家の命懸けの戦いは、その後も長く続いたのである。


過去に向きあうなんてそんな恐ろしい事あっしにはできまへん 蝶人


Tuesday, September 20, 2011

トマス・ピンチョン著「競売ナンバー49の叫び」を読んで


照る日曇る日第454

佐藤良明の懇切丁寧な翻訳と注解に導かれて、今回はかろうじて最後まで読みおせたが、いったいこれは何なんだ。

熟れた人妻がサンフランシスコの黄昏をダシール・ハメットの探偵小説の主人公のようにさまよい始めるが、その彷徨はセリーヌの夜の果ての旅路よりも謎めいて不可解だ。

かつて淡く付き合っただけの大物実業家がヒロインに委託しようとした膨大な南加の土地、株、切手コレクション……。その莫大な遺産は、とうとうアメリカ合衆国全体へとふくれあがる。

他方では12世紀以来北イタリアに居住していたタッソ家が16世紀にブリュッセルで開始した郵便事業が次第に欧州全域に拡大し、フランスでの事業完遂を達成するためにかの仏蘭西大革命まで引き起こした!そうなんだが、野心的な一族はアメリカ大陸へも進出しようとして、ここ桑港一帯で数多くの国家権力と人民大衆を巻き込んだ一大陰謀が繰り広げられるのであるんであるんであるう……。

どうだ、驚いたか! この奇妙奇天烈荒唐無稽の阿呆馬鹿小説の野放図さに!

しかしこの古今東西にわたる複雑怪奇な世界を、形而上学的超高層から非形而上学的最深部に至るまで小さな大脳前頭葉一個で大精査想像創造し、ちびたトンボ鉛筆ただ一本で書きに書き殴るピンチョンの旺盛な作家根性には脱帽の他ない。

介護とは終わりなき自己犠牲らし秋海棠 蝶人

Monday, September 12, 2011

東博の「空海と密教美術展」を見物して


茫洋物見遊山記第63

国宝・重文率98.9%という惹句につられてはるばる上野の森に出かけてはみたものの、猛烈な暑さと人の波で早々に退散。曼荼羅のパワーを浴びてくたびれ果てた心身が甦るどころか、もう少しで卒倒するところだった。

だいたい私は仏教に興味はあっても、そもそも密教とか曼荼羅なんかにてんで興味がないのであった。司馬遼太郎の最良の本を読んで以来人と宗教家としての弘法大師には興味を抱いてはいたが、どちらかといえば今でも伝教大師のほうが好きである。

中国から直輸入した密教の極意をライバルの最澄にすべて伝授するのを嫌がる空海の権謀術数も嫌いだし、彼の政治的策動も忌まわしさの限りだし、ついでにいえば彼の書も三筆などと世間でらあらあ騒ぐほど大したものとは思えない。

平安の二人の偉大なる宗教家死してのち現代に至る日本仏教の系譜において人々に圧倒的な影響を及ぼしたのは空海と真言宗ではなく最澄と天台宗であったことはよく知られているが、にもかかわらず平成の善男善女がこの「お大師さん」に限りない親和を感じていることだけは当日の雑踏に振り回されながらよく体感できた。

今となっては空海も最澄も、後代の法然と親鸞に否定され、乗りこえられることにおいて絶大な意義を発揮した過去の宗教思想家であろう。

蟷螂に喰われながら鳴く油蝉 蝶人

Sunday, July 24, 2011

ベルンハルト・シュリンク著「週末」を読んで


照る日曇る日第447

60年代の後半から70年代にかけては左翼の武装闘争が全世界で荒れ狂った。日本では赤軍派などは牢屋に入れられたままだが、ドイツでは少しずつ釈放されているらしい。

本書は当時のドイツの資本主義の中枢にいた財界人などを殺した赤軍派の元リーダーが既往を悔いて出獄した直後の週末に起こったさまざまな事件と波紋を描いているが、こう要約しただけでこの小説の作者の魂胆が見え透いてくるようで私などは非常にいやな感じがする。

まず、かつて輝けるテロリストだった男が大統領の恩赦を受けて20年振りに出所してくるというので、彼の恋人兼母親のような姉が彼女の別荘に男の旧友を呼び集めて慰労会?を催す、などという設定が小説としても不自然である。

普通はどんな親友にも知らせず、1年くらいは心身の疲れを癒し、新たな社会復帰の準備をするのが世間の常識だと思うのだが、911について思いを巡らせる英語教師!やら、弁護士、この男に振られた過去を持つ女性ジャーナリスト、聖職者、男を闘争のシンボルに担ぎあげようともくろむ左翼の生き残り、しまいには行方不明だった男の息子まで乱入してきて、ドイツ赤軍派の思想と行動を金土日の3日間でいっきに総括しようと意気込むのだが、それって相当無理だよね。

こういうありそうで絶対にない都合のよい図式とお下劣な主題の設定そのものが、昔ながらの通俗読み切り三文赤小説であることに著者は最後まで気づかず、あたかも今世紀最大の深刻な思想小説であるかのように粋がっているから始末に負えない。

もちろんかつてのテロ行為を攻撃したり非難したり自己批判を要求したり、さらなる権力闘争への加担を呼び掛ける人物やテロリストをあの時代の「空気」では当然のことだったと擁護する人物なども続々登場して、これを映画や芝居の群像劇に仕立てたらかなり面白いとは思うが、主人公の病気で主人公への肉薄が全て放棄されるなどすべてがご都合主義のポンチ絵であり、ここに芸術的な真実が吐露されているとは到底思えない。

そもそも当時法学部の学生でたった2回だけデモに参加した男がドイツ赤軍派についてどれだけのことが書けるというのか? 君は売れそうな題材ならなんでも書くのか?

すべてはベストセラー作家の次なるベストセラー小説へのマーケテイングの空虚な試みにすぎない。

親子丼食えば死んだ鶏を食うておる心地す 蝶人