Monday, September 12, 2011

東博の「空海と密教美術展」を見物して


茫洋物見遊山記第63

国宝・重文率98.9%という惹句につられてはるばる上野の森に出かけてはみたものの、猛烈な暑さと人の波で早々に退散。曼荼羅のパワーを浴びてくたびれ果てた心身が甦るどころか、もう少しで卒倒するところだった。

だいたい私は仏教に興味はあっても、そもそも密教とか曼荼羅なんかにてんで興味がないのであった。司馬遼太郎の最良の本を読んで以来人と宗教家としての弘法大師には興味を抱いてはいたが、どちらかといえば今でも伝教大師のほうが好きである。

中国から直輸入した密教の極意をライバルの最澄にすべて伝授するのを嫌がる空海の権謀術数も嫌いだし、彼の政治的策動も忌まわしさの限りだし、ついでにいえば彼の書も三筆などと世間でらあらあ騒ぐほど大したものとは思えない。

平安の二人の偉大なる宗教家死してのち現代に至る日本仏教の系譜において人々に圧倒的な影響を及ぼしたのは空海と真言宗ではなく最澄と天台宗であったことはよく知られているが、にもかかわらず平成の善男善女がこの「お大師さん」に限りない親和を感じていることだけは当日の雑踏に振り回されながらよく体感できた。

今となっては空海も最澄も、後代の法然と親鸞に否定され、乗りこえられることにおいて絶大な意義を発揮した過去の宗教思想家であろう。

蟷螂に喰われながら鳴く油蝉 蝶人

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