照る日曇る日第456回
「女は俺の成熟する場所だった」という、ここに記すだに気恥ずかしい小林秀雄の顰にならって、このたび著者が用意したのは、希代の気狂い監督ゴダールの変貌常ならぬ思想と映像哲学を、もっとも分かりやすい物差しをあてがってぶった切ろうという手法で、これがある程度ハマッっているのは同慶に堪えない。
まずは「勝手にしやがれ」で一躍ヌーヴェルヴァーグのヒロインとして世界的に名を馳せたジーン・セバーグちゃん。黒人解放運動にかかわった彼女は謎の非業の死を遂げたが、若き日のゴダールのミューズであったことは間違いない。
デンマークから赤いスカートでふわりと巴里に舞い降り「気狂いピエロ」で一世を風靡した超キュートな現役アイドル、アンナ・カリーナとの嵐の4年間が破綻すると、お次はフランソワ・モーリアックの孫娘で現在フランスを代表する作家となったアンヌ・ヴィアゼムスキー選手。ゴダールと結婚した彼女は毛沢東思想にかぶれた「中国女」を演じさせられた。
あほばかヤンキー娘のジェーンフォンダ嬢を挟んで、お次は70年代から40年間にわたって現在までゴダールに圧倒的な影響を与え続けているアンヌ・マリ・ミエヴィル女史。極左冒険主義のドツボにはまり生と芸術の隘路で立ち往生していた孤独な主人公を救済したのは彼の同伴者にして師、批判者にして愛人である聡明な美女であった。
ひとたびは死んだゴダールをよみがえらせ、新たな創造の火を点火させた最大最高にして最後の女神こそ1985年製作「マリーの本」の女流監督なのであった。
おいらの最後の女それはアンヌ 僕ちゃんを見捨てないでねえとゴダールが泣いた 蝶人
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