Saturday, September 10, 2011

町田康著「残響」を読んで


照る日曇る日第453

夭折の天才詩人、中原中也に詩にことよせてパンク音楽文芸家が短いコントを添付している書物だ。

その安直な発想と投げやりな編集のあり方に激怒したおらっちは、思わず本書を虫干し中のCDだらけの狭い書斎に投げ出そうとしたが、待て待て捨てる神あれば拾う神もある。

中也の詩編を再読するだけでも真夏の真昼の快楽ではないかと考えなおし、はらはらとページをはぐれば、でてくるは出てきたは珠玉の詩歌のありがたき言の葉の数々。まずはゆるりとご唱和あれ。

―雨が、降るぞえ、雨が、降る。今宵は、雨が、降るぞえな。

―チョンザイチョンザイオイーフービー 俺は愁しいのだよ。

―僕は知ってる煙が立つ 三原山には煙が立つ

―私はもう歌なぞ歌はない 誰が歌なぞ歌ふものか

 みんな歌なぞ聴いてはゐない 聴いているやうなふりだけはする

―テンピにかけて焼いたろか あんなヘナチョコ詩人の詩

―マグデブルグの半球よ! おおレトルトよ! われ星に甘え、われ太陽に傲岸ならん時、汝等ぞ、讃ふべきわが従者!

―袖の降り合ひ他生の縁 僕事、気違ひには御座候へども 格別害も致し申さず候間

―いとしい者の上に風が吹き 私の上にも風が吹いた

―ああ神よ、私が先づ、自分自身であれるやう 日光と仕事とをお与へ下さい!

―俺はおもちやで遊ぶぞ 一生懸命おもちやで遊ぶぞ

 さすがに詩の選択あやまたずといえども、君の感想文は愚劣そのものだ。

夏が逝きわが泉ひとつ涸れにけり 蝶人

No comments: