Wednesday, September 14, 2011

相米慎二監督「セーラー服と機関銃」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.145

2001年に53歳で早世したこの四トロ出身の映画監督にはもっと多くの作品のメガホンをとってもらいたかった。私は彼が一流の映画監督だとはさらさら思わないが、「台風クラブ」「魚影の群れ」などに顕著な映像アナーキズムにはおおいに惹かれるのである。

日常の平静と秩序にいら立ちを覚える彼は、それを根底から覆す嵐や騒乱などの非日常的な光景とそれに翻弄される群衆の卑小さを描くことを好んだ。世界のいたるところで洪水よ起これ。しかるのちに新しき世は訪れん、こそは彼の人世哲学であり、彼の執拗な長回しやら人物の代わりにどうでもよいセットの小物へのフォーカス、かと思えば遠大な俯瞰、痙攣的に激動する移動撮影こそ彼の生理的なアナーキズムの反映であった。

本作ではどこにでもいる普通の女子中学生がヤクザの親分になって機関銃を連射し快感を覚えるが、これこそ原作者の赤川次郎と相米慎二の見果てぬ夢であり、この安直なカタルシスは1981年の本邦の微熱社会がもっとも必要としていたたぐいのものであった。

薬師丸ひろ子が唐突に主題歌をうたい、新宿伊勢丹前の雑踏でモンローの真似をしてスカートをメトロの疾風に舞い上がらせるところに相米流のアナーキーが発露されているが、

私がこの映画でもっとも好むのは、風祭ゆきと渡瀬恒彦の激しいファックシーンであることはいうまでもない。

 しかし残念ながら三里塚の争闘が完全に収まった1998年に製作された「あ、春」では、彼のゆいいつの個性的な特色であるこのエロスとアナーキズムは完全に姿を消してしまっている。

東電から20年間400億もらったことを忘れたりして 蝶人


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