Thursday, September 15, 2011

ウイリアム・ワイラー監督の「大いなる西部」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.146

この映画のことを初めて知ったのは1958年の秋か冬で、お隣の火星社書店の店頭に並んでいた研究社の「英語青年」を立ち読みしていたときだった。

東部からやって来た船乗りのグレゴリー・ペックが清潔可憐なジーン・シモンズが所有する広大なテキサスの牧場を買いたいと申し出る。シモンズがそれでは敵対する2つの陣営の争いが激化するのではないかと躊躇すると、ペックが「アイアム・マッケイ。ジム・マッケイ」と言ってたとえテリル家の娘婿になっても義父の言いなりにはならないと意思表示する箇所のシナリオが和訳付きで紹介されていた。

原題はテキサスの広大さを誇示する「ザ・ビッグカントリー」であるが、東部の船乗り出身であるペックは、テキサスより広い海を知っているし、テキサスのあらくれ男よりもインテリで肉体も頑強である。そして旧来の陋習に囚われて私利私欲を追及するアホ馬鹿ガンマンのただなかに丸腰で割って入って結局諸悪の根源である頭目の親分を一騎打ちに追い込んで平和をもたらすという謙虚にしてビッグな男である。

それなのに婚約者のファザコン娘カロル・ベーカーは彼の素晴らしさを見抜けずとうとうシモンズに取られてしまうのだが、そういう浅はかな女に惚れたペックもあほである。

阿呆と言えばアホ馬鹿息子を持った父親の悲哀を存分に演じ切ったビア樽男バール・アイヴスの好演がジェローム・モロスの主題歌、ソウル・バスのタイトルデザインと共に忘れ難い。

以上を要するに、海と陸、西部と東部、正義と悪、首領と手下、支配者と被支配者、自然と人間、男と男、そして男と女の対立とひとときの宥和を悠揚せまらぬ巨大なスケールで描いた西部劇の傑作である。

     死に場所を選ばぬ蝉の潔さ 蝶人

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