Friday, September 23, 2011

青柳いづみこ著「グレン・グールド」を読んで


照る日曇る日第455

グールドといえばバッハのゴルトベルク変奏曲だが、彼を世界的に有名にした1955年の録音は我が国でも吉田秀和氏のみのすぐれた聴力によって正しく評価されたわけだが、その前年の録音ではグールドはまったく別の解釈で同曲を演奏している。

前者ではご存知のようにスタッカートの鋭い刻みが強調された快速で疾走する即物的な演奏が旧態依然たるバッハ像を刷新したのだが、後者ではもっとテンポを落として自然に旋律を歌い込んでおり、いきなりこれを聞かされてグールドと言い当てる人はいないだろう。そして1981年の彼の最後の録音ではこれがもっと遅くなりほとんどロマンチックな演奏へと変身している。

1957年にカラヤン・ベルリンフィルとライブ演奏したベートーヴェンのピアノ協奏曲3番と、その2年後にバーンスタインとスタジオ録音した同曲とを聴き比べてもずいぶん違うし、1964年に完全にコンサートをドロップアウトする前とその後のグールドの演奏はもちろん全然違う。

ではいったいどの演奏が本当のグールドなのだろうか?

彼のありとあらゆる演奏、特に未発表のそれを丹念に聴きながらその正体を探り出そうとする著者の追及の手は、同業のピアニストらしく繊細にして苛烈であり、読者の関心を引きつけてやむことがない。

例えば後期ロマン派の音楽、とりわけシュトラウスを好み、若き日にはショパンを鮮やかに弾きこなしたグールドだったが、強大なフォルテを叩きだすべき右手の小指の肉が薄いうえに、彼の恩師ゲレーロが教えた「指先だけで弾く奏法」が仇となって、巨大なコンサートホールでリストやブラームス、チャイコフスキーなどのロマン派の大曲から遠ざかったと著者はいう。

身体の負荷のかからないバッハなどの演奏を、彼の大好きなロマンチックな解釈をあえて禁じて時流に先駆けた超クールでドライな高速ノンレガート奏法を採用したのは彼の音楽家としての戦略であり、この肉を切らせて骨を断つ捨て身の戦法が、「録音音楽家」としてのグールドのユニークな生き方をかろうじて成立させたのだろう。

無数の制約にがんじがらめにされ、その場限りで消えていくコンサート演奏ではなく、スタジオで録音した音楽をハイテクを駆使して独力で自由自在に編集・創造していく未来音楽の第一歩を、この天才は半世紀前に実践していたのだった。

玄関の鈴ピンポンと一回だけ鳴る夜もあり 蝶人

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