Wednesday, July 30, 2008

2008年文月茫洋詩歌集

2008年文月茫洋詩歌集

♪ある晴れた日に その31

現実を知れば知るほど身軽に動けぬこの矛盾をいかにすべきや 

わが名と同じ亡羊という歌人を見出したり致し方なく今日よりは茫洋とせむ 

Only connectただつながれといいしは英国文人E.M.フォスター 

かまくらのはちまんさまのげんじいけしろはすにむかいてあかもさきおり 

中国銭を鋳りて生まれし鎌倉大仏 

品川のホームに聳える超高層神なき真昼にガラス輝く 

こんな監獄で働いて何がうれしいのかよ超高層に蠢く死せるアリたち 

こらあ父にアホ笑いするなと怒鳴りつけ自閉症の息子に投げしは春樹訳「熊を放つ」上下巻 

今日もまた自閉の息子が描いている関東平野全線路線図 

ムクはムクはムクはムクはムクはムクはムクはムクはムクはムク

実存は本質に先行するや否やと考え込みしは30年前 

沿線の紅いカンナの命かな 

セオリーの真白きパンツをはきこなす背高き女性の尻のかたちよ 

山手線停まるやいなや突入す若き男のさもしき心よ 

妻は大蛇を我は子蛇を見き 同じ日の朝と夜とに アマグモをあめぐもと呼びしNHKを切る

ファッションを扱う小さな広告代理店ありませんかと問いかける女子大4年生 

たった一度も授業に出なかったくせに試験日はいつですかと尋ねる女子大生 

あと一日出席足らぬ学生の哀願を心を鬼に退けて去る 

息を吐くと布袋腹が出る この中には何が入っているのだろう 

ダガーナイフに罪はない ダガーで刺すやつが悪い 

アフリカ人も中国人もフランス人もブラジル人も日本人も浮かんでいるよ由比ガ浜の海

翡翠飛びニイニイ鳴き今日からは私の夏だ 

今度の戦争のためにでっかい戦車が通れる道路を作っているんですと道路工夫語る 

二十年苦楽を共に働きしが住友不動産原宿ビルに変わり果てたり 

ファンドなどと英語でカッコつけてるが我利我利亡者の仕事なりけり 

Tuesday, July 29, 2008

安田次郎著「走る悪党、蜂起する土民」を読んで

照る日曇る日第142回

足利尊氏の執事として権力をほしいままにした高師直は、四条畷の激戦で楠木正行を戦死させ、一時は尊氏の弟直義が逃げ込んだ尊氏邸を大軍で十重二十重に取り囲んだほどの勢いを見せた。

師直は夜な夜な貴族の家に忍び込んで評判の娘を誘拐してはその貞操をほしいいままに蹂躙していた典型的なバサラ大名で日本史上有数の好色な武人だった。

あるとき美人の誉れ高い出雲守護佐々木塩冶判官高貞の妻に横恋慕した師直だったがまったく相手にされない。いつもならお得意の夜這いと暴力に訴えるのだが、考えた挙句に「兼好と云ける能書の遁世者を呼び寄せて」ラブレターの代筆を頼んだ。「徒然草」の兼好法師はどうやら当代一のゴーストライターとして知られていたらしい。

ところがせっかくの名文なのに高貞の妻は開封すらせずに捨ててしまったので、師直は怒り狂って「今日よりその兼好法師、是へよすべからず」と出入り差し止めにしてしまったという。
兼好にすれば、彼女が読んでくれさえすれば色男になびかせる自信もあっただろう。彼女が読まないのに自分を首にした師直に対しては頭にきたのではないだろうか。
しかし権力者の要請にこたえて恋文を書いてしまう吉田兼好の姿は、独立不羈な「徒然草」の世界を知るものにとってはいささか意外の感もしないではない。

今日もまた自閉の息子が描いている関東平野全線路線図 茫洋

Sunday, July 27, 2008

続々 網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで その3

続々 網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで 

照る日曇る日第141回


「百姓」とは文字通り百の職業・職種の民を指すのに、いつのまにやらそれが「農民」だけを意味し、都市の商工業者や漁民や山民を排除し、あまつさえ差別するようになったと網野は執拗に説いた。

たとえば養蚕業者は稲作農耕とは無関係なのに、いまなお養蚕農業というカテゴリにー取り入れられ、農民の仲間とされているのは果樹農家という用語と同様に奇妙な話である。

養蚕の原料となる桑は漆と同様弥生時代以降全国で生産され、主に女性の手で生産・販売された。それは稲作のそれが主に男性によって担われたことと好一対をなしていると網野はいう。

女性はまゆや糸や絹を自らの宰領で商人に売り渡して自らを飾り、自らの収入とし、夫の家業の農業が不振な年には、ルイス・フロイスが安土桃山時代に証言しているように、「妻が夫に高利で貸し付けていた」。

その後わが国で発達した工業制工業の時代にあって、富岡の製糸業や綾部の郡是製糸などが花形産業として活躍するようになるが、その主要な担い手はやはり2000年以上の養蚕・製糸の技術を持つ女性たちであった。

それにもかかわらず、彼女たちの力量は正当に評価されずに「女工」とさげすまれ、かずかずの哀史がいたるところの野麦峠で繰り返されるようになったのはどうしてだろうか。

このように遠い昔の歴史を掘り返してみると、社会の中で女性の占める位置がもっとも高くなったのが現代であるとは、いちがいに言えないようである。


二十年苦楽を共に働きしが住友不動産原宿ビルに変わり果てたり 茫洋

Friday, July 25, 2008

続 網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで 

照る日曇る日第140回

私たちは、そも何のために、何に忠義立てして、重厚長大な国家という鎧兜を身にまといたがるのだろうか。恐らくは己の魂に自恃がないからだろう。

と、これは私のひとりごと。

それにしてもこれから日本はどこへ行くのだろう。私たちは日本をどうすればいいのだろう。

今を去ること遠くない時代に、この国の理想は「東洋のスイス」であると語った人もいた。

またある痴人は、日本という国家を解体し、アジアの南極にすることが生涯の夢であるという。特定の国家権力と戦力がない永世中立世界万民公有自由通商地域にしようというのである。さうしてそれが実現不可能ならば、廃藩置県ならぬ「廃国立県」を行なって江戸時代の昔に戻ろう。「統一と団結」から「孤立と自由」へ、「集権」から「分散」へ向かおうというのである。

思うに、少なくとも沖縄・東北・北海道はいますぐ独立すべきだろう。そのほうがけっきょくお互いの仕合せになるだろう。さもなければこの奇妙奇天烈な国家は、勝手に暴走して人民をまたしても鉄のくびきで緊縛し、最後にはお得意の「自衛のための侵略戦争」をおっぱじめるにちがいない。

と、わが親しき三年寝太郎は、このときばかりは目を山猫のようにらんらんと光らせて熱く語るのであった。

♪あと一日出席足らぬ学生の哀願を心を鬼に退けて去る 茫洋

Thursday, July 24, 2008

網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで 

照る日曇る日第139回

日本について考えたり、議論する前に、日本という言葉とその内容にこだわらなければなるまい。「日本」という称号が歴史に初めて登場するのは7世紀末の689年制定の飛鳥浄御原令からであり、ほぼ同じ頃に「天皇」なる称号も誕生したと著者はいう。

すると、倭の国の王が存在したことはあっても、神武から天智までの天皇は存在せず、「縄文・弥生時代の日本人」などはそれ自体が形容矛盾でありナンセンスな表現であることになる。

「日本」にしても「天皇」にしても、それは始まりと終わりのある単なるひとつの歴史的存在にすぎないのに、私たちはそれらが格別に重要・重大な名称や存在であるかのように錯覚しているのではないだろうか。

日本と日本国の明確な定義すらできていないのに、日本人論だの日本文化論だの日本国民国家論がにわかに成立するわけがないとも、著者はいう。

著者によれば、日本、日本と一口にいうが、日本が孤立した島国で一元的に水田稲作に特化した瑞穂の国であり、万世一系の日本民族という単一民族が作り上げた単一国家であるなどという幻想は、とっくの昔に打ち砕かれている。

縄文人、弥生人の昔はさておくとしても、列島にかろうじて成立したのは本州西部を基盤とした倭人が住む「ヤマト国家」だけであって、もともと北海道はアイヌ王国、沖縄は琉球王国、東北と九州南部は完全な別国家であった。

それだけではなく、本州本体の東部は源頼朝が確立した「関東国家政権」であり、京の西部政権とは別の政治的経済的文化圏を構成していた。ヤマト国家ですら異質で敵対的な要素を内部にはらんだ2重権力国家であった。それらを長い時間をかけて名目だけのパッチワーク&アマルガム体制にもちこんだのが現在の日本国と日本民族なのである。

それなのに私たちはどうして誰一人確証できない日時に「建国記念日」を祝ったり、陰気な短調の和旋律を無理矢理起立して唱和するひつようがあるのだろうか? 
私たちは毎日服装を取り替えるように、いつだって国名や国歌や象徴天皇制を自由に改変・改廃してもいいのである。


今度の戦争のためにでっかい戦車が通れる道路を作っているんですと道路工夫語る 亡羊

Tuesday, July 22, 2008

プロムス2008はじまる

♪音楽千夜一夜第40回 

この夏もロンドン恒例の音楽祭プロムス2008が始まった。第114回目のヘンリーウッド・プロムナードコンサートの開幕である。

これからおよそ2ヶ月間毎日毎晩何千何百というコンサートをライブ中継で聞くことができると思うと、なにがなしにうれしくなる。

初日はおなじみロイヤルアルバートホールからの中継で、ルイジ・ビエロフラーベック指揮BBC響によるリヒアルト・シュトラウスの「4つの最後の歌」(クリスチン・ブリュアー独唱)、モーツアルトの「オーボエ協奏曲」(ニコラス・ダニエル独奏)などを聴いたが、オーボエがよい音を出していた。指揮者は昔から三流の人だが、三流だってべつに悪くはない。私もようやくそういう悟りの境地に達しました。

しかし何千マイルを隔てて聴くこの巨大ホールの音の素晴らしさは、有楽町駅前や渋谷区神南の最悪音響犬小屋空間の比ではない。なによりも音楽を愛するロンドン市民の心の鼓動に触れるよろこびがある。
そのほかのプログラムは、これまでにピエール・ローラン・エマールの素敵なシューマンのピアノ曲やチョンミュンフン指揮ラジオフランス響によるサンサンスの交響曲オルガン付きなどを聴いたが今年もなかなか楽しめそうだ。

ともかくソロもオケも世界各国から古参、新進気鋭のめぼしいものがどんどんやってくるので連日のプログラムから眼を離せない。内田光子とアルゲリッチのピアノはいつも素晴らしいが、去年は長年にわたって低迷を続けていたポリーニが久しぶりに光彩陸離たる演奏をやってのけたのでちと驚いた。どっこいミラノの孤高の天才はしぶとく生き延びていた。どうか今年も世界一うるさいロンドンの聴衆と惰眠をむさぼる小生のロバの耳を驚かせてほしいものだ。
なおプロムスにはクラシックだけでなく詩の朗読プログラムもたくさんある。


♪翡翠飛びニイニイ鳴き今日からは私の夏だ 茫洋

Monday, July 21, 2008

由比ガ浜で泳ぐ

♪バガテルop69

 夏は海に限る。昨日も今日も夕方近くの由比ガ浜で消夏した。

今年は南風に吹き寄せられた赤い海草が海岸近くにうごめいているのが気になるが、少し沖に出れば消えうせてしまう。昔はこうやって泳いでいると体にボラだのがこつんこつんと体当たりしてきて心地よかったものだが、最近はあまりそういう体験がなくなった。

けれど海は海だ。
泳いでいると、ここが吾等人類の発祥地であると体感できる。
毎日のように日替わりで起こる人殺し事件も、それらを朝から狂ったように報道しているマスコミも、それらすべての原因をおのれ一人が分かったつもりでしたり顔にロン評しているさかしらな人たちや目前に迫った仕事の締め切りなんぞもすべて忘れはて、寄せては返す相模湾の穏やかな波にぽっかりと浮かんでいた。

それから陸にあがって寝転んでいると、日本人だかブラジル人だかよく分からない若者たち数人がサッカーの模擬戦をしていて危ないので、「馬鹿者、こんなところでサッカーなどやめろ」と注意したが、「済みません、済みません」と口先で言うだけでいっこうにやめない。

良識は無理だとしても、最低限の常識さえ持ち合わせない手合いが日々増殖しているようだ。家に帰ってからピエール・モントウー八〇翁指揮ロンドン響の演奏でラベルを聴いていると、おおいに清了されちまった。
♪アフリカ人も中国人もフランス人もブラジル人も日本人も浮かんでいるよ由比ガ浜の海 

Saturday, July 19, 2008

コクーンの建築

勝手に建築観光31回

9/11の同時多発テロ以降も、コクーンニングcocooniningの思想はしぶとく息づいている。

私たちはその証左を渋谷東急文化村のシアターコクンや埼玉県大宮市の商業施設コクーン新都心といったネーミング、さらには最近新宿西口に建設中の東京モード学園コクーンタワーや北京五輪メーン会場の建築デザインにもその格好の例を見出すことができる。

北京国家体育場は、プラダ青山店やドイツのワールドカップのメイン競技場、ロンドンのテートモダン美術館などを設計したスイスの有名な建築家デユオ、ヘルツォーク&ド・ムーロンによるものであり、すでに「鳥の巣」の愛称で親しまれている。

またモード学園のコクーンタワーは、名前どおりの繭とも見え、直立させた鳥の巣のようにも見えるが、北京と新宿のいずれもがけっして内に閉じこもらず、外部に向かって威圧的に聳えているようだ。

9/11の同時多発テロ直後のコクーンニングcocooniningの思想が、ともかく安全無害な隠れ家に逼塞しようという温和で後退的な負の姿勢であったのに対して、およそ10年を経て建てられたこの2つの巨大建築では、己の領分と身の安全をしっかりと守りながら、外部世界(先進西欧諸国や競合専門学校)に対して激しく自己を誇示しつつ攻め込み、切り込む姿勢をするどく表明している。

遠くから眺めるその姿は、「繭」や「巣」という平和的な名称とは裏腹に、盾と矛を備え、和戦両様にすばやく対応する現代戦士の象徴のように、私には映るのである。



♪ダガーナイフに罪はない ダガーを持つやつが悪い 茫洋

Friday, July 18, 2008

コクーンの歴史

ふあっちょん幻論第22回 

繭には家蚕と野蚕の2種があるが、そのいずれにも不可思議な効能が秘められていることは古代の中国でよく知られていた。

紀元前2600年頃のある日、当時の中国の皇帝の妃西陵が1つの繭を誤って湯の中に落としたことが絹の誕生につながった。そして絹を着ることは美しさだけでなく、心身の健康のために役立つことが分かったのである。

わが国の絹織物は、応仁の乱がようやく終わった焼け跡の西陣を産地として作られはじめたが、明治2年に政府が大阪、のちに京都に開設した舎密局が絹やカイコを近代科学の観点から研究し、これが大きく産業振興に役立った。
さらに1930年代に蛹・糞・繭などカイコの生活史を徹底的に研究した結果、繭やそれを原料とする絹はたんぱくのかたまりで抗菌性があり、絹のガーゼを患部に当てるだけでさまざまな効果があるということが広く知られるようになった。

では最近のカイコ・絹情報をいくつかご紹介しておこう。

カイコは糸を作る際にCO2取り込む。いまはやりの「環境に優しい」生物なのである。

家蚕は「春嶺鐘月」という蚕からとるのが普通だが、京都の老舗呉服商「誉田屋源兵衛」では、皇室の「紅葉山御養蚕所」でしか飼育されていなかった日本原種の希少蚕「小石丸」を使って1着100万の絹織物を生産している。

絹産地である山形県米沢市「クレッシェンド・ヨネザワ」の生地はことのほかシャネルに愛され、毎年のように発注されている。

デザイナーの岡正子は、ハイテク新合繊の自在さと繊細な絹の美しさの両立をめざして糸加工から染めや織、仕上げの精錬加工に至る伝統技術とハイテクノロジーのハイブリッドに挑戦している。

日本伝統のカイコ技術は、海外にも進出している。
インドは生糸生産が年1万4千トンで中国に次いで世界2位の蚕大国だが、JICA国際協力事業団は12年にわたってインドにおける飼育研究を指導した結果、丈夫で長い生糸の生産に成功し好評を博している。この改良型は07年に6700トンまで増産されたが、肝心の日本生糸は年産400トンに急落しているのが残念。

日本・中国のカイコは年2回孵化するが、暑いインドでは5回である。しかしもちろん2化性の方が糸は丈夫で長く、高品質である。

カイコの食草はクワだけだと思っていたが、クヌギ、コナラ、クリも食べるという。今度試してみよう。チョウも複数の植物を食草にしているからこれは考えてみれば当然のことだった。


♪息を吐くと布袋腹が出る この中には何が入っているのだろう 亡羊

Thursday, July 17, 2008

コクーンの時代

♪バガテルop68

2001年9月11日の同時多発テロ以降、世界は変わった。
人々の心に疑心暗鬼が忍び込み、お互いがお互いを無邪気に信じることが出来なくなった。信頼と無垢の時代が終焉したのである。

この年の冬、米国社会では「コクーンニングcocoonining」とか「コクーンニング消費」という言葉が流行した。Cocoonとはチョウやガやカイコが作る繭のことで、繭の中には蛹が入っている。まるで小鳥がぬくぬくと巣の中で眠っているようだということで、「巣ごもり消費」という言葉も生まれた。

いつ殺されるかわからないような危険な場所に出かけず、家族が家内で身を寄せ合って過そう。安全を確保し、家族の絆とささやかな幸せを確認しようとする自己完結的な生活と消費行動がその年のクリスマスには顕著だった。これがその後世界中に流行し、一世を風靡した「癒しとヒーリング」志向のはじまりではなかっただろうか。
「癒されたい」とか「癒された」という甘っちょろい用語が、その用語の使用者の精神の退廃と堕落をあますところなく証明していることはさておくとしても……。

ちなみに01年のクリスマスには、わが国でもクライスラー「愛の喜び」などのヒーリング音楽CDや32000円の銀製スプーンセット、12000円の日比谷花壇の本物のツリーが売れ、DVD、大画面プラズマTV、ホームシアター元年となった。ソニーのプレステに対抗してマイクロソフトの新型ゲーム機「Xbox」発売されたのはその翌年のことだった。

「コクーンニングcocoonining」の元になったロン・ハワード監督のSF映画「コクーン」は1985年に公開されていた。映画宇宙のからやってきたアンタレス星人がフロリダのプールの中に沈めた巨大な繭が、じつは生命の力を回復させる驚異的な能力を持っていて、瀕死の老人たちを救うというあらすじである。


確かに繭には玄妙なエネルギーがある。私の郷里は養蚕業の盛んな口丹波であるが、少年時代の毎日のおやつはカイコの蛹であり、こんがりと炒ったあの素晴らしく美味な蛋白質を摂取することによって貧しい日々の糧を補っていたことを懐かしく思い出す。

コクーンの生命力はアジアの片隅の農村で数多くの勤労青少年とルンペンプロレタリアートを救済していたのである。


♪たった一度も授業に出なかったくせに試験日はいつですかと尋ねる女子大生 茫洋

Tuesday, July 15, 2008

ミクシィ2周年

♪バガテルop67

早いものである。このSNSを畏友やわらかなひかりさんのお導きで開始してから今日で丸2年が経った。その間幾多の見知らぬ友人各位とお近づきになり、かつまた旧友諸賢と久闊を叙す楽しみにめぐり合えたことはまことに近来の快事であった。

やわらかなひかりさん、そしてマイミクの皆々様ありがとうございます。

2年という時間は私にとっては節目の区分である。ライブ通いにしろ、映画見物にしろ、○○にしろ取り付いてから丸2年の間は無我夢中になるが、3年目に入るとだんだんマンネリになり、もう見るのも行くのも面倒くさくなる。いつだったか「恋は2年が命」という珍説が取りざたされたが、人間の飽きっぽさを考えると十分に頷ける考えだ。

だからというわけでもないが、私のSNS通いも当初のういういしさと意気込みを急激に失いつつあるようだ。
しかし先日糸井某コピーライターが「私は吉本隆明さんになんでもいいから10年間ひとつのことを続けたら1人前になれると言われたので10年間毎日ブログを続けてきました」と語っていたのを聞いて、それを言うやつもスゴイが、言われてやる奴も超スゴイ」と思い、もう少しぐあんばってみようかと思い直しているところです。

ついでに私の初めての日記を再録して2周年の記念にすることにしよう。

2006年7月15日

昨夜、近所の和泉橋の傍の木の葉に1匹だけ平家蛍が点滅していた。 一昨日、妻は大蛇を、僕は小蛇を見た。
真っ暗な路上に寝そべるそいつは全身が縞々で装飾されているようだったが明かりが不足して品種は確認できなかった。  今日の午後、散歩道でムラサキシジミを発見。珍しいことだ。  玄関先のパンジーに巣くうツマグロヒョウモンの五齢の幼虫は妻が嫌がるのでその大半を駆除したが、2匹だけは飼ってあげることにした。   妻は大蛇を我は子蛇を見き 同じ日の朝と夜とに   アマグモをあめぐもと呼びしNHKを切る

♪ファッションを扱う小さな広告代理店ありませんかと問いかける女子大4年生 茫洋

Monday, July 14, 2008

真夏のマーラーこの身に浴びて

♪音楽千夜一夜第39回

まだ梅雨だというのにどんどん気温が上がって30度を超えた。まるで真夏のようである。

夏にはマーラーの音楽がよく似合う。ニイニイやウグイスが鳴き、カワセミが笑い、赤いカンナが微風に揺れる風景の中で第10番のアダージヨを聞いているところだ。
ロンドンのBBCのネットラジオはクラシック音楽を伝統的に大切にしているのでじつにうれしい。クラシックだけでも数多くのチャンネルがあり、ポッドキャスティングで24時間オンエアしているが、ここ1週間は6月にロンドンのセントパウロ教会などで開催されたゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団の演奏によるマーラーの交響曲の全曲演奏を楽しんだ。
一昨日は7番、昨日は8番、そして今晩はこれから9番の放送があってチクルスの輪を閉じるのである。

ゲルギエフの演奏は全盛時代の若き小澤を遥かに凌ぐ精力的なものであり、フォルテッシモでは音響最悪のバービカンセンターを揺るがすような轟音を響かせるが、アダージオになれば一転して精妙で優雅な演奏を聴かせる。ヤンソンス、ラトルと並んでいまもっとも旬の指揮者であろう。(ただし残念ながらこの3人ともいずれも私の好みではないが)

ロンドンでのライブは大盛況だったようである。毎晩のように聴衆の大喝采が沸き上がり、それがスピーカー越しに伝わってくるが、演奏が終わってもロンドンの聴衆はわが国のそれとは違ってすぐにブラボーのドラ声を張り上げることがない。

終曲の余韻をしみじみとかみ締め、感動が胃の腑にずしりと落ちる。私たちは終演後の静寂こそが至高の音楽であることを知っているはずだ。

それからおもむろに三々五々両手を打ち合わせ、あちこちで歓声が上がるようになる。よい演奏の場合は、それが時を経るごとに頻度と強度を増していき、やがてそれがシャンシャン7拍子の拍を刻むにいたって歓声と賛嘆は堂に満ちる。また指揮があまりにも素晴らしい場合には、聴衆と演奏家はともに床をどんどん踏み鳴らすことによってその演奏を称える。

また演奏がよくない場合には、演奏直後にブー!の罵声を遠慮なく浴びせかけ、拍手のひとつだって呉れてやることはない。以前パリのシャンゼリゼ劇場でダニエル・バレンボイムがパリ管を振った「ドン・ジョバンニ」では、終演後の毀誉褒貶の嵐が耳を聾せんばかりに凄まじく、賛否が真っ二つに分かれた両派が猛烈なブー!とブラボー!を舞台に向かって10分間以上も浴びせ続けたが、その間作法どおりに右手を垂れて聴衆の評価に身を晒しているバレンボイムはなかなか格好よかった。
演奏家も聴衆も真正面から音楽に向き合っている真剣さと清々しさがそこにはあった。

このような姿こそが、長い歳月と経験を経て世界中で確立された古典音楽鑑賞の奥ゆかしい流儀作法ではなかったのではないだろうか。
ところが昨今のわが国のコンサート会場では、演奏の是非などに無頓着のブラボー屋が跋扈し、演奏がまだ終わらないうちに不気味な蛮声を張り上げる。会場で携帯を切らずに会話する無神経な輩に加えて、こういうアホ馬鹿聴衆が異常なまでに増殖してきた。なかには場内で殴り合いをする豪の者まで登場している。まことに情けなく嘆かわしい事態である。

最近TDKからムラビンスキーやベームの来日公演のライブ録音CDが出回っているが、それに耳を傾けるに、70から80年代前半までのわが国の聴衆が演奏家に示す品格ある反応は、世界のお手本であったと思わずにはいられない。
それがどうしてこのように無様に崩れ去ったのであるか。この現象は音楽以外の領域におけるボンサンスの崩壊に見合っているような気もするが、少しは歌舞伎の立見席を見習って欲しいものである。

山手線停まるやいなや突入す若き男のさもしき心よ 茫洋

Sunday, July 13, 2008

石井宏著「天才の父レオポルド・モーツアルトの青春」を読む

石井宏著「天才の父レオポルド・モーツアルトの青春」を読む

照る日曇る日第138回&♪音楽千夜一夜第38回

メイナード・ソロモンの浩瀚なモーツアルト伝の訳者として知られる石井宏氏が自身の企画と構想によるモーツアルト家の物語全5部の執筆に乗り出した。

本書はその序論であるが、天才の父親レオポルトの生誕から天才児の誕生の瞬間までを「史実をベースにした小説」というユニークなスタイルで叙述している。

1791年、レオポルトは欧州中世の封建的な伝統を色濃く受け継ぐ南独アウクスブルク近郊の貧しい製本屋マイスターの息子として生を享けた。鋭い頭脳と強い意志の持ち主だったレオポルトは、貴族社会の一角になんとかして食い込もうと、父親の死後母親の嘆願を退けてザルツブルクの大学に進学したが、何者かの陰謀に巻き込まれてエリートへの階段から転落してしまう。

母親からも絶縁されて天涯孤独の身の上になったレオポルドは、小さな伯爵家の使用人兼楽士家業に身をおとすが、親切な老人の庇護のおかげでザルツブルクの大司教付き宮廷オーケストラの4番バイオリニストの席にありつく。レオポルドの職業音楽家への道、天才児モーツアルトの教育者としての遠大な道はここからはじまったのである。

産んでは死なせ、死なせては産んだ数多くの子供たちのなかからかろうじて残ったのが姉ナンネルとその弟ウオルフガングのたった2人のきょうだいだったが、彼らの愛と憎しみの物語はまだ語られてはいない。興味深いのはモーツアルトの授乳を母乳にせよと命じたレオポルドの決断で、おそらくはそれが彼の夭折を救ったのだった。

本書の第5章で詳しく取り上げられている「レオポルド・モーツアルトのヴァイオリン教則本」の内容は、今日ではもはや常識となったことが述べられているが、当時としては画期的だったと思われる。

「モルト・アレグロはアレグロ・アッサイよりもほんのわずか遅いが、アレグロよりも速い。(中略)アダージョ・カンタービレと指定されている箇所では、けっして俗悪な装飾音を付け加えたり、長く音をひっぱったりして歌わせ過ぎてはてはいけない」(適当に引用)などというくだりを読むと、逆に当時の演奏の実態がうかがえるし、同じザルツブルク生まれのカラヤンのレガート奏法のことなどが思われて複雑な感慨が沸く。

レオポルド・モーツアルト指揮ザルツブルク宮廷オーケストラの演奏は、もしかすると現代の演奏に近かったかもしれないという気がしてくるのである。


♪セオリーの真白きパンツをはきこなす背高き女性の尻のかたちよ 茫洋

Saturday, July 12, 2008

稲村ガ崎の海岸にて

稲村ガ崎の海岸にて

鎌倉ちょっと不思議な物語138回

とうとう稲村ガ崎の浜辺に出た。こいらの海岸は年々砂浜が後退し、海水浴ができなくなっているが、サーファーたちはそんなことなど委細構わず年がら年中波に寝そべり、波と戯れている。

彼らの中には海難に無知で無関心な輩もたくさんいるようで、毎年沖に流されて救助を求めたり、中には長谷川なんとかさんというモデルの恋人や北野武監督の映画の主人公のように溺れ死んでしまう人もいる。

「ビッグ・ウエンズディ」という映画を見れば、サーフィンと死は隣り合わせであることがよく分かる。七里ガ浜では十二の御霊を奪った恐ろしい波だ。そんな荒波に挑むサーフアーは、心の中のどこかで死を希っているのではないだろうか。

太宰治が心中を図った岸壁もこの近くだ。けれども誰かのように無闇に死にたくなっていきずりの赤の他人を殺すくらいなら、どうぞこの海岸から補陀落島めざして単身渡海してもらいたいものである。

岬の上に立って沖を眺めていると、今日は相模湾からなかなか良き波が押し寄せているようだ。ところで鎌倉幕府の三代将軍実朝が編んだ「金塊和歌集」に、この稲村ガ崎の見越の崎に登った人のこんな歌が載っている。(ちなみに見越の崎の直下は、天に奇跡を祈った新田義貞の軍勢が、大量のアサリを踏み潰して上陸した地点である。)

鎌倉の見越の崎の岩崩の君が悔ゆべき心は持たじ   読み人知らず

また恐らく同じ場所から実朝本人が詠んだのは、

大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも

という有名な歌で、その後段の鋭い客観的な観察眼が、明治の子規の「写生」という視点に引き継がれ、それが短歌改革に結実した。まるで北斎の神奈川沖裏をセザンヌが模写したような犀利なリアリズムが感じられる。右大臣実朝の感性は、私たちの時代のそれであった。

しかし私がもっとも愛する実朝の歌はこれではなくて、

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ

である。ここには己の死すべき運命を哀しくも悟達した貴族的精神のニル・アドミナリな白い輝きがある。


♪沿線の紅いカンナの命かな 茫洋

Friday, July 11, 2008

薔薇は薔薇

♪バガテルop66

むかしペンギンブックスからアメリカ現代詩の要約本がでていた。もちろんまともに読んだことなど一度もなかったが、たまたま開いたページにカニンガムだかカニングハムという人の短い1行詩があって、時折そしていまも印象深く思い出す。

それはたしかこういう詩だった。

A rose is a rose is a rose is a rose is a rose is a rose is a rose

おしまいが…で終わったのか、それともピリオドで終わったのかもう覚えていないが、まずはイメージの核にひとつの単語、すなわち一輪の薔薇があって、それが隣に並ぶもうひとつの薔薇に等格で接続しながらひとつの文章に置き換えられ、続いて「薔薇は薔薇也」というその文自体が新たな薔薇に値すると形容され、以下中心軸を基点として次々に大輪の薔薇がウオルト・ディズニーのファンタジー映画か万華鏡のごとくに花開き、そのめくるめく華麗なイメージの渦にのみこまれていくようだった。

で、それに触発されて私が作ったのは


ムクはムクはムクはムクはムクはムクはムクはムクはムクはムク


チンはチンはチンはチンはチンはチンはチンはチンはチンはチン


補注その1 ムクは今は亡き我が家の無垢な犬。槿の下に棲んだ尨毛の犬だった。
補注その2 チンは朕、狆、陳、珍、沈、チンなど。


♪実存は本質に先行するや否やと考え込みしは30年前 茫洋

Thursday, July 10, 2008

ジョン・アーヴィング著「熊を放つ」を読む

照る日曇る日第136回

「ガープの世界」、「ホテル・ニューハンプシャー」の作家ジョン・アーヴィング26歳のデビュー作を読む。

ビンテージ・オートバイを無軌道にぶっ飛ばしてあっけなく事故死する青年、第二次大戦のどさくさまぎれに爆死させたはずの不倶戴天の敵によって捕らえられ、小便壷にさかさまに首を突っ込まれて殺されてしまう青年、ひとつオートバイに跨り、ひとつテントで性交する若い男女、ヒーツィング動物園のアジア・クロクマをウイーンの街に脱走させる青年、友がノートに書き付けた箴言を座右の銘として中央ヨーロッパのど真ん中をさすらう主人公―どこをとっても後年のアーヴィングを彷彿させるわくわく大冒険といきあたりばったり人生という2つの主題がほとんど変奏なしに(そこが後年の作と違う)ライブで奏でられる。

訳者の村上春樹は、アーヴィングはバルザックの再来であると規定しているが、それをいうなら主観性100%で自己中バルザックのよみがえりであろう。

アーヴィングにとって、文学とは時空を超えためくるめく物語の奔流であり、主人公の死さえもいともたやすく呑み込んでしまうおびただしい生の蕩尽なのである。

それにしても、オーソン・ウエルズまたはヴィクトリオ・デ・シーカの祖父、ヘルムートバーガーが悲運のヒーロー、ジークフリート・ヤヴォトニク、アル・パチーノのハネス・グラフ、アーヴィン・カシュナー監督による「熊を放つ」を、コロンビア映画が映画化しなかったことがまことにくやまれる。


♪こらあ父にアホ笑いするなと怒鳴りつけ自閉症の息子に投げしは春樹訳「熊を放つ」上下巻 茫洋

Wednesday, July 09, 2008

大館次郎の最期

鎌倉ちょっと不思議な物語137回

極楽寺から中村光夫旧居跡を過ぎて稲村ガ崎に向かって歩いていくと、もう少しで海に出る左手の窪みに史跡「十一人塚」がある。

ここは1333年わずか133騎で鎌倉幕府打倒に立ち上がった新田義貞と幕府軍の激戦場である。同年5月19日、藤澤から進軍した義貞の一族の部将大館次郎は極楽寺坂から攻め上ったが、鎌倉幕府方の守將・大佛陸奥守貞直の軍勢と一進一退を繰り返すうちに貞直の家來本間山城左衞門の部隊によって10名の部下と共に壮絶な討ち死にを遂げた現場である。

大佛貞直の軍勢は、いまは廃寺となった霊山寺の大門に大挙して篭っていたのである。

お墓にはたくさんの花が供えられていたが、その大館次郎の遺族の方が近くに住んでおられ、朝晩のお参りを欠かされないという。そう聞けば、今からちょうど675年前のその日の惨事が、まるで昨日のことのように感じられるのであった。

ところが、北鎌倉に住んだ澁澤龍彦の小説「髑髏盃」の登場人物は、「この十一人塚に眠っているのはおそらく無名の兵の亡骸で、大館次郎の墓はかならずや極楽寺の裏山にある。その証拠には極楽寺には大館次郎が討ち死にしたみぎりに所持していた鞍や鐙などの遺品が残っている」と自信満々主張している。

いずれが真実かにわかには断定できないが、こんど極楽寺を尋ねたら、住職に伺ってみることにしよう。


♪こんな監獄で働いて何がうれしいのかよ超高層に蠢く死せるアリたち 茫洋

Tuesday, July 08, 2008

阿仏尼の母性愛

鎌倉ちょっと不思議な物語136回

三好達治が住んでいた家を過ぎて、江ノ電の踏切を渡ったところに阿仏尼の旧居跡がある。

鎌倉時代の歌人阿仏尼は、藤原定家の子為家の側室となったが、息子冷泉為相への資産相続を鎌倉幕府に訴えるために京を下り、極楽寺に程近いその名も雅な月影が谷に住み、その旅行記と当地での暮らしぶりを「十六夜日記」に記した。

京を発ったのは神無月の十六夜だったのでその名がつけられたのである。

彼女は、「東にて住む所は、月影の谷とぞいふなる。浦近き山もとにて、風いと荒し。山寺の傍らなれば、のどかにすごくて、波の音、松の風絶えず」と綴り、都からのおとずれがいつしかおぼつかなくなってしまった、と訴えている。

いまもあまり人影のない一角であるから、700年前の昔はさぞや寂しい谷戸だったろう。ここで彼女が山寺と書いているのは、たぶん極楽寺の七堂伽藍のひとつであろうが、すでに亡失した霊山寺の可能性もわずかだが、ある。

鎌倉時代は御家人のみならず女性を含めた民衆の訴訟が急増した時代だった。正妻を退け、愛する息子の権利を勝ち取った阿仏尼の墓は、鎌倉に現存する唯一の尼寺英勝寺にある。

ゆくりなくあくがれ出でし十六夜の月やおくれぬ形見なるべき 阿仏尼

♪品川のホームに聳える超高層神なき真昼にガラス輝く 茫洋

Monday, July 07, 2008

三好達治と極楽寺界隈

鎌倉ちょっと不思議な物語135回

鎌倉も完全に市場経済とメディア戦略の格好のターゲットと化しており、昨日までは寂れて道行く犬猫すら見向きもしなかった支那蕎麦屋があほばかテレビ局の番組にたった一度取り上げられただけで千客万来の賑わいを呈しているのにはあきれるほかはない。

それまで閑古鳥が鳴いていたときにはたった1人のお客にも最敬礼して迎えていた店の主が、「うちの営業は11時半から。入口にちゃんと書いてあるでしょ」などと偉そうに早くから来訪したお客を追っ払っている浅ましい姿を見るのは、あまり気持ちのいいものではない。

極楽寺の近くに成就院というお寺があって、それまではろくにお客が来なかったので、般若心経の文字の数だけアジサイを植えたところ全国から観光客が殺到するようになったという。

その数はいくらかと聞くと、たった262字というからたいしたものではない。「262本のアジサイのある寺」、ではなく「般若心経の文字の数だけアジサイを植えた寺」と企画・宣伝するところに電通的な知能犯の智謀を感じて不愉快だが、極楽寺だけは間違ってもアジサイ寺的マーケティングのとりこにならずに時代と共に静かに滅んでいくような気がする。

さてその昔、極楽寺界隈には詩人の三好達治が住んでいた。彼の「半日閑歩」には極楽寺の前に桶屋があると書いてある。桶屋と客がこんな会話をしていたと三好は書いている。

―あなたはお風呂もなほしますか。
―ええ、風呂桶の修繕もいたしますよ、どちらさまです。
―姥ヶ谷の停留所の前の山の上だがね。
―存じてゐます、箱風呂ですね、四角な。
―へへん。
―この前一度直しに上がったことがあります。

 この桶屋はもうとっくの昔になくなったと思っていたが、現地を歩いてみると、じつはシステムバス屋さんに姿を変えて現存していることがわかった。


♪中国銭を鋳りて生まれし鎌倉大仏 茫洋

Sunday, July 06, 2008

続1945年の鎌倉文士

鎌倉ちょっと不思議な物語134回

1945年昭和20年2月、横光利一の弟子、清水基吉はその作品「雁立」で芥川賞を受賞した。

当時清水が転居した亀ヶ谷切通し下には小林秀雄と島木健作が住んでいた。
あるとき小林から正宗白鳥を訪問するので酒を工面できないかと頼まれ、雨中首尾よく手に入れた1升瓶をかかえて帰る途中、小林の家のそばの暗渠に落ちて台無しにしてしまい面目丸つぶれであった。清水は「モオツアルト」の原稿に呻吟していた小林を頻繁に訪ねて孤高の評論家を苛立たせたので、とうとう出入り禁止となった。
病床で長編を書いていた島木は敗戦直後に入院先で亡くなった。

翌46年9月、川端康成の推挽で出版された「雁立」を風呂敷に包んで極楽寺に住む同じ横光門下の第7回芥川賞受賞作家中山義秀宅を訪問した清水は、中山から祝盃を受けたが、そのうちに酔っぱらってきた義秀は、やにわに押入れから日本刀を取り出すと、「なんだこんなもの!」と言うなり鞘を払って献本20冊が入った風呂敷包みを一刀両断にした。

1948年清水は海蔵寺の本堂で祝言を挙げた。披露宴は亀ヶ谷の自宅で行なわれたが、主客ことごとく泥酔し、狂乱の限りを尽くし、反吐を吐くもの、縁側から転げ落ちるもの、庭土の上に寝込むものなどで眼も当てられぬ騒ぎであったという。

昭和60年、長谷の旧前田侯爵邸が鎌倉市に寄付されると鎌倉文学館が誕生したが、初代館長永井龍男の没後2代目館長に就任したのが最後の鎌倉文士清水基吉だった。

以上、「鎌倉朝日」に清田昌弘氏が連載している「かまくら今昔抄」6月1日号からまるまる引用しました。


♪かまくらのはちまんさまのげんじいけしろはすにむかいてあかもさきおり ぼうよう

Saturday, July 05, 2008

E.M.フォスター著「ハワーズ・エンド」を読む

照る日曇る日第135回

若干31歳にしてこのような傑作を書いたE.M.フォスターは栄光の大英帝国が今まさに黄昏ようとする瞬間に立ち会った旧世紀の文人だった。

「インドへの道」と並ぶ彼の代表作「ハワーズ・エンド」は、フォスターが巻頭に掲げた有名な序辞only connectが象徴しているように、絶望的なまでに相反する異質なものを「ただ繋ごう」とする架橋の意思と熱情の物語である。

開明的な女主人公マーガレットと保守的な夫のヘンリー・ウイルコックス、ヴィクトリア王朝と社会主義、貴族と平民、富める者と貧しき者、知識人と民衆、都市と郊外、島国と大陸、不遜と謙虚、鉱物と植物、自動車と馬車、天国と地獄、精神愛と肉欲、親と子、神秘と卑俗、国家と個人、商業と農業、金融資本主義と人文主義、教養と無秩序、科学と文芸、詩的精神と散文的リアリズムなどがいたるところで対立し、お互いがお互いを攻撃し、それぞれがそれぞれを防御しようと試みる。

その結果、旧世界の階級秩序は随所で引き裂かれ、いくたの悲鳴があがり、勝者は驕り、敗者は絶望の淵に沈み、男と女の戦いははてしなく繰り広げられていく。

けれども神を捨て、神に見捨てられた産業革命時代の人間たちの悲喜劇を終始静かに見守っていたのはロンドン郊外の「古くて小さくてなんとも感じがいい赤煉瓦の家」、ハワーズ・エンドであり、ヘンリーの亡き妻ウイルコックス夫人であった。

ハワーズ・エンドには美しい牧場と屋敷と一本の楡の巨木があり、その巨樹の下にケルトとの精霊が棲んでいる。地霊はウイルコックス夫人の魂の故郷であり、彼女の偉大な魂は物語の女主人公マーガレットに相伝されている。

そうしてこの聖なる地と精霊と魂とが三位一体となってばらばらになって空中分解していた異質な人々をおごそかに結びつける。骨肉相食む近親相克や男と女の嵐のような騒乱を鎮めがとつぜん終わりを告げ、物語の登場人物はすべてこの聖別された場所に集い、そして別れて行くラストシーンは感動的ですらある。

「オンリー・コネクト。ものみな手と手を取り合いて繋がるべし。」
これこそが1970年90歳で死んだE.M.フォスターの私たちへの遺言であった。

吉田健一の訳はたぶん名訳なのだろうが、惜しむらくは彼が翻訳家としてではなく、作家として翻訳しているために語義の解釈が曖昧であり、小林秀雄のフランス語ほどでたらめではないが、ところどころ意味不明の迷訳がある。
おそらく2人とも安酒を喰らいながらのアルバイトのやっつけ仕事だったのだろう。できうべくんばたとえば村上春樹のような若手による、もっと正確で、誠実な翻訳で読みたかった。

♪Only connectただつながれといいしは英国文人E.M.フォスター 茫洋

Friday, July 04, 2008

ある家庭の光景

ある家庭の光景

♪バガテルop66

「雨だ雷だ」と大騒ぎするアホ馬鹿天気予報官のおかげで長男は施設に行くのをやめてしまいました。

彼は施設が好きだし、普段は朝早くから起きだして行くのを楽しみにしています。いたって勤勉な彼ですが、彼は雷が大きらいなのです。

放送局のお兄さん、お姉さん、お願いですからガセ雷警報だけは止めてください。彼が一日休むと、それだけ施設の収入が減るのですよ。

 その日の晩御飯のあとでどういうわけだかお汁粉が出てきました。ふだんはあまり手を出さない彼ですが、両親がチンした熱い奴をフウフウ吹きながらおいしそうに飲んでいるのをみたからでしょう、「僕も食べます」と珍しくリクエストしました。

「熱いから気をつけるんだよ。まずフウフウしてから、スプーンで上下に混ぜるんだよ。そうするとさめるからね」とお父さんがアドバイスしますと、彼は父親から言われたとおりに、銀の匙を熱い液体の中にそおっと差し入れ、ゆっくりゆっくり上下に動かしています。いつまでもいつまでも動かしています。

中学の理科の実験で、フラスコの中に入ったナトリューム溶液を、透明なガラス棒で撹拌するように、細心の注意を払いながらかきまぜているその姿は、まるで瞑想する僧侶のようでした。

両親は、思わずお汁粉を飲むのをやめてその姿に見入っていましたが、突然母親が「まあほんとうに、なんて無垢な子なんでしょう」と感に堪えたように呟きました。

父親も「うん、そのとおりだね。僕もいまそう思った」と応じましたら、母親は、「それなのにあなたって人は、そんな良い子を怒鳴りつけたりして……」と恨めしそうに夫をにらんだので、その父親は「そうだ、こうしてはいられない。仕事、仕事、締め切り、締め切り」とモグモグ言いながら、蟹の横這いのように書斎に逃げ込みました。


♪わが名と同じ亡羊という歌人を見出したり致し方なく今日よりは茫洋とせむ 茫洋

Tuesday, July 01, 2008

あるカミキリムシの死

あるカミキリムシの死

♪バガテルop65

昼間榎の葉っぱにとまっていたいまでは希少種となったゴマダラカミキリが、午後道路で車に轢かれて死んでいた。私はその美虫薄命、諸行無常に哀れを感じ、終日心身が深い憂愁に閉ざされるのを覚えた。

とつくにのいにしえの死より、向こう三軒両隣の死にたての死、見知らぬ人間よりは最愛の虫や花や獣の横死に対して、激しく胸を引き裂かれるのは私だけだろうか。

すぐる大戦の膨大な死者に対してはかろうじて一掬の涙を注ぎ、平成の御世のちっぽけな駄犬や昆虫の死にかくも夥しい涙を流すとは、まことに不条理な話であるが、そこが神ならぬ身の至らなさ、情けなさ、往々にしてそういうけしからぬ事態が出来するのである。

もっと不思議でけしからぬのは、私が実在の人間や動植物の死に対するよりも、映画やドラマや小説の中に出てきた仮想人物に対して激しく喜怒哀楽することである。

ブランコを漕ぎながら♪命短し恋せよ乙女などと下手な歌を歌っている志村喬の虚構の死に対してあれほど激しく慟哭できるならば、なぜアウシュビッツや真珠湾や広島長崎や、戦艦大和やらガダルカナルの密林に消えた無数の人々の死に対して、もっと激しく嗚咽し、もっともっと大量の涙を流さないのか? それが物事の真実と釣り合った人間らしい感情の適切な発露であるはずだ。

にもかかわらず、私は歴史上の巨大な悲劇に対してはいちじるしく涙を惜しみ、空想上の、ある意味では笑うべき瑣末な悲劇に対しては、惜しみなく浪漫的な感情を放出してやまない。なんという情念の鈍感さ。 なんという理性と感覚のアンバランスであることよ。

いずれにせよ、私(たち)はみずからの動物脳から発する喜怒哀楽の感情、とりわけ涙という塩辛い水分を信用したり、過大な意義を与えてはならない。

現実を知れば知るほど身軽に動けぬこの矛盾をいかにすべきや 茫洋