稲村ガ崎の海岸にて
鎌倉ちょっと不思議な物語138回
とうとう稲村ガ崎の浜辺に出た。こいらの海岸は年々砂浜が後退し、海水浴ができなくなっているが、サーファーたちはそんなことなど委細構わず年がら年中波に寝そべり、波と戯れている。
彼らの中には海難に無知で無関心な輩もたくさんいるようで、毎年沖に流されて救助を求めたり、中には長谷川なんとかさんというモデルの恋人や北野武監督の映画の主人公のように溺れ死んでしまう人もいる。
「ビッグ・ウエンズディ」という映画を見れば、サーフィンと死は隣り合わせであることがよく分かる。七里ガ浜では十二の御霊を奪った恐ろしい波だ。そんな荒波に挑むサーフアーは、心の中のどこかで死を希っているのではないだろうか。
太宰治が心中を図った岸壁もこの近くだ。けれども誰かのように無闇に死にたくなっていきずりの赤の他人を殺すくらいなら、どうぞこの海岸から補陀落島めざして単身渡海してもらいたいものである。
岬の上に立って沖を眺めていると、今日は相模湾からなかなか良き波が押し寄せているようだ。ところで鎌倉幕府の三代将軍実朝が編んだ「金塊和歌集」に、この稲村ガ崎の見越の崎に登った人のこんな歌が載っている。(ちなみに見越の崎の直下は、天に奇跡を祈った新田義貞の軍勢が、大量のアサリを踏み潰して上陸した地点である。)
鎌倉の見越の崎の岩崩の君が悔ゆべき心は持たじ 読み人知らず
また恐らく同じ場所から実朝本人が詠んだのは、
大海の磯もとどろによする波われて砕けて裂けて散るかも
という有名な歌で、その後段の鋭い客観的な観察眼が、明治の子規の「写生」という視点に引き継がれ、それが短歌改革に結実した。まるで北斎の神奈川沖裏をセザンヌが模写したような犀利なリアリズムが感じられる。右大臣実朝の感性は、私たちの時代のそれであった。
しかし私がもっとも愛する実朝の歌はこれではなくて、
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
である。ここには己の死すべき運命を哀しくも悟達した貴族的精神のニル・アドミナリな白い輝きがある。
♪沿線の紅いカンナの命かな 茫洋
No comments:
Post a Comment