Sunday, July 27, 2008

続々 網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで その3

続々 網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで 

照る日曇る日第141回


「百姓」とは文字通り百の職業・職種の民を指すのに、いつのまにやらそれが「農民」だけを意味し、都市の商工業者や漁民や山民を排除し、あまつさえ差別するようになったと網野は執拗に説いた。

たとえば養蚕業者は稲作農耕とは無関係なのに、いまなお養蚕農業というカテゴリにー取り入れられ、農民の仲間とされているのは果樹農家という用語と同様に奇妙な話である。

養蚕の原料となる桑は漆と同様弥生時代以降全国で生産され、主に女性の手で生産・販売された。それは稲作のそれが主に男性によって担われたことと好一対をなしていると網野はいう。

女性はまゆや糸や絹を自らの宰領で商人に売り渡して自らを飾り、自らの収入とし、夫の家業の農業が不振な年には、ルイス・フロイスが安土桃山時代に証言しているように、「妻が夫に高利で貸し付けていた」。

その後わが国で発達した工業制工業の時代にあって、富岡の製糸業や綾部の郡是製糸などが花形産業として活躍するようになるが、その主要な担い手はやはり2000年以上の養蚕・製糸の技術を持つ女性たちであった。

それにもかかわらず、彼女たちの力量は正当に評価されずに「女工」とさげすまれ、かずかずの哀史がいたるところの野麦峠で繰り返されるようになったのはどうしてだろうか。

このように遠い昔の歴史を掘り返してみると、社会の中で女性の占める位置がもっとも高くなったのが現代であるとは、いちがいに言えないようである。


二十年苦楽を共に働きしが住友不動産原宿ビルに変わり果てたり 茫洋

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