Sunday, July 06, 2008

続1945年の鎌倉文士

鎌倉ちょっと不思議な物語134回

1945年昭和20年2月、横光利一の弟子、清水基吉はその作品「雁立」で芥川賞を受賞した。

当時清水が転居した亀ヶ谷切通し下には小林秀雄と島木健作が住んでいた。
あるとき小林から正宗白鳥を訪問するので酒を工面できないかと頼まれ、雨中首尾よく手に入れた1升瓶をかかえて帰る途中、小林の家のそばの暗渠に落ちて台無しにしてしまい面目丸つぶれであった。清水は「モオツアルト」の原稿に呻吟していた小林を頻繁に訪ねて孤高の評論家を苛立たせたので、とうとう出入り禁止となった。
病床で長編を書いていた島木は敗戦直後に入院先で亡くなった。

翌46年9月、川端康成の推挽で出版された「雁立」を風呂敷に包んで極楽寺に住む同じ横光門下の第7回芥川賞受賞作家中山義秀宅を訪問した清水は、中山から祝盃を受けたが、そのうちに酔っぱらってきた義秀は、やにわに押入れから日本刀を取り出すと、「なんだこんなもの!」と言うなり鞘を払って献本20冊が入った風呂敷包みを一刀両断にした。

1948年清水は海蔵寺の本堂で祝言を挙げた。披露宴は亀ヶ谷の自宅で行なわれたが、主客ことごとく泥酔し、狂乱の限りを尽くし、反吐を吐くもの、縁側から転げ落ちるもの、庭土の上に寝込むものなどで眼も当てられぬ騒ぎであったという。

昭和60年、長谷の旧前田侯爵邸が鎌倉市に寄付されると鎌倉文学館が誕生したが、初代館長永井龍男の没後2代目館長に就任したのが最後の鎌倉文士清水基吉だった。

以上、「鎌倉朝日」に清田昌弘氏が連載している「かまくら今昔抄」6月1日号からまるまる引用しました。


♪かまくらのはちまんさまのげんじいけしろはすにむかいてあかもさきおり ぼうよう

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