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Thursday, July 26, 2012

舛田利男監督の「二百三高地」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283

駄優、あおい輝彦を主人公に、往年の有名スターがどっさり出演している日露戦争夜話であるが、演出がひどすぎる。

恋人を戦地に送り出した新婚ほやほやの夏目雅子をフューチャーしながら、さだまさしの聴くだに恥ずかしくなるようなおセンチな音楽がこれでもか、これでもかとかぶさる。

映像だけで語り尽くせない不安と自身のなさから、こういう感傷過多の三流演歌におんぶにダッコだっこするのである。なにが「愛は死にますか」だ。そんな恥ずかしい歌を臆面も無く歌えるもんだ。お前が勝手に死ね。

笠原の脚本も酷過ぎる。児玉源一郎の加勢でようやく二百三高地を落とした乃木将軍(仲代達矢)が明治天皇の前で報告書を読みあげながら万感胸に迫って号泣、号泣、また号泣するというお涙頂戴の茶番劇に堕してしまった。

それにしても三船敏郎の明治天皇はないと思うけど。


夕間暮れ君と歩けば茜雲消えゆく空にカナカナ鳴きたり 蝶人


Saturday, July 21, 2012

森史朗著「ミッドウェイ海戦第一部」を読んで




照る日曇る日第524回

真珠湾の奇襲で大戦果を挙げたばかりの世界に冠たる大日本帝国艦隊が、そのおよそ半年後の1942年6月5日の中部太平洋沖でいったいどうして主力空母4隻撃沈という惨憺たる敗北を喫したのかかねがね疑問に思っていたので手に取ったのが本書である。

 著者によれば、本来なら永野総長指揮下の軍令部がこうした大きな作戦を企画立案するはずが、真珠湾のお手柄で山本五十六の存在が圧倒的に大きくなったために永野が遠慮し、下部組織の連合艦隊側の発言権が増大していたそうだ。

 そしてその幕僚では山本が偏愛する奇人変人の黒島主席参謀が独走し、山本はそれを放任していたという。また海軍全体でミッドウェイで敵空母と一戦を交えようとするコンセンサスなどはまるでなく、そもそも山本が望んでいたのは「ハワイ占領戦」であり、時代遅れの「戦艦」大和に自らが座乗してミッドウェイに乗り込むなど望むところではなかったという。あまつさえ彼は艦隊の一部を割いてアリューシャン方面に派遣し、あってはならない戦力の分断の愚を自ら犯していたのである。

 しかしいずれは圧倒的な米軍の前に膝を屈する日が来るにしても、それを一日でも遅らせ、講和に持ちこむチャンスを憎大させるために、ここで敵空母を徹底的に叩いておかねばならぬ。そういう思いでは各自の志操は共通していた。しかし山本はその指揮下の南雲忠一第一航空艦隊司令官とは不倶戴天の間柄であり、その他日本海軍首脳相互と各幕僚たちの連携は米軍のそれにくらべても悪かった。

ちなみに彼我の戦力を比較してみると日本海軍は空母・戦艦の数、高速艦隊の機動性、戦闘機と搭乗員の優秀性で上回っていたが、敵がフルに活用しているレーダーはなく対空火器が不十分で航空機の防弾・火災対策がなされておらず、なによりも、「策敵と情報収集」に対して驚くほど無神経で無為無策であり、結局これが致命的な敗戦の要因になったといえる。

とりわけ最新型の策敵機を持ちながらそれを活用せず、空母直掩機を一艙当たり僅か3機で良しとした航空甲参謀源田実や参謀長草鹿龍之介、「攻撃機の半分は魚雷装備で待機せよ」という連合艦隊司令長官自らの命令を、かつての真珠湾への第2次攻撃と同様に無視した南雲一航司令官の罪は大きい。ちなみに著者によれば南雲は軍人にあるまじき小心者であった。

初戦の大勝におごり、なんの客観的な根拠もなく「鎧袖一触敵をほふる」などと豪語していたわが軍の指導層の恐るべき傲慢と無知と夜郎自大、意思不統一と内部対立と混乱がこれほどひどいとは知らなかった。


死刑廃止すれば道連れ殺人あきらめて一人静かに死んで呉れるか 蝶人

お知らせ 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う
 このうたが本日の「日経歌壇」岡井隆氏選の3席に入りました。


Friday, May 25, 2012

「山本周五郎戦中日記」を読んで




照る日曇る日第516回


本書には1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃の日から1945(昭和20)年2月4日までの日記が全文復刻されている。

当時彼は38歳。東京大森の馬込文士村に居を構え、連夜の空襲の中を防空壕と行き来しながら代表作となる「日本婦道記」などを雑誌に連載していたようだが、空襲を今か今かと待ちながら彼は「鉄兜をかぶって玄関先で小説を書き」、空襲警報が鳴ると組長として隣組を駆けずりまわって避難させ、敵機が去るとまた原稿用紙を広げ、ヒロポンを打ちながら徹夜して書きまくという日々が続くのである。

この頃の出版社は用紙が配給になり短編の依頼ばかりだったようだが、作家は愛する妻子のために、否それ以上に鬼畜米英と戦う祖国と同胞のために、彼の最善の小説を書くことをもって彼の戦争とみなしている。ここでは書くことが最前線で敵と砲火を交えている兵士の戦闘と完全に等価になっており、空襲で死ぬことも恐れぬ文字通り「決死の文学戦争」が書斎で戦われていたことが分かる。

 昭和19年11月9日には「スターリンが革命記念日に日本を侵略者と断言した。この事実の重さを責任者は正当に理会しているのか」という記述があるが、著者の願いも空しく当局はソ連に対する備えを怠り、昭和20年8月の対日宣戦と南樺太や北方領土の不法占領を許したことを我々は記憶し続けなければならない。

 「己には仕事より他になにものも無し、強くなろう、勉強をしよう。
 己は独りだ、これを忘れずに仕事をしてゆこう。
神よ、この寂しさと孤独にどうか耐えてゆかれますように」(昭和19年10月19日)

「しっかり周五郎」と綴った著者だったが、この日記が終わったあとの3月には東京大空襲で長男が行方不明となり、5月には愛妻を喪う。作家の命懸けの戦いは、その後も長く続いたのである。


過去に向きあうなんてそんな恐ろしい事あっしにはできまへん 蝶人


Wednesday, April 04, 2012

小林正樹監督の「人間の條件・第2部激怒篇」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.221


部下の陰謀に因る工員と陳(石浜朗)の鉄条網感電死事件に続いて、7人の脱走者をめぐる処罰事件が引き起こされ、ヒューマニスト梶は最大の窮地に立たされる。

梶がいくら良心的な個人として振舞おうとしても、彼が支配者の一員である限り、己を滅しない限りはその支配に構造的に加担せざるを得ない関係性が冷徹にそびえたっている。

次々に憲兵軍曹渡合(安部徹)の軍刀で斬首されてゆく無実の工人を目の前にして、梶はついに立ち上がる。その決死の反抗に呼応した捕虜たちの身を呈した抗議によって、処刑は3人目の高(南原伸二)を終えたところで中止になったが、梶は憲兵たちの惨たらしい拷問を受け、ようやく帰宅を許されたものの、所長は当初の約束を反故にして召集令状をつきつけたのだった。

己の保身のために権力の走狗となる所長の老獪さと厭らしさを、三島雅夫が好演している。

明日は各地で落雷があるでせうと嬉しそうな顔で予報するなお天気男 蝶人

Tuesday, April 03, 2012

小林正樹監督の「人間の條件・第1部純愛篇」を見て

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.220

五味川純平の原作を映画化した第1作では、主人公梶の満州老虎嶺鉱山における苦闘を描く。満鉄調査部における机上の空論を過酷な現実に適用することになった梶(仲代達矢)は、現地の鉱山労働者のみならず、上司や同僚、部下、現場監督の抵抗と軍の介入のはざまで苦悩する。

強制労働と搾取に苦しむ工人の労働条件を緩和することによって労働力を向上させようと図る梶だったが、そこに北支から大勢の捕虜が送りこまれ、更に2割増産の命令が下され、理想主義者の梶は新婚まもない妻美千代(新珠三千代)との関係もぎくしゃくしてくるのだった。

佐田啓二・有馬稲子・淡島千景・南原伸二・山村聡などの当時の人気俳優が続々登場するが、娼婦の元締めを演じる淡島千景が妖艶で有馬稲子は陰が薄い。常に力みかえった熱演型の梶は私の苦手な役者だがこれが第1作なので我慢して見物。さすがに山村聡の演技はスケールが大きい。


論理学専門の学生部長神沢惣一郎氏大衆団交で論理が破綻 蝶人

Thursday, May 26, 2011

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第41回


bowyow megalomania theater vol.1

二人、三人、四人と、殺意に満ちた警官たちが次々にバリケードを飛び越えて僕たちのとりでの内部に侵入してきました。

血に飢えた体格の良い男たちは、僕と文枝と洋子の上から見境なく警棒を力任せに打ちおろし、僕たちの頭も顔も身体のあちこちもたちまち傷だかけになり、あまりの痛さにうめきながらあたりを転がりまわっていました。

と、その時でした。

かさにかかって僕たちの全身をめった打ちにしていた黒い男たちが、あちこちでバタバタと倒れ、口から血ヘドを吐いて地面にたたきつけられました。見ると手に手に木切れや鉄棒を持った少年少女たちが歓声をあげながら警官を撲っています。

「やれ! やれ! 徹底的にぶちのめせ!」

と喚きながら特別攻撃隊の警官のお腹の上で跳躍しているのは、まぎれもなくのぶいっちゃんでした。ほとはるちゃんは、と見れば、洋子と文枝に襲いかかっていた警官の首にロープをぐるぐる巻きにして両足を肩口にあてて、えんやこら、えんやこら、どっこいせ、と掛け声をかけながら、両手で力いっぱい引っ張っています。

その警官は、とうとう口から舌を出して息絶えました。

なんでもかんでも忘れてしまうそのうち自分さえ忘れてしまう 茫洋

Friday, January 07, 2011

福田善之著「草莽無頼なり」下巻を読んで

照る日曇る日 第399回

いよいよその運命の日が近づいてくると、著者の筆が鈍って、書きたくないという。その気持ちは分かるが、こういう史伝は初めて読んだ。

この人は、志半ばで倒れた男、自分が惚れこんだ男を、いっかな死なせたくないのである。「維新史土佐勤王史」、大佛次郎「天皇の世紀」、平尾道雄「中岡慎太郎 陸援隊始末記」の3著に依拠しつつ様々な「たられば」を論じながらも、中岡慎太郎というけったいな男の実存に迫ろうとして、延々と回り道を楽しみ、その人柄や思想、特に前者について、あれやこれやの空想をたくましくしたい人なのである。

近江屋の2階で刺客の鋭い刃に斃されるまで、彼と龍馬がどのような対話を交わしたかという想像を巡らせるその要点が、政局よりも死んだ高杉晋作の女についての感想であるというのも、「さもありなん」と感じさせるし、全篇を通じて「くぐつ師」のおふうや半兵衛という空想上の人物に神話的いのちを与えて、主人公の予言者ないし守護神の役割を割り当てていることも、いかにもな福田流演劇作法のひとつといえるだろう。

しかし著者がいうように、土佐藩の板垣退助を動かして薩摩との同盟を果たし、蟄居中の岩倉具視を薩長のネットワークに組み入れ、陸援隊を組織したのは、なんといっても中岡慎太郎一個の手柄であり、とりわけ吉田松陰と高杉晋作の「奇兵隊」の草莽思想の影響を受けた陸援隊の、万人に向かって開かれ、出入り自由という民主的である以上にアナーキーな組織原理が、中岡によって夢見られていた、と説く著者の語り口は魅力的である。

もしこの未完の偉大なる革命家がいましばらく健在で、この陸援隊の草莽原理が、軍隊の枠をはみだして大きく発芽し、わが国の政治原理の基底にまで喰い込んでいたら、と著者ならずとも誇大妄想的な「たられば」的初夢をエンジョイできるところが、この本の得難い変態性なのではあるまいか。


転配はわが本意にあらずという人思い墓地歩みけり正月三日 茫洋

Friday, August 27, 2010

柄谷行人著「世界史の構造」を読んで

柄谷行人著「世界史の構造」を読んで

照る日曇る日 第366回


世界史の構造を、後期マルクスが資本論で規定した生産様式ではなく、初期マルクスが規定した交換(交通)様式で定義しなおすことによって危殆に瀕した世界を救済しようとする哲学者の絶望的でもあり最後の希望でもあるような知的営為です。

著者は経済的下部構造としての4つの交換様式=1)互酬、2)略取と再配分、3)商品交換4)互酬の高次元の回復、のそれぞれに対応する歴史的派生態を、1)ネーション2)国家3)資本4)新規構成体と位置付け、しかし実際の社会構成体は、こうした様々な交換様式の複合体として存在していると説きます。
現在の資本性社会では商品交換が支配的な交換様式ですが、他の交換様式も消滅することなく「資本=ネーション=国家」という複雑な結合体として存続しているというわけです。(←ここらへんは難解そのものなので、直接本書にあたってくださいな)

ではこの複雑怪奇な複合体をどうやって揚棄するか。どうやって現代のリヴァイアサンをやっつけるか。

そういういわば最新版の階級闘争のためのアイデアも、上記の交換様式という視点から導き出されます。

すなわち旧来の革命論は労働者の生産現場で世界同時革命を起こして資本家階級を打倒しようという夢想的なものでしたが、資本主義が高度に確立されればされるほどそんな無謀な企ては不可能になってしまいました。

しかし考えてみれば労働者の別名は消費者に他なりません。理論武装した消費者が、生産点以外の流通過程で異議申し立てやボイコット等を行えば、資本主義の牙城は多少は揺らぐ、のではなかろうか。のみならず資本が利潤追求のために犯す様々な行き過ぎを是正し、地域通貨や信用システム、協同組合運動の展開によって非資本性的な経済をみずから創造することができるのではなかろうか、という緩い見通しが披歴されたりします。


このように「資本=ネーション=国家」が三位一体となった現代国家を最終戦争の危機から救うために、著者はカントが唱えた世界共和国=諸国家連邦構想を高く評価し、その現実的組織としての国連の活動に人類史のはつかな希望をゆだねようとします。

著者によれば、カントはたんに戦争の不在としての永久平和を夢想したのではなく、諸国民のいっさいの敵意を終わらせ、国家の廃棄を目的とした「段階としての諸国家連邦」を唱えたのです。ほんとうはホッブス以上の人間性悪説に立つカントは、過渡的な諸国家連邦では国家間の対立や戦争を抑止することはできないことを熟知していました。

平和を希求しつつも国家間の利害が対立する。その結果として生じた戦争だけが諸国民に永久平和の決意を再確認させ、そのプロセスの繰り返しによる「血の学習=自然の狡知」だけが諸国家連邦の絆を強固し、国家廃絶の理想に接近させることができる、というカントのシニカルな予測が正しいとすれば、私たちはまだまだ多くの戦争を潜り抜けることなしには世界共和国の夢を実現できないということになりそうです。

絶対平和を射程に据えた思想家の冷酷なリアリズムに肝を冷やされた真夏の読書でした。


戦争だけが平和をもたらすと哲人カント喝破せり 茫洋

Friday, April 24, 2009

60年代のメンズカジュアル

ふぁっちょん幻論 第49回

60年代のメンズ・カジュアルファッションといえばなんといってもジーンズでしょう。アメ横には米軍から放出された大量のジーンズが人気を集めていました。

1964年に「平凡パンチ」、66年には「週刊プレイボーイ」が創刊され、VANに代表されるアイビールックとJUNなどのコンチネンタルルックが覇を競い、TPOなる言葉が石津謙介氏によって流行語となりました。

60年代後半からはベトナム戦争が泥沼化し世界各地で反戦運動が起こります。パリの5月革命、日本の全共闘運動などを背景にカウンターカルチャーが全盛となり新しい思想文化、とりわけ先鋭的なモードが全世界で澎湃として巻き起こってきました。
例えば英国で起こった服飾の新潮流モッズはmodernの略ですが、50年代終わりのロンドンで誕生し、ビートルズなど時代の先端を行く若者や服装の代名詞となっただけでなく日本のGSにも大きな影響を与えました。

また米国原産のサイケデリックは、ヒッピーで流行したLSDによる幻覚を指し、これが現代アートに激烈に作用します。そして前記のモッズと後者のサイケがヒッピーファッションに大合流し、当時の若者の服飾の主流を形成するようになるのです。

67年に登場した新宿フーテン族、演劇では寺山修司「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場」などのアングラ、そして69年には新宿西口でフォークゲリラが激発します。広告の世界では「モーレツからビューティフルへ」「フィーリング」などという言葉が流行語となる頃、モードの古典的な規範は崩壊に近づきつつありました。モードの底が、いったん抜け落ち、擬制の自由とやらにみな酔った振りをしたのです。

長髪と反アイビーの西海岸ジーンズなどが、反体制のシンボルとして定着し、「アンチ・ファッションという名のファッション」が市民権を得たわけです。続いて西海岸に発生した数々のアウトドアルック、パンク、そしてさまざまなイタリアンカジュアル。80年代まで世界中で疾風怒涛のファッド旋風が吹き荒れます。私がベルボトムをはき、ヘレンカーチス第2液を買ってきてはじめてパーマをかけたのもこの頃でした。


♪8時半に演説終えし候補者と隣り合わせの京急バスに乗る 茫洋
♪見知らぬ人に満面の笑顔振舞われ路地に逃げ込む市議会選挙

Monday, November 10, 2008

龍口寺に向かう

鎌倉ちょっと不思議な物語148


江の島には行かずに、今日は龍口寺に向かう。ここは鎌倉時代に日蓮が蒙古来襲の折に北条政権に逆らったために平頼綱(1285年の霜月騒動で御家人筆頭の安達泰盛一族を皆殺しにし、1293年に自害した筆頭御内人)によって斬首されようとした場所である。

ところが一天にわかにかき曇り、天地がぱっと夏の白昼のように明るくなり、介錯の男がよろけて刀を取り落としてしまった。江ノ島の上空に闇を裂いて巨大な光ものが出現したためである。時に文永八年九月一二日夕刻、世に日蓮「瀧ノ口の法難」と称せられる。

一大宗教者の処刑を救うため天が奇跡を起こされたのであろうか。日蓮宗の創始者はからくも一命を取り留めたのであった。

本堂にはこのとき日蓮が敷いていた敷き皮が、境内には当時日蓮が幽閉されていた御霊屈が現存している。

龍口寺の創建は鎌倉時代ではない。1337年になって日蓮の弟子日法が粗末なお堂を作ったが、今日のような完成をみたのは江戸時代の初期に入ってからだから、比較的新しい建築だ。


♪鎌倉の松葉が谷の道の辺に法を説きたる日蓮大聖人 子規

新橋のヘラルド映画の試写室でよく顔合わせし人昨日死にけり 茫洋

今日TBSは死にましたと言いながらTBSに出続けし人死す 茫洋

Tuesday, July 29, 2008

安田次郎著「走る悪党、蜂起する土民」を読んで

照る日曇る日第142回

足利尊氏の執事として権力をほしいままにした高師直は、四条畷の激戦で楠木正行を戦死させ、一時は尊氏の弟直義が逃げ込んだ尊氏邸を大軍で十重二十重に取り囲んだほどの勢いを見せた。

師直は夜な夜な貴族の家に忍び込んで評判の娘を誘拐してはその貞操をほしいいままに蹂躙していた典型的なバサラ大名で日本史上有数の好色な武人だった。

あるとき美人の誉れ高い出雲守護佐々木塩冶判官高貞の妻に横恋慕した師直だったがまったく相手にされない。いつもならお得意の夜這いと暴力に訴えるのだが、考えた挙句に「兼好と云ける能書の遁世者を呼び寄せて」ラブレターの代筆を頼んだ。「徒然草」の兼好法師はどうやら当代一のゴーストライターとして知られていたらしい。

ところがせっかくの名文なのに高貞の妻は開封すらせずに捨ててしまったので、師直は怒り狂って「今日よりその兼好法師、是へよすべからず」と出入り差し止めにしてしまったという。
兼好にすれば、彼女が読んでくれさえすれば色男になびかせる自信もあっただろう。彼女が読まないのに自分を首にした師直に対しては頭にきたのではないだろうか。
しかし権力者の要請にこたえて恋文を書いてしまう吉田兼好の姿は、独立不羈な「徒然草」の世界を知るものにとってはいささか意外の感もしないではない。

今日もまた自閉の息子が描いている関東平野全線路線図 茫洋

Thursday, July 24, 2008

網野善彦著作集第17巻「日本」論を読んで 

照る日曇る日第139回

日本について考えたり、議論する前に、日本という言葉とその内容にこだわらなければなるまい。「日本」という称号が歴史に初めて登場するのは7世紀末の689年制定の飛鳥浄御原令からであり、ほぼ同じ頃に「天皇」なる称号も誕生したと著者はいう。

すると、倭の国の王が存在したことはあっても、神武から天智までの天皇は存在せず、「縄文・弥生時代の日本人」などはそれ自体が形容矛盾でありナンセンスな表現であることになる。

「日本」にしても「天皇」にしても、それは始まりと終わりのある単なるひとつの歴史的存在にすぎないのに、私たちはそれらが格別に重要・重大な名称や存在であるかのように錯覚しているのではないだろうか。

日本と日本国の明確な定義すらできていないのに、日本人論だの日本文化論だの日本国民国家論がにわかに成立するわけがないとも、著者はいう。

著者によれば、日本、日本と一口にいうが、日本が孤立した島国で一元的に水田稲作に特化した瑞穂の国であり、万世一系の日本民族という単一民族が作り上げた単一国家であるなどという幻想は、とっくの昔に打ち砕かれている。

縄文人、弥生人の昔はさておくとしても、列島にかろうじて成立したのは本州西部を基盤とした倭人が住む「ヤマト国家」だけであって、もともと北海道はアイヌ王国、沖縄は琉球王国、東北と九州南部は完全な別国家であった。

それだけではなく、本州本体の東部は源頼朝が確立した「関東国家政権」であり、京の西部政権とは別の政治的経済的文化圏を構成していた。ヤマト国家ですら異質で敵対的な要素を内部にはらんだ2重権力国家であった。それらを長い時間をかけて名目だけのパッチワーク&アマルガム体制にもちこんだのが現在の日本国と日本民族なのである。

それなのに私たちはどうして誰一人確証できない日時に「建国記念日」を祝ったり、陰気な短調の和旋律を無理矢理起立して唱和するひつようがあるのだろうか? 
私たちは毎日服装を取り替えるように、いつだって国名や国歌や象徴天皇制を自由に改変・改廃してもいいのである。


今度の戦争のためにでっかい戦車が通れる道路を作っているんですと道路工夫語る 亡羊

Thursday, April 03, 2008

能満寺を尋ねて

鎌倉ちょっと不思議な物語109回&鎌倉廃寺巡礼その6


能満寺については「風土記稿」は「小名川の上にあり」と伝えるだけでいっこうにわからない。

「十二所地誌新稿」には、「川の上の裏山、学園の辺にあって「上の寺」と称した。今その付近に石塔などが多少ある」と書かれているが、「五大堂事蹟考」には「梶原谷に入り口に能満寺の寺号いまに田畑に残る」とあるのでおそらく梶原屋敷の入り口あたりではないだろうか。

早速梶原屋敷へ行ってみる。
ここは梶原ヵ谷にあった平三景時の屋敷跡である。(写真)

「石橋山の合戦」で一敗地にまみれた頼朝を洞窟の奥で救った景時は、当然頼朝に重用され、また平広常や義経を死に追いやった小賢しい御家人であるが、正治元年1199年に小山朝光を頼家に讒言したために諸将の怒りを買い、駿河の孤峰で吉幡小治郎に殺された。

幕府はその年の12月にこの邸宅を破却して二階堂永福寺の僧坊に寄付したのだが、その跡が畑となり、入り口の跡の抜け穴と梶原井戸が残っている。

その井戸には明王院の鐘が入っていたが後になって拾い出したといわれている。(写真)。なおこの谷戸の山腹には一門の墓らしい数基の五輪塔があるらしいのでいつか探検してみよう。

能満寺は、この梶原屋敷の手前のテニス倶楽部から少し入った以前ご紹介した「鯨屋敷」(写真)付近にそびえ立っていたと想像するのだが、さてどうだろう。

あの巨大な鯨にでも聞いてみるとするか。


♪景時の行方はいずこ鯨殿 亡羊

Tuesday, March 18, 2008

網野善彦著作集第1巻「中世荘園の様相」を読む

照る日曇る日第106回

岩波から刊行されているこのシリーズであるが、早くもこれで通算7冊目となった。

いまNHKで放送されている朝ドラ「ちりとてちん」は小浜市が舞台だが、その小浜の小さな部落にスポットライトを当て、東寺領若狭国太良荘(たらのしょう)の平安、鎌倉時代から室町、戦国時代までの歴史を、さながら大河小説か一大絵巻のように、あるいは長編ドキュメンタリーのように、とうとうと語りつくし、論じつくした政治・経済・社会史が本書である。

長年の東寺文書の精読と研究から編まれた著者の大学卒業論文でもある本書には、同地の主人公である(べき)本百姓、小百姓を中心に、荘園の預所、地頭、東寺の供僧、守護などが、入れ替わり立ち代り相次いで登場し、時の権力基盤の移動に敏感に対応して、これでもか、これでもかとばかりに激烈な権力・権益・生存競争を繰り広げる。
 
鎌倉幕府は得宗の時代になるとそれまでの御家人時代の自制を失い、旺盛で無秩序な欲望が、かつて貞永式目の理知的な規範と統御と自主規制を全面的に解除して、前代未聞の、あるいはまた平成の御世と同様の「私利私欲の時代」に突入する。

すべての同時代人が時の権力にへつらい、隙あらば己がその権力を簒奪しようとてぐすねを引いている。そんなある意味で刺激と興奮に満ち満ちた時代である。下克上、酒池肉林の端緒はここにある。

当時公家、寺家、社家、御家人、地頭たちの百姓に対する収奪は過酷であった。
しかし百姓は黙ってされるがままになってはいない。窮地に追い詰められた際には、彼らは反撃に出る。共通の敵に対して一致団結するかと思えば、その翌日には、隣の朋友に対して刈田狼藉、家内追捕、略奪放火をほしいままにするなどは日常茶飯事であった。

もはや誰も信用できない。家族や親族さえも敵であり、敵とみればすかさず昨日の味方に襲い掛かる。
では、「眼には眼、歯には歯」が時代のスローガンであり、「万人が万人の敵」であり、「万人が悪党」であった疾風怒涛の時代に、なぜ百姓たちは彼らの階級的利害にめざめて一致団結し、皇室や武家や権門や宗教勢力をしのぐ政治的共同性を獲得できなかったのか? と著者は自問し、それは彼らが「所職」の法則と原理の壁に己を閉じ込め、その境界を突破できなかった、と自答する。

広辞苑によれば、「所職」とは任ぜられた職務、帯びている職務のことであるが、結局彼らの律儀で生真面目なモラルと自己戒律が、その後数百年にわたってそのまま生真面目に生きながらえ、もしかすると現在もなお彼ら(私たち)自身を貫いているかもしれないのである。

しかし若き日の著者が願ったように、もしも彼らの革命が見事に大願成就していたとするならば、それはそれで早すぎる階級専制国家の血みどろの地獄絵図が展開されていただろう。

おお、今も昔もなんと因業な世の中であることよ!

出棺に思わず拍手が沸いたという小田実の見事なる一生 亡羊

Saturday, January 05, 2008

G・ガルシア=マルケス著「迷宮の将軍」を読む

照る日曇る日第85回

ラテンアメリカ諸国の統一を夢見て1830年、サン・ペドロ・アレハンドリーナの別荘で47歳の生涯を終えた偉大な革命家であり、軍人であり、政治家であり、詩人であり、歌手でもあったシモン・ボリバールが本作の主人公である。

現在のベネズエラのカラカスに新大陸でも屈指の名家の末子に生まれたボリバールは、その生涯の大半を国内の敵対者や占領者のスペインと戦いながら、1819年36歳の暮れには現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドルを統合した大コロンビア共和国を創設し、国会によってグラン・コロンビア共和国大統領に選出される。

しかしスペインのみならずアメリカ帝国主義に対峙する巨大な南米共和国連合を目指すこの理想主義者の美しい夢は、相次ぐ内外の分離主義者の敵対と裏切りと反乱に遭遇して次第に蝕まれ、政治的にも軍事的にも後退を余儀なくされ、彼の孤独な死によってついに完膚無きまでに潰えたかに見えた。

しかしその後欧州連合の成功に刺激されたMERCOSUR(南米南部共同市場)の大同団結は、ある意味ではシモン・ボリバールの理念と理想の21世紀版ともいえるだろう。ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラで構成されたMERCOSURは、人口2億5千万、GDP1兆ドルの実力を備え、アメリカ、カナダ、メキシコのNAFTA(北米自由貿易協定)国と熾烈な競争を繰り広げているのだから。

1989年に発表されたこの小説において、マルケスは長期にわたる取材と膨大な資料の渉猟、研究をつうじて実在した英雄の生涯の最期に肉薄し、「なぜシモン・ボリバールが死に至る病に冒されていたとはいえ、過酷な政治と現実との戦いから逃避し、すべてを放擲するようにして自滅していったか」という謎を明らかにしようとしたが、その執拗なまでのエネルギッシュな追求が、将軍の心の闇に潜む迷宮の秘密を解明することに成功したとは言いがたい。

しかしながら、この小説の冒頭で、

「古くから仕えている召使のホセ・パラシオスは、薬湯を張った浴槽に将軍が素っ裸のまま目を大きく見開いてぷかぷか浮かんでいるのを見て、てっきり溺れ死んだにちがいないと思い込んだ。それが将軍の瞑想法のひとつだということは分かっていても、恍惚とした表情を浮かべて浴槽に浮かんでいる姿を見ると、とてもこの世の人間とは思えなかった」

というくだりを一瞬でも目にした読者なら、たとえ途中で日本列島に大隕石が激突し、関東大震災が再来し、悪夢の2党大連合が実現し、原節子と山口百恵が2人そろってカムバックして仲良く共同記者会見したとしても、最後の最後まで読み続けようと願うに相違ない。


♪道野辺の木の葉を拾いて河に捨つ愚かな人と蔑むなかれ

Thursday, December 13, 2007

ある丹波の女性の物語 第33回 戦後、幼い子供達

遥かな昔、遠い所で第55回

 昭和19年に入るとあらゆる物が統制になり、店の営業は殆ど出来なくなってきた。これからは食べる事だけのために生きているという時代になったのである。

 綾部のような田舎でも灯火管制が行われ、町内会で防空壕を掘り、飛行機の燃料にと、男の人達の松根堀りの奉仕作業も始まった。

 20年に入ると都会の空襲は激しくなり、舞鶴の軍事施設も爆撃されて、綾部からも夜空に燃えさかる火の手が見られるようになった。

 私は毎晩、赤ん坊の長男をいつでも背負って逃げられるよう、枕元に衣類や負い紐を用意して寝たものである。

 貸していた畑を返してもらい、春にはじゃが芋を植えた。父と二人でじゃが芋の芽を切り分け、灰をつけるのであるが、何分馴れぬ事で、二百坪の畑の畝に適当に並べているうちに日が暮れてしまい、土をかぶせるのは又明朝という事にして帰った。

夕食もすみ、お風呂に薪をもやしていると戸をたたく音がする。畑の近くの人がわざわざ自転車で「芋は上に土をかぶさないと芽がでませんよ」と知らせにきて来れたのである。親切は嬉しかったが、父と大笑いした。


♪炎天の 暑さ待たるる 長き梅雨

♪弟と 思いしきみの 訃を知りぬ
 おとないくれし 日もまだあさきに