Friday, August 27, 2010

柄谷行人著「世界史の構造」を読んで

柄谷行人著「世界史の構造」を読んで

照る日曇る日 第366回


世界史の構造を、後期マルクスが資本論で規定した生産様式ではなく、初期マルクスが規定した交換(交通)様式で定義しなおすことによって危殆に瀕した世界を救済しようとする哲学者の絶望的でもあり最後の希望でもあるような知的営為です。

著者は経済的下部構造としての4つの交換様式=1)互酬、2)略取と再配分、3)商品交換4)互酬の高次元の回復、のそれぞれに対応する歴史的派生態を、1)ネーション2)国家3)資本4)新規構成体と位置付け、しかし実際の社会構成体は、こうした様々な交換様式の複合体として存在していると説きます。
現在の資本性社会では商品交換が支配的な交換様式ですが、他の交換様式も消滅することなく「資本=ネーション=国家」という複雑な結合体として存続しているというわけです。(←ここらへんは難解そのものなので、直接本書にあたってくださいな)

ではこの複雑怪奇な複合体をどうやって揚棄するか。どうやって現代のリヴァイアサンをやっつけるか。

そういういわば最新版の階級闘争のためのアイデアも、上記の交換様式という視点から導き出されます。

すなわち旧来の革命論は労働者の生産現場で世界同時革命を起こして資本家階級を打倒しようという夢想的なものでしたが、資本主義が高度に確立されればされるほどそんな無謀な企ては不可能になってしまいました。

しかし考えてみれば労働者の別名は消費者に他なりません。理論武装した消費者が、生産点以外の流通過程で異議申し立てやボイコット等を行えば、資本主義の牙城は多少は揺らぐ、のではなかろうか。のみならず資本が利潤追求のために犯す様々な行き過ぎを是正し、地域通貨や信用システム、協同組合運動の展開によって非資本性的な経済をみずから創造することができるのではなかろうか、という緩い見通しが披歴されたりします。


このように「資本=ネーション=国家」が三位一体となった現代国家を最終戦争の危機から救うために、著者はカントが唱えた世界共和国=諸国家連邦構想を高く評価し、その現実的組織としての国連の活動に人類史のはつかな希望をゆだねようとします。

著者によれば、カントはたんに戦争の不在としての永久平和を夢想したのではなく、諸国民のいっさいの敵意を終わらせ、国家の廃棄を目的とした「段階としての諸国家連邦」を唱えたのです。ほんとうはホッブス以上の人間性悪説に立つカントは、過渡的な諸国家連邦では国家間の対立や戦争を抑止することはできないことを熟知していました。

平和を希求しつつも国家間の利害が対立する。その結果として生じた戦争だけが諸国民に永久平和の決意を再確認させ、そのプロセスの繰り返しによる「血の学習=自然の狡知」だけが諸国家連邦の絆を強固し、国家廃絶の理想に接近させることができる、というカントのシニカルな予測が正しいとすれば、私たちはまだまだ多くの戦争を潜り抜けることなしには世界共和国の夢を実現できないということになりそうです。

絶対平和を射程に据えた思想家の冷酷なリアリズムに肝を冷やされた真夏の読書でした。


戦争だけが平和をもたらすと哲人カント喝破せり 茫洋

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