Saturday, August 07, 2010

遠藤利國著「明治廿 五年九月の ほととぎす」を読んで

照る日曇る日 第361回

まずこの本の題名が面白い。ちょっと破格だが五・七・五になっていてそんなところにも作者の遊び心が隠されているような気がする。

明治二五年には正岡子規は漱石、露伴などと共にとって二五歳。漢文の素読によって遺伝子注入された江戸時代の国学文化を背骨に埋めながら、ご一新によって列島に洪水のように押し寄せた欧米の数理合理主義哲学と欧化政策の余沢にあずかろうと脳髄と手足を欣喜雀躍させていた。明治という時代も、その時代を起動させた逸材たちもおしなべて若かった。

そんな時代と知的開拓者の水準器を若冠二五歳の短詩形文学者に措定し、子規をリトマス試験紙として日本近代のあけぼのを総覧しようとする著者の試みは、タイトルの趣向以上に興味深く、それなりの成果を収めている。

著者は子規二五歳の「獺祭書屋日記」(をテキストに、若き文学者の鋭敏な目に映じた明治二五年から二八年に至る日本の政治、経済、社会、文藝のエッセンスを次々に論じ来たり、かつ論じ去るのであるが、例えば超然内閣と民党の海軍増強予算をめぐる対立など、はしなくも平成の御代の政界混乱とも重畳していることが諒解され、いと面白いのである。

子規は第二芸術、第三芸術として巷で軽んじられていた俳句や和歌の旧態依然たるチョンノマ世界をこんぽん的に革命した人物として知られているが、その最大の武器となったのが江戸時代の有名無名の俳人歌人の作品の研究である。

講談社から出ている浩瀚な子規全集を通読した人ならだれでも知っていることだが、膨大な古歌、古句を渉猟してその無尽蔵ともいうべき膨大なデータベースを脳内に私蔵していた子規だからこそ、縦軸に古今東西の俳句、横軸に明治二五年の政争を交差させた1日1句の切れ味鋭い俳句時事評を即日即夜に陸続と大量生産することができたのである。

私たちは本書に接することによって、明治の新文学者、新しい日本語としての写生文、あるいは明治という新時代そのものがいかに誕生したか、について漠とした知見を得るだろう。

それにしても二五歳全盛期の子規は恐るべき健脚の持ち主であり、たった一日で九里三六キロの遠距離をなんと高下駄ばきで踏破している。
そのような巨大な肉体的エネルギーの持ち主が、その後わずか数年で根岸の里の一帖の畳に拘束され、高熱と激痛の晩年をすごさなければならなかったとは、なんと痛ましい悲劇だろうか。


二五歳 子規も明治も若かった 茫洋

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