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Saturday, January 05, 2013

デヴィット・リーン監督の「戦場にかける橋」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.375


投降したとはいえ軍隊の誇りと規律が大事か、それとも敵国への非協力とサボタージュが大事か、と問われれば、私などはもちろん後者がより重要だと考える。

ところがこの映画の英軍指導者ニコルソン大佐は、前者の考え方に立脚して泰緬鉄道路に架かるクワイ河橋の建設に命を賭けるのだが、ともかく最初の料簡が食い違っているからあんまりアレック・ギネスに加担した映画見物は出来ない。しかし彼が将校の労働を禁じたジュネーブ協定の書類を懐中しているのには驚くとともに感心した。

背後から爆撃を受けたアレック・ギネスは懸命に立ち上がり、落ちた帽を拾いあげ、きちんと姿勢を正そうとしながらその場でどうと斃れるのだが、それがいかにも気丈な英国軍人の最期らしく、さすがはりーンの演出は凄いなと唸らされる。

投降も捕虜もジュネーブ条約も眼中にない無法国の斎藤大佐やヨノイ大佐との違いは、「戦場のメリークリスマス」でもあからさまに描かれていた。もし本邦がまたぞろ中国などと戦争をおっぱじめたら、またもやジュネーブ協定など無視して捕虜をぶった斬ったり民間人を虐殺するに違いない。自慢じゃないが、我々は「個」としては殊勝に悟り澄ましていても、「集団」となって武器を手にすると何をしでかすか分からない危険な人種なのだ。

「クワイ河マーチ」が世界中でヒットしたが、英軍捕虜たちはあんな本当に口笛で吹けのだろうか? いくら世界に冠たる合唱能力の持ち主たちとはいえ、息も絶え絶えに行軍しながらあんな高い音をだせるとは信じられない。


初夢で安倍の覆面ライターを頼まれし吾頑なに辞して名古屋に帰る 蝶人

Wednesday, December 26, 2012

五味文彦編・現代語訳「吾妻鏡12」を読んで



照る日曇る日第555回 &鎌倉ちょっと不思議な物語第270回



本巻では鎌倉御家人の最強であったはずの三浦氏一族が武装蜂起したにもかかわらず哀れ北条一門の軍門に降る。寛元5年・宝治元年1247年の宝治合戦である。

「吾妻鏡」では御霊神社付近に拠点があった安達景盛一族が挑発したために三浦氏が決起したかのように記述されているが、これは北条側がみずからの陰謀を糊塗するためのでっちあげ記事だろう。悪辣な北条ばらは、当時競合していた安達・三浦両御家人を計画的に退治するために、まずは安達を取りこみ、その連合軍が500名を超える三浦一族の武士たちの隙をついて皆殺しにしたに違いない。

現在の頼朝の墓の下にある法華堂に集結した三浦勢は、今はこれまで、と全員が自決するが、棟梁のひとり三浦光村は誰の首だか分からなくするために刀でおのれの顔を削り「どうが、これなら分からないだろう」と仲間たちに尋ねてまわったという証言が残っているが、三浦氏とはそういう勇猛果敢な武士だった。

もっとも彼らも、北条と一緒になって私の大好きなあの剛毅な英雄畠山重忠や和田義盛の一族を騙し討ちにしているから、自業自得といえばいえるのだが。

本巻ではたとえば宝治2年7月小10日などに女性の財産を男性から護る条文を掲載していて、鎌倉時代までは女性の経済的権利がある程度保証されていたことが分かるが、そんなことより蝶マニアのわたくしには同年9月に2度に亘って鎌倉市内を飛び回った黄色い蝶の大集団が気になる。

恐らくはシロチョウ科・モンキチョウ亜科に属するキチョウだろうが、その発生は通常夏であり、旧暦の9月といえばほぼ初冬であるからこんな時期に群れをなして飛翔することはありえない。三浦勢を騙し討ちにした北条がそれを天変地異に転化したり、悼んでいるかのように演出するための「作文」ではなかろうか。

待ちかねた新車ようやく店に着き白きアクアで妻と帰りぬ 蝶人

Tuesday, December 18, 2012

市川昆監督の「四十七人の刺客」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.366

池宮彰一郎の原作を読んだことがないのでなんとも言えないが、今までの赤穂浪士余話とはずいぶん違った内容で、首をかしげる箇所も多かった。

たとえばあの謹厳な大石内蔵助があんな軽佻浮薄な京女にうかれてにわかに子をなしたりするものだろうか。それ以外にも鎌倉の料理屋のおかみと風呂場で濡れ場を演じたり、大事な討ち入りを控えているというのに行状に隙がありすぎるのである。

よし脚本がそうだとすれば、そんな硬弱併せ持つ複雑なキャラを高倉健のような素人大根役者が演じられるはずがない。吉良上野介の頸を血まみれになってちょんぎるラストまで違和感が付きまとって離れなかった。致命的なミスキャストだと思う。

市川昆の演出もしゃらくさいもので、例えば家老の妻のたもとが締めた戸に残っているのをぐいとひっこ抜く無くもがなのシーンにそれが現れている。

面白かったのは吉良邸が要塞のように強固に固められていて、義士が閉じ籠められたり行き場に困ったり、首領の内蔵助自身が刀を振るって懸命に血路を切り開いていたこと。もっとも興味深かったのはこの映画が、吉良を殺されるいわれのない人物として描いていることと、内蔵助が主君の仇討を口実に、幕府に対してひと泡吹かせようとしてさながら大塩平八郎のように決起していることであった。

されど内蔵助が大金を使って上野介の悪人キャペーンを行ったり、ドスを振りかざす内蔵助に向かって浅野内匠頭刃傷の秘密を明かそうとする上野介をぶっ殺してしまうシーンなど、まことに奇妙奇天烈後味の悪い忠臣蔵であった。

一枚の落ち葉となりて犬踊る 蝶人


Wednesday, December 12, 2012

小栗公平監督の「泥の河」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.364

泥の河を挟んだ廓船と食堂に住む人々、とりわけ3人の少年少女の出会いと別れを描いた日本映画の傑作である。

冒頭の馬車曳きの死、橋の下に蠢く大魚、引き続き描かれる水の人と陸の人とのつかのまの友愛の姿は儚くも美しい。

廓船で客を取る加賀まり子の怪しいまでの妖艶さを見よ! それは焼かれて燐光を発しながら悶える蟹の残酷なまでの美しさともシンクロしている。何度見ても心に響く見事な映画である。


原宿の竹下通りでごろつきに殴られたルネ・コロいたまし 蝶人

Tuesday, December 11, 2012

今村昌平監督の「豚と軍艦」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.363

この映画でいちばん驚いたのは、生命力あふれる長門裕之の演技でもなく映画初出演の吉村実子の新鮮な肉体でもなく、ましてやどぶ板通り狭しと荒れ狂う豚共の大暴走でもなく、胃がんで余命三日と通告された丹波哲郎の親分が横須賀線に飛び込もうとしてできずに見上げたその視線の先に堂々と掲示されている日産生命の「つかもう明るく豊かな暮らし」の巨大看板であった。

ちなみにこの生命保険会社はこの映画の協賛スポンサーになっているのである。
ロケ地の横須賀狭しと暴れ回る今村の自由奔放な演出ぶりにおしみなき拍手を!

鎌倉ざーます夫人は「紀ノ屋」ビンボー人のおいらは「鎌万」に行く 蝶人

Monday, November 05, 2012

福田晴一監督の「二等兵物語」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.338

伴淳三郎と花菱アチャコの二等兵物語。かれらの悲惨な軍隊生活を通じて反戦を訴えようとしている。

陸軍の兵舎に女性が訪ねてきたり、子供を便所に何日も隠したりできるとも思えないが、そういうことを平気で描いている本作のハイライトは、上官のいじめと虐待と暴力に頭に来た伴淳が、敗戦となって醜い振舞いをする彼らを機関銃で脅しながら、その非を鳴らす大演説をぶつシーンである。

そこでは理不尽な暴力と恐怖で強制的に部下を従属させるのではなく、愛と友情と協同にもとづく愛国的な軍隊組織のヴィジョンが語られるのだが、声涙俱に下りすぎてお涙頂戴の上官の告白まで飛び出す脚本はかえってよろしくなかった。

それにしてもこの映画で描かれたような帝国陸軍軍隊の非人間性は、日本人の最悪の側面であり、その遺伝子はいまなお現行の軍隊組織と我等の精神に生きながらえているのだろう。

左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈 蝶人

Saturday, October 20, 2012

神宮、熊野、高野山を巡る




茫洋物見遊山記第93回 

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人

Sunday, September 30, 2012

西村雄一郎著「殉愛 原節子と小津安二郎」を読んで



照る日曇る日第542回

家から歩いて10分くらいのところにこの大スタアが住んでいたので、けっしてパパラッチということではなくて散歩がてら浄妙寺まで出かけたものだったが、家内と違ってとうとうその実際のお姿を瞥見することは叶わなかった。

小学館の元編集者でかの「日本国憲法」をものした島本脩二さんも、かつてここで何日も張り込みを続けたそうだが、結局駄目だったという。

浄妙寺の隣の熊谷さんと家内は顔見知りだったが、その熊谷さんの父親が原節子の姉の連れ合いであり、戦前戦後に活躍した映画監督兼プロデューサーであり、この「永遠の処女」の処女を奪ったかもしれない、などと噂されているとは知らなかった。

その噂を信じた東宝の元社長の藤本真澄が原節子への恋を諦め、しかし彼女を経済的に庇護し続けたのみならず、パパラッチどもの特ダネ情報の公表を何度も阻止していたとは、これまたついぞ知らなかった。

そういう下世話な話が満載の実録ドキュメンタリーでもあるのだが、本書は表題のとおり、この日本映画界を代表するビッグネームが生涯にわたって貫き通したプラトニック・ラヴを巡る考察と推論であり、「麦秋」などの作品に影を落とした彼の戦争体験について具体的に言及した初めての解説書でもある。

小津の有名なロー・アングルは、正確には「ロー・ポジション、水平アングル」であることや、全作品で台詞のラスト10コマと次の台詞の冒頭の6コマの合計16コマ、3分の2秒が必ず空けられており、これが彼の映画に独特のテムポを創造したことなども、私は本書で初めて教えられた。

こういう人の娘さんならと結婚しましたいまの家内と 蝶人


Monday, September 24, 2012

山田洋次監督の「男はつらいよ」第1作を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.315


 ここでいきなり画面に乱入してくる寅次郎は怒れる侠客であり後年の円熟して謙虚で穏やかな寅さんの姿ではない。妹の見合い結婚をぶち壊す乱暴狼藉は、ほとんど狂気の沙汰である。

私はここで寅次郎の姿を借りて原作者の血肉の奥底に潜む幸福で平和的な市民生活、学歴があり高収入で豊かな生活を享受している人間に対する嫉妬と羨望と憎悪ということを思う。

そしてこの己の頭上に神々しくそびえる富裕階級に対する理由なき軽蔑と拒絶こそが、今も昔も原初的な革命への衝動を準備するのである。

けれども20年振りに懐かしい故郷に戻った道楽息子は次第に温和な小市民と化し、みずからの存在理由をどんどん喪失してゆくのだが、その都度ぎりぎりの土壇場で負け戦の現場を逃走し、そのことによって革命児としてのみずからを鍛え直すのであった。

風天の虎と発する革命戯 蝶人

Tuesday, September 11, 2012

大林宣彦監督の「転校生」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.308


いくらなんでも神社の階段から2人でごろごろ転がり落ちたら男と女が入れ替わってしまうなんて下手なSFでもありえない。しかしそのありえない無理筋を強引に映画にしてしまうのが監督の腕前で、しばらくすると尾見としのりが小林聡美で小林聡美に見えてきてしまうから映画の魔術とはげに恐ろしいものである。

風光明媚な尾道はカラーよりもモノクロームのほうがよく似合う。ラストでトラックを追いかける小林聡美の八ミリビデオの中の映像こそ、永遠の青春のモンタージュであろう。


蝉時雨行方不明者は見つからぬ 蝶人

Saturday, September 01, 2012

大島渚監督の「新宿泥棒日記」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.300

横尾忠則が紀伊国屋で訳も分からず本を盗んで社長の田辺茂一の自著をもらったり、横山リエが佐藤慶と渡辺文雄に犯されたり、横山と横尾が状況劇場の麿赤児や李礼仙と赤テントで共演したり、突然横山リエがオシッコしたり、佐藤慶がセックスというのは不感症的な性器を感じるようにすることだと語ったり、新宿東口派出所が襲われたり、西口広場でフォーク集会が開かれたり、東口広場でパフォーマンスが行われたり、まるでいきあたりばったりの即興的演出だが、それでも辛うじて「映画」という古典的な範疇に収まっているのは、35ミリや8ミリ手ぶれフィルムからから終始正体不明の訳の分からない60年代潜熱がマグマのように放射され、よく考えてみれば無意味で無内容な言説が恥知らずな直截性と鈍重な肉体性によって覆われているからであって、けっしてこの映画における大島(たち)の視線が男は女を犯す存在であり女は男から犯されるのを待っているなどという安直なテーゼを爬虫類の脳内に安置し、♪ひとつでたほいのよさほいのホイ的なあからさまな男尊女卑のどうしようもない下劣な猥歌で全篇が彩られているからではないのだよ。

この夏も現れ出でたる大ウナギ毎晩川を悠々と泳ぐ 
こんな長さのこんなぶっといウナギでねと腕がどんどん伸びてゆく 蝶人

Saturday, August 11, 2012

瀬戸内寂聴著「烈しい生と美しい死を」を読んで




照る日曇る日第529回 

えげつないタイトルだが、激烈な生涯を完走した伊藤野枝、辻潤、大杉栄、荒畑寒村などの革命家、詩人、芸術家などの生と死の火花を活写している全力疾走エッセイだ。

 葉山の日陰茶屋で新参者の野枝に出しぬかれた神近市子が、嫉妬に狂って刃物で大杉の首を刺した有名な事件も、結局は一世一代の色男、大杉栄の3つのフリーラブ行動方針の余滴であったことが本書を読んで呑み込めた。

 「春3月縊り殺され花に舞う」と詠んだこの大正の世之介は、ポスト大逆事件の革命運動の後退に焦れて女体狩に遁走し、1)お互いに経済上独立する 2)同棲しないで別居生活をする 3)お互いの自由(性的を含め)を尊重する、の3大マニュフェストを掲げて本妻の保子と対抗馬の市子に臨むのだが、意外や意外、大穴の伊藤野枝と相思相愛の仲になり、この清濁併せ呑む世紀の燃ゆる恋は大正12年9月の関東大震災における甘粕大尉らによる惨殺によって幕を閉じるのである。

 それにしても伊藤野枝のいきざまの物凄さよ。平塚らいちょうから譲り受けた「青踏」をなんとか発行しながら辻潤との間に2児、栄との間に5児をもうけている。たった28年の短い生涯の間に7人の子をたてつづけに産みながら、それこそ男をこやしに、女性として、人間としてあっけらかんと成長を遂げて行ったのである。

 本書でもっとも感動的なのは著者と歴史上の人物たちとの出会いで、とりわけ栄と野枝の長女魔子との哀切な対話、そして幸徳秋水に恋人管野須賀子を奪われた荒畑寒村との邂逅は、読者の胸を打たずにはいないだろう。

 いずれにしても著者がいうように、この本は、ある日突然電撃のごとく落下してその人を直撃し、「常識や倫理観、貞操をこっぱみじんにしてしまう恋の怪力」を知らない人には無縁の書物であろう。

     それが恋青天の霹靂我らを直撃す 蝶人

Thursday, July 26, 2012

舛田利男監督の「二百三高地」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.283

駄優、あおい輝彦を主人公に、往年の有名スターがどっさり出演している日露戦争夜話であるが、演出がひどすぎる。

恋人を戦地に送り出した新婚ほやほやの夏目雅子をフューチャーしながら、さだまさしの聴くだに恥ずかしくなるようなおセンチな音楽がこれでもか、これでもかとかぶさる。

映像だけで語り尽くせない不安と自身のなさから、こういう感傷過多の三流演歌におんぶにダッコだっこするのである。なにが「愛は死にますか」だ。そんな恥ずかしい歌を臆面も無く歌えるもんだ。お前が勝手に死ね。

笠原の脚本も酷過ぎる。児玉源一郎の加勢でようやく二百三高地を落とした乃木将軍(仲代達矢)が明治天皇の前で報告書を読みあげながら万感胸に迫って号泣、号泣、また号泣するというお涙頂戴の茶番劇に堕してしまった。

それにしても三船敏郎の明治天皇はないと思うけど。


夕間暮れ君と歩けば茜雲消えゆく空にカナカナ鳴きたり 蝶人


Saturday, July 21, 2012

森史朗著「ミッドウェイ海戦第一部」を読んで




照る日曇る日第524回

真珠湾の奇襲で大戦果を挙げたばかりの世界に冠たる大日本帝国艦隊が、そのおよそ半年後の1942年6月5日の中部太平洋沖でいったいどうして主力空母4隻撃沈という惨憺たる敗北を喫したのかかねがね疑問に思っていたので手に取ったのが本書である。

 著者によれば、本来なら永野総長指揮下の軍令部がこうした大きな作戦を企画立案するはずが、真珠湾のお手柄で山本五十六の存在が圧倒的に大きくなったために永野が遠慮し、下部組織の連合艦隊側の発言権が増大していたそうだ。

 そしてその幕僚では山本が偏愛する奇人変人の黒島主席参謀が独走し、山本はそれを放任していたという。また海軍全体でミッドウェイで敵空母と一戦を交えようとするコンセンサスなどはまるでなく、そもそも山本が望んでいたのは「ハワイ占領戦」であり、時代遅れの「戦艦」大和に自らが座乗してミッドウェイに乗り込むなど望むところではなかったという。あまつさえ彼は艦隊の一部を割いてアリューシャン方面に派遣し、あってはならない戦力の分断の愚を自ら犯していたのである。

 しかしいずれは圧倒的な米軍の前に膝を屈する日が来るにしても、それを一日でも遅らせ、講和に持ちこむチャンスを憎大させるために、ここで敵空母を徹底的に叩いておかねばならぬ。そういう思いでは各自の志操は共通していた。しかし山本はその指揮下の南雲忠一第一航空艦隊司令官とは不倶戴天の間柄であり、その他日本海軍首脳相互と各幕僚たちの連携は米軍のそれにくらべても悪かった。

ちなみに彼我の戦力を比較してみると日本海軍は空母・戦艦の数、高速艦隊の機動性、戦闘機と搭乗員の優秀性で上回っていたが、敵がフルに活用しているレーダーはなく対空火器が不十分で航空機の防弾・火災対策がなされておらず、なによりも、「策敵と情報収集」に対して驚くほど無神経で無為無策であり、結局これが致命的な敗戦の要因になったといえる。

とりわけ最新型の策敵機を持ちながらそれを活用せず、空母直掩機を一艙当たり僅か3機で良しとした航空甲参謀源田実や参謀長草鹿龍之介、「攻撃機の半分は魚雷装備で待機せよ」という連合艦隊司令長官自らの命令を、かつての真珠湾への第2次攻撃と同様に無視した南雲一航司令官の罪は大きい。ちなみに著者によれば南雲は軍人にあるまじき小心者であった。

初戦の大勝におごり、なんの客観的な根拠もなく「鎧袖一触敵をほふる」などと豪語していたわが軍の指導層の恐るべき傲慢と無知と夜郎自大、意思不統一と内部対立と混乱がこれほどひどいとは知らなかった。


死刑廃止すれば道連れ殺人あきらめて一人静かに死んで呉れるか 蝶人

お知らせ 薔薇が咲く港に浮かぶイージス艦YOKOSUKAは今日も仮想敵と戦う
 このうたが本日の「日経歌壇」岡井隆氏選の3席に入りました。


Monday, July 09, 2012

森崎東監督の「時代屋の女房」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.275


村松の原作は読んだことがないが、渡瀬恒彦が演じた映画の主人公と違って、私は夏目雅子が演じた女房のキャラクターの流動性と不確定性にまったく魅了されなかった。

野良猫のように野性的で気まぐれな女はそれなりに魅力的なのだろうが、そういういわゆるひとるのファムファタルに振り回されている男に対しては、てんで同情する気にはならない。

森崎の演出も脚本もちあきなおみの主題歌までも不発で、強いて挙げれば津川雅彦の演技が多少光ったくらいのもの。こんな映画を2時間近く見物する値打ちはてんで無かったな。


鎌倉の谷戸のはずれの一軒家「隅田の花火」人知れず咲く  蝶人


Friday, May 25, 2012

「山本周五郎戦中日記」を読んで




照る日曇る日第516回


本書には1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃の日から1945(昭和20)年2月4日までの日記が全文復刻されている。

当時彼は38歳。東京大森の馬込文士村に居を構え、連夜の空襲の中を防空壕と行き来しながら代表作となる「日本婦道記」などを雑誌に連載していたようだが、空襲を今か今かと待ちながら彼は「鉄兜をかぶって玄関先で小説を書き」、空襲警報が鳴ると組長として隣組を駆けずりまわって避難させ、敵機が去るとまた原稿用紙を広げ、ヒロポンを打ちながら徹夜して書きまくという日々が続くのである。

この頃の出版社は用紙が配給になり短編の依頼ばかりだったようだが、作家は愛する妻子のために、否それ以上に鬼畜米英と戦う祖国と同胞のために、彼の最善の小説を書くことをもって彼の戦争とみなしている。ここでは書くことが最前線で敵と砲火を交えている兵士の戦闘と完全に等価になっており、空襲で死ぬことも恐れぬ文字通り「決死の文学戦争」が書斎で戦われていたことが分かる。

 昭和19年11月9日には「スターリンが革命記念日に日本を侵略者と断言した。この事実の重さを責任者は正当に理会しているのか」という記述があるが、著者の願いも空しく当局はソ連に対する備えを怠り、昭和20年8月の対日宣戦と南樺太や北方領土の不法占領を許したことを我々は記憶し続けなければならない。

 「己には仕事より他になにものも無し、強くなろう、勉強をしよう。
 己は独りだ、これを忘れずに仕事をしてゆこう。
神よ、この寂しさと孤独にどうか耐えてゆかれますように」(昭和19年10月19日)

「しっかり周五郎」と綴った著者だったが、この日記が終わったあとの3月には東京大空襲で長男が行方不明となり、5月には愛妻を喪う。作家の命懸けの戦いは、その後も長く続いたのである。


過去に向きあうなんてそんな恐ろしい事あっしにはできまへん 蝶人