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Tuesday, December 18, 2012

市川昆監督の「四十七人の刺客」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.366

池宮彰一郎の原作を読んだことがないのでなんとも言えないが、今までの赤穂浪士余話とはずいぶん違った内容で、首をかしげる箇所も多かった。

たとえばあの謹厳な大石内蔵助があんな軽佻浮薄な京女にうかれてにわかに子をなしたりするものだろうか。それ以外にも鎌倉の料理屋のおかみと風呂場で濡れ場を演じたり、大事な討ち入りを控えているというのに行状に隙がありすぎるのである。

よし脚本がそうだとすれば、そんな硬弱併せ持つ複雑なキャラを高倉健のような素人大根役者が演じられるはずがない。吉良上野介の頸を血まみれになってちょんぎるラストまで違和感が付きまとって離れなかった。致命的なミスキャストだと思う。

市川昆の演出もしゃらくさいもので、例えば家老の妻のたもとが締めた戸に残っているのをぐいとひっこ抜く無くもがなのシーンにそれが現れている。

面白かったのは吉良邸が要塞のように強固に固められていて、義士が閉じ籠められたり行き場に困ったり、首領の内蔵助自身が刀を振るって懸命に血路を切り開いていたこと。もっとも興味深かったのはこの映画が、吉良を殺されるいわれのない人物として描いていることと、内蔵助が主君の仇討を口実に、幕府に対してひと泡吹かせようとしてさながら大塩平八郎のように決起していることであった。

されど内蔵助が大金を使って上野介の悪人キャペーンを行ったり、ドスを振りかざす内蔵助に向かって浅野内匠頭刃傷の秘密を明かそうとする上野介をぶっ殺してしまうシーンなど、まことに奇妙奇天烈後味の悪い忠臣蔵であった。

一枚の落ち葉となりて犬踊る 蝶人


Tuesday, October 02, 2012

マイケル・ウオドレー監督の「ウッドストック」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.321


1969年8月15日から17日までおよそ50万人を集めてNY州ベセルで開催された屋外ロックコンサートをライヴ収録した長編ドキュメンタリー映画である。

個人で広大な農場を提供した白人の好意あふれるコメントや、白哲の仕掛け人、糞尿をバキュームで汲みだして掃除するオジサン、宴のあとの廃墟のような会場で西瓜を喰らう若者や黙々と後片付けをするボランテイア、河の中で全裸で泳ぐ男女、草っぱらでファックする2人などなど実に興味深い映像がインサートされているが、なんといっても演奏の白眉はジョーズ・バエズの「Swing Low, Sweet Chariot」、ジャニス・ジョプリンの「Work me Lord」オオトリのジミー・ヘンドリクスん「アメリカ国歌」である。このように悲愴な歌唱と超絶的なギタープレイは、まさに空前にして絶後であろう。

それにしてもこのような途方も無い楽天的な暴挙が、ベトナム戦争当時のアメリカで可能になったのか今となっては不可解であり、さながら夢の夢のまた夢のように思えてならない。アメリカはその後ものたうちまわって9.11を経験するのである。


来る朝ごとにブッロクフローテ練習していた小学生いつしか髭のリーマンになりおおせたる 蝶人

Monday, September 24, 2012

山田洋次監督の「男はつらいよ」第1作を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.315


 ここでいきなり画面に乱入してくる寅次郎は怒れる侠客であり後年の円熟して謙虚で穏やかな寅さんの姿ではない。妹の見合い結婚をぶち壊す乱暴狼藉は、ほとんど狂気の沙汰である。

私はここで寅次郎の姿を借りて原作者の血肉の奥底に潜む幸福で平和的な市民生活、学歴があり高収入で豊かな生活を享受している人間に対する嫉妬と羨望と憎悪ということを思う。

そしてこの己の頭上に神々しくそびえる富裕階級に対する理由なき軽蔑と拒絶こそが、今も昔も原初的な革命への衝動を準備するのである。

けれども20年振りに懐かしい故郷に戻った道楽息子は次第に温和な小市民と化し、みずからの存在理由をどんどん喪失してゆくのだが、その都度ぎりぎりの土壇場で負け戦の現場を逃走し、そのことによって革命児としてのみずからを鍛え直すのであった。

風天の虎と発する革命戯 蝶人