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Sunday, January 06, 2013

山形国際映画祭グランプリ、王兵監督の「鉄西区第一部工場」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.376

中華人民共和国遼寧省の瀋陽の銅や鉛の精錬工場の浮沈を描き尽くした4時間を越える長編ドキュメンタリー映画で、03年の山形国際映画祭グランプリに輝いたそうだがそれもなるかなの秀作だ。

この工場はもともと中国を侵略した日本帝国が資源確保のために作ったのだが、この老朽施設が多くの労働者の手で稼働し続けていた。しかし工場群は2000年代に入って経営に失敗して次々に労働者は解雇され、ついに施設自体が閉鎖されるにいたるのだが、その間の労働者の悲惨な生活や工場の劣悪な環境をキャメラは冷静に見詰め、とにもかくにも生き続けることの過酷さと切なさをしみじみと訴えかける。

そして王兵以下のスタッフも、息を殺してその画面を流れる時間を生きているように感じられるのである。

職は無く金無く友無く望み無き若者たちに冬は来にけり 蝶人

Friday, December 28, 2012

ビャンバスレン・ダバー監督の「天空の草原のナンサ」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.371

ワカメ「「モンゴルの女性監督が母国の実在の家族を起用してその日常を描いたドイツ映画です。」

マスオ「大草原で羊の放牧をやっている一家の貧しいながらも楽しいパオの中での暮らしぶりが私たちの心を洗う。映画では別の放牧地に移動するためにパオを解体する様子をくわしく紹介しているが、この解体や組み立ては一人では無理だな。」

カツオ「若い夫婦には二人の女の子と一人の幼い男の子がいるんだけど、物語のナンサという女の子が草原で拾ってきた犬が問題。その前にそもそもナンサが言いつけられた羊の面倒をほっぽり出して犬探しに夢中になるのが問題。こんなのは我が家では絶対に許してもらえないよね」

波平「牧人が一匹のヒツジのために他の多くの羊を顧みないという話が聖書に出てくるが、ナンサもこれと同様に大事な羊をうっちゃらかす悪いやつ。しかし彼女の母親は叱らずに愛情でやわらかくつつむ。これは我が家ではなかなか出来ない真似だね。」

サザエ「モンゴル人の心の原郷にしばし親しむことができたナンサだったが、都会で学業を続けるためにふたたび大草原と羊と愛犬に別れを告げなければならない。古くて懐かしいモンゴルの世界の崩壊と新しい世界のはじまりをなまなましく描き出している映画でしたね」

死してなおシベリウスについて語り継ぐ吉田秀和『名曲のたのしみ』 蝶人


Monday, December 24, 2012

ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.369

怪物フランケンシュタインは果たしていとけない少女を殺めたのだろうか? スペインの寒村にやってきた1931年製作の映画でそんな疑問を懐いた少女アナの心の旅路を辿る映画である。

みつばちの栽培と研究に朝まで没頭する高齢の父親、どこかの誰かに向かって手紙を書き続ける若い妻。そして2人の間に生まれた幼い2人の娘が同じ館に暮らしているが、夫婦の間はバラバラ。毎晩隣同士のベッドで眠る姉のイザベルと妹のアナは仲良しではあるが所詮はあかの他人なのだ。

こういう家族のありようがフランコ独裁時代のスペインを象徴しているとまことしやかに説く連中もいるが、そもそも人間は孤独な存在なのだ。

アナは怪物フランケンシュタインと巡り合い、「信じることさえできれば誰とでもお友達になれるのよ」と呟くが、その純真な心が果たしてこのモンスターに通じるのであろうか?
大きな謎を残したまま映画は突然終わってしまう。

バーキンの頬柔らかきクリスマス 蝶人


Tuesday, December 04, 2012

ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャル監督の「西部開拓史」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.357

先住民時代から南北戦争の混乱を経て現代に至るまでのアメリカの西部開拓史をある開拓家族3世代の歴史をつうじて、3人の監督が全5部構成で演出している。

ファミリーのエピソードを追いながらアメリカの歴史を回顧するのは難題であり、しかも監督が1人でないから余計難しく、時折登場人物の相互関係がよく分からなくなったりもするが、全体的にはまずまずの仕上がりだろう。

この国を支えてきた底抜けの楽天性と反省や内面的な思索なき「ともかく西に行くんだゴーゴー前進主義」が野放図に発揮された、そういう意味では典型的にアメリカらしい映画といえよう。しかしここでジョン・フォードはたいした仕事をしているとは思えない。

 「大いなる西部」のキャロル・ベーカーとグレゴリー・ペックがここでも登場しているが、本作での彼女のお相手役はジェームズ・スチュアート(猟師役で好演)である。ギャンブラーのペックに惚れられる「雨に唄えば」のデビー・レイノルズが、本作でも見事なレビュー・ダンスを演じている。


今日もまた「行方不明者が出ました」と市の拡声機が叫んでる 蝶人

Friday, November 23, 2012

陳凱歌監督の「子供たちの王様」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.351


1960年代後半、文化大革命時代に毛沢東が断行した「下放」政策によって都市の若者が中国の僻地へ送り込まれた。この映画の主人公は教育経験のない田舎の若者だが、人里離れた山の上の中学校の国語教師に任命され、突如教壇に立つことになる。

 などという背景はどうでもよろしいが、陳凱歌の映画では人物や事件や風物自体も美しくきっかりと描かれていて感銘を受けるのだが、正確にいうと彼が描こうとしているのは、人物や事件や風物自体ではなく、それらのアトモスフェールやたたずまいであり、そのたたずまいを成立させている静かな時の流れであると感じられる。彼は映画的事件ではなく、そのフレームの外を流れる静謐な時間そのものを直視しているのである。

 しかしこの映画は時の政治権力とは無縁な教育の理想的なあり方を追及する実験映画でもあり、専門教育の手あかにまみれた手法に無縁の素人の若者が、教科書を捨て、カリキュラムを捨て、辞書を捨て、即興的な試行錯誤を繰り返しながら、自発的に学ぶことの楽しさを徒手空拳で見出していくプロセスは感動的ですらある。

 中国であろうが日本であろうが、恐らくこのような地道な手作りの全人教育だけが本当の児童教育なのであり、それはかのジュリアン橋下ソレル市長などが大阪で取り組んでいる岡っ引き教育の対極に位置するものなのだろう。

二読三読四読まだ意味不明この新古今調のコンチキチン 蝶人

Saturday, November 10, 2012

ルイ・マル監督の「好奇心」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.343


原題は「Le Souffle au Coeur」だから邦題の「好奇心」とは無関係。「心臓ドキドキ」とか「心臓パクパク」の方がベターだろう。ちなみにこのSouffleという単語を使ったゴダールの「À bout de souffle」も、邦題の恣意的な「勝手にしやがれ」を「息も絶え絶え」に改めてほしいものだ。

さてこの作品は、植民地ベトナムの独立戦争で敗北しつつある1950年代のパリの中産階級の人々の動揺をバックに、思春期を迎えたパリの少年の心身の混乱と成長をあざやかに描破したルイ・マルの傑作である。

2人の兄貴の協力で15歳にして「筆おろし」に成功した主人公は、それに自信をもってどんどん色気づいていくが、実の母親へのあこがれが頂点に達しとうとう「寝て」しまう。いわゆる近親相姦がかくも美しく感動的に描かれた映画はかつてなかったしこれからもないだろう。

まだ若く魅力的な母親は不倫をしており、相手と駆け落ちしようと決意したり、やっぱり諦めて戻って来て実の息子と性交したりするわけであるが、最終的には夫と別れもせず睦みあい、ふつうに家族を続けることになる。

そんないっけん平静な人間関係の奥底にわだかまる性のマグマの蠢きをじつに静謐なトーンで映像化してゆくリカルド・アロノヴィッチのキャメラが素晴らしい。私は昔この長身のインテリとバハマで知りあってちょっと映画の話をしたことがある。彼はマッチ箱くらいのカメラをもてあそびながら、「パリに来たら寄りなさい」といって細長い名刺を呉れたが、どこかへいっちゃった。

ヒッチコックのごとく一点景となりてこの世を生きたし 蝶人

Wednesday, October 31, 2012

新説亜細亜版桃太郎音頭



ある晴れた日に 117


一、桃太郎さん 桃太郎さん
海に浮かんだ尖閣竹島
全部わたしに くださいな 

二、やりましょう やりましょう
これから北の征伐に
ついて行くなら あげましょう 

三、行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
仲間になって 行きましょう 

四、そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 北の熊

五、おもしろい おもしろい
のこらず四島攻めふせて
分捕物を えんやらや 

六、万々歳 万々歳
お伴の犬や猿雉子は
勇んで車を えんやらや

七、桃太郎さん 桃太郎さん
これであらかた片付いた
今度は東を攻めましょう


秋の蚊を柔らかく叩いて殺す午後 蝶人

Tuesday, October 30, 2012

西暦2012年神無月 蝶人狂歌三昧



ある晴れた日に 116



思い出をひとつ殺してまたひとつ生みだしながら今日も過ぎゆく

究極の幸せとは人に愛され人に褒められ人の役に立ち必要とされること

ここで飛べ1969ウッドストック 飛んだ奴らはどこへ行ったか?

AKBなんてみな同じ顔しょんべんくさいイモねえちゃんばっかり

国産のゴマダラチョウが中国のアカボシゴマダラに駆逐される関東平野

朝っぱらからオオミズアオの幼虫を4匹も殺してしまって気色悪し

脳内にざわめく嵐御しかねてお父さん大嫌いと喚きだしおり

変にいじくってると死んでしまうでしょ自分の歌が

職業に貴賎はなけれど忌むべきは三百代言投資ファンド

弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百

神仏も天皇陛下も無用ですこの世を私が生き抜くために

ほむべきかな もろびとこぞりて称えよ奇跡の夜 こんな演奏を聴けるとは夢にも思わなかった 生きていて良かった 鎌響よありがとう

ためらいも恥も無く色紙に書きなぐるほんにお前はアホ馬鹿文士 

台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり

音楽はこれでいいのだヘンデルのアホ馬鹿音頭に陶然となる

「戦争だあ!」と喚く都知事に石原軍団尖閣出撃

一杯の水の中にいるベートーヴェンを飲む

来る朝ごとにブロックフレーテ練習していた小学生いつしか髭のリーマンになりおおせたる

こういう人が母親なら大丈夫だろうと思っていまの家内と結婚しました

クライアントの仕事待つ身は悲しけり朝から晩まで携帯鳴る待つ

けふこそはクライアントの電話あらんか手ぐすね引いて朝から待ちおり

往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ

掌にスマホ握りしめ若者は異界との交信に夢中である

古井由吉撰集パタリと閉じて思う中年男の妄想の凄まじさ

店員は茶髪を黒にして働けり閉店迫りしガソリンスタンド

Go ahead, Make my day!ドラ猫が三毛猫にいきまく真夏の昼下がり

襤褸襤褸の羽根でなお食草を探すアゲハにとって生とは何か

左側にハンドルを切って墜ちてゆくときの軽いめまいと快感よ

刺青は大嫌いだが入れたけりゃ入れよ猫も杓子も

刺青は大嫌いだけど入れたい人は入れなさいここは自由の国だから

今日もまた時給40円の労働に汗を流す子我が子愛しや

異界との通信に夢中なりスマホ族

秋蝉のとぎれとぎれの叫びかな

今生の思いを歌え秋の蝉

秋雨やガソリンスタンド終業す

秋茄子を一袋百円の有り難さ



*今月の童謡 モウモウ牛さんねんねぐー

山にはうぐいすホーホケキョ 

遠いお空に雲ひとつ 

モウモウ牛さんねんねぐー 

父さん母さんそして僕 

みんな揃ってねんねぐー 

アスパラ海を泳いで渡る 

難儀な夢を見ています 

やがて朝寝が終わったら 

モウモウ牛さんミルクを飲んで 

しばらくお昼寝ねんねぐー 

モウモウ牛さんねんねぐー 

すると太鼓がドデスカデン  

みんな揃って大行進 

大きな音で夢からさめた 

山にはカラス クワクワクワ 

遠いお空はあかね色 

あっと言う間に夕方だあ 

モウモウ牛さん霜降り食べて 

家族揃って宵寝する 

モウモウ牛さんねんねぐー 

はてさてこれからどんな夢 

夢は第二のじんせいだ 

大冒険のはじまりだあ 

モウモウ牛さんねんねぐー 

夢を見るのに疲れたら 

時々起きて居眠りしましょう 

モウモウ牛さんねんねぐー 



今朝もまた一輪天青の青を偸しむ 蝶人

Thursday, October 25, 2012

リティー・バニュ監督の「さすらう者たちの地」を見て





闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.333


これは2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞を受賞したフランス映画である。ロンノル政権時代の苦難とその後のポルポト政権による大虐殺に耐えて生き延びたカンボジアの民衆が、全土に敷かれることになった高速光ファイバー工事で露命をつなぐ極限状況をルポルタージュしている。

道端に穴を開けそこにケーブルを通すのだが、岩だらけの地面を掘り進んでいくと突如毒蛇が現れたり戦争中に埋められた地雷や爆弾が出てきたりする。命懸けの仕事を女子供も手伝って朝から晩までやっている。

工事を請け負っているのはおおむね悪徳ブローカーで、彼らに搾取される細民にはなけなしの賃金しか与えられず、貯金も明日の食料も夢も希望すらない。怪我をしても病院にすら行けない極貧生活を強いられている彼らにどんな励ましの言葉を言えようか。

キャメラはそんな悲惨な彼らに寄り添うようにして、そのありのまあの姿を全世界に伝えようとしている。


弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百 蝶人

Wednesday, October 24, 2012

松本健一著「増補出口王仁三郎」を読んで



照る日曇る日第545

寅さん「屹立する最後のカリスマ」なんちって品性下劣な言葉を使うなよ。んで、もう一人のカリスマは天皇の軍隊を農民の革命軍でひっくりけえして国民の国家をでっちあげようとした北一輝だって書いてるけど、それを言うなら、大衆の下衆のどん底から這い上がって銀幕の大スターに成り上がったおらっちの方が、よっぽどカリスマじゃあねえのかい」

おいちゃん「寅さん、まあまあそう怒るなよ。おいらお団子を売ってるだけでまるっきり学はないけど、この本で「日本思想史の基軸は近代主義とナショナリズムと日本原理主義の3本柱だ」と書いてるのはちょいと面白かったね。前の2つはお互いに闘争を続けてきたわけだけど、それらの基底に日本の神、郷土、先祖、血縁、自然を総括する「原郷(パトリ)」への愛情があり、この日本原理主義が、あるときは天皇制国家主義と同調したり背馳する契機があるというんだ」

さくら「そんでこの日本原理主義に依拠し、出口なお(変性男子)を教組、出口王仁三郎(変性女子)をカリスマ宣教師とする大本教は、近代主義やナショナリズムから落ちこぼれ、過去の伝統や因習にしばられた大衆の怨嗟を解き放ち、「もう一つの天皇制」を目指したのだというのよね」

ひろし「伊勢神道系のアマテラスを主神とする明治国家の天皇制絶対主義に対抗して山陰、裏日本に押し込められていた出雲系のスサノオを「丑寅(うしとら)の金神(こんじん)」として賦活させ、日本原理主義革命をやらかそうとしたんだね」

タコ社長「いくら橋の下とか小さな泉を探したって肝心の天皇や大衆の実体がエーテル化した平成の御代では、悔しいけどもう寅さん以上のカリスマは出っこねえだろうなあ」

おばちゃん「みんな何をぐだぐだ屁理屈ばかり言ってるんだい。この本の駄目なところはね、肝心要の出口なをと王仁三郎の郷里の丹波の風土について触れてないことだね。「弁当忘れても傘わするな」ということわざ通り、晴陰ただならぬあの地の不安定な気候が、暗欝と情動爆発が瞬時に交錯する宗教革命的精神風土を生みだしたことが、インテリさんたちにはまるで分かってないようだね。

御前様「こりゃあ困ったあ。大衆の原像おばさんのつねさんに1本取られてしもうたあ」


神仏も天皇陛下も無用ですこの世を私が生き抜くために 蝶人

Saturday, October 20, 2012

神宮、熊野、高野山を巡る




茫洋物見遊山記第93 

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人

Monday, October 01, 2012

クリント・イーストウッド監督の「アウトロー」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.320


平和な生活を送っていた農夫がならず者に妻子を殺され、一転決意して復讐に乗り出す西部劇です。

ちょっと拳銃を練習したくらいでどうして突如早撃ちガンマンに変身できるのか謎だが、北軍にまぎれこんだ殺し屋集団に積極果敢な戦いを挑む。

余談ながらクリント・イーストウッドは共和党の支持者らしい。今回の大統領選挙でもロムニーを支持するそうだが、それは北軍嫌いとなにか関係しているのだろうか。もっとも他の映画で南軍贔屓を表明しているかどうか知らないのだが。

ならず者たちに襲われていた開拓者家族の中に可憐な娘役のソンドラ・ロックを素裸にして尻の割れ目までも映しだそうとしているが、エロチシズムを通り越したそういう酷薄さがこの人の持ち味かもしれない。


Go ahead, Make my day!ドラ猫が三毛猫にいきまく真夏の昼下がり 蝶人

Friday, August 24, 2012

佐藤賢一著「ジロンド派の興亡」を読んで




照る日曇る日第534

長らく中断していた佐藤賢一氏の「小説フランス革命」シリーズがいよいよ第2部に入り、その再開第一弾の第7巻が数年振りに刊行されたのは誠に慶賀に堪えない。

この巻では革命第4年に入った1792年のジロンド派とルイ16世の角逐を主にロラン夫人の視点から描いているが、内務大臣に就任することになった夫よりもはるかに凄腕のこのサロンの女主人の容貌、人柄、政治的経綸が、繰るページの奥からぞめき立ってくるような描写に舌を巻かされる。

とりわけロラン夫人が、夫やダントンを唆して市民の蜂起を実現するものの、ルイ16世が、アホ馬鹿ロバの王様どころか、抜群の知性と忍耐力で、チエルリー王宮に侵入したパリの貧民、サンキュロットの暴徒たちを鮮やかに撃退する光景は生彩がある。

かつては革命の寵児としてパリに令名をとどろかせたデムーランが、愛児の誕生を目前にして再度の蜂起に尻ごみするくだりや、「両大陸の英雄」ラ・ファイエットの哀れな悪あがき、王からつかまされた黄金で再び暴動を企もうとする不屈の反逆者ダントン、暗殺の恐怖にちぢみあがる小心者のロベスピエールなど、フランス革命を担う群像たちを、著者はこれまでのどの巻よりも見事に活写してやまないのである。


革命の原点は食料暴騰人心不安いずれその日も遠くあるまじ 蝶人


*全国の学友諸君、この演説を聴け!


Wednesday, August 15, 2012

プルースト著・吉川一義訳「失われた時を求めて4」を読んで



照る日曇る日第531

14冊の文庫本の4冊目に当たる本巻は、第2編「花咲く乙女たちのかげに2」第2部「土地の名―土地」の全訳です。

パリを離れた主人公は、祖母や女中のフランソワーズと共にノルマンディー海岸の保養地バルベックにやって来て華やかな夏の避暑生活を享受します。

プルーストの分身である若き主人公は、やはり都会からやって来たアルベルチーヌやアンドレ、ジゼルなどのうるわしき乙女たちと出会い、そこで男女の駆け引きが始まるのですが、さすがにプルーストともなると、その道行は一筋縄ではいかない。

群生する様々な薔薇のような少女たちから徐々に朝霧のヴェールが取り払われると、おもむろに彼女たちの面差しや姿態、わけても人差し指の美しさやふっくらした柔らかさなぞに光が当てられ、一人ひとりの官能的な、そして知性的な特徴が微細に描写されていきますが、この様相をある詩人は、a rose is a rose is a rose is a roseとはしなくも歌ったのでした。

対象化された少女を対象化する自意識の微分積分、愛の結晶作用に関するスコラ的な思弁とコルクルームの内部の偏奇的な生の形上学が、浜辺に打ち寄せる波のように果てしなく繰り返されるかと思うと、若者らしい常套手段に走った主人公が、思いびとアルベルチーヌをベッドに押し倒そうとして、思いっきり非常ベルを鳴らされる。

好きな女に一指を触れるまでに数年と数百ページを閲してはばからないのがプルースト的恋愛審美学の真骨頂ですが、またとなく主人公の欲情をそそる美少女を数ブロック追いかけ、やっとその顔をのぞきこむや、なんとなんと年老いたヴェルデュラン夫人だった、という逸話こそ、本巻の要蹄でありましょう。


二列目の朝顔が咲かぬもどかしさ 蝶人

Thursday, June 28, 2012

デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.266



何度見ても素晴らしいのは広大な砂漠の美しさで、モーリス・ジャールのテーマ音楽に乗ってくり広げられるこの雄大な自然の景観を眺めているだけでもう十分映画の醍醐味を堪能した思いになってしまう。

 ロレンスがラクダを乗りこなす場面、部族の白い衣装を纏って踊る場面、アラブの遊牧民を率いて要衝アカバに突撃する場面、部下を命懸けで救出する感動的な場面、その部下をやむを得ず射殺する場面、不覚にもトルコ軍の捕虜となって凌辱される場面、人を虐殺しながら楽しかったと告白する場面などなど忘れ難いシーンは数多いが、もっとも見事なのは効成り帰国して万骨枯れ果てた現代の英雄が映画の冒頭であっけなくオートバイで事故死する場面であろう。


 大英帝国の一軍人でありながら彼の脳内で理想化された「アラブの大義」のために獅子奮迅の活躍を続けたロレンスは、ある意味では個人として可能な極限の領域を踏破した大冒険家であり革命家であったといえようが、その後の歴史の推移を見るならば、しょせんは大国の利害と政治的思惑に呑みこまれていった哀れなドンキホーテという他は無い。



1ドル79円1ユーロ99円の日本に生きる幸せと不幸せ 蝶人


Saturday, February 18, 2012

ジョン・アーヴィング著「あの川のほとりで下」を読んで

照る日曇る日第497回

76歳になる主人公の父親を執拗につけ狙ってきた87歳の元保安官代理は、コルト45の凶弾を胸にぶちこんでついにその黒い宿願を果たすが、58歳の息子であり作家でもある主人公の20口径のウインチエスター銃の3発の散弾を浴びて息の根をとめられ、親の因果が子に報いる因縁の復讐劇はとうとう幕を下ろした。

しかしいかに元警官が冷血漢で、己の愛人を寝取られ、その殺人の濡れ衣を着せられたとはいえ、およそ半世紀に亘ってその憎悪と殺意を持続し、あらゆる困難にもめげずにその復讐を貫徹できるものだろうか? 恐らくその凶悪な暗殺者の悪への暗い情熱は、同伴し続けた作者の内奥にも不気味に蠢めいているのであろう。良きものを大切に育もうとする作者の善き情熱と同じ重さで……。

哀れ我らが主人公は、父親ばかりか最愛の息子も事故で失う。そして父親の親友で主人公の親代わりだった偉大な樵ケッチャムの悲愴な最期、9.11後の母国アメリカを覆い尽くす亡国現象……相次いで襲いかかる死と人世の虚無と無常を、著者はこれでもかこれでもかと描きだす。そう。作者に指摘されるまでもなく、世界は確実に死と滅亡に向かっているのだ。

しかしながら極寒の吹雪の大空から天使が降臨し、絶望の淵に沈む主人公に愛の光を注ぎ入れるささやかな奇跡は、私たちがかつて映画「ガープの世界」の冒頭で見たみどり児のほほえみをただちに連想させ、まるでダンテの「神曲」のように地獄と煉獄をさすらうこの神話的な長編小説が、天国への見果てぬ夢を紡ぐひとの巨人的な幻想の産物であることを思い知るのである。

冬空の下、もういちど物語の素晴らしさを信じ、もういちどそれぞれの「人生の大冒険」を始めよう、と説く作者の孤独なアジテーションが、ボブ・ディランの嗄れ声のように寥々と鳴り響いている。


宙天に孤鳥嘯く冬の朝 蝶人

Tuesday, September 20, 2011

トマス・ピンチョン著「競売ナンバー49の叫び」を読んで


照る日曇る日第454

佐藤良明の懇切丁寧な翻訳と注解に導かれて、今回はかろうじて最後まで読みおせたが、いったいこれは何なんだ。

熟れた人妻がサンフランシスコの黄昏をダシール・ハメットの探偵小説の主人公のようにさまよい始めるが、その彷徨はセリーヌの夜の果ての旅路よりも謎めいて不可解だ。

かつて淡く付き合っただけの大物実業家がヒロインに委託しようとした膨大な南加の土地、株、切手コレクション……。その莫大な遺産は、とうとうアメリカ合衆国全体へとふくれあがる。

他方では12世紀以来北イタリアに居住していたタッソ家が16世紀にブリュッセルで開始した郵便事業が次第に欧州全域に拡大し、フランスでの事業完遂を達成するためにかの仏蘭西大革命まで引き起こした!そうなんだが、野心的な一族はアメリカ大陸へも進出しようとして、ここ桑港一帯で数多くの国家権力と人民大衆を巻き込んだ一大陰謀が繰り広げられるのであるんであるんであるう……。

どうだ、驚いたか! この奇妙奇天烈荒唐無稽の阿呆馬鹿小説の野放図さに!

しかしこの古今東西にわたる複雑怪奇な世界を、形而上学的超高層から非形而上学的最深部に至るまで小さな大脳前頭葉一個で大精査想像創造し、ちびたトンボ鉛筆ただ一本で書きに書き殴るピンチョンの旺盛な作家根性には脱帽の他ない。

介護とは終わりなき自己犠牲らし秋海棠 蝶人

Thursday, September 09, 2010

梟が鳴く森で 第2部たたかい 第24回

bowyow megalomania theater vol.1

そしたら突然公平君が洋子から僕を引き離してチークダンスを踊り始めました。

僕が呆然としていると、文枝が僕の腕を取って全身を寄せてきたので、僕は文枝とチークダンスをしました。洋子もいい匂いでしたが、文枝も洋子とは少し違ったいい匂いがしました。

女の子の身体は、文枝も洋子もみんなとっても柔らかいものだということが、僕にははじめて分かりました。

そのあとみんなでお互いに相手をとっかえっこして夜が更けるまでダンスを続けました。
僕は生まれてから今日までこんなに楽しかったことははじめてです。

それから僕たちはきのうのぶいっちゃんとひとはるちゃんがどこかから探し出してきた段ボールを何枚も重ねて、それにみんながくるまるようにしてみんなで寝ました。

夜中を過ぎるとものすごく寒くなってきたので、僕は隣の洋子と身体をぴったりくっつけ、お互いに抱き合ったままで寝ました。

公平君は文枝と、のぶいっちゃんはひとはるちゃんと抱き合ったまま寝ました。

みんな幸せそうな顔をして寝ました。



   1か月1滴の水もなく堪える草白く小さき花をつけたり 茫洋

Thursday, January 21, 2010

梟が鳴く森で 第1部うつろい 第30回

bowyow megalomania theater vol.1

10月13日 晴れたり曇ったり

星の子から帰ったら、お父さんがいました。

お父さんがどうしてこんな時間にいるんだろう?
今日は土曜日でも、日曜日でも、天長節でも、国民の休日でもないのに。もしかして会社を首になったのかしら。

お父さんは、僕の顔を見ると、大きな声で「岳君、お帰り」と言いました。

僕は、星の子から帰って来た時に、「岳君、お帰り」と言われるのが嫌いです。「ただいま!」と大きな声で玄関から声を掛けながら入って来るお父さんが嫌いです。小さな声で「今帰ったよ」と言ってほしいのです。「ただいま!」と怒鳴られると、耳の中で何かが爆発するような気がするのです。

そうだ、昔お父さんが何か僕には理由のわからないことでオッカナイ顔をして、「コラ!」と怒鳴りつけた。その時と同じ声だから、それが恐ろしくてとても嫌いだから、僕は耳を指でふさいで逃げるのです。

僕はムクも嫌いだ。お隣の吉本さんの家のタロウも、反対側のお隣の橋本さん家のラッシーも嫌いです。
犬はワンワン吠えるから嫌いだ。突然、理由もなくワンワン吠える奴は大嫌いだ。みんなあんなおっかないのをどうしてほったらかしにしておくのか、不思議だ。



   ♪昔の自分は死んだらしい 茫洋

Friday, November 20, 2009

ウイリアム・ワイラー監督「ローマの休日」を見る

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.19

私のいちばん好きな映画は、やっぱりこれ。「ローマの休日」なのです。

二度と帰らぬ男と女の青春の輝き、ローマのスペイン広場、コロッセオ、サンタンジェロ城、コロンナ宮殿、疾走するヴェスパとフィアット。老獪なウイリアム・ワイラーの巨大な手のひらの上で永遠の恋人たちは恋の輪舞を踊るのです。

しかし何回見ても、涙が出てしまうのはどうしてでしょうか。王国の掟に雁字搦めになったアン王女、(というよりはヘプバーンの)おそらくはたった一度の自由、たった一度の恋、たった一度の(実際は2回するのですが)接吻が、見る人の胸を切なく打つのでしょう。

 とりわけ最後の記者会見のシーンで、訪問した世界の都市でどこがいちばん良かったかと聞かれたアン王女が、どこの都市もそれなりに良かったと答えようとして、「ローマです」と断言するくだりは、はっと胸を突かれます。
そしてアメリカ通信社の記者に扮したグレゴリー・ぺックを万感の思いで見つめた小鹿のような黒い瞳が急速に光彩を閉じて、生涯の恋を断ち切って厳しい王女の顔に戻る瞬間を、ワイラーは鋭くとらえています。

柱が高くそびえた宮殿の間を去っていく男の悲しみは、じつは王女のそれよりもかえって深いのでした。



 ♪ヘプバーンもペックもワイラーも死にたれど「ローマの休日」は永遠に残らむ 茫洋