Thursday, December 27, 2012
林瑞絵著「パリの子育て・親育て」を読んで
Thursday, November 22, 2012
川西政明著「新・日本文壇史第9巻」を読んで
Thursday, November 15, 2012
古井由吉著「古井由吉自撰作品三」を読んで
Thursday, November 08, 2012
山本嘉次郎監督の「エノケンのちゃっきり金太」を見て
Wednesday, November 07, 2012
山本薩夫監督の「台風騒動記」を見て
Wednesday, October 24, 2012
松本健一著「増補出口王仁三郎」を読んで
Sunday, August 05, 2012
中平康監督の「狂った果実」を見て
Monday, July 23, 2012
相米慎二監督の「お引っ越し」を見て
Monday, July 16, 2012
古澤憲吾監督の「ニッポン無責任時代」を見て
Wednesday, June 27, 2012
黒沢清監督の「トウキョウソナタ」を見て
Tuesday, June 26, 2012
矢口史靖監督の「ウォーターボーイズ」を見て
Wednesday, June 13, 2012
岩井俊二監督の「市川昆物語」を見て
Monday, June 11, 2012
行定勲監督の「遠くの空に消えた」を見て
Monday, May 21, 2012
ドナルド・キーン著作集第2巻「百代の過客」を読んで
Saturday, May 12, 2012
川本三郎著「白秋望景」を読んで
Friday, April 27, 2012
川島雄三監督の「幕末太陽傳」を見て
Wednesday, March 07, 2012
是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」を見て
何も知らずに見物し始めたのだが、中陰の状態にある死者に対して「あなたの一番大切な思い出をセレクトしてください。それを映像化してあげますから、それを見てから成仏してください」というサービスを提供する団体の映画だった。
しかし私は、一番大切な思い出なるものをあえて発掘する骨董趣味を持たないし、よしやそれがあったとしても後生大事にそれを胸中に懐いて黄泉の国に赴こうとする気持ちもない。
まして他人のその思い出をのぞき込んだり、ああだこうだと比較対象する興味も持ち合わせていないので、終始冷たい視線でこの才走った監督の映像をつらつら眺めていたのだが、最後まで見終わってもついにどうということはなかったな。
されど世の中には、じつにけったいなことを考え、それをわざわざ映画などにする変態的な暇人がいるものであることよ。と言っては身も蓋もないので、せめて本作には谷啓や由利徹の死の直前の演技が瞥見できるのが望外の奇貨である、と言い添えておこうか。
一寸来いと呼ばれて行けばコジュケイの家族哉 蝶人
Tuesday, March 06, 2012
円城 塔著「道化師の蝶」を読んで
飛行機の中で昆虫網を振り回したら、架空の新種の蝶アルレキヌス・アルレキヌスなる「道化師のような蝶」が採れました。
これは本書の引用ではありませんが、例えばこーゆーよーな内容のフレーズがビシバシ登場して参ります。
普通なら我が家のムクも歯牙にもかけない変態的作品が何故か芥川賞を受賞したために、やれ安部公房の真似だとかSFの下手くそな習作、超難解理系純文学とかアホ馬鹿駄文の見本などといろんな評価が乱れ飛んで、それがかえって洛陽の紙価を高騰させているようです。
がしかし、この小説のほんとうの値打ちは、やたら肩入れして「死んでいながら生きている猫を描こうとしている画期的小説!?」などと無闇に意気込んでいる川上弘美選手よりも、著者本人がいちばんよく分かっているのではないでしょうか。まあ世間がらあらあと騒ぎたてるような代物でないことは間違いありません。
私はともかく途中で居眠りはせずに最後まで紙上に乾いた視線を晒すだけの義理は果たしましたが、これは新しい文学的感興がむくむくと湧き起こるような瞬間は、ただの一度もありませんでした。
小説に因る人世の方法的制覇を目指して夢中で書いている本ご人はきっと楽しいのでしょうが、その醍醐味は架空の新種アルレキヌス・アルレキヌスよりも、春になれば郷里の里山に優雅に舞い飛ぶ超現実種のルエホドルフィア・ジャポニカを偏愛する私のような蝶保守的古典文学マニアをてんで満足させてくれはしませんでしたね。
文体やあらすじがどうのこうのと評しても意味がないので書きませんが、この醒めた唐人の寝言のような奇妙な日本語列を反芻していると、なぜか最近は誰も聴かなくなってしまったいにしえの現代音楽のことが思い出されてきました。
実際本作品には初めて12音音楽に挑んだかのシェーンベルクの懐かしい響きが聴こえてきますし、同時に芥川賞を受賞した田中選手の作品では新ウイーン学派の無調やノイズミュージックの乱入も散見されます。先駆する中原昌也の革命的な実験作も含めて、鴎外、漱石、芥川、荷風、谷崎、太宰、三島、大江、村上の正統派に反旗を翻そうとする「平成現代文学」がおそまきながら産声を上げようとしているのでしょうか。
腐敗堕落した文藝春秋社賞なぞによりかかることなく、犀のやうに文学路地を歩め 蝶人
Sunday, October 16, 2011
深川栄洋監督の「白夜行」を見て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.159
東野圭吾という今まで読んだことのない作家の大ベストセラー小説を映画化したのが本作だというが、ともかく全篇を通してセリフが聞こえないのでどういう話かよく分からない。どうやら「砂の器」を模倣したような長期間執念真犯人追及サスペンスドラマではないかと見当をつけたのだが、その殺人事件の舞台になるのが桐原という質屋だった。
桐原質屋はいざ知らず、「桐原」書店には吾輩の失業時代に苦い記憶がある。新聞広告で通信教育の採点者を募集していたので応募したら幸いにも合格した。送られてきた学生の作文にインクでビシバシ赤を入れていたら、女性のキャリア編集長から「貴方の修正は間違っていて字は汚くて読めないしこのままでは商品にならない!」と厳しいクレームが来て、一発退場で馘首されてしまった。おいおい試験もせずに採用したのはそっちだろう。おいらに正しい添削方法を教えもしないでいきなり首はないだろう。
と文句を言いたかったが、彼らに迷惑を掛けたことも事実なので、以来私は「桐原」という言葉を聞くとやたら不吉な予感がするのである。よほど見るのをやめようかと思ったが、ヒーロー桐原亮司がとても良い顔付きだし、堀北真希のヒロインが突然裸になったりするので、とうとう仕舞まで見てしまった。
しかし映画のあらすじはというと、なんでも幼児倒錯性癖?がある父親が仲良しの少女をもてあそぶところを見てしまった主人公の少年が、その場で父親を殺害しただけでなく、その後もその少女のためにならない人間を、見境なく次々に犯したり殺したりしてやる。すると貧しいかった少女は、長ずるに及んでどんどん周囲の人間をたらしこんでおのが立身出世を果たす、というとんでもない噺のようだ。
どうしてこんなけったくそなの悪いリアリテイのない話を、何百万もの日本人が真面目な顔をして読んだり見たり泣いたり?できるのかと呆れてしまう。もしかするとこの人たちは揃いも揃って全員アホ馬鹿人間なのではなかろうか?
というでまたしても貴重な149分を無駄にしてしまったが、主人公たちを「砂の器」の伴淳三郎の軽薄なコピーのように終生にわたって追及する船越英一郎が、せめて父親の英二だったら少しはましな映画になったかもしれない。
翌日には皆忘れ去られる誇大記事を今日も綴るなり三文新聞 蝶人
Sunday, July 17, 2011
成瀬巳喜男監督の「めし」を見て
闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.131
この映画は原節子扮する主人公の人妻が、女の幸福とは懸命に働く夫を陰ひなたなく支える夫唱婦随のささやかな喜びにあるのではないか、と殊勝に呟くシーンで終わっているが、こんなくだらない結末を、原作者の林芙美子が書く訳がない。明らかに川端康成による悪しき助言の副産物であろう。
そのせいでいっけん一昔前の封建的なイデオロロギーを前提にした男尊女卑の映画と受け取られがちだが、さにあらず。原節子と上原謙のそのような定型的な夫婦関係の横合いから予告なく闖入して安穏な市民の平和をかき乱すこの映画の真のヒロインは、上原謙の姪を演じる島崎雪子の小悪魔ぶりにあって、中産階級のちょっと可愛い馬鹿娘が、己の若さと美貌と無意識のコケットリーを武器にして世の男どもを手玉にとり、徹底的な自己中で周囲を引っ掻きまわす悪意に満ちた天衣無縫さこそ、この映画の最大の見どころであり、原作者がしっかりと見据えていた、弱そうでつよい女の本質がこれでもか、これでもかとばかりに鋭く抉り出されているのである。
いまならどこにでもいる身勝手なアホ馬鹿娘であるが、1951年に成瀬巳喜男がいち早く造型してみせたこの令嬢風アプレゲールの自由奔放さはいま見ても新鮮で、小林桂樹をのぞくすべての定評ある出演者の存在感を食ってしまっている。
最後に注目すべきは成瀬の演出が驚くほど小津に酷似していること。成瀬は小津のような長回しをせずに早いカット割を繰り返すところだけは違うが、原節子と二本柳寛が並んで上野の博物館をそぞろ歩くシーンなどは瓜二つであった。
柳腰の雌を狙いし雄ウナギ噛み合いしまま水面を超えたり 蝶人