闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.159
東野圭吾という今まで読んだことのない作家の大ベストセラー小説を映画化したのが本作だというが、ともかく全篇を通してセリフが聞こえないのでどういう話かよく分からない。どうやら「砂の器」を模倣したような長期間執念真犯人追及サスペンスドラマではないかと見当をつけたのだが、その殺人事件の舞台になるのが桐原という質屋だった。
桐原質屋はいざ知らず、「桐原」書店には吾輩の失業時代に苦い記憶がある。新聞広告で通信教育の採点者を募集していたので応募したら幸いにも合格した。送られてきた学生の作文にインクでビシバシ赤を入れていたら、女性のキャリア編集長から「貴方の修正は間違っていて字は汚くて読めないしこのままでは商品にならない!」と厳しいクレームが来て、一発退場で馘首されてしまった。おいおい試験もせずに採用したのはそっちだろう。おいらに正しい添削方法を教えもしないでいきなり首はないだろう。
と文句を言いたかったが、彼らに迷惑を掛けたことも事実なので、以来私は「桐原」という言葉を聞くとやたら不吉な予感がするのである。よほど見るのをやめようかと思ったが、ヒーロー桐原亮司がとても良い顔付きだし、堀北真希のヒロインが突然裸になったりするので、とうとう仕舞まで見てしまった。
しかし映画のあらすじはというと、なんでも幼児倒錯性癖?がある父親が仲良しの少女をもてあそぶところを見てしまった主人公の少年が、その場で父親を殺害しただけでなく、その後もその少女のためにならない人間を、見境なく次々に犯したり殺したりしてやる。すると貧しいかった少女は、長ずるに及んでどんどん周囲の人間をたらしこんでおのが立身出世を果たす、というとんでもない噺のようだ。
どうしてこんなけったくそなの悪いリアリテイのない話を、何百万もの日本人が真面目な顔をして読んだり見たり泣いたり?できるのかと呆れてしまう。もしかするとこの人たちは揃いも揃って全員アホ馬鹿人間なのではなかろうか?
というでまたしても貴重な149分を無駄にしてしまったが、主人公たちを「砂の器」の伴淳三郎の軽薄なコピーのように終生にわたって追及する船越英一郎が、せめて父親の英二だったら少しはましな映画になったかもしれない。
翌日には皆忘れ去られる誇大記事を今日も綴るなり三文新聞 蝶人
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