Wednesday, October 05, 2011

加藤陽子著「昭和天皇と戦争の世紀」を読んで


照る日曇る日第457

本書を読むと、満州事変、日中戦争、そしてアジア太平洋戦争のいくたの局面に、昭和天皇がどのようにかかわったのかを詳しく知ることができる。

昭和天皇と戦争相関関係を微に入り細にわたって追及する著者の筆は鋭い。例えば米国への宣戦布告が遅れたのは駐米日本大使館の不手際ではなく、陸海軍の奇襲作戦を効果的にするために統帥部と外務省が意図的に遅らせたこと。ルーズベルトから天皇への親書電報も陸軍が15時間も遅延させたこと。そもそもだまし討ちの汚名を蒙らないためにはワシントンでなくとも東京の駐米大使グルーに布告文書を渡せばよかったこと等々、目からうろこの斬新な指摘も多々ある。

著者がいうように、皇太子時代に西欧を訪れて第一次世界大戦の惨禍をつぶさに目にした昭和天皇は、祖父にならって世界平和の重要性を痛感していたはずである。

ところが長ずるに及んでみずからが総攬する大権が憲法の制約下にあることを知りつつ、宮中、内閣、陸海軍、とりわけ幕僚に対してはラバウルや沖縄などの戦争政策に関しても積極的に発言し実質的に命令している。統帥権を掌握していた天皇は当然首相や閣僚が知らない情報まで把握しており、ある時は適切な、またある時は不適切な政治判断を示しているのである。

特にアジア太平洋戦争については陛下の個人的御聖断によって対米英戦争がはじまり、同じく彼の個人的決断によって終結し、その所為で無慮数百万の無辜の赤子を、海ゆかば海の底で、山ゆかばさいはての凍土や密林で玉砕させたわけだから、連合国がどう判断しようと人間一個の道義的責任ということをまじめに考えれば、形式的な法律論でこの人物を「無答責」と免罪するわけにはいかないだろう。

しかし、これでもかこれでもかと当時の客観的情報を並べて学者的分析を述べる著者は、この重大な問題について沈黙を守っている。じっさい当時の国内外、政官財軍民の動向はあまりにも複雑怪奇に入り組んでおり、本書を読めば読むほど、天皇を含めた諸個人の思想と行動の軌跡を精密に腑わけしてその功罪得失と論じ、あまつさえその因果応報を断じることは神ならぬ身には不可能に近いのではないか、という一種のあきらめにも似た慨嘆が湧きおこるのである。

ブレーキのない自転車に乗る奴はみなみな弾き殺されろ 蝶人

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