Sunday, July 17, 2011

成瀬巳喜男監督の「めし」を見て


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.131

この映画は原節子扮する主人公の人妻が、女の幸福とは懸命に働く夫を陰ひなたなく支える夫唱婦随のささやかな喜びにあるのではないか、と殊勝に呟くシーンで終わっているが、こんなくだらない結末を、原作者の林芙美子が書く訳がない。明らかに川端康成による悪しき助言の副産物であろう。

そのせいでいっけん一昔前の封建的なイデオロロギーを前提にした男尊女卑の映画と受け取られがちだが、さにあらず。原節子と上原謙のそのような定型的な夫婦関係の横合いから予告なく闖入して安穏な市民の平和をかき乱すこの映画の真のヒロインは、上原謙の姪を演じる島崎雪子の小悪魔ぶりにあって、中産階級のちょっと可愛い馬鹿娘が、己の若さと美貌と無意識のコケットリーを武器にして世の男どもを手玉にとり、徹底的な自己中で周囲を引っ掻きまわす悪意に満ちた天衣無縫さこそ、この映画の最大の見どころであり、原作者がしっかりと見据えていた、弱そうでつよい女の本質がこれでもか、これでもかとばかりに鋭く抉り出されているのである。

いまならどこにでもいる身勝手なアホ馬鹿娘であるが、1951年に成瀬巳喜男がいち早く造型してみせたこの令嬢風アプレゲールの自由奔放さはいま見ても新鮮で、小林桂樹をのぞくすべての定評ある出演者の存在感を食ってしまっている。

最後に注目すべきは成瀬の演出が驚くほど小津に酷似していること。成瀬は小津のような長回しをせずに早いカット割を繰り返すところだけは違うが、原節子と二本柳寛が並んで上野の博物館をそぞろ歩くシーンなどは瓜二つであった。

柳腰の雌を狙いし雄ウナギ噛み合いしまま水面を超えたり 蝶人

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