照る日曇る日第447回
60年代の後半から70年代にかけては左翼の武装闘争が全世界で荒れ狂った。日本では赤軍派などは牢屋に入れられたままだが、ドイツでは少しずつ釈放されているらしい。
本書は当時のドイツの資本主義の中枢にいた財界人などを殺した赤軍派の元リーダーが既往を悔いて出獄した直後の週末に起こったさまざまな事件と波紋を描いているが、こう要約しただけでこの小説の作者の魂胆が見え透いてくるようで私などは非常にいやな感じがする。
まず、かつて輝けるテロリストだった男が大統領の恩赦を受けて20年振りに出所してくるというので、彼の恋人兼母親のような姉が彼女の別荘に男の旧友を呼び集めて慰労会?を催す、などという設定が小説としても不自然である。
普通はどんな親友にも知らせず、1年くらいは心身の疲れを癒し、新たな社会復帰の準備をするのが世間の常識だと思うのだが、9・11について思いを巡らせる英語教師!やら、弁護士、この男に振られた過去を持つ女性ジャーナリスト、聖職者、男を闘争のシンボルに担ぎあげようともくろむ左翼の生き残り、しまいには行方不明だった男の息子まで乱入してきて、ドイツ赤軍派の思想と行動を金土日の3日間でいっきに総括しようと意気込むのだが、それって相当無理だよね。
こういうありそうで絶対にない都合のよい図式とお下劣な主題の設定そのものが、昔ながらの通俗読み切り三文赤小説であることに著者は最後まで気づかず、あたかも今世紀最大の深刻な思想小説であるかのように粋がっているから始末に負えない。
もちろんかつてのテロ行為を攻撃したり非難したり自己批判を要求したり、さらなる権力闘争への加担を呼び掛ける人物やテロリストをあの時代の「空気」では当然のことだったと擁護する人物なども続々登場して、これを映画や芝居の群像劇に仕立てたらかなり面白いとは思うが、主人公の病気で主人公への肉薄が全て放棄されるなどすべてがご都合主義のポンチ絵であり、ここに芸術的な真実が吐露されているとは到底思えない。
そもそも当時法学部の学生でたった2回だけデモに参加した男がドイツ赤軍派についてどれだけのことが書けるというのか? 君は売れそうな題材ならなんでも書くのか?
すべてはベストセラー作家の次なるベストセラー小説へのマーケテイングの空虚な試みにすぎない。
親子丼食えば死んだ鶏を食うておる心地す 蝶人
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