照る日曇る日第440回
この短編集の中に「路上」という掌編小説があって、これは老年の小説家であるところの著者が、かつて、ということは生前に居住していた浅間山麓の別荘の近所の「路上」で、なにやら精神的な懊悩を抱えこんでいる中年の女性と行き合って、彼女が性的複合意識形態に支障があるとただちに見抜き、俄かに即席のフロイト博士になり変わって、「肥後ずいき」の使用を婉曲に勧めたり、ポーランドからアメリカに渡ってきたユダヤ人シンガーが書いた「タイベールと彼女の」という老年性愛小説を読ませて、彼女の夫婦生活の不具合を解消してやろうと余計な世話を勝手に、しかも亭主には内緒で、焼く話である。
作者はこの小説のあらすじを我々読者にも公開してくれているのであるが、それは性的不満のある未亡人を風采の上がらない若い男が悪魔と偽ってものにするポルノ小説であり、老年の小説家こと小島信夫氏は、悩める中年女性に対してまずはこのポルノ小説の抜粋を、次には小説家みずからが翻訳した生原稿を、路上での行きずりにペーパーバッグに入れて手渡ししようという恐るべき計画を立てるのである。
で、その88歳の鈴木清順監督が、48歳年下の女性を誘惑しようとするかのような大胆不敵かつ不穏なコンサルティング計画は、どのような結末を辿ったのだろうか? 御用と御急ぎのない方は、どうぞ本書をゆっくり手に取って、この小説の神様の端倪すべからざる結末に唖然としていただきたい。
性愛の極意を生きた小島信夫永井荷風の跡を継ぎしか 蝶人
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